公立学校の真実
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空き時間だった。
その時、激務というか、精神が圧迫されて、学校にいられなくなった。
学校の外の空気に触れながら、はやく退職して自由の身になりたいと思ったものだ。
そして、今、その自由の身にはなった。
だが、この物価高、そして歳を重ねるに時給の少ない誰でもできる仕事はあるものの、本当にやりたい自分の身になる仕事にありつけないというありさま。
白髪のおじいさんを雇ってくれるほどのところはないのだろう。
小学校のサポートをしていたら、いつもやんちゃしている小学生が「おじいさんでも先生やってるてすごいね」と耳元でささやいてきた。
確かに・・・と思った。
やっぱり、おじいさんなんや。
まだ、あきらめず職を探してハローワークに行くが、「これはどうでしょう」と勧められたところが、勤務地まで2時間以上かかる事業所だったりする。
間口を広げて探せよとアドバイスしてくれるものの、広げ過ぎだろう、それ。
もう一つハローワーク職員は頼りない感じがした。
自宅でいろいろな自治体の会計年度職員を検索した。
奈良で時給1,260円ほどの相談員というのがあったので問い合わせてみた。
しかし、臨床心理士師しか無理で、「公認心理師はだめなの」と問うと、スーパーバイザーがついていなければ無理、今現在カウンセリング業務をしていなければ無理、と断られた。
なんか変だな、と思いつつ他を探すことにした。
共済保険に入っていれば保険料は半分以下でよいのだが。
小学校のサポートを辞めているので、共済保険に入っていない。
ショックな請求が来た。
ムカついてきた。
やっぱり、どこかで働かざるを得ないのか。
悔しい。
明日はハローワークでも行ってみようかなと思う。
週3日働けば、何とか保険に入れる。
時給が高ければ、何とか税金も払える。
これだけ税金や保険を払わなければならいないとなると
恐怖が走る。
今のたくわえが減ることに恐怖が走る。
やはり現役は心身はかなりしんどいが、お金の面では平和だった。
しかし、ある現役高校教員の話では教員の長時間労働の原因は部活動だけではないという。
大変なのは、部活動よりも学校において分掌(ぶんしょう)と言われている事務仕事だという。
授業の仕事でもなく、クラス運営に関わる仕事でもない分掌の仕事だ。
学校を運営するための事務仕事だ。
その人は、総務課長をしていて、卒業式、入学式、PTA理事会、PTA総会などの仕事の影響で、4月は約100時間、5月は約120時間時間外労働があったという。
教員免許がなくてもできる仕事、分掌などの事務仕事を行っていただける専門職員を事務室の職員とは別に配置してほしいと訴える。
また、ある 中学校教員は、部活の地域移行は、はっきり言って不可能だという。
思春期の生徒指導など教員じゃないと難しい部分もあるというのだ。
確かに、それは一理ある。さらに練習場所が学校では無くなった分、生徒の負担は増加しているという。
考えてほしい、高校野球の監督を、土日は他の人に任せて、監督業が成り立つとは思えない。
すべて責任を持って生徒を指導するから指導がいきわたる面がある。
では、小学校はどうなるのだろう。
部活動のない小学校では、問題は解決しているのだろうか。
我が県では、小学校と支援学級が特に教員が足らないのだ。
部活動が地域へ移行することにより、教員が足らないは解決するのだろうか。
夜遅くまで明かりがついている小学校も多々あることを知るべきだ。
10年ほど前、生徒がガラスを手でたたいて割った。
教室の窓ガラスだ。
幸い生徒にはけがはなかった。
親に連絡をして、そのことを伝え、支払いをしていただくように伝えた。
親は、「学校のガラスが薄いのではないか」と文句を言ってきた。
ありえないと思ったが、親の言い分(苦情)を長々としっかり聞いた。
ただ、支払ってもらうものはきちんと払ってもらった。
この事件に疑問が浮かんだ。
学校のガラスが薄かろうが厚かろうが、一教師がその苦情を長々と親から聞くべきものなのか。
