公立学校の真実
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今、非常員講師をしているが、3月の末で切れる。その後4月からは自分の好きなこと、会社経営を推進する。
それはさておき、なぜ私が現場の非常勤講師を二度とやらないかと言うと、管理職と波長が合わなくなった故だ。
若いころ、定時で帰るやつらを見て、もっと仕事しろよと思ったものだ。しかし、立場は逆転した。きっちり定時で帰る私のようなやつ(非常勤講師)を見て、管理職が嫌みを言い出すのだ。
これにはまいった。馬鹿だと思う。
管理職こそ働く者の勤務管理を考える必用があるのではないか。定時で帰る教員に職員室のみんなに聞こえるように嫌みを言うなんて考えられない。おまけに私は時間で働いている非常勤講師だ。常勤講師のように「定額働かせ放題」ではない。
バカだと思う。
だれが二度と非常勤講師をやるものかと心に誓った。
思い返せば、人が足らないから、嫌な条件をのんで勤務することを決め、真面目に頑張ってきたが、定時で帰ると嫌みを言われるようになった。あり得ない。
こんな管理職がいるから、講師も来ない。上から目線で誰がやるか。
若い者は上からえらそうに言われても、将来のことを考え我慢するだろう。
だが、私は敬意の感じない管理職の対応には反発する。
管理職の質を疑う。
そのままにしておくと台風の時に瓦が飛び他の家に迷惑がかかる。
ボロ物件は安いし利回りが良いのだが、こういうことがあるので危険な商売ともいえる。
教え子の工務店に来てもらい見積もりをしてもらった。
70万だという。
「教え子やろ、もうちょっと考えろや」と言いたくなる金額だった。
ショックだった。
だがどうしようもない、道は3つだ。
①家を売る ②70万で直す ③ついでにいろいろなところを直しまくる
さて、どうするかだ。
100万までで購入できたこのぼろ物件、人が住めるまでにかなりのお金をかけてきた。 だからまだかけるのかと思うとショックなのだ。
下を向いていても仕方がない。
最善の道はあると信じよう。
ひょっとしたら、このぼろ物件をこの際さらにリノベーションせよという天からのお達しかもしれない。
そう思うと心が軽くなってきた。
人生が楽しくなってきた。
共済保険に入っていれば保険料は半分以下でよいのだが。
小学校のサポートを辞めているので、共済保険に入っていない。
ショックな請求が来た。
ムカついてきた。
やっぱり、どこかで働かざるを得ないのか。
悔しい。
明日はハローワークでも行ってみようかなと思う。
週3日働けば、何とか保険に入れる。
時給が高ければ、何とか税金も払える。
これだけ税金や保険を払わなければならいないとなると
恐怖が走る。
今のたくわえが減ることに恐怖が走る。
やはり現役は心身はかなりしんどいが、お金の面では平和だった。
どんなに力があり華やかな教員生活であった人も、65歳からは、ひそやかな「今どこで何をしていらっしゃるのかしら」状態となっている人が多い。
しかし、その中でも勇しくまだ働いている者もいる。ほとんどが非常勤だが、元気だ。週3勤程度、現役と比べても見劣りしない働きぶりだ。
その割合は増えているように思える。
稀だが、先日、フルで働いている70歳の教員に出会った。びっくりであったが、本人は70超えてもフルでまだ働くという。こういう人は100人に1人ほどだろうか。
高齢で働く人のために、待遇を改善してほしい。会計年度職員などはこの物価高もう少し賃金を上げてもよいではないかと思う。
高齢者自身も元気に働く体を保つ努力をし、生産性のある仕事ができるよう工夫をしなければならないだろう。
そのためには、退職してから考えるのではなく、せめて40歳からは退職後の計画を練り始めなければならない。仕事漬けにならないで、体力づくりや副業を開始することなども含めて、人生を考え始めなければならないということだ。予測不可能な時代に対応するために、そして、充実した人生100年時代をいきぬくために。
