教育と宗教
統一教会の問題によって、宗教というと人々から引かれるような存在になった。
特に新興宗教と言われるものは、「あやしいもの」とする人が多い。

では、既成の宗教は大丈夫なのか。

キリスト教はかつてユダヤ教から見れば新興宗教だった。2000年前は怪しげな教えとされ、迫害されてきた歴史がある。
日本へも伝道されたが、踏み絵が有名だが信仰しているだけで死へつながることも多々あった。

今やキリスト教の聖書はアメリカ大統領が手を置き誓う存在となっている。

法然さんと言えば浄土宗の開祖。別に怪しげなことも何もないが、当時は念仏など邪教扱いされ、これも迫害される存在だった。

残念だが既成宗教は、今や葬式や結婚式のための宗教に成り下がているとは言えないだろうか。
私の息子もキリスト教の教会で式を挙げたが、その後、イエスの教えを胸に生きたかと言えば、ありえない。

玉石混合のこの世の中、我々は新興既成にとらわれず本物と偽物を見分ける力が重要と思われる。emojiemoji

私は宗教心は日本人に必要と考えている。

困難校にいた時、教師にも生徒にも哲学や宗教が必要な気がしてならなかった。心の荒廃を感じたからだ。
生徒に宗教心が備えられれば、落ち着いた環境や心でものごとを見つめることが出来れば、荒れも少しは小さくなるのではと思った。emoji


ただ、公教育の中で特定の宗教を語ることは難しい。


では、私立の学校はどうだろう。emoji

ある私立の学校では、毎日の職員朝礼で、教員が順番に聖書の好きな一節を読み、感じたことを伝える時間を持つ学校がある。
シスターが教員にアドバイスをすることもあるという。

私は仏教徒でもクリスチャンでもないが、その思想は人間の本質に迫るものがあり、生徒指導に通じるものがあると考える。


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2023/04/22 21:08 | Comments(0) | 学校変革

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