独自に考えて間違っていたとしても、面白い発想にはそれなりの評価をすべきだろう。
間違った答えから思考を深めることができるが、教科書通りの答えからは思考を深めることは難しい。
教科書に書いてあるから正解で終わる授業は、個性派にとっては退屈な授業だ。
例えば、水をビーカーで熱すると中で対流が起こる。そこへ小さな紙を放り込むと上へ下へと回り始める。そこで教師は「なぜ紙は上へ下へとビーカーの中を回っているのか」と問う。
A君は、「それは対流というものです」と答えた。
B君は「下から泡が出ています、その泡によって上へ押し上げられ、上へあがると泡が消え、また下に落ちていきます」と答えた。
私はB君の答えの方がおもしろいし、それを本当かどうか深めることができ、それこそ科学と思う。
正解を答える子どもは素晴らしいとされる。
教科書に沿わない答えを発言する子どもはいくら面白い発想を持っていても、授業中に相手にされないし評価されない。残念だ。
しかし、教師を責めることは出来ない。
教師自身も教科書通りに育っているのだから。
そして、教師にも忙しくて考える余裕がない。
間違った答えから思考を深めることができるが、教科書通りの答えからは思考を深めることは難しい。
教科書に書いてあるから正解で終わる授業は、個性派にとっては退屈な授業だ。
例えば、水をビーカーで熱すると中で対流が起こる。そこへ小さな紙を放り込むと上へ下へと回り始める。そこで教師は「なぜ紙は上へ下へとビーカーの中を回っているのか」と問う。
A君は、「それは対流というものです」と答えた。
B君は「下から泡が出ています、その泡によって上へ押し上げられ、上へあがると泡が消え、また下に落ちていきます」と答えた。
私はB君の答えの方がおもしろいし、それを本当かどうか深めることができ、それこそ科学と思う。
正解を答える子どもは素晴らしいとされる。
教科書に沿わない答えを発言する子どもはいくら面白い発想を持っていても、授業中に相手にされないし評価されない。残念だ。
しかし、教師を責めることは出来ない。
教師自身も教科書通りに育っているのだから。
そして、教師にも忙しくて考える余裕がない。