教員の質の本質とは
 どうしようもない人が教員になっているとは思えない。ただ、やる気があるのか、ないのかだけの違いはある。教員の質が問われているが、教員の質とは何か。社会常識なのか、学力なのか、コミュニケーション力なのか、情熱なのか、何なのかきちんと定義されていない。

 しかも、質を測定することは容易ではない。なぜなら、目に見えないからだ。校内で優秀とされる教員が、犯罪に手を染めたケースもある。その逆もあるのではないか。つまり、校内では目立たず、主任級ではないが、常に他の教員を支える側に回って、地道に生徒と接し続けている優秀な教員もいるということ。

 我々は、生徒を指示に従わせることが出来る教師が優秀、という定義をしてしてしまうことが多い。しかし、本当だろうか。もし、それが本当なら、教師を全員プロレスラー並みの体を持ったものにすればいい。しかし、吉田松陰、緒方洪庵、クラーク博士などはプロレスラー並みの体であったかというと、そういう事実はない。

 すごい先生とは、従わせるのではなく、生徒が慕うのである。

 教員の質の基本は、その人の心の境地だ。あったかいか、広いか、困難に強いか、志があるか、優しさがわかるか。人間には測れないものかもしれない。

 





 


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2010/07/17 20:43 | Comments(2) | TrackBack() | 教員の質

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コメント

ほんとうにそうですね。

  非常勤職員
posted by NONAMEat 2010/11/13 10:42 [ コメントを修正する ]
同じくです
恐怖政権は教室にいらない
posted by ある一人at 2014/10/18 12:28 [ コメントを修正する ]

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