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親友の校長が言った。「教頭の時は、最後は校長が責任をとってくれるので、重圧はなかったが、今は決断するのが怖い」と。

彼は、教頭の時代に、上からの様々な要望を難なくこなし、委員会からも期待されてきた。しかし、今は、すべての判断が自分の責任となることに重圧を感じているらしい。


そして、体重も6キロ減ったという。夜が眠れないらしい。そんな障壁を乗り越えながら、日々を生き抜いている中で、ふと「結局、すべての判断は、どう自分を守るかに結びついている。情けない。」と私につぶやいた。

あんなにすごいやつが苦しそうにそう語った。

しかし、私はその時こう思った。俺が校長になったとしても同じだろうと。親友には言わなかったが。彼は、自分の弱さに気づいた。その分、きっと、学校のことを思い、生徒の事を本当に守る判断が出来るに違いないと感じた。

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一般校ではありえないことも特別支援学校では起こりうる。

私は、多くの特別支援学校の教員が熱心に生徒に尽くしている事実を知っている。しかし、一部で、生徒の特異な行動を面白がったり、からかったりすることがあるのも事実だ。

一般校ではそうはいかないが、特別支援では、力関係で教師の方が上になれる。また、特別支援の生徒は、親に学校内であったことをきちんと説明できないことも多い。だから、教師も気をぬくのだ。そこが特別支援の教師の落とし穴となる。

生徒への人権意識が薄くなってしまった教師がいる。しかし、そのような教師は、不思議と自分たちの人権や権利を守るために莫大なエネルギィーをかけている事実がある。

                             

  特別支援学校の高等部に通う、身体に障害がある男子生徒1人に嫌がらせやセクハラ行為をしたとして、滋賀県教委は21日、同校に勤務する男性教諭4人(35~54歳)に対し、停職1か月の懲戒処分とした。

 

 発表によると、41歳の教諭は6月に2回にわたり、生徒が嫌がっていたにもかかわらず、給食のスープやおかずに私物の唐辛子を振りかけた。54歳の教諭は同月、「先生が歯医者さんになってあげよう」などと言って、マット運動であおむけになっていた生徒にまたがり、前歯にペンチを1、2秒当てた。

 また、35歳と47歳の教諭2人も同中旬、マット運動中の生徒に、それぞれ足で下半身を触るなどした。

 生徒の保護者から学校に連絡があり、発覚した。調査に対し、4人は「生徒の緊張状態をほぐしたいと思った」「コミュニケーションの一環だった」などと釈明しているという。

 県教委は校長ら上司3人も訓告処分とした。末松史彦教育長は「第三者を交えた検証チームを設置し、原因究明と再発防止に全力を挙げる」と謝罪した。

 今回の処分について、4人のうち41歳の教諭は21日午後、県庁で記者会見。県人事委員会に不服申し立てを行う方針を明らかにするとともに、「行為自体は深く反省しているが、教育活動の範囲内。学校や県教委による聞き取り調査が十分に行われておらず、処分は不当」と主張した。



ハァ?この事実、なにが教育活動の範囲以内なの??
  
なんでも思うように生徒を動かし、言いたいことが言える支援学校の環境にあるので、いつしか感覚がマヒしてしまっているのでしょう。怖いことだ。

支援学校から出て、中学などの困難校に行けば、すぐ感覚は別の次元へ飛びますよ。県教育委員会も目が覚めるような人事をすべきだ。



会見に同席した県公立高校教職員組合によると、残り3人の教諭も不服申し立てを検討中という。

2010年7月21日12時10分  読売新聞)

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           東京でも要支援教育生徒急増


東京都教育委員会は
8日、障害を持つ子供への教育方針を示す特別支援教育推進計画の第3次実施計画案をまとめた。

障害を持つ子供が想定よりも大幅に増える見通しとなり、特別支援学校を2校新設するなど大幅な再編整備を進めるという。  

都教委によると、27年度に特別支援学校に在籍する子供の推定数は、平成16年度の第2次実施計画時の推定数から2581人増の8811人に見直された。

 このため、特別支援学校新設のほか、区市町村の支援教育体制充実を図るために、現在は地域の中核学校にある特別支援教室を都内の全小中学校に設置する。

 都教委は「近年、障害への認知が高まったことで、子供に合った教育を望む保護者が増えたことが推定数を押し上げている」としている。
 

    20年間で発達障害の未就学児10倍 福岡市

 

自閉症学習障害など「発達障害」とされる子供の増加が指摘されるなか、福岡市で、発達障害と診断される未就学児(0~5歳)の数が10年間で約1.5倍、20年間では10倍超になっていることがわかった。

 専門家は「診断基準を理解できる医師が増えたため」と説明するが、
発生要因は学界など

でも結論が出ておらず、教育や医療、福祉などの分野を超えた取り

組みが急務となっている。


 

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「少人数指導・習熟度別指導」の課題
「個に応じた指導と評価」を実現するために
―厳しく問われる創造的姿勢と指導力―

                           中部大学教授 梶田 正巳

                    一部抜粋

我々はなぜ「個に応じた」指導や評価の提案をいつも繰り返し語るのであろうか。

しかも,どの書き手も一斉指導の対極として取り上げていることが明らかになる。結局は,一斉指導を克服して「個に応じた」指導や評価を打ち立てることが語られている。

最近の話題では,「少人数学級」と「習熟度別指導」である。
 
筆者もいくつかの「少人数学級」を見たことがある。

しかし,そこで感じたことをおそれずにまとめると,日本の少人数学級は,「一斉指導の少人数化」ではないだろうか。

35,40人いるクラスの一斉指導を,20,15人の小クラスに絞っただけで,学習スタイルは基本的にまったく異なっていなかった。

教師には,自分の授業スケジュール・計画が先にあって,児童生徒をそれに適応させている。

しかしながら,毎日の授業において,教師がどの児童生徒の学習現状もしっかりと押えている,というのではない。

初めに当該学年のカリキュラムがあり,その消化を前提に,少人数の一斉指導を組み立てているのである。

結局,必然的に「個に応じる指導と評価」の幅が極めて制約され,日常的に学年を超えることは困難になっていた。
 


習熟度別指導も同様である。

学年ごとに決まっているカリキュラムや教科書という強い制約の中にあって,子どもの達成度でクラス分けし,時には生徒の関心・意欲を考慮にいれて指導クラスを編成し,一斉指導をしていた。

