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  部活動の練習試合を組むにあたって得た,強豪の法則を記す。
 試合はいくら格下としても強くはならない。同等以上のチームとすると強くなっていく。だが、弱小チームが、強豪チームに練習試合を申し込んでも受け付けてくれない。初めは私もそう思って遠慮していた。しかし、高校は知らないが、中学校では逆だった。 つまり、強いチームほど、練習試合を受け付けてくれるのだ。

 他府県の学校とするときも、強豪がわざわざ遠いとこに来てくれるわけがない、と思いがちだが、きちっと来てくれるのは強豪だ。弱いところには断られる。

 それが分かってからは、面白いほど、強豪に練習しい合いを申し込み、お相手をしていただいた。例えば、部を持って2年目の弱小で礼儀も出来ていないやんちゃチームの時、まったくお初の全国優勝したチームの監督さんに連絡した。すると、是非来て下さいと言われた。そして、生徒たちは試合もし、試合後は監督さんの車で駅まで選手を送っていただいた。その3年後、県のベスト8になった。

 また、全国でも名の知れたプロ選手続出の高校の付属中学校に試合を申し込んだ。隣のその隣の県までがんばって行った。すると次にうちの学校に来てくれた。それも毎年恒例のように来てくれるようになった。そこが来ると、他府県の強豪も是非うちも一緒にやらせてほしいと、連鎖するように強豪ばかりが他府県各地から集まりだした。うちのチームは強豪ほどではなかったが、次第に対等に試合が出来るようになってきた。強豪の中で育ててもらい、生徒の意識も、保護者の御意識も変わった。このその時、県ベスト4になった。

 強豪のおかげで強くしていただいたのだから、こちらも格下のチームと練習試合を設定した。しかし、その時は大会形式にするとか工夫し、チームがだれないようにした。

  





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 困難校のありのまの姿を記しているサイトがある。それは、大阪府門真5中の保護者であったであろう、戸田氏のサイトだ。戸田氏の主義主張は横に置いて、記述されている実態と門真5中生徒を思う誠実なお気持ちに対し、純粋に感銘を受けた。また、当時の5中を広く市民に公開された校長先生にも敬意を表する。サイトの記述は、教員や生徒や保護者の目線から見たものだ。だから、三者の気持ちが的確に出ている。

 ただし、これは2004年の実態である。


それでは

2/10参観:
 
一番酷かった授業崩壊クラスは勉強しようと忍耐の子が半数だけ



6時限目、2年生のあるクラス。在室生徒数男18人、女17人、合計35人で。

 まず廊下で男子生徒が座り込んで騒ぎまくって、女の先生が一生懸命に中に入らせようと奮闘。戸田が立ち寄ったのは授業開始10分後くらいだったが、どうも開始早々からこういう騒動だったらしい。ようやく中に入ったが、教師に向かって悪態のつきまくり。
 この子に限らず、他の子も、参観者という校外の大人が見ていても何ら気にする様子がない。平気で「普段通りの振る舞い」をしている感じ。
 小柄な女性教師が能力豊かな人であるらしいこともこちらには伝わるし、一生懸命に授業をしようとしている熱意と情熱もヒシヒシと感じられる。痛いほどである。

 しかし、席を勝手に移動したり、しゃべりまくったり遊んだりして授業妨害し続けている子が男で6人。女の子は授業妨害とまでは言えないが好き勝手なおしゃべりや化粧をしていたり自分の世界に入って全く授業に参加していない子が5人。
 教科書すら出していない子が、戸田から見えただけでも男5人、女5人。机の中にすら教科書を入れていない子もいる。戸田がここで参観した20分弱の間中、何も出していない机に顔を突っ伏して寝ている女の子もいた。教室内はゴミだらけ。
 クチャクチャとガムを噛んで騒ぐ茶髪の男の子は、ふいに開いている後扉から出て行った。戸田が廊下で問いかけると「保健室に行くんや」と言う。
 少しすると別の男の子が「小便我慢できない」と言って出てすぐ戻る。

 先生は戸田から見たら悲痛なほどの忍耐を持って、騒ぐ子ども達を注意しながらその合間合間に教科書を読ませたり説明をしたりしているが、とてもまともに授業が成立しているとは言えない状況である。
 ざっと見てまじめに勉強しようとしている子が17人、授業に全然参加せず好き勝手にしている子が(授業妨害者数人を含んで)18人、という状態だった。

別のクラスではふつうに授業は成立しているものの、茶髪ピアスの男の子が自由に教室外へ行ったり来たり、教室内では先生の話全く無視でダベッている男子生徒が3~4人。

 勉強しようとしている子の様子もまた、先生に劣らず悲痛な感じがした。2年生の新しいクラスになってからもう何ヶ月も続いているこの状況に堪え忍ぶしかないのだろう、騒ぐ級友に文句も言わず、先生に当てられた時以外は一言も口をきかず、じっと教科書を見つめ先生の声を必死で聞いている。
 勉強しようとしている子にとって、この授業崩壊の時間は拷問と言っても過言ではな い。
 この絶え間ない、そしてクラスとしての一体感のカケラも感じられない騒動の中でとぎれとぎれに聞こえる教師の説明によって「勉強が進む」ことは決してありえないだろうと思われる。

 小学校の時から授業について行けなくなってしまって、中学校になっていよいよどうしようもなくなり騒いだり徘徊したりすることでしか自分の神経を保てなくなった子ども達も気の毒だが、普通に勉強したいのに拷問部屋のような崩壊教室で学力を付ける機会を奪われている子もまた気の毒である。
 両者を分離してそれぞれに教育する試みを学年当初にされたが、隔離教室が維持できなくなり、やむなく「統合」されたという。
 しかし、この両者を一緒の部屋で勉強させようと言うのは、これほどまでに差が開いてしまった以上、土台無理な話ではないだろうか?
 (「両者」とは言っても片方の内部では教育困難度合いについてそれぞれ違うから個別個別対応が必要だが)
  こういう状態で子ども達は2年生を過ごし3年生に送られる。3年でクラス替えがあるとは言え、新しいクラスがうまくいく保障はないし、2年生時代に損なわれたものの取り返しは簡単ではないだろう。

 門真市の教育行政として、本当の意味での学力保障のための必死の努力がなされなければ、門真市の教育困難校(学年・クラス)の子どもの進学など進路選択が大きく損なわれたままになる。

*英語の視聴覚教室授業が3人の男性教師で行なわれている一方、この問題クラスでは女性教師がひとりだけ。2/10は教師の出張が重なって人手不足という事情があるとのことだが(校長先生談話)、このクラスでムリヤリ統合授業をするなら教師3人が必要ではないだろうか。
ホントは20人と15人にでも分けて別々の対応をするべきだと思う。(もしくは20人・7人・個々別とかも)
                                                                                 
