公立学校の真実
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教員の数をめぐる論議が行われている。
削減を求める財務省に対し文部科学省側は反発している。来年度予算編成に向けた「数」の綱引きに終わらせず、教育の質の向上につながるよう考えてもらいたい。
教職員は学級数に応じた人数の他に教育上の課題に対応する「加配」をプラスして配置されている。
財務省は財政制度等審議会で、義務教育の公立小中学校の教職員の数を平成36年度までの9年間で約3万7千人削減できるとの案を示した。
一方、文科省は同年度までに5千人の減少に抑えるよう計画している。少子化で学級数が減り、教職員数も自(おの)ずと減るが、いじめや不登校など学校が抱える問題は多様、複雑化しているとして加配教員の増員を求めているからだ。
財務省案に対し、文科相の諮問機関の中央教育審議会は「学校の厳しい実態を無視した暴論」と非難し合っている。
国力につながる教育に、十分な予算が必要であることに異論はない。しかし、限られた財源の中で何を優先するのか。義務教育費の8割を人件費が占めていることは事実であり、教職員数は他の文教施策にも関わる。
少子化のなかで、児童生徒数に対する教員の数はむしろ増えている。1クラスの人数が20人台以下の学校も少なくなく、安易な教員増が公教育の信頼回復につながらないことは経験上明らかだ。
教員が増えれば本当にいじめが解決できるのか。多忙が解消されるのか。こうした財務省の疑問を、文科省をはじめとする教育界は、真摯(しんし)に受け止めて答えを出さなくてはなるまい。
学校を外から見ると、真剣に指導にあたる教員と、そうでない教員の差が大きい。指導力不足の教員が放置され、他の足を引っ張る現状もある。まず教員世界の悪平等を排し、熱心な教員を適切に評価し、報いたい。意欲ある教員が腕を振るえる環境を整えることで優秀な人材も集まろう。
校長や教頭に多くがなりたがらないという組織は不健全だ。研修などを工夫し、日頃から教員同士の連携を強めることでチームとしてカバーし合い、不登校などの問題を解決している例もある。
教育を良くするも悪くするも教員の力にかかっている。その力を高める施策を優先してほしい。
教員の質を高める施策を優先するべき、という論調だ。しかし、ここで質を高める施策とは何か、という問題が出てくる。例えば、研修を繰り返せば質が上がるのかということだ。
現場では、今は新任の研修が多く、新任が校内で十分な活動ができないことがある。また、研修の内容も不評なことがある。
今、現場の教員に身につけてほしいことは次の2つだ。
1つ目は、試練を迎え討つ心の構えだ。毎日、教員には試練が矢継ぎ早にやって来る。それをどう受け止め、最善の道をつけていくかを問われつずけている。毎日が秒刻みの神経戦だからこそ必要なことなのだ。
2つ目は、信頼関係を構築する力だ。生徒や保護者との信頼関係だ。また、同僚同士の信頼関係だ。信頼関係は教師の権力や力を振りかざしてはできない。かといって、もの言えない弱腰でもできない。これは本当に難しい。
これら2つは知識をもらう研修ではつかめない。失敗も含めて経験を積み、よき先輩たちと仕事をして心を心を研いでいくしかない。
今は昔と変わり、一般教養の試験がないところがある。また一般教養が出題
されていても配点が極端に少ないところもある。
実際に大阪や広島などは一般教養がない。大分などはあってもとても配点が低い。
また、教職教養と専門教養の配点比率は1:2程度のところが多い。
さて、一般教養試験がないということは、自分が教える専門教科と教職教養だけを頑張れば、教員になるチャンスがあるということだ。
大学4年間みっちり採用試験に向けて対策を行えば、底辺と呼ばれる大学からも十分に採用試験に合格できる。
あとは、出来る限り人間を磨くことだ。ボランティア、バイト、サークル、何でもよいから人間関係を磨ける場所に自分を置くことだ。それが面接やグループワークの具体的な対策となるからだ。
定年退職しても、再雇用とかで働けるか体力的なものが心配だ。
今、老後貧乏やら下流老人という言葉が使われだした。我々もそうなるかもしれない。これだけ身を削り心をすり減らして、夜遅くまで仕事をして中学校に貢献してきたのに…。
歳とれば、若い元気な教師に負ける。悔しさがにじむ。しかし、よく考えてみると、自分も若い時には、歳とった教師を見下すことがあった。
