公立学校の真実
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ある部活を持った時、「試合に負けたのはお前のせいだ」とミーティングでA君に言った。
その後彼は部活を辞めた。
陸上部へ入った。しかし、もし彼がそのまま我が部にとどまってくれていたら、きっと近畿大会も夢ではなかったかもしれない。
なぜなら彼はずば抜けた身体能力があった。
高校で、ある種目で全国大会で入賞した。
最近このことが心に浮かんでは消える日々が続いている。
そして、私の部活動に対する幼い考え方を悔やむのだ。
私は一生このことを悔やみながら生きていかなければならないのだろう。
逃げた大きな魚を後悔しているのではない。
私の彼への幼稚な接し方を悔いている。
そして、彼の人生の可能性を見つけることができなかった自分に情けなさを感じている。
彼が、部を続けていたら、そして私が彼を伸ばすようにしてあげていたら、彼の人生はもっと素晴らしいものへと変わったかもしれないと思う。
彼と同じ学年にいたB君はプロへ行った。
教師は人の人生の可能性を左右する分岐点となる。
それが、その時は分からない。
今、数十年経って、頭から離れるどころか湧いて出てくるのは、きっと彼にとって重要なことだったと、私の潜在意識は知っているのだろう。
これは特別支援教育に携わった教員のある意味特権というものかもしれない。サビ管は特に給与は福祉の中では多分最高だ。
この研修は、都道府県によって日程や申し込みの期間などが違うので気を付けなければならないが、ほとんどの県が5月には申し込み締め切りとなる。
研修を受けたからといってサビ管にすぐなれない。研修を受けてから実務を積まなければならない。少しその実務は緩和されたらしい。
とにもかくにも、研修を受けなければ話にならないので、申し込みだけはしておいた。受理されるかは分からない。
私がやるに、現実的には「相談支援専門員」かなと思う。
障害のある方に相談支援を行い、障がい者及びその家族と介護施設をつなぐ立場にある仕事だ。
施設を作ったりする必要はなく、自宅で開業しやすい。
また、定められた実務経験の期間があれば、あとは研修を受けるだけでテストはなく、研修後に実務の経験の必要もない。
年収は300万前後だが、やりがいはある。
ただ、私はそこが最終目標ではない。
やはり施設を立ち上げることが本音だ。
滋賀県の米原に古家付きの500㎡の土地はあるのだが、資金そして資格、計画という面ではまだまだだ。
これから老体に鞭打ってがんばる。
いつも思うのだが、大阪市の保護者は発達障害の対応に関して、今の現状に満足しているのだろうか。
あきらめているのだろうか。
それとも、世の流れを知らないのだろうか。
大阪市以外の世間では発達障害の子どもたちを何とかしようと躍起になり対応を進めている。
大阪市では明らかに進んでいない。
これはみんなで声をあげていい状況だろう。
発達障害の子どもを持った親が学校へ相談したいとき、月に数回くるカウンセラーに相談をするしかない状況がある。
つまり、13年間で10倍に増えた発達障害の子どもたちに対応するにはあまりにも限界がある。
特別支援学級担当がいるではないか、という意見もあるが、残念だが、発達障害に関しての本職ではないことが多いのだ。
しかし、他県では、発達障害に特化した通級指導担当がいる。予約すればいつでも相談できる。
もしかして発達検査をしてくれて支援を受けることができるかもしれない。無料で。
また、大阪維新の会は、大阪府議会と大阪市議会の両方で単独過半数となる議席を得た。
だからなにがどう変わっていくのか。
大阪市は不登校率NO,1 そして学力の問題が山済みだ。
まず、しっかり現場の意見を聞いてほしい。
どこの自治体もそうかも知れないが、教員が足らないということで学校が疲弊している。
特に小学校や特別支援が足らない。
教員免許さえ持っていれば誰でもよいわけではない。担任を任せられる器量を持った講師がいないということだ。誰でもよければ、担任を任せた故に大変なことになり、余計に学校がしんどくなることもある。
大阪市はこれらの問題にも、若い教員のバックアップ体制を作って対応していく必要がある。