 以上


赤で示した戸田氏の対応策は、いわゆる少人数・習熟度別授業に近い。初めの20人は授業が出来る。しかし、後の15人が集まれば、好きなようにさせておもりするなら別だが、2、3人の教師がいても学習を進めることはできない。実際、5中では、授業中徘徊する生徒を一つの教室に入れたが、無法地帯となっていた。だから、最後に示されている(もしくは20人・7人・個々別とかも)のように、すでに徘徊している意識の生徒を学習につかせるには個別対応しか難しい。

私も門真5中のような学校で勤務したが、授業中徘徊する生徒たちを見ていると、学校教育の限界を感じる。その限界を戸田氏も見たような気がする。

次に、2年生保護者有志の教育長への要望書を見てほしい。長いので、一部省略してある。

それでは

 二年の学年主任の先生からは、授業妨害をする生徒達も所属クラスに一緒に入れるべきだとの見解をお聞きしましたが、授業妨害者の生徒達の騒ぎぶり、無軌道ぶりは尋常ではなく、先生は殆どその子らの注意、対応に追われ、まともな授業はできず、あちこちで、絶え間なく起こる騒動の中で、教科書の文字を追いながら、じっと耐えて座っている他にないと言う生徒達は、やりきれない気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。

 普通に勉強しようとするだけで、これほどのストレスを毎日、毎時間強いられると言うのは子ども達の心身面にも悪い影響を与えていると思われます。

 今回私たちは授業を妨害する一部の生徒たちに対しては、別室指導をおねがいしたいと思います。これは決して授業妨害する生徒達への差別でもなければ、授業を受ける権利の侵害でもないと思うのです。

 なぜなら、同一の教室に入っていることは単に形式的な事にすぎず、授業妨害者の子ども達にとっても、実質的には何ら勉学を保障されている状況ではないと思います。言葉は悪いのですが、その子らは単に教室に閉じこめられているだけであり、それによるストレスを授業妨害と言う形で、普通の生徒や教師への加害行為に転化しているのではないでしょうか。

 
                                                     
                                                        2004年2月25日

 私は一市民として、赤字部分に共感する。(黒太字の部分は一部共感)

 授業中徘徊している生徒に声をかける。「授業を頑張れ」。励ましの言葉だ。だが、時々、授業に入るよりどこか空いている教室で、話でも聞いたろか、という気になる。実際そうしたこともある。だが、大半は、今さら形式的に授業に入れてどうなるのか、と疑問を持ちながら、とりあえず入れる。

 教室に入れることが出来たとしても、その生徒を学習に向けることは難しい。授業者側とすれば、教室でおとなしく寝てくれるか、雑誌でも読んでてくれているなら本来的ではないが、まだ良し。いわゆる邪魔をしだすと、注意するのに明け暮れ、外へ出てくれと念じてしまうほどだ。ほとんどの教師が体験する感情だ。

 学校に来て、授業に全く入らず学習しない。するのは妨害だけとなると、学校とはなにか、彼らの学校に来ている意味はなにかと自問してしまう。徘徊する彼らの時間がもったいない。もっと有意義に、もっと力を伸ばせる場所があるのではないかと問う。

 こういう生徒は門真市内に何人いるだろう。2010年現在で、10人、いやもっといるだろうか。そして大坂府下では何人いるだろう。兵庫、京都、奈良も合わせれば、すごい数になるだろう。

 彼らの中にも、自分のしていることに本当は嫌気がさしてきているもの、力関係で仕方なく従っているものがいる。また、とりまく環境を変えることで、大きく変身できるものもいる。その生徒たちを支援する教員配置体制、または特別な教育機関が必要だ。目的は、彼らの本来的な姿をとり戻させ、本当の力を引き出すことにある。それが出来れば、学校に戻ればよいのだ。

 我々教師はすでに崩れの段階とパターンを知っている。1年生に入学してきた生徒が、次第に徘徊する先輩の姿を真似しだす。2年の後半ともなれば、教師への暴言暴力、校舎破壊、授業エスケープ者が組織化し膨れ上がる。学校ではやりたいほうだいだ。ここまでくると、そこから抜け出させることは難しい。すでに、法を犯し自分を見失った行動に出るものもいる。彼らをストップさせるのはパターンとすれば、警察力だ。校内での暴力か、外でのバイク窃盗、暴走行為などで警察にお世話になり初めてストップがかかる。この流れが何年も続いている学校もある。

 夜遅く指導に追われながら、崩れていくパターンにはまり込んでいく生徒を、どうしようもない思いで見ている時、力不足を感じる。学校教育の限界を感じる。我々だけで出来ることと、出来ないことがあるのではないかと。

 今のままでは教師は、教室に入れるという形式的な仕事をしているだけと疑問を持つ。

 このような日本の中学校の現状をほっておいていいのか、と常に思う。みんなは知っているのかと疑問に思う。それぞれの主義主張はあろうが、戸田氏のように学校の実態を如実に知り、憂う市民が多く出てきてほしい。今の学校・教師に対する批判は巷に存在する。しかし、一般的な激情論や昔、我々の時はこうだったと論じられても、的は外れている。今の実態に直接手を触れて初めて分かるものがある。

 市民にはとうてい縁のない巨額の金を振り回して政治をしている人たちに、日々生きることに苦慮している市民やその子どもたちの気持ちが分かるだろうか。疑問だ。街や教育現場からの悲痛な声を吸い上げ、的確な策を打ち出さないと、日本の教師と教育は完全に壊死する。

  今の私が出来ることは、彼らと話が出来るようになること。分かってやること。心配してやること。そして、一年生から、そういう芽のあるものをクラブ活動に入れ、スポーツを好きにさせ、熱中させて卒業まで辞めさせないこと。それだけだ。

 






 

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【習熟度別授業、効果出ない例も 文科省全国調査 朝日3/31 】

 勉強の理解の程度に応じて子どもたちをグループ分けして教える「習熟度別少人数授業」。きめ細かな指導法として各地で導入されているが、勉強が進んでいない子の学力向上につながっていないケースが少なくないことが30日、文部科学省の調査結果でわかった。

 習熟度別授業は各都道府県の3~9割の学校で導入されているが、専門家は「単にクラスを分ければいいというものではない。個々の状態に応じたていねいな指導が必要だ」と指摘している。  

 文科省は、小6、中3を対象に08年4月に実施した全国学力調査をもとに分析。

 算数・数学の成績が下から4分の1だった子どもから、「全授業の4分の3以上で習熟度別少人数指導を受けた」グループと「習熟度別少人数指導を全く受けていない」グループを抽出し、問題をピックアップして正答率を比べた。  