それが教師の役目なのか。1000歩譲って、学校のガラスが薄いならば、その責任は一教師が引き受けることなのか。
日曜日、部活指導を終えて、ホッとした夕方、学校に一人の保護者がやってきた。
公園に注意しても聞かない中学生がいる。とのこと、しかたなく現場へ直行。
すでに生徒はいない。
しかし、そこで、地域の方からおしかりを受ける。
確かに、うちの生徒かも知れない。しかし、地域の子どもでもある。すべては学校の責任なのか。
あらゆることを教師が受けて立つシステムが学校のシステム。
逆に言えば、そのようなシステムを理解して、果敢に責任感を持って行動していく人が、よい教師だとされる。
このシステムになれない人は、今は学校を辞めていく。
2022年度に、福岡900件超・埼玉1000件超の臨時免許状の発行があった。
他府県もよく似た状況のところが増えてきていることと思う。
私はほとんど中学校そして支援学校を経験してきたが。
実は小学校の臨時免許を持っている。
だが・・・
小学校の問題は解けない、というか中学校とは教えるポイントが違うので違和感を感じる。
国語の問題でも、絵が描いてあり、それはなんですかと問う問題が私には分からなかった。
答えは「図工」。
そういう発想がないので答えが生まれてこないのだ。
中学校の教師が小学校を教えられるかと言えば、センスによるだろうと思う。
私はセンスないなと思った。
クラスの子どもたちの漢字の添削をしてください、と渡された30人分の漢字プリント。
はねるところ、とめるところ、部首が離れてしまっている漢字など、どこまでが許されるのか分からない。
自分なりにやってみるが、後で小学校の教員が1枚1枚手直ししていた。
算数は、答えの目の付け所が違うので、私なら正解という答えがたくさんあって、愕然とした。
長方形らしき図が描いてあり、「これは何という図形」かと問われれば、もちろん小学校では「長方形」が正解なのだろう。
しかし、プリントの長方形らしき図にはサイズも角度も記してないので、「四角形」と答えてた子に✖をつけるのはおかしいと思ってしまう始末。
頭が固いのか、そんな問題は中学校では「四角形」といしか言えない、とそこで私はつまずくのだ。
教科だけではない。子どもへのしかり方、話し方も違うなぁと感心した。
小学校は、子どもにガーンと叱っているように見えるが、実は理論的にこどもを追い詰めていくやり方をする人が多い。
あのやり方は私にはできないと思った。
小学校独特の文化のようにも思えた。
発達段階が違うので叱り方もあるのだろうが、中学校教員が小学校に来てすぐに担任をすることは危険だと思った。
小学校教員のやり方をじっくり見て真似をするところはしていかないと、子どもはついてこないと思った。
学校の教員不足の非常事態が多い中、臨時免許状の連発は仕方ない部分もある。しかし、だからこそ、今までのやり方に頼るとすべってしまう可能性があることを知ってほしい。
多くの臨時免許状で頑張っている教員にエールを送りたい。
学校長を教員免許を持たない条件で一般人からも公募で募集している自治体がいくつもある。
かなり問題を起こす学校長もいたようだが、優秀な人材も集まる。
教諭も免許を持たない一般人から採用することは出来ないものだろうか。
苦労して免許状を取得した人には本当に悪いが、実施する値打ちがあるような気がする。
例えば、
茨城県教育委員会は、2022年度の併設型中高一貫校と中等教育学校の計5校を対象にした校長の公募で、5人の募集枠に、県内外の10歳代から70歳代まで1673人の応募があった。
民間の転職サイトを活用したり、年齢制限の撤廃など条件を緩和したりしたことが要因とみられる。
優秀な人材を幅広く確保しようと、45~58歳としていた年齢制限を撤廃し、企業に在籍したまま出向の形で勤務可能とするなど応募条件を緩和した。
民間企業の管理職経験者や中央省庁職員、地方議員らからも応募があったという。
この校長公募の倍率は334倍。
小学校の教諭が1倍台の競争率の自治体もあるのに、うらやましく、教諭の募集でやってみたくなる公募の方法だ。