悔しいが、さまざまなことを若い教師に譲るときがきたなと感じる。
埼玉県北本市の市立中学校全4校が、給食費が3ヶ月以上未納の家庭には給食を停止する旨の通知を出したことが議論となっている。
朝日新聞によれば、「文部科学省が全国の公立小中学校583校を抽出して行った調査では、12年度の未納者の割合は0.9%。法的措置をとった学校は1.1%。完全給食を実施する公立小中学校(約2万9千校)全体での未納額は推計21億円余りに上る」とのことだから、もはや個別に対処できるレベルをはるかに超えている。
さて、その記事の後には「そのような懲罰的対応ではなく支援を」、「保護者と信頼関係を築く必要」との識者の意見も付け加えられていた。まことにごもっとも。しかし、そのような精神論を繰り返すだけでは、何の解決にもならない。どうすればいいのかをここで考えてみたい。
この問題の背後には、本来の業務とは思えない事例に現場の先生方が翻弄されているという実態がある。よく知られているように、日本の、特に小中学校の先生方の忙しさは異常だ。生徒たちとじっくり向き合えるはずの貴重な時間を奪い去るような雑務からは極力解放してあげるべきだ。給食費未納問題を考えるとき、この視点を欠いてはならないと思う。
この問題の難しさは、経済的に払えない家庭と、払えるにもかかわらず払わない家庭が混在している点である。
前者に対しては適切な支援が必要である一方、後者に対しては結局、今回のような対応しかないのではあるまいか。単に現場の中学校任せにしているだけで明確な方針をたてないでいては、事態を悪化させるだけだ。
北本市の場合で言えば、該当する43名全員が納付するか、納付する意思を示したという。必ずしもそうならなかった場合でも、このような明確な態度を示した結果として本当に支援を必要とする家庭を把握できれば、はるかに細やかな対応が可能となるはずだ。
「罪のない子供に親の責任を押し付けるべきではない」という意見もよくわかる。しかしそれでは、払えるにもかかわらず払わない家庭をそのまま容認することが子供の為になるかどうかは大いに疑問である。
いずれにせよ、これは北本市だけの問題ではない以上、早急に国レベルでの指針を明示し、現場で対応せざるを得ない人々の心理的負担を少しでも軽減すべきである。その場合、
1) 義務教育での給食費は税金でまかない、各家庭から徴収しない。
2) 給食を廃止し、各自が昼食を用意する。
という選択肢がありえる。
我が校にも未納者はいる。この問題の責任を教員が担うとすれば、おかしなことだ。事務レベルで解決すべきことだ。
ただ、教員はこのとき、無関心でいるわけにはいかない。未納という現実を受け止め、子どもたちの背景を知るチャンスとしたい。保護者の考えを聞き、保護者の苦悩を知ることだ。もっと言えば保護者と友だちになればいい。言い方をかえれば保護者にも寄り添える教師となることだ。
なぜなら、そこから子どもに対する様々な解決策が広がってくるからだ。
未納はバツ。未納する保護者はバツ。
この ○ × の考えから離れると解決策が見えてくるものがある。
教員採用試験の結果が出て1カ月ほど経つ。
しかし、静かに来年の教員採用試験に向けての戦いは始まっている。
大阪ではチャレンジテストという教員採用試験がある。12月にあるという。講師の人はほとんど受けるようだ。そのテストは教職教養だけだという。それを75パーセントとれば、来年の教員採用試験の教職教養は免除されるという。
大学推薦枠の採用がある。理系にその枠が多い。推薦というので、教育大などの教員を多く輩出している大学だけが推薦枠を持っていると思っていた。しかし、世間で言うFランク、つまり偏差値の低い大学からでもできることを知った。しかも、そこから合格している。
教員採用試験で良い結果を出すには、対策が必要だ。
また、どうしても教員になりたければ捨てるものは捨てるべきだ。例えば、地元受験を捨てて、日本各地どこでも教員をする覚悟を持つとかだ。
なぜなら、都市圏、関西圏を中心に数年後に採用数はガタ落ちになるからだ。今後、東北、九州などが採用数を伸ばすだろう。
例えば、今年の夏の養護教諭では、東京は10.9倍、神奈川は13.5倍、横浜23.3倍と昨年度より高くなってきた。それに対して、青森、岩手は3.3倍と低倍率を維持しだし、大分に至っては2.9倍と3倍を切る超低倍率に入ったのだ。
10倍を超えると採用試験は本当に難しい。ペーパーテスト対策だけでなく面接や模擬授業対策を完璧にしなければならないからだ。