 それによると、習熟度別指導を受けた子の方が、受けていない子より正答率が1ポイント以上高い問題が小学校で14問中5問、中学校では20問中4問あった。ただ、差は最大で3ポイントにとどまり、受けていない子の方が逆に正答率が高い問題も小学校で3問あった。  都道府県ごとにみると、小学校の算数で、習熟度別の実施校の方が正答率が1ポイント以
上高い県が10ある一方で、非実施校の方が1ポイント以上高い県も5あり、それ以外はほとんど差がなかった。

 浅沼茂・東京学芸大教授は「効果が出ている学校を見ると、低学力層

は10人くらいのグループにし、教材や教え方も変えている。子ど

も一人ひとりの性格に合わせて声のかけ方まで工夫している」

と指摘する。

 
文科省の担当者も「効果が出るかどうかは、結局、先生がどういう方法で教え

ているかによるのではないか」と言う。(葉山梢)


   この文科省の担当の無責任な発言に情けなく思い、怒りが出るが、冷静に次を記す。

 


習熟度別授業の成功例と失敗例に出合った。成功するには理由がある。理由は上記の赤で書かれている部分と重なる。

失敗する最大の理由は次の2点だ。

①習熟下位層のグループに生活面の指導が困難な生徒が集まって、授業が出来ない。

②習熟下位層のグループも上位層のグループも、同じ教科書で、同じ進度で授業を行い、同じ評価テストをするため、下位層のグループの生徒に分かりやすい授業を提供できない。
言い方を変えれば、下位グループの生徒が本当に分からないところから学習が出来ない。

                   その解決策。

①を解決するのには、上記の赤の部分でもあるように、下位の層は超少人数にして、さらにティームティーチングを組む。

この時の二人目の教員は、どの教科の教員でもよい。教科指導ではなく、生徒指導という名目なら授業に入れる。
 
②を解決するには、失敗する理由の逆をする。
授業をグループ別に進ませ、テストはグループごとの問題で行う。

特に、下位層のグループは教科書を使う必要はなく、生徒が分からないところからプリント学習で始める。学年の内容を超軽重をつけて教え終える。 

その時、通知表の評価が問題になるが、グループごとに絶対評価で行う。学年の最後に、同一問題で評価テストを行い、それを要録の学年の評価とする。ただし、3年生は私学受験の内申の問題もあるので、2学期に、同一問題で評価テストを行う。

中学校は義務教育であり、指導要領に沿って教えなければならない。しかし、現実を見てほしい。中学1年生でも九九が出来ない、卒業間近にあっても、分数が出来ない。この現実は何を意味しているのか。教育が実をとっていないということだ。

教育の実をとって成功している例がある。私学だ。ある高校では、一年生最初の英語の授業は、「アルファベットをかけるか?」から始まる。もちろん数学は正負の計算からだ。それでいて、地域から高い評価を受ける。公立底辺高校よりはるかに授業は静かで、学校が落ち着いているからだ。

公立中学校も生徒の事を思うなら、実をとるべきだ。教育に多様性があってもよい。特別支援学校が多様で自由な教育を展開している。実をとった教育だ。小、中学校も困難校になれば、特別支援学校の生徒の何百倍も手がかかる。自由で多様な教育は困難校にこそ許されるべきであり、必要だ。



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  都内で会見した川人弁護士によると、教員は平成18年4月、新任教員として市立小に赴任し、2年生の担任(児童数36人)になったが、過重労働やストレスが原因で鬱病(うつびょう)に罹患(りかん)。10月30日に都内の自宅アパートで首つり自殺を図り、病院に搬送されたが意識不明のまま12月16日に死亡した。

 教員は担任業務に加え、深夜にも携帯電話に保護者からの連絡が入るなど対応に追われ、実質的な超過勤務時間は1カ月100時間を超えていたという。鬱病発症後、教員は一時休職するものの8月末には職場復帰し、投薬・通院のかたわら自殺を図る5日前まで業務をこなした。この際、学校側からは副担任をつけるなどの措置はなかったといい、川人弁護士は「教員の過労・ストレスを助長する学校運営があったのではないか」と指摘している。

 川人弁護士は教員が自殺の1週間前に母親へ送ったメールを公開。メールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…つらいことだらけだけど」「泣きそうになる毎日だけど」と、教員の疲弊した心情がつづられていた。

この記事は4年ほど前だが、教員は児童・生徒と向き合う時間が少ない。なぜなら、様々な書類を作成したり、事務処理があったりするからだ。この先生も、4月に赴任してから、計画書などの書類を作成せよと命令されていた。

教員には自由度が必要だが、それがなくなり、代わりに締め付けが来ていることは確かだ。そんな中で、この学校の管理職も実は悲しい締め付け状態にあるのかもしれない。特に都はそうだろう。教育の世界にもかなり、性悪説が入り込んできた。人間への眼差しの基本線がゆがみだした。

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N太は教室に入らない。入っても暴言、暴力で授業にならない。外では、夜中に暴走し、翌日は家に帰らない。担任である私は指導困難な状況を抱えていた。

その日も、私やM先生に手を出し、どのように指導していくべきか迷っていた。もう、一律な指導をやっても意味がないと感じていたので、M先生と話しあい、親に会う前に本人と語ろうと決めた。どこでどう語るのか、2人が考えたのはファミレスだった。そして、N太の携帯に連絡し、車に乗せた。その時、「先生、おれはMやK嫌いやないねん」。私とM先生は、N太のこの言葉が出た瞬間に胸のつっかえが取れ、指導のほとんどは終わったと直感した。

それから、N太は教師に暴力をふるわなくなった。この時から、指導とは何かと深く考えた。考えたことは2つある。

①型にはまった指導。例えば、暴力はすぐ親引き取り、喫煙は親呼び出し。これらは、当然だが、指導する側とされる側の信頼関係があっての話である。まずは親との信頼関係を構築するために入学当初に先手を打つ。

②信頼関係を構築するにあたり大切なのは、指導する側の動機だ。指導は、生徒を抑えて言うことをきかせる、という観点に陥りやすい。しかし、その時は良くても、禍根を残す。つまり、指導になっていないのである。一方、信じて伸ばす、を動機として指導すれば、ゆっくりだが最後に親や生徒から信頼され、良い方へ向かう。

指導とは、生徒を励ますこと。生徒も私も失敗を繰り返す弱い人間。なんとか生きている。

同じ人間として、励ましてやりたい。だが、生徒を励ますといいつつ、実は自分を励ましている。そして、自分を励ましていると言いつつ、真実は、生徒から励まされている。

指導とは、生徒から元気をもらうこと。生徒から教えてもらうこと。N太よ本当にありがとう。


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 困難校と呼ばれるところは、授業に入らず校内を徘徊したり、外で悪さをしたりする指導困難な生徒がいる。それも一人であればよいが、数人、十数人といるところもある。

 教師は対応に追われへとへとになる。一人徘徊しているとそれをほっておけず、授業をしている教師以外の教師がその生徒の指導に付く。これが日常的になると、本来業務である教科指導の準備や行事、部活指導の時間がなくなる。そして、普通に頑張っている生徒たちへの教育がおろそかになる