その恩恵を受けているのは、時間がない子育て主婦や年金を貰っている退職教員が多い。週4で働く週3で働く、4時までに帰ることができる。などと時間的・体力的な配慮があるからだ。
非正規で働いている方も、給料は低いがボーナスもあり社会保険があったり年休もあったり、働かないで給料がないよりましだと思い我慢できている面がある。しかし、責任や、やる気という点ではどうだろう。しっかりやろうと考えている人も多い反面、会計年度職員となれば1年で切られるし、更新はあるかどうか分からない、更新があっても2回までと規定されている。つまり最高3年で終わりの仕事だ。こういう人たちばかりできている集団によって、大切な仕事を任されている職種もある。これも財政的に仕方がないと言えばそれでおしまいなのだが、腑に落ちない面はある。
実は私も会計年度職員だ。重要な仕事は回ってこない。5時になったら帰ることができる。小さな学校に私のような教職員が何人もいる。来年もこの会計年度職員をやりながら賃貸業などを進めていくつもりなのだが。
当たり前のように聞こえるが非常に重要なことだ。
私は、引っ越ししたとき、元の家を売らずに貸した。
つまり、住宅ローンは家賃で払う。
住宅ローンが終わってから土地値になるが売れば、そこそこのお金が残る。こういう考えだった。
そこから始まって賃貸業を少しずつ展開した。
本来業務の合間に頑張り、両手が必要なほど物件を構えることができた。
ただ、本来業務はハードだから妻にだいぶん手伝ってもらった。妻も初めは賃貸業を反対していたが、業績が上がると、つまりお金が入ってくると顔色が変わった。
良いことばかりではない。
嫌な電話もくる。いわゆるクレームだ。どこそこが壊れた直せなどだ。その時はやはり出費がかさむし心がきつい。
しかし、それを乗り越えて頑張ればいつか形になる。生きていけるだけの収入源はできる。
教員はまじめだから副業など初めから頭にないだろう。
それだから退職して貧乏老人へと突入するのだ。忙殺されていて趣味も持てなかったから、何の趣味もない朽ち果てた老人へと変貌してしまうのだ。
30代から副業を考え始めるべきだ。
そうするとゆとりをもって退職を迎えられる。しかも、早期退職そしてフリーランスというパターンも生まれてくるだろう。
退職間近の人は退職金をどう使うかだ。あれよこれよとなくなっていく退職金を無駄にしてはならない。
まず、お金の使い方を研究してほしい。
ユーチューブを見ればいろいろ出てくる。よーーく研究してほしい。私もかなり研究した。大切な情報はユーチューブに詰まっている。
定年退職する、定年まで数年を待たずに退職する、30代で退職する。
このいずれも、今私の周りにいる。
その中で、一番さわやかな顔をして挨拶をしてくれたのは、30代で退職する若者のA先生だった。
彼は関東の国立大理系学部を卒業していた。教員を辞めて4月から民間に就職するという。
教員時代は実に冴えなかった。学級経営はうまくいかず苦しんでいたし、職員室でよく上司から怒られている姿を見た。退職の話を聞いて、うなずく思いもあった。
定年退職してあと何も考えていないという人は、不安があるのだろう、笑顔はない。
また、定年を数年待たずに退職する人は、退職理由は親の介護というが、やはり笑顔がない。
世界的に先行き不透明なこの時に、退職して年収800万がいっきになくなる。退職後の策がなければ、5,6年もたつと退職金が目減りしていくことに恐怖を感じていくだろう。
お金がない→不安 というのは人間の心理の核心をつくものだ。
人生設計に計画性を持たなければ、今の時代生きていけない。
生きていても生ける屍となる。
60代からでもやれることはある。
金儲けというより、社会貢献を考えるべきだ。
今までの知識や技術をもって社会に貢献する。あるいは、全く新しい分野を開拓する。
楽しいではないか。