地元出願に固執する人も多いが、他府県の受験も考えてもよいかもしれない。
一定の基準を満たしたフリースクールに通う子どもは、在籍する小中学校への出席と同じ扱いにできる仕組みを考える。有識者会議を設置し、早ければ2016年度からの制度化をめざす。
フリースクール全国ネットワーク(東京都)によると、フリースクールは全国に約400~500あるが、規模は10人程度から100人を超えるものまで様々だ。同省では実態調査を行った上で、児童生徒の学校復帰や社会参加で実績を上げているなど一定の基準を満たしたフリースクールに通っている場合、出席扱いとする方向。現在、出席扱いとするかは、在籍する小中学校の校長の裁量に委ねられている。法令などに基づく正式な教育機関として位置づけ、フリースクールに通う児童生徒に対し必要な費用を補助する仕組みも検討する。(2014/8/26 読売新聞)
確かにフリースクール登校生徒を出席扱いにすることは、不登校生徒への学習や生活の道を一定広げたように思える。
問題は、フリースクールの費用が高いことにある。我々がみてきた限り、不登校生徒の親がフリースクールに通わせることを決断することは稀だ。なぜなら、しっかり経営しているフリースクールでは月50000万程度の費用がかかるからだ。それに交通費も必要だ。
本当に不登校生徒に学校外で教育を受けさせるには、人道的立場で儲けを度外視してフリースクールを経営しなければならない。それには、寄付を募るか、公的援助を受けるか、自腹を切るかだ。
校長の後悔
全面禁煙の学校の体育館裏で教員らの喫煙を認めていたなどとして、大阪府教育委員会は10日、府立高校の男性校長(58)を減給10分の1(1カ月)の懲戒処分にし、発表した。「指導が不十分だった」と話しているという。
校長は2013年6月、校舎1階の喫煙室を廃止する際、目立たない場所での喫煙を認め、教員らは体育館裏のフェンスで囲まれたスペースで喫煙していた。朝の通学時間以外は生徒が通らない場所だったといい、昨年4月に校長が異動するまで続いたという。校長自身は愛煙家ではなかった。府教委は08年3月、全府立学校の敷地内を全面禁煙にするよう通知していた。
朝日新聞(石原孝)2015年7月10日18時44分
ぼや:教諭喫煙で 禁煙の中学校 福岡
毎日新聞 2015年10月24日 東京朝刊
福岡県久留米市教育委員会は23日、市立北野中で22日夜に教員の喫煙に起因するとみられるぼやがあったと発表した。市教委は10年前から市内の学校敷地内を全面禁煙としているが、同中では校長(58)と教頭(52)を含め計4人の教員が常習的に喫煙していた。
市教委によると22日午後8時25分ごろ、校舎2階の男性教員用更衣室でぼやがあり、ごみ箱とモップ、壁の一部を焼いた。火災報知機で気付いた残業中の教員3人が消火し、けが人はなかった。警察と消防の調べで、ごみ箱のたばこの吸い殻が火元と判明した。
同校によると、更衣室では出火直前の22日夕方に教頭と50代の教員が喫煙。空き缶に吸い殻を入れており、それを管理人がごみ箱に入れ出火したらしい。
市教委の今月の調査では、66の市立学校のうち15校で教員が校内喫煙をしており、同中の校長ら4人も含まれていた。市教委は改善を指導しているところだった。同校の大熊彰校長は取材に「ルールは知っていたが認識が甘かった。火事を知ってから禁煙した。他の3人にも指導する」と陳謝した。【中村清雅】
校長が校内での教員の喫煙を暗黙に認めるのはなぜか。
理由はただ一つ、「癒着」だ。
指導をすることで、その教師と関係を壊したくないからだ。
特に、ある意味立場の強い教師が喫煙をしていると、指導できないことがある。
例えば、腕力が強く、生徒から怖がられている教師。学校にはもってこいの用心棒のような存在。このような教師が、横柄な態度や教員間のルールを見事に破っていても、指導しない校長はいる。なぜなら、そのような教師から反発をくらうと学校運営がやりにくいと感じるからだ。
しかし、若手教員や立場の弱い教師が喫煙していたら、指導するだろう。教育委員会にあげるぞ、と簡単に脅すだろう。
このような校長の心理は、多くの教員から見破られている。そして、職員室は不信感であふれている。
校長は、どの教員にも公平な立場で接する姿勢を貫くべきだ。校長の一部の教師を特別扱いにする姿勢は、一時は良くても学校全体を暗転へと導く。なぜなら、その他大勢の教師たちがやる気をなくし、結局、総合力低下を招くからだ。