                       

 教育委員会は、物理的に手が回らないから、その学校の教員たちを正面から責めることはないが、保護者は違う、自分の子どもが、授業妨害の渦中にあったり、危害を加えられそうになると不満を一斉に教師に向ける。これによって、学校側は困難生徒の指導とその他の生徒の指導の板挟みになり、精神的にも肉体的にも無理を強いる体制が始まる。

 年々、特別支援教育を受ける生徒が増えているが、このような指導困難な生徒の中には、支援を要する生徒たちが存在する。ADHD,LDはもちろんのこと、発達障害を持ち合わせた子供たちがいる。このような生徒たちを何とか支援する方法はないのか。

 特別支援学校に行くと、手厚い支援が受けられるが、本人や親がそれを望まない場合が多い。

 教室に入らない生徒たち全員が特別支援対象とは言わないが、それに匹敵する指導困難さがある。だから、教室に入らず徘徊を繰り返す生徒には、一人に付き一人の教員を配置すべきだ。そうでないと正常な教育活動は保障されない。

 

 

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 日米中韓の4か国中、日本の高校生は授業中に居眠りをする割合が最も高く、勉強しない生徒が最も多い――。そんな実態が7日、文部科学省所管の教育研究機関による意識調査で明らかになった。

 調査は財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が昨年夏から秋にかけて、日米中韓の高校生計約6200人を対象に実施した。

 それによると、授業中に「いつもする」「ときどきする」態度として、「居眠り」を選んだ高校生は、日本が45・1%とワースト1位。ついで韓国(32・3%)、米国(20・8%)、中国(4・7%)の順。「積極的に発言する」のは米国(51・0%)、中国(46・2%)、韓国(16・3%)に対し、日本は14・3%にとどまった。

 一方、平日に学校の授業と宿題以外に、まったく勉強しないと答えた高校生は日本は34・3%。米国(24・3%)、韓国(17・5%)、中国(6・8%)より割合が高かった。


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 都教育委員会は8日の定例会で、都立高校定時制課程の入試で今月中に300人分の追加募集をすることを決めた。3月に実施した2次募集で大量の不合格者が出たことに対する緊急救済措置。新年度に入ってから追加募集するのは極めて異例。背景には不況で公立高校の志望者が増えたことがある。
 
 都教委によると、定員を増やすのは10校、各30人ずつ。上級学年には定員の30人に満たない学級があるため、学級を合併するなど再編成して教室や教員を捻出(ねんしゅつ)する。14日か15日に試験をし、月内に新入生として入学する予定。

  3月26日に実施した2次募集には1230人の募集人員に対して1483人が受験。倍率が1・21倍となり、313人の不合格者が出た。昨年度の2次募集では、募集人員1394人に対し、受験者数は1194人。2次募集で倍率が1倍を超えたのは、近年例がないという。
 
 都教委の担当者は「不況などの影響か公立の志望者が多く、全日制の志望者が想定よりも多かった。全日制の不合格者が定時制を受験したのでは。高校授業料の実質無償化による影響もあるかもしれない」と話している。
 
 追加募集するのは小山台▽松原▽大山▽足立▽南葛飾▽葛西南▽総合工科▽荒川商▽第五商▽橘。問い合わせは、月~金の午前9時~午後5時、都立高校入試相談コーナー(03・5320・6755)へ。【田村彰子】
〔都内版〕

4月9日朝刊 

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この季節、4月になると、転勤した同僚から転勤先の情報が入ってくる。また、こちらからも友達に電話して情報を交換する。

その中でも、今年から、タイムカードを導入したある県の情報が面白かった。

タイムカード導入により、今までなら数分や数十分、いや数時間ごまかしがきいていた事が、きかなくなったというのだ。だから、春休みだというのに遅刻がなくなった。そして、5時15分にならずに学校を出ることもなくなったという。

しかし、教員という特殊な仕事ゆえに、厄介なことも起きているという。

4月1日、友人は、転勤したので午前中に顔合わせがあり、午後からは何も仕事がなかった。担当学年も、担当学級も決定していないので、仕事のしようがなかったというのだ。普通なら、適当にごまかして帰宅するか、まじめに年休をとって帰る。しかし、転勤してきた14人の教師は、年休をとらずにじっと職員室で5時15分まで待ったというのだ。

理由は、年休を頻繁にとると、これから休みたいときに休めなくなるからだ。

これからは、長期休業中に年休を消化する教員が増えることだろう。今までは、一般企業のサラリーマンには悪いが、長期休業中は適当に遅く来て、早く帰っていた。しかし、昨今、タイムカード制にならずとも、管理職は適当な勤務状況を見逃さないようになってきた。私は、それが普通だと思う。

だが、これだけは押さえておきたい。学校の校種やその勤務校によってかなりオーバーワークをしている教員たちがいることだ。また、逆に、楽な勤務形態の中で働ける学校や教員たちもいる。

これをどう文科省なりが理解し、賃金体系に反映させるかだ。


 

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進学校といっても上から下まである。公立高校の並みの進学校であれば、入塾せずともいける。公立の入試問題は、中学校の授業を理解していれば解けるからだ。

しかし、私学や国立のいわゆる東大・京大に数十人単位で合格させている超進学校や公立でも中高一貫校は、入塾して学ばないと行けない。入試問題が解けないからだ。
(ここで塾とは、超進学校に実績をもつ塾をいう)

超進学校の入試問題は、量が多いのと、難問が含まれているため、教科書を学習するだけの学校の授業では解けない。

解答を早く正確に導くパターンが必要になる。そのために次の定理や公式を使いこなす力がいる。

例えば数学の図形では、
角の二等分線、チェバ、メネラウス、スチュワード、中線定理。
三角形の内接円、外接円の半径を求める公式、ヘロンの公式なども使えるようにしたい。
空間でも、正四面体の体積=√2/12×1辺の3乗、まで覚えて試験場に臨みたい。
その他、円錐の側面の中心角=母線÷底面の半径×360°など、高速算出法もちろんのこと、様々な解法のコツをつかんでおく必要がある。

だから、関西圏では、灘、甲陽、教大付属、東大寺、洛南、洛星など、受験対策には塾が必要になる。


 