実習先にもよるだろうが、指導案を作成するためにかなりの指導が入り、そのために夜を徹して指導案を作成しなければならないからだという。
それどころか、教員免許の単位を取るのに大変だという。
99年からは教員免許を取得するための大学における教職科目が19単位から31単位に大幅に増えた。そして、教育実習は2週間から4週間と2倍となった。(中学の場合)
現場の課題に対応するためではあろうが、特に教員養成課程でない学生たちが教員免許を取得するには、この卒業単位でない教職の単位が増えることはかなり高いハードルになっている。
私らの時には、教育実習は楽しみだった。
なにより大学の授業を受けなくてもよい期間だったからだ。
子どもたちと触れ合え、学校という未知な職場に踏み入れられる期間でもあったからだ。
実習期間中は喫茶店で実習担当教員と茶を飲んで話したり、授業を任されたときは、実習担当の教員がいたかどうか覚えはないほど指導されなかった。
考えれば、指導案が今みたいに大変なものではなかったからかもしれない。
あまり楽しみ過ぎて教育実習の評価はBだった。
職員室を見渡すと、真面目で優秀な先生より、昔ちょっとやんちゃをしていたような先生の方が、生徒との距離が近いように思う。それが良いとか悪いは別にしてだ。
小中の教員は学力も当然だが、人間的幅のある人があっている。
個人的な思いだが、そういう人は別に実習など1週間で十分だと思う。
ヤフコメの中に悲惨なことが書かれていた。
コメントだから事実関係は把握できないが、あってもおかしくないだろう。
以下、コメントよりそのまま。
息子の小学校の担任は 激務が重なり、過労で 教壇で倒れたまま返らぬ人になりました。
脳ヘルニアとかで 長期間、頭痛があったが病院に行くヒマも なかったらしい。
未だに子供達も忘れられない いい先生だったと言ってる 。
真面目な人ほど休まないし 頑張り過ぎる傾向にある 先生達の仕事をなんとか 減らせないものだろうか
以上
私が、先日、小学校から非常勤講師の依頼を受けた時、校長が示した条件は、7時間連続勤務そして休憩なし、だった。
耳を疑った。
労働基準法第34条で、労働時間が 6時間を超え、8時間以下の場合は少なくとも45分 8時間を超える場合は、少なくとも1時間の休憩を与えなければならない、と定められているからだ。
それを全く無視した労働条件をまさか校長が示してくるとは、ただただ唖然とした。
しかし、考えてみれば、小学校ではそれが普通に日常的に行われているのだろう。校長は正直に私に伝えたのだ。
実は、実際に引き受けてやってみた。
まさしく7時間休憩なしだった。
休憩と言えばトイレくらいだ。
給食は給食指導だ。
給食を教室で食べるのは心臓に悪い。
いろいろなことに気を使い指導しなければならないからだ。
教員という夢のある職。
胸を張って校長が人にすすめることができる職であってほしい。
悩まれるところだが、私は中古と即答する。
実は私は新築を買ってしまった。
今なら、古住宅でも十分魅力的な物件があることが理解できるのだが・・
新築は1年経てば中古になる。そして金額が高すぎる。
数十年のローンは生涯かけての重荷、足かせになっていることは事実だ。
新築は少なくても3000万前後。少し豪華な家ならば4、5,6千万と果てがない。
中古でも、築浅で1600万程度からきれいにリホームされた良い家は出ている。それを買うのも一つだ。
まあ場所によって価格は違うのだが・・
ある程度しっかりした作りで築浅ならば十分だと思う。
そこから自分で好きなようにリホームをそれぞれの専門業者へ依頼する。
つまり、安く済ませるなら、リホームすべてを一つの工務店に任せることはしないのだ。
リホーム代金に20%から多ければ40%上乗せされてしまうからだ。
時間はかかるが自分でそれぞれの専門業者を選び、電話をかけて施工してもらうのだ。
クロス張替えはクロス専門店へ、電気工事は電気屋へ、水回りは水回りの専門店へ施工を依頼するのだ。