週2、3回ほどの立ち位置のあやふやな「学びコラボレーター」などの人材投入では追い付かないだろう。
器量や実績があるものの体力・気力がなくなった我々のような老人教員は担任を遠慮したいところだ。
話はそれた。
さて、大阪の学校では特別支援に関して高度な専門的知識を持つ教員はあまり見当たらない。どこの自治体にもあることだが、通常学級を退任した再任用教員や講師たちが支援学級を任されていることが多い。
それでも何とか支援学級の担任はできている。
しかし、13年間で10倍にもなった発達障害の子どもたちに対して、新たな対策が必要ではないのか。
大阪市はそのことを重視していない。
維新はこの大阪市の古い教育体質を吹き飛ばさなければならない。
スクールカウンセラーを配置しても、特に小学校に対しては月1,2回来校のみというところも多い。
焼け石に水と言える。
また、スクールカウンセラーだから発達障害に関して専門的な知見を持っているかと言えば、それには疑問がある。
ましてや、特別支援員とかサポーターが来てくださっているが、特別支援の知識を要求することはできない。
全国的にみて、学校の中で発達障がいに対して専門的な知見を研ぎ澄ましているのは、通級指導の担当教員だ。
その中には、特別支援教育士(S.E.N.S)を持っている教員もいるし、公認心理師を持っている教員もいる。
そういう資格を持たなくとも、かなりの研修があり、担当者が自らお金を出して研修に行っていることもある。
さらに、日々発達障害の子どもたちと出会い、子どもたちを支援し続けているというすばらしい実践がある。
従って、専門知識はより磨かれていく。
しかし、大阪には、正確には大阪市には通級指導で発達障害を救うという考え方はないのだ。市特有のインクルーシブ教育に通級指導が加われば日本のどこにもない強固な支援体制ができるのにと思う。
大阪府の方でようやく昨年あたりから通級指導担当を置きだしたが、模索状態だ。
「公認心理師や臨床心理士は大学院まで出たけれどその学歴に見合う職はない」とよく言われる。
確かに、求人サイトを見ると、公認心理師や臨床心理士の時給は安いのではと思う。
例えば、ある放課後ディサービスでは
■月給
・児童指導員 140,000円~
・保育士 160,000円~
・臨床心理士/公認心理師 180,000円~
・理学療法士/作業療法士/言語聴覚士 200,000円~
と出ていた。院を修了したのに3年制専門学校を卒業した作業療法士などより下とみなされているのだ。不思議としか言いようがない。これでは心理職を取る気持ちも萎える。
次に時給を調べた。
放課後デイサービスなどは時給1500円あればすごくよい方だ。1050円というところもある。
1000円ちょいでは、言い方はまずいが高校生がやるバイトとさして変わりない程度の報酬だと言えよう。
年収も400万あれば上等で、それ以下が多い。
放課後デイサービスではなく、病院関係のカウンセリング業務や心理検査などを行う業務になると少し時給も上がってくる。時給2000円前後となる。
しかし、悲しいかな私が4自治体すべて不合格だったスクールカウンセラーの時給5000円には程遠い。
そして、私のような老人が心理職を探すに決定的なのは年齢だ。
募集に年齢に上限があるということだ。
残念だが、この年齢が来てから、待遇の良い他の職を探そうとするのは非常に厳しいと悟った。
今年4月からの職のために大阪府に非常勤の講師登録をした。4月に入ってもまったく音沙汰なしだ。おれは元教員だぞ。
感情的になってはいけない。
昨年度や一昨年度、講師登録をしていないのによく電話がかかってきた。
それは現役時代にお世話になった教頭からだ。
そして今年度は、5月から週3でちょっとの間、小学校へ来てくれと言われた。それは現役時代に一緒に働いていた今は校長をしている友人からの誘いだ。別にこちらから頼んだことはない。
つまり、60代後半は相手にされない。
だが、つながりという部分では、まだ働き口はあるかなということだ。
そして思うのは、やはり小さくても自分で起業することが一番かなと思う。70代になっても続けられるからだ。
今日は6日、始業式や入学式が行われている学校も多い。学級担任や部活動顧問の紹介も行われただろう。教員はようやく担当するこどもたちと出会い、様々な思いがあるものの、とりあえずホッとしたことだろう。