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この2週間ほど、大変忙しかった。

ようやく新年度の準備が、80パーセントほど出来た。後は新年度になってからの勝負だ。

春と言うのに、霰(あられ)か氷(ひょう)かどちらか知らないが、ぱらぱらと降っている。

異次元の世界に誘うように降り続けている。


新年度への不安はある。そういえば、教え子から手紙が来ていた。

4月より、新採で小学校に赴任するという。この人に教えられるなら、いいだろうな。

すがすがしい生徒だった。 今、彼女はどんな心境だろう。やはり不安か。それとも期待で胸いっぱいか。


最近、新任の若い先生を見ると、うらやましくなる。若さでみなぎっているからだ。その陰に希望が見えるからだ。

私は新任の先生からどう見られているのだろうか。それを考えると…、いや、それは考えまい。

この歳になると、いろいろ思い出す時がある。例えば、以前に赴任した学校の校長室の扉を見ても、「おれはこの学校ですごいことをしてきたなぁ」と魂の奥からうなずく時がある。 また、川のそばの料亭を通ると、「ああ、ここで体育大会の打ち上げをした」と、その時のあの人の顔が浮かび、以前にも増して感謝の思いが深まる。

不思議だ。当時は、たわいもないことだったり、ただひたすらやっていたことが、今、すごく大きなことに感じる。

さて、新年度はもうすぐだ。まずは、構えからだ。






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卒業式でもめる。式次第、国旗・国歌の扱い方、答辞や送辞の内容、証書を一人ひとりに渡すのか、代表だけか、式歌は何を歌う。

国歌や国旗でもめる学校がある。その論争は、生徒にとって重要ではない。

一番大切なのは答辞だ。なぜなら、主役である卒業生たちが、最後に伝える言葉だからだ。式は格調高いものでなければならない。しかし、形式にとらわれると、みんなの心の中心に共振しないまま終わる。


心の中心を射抜く答辞を毎年行っている学校がある。手作りだ。出来なかったこと、情けなかったこと、すべてあからさまに出す。だから、後輩たちに託す言葉も切実だ。

感謝も文面以上に、すでに式場の彼らの姿で分かる。

みんなの心の深くに、大切なものが刻印される卒業式をつくるのは我々だ。

 

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昨年度まで週3時間だった中1の数学を、今年度から週4時間にした。これで、かなり基礎をたたき込めた。1年たってみると、昨年度の生徒より、実力が付いているのが分かる。

しかし、週4時間になったが、教える量も増えた。だから、あれもこれもと教えていると、結局深みがなく、力がつかない。週4時間を有効に使うとなると、教材の精選と重点化が必要だ。

今年度は、どこを重点化したかと言うと、計算力だ。県の統一テストの中の計算問題では、5段階評価で3の生徒の95%が、満点だった。逆に、新しく導入された、資料の整理などは軽く流したので、3年生の入試前に適度の復習が必要だ。

たかだか、週1時間増だったが、得たものは大きかった。さて、これからもうひと踏ん張りして、2年生では、飛躍的におもしろい数学の世界へ入ろうと思った。が、2年生は週3時間となる。これでまた、考えることが多くなった。

 



 

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今春卒業予定の大学生の就職内定率(2月1日時点)は80.0%で、前年同期を6.3ポイント下回り、比較可能な2000年以降で最悪となった。高校生(1月末時点)も81.1%と6.4ポイント低下し、1988年以降で6番目に低い水準。ともに悪化は2年連続で、下げ幅は大学生が2番目、高校生が過去最大だった。

 
 前年比の低下幅は2カ月前の前回調査(大学生が7.4ポイント、高校生が9.9ポイント)に比べ縮小したが、卒業を目前に控えた段階で5人に1人が就職先を決められない厳しい状況が示された。

 
 大学生の内定率は、文系が78.7%で前年同期比7.3ポイントも低下。一方、不況に強いとされる理系は86.2%で、落ち込みは1.9ポイントにとどまった。学校種別では、国公立大が3.3ポイント低下の86.9%だったのに対し、私立大は7.5ポイント低下の77.6%と大きな開きが出ている。

 
 地域別に見ると、最高は関東地区の82.6%(6.0ポイント低下)で、最低は九州地区の75.2%(8.1ポイント低下)。低下幅が大きいのは中部地区で、10.7ポイント低下の77.3%だった。 


以上、共同新聞からの抜粋だ。

私立文系は不況に弱く,理系は強い。しかし、高校生の選択は文系に集中する。それは数学が難しいからだ。最近新聞に載っている、国立大学2次の入試を見れば、理系希望から撤退したくなる気持ちは分かる。しかし、数学は難しいが、極めておもしろい教科だ。それを嫌いにさせる原因は、我々教師側にある。

数学の授業は授業時間が限られている加減で、生徒をとにかくだまして結論へと持っていこうとする。要するに、「こうなるんだ」の連発だ。  

東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生が書いた「直感でわかる数学」は、数学が嫌いになる理由を見事に言い当てている。自分の高校時代の気持ちを代弁してくれていて、すっきりする。

例えば、高校の教科書にある「原始関数」についての説明を、「うまく誘導し、積分を教える準備が出来たつもりになっているのであろうが、教わるほうからみれば、まったく逆である。なにか、まんまとハメられたような疑念がわき、意味不明の概念を丸飲みさせられる気色悪さを感じる。」と批評する。「その通り」と思わず叫びたくなった。

さらに、教師側にとって、次のくだりは図星だ。「教師は、AならB、BならC、CならD、というように一直線な教え方をする。しかし、本当はAならばBとはいかず、B´かもしれない、Pかも、Kかもしれないと考えるのが普通だ。実は裏でこっそりD-C-B-Aと逆に組み立てて論理のつながりが確認できたところでひっくり返している。」と明かす。静かにうなづかざるを得なかった。

ある卒業生に、就職を考えて、高校では理系に進めと言った。しかし、なんとその学校の教育課程に、数Ⅲ、数Cがなかった。数学は高校にも敬遠されている悲しい存在だ。

そこで、中学校の数学の授業時間数を増やす策を講じたい。新指導要領では、中学1、3年は週4だが、中学2年は週3になている。中学1年で基礎をたたきこみ、いざ、中学2年で盛り上げていこうとする矢先の1時間減は、数学への興味を減速させる。是非、他の教科を減じても数学を4.4.4にしたい。(他の教科とは総合だ。中途半端な教科はは生徒に中途半端な時間帯をもたらす。あるいは、学校選択で数学を選択する)

授業数を確保することにより、「こうなるんだ」の連発から、「こうだから、そうなっていくよ」へと移行できる。生徒の数学への興味が、減速から等速または加速へと転じ、理系撤退者が減る。







 

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 「誰のために勉強しているんだ、いい加減にしろ」と、私の声が教室に響いた。以前、私の学級のほとんどの教科が授業中に騒がしくなった時があった。私はあせり、生徒に声を荒げた。しかし、やがて日を追うごとに、私への反発の空気が漂い始めた。そして、毎日遅くまで、授業準備や生徒指導で頑張っているのに、なぜ生徒たちは分かってくれないのか、と生徒たちに怒りがまた込み上げてきた。

 だが、学級がそうなる原因は自分にあった事が分かってきた。 苦悩の中、先輩教師に相談した。「君は生徒たちと向き合っていないのと違うか」と言われた。最初は、先輩の言葉に反発を感じた。これほど生徒の事を思っている教師はいないと。しかし、アドバイスは的を射ていた。