ただ、合い見積もりを忘れることのないようにしなければならない。業者によって施工の仕方や費用がかなり違うからだ。
また、中古を選ぶときに重要なのは、地震に強い住宅を選ぶことだ。
南海トラフはほぼ確実に来ると予想されている。
だから地震に強い新耐震基準で建築させれているかがポイントとなる。
新耐震基準の住宅は1981年(昭和56年)6月1日の法改正以降に建築されている。
しかし、厳密にはその時点から新耐震基準で建築されていないので、必ず確認が必要だ。
3500万の新築を買うなら、リホームされた中古を2000万で買う方が良い。
あるいは1700万程度の中古を買い100万から200万かけて好きなようにリホームするのもよい。
住むにはこれで十分と言える。
しかし、実際に立ち歩きが日常茶飯事にある教室にポツンと一人立たされれば、力で制していこうとします。この現状、優しい態度できないです。
よく教師が厳しく指導し過ぎてニュースにのっていますが、その教師の気持ちはとてもよくわかります。
小学校の現場はひと昔とは違います。かなり変化しています。それを世間は分かっていない。いや、変化が速すぎて理解が追い付いていないです。
今、平然と立ち歩きや自分勝手な行動に見えることが、ある意味放置されています。授業参観に来れば分かることもあります。
そのような子供たちを支援する特別支援教育支援員さんを導入したりしていますが、追い付いていないのが現状でしょう。
いろいろ教師はしんどいとか働き過ぎだとか言われています。
その対策として、給与を上げる、部活動を外部へ委託するなど、本当にできるか分からないことを無駄に時間をかけて考えてもらっています。
私が一番やってほしいのは、
①子どもたちと向き合うという本来業務をしっかりさせてほしい。そのためにいらない事務処理や業務を切り捨てるか、それ専門の人を導入してほしい。
②発達障がいやグレーゾーンで担任が手におえない子どもたの支援をしっかりしてほしい。
もうすべて子どもたちを一律に指導するのは無理があるのです。
「インクルーシブ教育」よく分かります。素晴らしいです。
ならばそれができるように学級人数を半分にする。そして、人を大幅に増やす施策を早急に打つ必要があるでしょう。
本当に必要なことはしない考えない姿勢がとても残念です。
基本的に教師は子どもたちのために頑張ろうとします。少し苦労しても。それが楽しいからです。
教師は素晴らしいやりがいのある職業、教え子や知り合いに教師になることをすすめる私が最近、悪魔の使いのように思えてきました。
心が苦しいです。
クラス30人の絵が教室の後ろに貼ってあるのを見ると、どれも同じと思える。
先生方の気持ちはとても分かる。
親とか、いろいろなことが絡んでそうせざるを得ないのだろう。できる限り、みんなを同じレベルに見せること、これが教師に課せられているようだ。
遠足に行って、仏像をみてきた。だからみんなで仏像を描こうという図工の授業。
先生は仏像の色の出し方を説明して黒板に書いた。
みんなはその通り絵具を使った。
仏像の色はみんな同じ色。
画用紙のどのあたりに仏像を配置するかも説明しているので、みんな同じような絵が出来た。
色なんて、その人にとって違うのではないかと思う。
灰色に見えるものもあれば、青銅色にも見える。
おもしろさがなかった。子どもがかわいそうに思えた。
枠にはめなければ、統制がとれず、好き勝手をしてしまう子どもたちの姿がある。
でも、絵ぐらい好きに書かせてあげたい。
私は近頃の小学校教育についていけないかな。
例えば、現役の教員たちが生徒が来ない夏休みを終えて、2学期を迎える時に似ている。ねじを巻きなおして心身ともに体制を整える。
退職した教員を新たに採用するとき、そこを考えるべきだ。
以前、数年現場から離れていた退職教員が学校に非常勤で来た時があった。顔を見たらわかる。かなりしんどそうだった。
やはり2週間もしないうちに退職した。
教員の面白さとしんどさを比べて面白さが勝っていれば現場に残れる。
楽しいと「やる気」が出る。
当たり前なのだが、この当たり前が本当に必要な職といえる。