新しく、その学校へ赴任した教員に焦点を当てたい。
赴任先に一人でも二人でも知っている先生がおられるなら少しは緊張は和らぐ。まったく知らない学校へ赴任したら、しゃべる相手もいないし、どう自分を表したらよいのか分からないし、不安と緊張が頭に走る。
それが子どもたちが登校し、出会いを深めると、少しずつ元気になる。やっぱり、教員は子どもと出会うことが仕事だからだろう。
さて、現役の先生方、頑張ってください。陰ながら応援しております。
春の陽気というか、ちょい暑さが増す街の中に、若者や外国人たちが多くいた。
そこには
スーツに身をくるんだ新社会人らしき人たちがいた。
多分、新入生であろう大学生たちが、故郷とこの街とを比較しておしゃべりをしていた。
4月3日月曜日、辞令交付式が各地であり、辞令をもらった者たちは新たに志を立てたはずだ。
新採教員たちも採用試験をくぐり抜けて、今日は希望に燃えていただろう。
私のような老体は、このようなドキドキワクワクの春をたくさん過ごしてきた。
しかし今年度は・・
みんなが初めての勤務日となる今日、一緒に参戦することもなく家にいる。
この感覚は、荷が下りたとか、少し寂しい、という感じではない。
現実には、税金などで出ていくお金のことが頭に残り、お金が飛んで出ていくことに寂しさがある。
貯金が減りはしないだろうかと不安が頭の隅にへばりついて、もやもやした感覚だ。
ほんとに貯金が減りだすと、不安から恐怖へ変わるんだろう。
働きが少ないと、お金のことで頭を悩ます。
心が大切だというのは分かるが、経済も心の安定に大切だ。
特に今の世の中。
賃貸物件十数件の固定資産税の支払。
税理士さんへの決算の報酬。
法人税。
その他もろもろのお金が飛ぶように出ていく。
賃貸業で家はあるものの、その家はいつまでもその価値であり続けることはない。
年数が経てば古くなり、価値はなくなる。
最終的に大規模リホームが必要になり、そのために莫大な費用がかかる。
古くなれば壊して駐車場にでも、と考えられるが、駐車場にすれば固定資産税が6倍に増える。
しかも家を取り壊すだけでも100万以上はかかる。
このことを考慮して賃貸用の家を持たなければならない。
一戸建てばかりで、ほとんどが家族で住まわれているので退去はあまりない。
ただ、一人で住んでいたAさんはこの春転勤になり出ていく。
それが日本海に近い北の方だ。
退去の立ち合いをしに行くのに、車で3時間はかかる。
めちゃくちゃ忙しい教員生活の合間にコツコツと物件を探し、業者さんと仲良くなり、教えてもらいながらの不動産賃貸業。
退職して思ったことは、「やっていてよかったー」ということ。
家賃収入は年500万ちょい。ただ、ローンもあるので全部がつかえるわけではない。そして税金も引かれる。
しかし、年金と合わせると、何とか死ぬまできちんと生活できる。
ただ、私は公認心理師を通して、相談活動や福祉関係の仕事を成就し、社会貢献をするために不動産賃貸業をしている。
今の不動産賃貸業の収入ではその夢に追い付かない。
これが私の現状というところだ。
・・ような形、とは、時間講師なのだが授業は教えず担任のフォロアー(雑務要員)だからだ。
校長は、なぜ私のような老体に仕事を持ってきたのか。
それは教員が足らないからだ。
育休や産休、病休の穴埋め教師がいない、ニュースで何度も流れているあれだ。
A小学校の校長によると、3月終わりになっても、新年度に担任がいない学校もあるという。
そして、教育委員会も講師を見つけることができず、自分たちで見つけてくれと学校に丸投げしてくるという。だから、校長は3月に頭を悩ませる。
校長にとっては、教師が不足した状態で4月を迎えることは恐怖だ。
なぜなら、足らない人の分の仕事を背負わなければならない教師が出てくるからだ。
それによって、連鎖的に教師たちの気持ちが低下していく。
最終的に教師たちのその不満は管理職へ向いてくるし、保護者からも、なぜ担任や担当教師がいないのかと苦情を受けることになる。
だから、4月に穴のない人事をつくることは校長の最大の仕事といえる。
そして別れと出会いがある。
職員室の中では若い教員たちの無邪気な話し声が響く。新年度のことや転勤先のこと。