実際、このような校長と学校を見てきた私が言うのだから間違いない。
その学校では、今も校内で一部の教師の喫煙が黙認されている。
小中教員採用、一転し「狭き門」に 子ども人
口減で
編集委員・氏岡真弓
2014年9月14日10時09分
公立小中学校の先生は、いまの大量採用から一転して狭き門になりそうだ。広島大大学院教育学研究科の山崎博敏教授によると、子どもの人口減少の影響をもろに受け、採用は2021年度から急減し、25年度には今より約5千人減の約1万7千人にまで落ち込むという。大学は教員養成の計画を見直し、定員を縮小するなど「冬の時代」への対応を迫られることになる。
講師の先生の中で、今年の採用試験に不合格となり、その後すぐに勉強を始めている人がいる。机の上には教員採用試験の問題集があり、空いた時間にコツコツと取り組み、放課後2人で勉強会をしている。教員になりたいという強い思いが伝わってくる。不合格という現実を突きつけられての悲壮感も同時に伝わってくる。
教員採用試験での大量採用は、大都市圏ではピークが過ぎようとしている。もし、ここ数年以内で受からなければ、何年も講師のままでいなければならないかも知れない。その恐怖がぐっと背中を押す。
教員採用試験のペーパーテストは努力したもの勝ちのところがある。教職教養は大学から学ぶものだから、東大卒でも偏差値が底辺の大学卒でも、とにかくやったものが点をとることとなる。
一般教養だが、県によってはないところや、点数配分が非常に小さいところがある。また、一般教といっても時事問題が大半を占めるところもある。本当の勝負は専門教養だろう。配点も高い県が多い。自分の専門とする1教科だけだ。だから、やれば必ず点はとれる。
諸君、頑張ってほしい。講師たちのようにこの10月からコツコツとやらないと突破できないかもしれない。ここ2,3年の間に採用されないと厳しい冬の時代がやってきそうで怖い。
だが、学校に来るが、やることのない教員も多いと聞く。なぜなら、夏休みに生徒は学校には来ないからだ。部活動も補習もほとんどない。だから、校内で勤務時間が終わるまでどのように時間をつぶすか悩む教師も少なくないと聞く。
支援学校のグラウンドや体育館は夏休みは空っぽだ。中学校では部で体育館やグラウンドの奪い合いをしているのにだ。夏休みに、支援学校のグラウンドや体育館を解放できれば、喜ぶ部活顧問もいるのではないか。
また、暇を持て余している支援学校の教員に、中学校や高等学校での学習支援や部活動支援を許可すのことができないのだろうか。支援学校には体育教員が多い。力を持て余していると思うのだが。
マンション1棟がほとんど中国人になった。
どうなっているのか。日本はなんなんだ。
下のユーチューブを見ると…
トロイの木馬状態というのもうなずける。
ウイグルのようになるというのもうなずける。
こういうことを教えていくのは教育ではなく、
ネットしかないというのも情けない国だな。
https://www.youtube.com/watch?v=m2bUJBx5-6I&feature=player_detailpage
私が中学校の時、社会科の先生が共産主義の説明をした。その時、中国や北朝鮮をすばらしい国であるかのように説明した。いまどき、そういう説明をする教師はほとんどいないだろう。しかし、事実は教えられていない。
例えば、下のようなぶろぐの説明だ。これはある意味事実だ。中国は唯物主義国家だ。
ただ、王族に関しては当てはまらないこともないが、新渡戸稲造の「武士道」を取り上げたほうが分かりやすいかと思った。
宇田川敬介のC級ニュース解説と宇田川的ぼやき
中国が非常識国家なのは共産主義的唯物主義によって王族も宗教も存在しない「無道徳国家」となったからである
最近、学校が変わってきた。ゆとりからの脱却ということだろう。授業時数の確保が最優先されている。
昔は、9月1日から2学期が始まり1,2週間ほど短縮授業で体を慣らさせてから通常授業に移行する。それが、8月の25日前後に2学期の始業式があり、翌日から6時間授業という公立学校もでてきた。寝屋川市などは8月22日始業式だ。また、定期テスト後も帰らさず授業を行ったり、土曜授業も模索しだした。
現場の教師は生徒に嫌々学習をさせても効果の上がらないことは知っている。生徒の荒れや怠惰な状況を生み出すことにつながることも分かっている。だから、このような施策に呆れている。そして、ますます生徒の荒れや不登校を増やしているように思える。