ついこの間までそう思っていた。
しかし、66歳になって現場に行ってみると・・
体力が持たなければ、楽しいや気力だけでは無理。
これが真実だった
高齢になれば、現役たちと同じように仕事をすることはとても厳しい。
だから私は現場にはいかないと決めた。
いや、行けない。
一部、特別支援教育はできるかも知れない。
管理やコーディネーター的なものはできるかも知れない。
暴れてしまう子が学級に1人以上在籍し、トイレに行けず血尿がで始めたのに、大量の業務に追われ病院に行くかどうか悩んでいる先生へお伝えしたいです。
私は現在育休中ですが、担任していた頃、上に書いた状況でした。
子どもたちの安全のために教室を離れられず血尿がで続け、5分おきに何故か尿意がくるようになり仕事にならないので土曜日泌尿器科へ行き血液検査しました。
医者から開口一番「もしかして学校の先生ですか?」と聞かれ、「はい」と答えました。
膀胱炎からの出血と不正出血が混ざってるとの診断を受け、薬を飲み尿意がしたらすぐにトイレに行かないと治らないと言われたのですが、教室を離れられないためオムツを履くことにしました。
下校させた後オムツを見ると血だらけという毎日。
20代前半でした。
関連はないかもしれませんがその後29歳で結婚、30歳と32歳で流産しています。
難しいことは重々承知してますが早めに病院行ってください。
上はヤフーのコメントにあったものだが、とても悲惨だ。
しかし、私が勤務する市も同じだ。
小学校教員は高学年ならば専科の授業の時に休むこともできるが、低学年なら教室にへばりついていなければすぐトラブルになることもある。
だからトイレに行きにくい。
これを医者は知っていたのだろうか。
こんなシステムおかしいと思いつつも受け入れざるを得ないのが現在だ。
今のところ対策はない。もちろん子ども優先である。
毎日のように教員不足の記事が出ている~
学者たちが教員不足の状況や理由、その解決策をこうだああだと力説している。
いくら力説してみても、悲しいかな、教員不足による現場の疲弊が収まる気配はまったくない。
即実行力のある提言ができず、ニュースだけが滑りまくっている。
一人足らないと、周りは肉体的な負担もさることながら精神的な負担も大きい。
自分の経験からすると、精神的な負担の方が大きい気がする。
ドミノ倒しのように自分に責任がのしかかり、精神を圧迫していくからだ。
お互い支えあっていたのに、実は頼りにしていた支えだったのに、それがなくなってしまうという恐怖もある。 私はそれだった。
教頭や教務主任が担任をすることもある。
2人分の仕事をしなければならない、かなりの負担だ。
そのしんどさを管理職故に吐露できない孤独さがあるように見える。
なにより一番の被害者は子どもたちだ。子どもの学力がつかない。そして、いじめが横行する。
今いる学校で本当にそう思う。担任がいないのだから当然だ。
さて、ヤフコメで、自説を振りまく教授のより、即実行力のある方策を発見した。
「私、教員免許持ってます。 でもウチの県は特に足りなくて困っている風ではありません。 県外でお探しの県がありましたら、講師で行きます。 というような県に登録だけでなく、講師全国的登録制度もあっていいのじゃないかな、と思います。」
講師全国的登録制度
これはいいですね。 ぜひ、採用すべきではないですか。
心を立て直してもう一度書くか止めるかを考えた。そして書いている。
今日は朝散歩をした。
昨日の大雨はすでにやんでいたが、空気はひんやりとしていた。
ゴールデンウイークで重たくなった身体を感じながら公園の中を歩いた。
そこはよく保育園の子どもたちが先生たちに連れられてきていた。
今日は障がい者のデイサービスの人たちが来ている。
付き添いの方と一緒にベンチに座り、ひんやりとした風と空気を楽しんでいるようだった。
こんなゆったりとした時間の中にいると、仕事をするのが嫌になってくる。
教員が足らないからと頼まれて引き受けてしまった授業をサポートする仕事。