私のような年老いた会計年度職員はその輪に入る余地はない。
みんなが知らないうちに私は最後の掃除を終え、静かに去っていく。
最後に職員室から出る時、みんなに挨拶をしようと思ったが、管理職にだけ挨拶をして学校を出た。
駅まで歩いていると虚しさが襲う。
今は66歳だ。私が70歳になり80歳になり、次第に社会から遠のいていったらどれほど虚しさに襲われるだろうか。津波のように虚しさが押し寄せてくるかもしれない。
今日は久しぶりに、駅の近くの王将で餃子とラーメンを食べて帰った。
元教員。在職中はいくら輝かしい業績を持ち、みんなから持ち上げられ、はやし立てられていたとしても、退職すればただの昔の人。
若い元気な教員から見れば「あんただれ」といった感じだ。
さて、愚痴はこれほどにして、これから自分は何をやるのか、明確に具体化していこう。まずは自宅を教育発達相談の場所にする。そのためにリホームをする。さて準備をするか。
80歳の人から見ると、私など60代半ばはまだまだ若いと見るようだ。
だが、就職するには非常に厳しい歳だということを実感している。
昨年11月から受け続けた7つの就職試験はすべてダメだった。
7つすべてだ。
その内訳は・・
公認心理師の資格をもとに受験した児童相談所の相談員などの会計年度職員3つは見事に不合格。
そしてメインであった時給5000円以上のスクールカウンセラーは、大阪市、京都市、京都府、奈良県すべて受けたが不合格だった。
京都市などは面接も受けさせてもらえなかった。書類選考の段階でアウトだった。
7つの不合格通知は大切にしまってある。笑
試験会場を見渡すと、20代から40代の人と見られる受験生が多かった。私のような老いたものもいたことはいたが、少なかった。
4月からの職は、今やっている賃貸業だけとなった。
しかし、電話がかかってきた、しかも日曜日に。
「5月から小学校3年の担任を夏までしてくれないか」というものだった。臨時免許をだすからという校長からの悲痛なものだった。
やったこともない小学校の担任、初めは面白そうだと思った。しかし、冷静になればだんだん不安になってきた。しまいには明らかに無理だろうと分かり断った。
しかし、校長の悲痛な叫びは続いた。翌日、また電話がかかってきたのだ。担任は教務主任にさせるから、教務主任を助ける時間講師(授業をするわけではなく、雑務)をしてほしい。
ここまで言われると、優しい私は断ることはできなかった。
時給5000円のSCと時給1000円台の雑用仕事を比べてしまう。
悲しくなる。
「公認心理師やのになんでこんな仕事やらなあかんねん」、とつぶやいている自分。
もう一度、心を点検して、残り少ない人生を自分が本当にやりたいことは何なのかを検証し、具体化しなければ、人生を悔やむことになるようだ。
第一に、教員人気を上げたい、なり手を増やしたいのであれば、今の学校現場で働いている先生たちを大切にする施策を打つべきである。・・中略・・
今の先生たちが生き生きしていないと、駄目なのだ。はっきり申し上げると、中高生向けに説明会などをする暇があるなら、学校を支援するほうに教育委員会は人手と予算と時間をかけるべきだ。「教員はこんな魅力があるよ」といくら動画や説明会でPRしても、それは、都合のよいところを切り取っているだけと思われるだろうし(その程度の批判力のない人が教員になるなら、逆に心配だ)、よき恩師に出会ったなどの体験に勝るものにはならない。・・ 中略・・
教員人気を左右する最大の広報の場は、今の学校現場にあるのであり、説明会やYouTube上ではない。
最後の下線部が妹尾氏が一番言いたいことなのだろう。生き生きと働いている教員の姿こそ、若い人たちの教師を志す礎となるということだ。これにはまったく同感だ。
元校長らも含めて、私の知っているどの退職教員に聞いても、担任は二度とやりたくないという。正確には、「やれない」という方が正しいかもしれない。理由は自分たちが担任のころと比べて仕事の数が増えているし複雑化しているし、仕事が厳格化しているからだという。体力的に弱っているということもあるだろうが、「やれない」が一番の本音だろう。