部活動をしている生徒の中には、心身を休ませる暇もない者もいる。放課後の練習だけでなく朝練習や土日の練習があり、塾も通うのだから文字通り過密スケジュールとなる。学校生活に適応できなくなる生徒が出てきてもおかしくない。
中学生は授業、部活、塾と走り続けさせられ、エネルギー切れになることも避けられない状況がある。走り続ける意味をゆっくりと考える暇もない。
生徒たちは、私はなぜこんなに走り続けているのだろう、と考えることもあるのだが、立ち止まって考えていると置いていかれそうになり怖いという。
今の不登校の考え方から読み取る。
京都新聞 2014,12月23日
来春開校する昼間定時制の京都府立清明高(京都市北区)は、個人で時間割が組める新しい形式の学校で、不登校経験者や自分のペースで学びたい生徒や保護者から注目を集めている。
9月の説明会には府教育委員会の予想を上回る参加者があり、12月2日に公表された中学3年生対象の進路希望調査では定員の2倍を超える志望があった。一方、学識者は、全日制高校のような学級活動がほとんどないため人間関係がつくりにくいなど課題も指摘する。
9月20日の説明会は申し込みが殺到し、生徒や保護者ら約600人が参加した。予定していた京都商工会議所(中京区)の講堂では足りず、近くに別会場を急きょ用意するほどだった。
不登校という宇治市立中3年の女子生徒(15)=宇治市=は説明を聞き、「1期生は自分たちで学校をつくれるので憧れる。すごく行きたくなった」と話した。母親(54)も「暗いイメージがあったが、説明を聞いてさわやかな印象だった。娘に新しいスタートを切ってほしい」と期待を寄せた。
清明高は、午前と午後の2コースがある多部制単位制。基本は4年間で科目を履修するが、必要な単位を修得すれば3年での卒業も可能だ。科目の選び方で、特定の平日を休みにすることもできる。校舎には少人数授業に対応した仕切り付き教室のほか、読書や自習スペースを9カ所に備える。スクールカウンセラーの常駐も検討する。
京都に新しい昼間定時制の高校が出来たのか…とPCの前でく見ていたが、娘に新しいスタートを切ってほしい…という母親の言葉を読んだとたん、おかしいと思った。
「なぜ、不登校の中学生は高校からしかリセットできないのや」と、疑問がよぎったのだ。
不登校の保護者の中には、うちの子が学校に行かなくて申し訳ない、という想いの人がいる。しかし、申し訳ないと思わねばならないのは文科省だ。多様化している子供たちに対して、一律な路線しか提供できないからだ。
中学校にも高等学校のように通信過程や不登校支援のための学校があってもよい。中学校以外でも学習できる環境の充実を図ってもよいと痛切に思う。
先生を「命令だけ」で動かしたら
本校は先生の数が20名あまりの
また、現在『産育休者が4名』い
今、50才以上と非正規雇用者で
『子は宝』であり最も産育休は尊
その状況でも学校の安定が維持で
情をもって生徒や保護者、地域だ
現にそんな負のスパイラルに陥っ
市長も大阪市の教育委員会議もそ
テレビや新聞の報道でわれわれ場
もう、最近驚きもしない。諦めで
東三国中は大阪市の長所のみを取
でも、もう疲れたよ。
そろそろ転勤する教員が分かってくる。大阪市では新任4年目、転任してきて7年目の教員は、転勤対象になるらしい。
最近、大量採用で新任から4,5年経つ教員が多くなり、同時期に出ていく教員も多くなってきたという。
しかし、それが次年度の校内人事の足かせとなっている。転勤対象教員が多いと、次年度の的確な人事配置がうまく出来ないからだ。
だから校長は、なんとか必要な人を引きとめなければならない。転勤希望を出させないようにするということだ。それには積極的にその人に働きかけなければならない。「あなたがどうしても必要だ」と。それだけでは力がないので、来年度快く働ける環境整備を提示し、残ってもらうメリットをつかんでもらうのだ。
特にしんどくなってきた学校はそれが必要だ。しんどい学校に誰が好んで残る者がいるのかということだ。もっとましなところに出ていきたいと思うのが人情だろう。
引き止める校長の度量が問われる季節でもある。
学校のしんどさには2つある。教員同士の人間関係のしんどさと生徒たちのしんどさだ。まだ耐えられるのは、ある程度生徒がしんどくても教員の絆がある時。この学校で頑張ってみようと思う。安心感があり支えられていると感じるからだ。
