そして別れと出会いがある。
職員室の中では若い教員たちの無邪気な話し声が響く。新年度のことや転勤先のこと。
私のような年老いた会計年度職員はその輪に入る余地はない。
みんなが知らないうちに私は最後の掃除を終え、静かに去っていく。
最後に職員室から出る時、みんなに挨拶をしようと思ったが、管理職にだけ挨拶をして学校を出た。
駅まで歩いていると虚しさが襲う。
今は66歳だ。私が70歳になり80歳になり、次第に社会から遠のいていったらどれほど虚しさに襲われるだろうか。津波のように虚しさが押し寄せてくるかもしれない。
今日は久しぶりに、駅の近くの王将で餃子とラーメンを食べて帰った。
元教員。在職中はいくら輝かしい業績を持ち、みんなから持ち上げられ、はやし立てられていたとしても、退職すればただの昔の人。
若い元気な教員から見れば「あんただれ」といった感じだ。
さて、愚痴はこれほどにして、これから自分は何をやるのか、明確に具体化していこう。まずは自宅を教育発達相談の場所にする。そのためにリホームをする。さて準備をするか。
80歳の人から見ると、私など60代半ばはまだまだ若いと見るようだ。
だが、就職するには非常に厳しい歳だということを実感している。
昨年11月から受け続けた7つの就職試験はすべてダメだった。
7つすべてだ。
その内訳は・・
公認心理師の資格をもとに受験した児童相談所の相談員などの会計年度職員3つは見事に不合格。
そしてメインであった時給5000円以上のスクールカウンセラーは、大阪市、京都市、京都府、奈良県すべて受けたが不合格だった。
京都市などは面接も受けさせてもらえなかった。書類選考の段階でアウトだった。
7つの不合格通知は大切にしまってある。笑
試験会場を見渡すと、20代から40代の人と見られる受験生が多かった。私のような老いたものもいたことはいたが、少なかった。
4月からの職は、今やっている賃貸業だけとなった。
しかし、電話がかかってきた、しかも日曜日に。
「5月から小学校3年の担任を夏までしてくれないか」というものだった。臨時免許をだすからという校長からの悲痛なものだった。
やったこともない小学校の担任、初めは面白そうだと思った。しかし、冷静になればだんだん不安になってきた。しまいには明らかに無理だろうと分かり断った。
しかし、校長の悲痛な叫びは続いた。翌日、また電話がかかってきたのだ。担任は教務主任にさせるから、教務主任を助ける時間講師(授業をするわけではなく、雑務)をしてほしい。
ここまで言われると、優しい私は断ることはできなかった。
時給5000円のSCと時給1000円台の雑用仕事を比べてしまう。
悲しくなる。
「公認心理師やのになんでこんな仕事やらなあかんねん」、とつぶやいている自分。
もう一度、心を点検して、残り少ない人生を自分が本当にやりたいことは何なのかを検証し、具体化しなければ、人生を悔やむことになるようだ。
第一に、教員人気を上げたい、なり手を増やしたいのであれば、今の学校現場で働いている先生たちを大切にする施策を打つべきである。・・中略・・
今の先生たちが生き生きしていないと、駄目なのだ。はっきり申し上げると、中高生向けに説明会などをする暇があるなら、学校を支援するほうに教育委員会は人手と予算と時間をかけるべきだ。「教員はこんな魅力があるよ」といくら動画や説明会でPRしても、それは、都合のよいところを切り取っているだけと思われるだろうし(その程度の批判力のない人が教員になるなら、逆に心配だ)、よき恩師に出会ったなどの体験に勝るものにはならない。・・ 中略・・
教員人気を左右する最大の広報の場は、今の学校現場にあるのであり、説明会やYouTube上ではない。
最後の下線部が妹尾氏が一番言いたいことなのだろう。生き生きと働いている教員の姿こそ、若い人たちの教師を志す礎となるということだ。これにはまったく同感だ。
元校長らも含めて、私の知っているどの退職教員に聞いても、担任は二度とやりたくないという。正確には、「やれない」という方が正しいかもしれない。理由は自分たちが担任のころと比べて仕事の数が増えているし複雑化しているし、仕事が厳格化しているからだという。体力的に弱っているということもあるだろうが、「やれない」が一番の本音だろう。
三十数年ほど前の話だが、中学校に勤務していた時、夏休みは本当に心身ともに休養が出来た。午前中は部活動をし、午後からは本屋に涼みに行くと同時に、本を読み漁った。夕方にはゆったりとした気持ちで夕食を食べることができた。 しかも、夏休みという期間も今より長かった。
そのような健康的な生活がひと月でもあれば、心身リフレッシュできる。今は研修などで縛られ、休養できない。
