公立学校の真実
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困難校のありのまの姿を記しているサイトがある。それは、大阪府門真5中の保護者であったであろう、戸田氏のサイトだ。戸田氏の主義主張は横に置いて、記述されている実態と門真5中生徒を思う誠実なお気持ちに対し、純粋に感銘を受けた。また、当時の5中を広く市民に公開された校長先生にも敬意を表する。サイトの記述は、教員や生徒や保護者の目線から見たものだ。だから、三者の気持ちが的確に出ている。
ただし、これは2004年の実態である。
それでは
2/10参観:
一番酷かった授業崩壊クラスは勉強しようと忍耐の子が半数だけ
6時限目、2年生のあるクラス。在室生徒数男18人、女17人、合計35人で。
まず廊下で男子生徒が座り込んで騒ぎまくって、女の先生が一生懸命に中に入らせようと奮闘。戸田が立ち寄ったのは授業開始10分後くらいだったが、どうも開始早々からこういう騒動だったらしい。ようやく中に入ったが、教師に向かって悪態のつきまくり。
この子に限らず、他の子も、参観者という校外の大人が見ていても何ら気にする様子がない。平気で「普段通りの振る舞い」をしている感じ。
小柄な女性教師が能力豊かな人であるらしいこともこちらには伝わるし、一生懸命に授業をしようとしている熱意と情熱もヒシヒシと感じられる。痛いほどである。
しかし、席を勝手に移動したり、しゃべりまくったり遊んだりして授業妨害し続けている子が男で6人。女の子は授業妨害とまでは言えないが好き勝手なおしゃべりや化粧をしていたり自分の世界に入って全く授業に参加していない子が5人。
教科書すら出していない子が、戸田から見えただけでも男5人、女5人。机の中にすら教科書を入れていない子もいる。戸田がここで参観した20分弱の間中、何も出していない机に顔を突っ伏して寝ている女の子もいた。教室内はゴミだらけ。
クチャクチャとガムを噛んで騒ぐ茶髪の男の子は、ふいに開いている後扉から出て行った。戸田が廊下で問いかけると「保健室に行くんや」と言う。
少しすると別の男の子が「小便我慢できない」と言って出てすぐ戻る。
先生は戸田から見たら悲痛なほどの忍耐を持って、騒ぐ子ども達を注意しながらその合間合間に教科書を読ませたり説明をしたりしているが、とてもまともに授業が成立しているとは言えない状況である。
ざっと見てまじめに勉強しようとしている子が17人、授業に全然参加せず好き勝手にしている子が(授業妨害者数人を含んで)18人、という状態だった。
別のクラスではふつうに授業は成立しているものの、茶髪ピアスの男の子が自由に教室外へ行ったり来たり、教室内では先生の話全く無視でダベッている男子生徒が3~4人。
勉強しようとしている子の様子もまた、先生に劣らず悲痛な感じがした。2年生の新しいクラスになってからもう何ヶ月も続いているこの状況に堪え忍ぶしかないのだろう、騒ぐ級友に文句も言わず、先生に当てられた時以外は一言も口をきかず、じっと教科書を見つめ先生の声を必死で聞いている。
勉強しようとしている子にとって、この授業崩壊の時間は拷問と言っても過言ではな い。
この絶え間ない、そしてクラスとしての一体感のカケラも感じられない騒動の中でとぎれとぎれに聞こえる教師の説明によって「勉強が進む」ことは決してありえないだろうと思われる。
小学校の時から授業について行けなくなってしまって、中学校になっていよいよどうしようもなくなり騒いだり徘徊したりすることでしか自分の神経を保てなくなった子ども達も気の毒だが、普通に勉強したいのに拷問部屋のような崩壊教室で学力を付ける機会を奪われている子もまた気の毒である。
両者を分離してそれぞれに教育する試みを学年当初にされたが、隔離教室が維持できなくなり、やむなく「統合」されたという。
しかし、この両者を一緒の部屋で勉強させようと言うのは、これほどまでに差が開いてしまった以上、土台無理な話ではないだろうか?