残りたくないのは職員室に殺伐とした雰囲気が流れている学校だ。「はやく出ていきたい」のつぶやきがそこかしこで密かにささやかれている。
この職員室の雰囲気作りも校長の肩にかかっているといっても過言ではない。
ただ、それを自覚している校長は少ないし、校長が職員室の密かな雰囲気をつかむのは難しいことだ。
教育劣化は日本経済の大問題だと見出しがついていた。表紙には4つの言葉があった。ブラック化する職場、いぞがしすぎる先生たち、教室から先生が消える、広がる教育格差の4つだ。
本文の内容はデータもしっかり入れて説明されているので分かりやすい。しかし、私が一番心に残ったのは本の後ろにある「編集部から」という小さな記事だった。
編集部から
「教師と言うだけでなぜ小さな事故や事件でも記事にするのか」。新米新聞記者だった頃、こんなことで上司と口論になったことがあります。上司の答えは「教師の動向は世の中の関心が高いから」というようなものだったと記憶していますが、今回の取材であらためてこうした「教師たたき」や特別視は行きすぎだ、との意を強くしました。
教師は特別だという考え方と、何か事が起きると「教師(学校)に対応させろ」と、教師を便利屋のように使う発想には通底するものがあるように思います。教育改革が叫ばれるたびに、新たなやることメニューが学校現場に持ち込まれ、それが教師の多忙化や疲弊につながっていく。
そろそろ教師のできること、できないことを冷静に分類する必要があるようです。
このような冷静にものごとを考え判断してくれている編集者に心より感謝したい。励まされる思いがした。
東洋経済の特集にも大阪の教員の疲弊が掲載されているが、給食については触れられていない。ここで大阪市の給食について述べておきたい。
保護者の良かれと思うことと教師の良かれと思うことに違いはあるが、大阪市の中学校の給食は、まさにそうだ。
橋下市長の掲げる全員給食は、中学校1年生ですでに始まっている。保護者は弁当を作らず、楽になった。
しかし、生徒は小学校の給食の方がはるかにおいしかったと毎日不満を口にする。そして、教師に何とかしろと迫る。
大阪市の教員が言うには、自分も食べたが冷たくまずかったらしい。
何より、教員に給食指導という仕事が増えた。指導の行き届かない困難校にとっては、給食当番をきちんとさせるしんどさやアレルギーへの対応などに追われ泣きっ面に蜂という状態だ。だから、全員給食ではなく、選択制のまま置いておくべきだったとほとんどの教員が痛切に思っている。
なんでも学校にまかせるやり方は教師を疲弊させるだけになる。結果的には大阪によき教育は決して生まれない。
橋下氏は保護者の意をとらえて給食制度を導入しているつもりだろう。しかし、今後、中学生たちが成人になった時には橋下氏を支持しない存在にまわるだろう。その数は計り知れない。
マスコミは学校を外から見ることはできても、事実を知ることはできない。なぜなら、学校の中に入って、日常の授業を取材したり、職員室の実態を知るべく職員室に常駐することはできないからだ。もちろん校内にビデオカメラを設置して生徒の本当の実態を知ることもできない。
もし、学校にいて生徒の実態を目の当たりにすることが出来たら教師を見る目は必ず変わる。
保護者にいくら口で説明しても子供の実態が伝わらない時、来てもらって見てもらった時に初めて納得してもらえたことはよくあることだ。
その面では、様々な角度から実態を検証することが出来た東洋経済の特集の意義は大きい。しかし、この問題を解決する策を提言するまでには至っていない。それは我々教員のこれからの役目でもあろう。
また、不登校生徒にも丁寧に対応したい。
授業準備の時間は削られる。
上の80パーセントは感覚的だが、遠慮した数字だ。
朝、1時間目が始まってしばらくすると服装違反に身を固めた生徒たちがぽつぽつと登校する。今日も来たかと思う。服装を正して教室へ入れるのだが、言うことを聞かない。短いスカートを伸ばさせてもピアスをとらない。2時間目に入ってようやくとる。しかし、今度は教室へ入らない、そのような生徒が学年に1人や2人だったらよいのだが、10人にもなると授業をしていない教師をかき集めても対応できない。そこへ不登校の生徒が別室登校してきたとなると、どこかを捨てなければならない。
これが毎日続くと自己の体力気力の限界を感じるようになる。