景色を見ながら辞めることができたらいいのにな、と考えてしまった。
今の仕事、させられている感が強い。
この歳になると、自分のペースで好きなように好きな時に仕事ができるのが一番幸せだ。
人に合わせるのはしんどい。
それだけを書こうと思った。
それはそれでよいが、その本やパンフの内容やデーターをうのみにしてはならない。
以前私はそれで大失敗している。
1年で約600万以上の損失を招いた。あまりに金額が大きく払えないので、いわゆるサラ金さんにまでお世話になった。
ある会社のコインパーキングのフランチャイズに参入したからだ。
その会社の案内のパンフレットには良いことづくめの説明があり、人生バラ色になるようなものばかりが並べられていたのだ。
未熟な私は、そのデーターを見て、「よし、これで人生経済的に救われた」と確信した。
まあ教員は残念だが世間知らずといわれても仕方ない。
私はカモにされたようだった。
それに気づいてフランチャイズから抜けた。その抜けるためのお金がかなりの額だったということだ。
それ以降、私は世間の恐ろしさを知った。
知識を持たずに起業すると大やけどすることを知った。
フランチャイズでやるのはある意味リスクを伴うことも知った。
フランチャイズは商売するにあたり重要な権利をフランチャイズの本部に任せてしまう(あるいは取られてしまう)。これが致命的なのだ。
だから、自分でやった方がしんどいけれど最終的に儲かる、ということを身に染みて感じている。
今やっている不動産賃貸業も、集客、契約、家賃管理・修理の手配などできる限り自分で行っている。
これからフランチャイズで企業をされる方、その職のことを学んでからよく調べてから参入すべきとアドバイスしたい。
最近私が参入したい福祉業界にも、フランチャイズは大きく宣伝されている。
しかし、600万円以上の授業料を払って身に着けた「甘い汁と世の厳しさ」を知っているので参入しないと決めている。
やるなら自分でやる。
教員の6割が「いらない」と考えている。
総合の時間の考えは素晴らしいが、忙しいのにそこまで考えて計画する余裕がないのが本音だろう。
教員は仕方ないので、とりあえず何かしているということである。
だから、総合の時間をなくすということは、大げさに言えば、教員にとっても子どもたちにとっても暇つぶしの時間をなくすということに等しい。
もし、総合の時間を有意義なものにしたいならば、教師も総合の時間を授業するための十分な研究時間が必要だ。しかし、そんなものは確保されない。
週2時間程度ある総合の時間をなくすことにより、2時間浮く。これは教員にとっても生徒にとっても貴重な2時間となるだろう。
総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。
引用:総合的な学習(探求)の時間/文部科学省
土日の部活動を外部に委託とか言われている。
しかし・・
結局、教員免許更新制と同様に失敗しかけているように見える。
机上の空論や理想だけで、実態を知らないものが施策を考えているように思ってしまう。
部活動をするために中学校や高校に来ている生徒もいる。
部活動をするために学校に来ている教師もいる。
今、マスコミは部活動に対する否定的な意見をよく取り上げている。しかし、高校野球をはじめとする学校スポーツとなると、休日も返上し頑張っている教員兼監督の働き方には触れず、ただ、賞賛したり批評したりしている。
伏見工業高校山口監督はドラマのモデルにもなった。そうして部活動における教員と生徒の人間関係の良さをドラマの中で最大持ち上げた。山口監督に続いて教員になったものもいた。
今、部活動は学校教育活動のやっかいものとして取り扱われ始めている。
教員の働き方改革は時間だけの問題ではない。
仕事内容の問題だ。
良いことだからと良いことを教員の仕事ととして増やし続けてきた。
増やせば量が増える、単純な足し算の原理によって、今や教員をしたがらない人が増えた。
残念だが、再起不能になり学校現場から消えていった人の机に座り、残務の一部を受け継ぐという仕事に従事することがある。