 自らを省みた。学級が騒がしくなると、力量不足と見られるかもしれないと怖れ、生徒を怒っていた。つまり、私の怒りは、周りの評価を気にし、担任としての立場を守るための怒りだった。まさしく、生徒に向き合うのではなく、周りの教師や保護者の目と向き合っていた。

 生徒は私の言動の奥にある心の中を見透かしていた。それ以来、「なぜ、何のために私はそれをしたいのか」を自らに問い返すことを日課とした。今後も同様に、周りの目と向き合うのではなく、生徒たちと向き合う。  
 

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公立教員の教科指導の力は、塾や予備校のノウハウを取り入れることにより向上する

以前、駿台予備校の講師募集に電話で問い合わせたたことがある。中学校受験の指導講師である。結果は現職教員は話にならないようで、断られた。理由は、ズバリ、中学入試問題が解けないからと言われた。頭に来たが、実際、入試問題を見て、さらに頭にきた。難しい。

まあ、冷やかしと、世の中調査のつもりで電話したが、公立教員としての高い鼻(本当は低い鼻かもしれない)はへし折られた。

実は、学校の授業は、教員でなくとも誰でも出来る。指導書の通りに教えればよい。板書もテキストに載っているように書けばカッコはつく。しかし、「分かる授業」や「興味が持てる授業」となると、教員としての経験と研究が必要だ。

さらに受験の教科指導となると、塾や予備校のノウハウが必要だ。ただし、ここでは、塾といっても、進学実績のある有名塾を言う。

昨日、ある県の公立高校入学試験が行われた。それを解いてみた。あの量を制限時間で解くとなると、かなりの解答スピードがいる。

学校の授業では、そのスピードは養成されない。なぜなら、授業時間数が、教科書を教えるのに必要なだけしか設定されていないからだ。さらに問題点は、公立教員が解答スピードを速くするノウハウを知らないということだ

さりげなく、同じ教科の先生に、そのノウハウを持ち合わせているかどうかを問うてみた。私は、未だに知っている先生に出会ったことがない。実は私も若き頃知らなかった。どこから取り入れたかというと、ある塾に通う生徒との会話からだ。彼は、私も知らないスピーディーな解法を知っていた。

それから、塾の教師が作る受験雑誌を購読し、研究を始めた。その雑誌からとった教材を授業で使っていたら、知らぬ間に地域の学校に広まっていた。塾の力は強力だった。

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やはり、この年になって教師人生振り返れば、厳しい環境の時が一番思い出に残っている。楽な環境の時は、一応思いでにのこるが、不完全燃焼感が強い。

やはり、しんどいことをするのが人生の最高の妙味。
困難校こそ、教師冥利に尽きる。



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日経BP社「面接官の本音」を読んだ。
「なるほど」と思わせる箇所があった。

 入社試験の1次面接で行う集団面接は、たくさん質問された学生が合格するとは限らない?

 それは、「2次面接に進む人を選ぶ」という1次面接の性質にある。
つまり、内定となることは絶対にないとはっきり分かる学生や、内定するに必要な条件を備えていると分かる学生に、質問している時間はないということである。それよりも、合格に値するか判断に迷う学生に質問は飛ぶ、ということである。
 

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  学校は、講師が多くなれば教育の質は落ちる。なぜなら、講師たちは教育に対して気概があっても、将来に迷いがある。あえて言うならば、講師たちは教職を天職と考えるが、正式に教職に就いているわけではなく、採用試験を控えている受験生の身分だからだ。

 受験生ならば、試験が近づけばそっちの方に気がとられるのは当然だ。また、周りの教師たちも気遣いをし、あまり仕事を回さないように配慮する。そんな講師たちが学校に1人や2人であればよいが、5分の1、4分の1と増えだすと、仕事は教諭に集中しだす。そこから悪循環という魔物が動きだす。

 私学も公立も財政難という事情は分かるが、教諭をどっしりと職員室に据えた体制を作りたい。そのために次の提案をする。

 ①高・特支教員の給与を小・中と同額に引き下げる。
 ②教員全体の給与をさらに5%減ずる。

 講師については
 ①私学なら教諭への採用を前提とした採用とする。
 ②公立なら常勤講師3年以上の経験者を採用試験で小論、面接、講師実績のみで採用する。
 ③優秀な実践向き退職教員を積極的に講師に採用する。(元管理職でも上から目線の動かない者
   は別)  

    

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 最近の採用試験は指導要領などから出題されている。専門教養の試験にも出てくる。もちろん面接試験にも出てくる。
 しかし、指導要領を丸暗記し採用された教師たちが直面するのは、指導要領無視の教育現場である。管理職さえもそれは放任している現実がある。
 都道府県の委員会が指導要領を出題するのなら、現場への指導を徹底すべきだ。なぜなら、指導要領を無視した職員たちによって新任教師は育てられ、それが当たり前のように身に付いていくからだ。
 新任研修をやるのもいいが、それを生かせるような職場環境を作るべきだ。

詳しく書くと特定されるので書けないのが残念だ。

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 大学生の時、県営球場で高校野球夏の地区予選を見た。

 町の商業高校と田舎の農業高校の試合だった。商業高校の応援はブラスバンド、一方、農業高校の応援は補欠部員らしき高校生が3人だった。その3人の声が私を圧倒した。スタンドから仲間たちに送る3人の声援が途切れない。試合を見つめる真剣な眼差しは一瞬たりともグランドからズレることがない。そして、試合終了後声援は途切れ、微かに下を向きながら3人は去って行った。

 試合内容は忘れたが、あの野球部員たちの行動は鮮明な印象として残っている。あのような野球部を作りたいと心に響いた。

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  文科省の「教職員懲戒処分等状況調査」の結果による、精神性疾患のため休職した公立学校教員は、2003年度が3,194人、 2004年度が3,559人、2005年度が4,178人、2006年度が4,6752008年度が5400人で、調査のたびに過去最高を更新している。
 
   校長や教頭などの管理職を取り巻く状況も深刻だ。先の人事行政状況調査によると、管理職の希望降任制度を設けている
59都道府県・政令指定都市教委の中で、校長や教頭から「希望降任」した者は、2003年度66人、2004年度81人、2005年度71人、2006年度84人、2007年度106人と増加傾向を見せている。また、2007年度の106人のうち70人が「教頭から教諭へ」の希望降任だった。校長と一般教員の間で板挟みになりやすい教頭の環境の厳しさがうかがわれる。

 正式採用に至らなかった新採教員の人数、採用者全体に占める割合の推移を見ると、
2003年度が111人(0.61%)、2004年度が191人(0.98%)、2005年度が209人(1.00%)、2006年度が295人(1.36%)、2007年度が301人(1.38%)で、人数、割合ともに年々増加している。2008年度は315
 