こうした習熟度クラスでは,どこまで「個に応じた」幅広い違いは認められるのだろうか。

結論を言えば,少人数指導,習熟度別指導という概念や現状にとらわれず,我々はもっと,一人ひとりの児童生徒を伸ばす「日本的モデル」を,ボトムアップに探らなければならない。

                              以上 抜粋終り

私はこの小論文を読み、強く興味を示した。ただ、やはり、大学人だ。現場での具体的なビジョンについては、我々の出番だ。

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 どうしようもない人が教員になっているとは思えない。ただ、やる気があるのか、ないのかだけの違いはある。教員の質が問われているが、教員の質とは何か。社会常識なのか、学力なのか、コミュニケーション力なのか、情熱なのか、何なのかきちんと定義されていない。

 しかも、質を測定することは容易ではない。なぜなら、目に見えないからだ。校内で優秀とされる教員が、犯罪に手を染めたケースもある。その逆もあるのではないか。つまり、校内では目立たず、主任級ではないが、常に他の教員を支える側に回って、地道に生徒と接し続けている優秀な教員もいるということ。

 我々は、生徒を指示に従わせることが出来る教師が優秀、という定義をしてしてしまうことが多い。しかし、本当だろうか。もし、それが本当なら、教師を全員プロレスラー並みの体を持ったものにすればいい。しかし、吉田松陰、緒方洪庵、クラーク博士などはプロレスラー並みの体であったかというと、そういう事実はない。

 すごい先生とは、従わせるのではなく、生徒が慕うのである。

 教員の質の基本は、その人の心の境地だ。あったかいか、広いか、困難に強いか、志があるか、優しさがわかるか。人間には測れないものかもしれない。

 





 


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地元のものが地元の生徒を教える効果は十分に期待できる。

要するに、先輩として十分にその地域を知っているという強みがある。そして、愛着があり、地域の人間の気質も知っている。
ローカルな話題にも対応でき、教育に力がこもる。

その逆に、都市部では、様々な地方から教員として流れてきているので、その土地に慣れるのに時間がかかる教員が多い。

その点では、奈良県内で勤める人を正教員にするのは効率的だ。



奈良県は今年から、県内の小中学校や高校に勤める常勤・非常勤講師を対象に、授業力などを高めてもらう「講師塾」を始めた。全国でも珍しい試みで、自治体同士が教員志望者を激しく奪い合う中、優秀な教師に育て地元に引き留める願いが込められている。

 講師塾への参加は、同県で正教員になることを目指していることが条件だが、予定を30人上回る103人が集まった。指導は模擬授業が中心で、4月から今月までの計6回。

 「これは何の形?」「平行四辺形」「そうですね」――週末の土曜日、同県田原本町の県立教育研究所では、若い講師たちが交代で、算数の模擬授業に取り組んでいた。

 課題は「いかに冒頭の5分間で子どもの心をつかむか」。模擬授業をじっと見守っていた県教育委員会の上田薫・管理主事(49)は「平行四辺形がどんな形か分かるように、身近な例を出すといいですよ」とアドバイスした。参加者の一人、堀川智代さん(22)は「具体的に教えてもらえるので、とても助かる」と話す。

 県が8月に行う教員採用2次試験では、模擬授業が課される。塾で受けた指導は、ここでも役に立ちそうだ。

 県は他の自治体にならい、教員志望の大学生向けの研修を実施するなど、「囲い込み」に懸命。しかし、1990年代に20倍もあった小学校教諭の志願倍率は昨年、3・8倍。危機感を募らせた県は約1000人いる講師に着目した。

 久保田幸治・教職員課長は「地元に愛着を持っているはずの人材をみすみす周辺の府県に奪われるわけにはいかない」。自治体の知恵比べは、まだまだ続く。(奈良支局 阿式智子、7月1日掲載)

2010年7月14日  読売新聞)

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 破廉恥行為で教員が捕まっている事件も多いが、京都市、大阪市などは市の職員が覚せい剤に手を染めた事件も多い。だが、一旦免職になっても数年後にまた、市に採用されている例もあるのだから恐れ入る。
 しかし、公務員もこうも不祥事が続くと、一般市民も怒りがおさまらない。税金返せと叫ばれても仕方がない。まあ、不祥事までもいかないが、仕事をしているのかしていないのかわからない公務員は多い。

一般企業では通用しない仕事ぶりという意味だ。




新聞等によると

 大阪市は09年11月11日、覚醒(かくせい)剤の「運び屋」を務めていたとして覚せい剤取締法違反(営利目的所持)の罪で起訴された市環境局城北環境事業センター職員、元山健次被告(44)を懲戒免職処分とした。今年度に入り同法違反で市職員4人が摘発されており、懲戒免職となったのは3人目。

 電車内で女子高校生の胸を触ったとして、大阪府警東淀川署は2日、府迷惑防止条例違反の疑いで、大阪市立視覚特別支援学校の教員、尾崎淳一容疑者(45)=神戸市須磨区南落合=を逮捕したと発表した。

 逮捕容疑は、1日午前7時35分ごろ、大阪市淀川区の阪急京都線十三駅に停車中の快速急行電車内で、10代の女子高校生の胸を触ったとしている。次の停車駅で、女子高校生が友人2人と尾崎容疑者を呼び止めて取り押さえ、東淀川署員に引き渡した。

 東淀川署によると、尾崎容疑者は視覚障害があり障害者手帳を所持。当初は「目に障害があるので、手が当たったが、故意ではない」と供述していたが、「触った」と容疑を認めているという。


                                                           


 京都市の発表によれば、2003年から2006年までの間に、不祥事で懲戒処分を受けた職員は京都市全体で70人にのぼり、そのうち39人までが環境局の職員であったという。

中には、環境局職員である姉妹が揃って覚醒剤で逮捕されたケースもあった。

不祥事職員の再雇用

また、新聞報道により、一度不祥事で懲戒免職になった職員が再採用されている実態も明らかになった。

例えば、1988年に交通事故の保険金詐欺事件で懲戒免職になった職員は5年後に、タクシーの運転手への恐喝事件で1984年に分限免職となった職員は9年後にそれぞれ再雇用された。