三十数年ほど前の話だが、中学校に勤務していた時、夏休みは本当に心身ともに休養が出来た。午前中は部活動をし、午後からは本屋に涼みに行くと同時に、本を読み漁った。夕方にはゆったりとした気持ちで夕食を食べることができた。 しかも、夏休みという期間も今より長かった。
そのような健康的な生活がひと月でもあれば、心身リフレッシュできる。今は研修などで縛られ、休養できない。
このような縛られた感覚になっている教員のいる学校を見て、教員になろうとは思わないだろう。
「教職課程の負担軽減や実習のあり方を検討するべき」との小見出しがあった。内容を切り取って伝えたい。
「教員免許を取るハードルを下げては、質が下がるのではないか」という心配もあろうが、一方で、現行のようにカリキュラムオーバーロードが懸念される状況では、優秀な学生を逃している可能性もある。・・中略・・
教職の専門性は大事だとはいえ、現行は養成段階で相当な負荷をかけており採用前の履修は少なくていい。・・中略・・学生の負担や大学などのカリキュラムのあり方も議論していくべきではないか。
また、教育実習は、貴重な現場体験の場であることには疑いがないが、学生にとっても、受け入れ側にとっても負担が重い。そのため実習期間の短縮を検討することが1つ。
との指摘だ。
最近、多くの資格が、その資格を取るためのハードルを上げてきているように思う。
教員免許の取得のための実習も、私のころは中高のいずれかで2週間の実習だけで終わりだった。それが中学免許は中学校で3週間となり、さらに介護実習や特別支援教育の実習も加わる。
入学当初から教育課程を視野に履修していなければ、4年間で免許状は取れない。
教育学部以外の学部で教職課程を取ろうとすると学部の単位と同時に教職の単位をかなり多くとらなければならない。それだけで戦意喪失してしまう学生もいる。
実習の短縮は大賛成だ。
実際、ここ3年間の教育実習は短縮したり内容を軽減した大学や大学院は多い。理由はコロナ禍によるものだ。
私の学校現場にも、女子大の学生が来ていたが、指導案を書いて教壇に立つ実習は免除されていた。そのかわり現場で教員の指示に従って参観や体験をした。それが実習としての単位として認められた。 それでも彼女は今、元気に教壇に立っている。
基本的に教師の力量は専門能力と人間力だ。生きてきた過程でこの能力が備わっていればよいのではないかと強く思う。
間違った答えから思考を深めることができるが、教科書通りの答えからは思考を深めることは難しい。
教科書に書いてあるから正解で終わる授業は、個性派にとっては退屈な授業だ。
例えば、水をビーカーで熱すると中で対流が起こる。そこへ小さな紙を放り込むと上へ下へと回り始める。そこで教師は「なぜ紙は上へ下へとビーカーの中を回っているのか」と問う。
A君は、「それは対流というものです」と答えた。
B君は「下から泡が出ています、その泡によって上へ押し上げられ、上へあがると泡が消え、また下に落ちていきます」と答えた。
私はB君の答えの方がおもしろいし、それを本当かどうか深めることができ、それこそ科学と思う。
正解を答える子どもは素晴らしいとされる。
教科書に沿わない答えを発言する子どもはいくら面白い発想を持っていても、授業中に相手にされないし評価されない。残念だ。
しかし、教師を責めることは出来ない。
教師自身も教科書通りに育っているのだから。
そして、教師にも忙しくて考える余裕がない。
事実、特別支援学級の担任を担っているのは、再任用教諭か講師かが多い。
教育委員にはいくらかの講師登録者がプールされていることを知っている。その登録者を任用しないのはなぜなのだろうか。
理由は3つあると考える。適性がない。新しい人を雇うのに不安がある。本気で穴埋めをしようと思っていない。
知り合いで、ある県へ小学校を希望し講師登録をした人を知っているが、いまだに採用連絡はない。しかし、その県の小学校は今も足らないままだ。
これをどうとらえてよいのか分からないが、実際に目の前で起きている事実だ。その人を持ってくれば良いじゃないかと思うのだが。そうにはなっていない。
もうすぐ3月だ。教育員会や学校から講師の依頼が来る時期に入った。
私の知り合いには2月初旬に新年度の講師依頼が来ている。教諭ではないが優秀な人だ。