職員室に落ち着いて座って仕事をするのは、あの子らが朝登校してくるまでの間だけだ。昼食も喉が通らないし生徒と一緒に食べない。昼休みはトラブルが起こりやすいのでなるべく教室にいる。自分の昼食は昼食時間以外の空いているときに食べる。それが放課後になる時もある。だが、放課後は部活動の指導だ。
中学校はブラック企業だ。
さあ、ほんのひと時の休みは終わり、3学期が始まる。
授業も入らない、九九も十分でない生徒たちを3学期からどうすればよいのか。教師だけで解決できるとは思えない。教師はなんとか一日をやり過ごしているだけで、市民の方や上の方が思ってるほど成果をあげられていないのだ。
社会の闇を抱え込んでいる生徒たち。その闇と対峙する教師。この教師たちを支え支援することが必要だ。
マスコミにたたかれ、上からは絞られる教師たち。3学期も未熟だが我々は知恵を結集して頑張る。
中学生の時に勉強した。「インフレ=物価の上昇」、「デフレ=物価の下落」。デフレの対策として金融緩和だ。お金の量が増えればお金の価値が下がることで物価が上がりるからだ。
IMFのラガルド専務理事はイベントで講演、、日本銀行が打ち出した金融緩和を「非常に大胆な金融政策が打ち出された」と評価したほか、「ECBと日銀が景気低迷と低物価上昇率との戦いで、非伝統的手段をとることは完全に正当であり、適切だ」と全面的な支持を表明した。世界は日本の量的緩和を支持している。なぜなら、それがデフレ対策の基本だからだ。しかし、日本は今までのデフレに慣れているため、どうしても円安に対応できない体質になっている。だから、長期的には量的緩和は当然すぎる対策なのに、短期的な視野で見てしまい酷評するのだ。今は、長い目で世を見れる経済人が少なくなってしまったからだろう。
日本が経済失速しているのは4月の消費税アップによるものだ。アベノミクス効果が終わったからではない。だから、次の消費税アップを延期するのは当然だ。
〔激論・アベノミクス〕増税で効果打ち消しでも、
この道しかない=三菱UFJリサーチ 片岡氏
──デフレ脱却に他の道はないのか。
「この道しかない。野党がアベノミクスを否定するのは難しいと思う。経済学的に、景気を持ち上げるためにすべきことは、金融政策と財政政策とされている。金融緩和をし過ぎることは問題だが、不況下では問題ないということは教科書にも書いている。それを愚直にやろうとしている現政権を批判するのは困難だ」
6月25日に公表されたOECDのTALIS2013によれば、日本の教員(中学校)は、1週間あたりの勤務時間が、調査に参加した34カ国・地域の平均38.3時間を大幅に上回る53.9時間で、参加国中で最長だった。また自分の指導に対する自己評価や教育職への社会的な価値感、満足度なども、相対的に低かった。
1週間の勤務時間で、日本の53.9時間に次いで長かったのは、カナダ・アルバータ州の48.2時間で、5.7時間の開きがあった。次いでシンガポールの47.6時間など。
参加国平均以上は、参加34カ国・地域中10カ国(回答数が少なかったので参考データとしてアメリカの44.8時間がこの中に入る)。平均よりやや長いデンマークが40.0時間。
特徴的なのは、勤務時間の中で授業そのものに使っている時間が占める割合。参加国平均では、勤務時間全体の半分を授業に使っている。これに対して日本は、勤務時間全体の3分の1ほど。
欧米に比べて日本では、部活動や生徒指導、事務処理など、授業以外でも多様な働きに向けられる時間がたいへん長い状況が浮き彫りにされた。
(詳細は「教育新聞」紙面に掲載)
大阪市内に入ると景色が一変する。道路や町並みは煩雑でごみも多い。少し離れて北に行くと吹田市や豊中市そして池田市がある。吹田市千里にいくと、町並みは整備されてとてもきれいだ。
大阪市内の学校はまず敷地が狭い。緑も極端に少ない。生徒たちがよくがんばって生活していると感心する。グラウンドは豊中市や吹田市の学校の中庭程度しかない学校もある。学校教育がスムーズに行われているとは思えない。
そこで、提案が2つある。
一つ目は、小学校と中学校の施設の共有化の推進だ。大阪市内では小学校と中学校が隣接しているところが多い。なので体育館やグラウンドなどを相互に使用することが可能になる。問題はあろうがメリットは多い。
二つ目は、空いている市や府の施設を中学校に開放することだ。平日は、市や府の施設でガラ空きのところがある。無料で開放すべきだろ。
こんなことはすぐにでも出来ることだ。