また1983年に覚せい剤取締法違反と銃刀法違反事件に関与した職員は分限免職となったが、17年後に再雇用された。

                                                          
 公務員を減らせという意見もあるが、当然だ。まじめに働いていないどころか、待遇がよく、税金をふんだくっているからだ。

 なぜ、いい加減な職員に正当な額面以上の税金を投入するのか、しかも、組織ぐるみでだ。なぜ、自浄作用が働かないのか、発覚が遅いのか、それには訳がある

 つまり、正当な考えを隅に追いやる人々はあまり言いたがらない闇の大きな力が存在するからだ。

 実はその力は当然教育界にも及んでいることは誰もが知っている。特に大阪市、京都市だ。しかし、最近このように暴露され、正常になりつつあるのも事実だ。表面上はだが。
 


大阪市は正当な退職金のほかに別のヤミ退職金を公務員に支払っ

ていた。

大阪市は確定給付型年金を使ってヤミ退職金を作り出していた。

その元手は市民の税金である。

市民は公務員に2重に退職金を支払っていたことになる。

公務員はよくもここまで市民をばかにしたものだ。


大阪市が、職員を退職一時金や年金支払い制度のある生命保険会社の確定給付型年金に加入させ、掛け金として11年間に約304億円を公費負担していたことが19日、分かった。


市職員には勤続35年で約3000万円の退職手当や共済年金が支給されるが、これとは別の「ヤミ退職金・年金」が支払われていた。
市は「市民に理解されるとは思えず、見直す」としている。

あたりまえや。これって理解される・されへんの問題なのか?泥棒やないか!!!!

 市総務局によると、同市では1993年度から、職員の福利厚生事業を行っている4つの互助組合で作る「大阪市互助組合連合会」を通じ、大手生保会社と契約。

教員を除く職員約4万6000人が給料の0・6%を掛け金として支払い、不足分を市が補てんしてきた。


 昨年度は掛け金37億9000万円のうち、職員が11億4000万円、市が人件費名目で26億5000万円を負担、退職者に計44億円が支給された。


 受給額は、月給約49万円で60歳で定年退職する標準的な職員の場合、退職一時金が約60万円、向こう10年間の給付金が計約324万円となる。


 同市にはかつて条例で定めた「特別退職一時金」制度があり、給料の1・5%を積み立てたものに市の交付金を加え、退職金と別に支給していた。


しかし、自治省(現総務省)から退職金総額を国家公務員並みに引き下げるよう指導されて段階的に減額。


92年度に全廃後、市互助組合連合会を作り、生保会社と契約する形にして存続させたという。


 ヤミ退職金については、大阪府職員互助会が、本人積立金の最高2・9倍の退会給付金を支給していたことが97年に発覚。
府は現在、積立金への補助金充当を廃止している。



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通知表を書く時期になった。
今の通知表は面白くないという。
良いことばかり、当たり障りのないことばかり、親からクレームが来ないように書くからだ。

課題は書くが、我々がもらった通知表とまったく違う。
我々のは、きちんと具体的に、してはいけないことが書いてあった。
「隣の子としゃべるな」と小学校の時のS先生は書いていた。

書かれて当たり前で、親も別になんとも思わなかった時代だ。

今は何かうそをかいているようでしかたない。

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なつやすみも前になると、いかに夏休みを過ごすかという話で職員室がにぎわう。旅行の話が多いが、研修や大学の講習にいくことも話のネタとなる。その中で、部活動の計画作りに熱心になっているのは、若い先生だ。

各都道府県で違うが、夏休みに、8時30分より職員朝礼をする学校もある。

まあ、タイムカード制のところは、夏休みといえどもきちんと出勤だ。一時間でも早退は時間休をとる。

しかし、適当な時間に来て、部活動をして、ふらーーっと飯を食いに行って、帰りたければ帰る。これが普通だ。私はそれでいいと思う。ただし、中学校の話であって、小学校や特別支援学校は別だ。中学校は日々の勤務が激動の日々、それくらいしても余りある労働だからだ。

まあ、とにかくこの夏休み勤務形態の件に関しては、隣の県とは違うみたいだ。日本では統一されていないみたいだ。

組合が強い県ほど休みは楽に取れるのが基本だったが。組合や団体が強すぎて、闇給与や闇退職金など、今まで常識では考えられないくらい税金を公務員に垂れ流してきたところは、逆に監査が激しくなり、叩かれて、締め付けにあっているようだ。




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今日はホントに面白いことを聞いた。でもこれを書くと、特定されるので言えないが、時期をずらして書き込みたい。

まあ、世の中、本当の事を言えば、周りから攻撃されたり、おかしいことをおかしいと言えば、仲間外れにされたりすることも多々ある。それは子どもの世界にもある。いじめや、ちくりなどという言葉で代表されるものだ。しかし、教員や公務員たちの世界にも激しく存在している



縮図だ。

本当の事を話したり、やろうとすれば、キング牧師やガンジー、キリストさんのように暗殺もされるのだ。日本の政治家もそれでなくなっている人もいる。

さあ、あと少しで夏休みだ。成績処理がんばろう。

 

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 そろそろ採用試験の季節だ。講師の方がそわそわしてきた。放課後の職員室、テストの評価を付けながら、早く帰りたがっている。また、中には夜7時ごろ、生徒指導の合間を縫って受験勉強をしている人もいる。

 いつも思うことだが、講師で素晴らしい活躍をしている人は、教諭へ上げてもいいのではないかと思う。

 今までに見てきた中で、この人講師なの?と思うほどすごい人がいた。やはり学校の中核人物だった。また、明らかに教諭より教え方が上手く、着実に生徒の学力が付いている講師もいた。それは学力テストの平均点でも、その講師が持つクラスが高い。さらに教え方が分かりやすく、親や生徒からの信頼が厚い。これで採用試験敗退とは、どんな奴を採用してるのかと思う。

 まあ、大分県などでは今まで、コネ採用だったから、優秀な教員を獲得できなかったのは分かるが、他県も同様な面があったかもしれないと思うほどだ。

 そして今の人物重視という採用試験のありかたを考えてみてほしい。つまり、人物重視と謳っていても、採用試験の面接の質問は、指導要領や県の教育方針をどれだけ把握しているかが多い。また場面指導や生徒指導にかかわる質問は、パターン化していて、答えのマニュアルが世にはびこっている。それを覚えれば一定通り抜ける事が出来る。
 
 そういう形だけの質問を、無事こなしてきたものしか教員になれないのもさみしい。私などの時には、「あなたは生徒を殴りますか」という質問をまともに浴びせられた。私の答えは、「はい!」だった。それで採用されているのだ。今だったら、もちろんマニュアル外であり、もちろん不合格組だろう。