このような縛られた感覚になっている教員のいる学校を見て、教員になろうとは思わないだろう。
「教職課程の負担軽減や実習のあり方を検討するべき」との小見出しがあった。内容を切り取って伝えたい。
「教員免許を取るハードルを下げては、質が下がるのではないか」という心配もあろうが、一方で、現行のようにカリキュラムオーバーロードが懸念される状況では、優秀な学生を逃している可能性もある。・・中略・・
教職の専門性は大事だとはいえ、現行は養成段階で相当な負荷をかけており採用前の履修は少なくていい。・・中略・・学生の負担や大学などのカリキュラムのあり方も議論していくべきではないか。
また、教育実習は、貴重な現場体験の場であることには疑いがないが、学生にとっても、受け入れ側にとっても負担が重い。そのため実習期間の短縮を検討することが1つ。
との指摘だ。
最近、多くの資格が、その資格を取るためのハードルを上げてきているように思う。
教員免許の取得のための実習も、私のころは中高のいずれかで2週間の実習だけで終わりだった。それが中学免許は中学校で3週間となり、さらに介護実習や特別支援教育の実習も加わる。
入学当初から教育課程を視野に履修していなければ、4年間で免許状は取れない。
教育学部以外の学部で教職課程を取ろうとすると学部の単位と同時に教職の単位をかなり多くとらなければならない。それだけで戦意喪失してしまう学生もいる。
実習の短縮は大賛成だ。
実際、ここ3年間の教育実習は短縮したり内容を軽減した大学や大学院は多い。理由はコロナ禍によるものだ。
私の学校現場にも、女子大の学生が来ていたが、指導案を書いて教壇に立つ実習は免除されていた。そのかわり現場で教員の指示に従って参観や体験をした。それが実習としての単位として認められた。 それでも彼女は今、元気に教壇に立っている。
基本的に教師の力量は専門能力と人間力だ。生きてきた過程でこの能力が備わっていればよいのではないかと強く思う。
間違った答えから思考を深めることができるが、教科書通りの答えからは思考を深めることは難しい。
教科書に書いてあるから正解で終わる授業は、個性派にとっては退屈な授業だ。
例えば、水をビーカーで熱すると中で対流が起こる。そこへ小さな紙を放り込むと上へ下へと回り始める。そこで教師は「なぜ紙は上へ下へとビーカーの中を回っているのか」と問う。
A君は、「それは対流というものです」と答えた。
B君は「下から泡が出ています、その泡によって上へ押し上げられ、上へあがると泡が消え、また下に落ちていきます」と答えた。
私はB君の答えの方がおもしろいし、それを本当かどうか深めることができ、それこそ科学と思う。
正解を答える子どもは素晴らしいとされる。
教科書に沿わない答えを発言する子どもはいくら面白い発想を持っていても、授業中に相手にされないし評価されない。残念だ。
しかし、教師を責めることは出来ない。
教師自身も教科書通りに育っているのだから。
そして、教師にも忙しくて考える余裕がない。
事実、特別支援学級の担任を担っているのは、再任用教諭か講師かが多い。
教育委員にはいくらかの講師登録者がプールされていることを知っている。その登録者を任用しないのはなぜなのだろうか。
理由は3つあると考える。適性がない。新しい人を雇うのに不安がある。本気で穴埋めをしようと思っていない。
知り合いで、ある県へ小学校を希望し講師登録をした人を知っているが、いまだに採用連絡はない。しかし、その県の小学校は今も足らないままだ。
これをどうとらえてよいのか分からないが、実際に目の前で起きている事実だ。その人を持ってくれば良いじゃないかと思うのだが。そうにはなっていない。
もうすぐ3月だ。教育員会や学校から講師の依頼が来る時期に入った。
私の知り合いには2月初旬に新年度の講師依頼が来ている。教諭ではないが優秀な人だ。
また過去に、講師登録をするために11月ごろに市の教育委員会へ赴き、その場で採用決定された教え子の大学4年生を知っている。なかなかないことだ。現在、意気揚々と教師生活を送っている。
講師の採用にはタイミングと採用する側の考えもあるということだろう。しかし、講師登録者がプールされている事実はある。
しかし、相談業務の自信は加速的に失われることはないように思う。
今まで教師をしてきて、技量として今も残っているのは、教科を教える技術より、発達検査を施しその報告書を書く技術だと自負できる。
先日、ある病院の公認心理師が書いた被検査者へ返したウイスク検査の報告書を見た。
聴覚優位や視覚優位など一般的なことが一通り書かれていただけだった。また、下位検査の数値が記されていないので細かいことは分からなかった。
これは時間がなかったのだろうか。残念な気持ちになった。
一生に関わる検査結果をもう少し慎重に書くことが出来なかったのかと思った。