この半年以内で2回であった。
本当に残念だが、消えていったのはいずれも新人だった。
数十年前、私も大量採用された新人だった。同期の教員たちの間で、「早く辞めたいな」というひそひそ話が幾度となく出ていた。かなり荒れた学校だったからだ。
実際に3年で、私学や他の公務員へ移った人たちがいた。
5年で県内の高校から引っ張ってもらい移った人がいた。
さみしいかなどんどん同期たちは厳しい現場から逃げていった。だが、年度途中で倒れるということはなかった。
それは、どんなしんどい時でも支えがあったからだ。
同期や先輩たちの支えは大きい。
問題事象があり夜遅くの家庭訪問から帰ってくると、職員室にはまだ明かりが灯り、同期や先輩たちが待っていてくれた。そして、自分と同じように悩んでくれ、へまをしても励ましてくれた。
そういう支えと励ましが常にあり、生徒はしんどかったが、教員仲間は団結していた。
だから年度途中で倒れることなく頑張れたのだろう。
ここで今の教員の人間関係は・・・と言いたいところだが。
そう、単純な話ではないと、これを書きながら思い直した。
発達障がいへの対応の困難さがとても大きいと感じたからだ。
13年間で10倍になった発達障がいの子たち。
クラスに発達障がいの子どもが3人もいると、教員はかなりのエネルギーがいる。
これはやってみないとなかなか分からないしんどさだ。
実際にその場にいて対応しないと分かりにくいだろう。
きちんと頑張ろうと考えている人ほどしんどい。
発達障がいの診断がなくても、グレーゾーンと呼ばれる子どもたちも多くなっている。
昔は40人や35人学級でも対応できたことが、今はできないことも多い。
今、現場に行ってみて一クラス20人が限度だと感じた。
新任教員たちが倒れて教育現場を去っていくのを、その新任教員たちに原因があるとしてしまってよいのか。
その学校の教員たちの心にも傷が残っているはずだし、抜けた穴を埋めるのは厳しく、残ったものが多くの代償を払わなければならない。
国や自治体は本気で現場の悲惨さを正常化することを考えなければ、教員が足らないは永遠に続く。小手先の施策はもういいかなと思う。
新任教員たちをサポートする体制を充実させていくことはとても大切になる。
付け足しにはなるが、老人教員を雇うなら、それ相応の配慮も必要だ。
トイレも手すりがあるととても助かる。プール指導は身体に響くので避けたいところだ。
しかし、教員は足らないまま進んでいる。
私の市では教務主任や教頭先生が担任しているところもあると聞く。
教育委員会は教員不足に対処しきれないので、学校に教員探しを丸投げしている状況だ。
現場は混乱の様相だ。ある校長はそのことで夜も眠れないという。
これでは教員が子どもたちに落ち着いた関わりができない。
一番かわいそうなのは子どもたちだ。
とはいうもの策があるのか。
と言われればこちらも困る。
一度も教職についたことがないが免許を持っている若い人を知っている。
しかし、現場は使わないだろう。いや、以前、使わなかった。
私らみたいな経験者でなんとかごまかした方が無難だからだ。だから、66過ぎての私にも強烈に引手がある。
現場は、このくそ忙しいのに、手をかけなければならないやっかいな若手を投入して、さらに悪化し混乱するのを恐れる。
現場にはそこまでして若手を育てる余裕がない。
若い人は失敗もある。今までなら、それをカバーしたり励ましたりして育ててきたベテラン教員らがいた。しかし、今やそのような教員もなぜか他人をかまう余裕がない。
それだからか、最近、新任や講師の若いのが倒れて、途中でやめていくのを見る。
教員が足らなくなる悪循環と言えよう。
病院へ行くために、中学校の門の前を8時30分前に通った。
若い女の先生が登校してきた生徒たちに「あと何分やよ」というように声をかけている。
その声掛けに生徒はちょっと茶化しながら過ぎ去っていく。
先生は何とも言えない表情だった。
その風景を見て通り過ぎた時。
中学生への対応は難しいと思った。
そしてこれから始まるその若い先生の業務の重たさを感じた。