 人物評価とは人間性だろう。県教育委員会に対する忠実性ではないはずだ。(この発言を見て、私は組合の回しものと考えないでほしい)

 私はマニュアル外の意外性のある、人間味あるやつが教員になってほしいと願っている。なぜなら、そういう奴が生徒に心底好かれるからだ。しかし、最近はどうも県がご希望される人物像は違うみたいだ。小さくまとまったマニュアル化した同じ顔の新採用教員たちを見る限り、教育の将来はまったく面白くないと感じている。そして、次第に大量採用により、そういう教員たちの市民権が増してきた。

さて、面白いホームページを見つけた。このような人物を採用しなかった県はアホとしかいいようがない。

そのホームページからとってみた。是非読んでほしい。


全国大会優勝監督は元常勤講師

私は、夏合宿に向けて、体を動かそうと思い中学校に、練習道具を持って行った。
私は、新しく赴任してきたその先生を見てびっくりした。
なんと、関西大学ラグビー界のスター選手Tさんだった。
「なんで、Tさんが、こんな中学にいるの?」
高校時代には、全国大会に優勝し、関西Aリーグでも優勝し、大学選手権でも大活躍した選手だった。
「その先生は、私に近寄り、太陽のような笑顔でXXさんですか?」と尋ねた。
「あっ、ハイ、○○高校ラグビー部のXXです。」と緊張して答えた。
「生徒から、たまにあなたが来て、練習を教えてくれるって聞いていたんです。」
「一度お会いしたいなと思っていたんですよ」
と高校生の私に丁寧に言葉をかけてくれた。
私から見れば、雲の上のラガーマンで、なんで田舎のこんな荒れた中学にTさんがいるのか?
不思議だった。
練習が終わり、Tさんが、「もし良ければ、今度OBを集めて中学生に教えて上げて下さい。」
と私に言ってきた。
私は、承諾し中学の同級生に電話をした。
ラグビーを続けていた者や、やめてしまったが、久しぶりに楕円形のボールを持ってみたい者が
10名程集まった。
練習が終わり、Tさんが「少ないですけど、みんなでお茶でも飲んで」と5千円差し出した。
私たちは、頑なに辞退したが、無理やり5千円を押しつけられた。
私たちは、ちょっと困惑したが頂いた。
今では、このTさんの5千円を、私たちに渡したことが理解できる。
大体、OBが、練習にくると、監督やコーチは、OBを連れ、飲みに行く風潮がラグビー界にある。
地方の大学に散ったOBが、オフになると高校の練習に来て、「今日は、焼肉食いたいなーー」
と聞こえるように呟くのである。

それからも私は、ちょくちょく中学校に練習に行くようになった。
そして、Tさんの事情が少しづつ解ってきた。
Tさんは、大学卒業時、有名企業から就職の勧誘は山ほどあったが、どうしても教師になりたくて、
教員採用試験を受けたが、不合格で講師として採用されていたのだった。
Tさんの先輩や、大学の監督から「社会人ラグビーをしたらいいのに・・・・」と何度も言われたがどうしても、
教師になりたかったのだ。Tさんは、その荒れた中学では太陽のような存在だった。
やんちゃ坊主も、Tさんの事はよく聞いたし、無くてはならない存在になった。
しかし、3年間その中学で講師をし、採用試験を受けたが受からなかった。
その3年の功績は、大変なものがあった。しかし、採用されなかった・・・・・・・・・

講師は、所詮アルバイトである。なんの身分保障もないのだ。
学校を変えるだけの、情熱とパワーとカリスマ性があるのに、たった1枚のペーパーテストが立ちふさがったのだ。
その後、Tさんは、Tさんの母校から、監督要請の話があった。
待遇は、「事務職員」しかし身分保障はされる。
そして、教員の空きが出れば、教員に切り替えるという約束だった。
年令も26歳になるのに、講師のアルバイトもないだろうと考えても不思議でない。
また、付き合っている彼女や、結婚を考えている人がいる講師は、この年令になると悩むのだ。
教師になりたい!しかし生活が・・・・・・・・
この悩みの狭間の中で、何人の優秀な講師が消えて行ったか・・・・・・・

その後、Tさんは、母校の監督になった。
その高校は、古豪であったが低迷していた。
なんとか、全国大会には、出場するのだが、1回戦,2回戦で消えていった。
ある年、小兵ながらよく走る(フットネスの高い)チームとして全国大会に出場してきた。
「試合巧者」「小兵」「タックルの良いチーム」といった前評判だったが、精々ベスト8止まりの前評判だった。
しかし、その巧みな試合運びと、忠実なタックル、何よりも15人が20人にも思える、そのフットネスは
花園のラグビーファンを唸らせ、決勝戦まで駒を進めた。
相手チームも、九州地方の名門古豪チームだった。
ゲームは、二転三転し、白熱したシーソーゲームだった。
終了間近、Tさんのチームは、トライされ2点差に詰め寄られた。
時間は、ロスタイムに入っており、トライ後のゴールが決まると、同点試合終了だった。
相手のエースが蹴ったボールは、ゴールポストを大きくそれた。
試合終了!!、
Tさんのチームの選手は、喜びを爆発させた、ゴールを蹴った、選手は泣き崩れた。
その試合を、観戦していた松任谷由美が「ノーサイド」を発表したのは、暫くしてからだった。
ゴールを蹴った選手は、その後「体育教師」になったと聞いた。

その後、Tさんは、名選手を育て、幾多の名勝負を花園で、見せてくれた。
全国優勝を2回、準優勝が1回、押しも押されぬ名監督になった。


本当に、もったいない話である。
教育委員会は、一人の優秀な人材をみすみす手放したのである。


 このサイトのお話も面白い。しかし、この話とは逆に、なんとバカな教諭が多いことか。息を吹き返すか、辞めてほしいと思う。

 主義主張で凝り固まった人、生活のためにやっている人、上を目指すことで意欲満々な人。十数年も教師をすれば、その待遇の良さと、慣れで、慢心が起きる。そんな教師は生徒と真に対峙するエネルギィーはない。口先だけが鋭く(する毒)なる。若いものが疲弊している学校は、まったく見ていて面白くない。さわやかさがないからだ。

 ああ、採用試験で個性あふれる奴が合格してくれ。まあ、採点者たちが、形式だけを整える人物たちではだめか。




 