私は思うに、下位検査の数値も報告書に記すべきだと思う。他の機関へそれを見せた時に、そこの心理士さんたちがより支援をしやすいからだ。さらに、もう一度検査をし直さなければならないという子どもへの負担も少なくなる。
話しは変なとこへとんでしまった。
教員たちは一通り発達障害について学ぶ。
しかし、それは机上の理論として学ぶ。だから、実際に発達障害を前にして、どうしてあげればよいのかを自分で判断し、対応を模索していく技術は育たない。
教員が発達検査に触れる機会をつくることが必要だ。
発達障害の子どもたちに向き合う時に、検査結果の読み方に熟知して検査結果を見てその子どもと出会うのと、見ないで出会うのとでは、実物を見るのとすりガラス戸越しに実物を見るぐらいの差がある。子どもたちに対応するときに大きな差がでてくる。
せめて特別支援教育に関わる教員たちが、発達検査がどのようなものかを知り、できれば、検査を実施できるように養成すべきだ。
そのための研修を設けることが必要だ。
ウイスクならば解説書をよく読みこなし、経験者の実施しているところに同伴を繰り返し、3回ほど自分たちでとりあえば、自信がつく。そういうシステムを作ることは出来ないのか。
きっと教科指導の力以上に私のように教師生活に残るものとなるだろう。
新年度の体制もほぼ骨格は出来つつある。
2023年度の新採用の教諭になる人たちもワクワクドキドキの時だ。自分がどの地域でどこの学校へ赴任させられるのか、日々期待が高まる。
講師たちはどうだろう。
すでに新年度採用の確約を貰っている講師もいる。しかし、大半は3月半ば、あるいは3月末ごろに新年度の採用が決まる。
3月中にもらえなければ、4月初めという講師もいる。それでも採用を貰えなければ、数か月間、いや1年間を無職で、耐えなければならない。
新採の教諭は10月ごろに採用が決定しているのに、講師は3月だ。これでは講師たちは4月からの生活設計を組み立てることはできない。これが講師ゆらいの不安定さでもある。
私が受けたスクールカウンセラーは、ほとんどが2月から3月初旬に合否が送られてくる。だが、京都府だけは、「令和5年4月1日付けの任用者は令和5年3月中に個別に連絡します」とだけ要綱に記してあるのみだ。
合否の発表はない。
任用者だけ3月中に個別に連絡があるという。
合格しているのか不合格なのかまったく分からないまま、4月へと突入することもありうる。
4月からの受験者の生活設計はどうなるのだろうか。
非正規職員の不安定さもここにもある。
学校は非正規職員が重要な働きをするようになってきた。だからこそ、せめて2月中に採用決定を受けて、いずれにしても安心して年度末を迎えたいものだ。
4つの自治体を受けたが、どこも手ごたえは厳しかった。現在、2つの自治体から不合格通知が来た。あと2つの自治体の発表を待っている。
京都市は面接さえも受けさせてもらえず、書類を提出した時点で、早くも不合格通知が来た。
大阪市はとにかく人が多かった。30人募集のところに200人以上来ていた。ペーパーテストもあり小論もあった。知識を問う〇×問題は、公認心理師試験程度だったと感じた。 不合格だった。
スクールカウンセラー(SC)は会計年度職員だ。だから、2回の更新はあるが3回目の更新はない。
つまり、4年目を働くに再受験しなくてはならない。
その自治体に300名のSCがいるとすると、およそ、その3分の1(平たく考えて100名)は再受験しなくてはならない。
再受験・・これは会計年度職員の悲しい宿命だが、人事の人らは、現にその自治体で働いているSCたちを不合格にすることができるのだろうか。
来年度もその学校で働いてもらいたいと願うのが学校としては一般的だ。
なぜなら、1から関係作りを作り直さなければならないからだ。
だいたい、校長は、講師などでも、新しい人を雇うのを嫌がる。
普通に勤務することが出来るならば、知っている人を学校に置いておきたいと校長も考える。
スクールカウンセラーになる主な条件は臨床心理士だったが、5年前から国家資格の公認心理師たちが参戦した。それによりスクールカウンセラーの倍率が上がったと予想される。
新しく参入しようとする私たちのような老体は応募できても合格できる余地があるのだろうか。
前任者が座ったイス以外の余った少ないイスの取り合いになっている可能性がある。過酷な競争かもしれない。
自分の毛には合わないのか、使い方が悪いのか、まったく白髪の部分が染まらない。すでに50回は使用している。妻が言うに、「あれは白髪染まらないよ」と。
白髪染めで染めるときれいに仕上がる。
しかし、髪の毛が痛んでいくのがよくわかるし、何より髪の毛が少なくなる。つまり、地肌が見え隠れする。