中学生・・やりがいはあるが精神的には疲れる。
生徒から来るエネルギーは強烈だ。顔に食らうパンチのようだ。
自分の精神状態によって防御できるか壊れていくかに分かれていく。
精神状態がよくても、幾度もパンチを食らうと防御システムの修復が出来なくなり、精神は弱っていく。
職員室の中はその防御システムを修復できる環境どころじゃない。どこか一人になって静かに落ち着き、心を立て直したい。
一日のうちに 多種多様な生徒から多種多様な言葉をかけられる。
左からは悩みごと、前からはお怒りの声、右からは喜びの声、それらを逃すことなく応えて彼らからは普通とされる。出来なければ「無視しよった」と陰口も覚悟しなければならない。
私は今現場にはいない、しかし、現場に放り込まれる日がもうすぐ来る。
覚悟はできているのかと自分に問う日々だ。
特に新興宗教と言われるものは、「あやしいもの」とする人が多い。
では、既成の宗教は大丈夫なのか。
キリスト教はかつてユダヤ教から見れば新興宗教だった。2000年前は怪しげな教えとされ、迫害されてきた歴史がある。
日本へも伝道されたが、踏み絵が有名だが信仰しているだけで死へつながることも多々あった。
今やキリスト教の聖書はアメリカ大統領が手を置き誓う存在となっている。
法然さんと言えば浄土宗の開祖。別に怪しげなことも何もないが、当時は念仏など邪教扱いされ、これも迫害される存在だった。
残念だが既成宗教は、今や葬式や結婚式のための宗教に成り下がているとは言えないだろうか。
私の息子もキリスト教の教会で式を挙げたが、その後、イエスの教えを胸に生きたかと言えば、ありえない。
玉石混合のこの世の中、我々は新興既成にとらわれず本物と偽物を見分ける力が重要と思われる。
私は宗教心は日本人に必要と考えている。
困難校にいた時、教師にも生徒にも哲学や宗教が必要な気がしてならなかった。心の荒廃を感じたからだ。
生徒に宗教心が備えられれば、落ち着いた環境や心でものごとを見つめることが出来れば、荒れも少しは小さくなるのではと思った。
ただ、公教育の中で特定の宗教を語ることは難しい。
では、私立の学校はどうだろう。
ある私立の学校では、毎日の職員朝礼で、教員が順番に聖書の好きな一節を読み、感じたことを伝える時間を持つ学校がある。
シスターが教員にアドバイスをすることもあるという。
私は仏教徒でもクリスチャンでもないが、その思想は人間の本質に迫るものがあり、生徒指導に通じるものがあると考える。
小学校を除く全校種で、前年度に比べて月平均の時間外勤務(残業)が30分~4時間程度減少した。
ただ、中学校は「過労死ライン」とされる80時間を上回る約85時間で、府教委は「勤務実態としては依然厳しい状況にある」としている。
平日の1日当たりの平均勤務時間
小学校11時間2分
中学校は11時間13分
高校は10時間26分
特別支援学校は9時間53分
土日の1日当たりの平均勤務時間
小学校23分
特別支援学校が20分
中学校が2時間33分
高校が2時間26分
中学校では子どもへの対応も小学校より難しくなる。
高校は義務教育ではないということから指導にも一定の線引きができる。しかし、中学校にはなく、どこまでも指導を煮詰めていかなくてはならないことが多い。
この思春期の中学生に対して日々奮闘している中学校教員にも心の安らぎが来る時を祈る。もちろん他の校種の教員にも。
小学校に書類を届けに行った。保健室の前は検診なのだろうか子どもたちが並んで座っていた。
そこを通ると、笑顔の子どもたち。私まで笑顔になる。
きっと小2だろうなと思い、小さな声で「何年生」と声をかけてみた。飛びつくように「2年生」と言う。指で ✌ と表しても答えてくれた。
この子たちの担任をしたら楽しいだろうな、と思ってしまった。
実際に担任をすればいろいろなことがあり、難題が押し寄せてくるのは分かっている。でも、それでもやっぱり、今からやる教員補助より担任の方が良いに決まっている。
子どもたちがかわいい、好きだ、人間が好きだ、この気持ちが教員の基本かも知れない。