大阪市は中学校給食の完全実施など、現場に負担になることにエネルギーと資金をつぎ込んでいる。現場が仕事をスムーズにできることに力を入れるべきだ。
今年、小学校の採用試験の倍率が1,99倍と聞いた。さらに、教頭職の希望者がいないと聞く。
当然だろう。
大阪市の教育に魅力がなく、現場そのものが疲弊しているのだからだ。
学校に来て、授業に入らずうろうろする。授業中に音楽を鳴らしながら廊下を練り歩く。煙草を教室で吸う。テストさえも受けずに自分のしたいことだけをする。そのような生徒を追いかけ、時には生徒から罵倒されながら、小突かれながら、教師は毎日をやり過ごす。
生徒にはそれ相応のそうなっていく事情や背景がある。しかし、問題は親にも教師にも手に負えなくなった生徒をそのまま中学校に置いておく策しかないのかということだ。
学校はどの生徒にも差別なく同じ教育課程を施すことを使命とする。しかし、あらゆる差があり、「個に応じた指導」などという策では解決できないのが現実なのだ。
まず、早急な対策として、中学生で学校に適応(順応)しない生徒の中で、自分を見つめ直したい勉強し直したいという生徒を地域のコミュニティーで捕まえて、学校よりもそちらで面倒をみる必要がある。
言うならば居場所とでもいう所だ。退職教員、学生ボランティア、主婦、これらを動員して作る。
最近、授業中うろうろする生徒を見て、他の学習の邪魔をする加害者と見るのではなく、画一化された教育システムからの被害者と思うようになってきた。
画一化された教育システムとは柔軟性のないものだ。社会は多様化し、流動化している。古すぎるパラダイムで学校教育を動かすと無理が生じる。
教師や市民はパラダイムの転換を迫られている。
本当は大人しい生徒とも話をしたい。
1日が終わると、疲れと共に、クラスの一部の生徒としか関わっていない悲しさがくる。ある時、学年の中にこんな生徒がいたのかと驚いた。学年の生徒たちもやんちゃな生徒を中心にしか関わっていなかった。
早く退職いしたい。退職して、教師の忙しさを助ける仕事をしたい。どのようにすればよいのかまだ構想を練っているところだ。
明らかに一部の生徒に大半のエネルギーをとられている教師が多い。そのエネルギーを他に使えば救われる生徒もいるだろう。
大阪府教育委員会 教育長 中原徹さん
「公平っていうのはね、教育内容の全員が同じ教科書というのが公平だと、僕は思ってないんですね。
それぞれの今まで歩んできた背景、環境に応じて、その子にとって役に立つことを公平にやっていくことだと思いますんでね。
だから『カリキュラムの中身とか使っている教材だとかが違うから公平じゃない、むしろ合わせることが公平だ』というのは、それは間違った公平感だと思いますけどね。」
2014年3月3日(月)放送 クローズアップ現代より
中原氏のこの公平感に賛同する。しかし、子どもたちの背景や環境に応じた教育を展開するとなると必要になるものがある。教員の増員と実施スペースだ。一律に教育を行うのと生徒に応じて行うのとは教育の質が違う。よりきめ細やかな教育になる。つまり、実行するには予算が必要だ。
それを無視して現場に理想を丸投げするなら、計画は総合学習と同じく現場の厄介者になる。そして教育現場のさらなる悪化へと進むだけだ。
私は大阪の教育には特別支援教育の視点が必要と痛感する。ADHD,LDなどに対応する教育だ。
教室に6時間じっと座らせなければならない、教師にとっても子供たちにとっても苦痛の極みだ。
小学校から中学校に上がってきても、九九の半分も言えない。2けたの足し算も出来ない。もちろん授業など分からないし、受けようという意思さえ見当たらない。なにより多動でじっと出来ない。
だから、教室から飛び出す。教師は他の迷惑になるので注意せざるを得ない。親に連絡をすると一時的に止むが、すぐにもとに戻る。一部の子供は親が学校に来ても同じだ。中学生になると体も大きくなり、教師は制止もできず。打つ手がなくなる。残念だが、最終的に警察にお世話になる。
通常の教育課程を無視したほうがその子のためになる。
なぜなら、ADHDなどの子供たちは自分の好きな事は熱中する。
時間割で例を示せば、
1時間目 数学や国語
2、3、4時間目 技術や家庭科 音楽 体育 美術
昼からは部活動という具合にだ。
欲を言えば1日中部活動でも良いぐらいだ。
これでもダメなら、職場体験活動を6カ月ほどさせたい。
大阪には超個に応じた指導が早急に必要だ。
夢や理想で終わるのではなく、予算を付けた具体的な実現を願う。