また過去に、講師登録をするために11月ごろに市の教育委員会へ赴き、その場で採用決定された教え子の大学4年生を知っている。なかなかないことだ。現在、意気揚々と教師生活を送っている。
講師の採用にはタイミングと採用する側の考えもあるということだろう。しかし、講師登録者がプールされている事実はある。
しかし、相談業務の自信は加速的に失われることはないように思う。
今まで教師をしてきて、技量として今も残っているのは、教科を教える技術より、発達検査を施しその報告書を書く技術だと自負できる。
先日、ある病院の公認心理師が書いた被検査者へ返したウイスク検査の報告書を見た。
聴覚優位や視覚優位など一般的なことが一通り書かれていただけだった。また、下位検査の数値が記されていないので細かいことは分からなかった。
これは時間がなかったのだろうか。残念な気持ちになった。
一生に関わる検査結果をもう少し慎重に書くことが出来なかったのかと思った。
私は思うに、下位検査の数値も報告書に記すべきだと思う。他の機関へそれを見せた時に、そこの心理士さんたちがより支援をしやすいからだ。さらに、もう一度検査をし直さなければならないという子どもへの負担も少なくなる。
話しは変なとこへとんでしまった。
教員たちは一通り発達障害について学ぶ。
しかし、それは机上の理論として学ぶ。だから、実際に発達障害を前にして、どうしてあげればよいのかを自分で判断し、対応を模索していく技術は育たない。
教員が発達検査に触れる機会をつくることが必要だ。
発達障害の子どもたちに向き合う時に、検査結果の読み方に熟知して検査結果を見てその子どもと出会うのと、見ないで出会うのとでは、実物を見るのとすりガラス戸越しに実物を見るぐらいの差がある。子どもたちに対応するときに大きな差がでてくる。
せめて特別支援教育に関わる教員たちが、発達検査がどのようなものかを知り、できれば、検査を実施できるように養成すべきだ。
そのための研修を設けることが必要だ。
ウイスクならば解説書をよく読みこなし、経験者の実施しているところに同伴を繰り返し、3回ほど自分たちでとりあえば、自信がつく。そういうシステムを作ることは出来ないのか。
きっと教科指導の力以上に私のように教師生活に残るものとなるだろう。
新年度の体制もほぼ骨格は出来つつある。
2023年度の新採用の教諭になる人たちもワクワクドキドキの時だ。自分がどの地域でどこの学校へ赴任させられるのか、日々期待が高まる。
講師たちはどうだろう。
すでに新年度採用の確約を貰っている講師もいる。しかし、大半は3月半ば、あるいは3月末ごろに新年度の採用が決まる。
3月中にもらえなければ、4月初めという講師もいる。それでも採用を貰えなければ、数か月間、いや1年間を無職で、耐えなければならない。
新採の教諭は10月ごろに採用が決定しているのに、講師は3月だ。これでは講師たちは4月からの生活設計を組み立てることはできない。これが講師ゆらいの不安定さでもある。
私が受けたスクールカウンセラーは、ほとんどが2月から3月初旬に合否が送られてくる。だが、京都府だけは、「令和5年4月1日付けの任用者は令和5年3月中に個別に連絡します」とだけ要綱に記してあるのみだ。
合否の発表はない。
任用者だけ3月中に個別に連絡があるという。
合格しているのか不合格なのかまったく分からないまま、4月へと突入することもありうる。
4月からの受験者の生活設計はどうなるのだろうか。
非正規職員の不安定さもここにもある。
学校は非正規職員が重要な働きをするようになってきた。だからこそ、せめて2月中に採用決定を受けて、いずれにしても安心して年度末を迎えたいものだ。
4つの自治体を受けたが、どこも手ごたえは厳しかった。現在、2つの自治体から不合格通知が来た。あと2つの自治体の発表を待っている。
京都市は面接さえも受けさせてもらえず、書類を提出した時点で、早くも不合格通知が来た。
大阪市はとにかく人が多かった。30人募集のところに200人以上来ていた。ペーパーテストもあり小論もあった。知識を問う〇×問題は、公認心理師試験程度だったと感じた。 不合格だった。
スクールカウンセラー(SC)は会計年度職員だ。だから、2回の更新はあるが3回目の更新はない。
つまり、4年目を働くに再受験しなくてはならない。
