公立学校の真実
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文部科学省は、教員免許制度や教員養成課程など「教員の質」に関する制度改革に取り組む方針を固めた。
6月にも、文科相の諮問機関である中央教育審議会(中教審、三村明夫会長)に諮問する。免許制度の抜本見直しや養成課程の延長が議論される見通しだ。
民主党は、実践的な指導力のない教員がいることは免許制度に原因があると見ている。養成課程についても、教育実習の時間が少ないことなどを問題視している。
2009年の衆院選では、政権公約(マニフェスト)に「教員免許制度の抜本的見直し」「教員養成課程の6年制化」を掲げた。
今回の諮問も、こうした問題意識に沿って行われる。具体的には、「教員の質の向上策」をテーマに、
〈1〉教員志望者の養成
〈2〉教員の採用
〈3〉教員の研修
――について、望ましい制度の検討を求める方針だ。個別の検討項目は指定しない考えだが、免許制度や養成課程が議題となる見込みだ。
同省は答申を受け、早ければ11年の通常国会に関連法案を提出したい考えだ。
以上、 読売新聞5・17
教育実習が長ければよいのか。免許制度は、本当に大学院まで必要なのか。教育の元々に戻って考えたい。
教員の資質は半分以上人間性である。人間が人間を教えるのだから当然だ。その人間性は、何によって育まれるのか。これを明確にして論議すべきだ。
スポーツの世界では、監督やコーチの信条や手腕が選手の実績を大きく左右する。つまり良き選手を輩出するには、良き指導者が必要ということだ。その後に育成システムがくる。
人間を教えるのが教師ならば、教師の卵を教える大学の教員の資質を大きく取り上げる必要がある。教員養成職につく大学教員こそ真の人間性が問われるべきだ。教員の卵の育成システムだけをいじっても無駄だ。
教員養成に関して、抜本的な改革の第一歩は、養成職の意識の改革だ。その後システムの改革がある。順番を間違えると、何度改革してもシステムの改革ごっこに終わり、教育界のさらなる疲弊につながる。