公立学校の真実
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今日は頭が痛い。確かに痛い。
でも、ブログを書いてみよう。なんでもいいや。
昔、兵庫県高塚高校事件、遅刻指導中時間が来て校門を閉めた際に女子生徒が校門で圧死した事件だ。あの時を境に校則の見直しを迫られたり、いや迫られたと教育関係者は感じ、見直した。いらない校則が確かに多かった。帽子もなくなった。
学校は脱管理へと向かった。
今学校に帽子を着て登校している中、高生はあまり見かけない。制服も実用的になってきた。
昔校則で、靴は完璧な白ときめていたが、これもどうでもよくなっている。靴下も白、ただし3本ラインまでは可とか4本ラインならば帰らせて着替えさせていたりした。この指導も今や風化した。
確かにどうでもよい校則が多かったのは否めない。教師もそういう校則で生徒と人間関係を崩すことを選ばなくなった。厳しい指導や校則はたちまちなくなっていった。
しかし、忘れてはならないのはあの校門圧死事件後、高塚高校の遅刻はさらに多くなった。
これは本当に残念なことだ。 そして、生徒の甘やかし(そう自分がとっているだけ)の波は全国的となった。
校則もゆるくなり、教科書も薄くなり難しいことは教えず、土曜は学校がなくなり、遊びか授業かわからない総合学習(そういう学校が多い)もあり、生徒のハードルはずいぶんと低くなったと思わないか。
もし本当に子供のことを考える人は、公立学校に期待をするだろうか。
“よしよし”と“よいしょよいしょ”はあっても鍛えるはないから。魅力的な立命館小学校に入れたいと思うかもしれない。
何を厳しいことを言っているのだろうと人は感じるかもしれない。
学校に行ってよく実態を見て欲しい。 甘えるな!これでいいのか-!と机をたたいて、机を蹴飛ばしたくなることの連続である。
しかし、暴力暴言は…教師たるもの冷静でなくてはだめだ。心を元の場所に戻して出発。そうしなければ…こっちが切れると最近ダメ。切れても伝わらない。
心は鬼ではなく仏化せねば自分がつぶれる。
だから両方備えた不動明王のような、悟りがほしい。 しかし正義の剣がある。
かっこいいことばかりかいていたのでつかれました。