その自治体に300名のSCがいるとすると、およそ、その3分の1(平たく考えて100名)は再受験しなくてはならない。
再受験・・これは会計年度職員の悲しい宿命だが、人事の人らは、現にその自治体で働いているSCたちを不合格にすることができるのだろうか。
来年度もその学校で働いてもらいたいと願うのが学校としては一般的だ。
なぜなら、1から関係作りを作り直さなければならないからだ。
だいたい、校長は、講師などでも、新しい人を雇うのを嫌がる。
普通に勤務することが出来るならば、知っている人を学校に置いておきたいと校長も考える。
スクールカウンセラーになる主な条件は臨床心理士だったが、5年前から国家資格の公認心理師たちが参戦した。それによりスクールカウンセラーの倍率が上がったと予想される。
新しく参入しようとする私たちのような老体は応募できても合格できる余地があるのだろうか。
前任者が座ったイス以外の余った少ないイスの取り合いになっている可能性がある。過酷な競争かもしれない。
自分の毛には合わないのか、使い方が悪いのか、まったく白髪の部分が染まらない。すでに50回は使用している。妻が言うに、「あれは白髪染まらないよ」と。
白髪染めで染めるときれいに仕上がる。
しかし、髪の毛が痛んでいくのがよくわかるし、何より髪の毛が少なくなる。つまり、地肌が見え隠れする。
そして染め続けるのが面倒くさい。
しかし、若く見える。 この間に挟まれて苦しんでいる。
髪の毛の次に、顔のシミだ。以前、ひまし油が良いというので、使ってみた。2週間ほどで、シミが薄くなっていった。
これは良いと思ったが、これまた塗るのが面倒くさい。
ネットで、シミがぽろっと落ちる映像があるが、本当か疑わしいので買わないことにしている。
やはり金額は張るがレーザーかなと、今は思っている。
この歳になると、異性にもてたいとかいう気持ちは弱くなるが、子どもからも同僚からも、せめて、こぎれいな老教員として映りたいという願望は強い。
すでに、2月も半ばを迎えようとしている。新年度がそこまで来ている。
最後まで勤務できるように頑張る。
4つの自治体を受験した。
合否は現在、A県が発表され、1敗。
その他はまだ未発表。
大阪市はペーパーテストもあり、時間内に記述するのが厳しかった。実際の例で学校側への対応と保護者への対応をどうするのかを記述させられた。
面接試験もあったが、志望動機などでパターンに当てはまる簡単な内容だった。
他の3県は面接のみだった。
面接の内容で専門的なことは聞かれなかった。
答えにくい質問は、「教師生活で思い出に残ることはなにか」だった。
40年も教師を続けていれば、思い出に残ることは膨大な量となり中身も濃い。どれを出そうかと迷った挙句、特別支援学校での嫌な思い出を出してしまった。これは失敗かなと反省している。
最後に、奈良県を受けるが、今までの反省をもとに老体に鞭打ち頑張りたい。
受験者はどの会場も女性が多いし、私みたいな年配者は稀だった。まあ年齢制限はないというものの、40代50代のまだこれから活躍しそうな経験者を採用するだろうと思われる。
私はそれでもチャレンジし、この老体の私というものがどれほど試験に通用するのか試してみたい。
また、結果が出たら、参考のためにお知らせしたいと思う。
しかし、10年前、大阪の教師たちに愛隣小中学校のこと聞いてもだれも知らなかった。
これにも衝撃を受けた。
西成の愛隣小中学校には国籍のない子どもたちが多く在籍していた。
なぜ、国籍がないか。
労働者が日本各地の飯場を転々としているうちに生まれた子どもに届を出すことが出来なかったからだ。
もちろん現在はそのような事実もほとんどないし、愛隣小中学校もない。
数年前、なつかしい「愛隣小中学校」という本を探していた。
しかし、どこにもない。
大阪市の図書館にあるだろうと、検索したが、所蔵しているのはわずかな図書館だった。そこへ行ってみて借りることができた。
手に取った時、懐かしかった。
昼間でも西成の愛隣地区で子どもがうろうろしている。これを危惧した人たちがいた。そして集めて教育し、学校をつくった。
大阪市の教育の原点のように思えた。
愛隣小中学校の教師は一緒に風呂に入れたり、散髪をしたりと子どもたちの教育に生活に時を費やした。