 増加の原因は、依願退職者が増えているためだが、そのなかで注目されるのが「病気」を理由に依願退職する新採教員の急増だ。「病気」を理由に依願退職した新採教員は、
2003年度が10人、2004年度が61人、2005年度が65人、2006年度が84人と増え続け、ついに2008年度は103人となり100人を突破した。
 
99年から始まった一連の教育改革はグローバリズム経済の浸透によって、我が国の企業に盛んに導入された「成果主義」に似ている。我々教師はこの「成果主義」の落とし穴にハマった。
最近は発刊された高橋圭子著「calling」の中に「成果主義を一因とする様々な問題が明らかになってきています。たとえば、社員同士の絆が切れ、かつての日本企業にあった相互信頼や人を育てる力、総合力といった良さが大きく損なわれてきたことが指摘されています。その影響もあって、様々なストレスからくるうつ病など心の病が増加し、自殺者は11年続けて3万人を超え、日本のおよそ40人に1人が精神疾患を患い、その数は年を追うごとに増え続ける傾向にあるとされています。」と成果主義の落とし穴にハマった日本の姿が記されている。
さらに「いつの間にか私たちの内に浸透してゆくのは、成果・結果こそ“主”であり、人間はあくまでそのための“従”に過ぎないという見方です。」とある。今の教師の真相に当たる言葉だ。教師は学力向上を目指し、数値目標を掲げ努力し成果を評価し合う。教育の“主”は本来生徒である。しかし、「成果主義」の下では生徒は数値目標達成のための道具と化し、“従”となっている。
ところで、我々はもともと教師になろうとした理由は何であったのか。少なくとも私は、生徒の学力を何%上げるという目標達成のために教師になろうとしたのではない。様々なことを乗り越え、いきいきと輝いて生きていく生徒をつくるために教師になった。不登校の生徒、荒れる生徒、悩んでいる生徒の傍らを歩いていたいと思うのである。
 
新任教師たちはこの大変な教育の世界によくぞ飛び込んできたと思う。志ある青年たちと見る。しかし、今の学校にはその志を継続させる力はない。数値目標を立て、学力向上を唱える教師集団に、人間を育てる目線は生まれてこないからである。
 
 

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早稲田大学の油布佐和子教授らの研究グループ「教職の専門性と教師文化に関する研究会(PACT)」の調査によると、校長の権限強化や教育評価制度の導入など学校現場の制度改革が進む中、組織に適合することでやりがいを感じる教師が増加しているという。油布教授は「考え、行動する教師」の育成が重要だと指摘する。…
 
これは1月25日の日本経済新聞に掲載されたものであるが、要約したものが以下である。
 
本調査は教育改革が始まる以前の95年、改革幕開けの時期である99年、制度改革が一応の決着を見た現在を比較することで、一連の教育改革が教職と教師の仕事にどのような変革をもたらしたのかを明らかにした。
調査からは、この15年間で「組織としての学校」への転換と、教師の側のそれへの積極的な適応という傾向が明らかになった。
 
つまり、学校は鍋ぶた組織型から、校長の権限の拡大や組織マネジメントの考え方を導入することが求められてきた結果。「学校目標は、伝統的に決まっている」という学校はこの15年間で減少した(小学校45.5%→20.8%、中学校45.5%→35.0%)。「職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する」学校は増加した(小学校40.0%→58.4%、中学校60.6%→81.8%)。運営も学校目標や経営方針を論じるのではなく、行事計画の打ち合わせに重点が置かれるようになった。
 
また、「毎日が忙しい」という項目に「あてはまる」「ややあてはまる」と回答する教師が、3時点のいずれでも95%以上になった。「慢性的に疲れを感じる」教師も85%前後存在し、教師の仕事負担感は15年間改善させることなく続いていることが明らかになった。
 
しかし、興味深いことは「教師になってよかった」と思う教師が微増し(小学校85.7%→89.3%→93.5%、中学校84.7%→85.7%→90.7%)、「やりがいがある」と回答する教師も、09年調査では95%を超え、過去の2時点を上回ったことである。
 
「やりがいがある」と回答する教師には、ある一定の傾向を見出すことができた。彼らは「子供の人格のあらゆる側面にかかわる」ことや「生徒に自分の体験談や人生観を話す」ことは少なく、「学級作り」といった側面にも大きな関心を払わないが、学校の役割は学力向上にあると強く認識しているのである。
 

ここで私見を述べる。

  彼らが、学校の役割を下線部のように認識し続けるならば、一時的に「やりがい」を得ても、自己矛盾の壁に突き当たる。
   
    ここに一冊の高等学校野球部の部員向け冊子がある。この高校は以前甲子園に出た県の強豪だ。最初の1ページ目には部の目的が記してある。「甲子園出場」ではなかった。「人格形成」と記してあるだけだ。次のページに初めて目標の一つに「甲子園」と出てくる。いかに甲子園に出た部でも、目的は人を育てることである。

  我々教員は人を育むために存在している。人を育むとは人の心を育むことである。その基礎の上に立って初めて学力伸長だ。教師も生徒も、喜びや悲しみを感じる自己の心を差し置いて、基礎学力何%向上などが目的なっている教育活動には矛盾を感じる時が来る。
 
   
要約の続き…


   同僚関係も変化してきた。「同僚と学校を離れてもインフォーマルに付き合う」といった「日常的な交流」や、「同僚と教育観や教育方針について話し合う」といった教師同士の「実践的交流」は減少し、互いの授業を見たり、指導に意見を述べたりするような「組織成員としての交流」に変化した。
 
教職の改革は今世紀に入って急速に進み、教員評価制度の導入や、指導が不適切な教員への人事管理システムの導入など、教職の養成・採用・研修のあらゆる側面に及んだ。さらに、職員会議の法的根拠の明確化、主幹教諭の配置など、学校組織運営体制が再編され、教師の日常的教育活動を規定する領域が大きく変容した。調査結果はこうした改革が学校現場や教師の仕事に浸透していることを示している。
 
学校が目的を絞り短期的なアウトプットを目指して編成された組織に変わることで、教師は、指導効果の表れの「不確定さ」からくる不安から免れるようになった。
 
しかし、これは手放しに歓迎できない。つまり、判断や決定を組織の上位に委ね、自ら教育の在り方を構想できない末端技術者としての教師の増加を意味しているからである。
 
子供の実態に向き合あっている教師同士が、互いに状況を共有し議論を重ね、社会・時代の変化に敏感でありつつ、広い意味での文化伝達の役割を担うということが必要であり、そのために「考え、行動する教師」の育成と学校現場での条件整備が求められる。
 