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公立高校に行けない半分以上の生徒たちは、生活面でも崩れている。また、経済的にも苦しい世帯が多い。中学校で最終的に進路問題として残るのはこの層だ。

その層の生徒は最終私学か、定時制だ。経済的にはとても私学に手が出ないので定時制、通信制に収まる。

公立高校の無償化よりもこの層への支援が何十倍も大切だ。この層に進路への希望を持たせることは日本の学校を健全化させる。なぜなら、この層が希望をなくし、やけを起こし、中学校でやんちゃするのだ。

彼らに私学に行かしてやりたい。私学に行けば変わることが出来る。いや、実際に変わった生徒を多く見てきた。クラブで活躍した生徒、卒業して大学に行った生徒などだ。

私、3年担任として、公立高校無償化は救いにもならない。結局、公立に行けるある程度出来る層への援助にしかならないからだ。



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ある県の教員が当たり前のように出来ていることが、大阪では出来ていない。これを市民は知っているのだろうか。その違いは、生徒の学力に出てくる。中学校で3年間の積み重ねとなるからかなり大きい。

例えば、週案はどうだ。週案とは教育の計画である。計画なくして成功なしだ。しかし、週案は大阪では定着していない。大阪では週案をバカにしているからだ。

私は、週案なくして授業の展開ができないと思っている。週案と言っても、最低、次の定期テストまでの計画を練るところから始まる。テストに向けて、日々の授業を目的を持って進める。もちろん宿題も、数週間先からみた計画的な出題になる。当然だろう。だから授業が面白い。子どもの成長が楽しみだからだ。

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橋下知事は大阪の教育の水準を上げたいと思っているが、方法は一つだ。

教員の意識改革だ。

改革とおおげさに呼んでは恥ずかしいものがあるが、他府県の水準に教員

の質や教育の水準を持っていくこと、それだけのことなのだ。


   大阪府は、「人間」という読本を義務教育で読ませてきた。同和団体の教育介入も他府県では信じがたいほど行われきた。しかし、利権をむさぼってきたツケは大きい。まじめなまともな考えの教員を隅に押しやり、利権に結びついた横柄な教員をのさばらせてきた。だから、大阪の子に、本当の学力を身につけさせることができていない。

 他府県と何を比べれば大阪の教育の質の低さが分かるのか。学力テストの結果を見れば分かるのか。いや違う。他府県教員の教育実務や研究と比較すれば一目瞭然だ。

 例えば、大阪市教育改革プログラムの中に次のような「分かる授業」に向けての教員の研究についての現状・課題が取り上げられている。
 全国水準からしてもかなり低いことを市民は知っているのだろうか。


【現状と課題】
 学校教育の充実のためには、個々の教員の指導力はもとより、学校全体の教育力を高めていくことが大切であり、それぞれの学校が自校の課題や特色を認識し、教育目標を全教職員で共有し、学校全体で課題克服に向けて取り組んでいくことが必要である。
 学校の教育力を高める取組みとしては、公開授業を行い授業評価・授業改善を行う取組みや、先駆的な授業実践のモデル実施、指導案や教材の開発といった、学校現場での研究・研修活動が非常に有効である。

 このような活動は、学校全体の活気を高め、児童・生徒の学習意欲にも好影響を与えると考えられる。
 しかしながら、平成20年度の全国学力調査では、授業研究を伴う校内研修の回数は、小・中学校ともに全国平均を下回っており、小学校で全国平均9回に対し、大阪市の平均は7回、中学校では全国平均6回に対し、大阪市の平均は2回となっている。

 特に中学校においては「全くしていない」の割合が16.7%と、全国平均に比べて15%も高くなっている。

 本市においては、学校の小規模化などにより、校内での授業研究に取り組みにくい状況にある学校も多く、学校現場がしっかりと研究活動に取り組めるよう、さまざまな角度から支援を行い、研究活動の一層の活性化を図っていくことが必要である。


  中学校では校内授業研究を行う回数は全国平均のなんと3分の1だ。
 
 
つまり全国には授業改善等の研究を大阪市の4倍、5倍と労力をかけて取り組み、成果を出している県があるということだ。

 教員の意識を、授業改善に向け切れていない大阪市の弱さがある。逆にいえば、授業改善に向けて頑張っている教員を市が応援しきれていないということだ。

 これは授業改善に始まったことではない。生徒指導、道徳教育、総合学習に対しても研究がなされていず、攻めの指導に向かうことなく、志を持って組織で動くこともなく、その日の日課をこなすだけの学校の様子が見える。ただ、人権だけは突出して力を入れている。


 大阪の教育は同和教育、外国人教育と様々な課題を抱えていることは確かだ。しかし、教師の基本は授業である。その授業の研鑽なくして教育改革はあり得ない。
 授業から確かな学力が生まれ、同和地区の子も外国籍の子も進路が開かれるということを忘れてはならない。主義主張を通すことにエネルギィーを使い果たすことなく、純粋に
授業を中心とした学校を目指し大切な子どもたちの未来を切り開いてあげたい。

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まさに首相ごっこのようだ。ころころと首相が変わる。日本の政治の目的は国民のためではなく、選挙のためだと言える。

あの舛添要一氏も自民党を離脱して新党を旗揚げしたが、どうも目的が納得いかない。氏は「打倒小沢」これを第一目標にしている。しかし、小沢さんが辞めた今、何を次の目標にするのだろうか。あるいは、まだ小沢は死んでいないと見て、徹底的に小沢さんを死ぬまでやるのか。それが、どう国民のためになるのか疑問だ。

小沢さんをとかではなく、日本をどうしたいのかだ。国民に日本の進むべき道を示し、道を切り開いていくのが政治家だ。要一氏よ、志が小さいのではないか。


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ブナの森とフクロウのブログからの記事だが、これはその通りと言うべ
き部分が多い。でもなぜ、こうも教員の仕事が(特に中学校は)多くなっ
たのか。

中学校を支援する教育施設が必要だ。

主義主張はさておいて、記事を読んでほしい。

東京都が、教員不足で地方から教員のなり手を募るためのバスツアーを行った様子をNHKニュースで報じていた。その様子はあまりもばかげて見えた。なぜ教員が足りなくなるのかということには全く触れず、団塊世代が退職するから、など理由にもならないことを言っていた。問題意識のない報道というのは見苦しい。バスツアーに乗り込んでいる若者があわれにも感じられた。
医師が足りない、介護士が足りない、教員が足りない・・と何度も何度も報道されているが、足りなくなった責任を問われるのは誰か、という点がすっぽり抜けているのはわざとだろうか。