生ける屍になるよりは、心だけは青年の方がましだ。
世の中の困惑を解決するためにチャレンジし、若い者に負けないぐらい夢を持ち、それを現実とするためにとにかく動く。
学校のいたるところに、退職されて働いている教員がいる。最近、正規の先生が病休に入ったので、昔一緒に困難校で働いていたF先生が来た。
5年前に早期退職されて、非常勤で勤務している。話を聞いてみると、退職してから何もしていなかったという。5年間も開いていたから、勘を取り戻すのに大変だとも言っていた。
年金はもらっていないはずだ。まだ61歳。「生活費はどうしてるんですか」と聞くと、「どうにかなっているよ」と言う。
霞でも食べているんだろうか、と思った。
今日は、校長をしている友人と話をした。
退職を前にして考えているのは、委員会などの行政にだけは入りたくないということだった。
「自分は現場上がりだから、行政には一度も行っていないし、行政は軍隊みたいらしいよ、人情でやってきた自分には合わない」と言っていた。新任の指導教官あたりが良いかな、と言っていた。
来年退職を迎えるS先生は、来年のことを聞くと「40年近くも働いてきたんやで、もう働く気はない」と、さすがと思えるほど、きっぱりと言ってのける。
何度聞いても同じことを言っている。ブレていない。
みんなどうやって老後を乗り越えるんだろうか。60から人生は面白くなる。この黄金の時期を満喫しなかったらきっと後悔する。
教員が、取りやすい資格はいくつかある。取っても職があるかは別だ。
臨床心理士は無理でも学校心理士。運良ければ学校カウンセラーができる。
キャリアコンサルタント。2016年にできた国家資格。詳しくはググってくれたら分かるが、数十万出して講習は受けなければならないが、資格は取りやすいのではないか。就職は数少ないところを奪い合いとなっているらしい。
社会福祉士を取って、スクールソーシャルワーカー。社会福祉士は4年制大学をでていれば、通信を利用して、最短2年でとれる。スクールソーシャルワーカーは今足りていない。
★私もこの中のどれも考えて、いろいろ調べてみた。これからの自分の将来設計を考えてどうするか思案中だ。
心配してくださっておられる方もいて、本当に驚いております。
ありがとうございます。
もう歳ですね。
本業もやり、ちょっと副業もやり、ブログも書く、なかなかできません。
副業は、今、大きい仕事を手掛けています。
やりようによっては儲けが数百万一機に出るかもしれません(取らぬ狸のなんやら・・)
もちろん賃貸業です。現在私の持っている物件は満室です(すみません偉そうに)
家賃収入は、給与まではいきませんが、目指せ給与以上です。
妻も手伝ってくれています。
かなり、慣れてきて、親しい工務店や不動産業者の方もできました。
なにより、少しでも出費を減らそうと、リホームで自分でできることが増えました。
ふすまの張替え、網戸の張替え、これは楽勝です。
トイレ、ふろのペンキ塗りは、汗だくで意地でも頑張るしかないです。
あと、やったことはあるけど、絶対にやりたくないしんどい仕事は・・
クロスの張替え(意外と手間暇かかりすぎる)。
床の張替え(プロに任せるべき作業、素人では無理)。
業者にやらせた方がよかったぁ、と思うこと、いっぱいあります。
とほほ・・
では、みなさま、志をもって頑張りましょう。
本業も体に鞭打って頑張ってます。
老体になると、しんどいですね。
では、今日はここまでとしておきます。
ごめん!
60 定年退職
年金は65まで満額出ない
なので、65まで再任用
これが退職教員の最近のパターンになりつつある。
フルで働くのは元気でなければしんどい。
だから再任用の週4に切り替えたり、時間講師に切り替えたりする人がいる。
ところが、手取り月十数万ボーナスなしは、きつい。
65過ぎたら再任用も終わる。
年金と退職金を削りながら100歳まで生きなあかんと思うと、
どうすんの??