そして染め続けるのが面倒くさい。
しかし、若く見える。 この間に挟まれて苦しんでいる。
髪の毛の次に、顔のシミだ。以前、ひまし油が良いというので、使ってみた。2週間ほどで、シミが薄くなっていった。
これは良いと思ったが、これまた塗るのが面倒くさい。
ネットで、シミがぽろっと落ちる映像があるが、本当か疑わしいので買わないことにしている。
やはり金額は張るがレーザーかなと、今は思っている。
この歳になると、異性にもてたいとかいう気持ちは弱くなるが、子どもからも同僚からも、せめて、こぎれいな老教員として映りたいという願望は強い。
すでに、2月も半ばを迎えようとしている。新年度がそこまで来ている。
最後まで勤務できるように頑張る。
4つの自治体を受験した。
合否は現在、A県が発表され、1敗。
その他はまだ未発表。
大阪市はペーパーテストもあり、時間内に記述するのが厳しかった。実際の例で学校側への対応と保護者への対応をどうするのかを記述させられた。
面接試験もあったが、志望動機などでパターンに当てはまる簡単な内容だった。
他の3県は面接のみだった。
面接の内容で専門的なことは聞かれなかった。
答えにくい質問は、「教師生活で思い出に残ることはなにか」だった。
40年も教師を続けていれば、思い出に残ることは膨大な量となり中身も濃い。どれを出そうかと迷った挙句、特別支援学校での嫌な思い出を出してしまった。これは失敗かなと反省している。
最後に、奈良県を受けるが、今までの反省をもとに老体に鞭打ち頑張りたい。
受験者はどの会場も女性が多いし、私みたいな年配者は稀だった。まあ年齢制限はないというものの、40代50代のまだこれから活躍しそうな経験者を採用するだろうと思われる。
私はそれでもチャレンジし、この老体の私というものがどれほど試験に通用するのか試してみたい。
また、結果が出たら、参考のためにお知らせしたいと思う。
しかし、10年前、大阪の教師たちに愛隣小中学校のこと聞いてもだれも知らなかった。
これにも衝撃を受けた。
西成の愛隣小中学校には国籍のない子どもたちが多く在籍していた。
なぜ、国籍がないか。
労働者が日本各地の飯場を転々としているうちに生まれた子どもに届を出すことが出来なかったからだ。
もちろん現在はそのような事実もほとんどないし、愛隣小中学校もない。
数年前、なつかしい「愛隣小中学校」という本を探していた。
しかし、どこにもない。
大阪市の図書館にあるだろうと、検索したが、所蔵しているのはわずかな図書館だった。そこへ行ってみて借りることができた。
手に取った時、懐かしかった。
昼間でも西成の愛隣地区で子どもがうろうろしている。これを危惧した人たちがいた。そして集めて教育し、学校をつくった。
大阪市の教育の原点のように思えた。
愛隣小中学校の教師は一緒に風呂に入れたり、散髪をしたりと子どもたちの教育に生活に時を費やした。
今は、教師の働き方改革ということでそんなことはありえない。しかも、昼間うろうろしている大量の児童生徒はいない。
だが、どうだろう、昼間、家にいて学校にいけない児童生徒は多数いる。
しかも、全国で大阪市は突出している。
現在の大阪市の重き課題ではないだろうか。
まず、会計年度職員への挑戦をしている。4連敗中というところだ。児童相談所、スクールカウンセラーすべてダメ。まだスクールカウンセラーは2か所合格発表が残っているが、厳しいだろう。
就職ではなく、里親申請はできるか児童相談所に相談したが、かなりきつかった。
「本当にやる気あるのか」と突っ込まれまくりということだ。これにはまいった。だから、この里親は私の目的達成のルートから外れた。
では、補助金など貰わないで自分でそういうものを作るか、小規模児童養護施設的なものを進めるかだ。
福祉関係の仕事をするに高い壁があることを知って今つまずいている。
必要なのは、どこにも行けない子どもたちがいて、それをきちんと受け止める施設が少ないということだ。
例えば、親が様々な理由で、障害を持っている子どもを育てられない場合。
それは施設送りになる。
しかし、よい施設に入ることが出来ればよいが、そういうところは満員だったりする。
遠く離れた施設で、監視の目の行き届かない施設ならば、虐待や不当な扱いを受ける場合がある。子どもは声を上げる能力がないので、訴えることもない。そのまま放置されやすい。この事実を私は知っている。
そういう子どもたちの施設をつくりたいが、難航している。だが、私の子どもたちも、そのことに賛同してくれているので、心強い。
知的障害や発達障害を持っていて、親も育てることが出来なければ、どうなるのだろうか。
そういつ子どもは児童相談所扱いになる。そして、福祉施設に入所することになる。