毎日新聞でしばらく前に『先生〜生徒指導は今』というシリーズで公立小中学校の教員が直面している問題を連載していた。学校の荒れ、疲弊する教員、重圧に押しつぶされる教員の姿がかなり正確に誠実に報道されてた。心折れ定年前に辞めていく教員、自殺に追い込まれた新任教員のことなど、深刻な内容だった。
2月24日の「記者の目」はこのシリーズを担当した三木陽介氏の記事だった。
「教育取材担当になって以来、学校に足を運ぶたびに生徒指導に疲弊している先生達の姿を目の当たりにして、このままでいいのかと思っていた。先生が一人で対処する容量をはるかに超えているのに、そうした実態が学校の外に伝わっていないとも強く感じた。それが今回の連載をしようと思ったきっかけだ。」と三木氏は述べている。
その「記者の目」の中で「文科省の調査では教員の一日の平均勤務時間は10時間36分。このうち休憩はわずか14分」「先生達はもっとSOSを発信するべきだ」とあったが、今の学校は、市町村の教育委員会の姿勢や地域性で、その雰囲気は少しづつ異なるが、教員の忙しさがこの10年で以前に比べ数倍にもなったことだけは大げさではなく確かな事実だ。

さて、学校の教員は誰に対してSOS発信ができるのだろう。生徒の保護者だろうか。一般の人だろうか。政治家? 教育委員会?
無念なことに教員のSOSを受け止めてくれる場はないのである。公務員で一応身分も保障され、給料もある程度もらっている、となれば、他の誰が教員の悩みに耳を貸すだろう。(給料について言えば、30代で子供が2人いると生活保護の対象になる位のものだが)

私の知っている中学校ではこの3月に50代の教員が3人も(全校たった20人の教員のうちで)早期退職をするという。「もうこれ以上は耐えられない」と言う。3人ともベテランの教員である。
こんな先生に子供をまかせるなら安心、と思うような人達である。退職後、皆この不況時に新たに職探しをしなければならないのだが、それでもこのままでは心身が持たないと、退職の道を選んだのである。

教師集団という言葉があるが、今のような忙しさの中では教員は会話する時間もなく、孤立して一日に百数十人の生徒と向き合わなければならない。ベテランの教師でも、ふっと気付いたら「ご飯と味噌汁の味がわからなくなっていた」という事が起こりうる。真面目に生徒と向き合おうとする人ほど当然無理を積み重ねるから心が折れてしまう。
新任教員に至っては、相談したくとも相談する相手がいず(それぞれが忙しく話しをする暇がないせいで)、本当に気の毒というほかはない。希望に燃えて教員試験を受け、見事合格しても絶望の淵に立たされる新任は多い。繊細な心や自責の心を持った真面目な人ほど、絶望感も大きいだろう。

これでは教員のなり手がいないのも当然のことだ。新任もベテランも辞めていくのだから。
なぜ辞める教員が多いのか、そうならないためにどうすればいいか、という問題を全く棚上げして、「東京の学校見物ツアー」などというばかげたことを得意げに企画し、それを喜んでNHKが報道している。「学校ツアー」で一体何を見るのだろう。建物?それとも児童、生徒の様子? 
(東京都では教員は職員会議で意思表示の挙手、採決をしてはいけないということもちゃんと説明しただろうか?)

学校に関してはあまりにいろいろな話題が好き放題に報道されるため、一番深刻な問題の焦点はいつもベールにつつまれている。授業は増やしても教員数は増やさず、教員を忙殺させ追いつめている。臨時教職員という身分を新たにつくり出し教員希望者を安上がりに使っている。そのくせ、予算をさいて現場に不用な、授業をやらない管理職(副校長、主幹)を置いた。免許更新制度を作り、これ以上余裕のない教職員を意味のない研修に無理矢理に参加させる。不毛で有害な学力テストで金と労力を無駄遣いした。

教員の疲弊は教育の疲弊につながる。そして十分にていねいな教育を受けられなかった子供が大人になって理不尽な行動を取ると、「モンスターペアレント」などという下品な言葉を投げつける。(「モンスターペアレントの対策」などという研修もあるそうだから、いかに文科省のレベルが低いかよくわかる。)これほどまでに教育が踏みつけにされるとは想像もできなかった。
こういう教育界に見切りをつけ逃げ出す先生達に、これ以上「がんばってほしい」とは言えないのである

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この記事、今の日本のマスコミの姿を言い当ててますね。すごい!


2010.05.31 普天間基地問題、前向き思考のできない日本人
政府、野党、知事会、マスコミ、国民、皆ひどい

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)

鳩山由紀夫内閣は28日、普天間問題処理の政府方針を閣議決定したが、基地移転先である沖縄・名護市、訓練移転先の徳之島の了解が両方とも取れていないのであるから、ナンセンスの方針というほかない。その上、首相が閣僚である福島瑞穂・社民党党首を罷免したことによって、社民党が連立政権から離脱する可能性も出てきた。

この事態の最大原因は鳩山内閣の大失政である。「最低でも県外移転」の失言から始まって、名護市長選前の決着を先の延ばししたこと、何よりも「5月末決着」を打ち出したことなど、あきれるほどの失敗の連続。鳩山内閣は責任を取って総辞職すべきである。

しかし、最大の問題は、普天間問題は鳩山内閣が退陣しても解決しないことである。野党もマスコミも政府の失態を批判するが、前向きの解決策はまったく提示していない。自民党は自公政権がつくった案に戻せと主張するが、名護市長が賛成派から反対派に変わった今日、この主張は解決策とはならない。マスコミに至っては何の解決案も示していないのであるから、無責任極まりない。

27日開かれた全国知事会における石原・東京都知事をはじめとする知事たちの態度にもあきれた。政府の失政を批判するのは結構である。しかし、その後に、沖縄の負担軽減のために己の自治体は何をやるといわなくてはおかしいのではないか。まともな発言をしたのは橋下・大阪府知事だけである。欠席した18人の知事はもちろん、出席した残りの知事も「安全保障の負担は沖縄にさせて、自分たちはただ乗りすればいい。それが知事としての自らの安泰の道でもある」と考えているのであろう。無責任極まりない。