今は、教師の働き方改革ということでそんなことはありえない。しかも、昼間うろうろしている大量の児童生徒はいない。
だが、どうだろう、昼間、家にいて学校にいけない児童生徒は多数いる。
しかも、全国で大阪市は突出している。
現在の大阪市の重き課題ではないだろうか。
まず、会計年度職員への挑戦をしている。4連敗中というところだ。児童相談所、スクールカウンセラーすべてダメ。まだスクールカウンセラーは2か所合格発表が残っているが、厳しいだろう。
就職ではなく、里親申請はできるか児童相談所に相談したが、かなりきつかった。
「本当にやる気あるのか」と突っ込まれまくりということだ。これにはまいった。だから、この里親は私の目的達成のルートから外れた。
では、補助金など貰わないで自分でそういうものを作るか、小規模児童養護施設的なものを進めるかだ。
福祉関係の仕事をするに高い壁があることを知って今つまずいている。
必要なのは、どこにも行けない子どもたちがいて、それをきちんと受け止める施設が少ないということだ。
例えば、親が様々な理由で、障害を持っている子どもを育てられない場合。
それは施設送りになる。
しかし、よい施設に入ることが出来ればよいが、そういうところは満員だったりする。
遠く離れた施設で、監視の目の行き届かない施設ならば、虐待や不当な扱いを受ける場合がある。子どもは声を上げる能力がないので、訴えることもない。そのまま放置されやすい。この事実を私は知っている。
そういう子どもたちの施設をつくりたいが、難航している。だが、私の子どもたちも、そのことに賛同してくれているので、心強い。
知的障害や発達障害を持っていて、親も育てることが出来なければ、どうなるのだろうか。
そういつ子どもは児童相談所扱いになる。そして、福祉施設に入所することになる。
しかし、そこからその子どもの人生が悲惨な人生になるのか、それとも明るい人生になるのかは、周りの人間の気持ち一つとなる。
児童相談所の人たち、福祉施設の人たち、特別支援学校の先生方の気持ち一つだ。
時にはこいつはダメだと烙印をおされ精神病院へ送られる時もあれば、そこから救われる時もある。
もし、自分の子どもが精神病棟で薬づけとなったとするとどうだろう。しかたないのだろうか。
一方その子どもの個性を受容し、育むことができればその子の人生は救われる。
私は人生が輝いた子供はあまり知らないが、悲惨な人生を送らざるを得ず、闇へ葬り去られた子どもたちを2人ほど知っている。それはきっと明るい人生を送ることが出来たであろう子どもだった。大人たちのエゴと怠慢でそうならざるを得なかった。
あるSNSにその事実を書き込んだが、しばらくするとそのSNSは使えなくなった。
本当のことを入手して書き込んだのだが。
救えない人たちがいる。189や県に伝えてもかなり反応は鈍い。
無力感に襲われる。しかし、希望はある。
しかし、原則はいつ切られても文句は言えない講師たち。
中には次は採用試験を受けようかどうか迷っている人もいるだろう。他の職に変えようと迷っている人もいる。いや、中にはすでに他の職から内定をもらっている人も私は知っている。
さて、講師が多くなると、教育の質は落ちる傾向にある。
その理由は、精神的経済的な安心感に欠く生活を強いられているからだ。
その点、教諭たちは次が保証されているので安心感はある。だから、今の現場で自身の教育活動を計画的に考えることができる。
教諭が多い現場では、管理職も計画的に教育活動を見通すことができる。対して、講師だらけだと来年の計画立てるのも難しい。
学校の中ですべて会計年度職員で賄っている職がいくつかある。
SCやSSWはそうだ。
これらは2回までの更新が許されているので、3回目の更新の時は試験を受けなおさなければならない。
先日、ある自治体のSC採用試験を受けに行ったが、20人募集のところに140人応募していた。これらの中には3回目で、試験を受けなおさなければならなかった人も多くいたはずだ。
このような教育活動の見通しが利かない雇い方が流行っているのが今の日本の教育現場だ。
これでは、不安定な働き方になり、成果が上がらない。
自治体によっては、児童相談所も会計年度職員の採用が多いところがある。非常に繊細で重要な部署であるにも関わらず、残念としかいいようがない。