しかし、そこからその子どもの人生が悲惨な人生になるのか、それとも明るい人生になるのかは、周りの人間の気持ち一つとなる。
児童相談所の人たち、福祉施設の人たち、特別支援学校の先生方の気持ち一つだ。
時にはこいつはダメだと烙印をおされ精神病院へ送られる時もあれば、そこから救われる時もある。
もし、自分の子どもが精神病棟で薬づけとなったとするとどうだろう。しかたないのだろうか。
一方その子どもの個性を受容し、育むことができればその子の人生は救われる。
私は人生が輝いた子供はあまり知らないが、悲惨な人生を送らざるを得ず、闇へ葬り去られた子どもたちを2人ほど知っている。それはきっと明るい人生を送ることが出来たであろう子どもだった。大人たちのエゴと怠慢でそうならざるを得なかった。
あるSNSにその事実を書き込んだが、しばらくするとそのSNSは使えなくなった。
本当のことを入手して書き込んだのだが。
救えない人たちがいる。189や県に伝えてもかなり反応は鈍い。
無力感に襲われる。しかし、希望はある。
SC SSWをはじめスクールサポーター、○○支援員などたくさんいて誰がどの職か分からないのも職員室だ。
特別支援の支援員などは高卒でも十分採用されるようだ。しかし、児童生徒への関わり方などの研修は一切ない。
特別支援の子どもたちへの関わり方の研修を定期的にすべきだろう。
名前が特別支援とついている以上、その知識は一定必要ではないのか。
しかし、原則はいつ切られても文句は言えない講師たち。
中には次は採用試験を受けようかどうか迷っている人もいるだろう。他の職に変えようと迷っている人もいる。いや、中にはすでに他の職から内定をもらっている人も私は知っている。
さて、講師が多くなると、教育の質は落ちる傾向にある。
その理由は、精神的経済的な安心感に欠く生活を強いられているからだ。
その点、教諭たちは次が保証されているので安心感はある。だから、今の現場で自身の教育活動を計画的に考えることができる。
教諭が多い現場では、管理職も計画的に教育活動を見通すことができる。対して、講師だらけだと来年の計画立てるのも難しい。
学校の中ですべて会計年度職員で賄っている職がいくつかある。
SCやSSWはそうだ。
これらは2回までの更新が許されているので、3回目の更新の時は試験を受けなおさなければならない。
先日、ある自治体のSC採用試験を受けに行ったが、20人募集のところに140人応募していた。これらの中には3回目で、試験を受けなおさなければならなかった人も多くいたはずだ。
このような教育活動の見通しが利かない雇い方が流行っているのが今の日本の教育現場だ。
これでは、不安定な働き方になり、成果が上がらない。
自治体によっては、児童相談所も会計年度職員の採用が多いところがある。非常に繊細で重要な部署であるにも関わらず、残念としかいいようがない。
スクールカウンセラー(以下SC)が配置されているのは中学校が中心だ。
すべての中学校に配置されていると考えてもよい。これは中学校の不登校者数が多いからだ。
ただ、中学校は地域にもよるが、週1回程度の少ない配置がほとんどだ。
小学校では月1、2回程度となるところが多く、さらに激減する。
なぜなら、不登校の案件が少ないからと思われる。
しかし、不登校の要素は小学校の時にすでに児童に芽生えている。
保健室登校、別室登校で欠席には入っていない状態があるからだ。また、遅刻が多い、生活に乱れがあるなどの兆候が出ている児童も多いのだ。
小学校でのSCは、月1、2回学校に来て何を見ることができるのだろうか。
普段の学校での様子を感じとることができないのに、どうしてカウンセリングが出来るのだろうか。理解できない。時給5000円のSCの価値は全く発揮されないで終わるだろう。せめて、月3回は配置されることが望まれる。
SCの配置数は増加し続けているが、不登校児童生徒数もそれに負けず増え続けている。SCの力量やあり方に疑問符を抱く人が出てきている。
SCは専門家として配置される。しかし、心理の専門家であり、不登校の専門家ではない。大学や院で学校や不登校についてしっかり学んできたのではないということを押さえておきたい。
SCの専門性の疑問点がある。今の発達検査ができるのかということだ。
大学や院で発達検査のイロハを教えられても、検査はできないことを断言する。発達検査は実際に子どもたちと出会い、数多くの検査経験が必要だ。ましてや報告書の作成も一筋縄ではできない。
しかも、現在、発達検査はWISCなら4から5へ移っている。K式なら2020年版へ移っている。この対応についていっているのかも疑問だ。
さらに、発達検査だけでは対応しきれないLDの問題もある。LD傾向は増えてきている。その検査は、読み書きスクリーニングが必要となることが多い。これらを実施経験していないと、検査は出来ないだろう。