社民党の態度にもあきれる。「国外・県外移設」は昨年の衆院選の時から同党が主張してきたことであるから辺野古移設への回帰に反対するのは当然であろう。しかし、あくまで反対なら連立政権から離脱するのが筋である。離脱を望まないなら、何らかの妥協をするのが“大人の政党”のなすべきことである。政権党でありながら、野党と同様な行動をすることは許されない。福島瑞穂・党首は「沖縄は社民党の命」と発言したが、本心は「沖縄の票は命」ではないのか。

マスコミの無責任さは80年代以来のことであるから,いまさらの感が拭えないが、それにしてもひどすぎる。マスコミが権力者を批判するのは当然である。鳩山内閣の退陣を要求してもいいのである。だが、批判する場合は、それなりの対案を提示しなければならない。朝日、読売、毎日、日経の主要新聞がどれも普天間問題についての対案のカケラも掲載していないのは何とも悲しい。

民間テレビはお笑い芸人が集まって鳩山内閣の失態を面白おかしくやり玉に挙げている。こんなテレビの、こんなやり方が、世の中の役に立つとはとても思えない。他の先進国には見られないマスコミの姿である。

無責任な政治と前向き思考のできないマスコミの被害者は一般国民である。しかし、よく考えてみると、このような政治家を選び、興味本位に走るマスコミを面白がって受け入れているのは国民自身である。私たち国民自身が前向き思考に変わることが政治やマスコミを正常化する原動力となる。

民主党は鳩山内閣に代わって新しい内閣を発足させた上で、2~3年かけて安全保障政策を根本から再構築し、その上で日米安保条約の改定を提起すべきである。そのような過程を経なければ、沖縄の基地問題は解決の糸口さえつかめない。当面は、普天間基地は辺野古に移設するしか方法はないであろう。それも不可能なら、普天間基地の存続しかない。

                  (5月29日記す)

 

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もし、私が保護者なら、学校の実態を知ったら怒りに満ちるだろう。ただ、保護者は、真実を見ていないから、的外れな攻めを学校にしている。

学校は変われる。そのために次の2点が必要だ。

①校長のリーダーシップ発揮

②ビジョンを持った管理職の登用
     

 ①については、国民は実態を知らなさすぎる。いかに校長はリーダーシップを発揮できていないかだ。    
 理由は簡単だ。組合が強いからだ。校長も教育委員会もそれに屈しているからだ。

 もうひとつは、校長になってからは保身一本。無事退職できれば良し、安泰を目指す。責任を持って改革しよ   
 うとする気概が生まれない。

 ②はビジョンンを持った教師はたくさんいる。しかし、それを発掘出来ていない。また、志やビジョンを持った教 
 師は管理職になるより生徒と向き合う一教員を目指す人も多い。つまり、管理職に希望や夢がなくなっている
 から目指す人も名誉欲が強い人がなるという悪循環が出来ている。

                   

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A 教師の過重な労働

①困難校の中学校教員 中でも担任や生徒指導担当は地獄の毎日。しかし、使命感に満ちている。

②困難校の小学校高学年担任教員 学級崩壊と常に背中合わせの恐怖に満ちた毎日。

③底辺校と言われる高校教員 教育以前の問題抱える。  

この順番でしんどさがある。

B 教師の労働時間

①困難校の中学校教員 突出している。

しかし、いかなる困難校でも、組合が強い学校は労働時間は少ない。夜7時くらいでほとんど切り上げる。

組合感覚よりも、使命感だけで働く教師のいる学校は労働時間が以上に多い。夜10時などはざら。深夜に及ぶことも幾度もある。

このことの裏を返せば、組合の強い学校は生徒に対して詰めた指導が出来ていないということだ。もっと言えば、だから困難校になり下がっているともいえる。

教師の仕事は底なしでここでよいということはない。やればやるほど仕事はある。逆にいえば、適当に済ますこともできるということだ。

ある学校では、5時15分まで時間を持てあまし、時間がくれば一斉に帰る学校もある。しかし、中学校は、まずもって帰れない。部活動が6時まであるからだ。最低でもそれが終わってから、教材研究に入る。困難校では、6時の部活動終了時間が終わってから会議をするところもある。

この差は同じ教員でも雲泥の差だ。この事実を市民は知る必要がある。そして、給与などに反映する必要がある。

だが、私は給与の問題を取り上げているのではない。それだけ労働の格差がありすぎるということだ。さらには日本の教育困難な状況の真実を市民の皆さんに知ってもらいたいのだ。

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教員の質は使命感を内に秘めているかに大きく左右される。要は志である。だから、金や生活や名誉欲のために教師を選んだものは、そこそこの教員しかできない。

しかし、志のあるものとない者の判断はなかなかできない。志あるものは、果敢に厳しい状況に挑む。壁が高過ぎて前に進めない時も多い。

教育の結果はすぐに得られない。志のないものでも、名誉欲や要領の良いものは、苦労を避け、即効性の見えるものを演出する。

だから、後者のタイプが校内で輝いて見える時がある。他の教員が苦労を重ねて作ってきたものを、あたかも自分の実績のごとく語り振る舞う教員もいる。

極端に言えば、欲のために、地位に昇りつめたが新聞に載る行為をしてしまって消えた者もいる。私の極近くにその人はいた。しかし、捕まるまでは、有望視された人だった。

一体何がいいのか、悪いのか。志のある教員が埋もれないように、励ましたい。

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教育実習が長ければ良い教員が育める、と考えるのは幻想だ。実は、長い教育実習で身に付くのは、現場の悪習だ。

今の教育現場では、実習期間が長ければ長いほど、権利ばかり主張する教員の実態が実習生にばれてゆく。管理職がバカにされている実態をまざまざと見せられると、初めはびっくりするが、次第に、職員室で生きていくにはそうするのかと、インプットされていく。そして、長い教育実習が終わったら、一人前の権利を主張する怠惰な教員の出来上がりとなる。そうなると、いくら税金をかけて新任研修、初任者研修をしようとも、教員の良き新陳代謝は遠くなる。

そうなることは教員はよく知っている。次の例を考えれば分かるからだ。

荒れている学校の教師たちは、新入生に上級生が校則違反している姿や、暴力、暴言を吐いている姿を見せたくない。なぜなら新入生に、ここまで出来るのかと思わせるからだ。、上級生との悪いかかわりの道を絶つことが出来れば、新1年生をきちんと育てる土壌の大半が整ったといえる。そしてやるべきは、鉄は熱いうちに打てだ。最近の高校では当たり前になったが、入学間もない時期に、新入生の宿泊学習をするところが多い。そこでは上級生はいない。新入生に規範意識や学習に対する真摯な姿勢を植えつける大きなチャンスとなっている。