以上
 
さすがにしっかり調査を行いデータから実相を分析していると評価できる。次のデータとの検証を願いたい。
 
 うつ病などの精神性疾患で2008年度に休職した全国の公立学校教員は、前年度より405人増え、5000人を超えたことが25日、文部科学省のまとめで分かった。
 心の病などによる休職者は16年連続増で、1979年度に調査が始まってから過去最悪となった。
 調査対象は公立の小中高校などの教員91万5945人で、8578人が病気で休職していた。このうち、精神疾患が理由の休職は5400人で、病気休職の6割を占めた。03年度から4年連続で2ケタのパーセンテージだった伸び率は鈍化傾向にあるが、それでも数百人規模で増えていることに同省は危機感を強めている。昨年10月に同省がまとめた抽出調査では、うつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍に上っていた。
 

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  早稲田大学の油布佐和子教授らの研究グループ「教職の専門性と教師文化に関する研究会(PACT)」の調査によると、校長の権限強化や教育評価制度の導入など学校現場の制度改革が進む中、組織に適合することでやりがいを感じる教師が増加しているという。油布教授は「考え、行動する教師」の育成が重要だと指摘する。…
 
  これは1月25日の日本経済新聞に掲載されたものであるが、要約したものが以下である。
 
  本調査は教育改革が始まる以前の95年、改革幕開けの時期である99年、制度改革が一応の決着を見た現在を比較することで、一連の教育改革が教職と教師の仕事にどのような変革をもたらしたのかを明らかにした。調査からは、この15年間で「組織としての学校」への転換と、教師の側のそれへの積極的な適応という傾向が明らかになった。
 
 つまり、学校は鍋ぶた組織型から、校長の権限の拡大や組織マネジメントの考え方を導入することが求められてきた結果。「学校目標は、伝統的に決まっている」という学校はこの15年間で減少した(小学校45.5%→20.8%、中学校45.5%→35.0%)。「職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する」学校は増加した(小学校40.0%→58.4%、中学校60.6%→81.8%)。運営も学校目標や経営方針を論じるのではなく、行事計画の打ち合わせに重点が置かれるようになった。また、「毎日が忙しい」という項目に「あてはまる」「ややあてはまる」と回答する教師が、3時点のいずれでも95%以上になった。「慢性的に疲れを感じる」教師も85%前後存在し、教師の仕事負担感は15年間改善させることなく続いていることが明らかになった。 
  
  しかし、興味深いことは「教師になってよかった」と思う教師が微増し(小学校85.7%→89.3%→93.5%、中学校84.7%→85.7%→90.7%)、「やりがいがある」と回答する教師も、09年調査では95%を超え、過去の2時点を上回ったことである。 「やりがいがある」と回答する教師には、ある一定の傾向を見出すことができた。

  彼らは「子供の人格のあらゆる側面にかかわる」ことや「生徒に自分の体験談や人生観を話す」ことは少なく、「学級作り」といった側面にも大きな関心を払わないが、学校の役割は学力向上にあると強く認識しているのである。

 
まだ要約は続くが、長いのでここで時間を頂くとする。しかし、下線部のような認識の教師が増えると学校も何か学力の商業化してきたかなという感がある。教師としてのやりがいは今も感じているが、面白くない職場になってきたと痛感している。まあ論は後ほどとし、あすのために休養をとる。

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 下記は日本医師会の准看護師に対する見解である。要するに准看護師養成の停止による弊害を記したものだが、准看護師制度は廃止されることはないと思われる。
 
 しかし、准看護師は今後減少する。それは看護大学の増設、さらにはより専門的な認定看護師(現在までに3000人はいると推測される)、専門看護師の養成(平成20年4月現在の教育機関は34大学院102課程、現在451名排出した。)など高度な専門性を持った看護師を作り出すことに尽力し、看護師のさらに下に位置する准看護師養成機関及び人数は減少または停止するとことろが増えているからだ。
 
 それでも尚且つ下記に示されているように、高齢化に伴い、介護施設、病院の看護の担い手は不足する。従って今後は看護師も2極化すると思われる。高度な専門性を必要とするものと従来の看護または介護に近い形に位置するものに分かれていくだろう。

 准看護師養成については、俗的にいえば不人気、時代遅れというイメージはぬぐえない。しかし、なくなることはないという観点から言えば養成所を作り人材を輩出すべきだ。志はあるが看護学校には行く学力がなく、経済的にも負担が掛かり過ぎるという人たちに対して開かれた看護への大きな道である。

 准看護師学校をぜひとも作りたいものだ。


 
                        医師会の見解 
 

 高齢化は今後も進展し、75歳以上の後期高齢者人口は2029年まで増加すると予想されています。75歳を過ぎると虚弱・痴呆・寝たきりになる可能性が急激に高くなることから、看護・介護を必要とする方はますます増えるでしょう。一方、少子化も加速していることから、看護学校へ進む新卒者も減少し、看護の担い手不足に更に拍車がかかることが懸念されます。

 このような状況に対応するには、社会人や家庭に入った方に活躍していただくのが現実的です。2年間という教育期間である准看護師養成所は、これらの方が新たに看護の道を志す場合に、最も学びやすいのではないかと考えます。実際に准看護師養成所に入学される社会人は増えており、また大変熱心に勉強されています。平成14年にはカリキュラムが改正され、より充実した教育内容になっており、また准看護師から看護師になるコースもあります。現在看護師として働いている方の半数程度は、准看護師を経た方と考えられます。

 さて、この看護職員不足は日本だけではなく、世界的な問題でもあります。中でもイギリスは深刻で、南アフリカ等からの外国人看護師に依存しているような状況です。反対に、国費を投じて養成した看護師を高い賃金によって引き抜かれる南アフリカ等は、自国の看護職員不足に悩まされているのです。イギリスには、日本の准看護師制度と同じ制度がありましたが、数年前に廃止しており、それがこの深刻な看護職員不足の1つの要因であることに間違いはないでしょう。日本も決して対岸の火事ではありません。現に、フィリピンは外貨獲得等の目的で、日本に看護・介護職員を派遣しようと攻勢をかけてきました。

 もし准看護師がいなくなれば、イギリスと同じ状況に陥ることは明らかです。お年寄りは、外国人の看護・介護職員の手で、果たして安心して十分なケアを受けられるでしょうか。十分なコミュニケーションが取れなければ、看護や介護は成り立ちません。自国の看護職員は自国で養成するのが当たり前ではないでしょうか。イギリスの轍を踏まないために、今後とも地域医療を支えるパートナーである准看護師を養成する必要があります。

 准看護師は誇り高き立派な職業です。准看護師の養成停止を主張する人たちもいますが、病める患者さんの看護をしたいという優しい気持ちを持った人が、看護職員になるための道は、たくさんあってもよいのではないでしょうか。確かに看護師になる道として考えるならば多少遠回りかもしれませんが、段階を踏まなければ看護師になれなかった方も大勢いるのです。

 准看護師制度へのご理解をお願いします。

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