検査ができないと、正しく検査報告書を読み解くことができないし、子どもへの最適な対応を考えてあげることも難しい。
SCはチーム学校の一員として配置される。
学校という独特の世界で初めて働くのは、理解しがたいことが多いだろう。しかし、SCは教師や保護者との連携ができることが大前提で、それができないと子どもたちを救えない。
なぜなら、週1回は学校へ来るが、その他の時間の大部分を子どもたちと関わっているのは教師たちや保護者だからだ。
従ってSCは専門性+コミュニケーション力が必要十分条件となる。
最近小学校の児童、教師に間近で接する機会があった。
小学校の教員が意図することや苦悩そしてなにより小学校教育の良さがよく分かった。
しかし、その小学校の良さが中学校入学と同時に消されていくように感じた。それは中学校の指導に原因があるのだろうか。
服装や頭髪などの指導にエネルギーを注ぎ、本来持っている子どもの良さを見ることができない中学校の指導システム。
これに中学校の元凶がある。
なぜそうなるか。
それは、中学校にこどもの教育のすべての責任を負わせていることにある。
部活動の地域への移行ということが叫ばれているが、本質を見ていない。
服装、頭髪、地域での問題行動などを学校に責任を負わせることから、親や地域へ責任や指導を移行する方がよほど中学校はスリムで軽くなる。
これは教師誰もが思うことではないか。
「地域のショッピング街で行儀悪いことをしている、すぐ来い」
「公園でやってはいけない野球をしている、どうにかしろ」
など、職員室の電話は鳴り響き、教師は慌てて出かける。仕事を放り出して。
こういうことは本当に教師の本来業務なのだろうか。
頭髪指導も学校で黒に染めたりしていたが、本来その責任を教師が負うものなのだろうか。
そこにスポットライト当てて論議することなしに、中学校は良くならないだろう。
中学校教師の疲弊や精神疾患もやむことはない。
大阪市は、20の指定都市で不登校児童生徒数がワ―スト1位。
1000人当たり33.8人だ。
詳しく見ると、
小学校では、ワースト8位、14.7人(平均13.8人)。
中学校では、ワースト1位、75.9人(平均54.4人)
小学校で8位から、中学校でダントツ1位となり、ごぼう抜きで小中総合ワースト1位へと躍り出る。
いかに中学校の不登校が課題かが分かる。
中学校の不登校児童生徒数を近畿の指定都市で比較してみると大阪市のすごさがわかる。
堺市 42.1人
京都市45.0人
神戸市58.9人
大阪市75.9人
これはここ数年で始まった傾向ではない。ずっと固定化し、課題解決も進んでいない。
大阪市の教育環境の劣悪さと関係していると考えるが、どう思われる。
その大阪府の中でも場所によって雰囲気は違う。
大阪府の中で私の好きな場所は千里あたり。
街自体がさわやかだ。
だいたい豊能地区と言われているところは落ち着いた街並みで環境が良いところが多い。
学校の教育環境の違いをみるにあたり、敷地面積を調べた。
中学校で比較した。
大阪市内は平成25年度の生野区の中学校9校を調べた。
校地面積の平均は14671㎡ 最大は20917㎡ 最小は9502㎡だ。
日本の中学校の敷地面積の平均が23676㎡だからとても狭い。
同じ大阪の豊中市は18校あるが、最大は41600㎡ 2番目は34200㎡(2つは千里にある) 最小は14100㎡。
恵まれているといえる。いや、これが普通なのかもしれない。
都市部は学校の敷地面積が狭いのは日本の傾向だ。
しかし、グラウンドが狭くて外野がとれなく野球ができない、という状況は野球部にとってとても不憫だ。
そして、狭くて常設テニスコートはない、しかしテニス部はある。などの学校が大阪市内では多い。よくそのグラウンドで部活動が展開されているなと思うほどの惨状だ。
そしてすぐ近くにビルや工場があったり、電車が通っていたり、学校が街並みに埋もれているのが現状だ。
だから、学校を探すのに苦労するところが多い。探し当てて初めて、えっこんなところに、と思わず絶句する学校もある。
しかし、残念なことは、これに大阪市民は慣れているということだ。
親たちもその環境で過ごしてきたからだろうか。文句や改善を訴える動きはない。
これらがどのように大阪市の教育に影響を与えているか計り知れない。
改定前はとてもおいしい資格だった。
試験はなく、規定の実務経験と一定の講習を受ければ取得できたからだ。しかし、今は違う。OJT2年とさらにその後研修を受けなければなれない難しい資格になってしまった。
これ教員もとれる資格だったのに、なぜか知らなかった。
一部の特別支援学校では奨励していたところもあると聞く。