(「両者」とは言っても片方の内部では教育困難度合いについてそれぞれ違うから個別個別対応が必要だが)
こういう状態で子ども達は2年生を過ごし3年生に送られる。3年でクラス替えがあるとは言え、新しいクラスがうまくいく保障はないし、2年生時代に損なわれたものの取り返しは簡単ではないだろう。
門真市の教育行政として、本当の意味での学力保障のための必死の努力がなされなければ、門真市の教育困難校(学年・クラス)の子どもの進学など進路選択が大きく損なわれたままになる。
*英語の視聴覚教室授業が3人の男性教師で行なわれている一方、この問題クラスでは女性教師がひとりだけ。2/10は教師の出張が重なって人手不足という事情があるとのことだが(校長先生談話)、このクラスでムリヤリ統合授業をするなら教師3人が必要ではないだろうか。
ホントは20人と15人にでも分けて別々の対応をするべきだと思う。(もしくは20人・7人・個々別とかも)
以上
赤で示した戸田氏の対応策は、いわゆる少人数・習熟度別授業に近い。初めの20人は授業が出来る。しかし、後の15人が集まれば、好きなようにさせておもりするなら別だが、2、3人の教師がいても学習を進めることはできない。実際、5中では、授業中徘徊する生徒を一つの教室に入れたが、無法地帯となっていた。だから、最後に示されている(もしくは20人・7人・個々別とかも)のように、すでに徘徊している意識の生徒を学習につかせるには個別対応しか難しい。
私も門真5中のような学校で勤務したが、授業中徘徊する生徒たちを見ていると、学校教育の限界を感じる。その限界を戸田氏も見たような気がする。
次に、2年生保護者有志の教育長への要望書を見てほしい。長いので、一部省略してある。
それでは
二年の学年主任の先生からは、授業妨害をする生徒達も所属クラスに一緒に入れるべきだとの見解をお聞きしましたが、授業妨害者の生徒達の騒ぎぶり、無軌道ぶりは尋常ではなく、先生は殆どその子らの注意、対応に追われ、まともな授業はできず、あちこちで、絶え間なく起こる騒動の中で、教科書の文字を追いながら、じっと耐えて座っている他にないと言う生徒達は、やりきれない気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。
普通に勉強しようとするだけで、これほどのストレスを毎日、毎時間強いられると言うのは子ども達の心身面にも悪い影響を与えていると思われます。
今回私たちは授業を妨害する一部の生徒たちに対しては、別室指導をおねがいしたいと思います。これは決して授業妨害する生徒達への差別でもなければ、授業を受ける権利の侵害でもないと思うのです。
なぜなら、同一の教室に入っていることは単に形式的な事にすぎず、授業妨害者の子ども達にとっても、実質的には何ら勉学を保障されている状況ではないと思います。言葉は悪いのですが、その子らは単に教室に閉じこめられているだけであり、それによるストレスを授業妨害と言う形で、普通の生徒や教師への加害行為に転化しているのではないでしょうか。
2004年2月25日
私は一市民として、赤字部分に共感する。(黒太字の部分は一部共感)
授業中徘徊している生徒に声をかける。「授業を頑張れ」。励ましの言葉だ。だが、時々、授業に入るよりどこか空いている教室で、話でも聞いたろか、という気になる。実際そうしたこともある。だが、大半は、今さら形式的に授業に入れてどうなるのか、と疑問を持ちながら、とりあえず入れる。
教室に入れることが出来たとしても、その生徒を学習に向けることは難しい。授業者側とすれば、教室でおとなしく寝てくれるか、雑誌でも読んでてくれているなら本来的ではないが、まだ良し。いわゆる邪魔をしだすと、注意するのに明け暮れ、外へ出てくれと念じてしまうほどだ。ほとんどの教師が体験する感情だ。
学校に来て、授業に全く入らず学習しない。するのは妨害だけとなると、学校とはなにか、彼らの学校に来ている意味はなにかと自問してしまう。徘徊する彼らの時間がもったいない。もっと有意義に、もっと力を伸ばせる場所があるのではないかと問う。
こういう生徒は門真市内に何人いるだろう。2010年現在で、10人、いやもっといるだろうか。そして大坂府下では何人いるだろう。兵庫、京都、奈良も合わせれば、すごい数になるだろう。
彼らの中にも、自分のしていることに本当は嫌気がさしてきているもの、力関係で仕方なく従っているものがいる。また、とりまく環境を変えることで、大きく変身できるものもいる。その生徒たちを支援する教員配置体制、または特別な教育機関が必要だ。目的は、彼らの本来的な姿をとり戻させ、本当の力を引き出すことにある。それが出来れば、学校に戻ればよいのだ。
我々教師はすでに崩れの段階とパターンを知っている。1年生に入学してきた生徒が、次第に徘徊する先輩の姿を真似しだす。2年の後半ともなれば、教師への暴言暴力、校舎破壊、授業エスケープ者が組織化し膨れ上がる。学校ではやりたいほうだいだ。ここまでくると、そこから抜け出させることは難しい。すでに、法を犯し自分を見失った行動に出るものもいる。彼らをストップさせるのはパターンとすれば、警察力だ。校内での暴力か、外でのバイク窃盗、暴走行為などで警察にお世話になり初めてストップがかかる。この流れが何年も続いている学校もある。
夜遅く指導に追われながら、崩れていくパターンにはまり込んでいく生徒を、どうしようもない思いで見ている時、力不足を感じる。学校教育の限界を感じる。我々だけで出来ることと、出来ないことがあるのではないかと。
今のままでは教師は、教室に入れるという形式的な仕事をしているだけと疑問を持つ。
このような日本の中学校の現状をほっておいていいのか、と常に思う。みんなは知っているのかと疑問に思う。それぞれの主義主張はあろうが、戸田氏のように学校の実態を如実に知り、憂う市民が多く出てきてほしい。今の学校・教師に対する批判は巷に存在する。しかし、一般的な激情論や昔、我々の時はこうだったと論じられても、的は外れている。今の実態に直接手を触れて初めて分かるものがある。
市民にはとうてい縁のない巨額の金を振り回して政治をしている人たちに、日々生きることに苦慮している市民やその子どもたちの気持ちが分かるだろうか。疑問だ。街や教育現場からの悲痛な声を吸い上げ、的確な策を打ち出さないと、日本の教師と教育は完全に壊死する。
今の私が出来ることは、彼らと話が出来るようになること。分かってやること。心配してやること。そして、一年生から、そういう芽のあるものをクラブ活動に入れ、スポーツを好きにさせ、熱中させて卒業まで辞めさせないこと。それだけだ。
無題
無題
なんか、共感できないな!?
無題