さて、教育実習生が来ている期間、教員はやはり緊張する。つまり、良いところを見せようとする。そして、数週間が終わっていく。しかし、これが3ヶ月間、ましてや1年間となると緊張はほどけ、いつもの実態をさらけ出すだろう。いつもの会話が職員室で飛び交うだろう。そうすると、本採用になる前に、教職員の悪態に染まることになる。

一年もすれば、熱い鉄が使い物にならない曲がった鋳物になる。

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サッカーをまったく経験していない者が、高等学校や大学やクラブチームの監督をして実績を上げることは至難の業だ。中学校時代に総合学習や道徳を受けていない教員がそれを教えることも難しい

だから、教員養成対象者は、総合学習・道徳教育の授業を受け直す必要がある。なぜなら、道徳の授業を年間時数通り実施している学校はほとんどないからだ。教員は道徳の授業を学級や学年または行事などに使っているから大学生たちはまともに道徳の授業を受けていない人が多い。                 
                   
道徳の授業は、道徳の教科書を教員が読んで解説する技術を習得すれば済むのではない。すべてを授業テクニックに任せては、生徒に中身がない教員だとばれてしまう。
                            


教員養成段階で、人間性を育む機会を作ることだ。そのために、人間的に優れた人と出会わせるべきだ。講演会でもよい、どこか企業のセミナーでもよい、生き方の研究を必修としたい。これが、道徳や総合学習につながる。

また、教育実習が長ければ良い教員が生まれる、と考えるのは筋違いだ。長い教育実習で、人間性を育めるかどうか疑問だ。

今の教育現場では、実習期間が長ければ長いほど、権利ばかり主張する教員の実態が実習生にばれてゆく。管理職がバカにされている実態をまざまざと見せられると、初めはびっくりするが、次第に、職員室で生きていくにはそうするのかと、インプットされていく。そして、長い教育実習が終わったら、一人前の怠惰な教員の出来上がりとなる。そうなると、いくら税金をかけて新任研修、初任者研修をしようとも、教員の良き新陳代謝は遠くなる。これぞ税金の無駄使いだ。

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 文部科学省は、教員免許制度や教員養成課程など「教員の質」に関する制度改革に取り組む方針を固めた。

 6月にも、文科相の諮問機関である中央教育審議会(中教審、三村明夫会長)に諮問する。免許制度の抜本見直しや養成課程の延長が議論される見通しだ。

 民主党は、実践的な指導力のない教員がいることは免許制度に原因があると見ている。養成課程についても、教育実習の時間が少ないことなどを問題視している。

 2009年の衆院選では、政権公約(マニフェスト)に「教員免許制度の抜本的見直し」「教員養成課程の6年制化」を掲げた。

 今回の諮問も、こうした問題意識に沿って行われる。具体的には、「教員の質の向上策」をテーマに、
〈1〉教員志望者の養成
〈2〉教員の採用
〈3〉教員の研修
――について、望ましい制度の検討を求める方針だ。個別の検討項目は指定しない考えだが、免許制度や養成課程が議題となる見込みだ。

 同省は答申を受け、早ければ11年の通常国会に関連法案を提出したい考えだ。                                                          
                                                                                                   以上、 読売新聞5・17



                                                                                       教育実習が長ければよいのか。免許制度は、本当に大学院まで必要なのか。教育の元々に戻って考えたい。

教員の資質は半分以上人間性である。人間が人間を教えるのだから当然だ。その人間性は、何によって育まれるのか。これを明確にして論議すべきだ。

スポーツの世界では、監督やコーチの信条や手腕が選手の実績を大きく左右する。つまり良き選手を輩出するには、良き指導者が必要ということだ。その後に育成システムがくる。

人間を教えるのが教師ならば、教師の卵を教える大学の教員の資質を大きく取り上げる必要がある。教員養成職につく大学教員こそ真の人間性が問われるべきだ。教員の卵の育成システムだけをいじっても無駄だ。

教員養成に関して、抜本的な改革の第一歩は、養成職の意識の改革だ。その後システムの改革がある。順番を間違えると、何度改革してもシステムの改革ごっこに終わり、教育界のさらなる疲弊につながる。
 

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行政がすべきことに、教育の正常化対策がある。格差が開いた教育現場の中で、学級を30人の少人数にしても現在の問題点は解決しない。すぐやるべきことは、次の3つである。

①困難校を中心に教師の大幅増員。
財源は、教員の給与の7%削減だ。しかも、小、中、高、特別支援すべて同額にする。浮いた財源を持って教員を増やす。ただし、退職者の再雇用による増員が望ましい。なぜなら、費用は高額ではなく、いつ首を切られても差し支えつかえない人が多いからだ。

②教員の雇用体系の工夫。
教員の労働間に格差がある。特に、長期休業中だ。特別支援学校と小学校は、生徒が来ないので教員は仕事が極端に少ない。生徒が頻繁に来校する中・高に赴かせ、補習や生徒支援にあたってもらう。一般企業では考えられないが、特別支援や小には、夏休み中に30日ほど休む教員がたくさんいる。その方々の利用を考えるのだ。

③不登校や学校の授業に適応できない生徒を手厚く教育する学校の建立
不登校だけでなく、学校教育の範囲では背負い切れず、あとは警察のお世話になるだろう生徒を受け入れる学校を作る。一時的に手厚い指導で、教育を展開する。もちろん、そこで育まれれば、一般校に戻す。




 

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 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、政府がヘリコプター部隊の移転先として検討している鹿児島県・徳之島の3町長らは7日午後、鳩山首相と首相官邸で会談後、記者会見して「飛行場移設は絶対反対という民意は決して変わらない。これからますます強くなる。首相が(徳之島に)来ても、お会い出来ない。会っても平行線だから」と語った。

 日本は一体どうなっていくのか。デフレからぬけだすことはできず、経済成長は中国、韓国、インドから引き離され、政治も経済も地滑り状態だ。米国紙には、鳩山首相をバカにした記事が載っている。
 そうこうしているうちに、教育の世界も混迷の波を受けている。例えば、教員免許更新制だ。もう夏休みをにらんだ講習予約が始まっているが、更新のための講習を受けようか迷っている教員も多い。管理職に今後更新制は続くのか、と聞いても分からないという。教員もこの件で混迷している。
 
 

 

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