やはりアナウンスが欲しかった。なぜなら、児発管は希少な資格で退職後もアルバイトや非常勤で出来るからだ。
【改定前】
実務経験 + (研修11.5h+講義、演習19h)⇒ サービス管理責任者
児童発達支援管理責任者
【改定後】
実務経験 + 基礎研修(11h +17.5h)
⇒OJT2年⇒実践研修(16.5h)⇒ サービス管理責任者
児童発達支援管理責任者
(内の時間数は自治体によって異なるところがあるようです)
改定前と後の違いはざっくりと上のようになる。
要は、改定後はOJTを2年間しなくてはならない。このOJTは教員をしながらは絶対無理なのだ。だからもう教員は手が出ない資格になってしまったということだ。
実務経験の内容についての詳細はとにかくややこしいので省略(自己責任で調べてほしい)。教員として指定の年数以上の実務経験があれば児童発達支援管理責任者に該当する。さらにそれが特別支援教育であれば、サービス管理責任者にも該当する。
児童福祉系職種の平均年収【職員一人当たりの年間給与額】
常勤 | 非常勤 | |
---|---|---|
施設長・管理者 | 5,211,106 | 3,725,738 |
理学療法士 | 4,511,498 | 2,950,640 |
児童指導員 | 3,342,439 | 1,932,920 |
保育士 | 3,668,861 | 2,010,721 |
相談支援専門員 | 4,057,382 | 2,381,212 |
児発管 | 4,267,462 | 3,768,595 |
Gルートは、現任者として相談業務の実務経験が5年あれば受験できた。
しかし、その実務経験というのが、教員をしていれば対象になるのかどうか不明だった。教員をしているだけでは無理だろうと私は考えていた。しかし、学級担任は明らかにいつも子どもたちの相談にのっているので、これも相談業務じゃないかなと思ったり、教育相談部に所属していなければ相談業務とみなされないのかなと困惑したりしていた。
ただ、最後の5回目の試験を前にして、思い切った。
4万円を出して現任者講習を受け、受験料3万円(だったと思う)を納めて願書を出した。普通に教員をしていたと書いて願書を出したが、願書は受け入れられ、受験可能となった。
必死で過去問に食らいつき、短期決戦であったがやりぬき、ぎりぎり公認心理師に合格した。
Gルートの合格者は50%前後だ。だが、Gルート合格はすごいことだと思う。なぜなら、公認心理師を取得するのは、来年からは基本、大学で所定の単位を納め、大学院で所定の単位を納めなければ受験できないからだ。
つまり金額的にも時間的にも破格のお得な取得方法だったのだ。
では、これだけお得ならみんなが知っているかと言えば、知らなかった。教員の中でもほとんどが知らなかった。一部特別支援に関わる先生方が知っていただけだ。管理職さえ、公認心理師を取るために実務経験の書類を書いてもらったが、2人とも知らなかった。
私はこういうチャンスを教育員会はアナウンスすべきだと思う。
いや文科省がやるべきだったかも知れない。
なぜなら、私の公認心理師登録証には文部科学大臣と厚生労働大臣のハンコが大きく押されていたからだ。
ただ、研修は充実させるという。
今でも校内研修もあり教育センターでの研修もありで、研修を受けている感は十分あるのだが。研修というと、重い腰を上げてそこへ座りに行くという感がある。できればその時間仕事をかたずけておきたいと思うことさえある。
なぜそうなるのか、それは単純に面白くないからだ。受講者の意識とマッチングしていないのだろう。大学教授の「カウンセリング」の研修を受けた時は、机上の空論というより、夢のような話を聞いているようだった。具体性はなく、何を言っているのかわからなかった。
教員の将来を見据えて、形になる研修をする必要があるだろう。
例えば、その研修を受けることによって資格を取得することにつながり、将来性が広がるとかである。
3年間教員を良好に続けたら特別支援学校教員の2種免許は6単位ほどでとれる。これは各都道府県で長期休みを利用して実施している。くじ運良ければひと夏でとれる。
同様に、小学校2種免許のための講習を実施ししてほしい。小学校の教員が大変不足しているというが、各都道府県は特別支援学校教員の免許のように都道府県で、教員たちに取らせる機会を与えるべきだ。
小学校2種免許は、講師でもよいから3年間教員を良好に続ければ、14単位前後の取得でが取れる。教育実習もいらない。
教育と福祉の連携が叫ばれている。教員は福祉を知ることも大切だ。社会福祉士や精神保健福祉士の国家資格取得につながる研修があってもよいのではないか。それが難しいならば、せめて取得を奨励してほしい。つまり、単位取得や実習を年休ではなく研修として受けることを可能にしてほしい。
そうすれば、福祉の視点で教育を見ることができ、幅のひろい教員が生まれる。また、教員を経験したものが退職後にスクールソーシャルワーカーとして活躍できる。
公立学校の教諭をしていて、大学院へ行くことはできる。その制度は、上級免許所取得が条件だ。
しかし、上級免許取得という縛りを取り払うことによって、様々に視野を広げるチャンスが出てくる。今の縛りでは臨床心理士を取得するために大学院へは通えない。佛教大学大学院などの通信もあるが仕事と両立できるならば可能かもしれないが、実習もあり、かなりの負担になるだろう。
教員は大学院だけでなく大学編入や専門学校編入・入学なども可能にしたい。自分の教科専門の分野を越えて将来を見据えて学ぶことができるからだ。
そうすると教員は様々な資格取得や研究を進めることができるようになる。在職中、退職後問わず、豊かな人生を過ごすことができる可能性が広がる。
特別支援に携わる教員ならば、サービス管理責任者や児童発達支援管理責任者の講習に参加できるように配慮したり、それを研修として受け入れることで、退職後にその職に就きやすい。障がい者施設で作成する支援計画が特別支援教育で作る支援計画そのものなのだ。しかも、上記2つの職は公認心理師や臨床心理士より給与は高い。
教員は昔、自宅研修という制度があったが、本当に研究や学びをしたいものにとってはすばらし制度だと思う。ただ、一般社会の厳しいまなざしに対しての説明責任が果たせない部分があることは事実で、現在ほとんど実行されていない。
さて、人生100年時代と言われながら、教員は、定年になるとボロボロになっていたので働けません、ではあまりにも悲しい。第2の人生を余生ではなく、いきいきと生きることができるような、未来を見通した研修や講習を計画すればどうだろう。
その他いくつか会計年度職員の試験を受けていた。その中で、ある役所の子どもに関わる部門を受けた。選考試験内容は小論と面接だ。
いまさら60半ばの元教員がテストをされる、前にいる若いテスト監督を見るとちょっと恥ずかしかった。
ただ、小論文もある程度書くことができたし、面接も自分なりにうまくいったと感じて終わった。が、、なんと不合格通知が来た。
受験番号が1番だった。そして、募集人員は1名。さらに、当日受験会場には、広い部屋に自分一人。
つまり選考試験の倍率1倍。
これは通ると思った。ただ、試験は手を抜くことはなく、老いていても頑張った。
今、よく考えてみると、原因は面接かなと思う。どういうのかな、面接官がウッと驚いたところがあったのだ。
「上司からあなたの考えと違うことを言われると、あなたは自分の考えを言いますか」という質問に、はっきりと「いいます」と答えたところで、面接官がウッと驚いた様子を見せた。なんの驚きか解せなかったが、きっと、そういう時は上司に従うものだよという暗黙のルールが役所にあったのだろう。私はあまりにはっきりと返答したので、厄介なやつと面接官に映ったのかもしれない。
自分の考えを上司に伝えることは、自分の意見を押し通すという意味ではなかった。意思疎通をするために自分の考えを分かりやすく伝えることは仕事上大切だと本当に思ったのだ。
とにかく倍率1倍の会計年度職員の試験を突破できなかった60半ばの元教員がいるということだ。
さらに私は、令和5年度4月採用の児童相談所の会計年度職員を2種類受験したが、どちらも不合格だったことを伝えておこう。
今のとこ4月からの職は決まっていない。
65歳過ぎてからは、非常に厳しい現実がある。
どんなに力があり華やかな教員生活であった人も、65歳からは、ひそやかな「今どこで何をしていらっしゃるのかしら」状態となっている人が多い。
しかし、その中でも勇しくまだ働いている者もいる。ほとんどが非常勤だが、元気だ。週3勤程度、現役と比べても見劣りしない働きぶりだ。
その割合は増えているように思える。
稀だが、先日、フルで働いている70歳の教員に出会った。びっくりであったが、本人は70超えてもフルでまだ働くという。こういう人は100人に1人ほどだろうか。
高齢で働く人のために、待遇を改善してほしい。会計年度職員などはこの物価高もう少し賃金を上げてもよいではないかと思う。
高齢者自身も元気に働く体を保つ努力をし、生産性のある仕事ができるよう工夫をしなければならないだろう。
そのためには、退職してから考えるのではなく、せめて40歳からは退職後の計画を練り始めなければならない。仕事漬けにならないで、体力づくりや副業を開始することなども含めて、人生を考え始めなければならないということだ。予測不可能な時代に対応するために、そして、充実した人生100年時代をいきぬくために。