方法として次のことが考えられる。
・子供に援助してもらう。
・細々と年金生活をする。
・起業して稼ぐ
・働く
第二の人生、死ぬのをただ待つ生き方はいやだ。余生というより、これからが青春という気持ちでいきたいものだ。
やはり、起業だろう。
教員はまじめだから在職中に他のことを手掛けるなどもってのほか、ほとんどの人がしない。
行政は、退職まじかな人に、退職後の生活のセミナーを開いてくれる。だが、時期が遅いし内容がない。
30代40代の教員へ向けて、金儲けのセミナーを積極的に開くべきだろう。
なぜなら、人生100年時代に突入したからだ。
教員をやってあとはゆっくりの人生とはいかなくなった。
年金も少なくなっている。
そんな時代だからこそ教員たちに若いうちから、金儲けの方法をしっかり教えておくべきだ。
公務員は失敗しても立ち直りができる。
銀行から絶大な信頼を得ているからだ。
さて、実際に教員ができる金儲けは不動産・賃貸業だ。
下記のようにならないまでなら許されているのだ。
・「大規模な農業、牧畜、酪農、果樹栽培、養鶏等」「戸建てなら5棟以
上、マンションなら10室以上の部屋の賃貸」
・「10件以上の土地の賃貸」
・「劇場、映画館、ゴルフ練習場等の不動産賃貸」
・「旅館、ホテル等の建物の賃貸」
・「駐車台数が10台以上の建築物である駐車場又は機械設備を
設けた駐車場の賃貸」
・「年額500万円以上の賃貸料収入がある不動産又は駐車場の賃貸」
・「10キロワット以上の太陽光電気の販売」
現金で物件を買えるところまで貯金をためることを勧める。
とにかく現金が一番だ。
1000万たまれば、賃貸で毎月10万の収入が入る仕組みが作れる。
なぜ、現金主義か。教師は背負いきれないストレスをかかえる職業だからだ。
借りる人が決まらなくて、ローンの出費だけが毎月ポンポンと出ていくようでは、2重のストレスを抱え、本業に大きく影響する。
その点、現金で物件を買えば、借りる人が1年ほど現れなくても、少なくとも現金の損はなく、心の乱れも最小限に抑えられる。固定資産税などの税は出ていくが。
しかも、現金だと購入手続きも単純で早い。忙しい教員にはとても良い。
物件価格も現金購入なら相手に優位に進めることができ、安くなる場合がある。
ローンが組めない格安物件も買える。
などなど、良いことずくめだからだ。
もう一つ言えば、ワンルームマンションではなく、1戸建の方が良い。なぜなら、比較的長く住んでもらえるからだ。
さて、ここらで手を置いて、家のかたずけだ。みなさん、よく聞いていただきまして、ありがとうございます。では。
退職して、教育の世界に戻らなかった場合、何をしているのか。
家で好きなことをしている。ゴルフ三昧。家業を継ぐ。親の介護などだ。
一般企業に行った人は今まで聞いたことが無い。
(定年までにやめて企業に行った人はいくらかいる)
公教育に従事しなくても、私学に行く場合もあり、とりあえず教育に身をゆだねている人がほとんどだ。
なぜか、それは下のあるブログ記事を見ればわかる。
私は、教師として35年務めた末に定年退職して、しばらくは仕事にも就かず家でのんびりとしていました。
ですがそのうちに生活の厳しさもありそろそろ働こうという気持ちになってきました。
学校職場の辛さや過酷さに辟易としていた私は、学校の嘱託職員など、そんな職場を避けるために、まずハローワークを訪れました。
「学校程ブラックな職場もないだろう。それよりもっと楽でそれなりの収入も得られるような仕事が見つかるだろう。」
と期待してのことでした。
ところが、実際には期待したような仕事が何も見つかりません。
地方の田舎県だからでしょうか?
いやいや、そうでもない感じもします。
第一に「求人」自体がとても少ないのです。
年齢的な条件面で既にはねられている。
それが過酷な現実でした。
求人票には定年が60歳との規定ばかりがならんでいるのです。
どうやら、企業は押しなべて私よりは若くて、しかも女性を募集しているような気配がプンプン感じられる始末です。
WordやExcelは出来ても、簿記の経験のない人は事務職の対象外とされている。また事務職以外では、それぞれの業務に関わる何がしかの資格保有者を求めている。
そもそも正社員として定年退職者を取りたいなんて奇特な企業がない、それなら嘱託や非正規でそこそこの条件の仕事があるのか?
しかしそれもない、等々です。
定年退職者は、世の中的には全く無用のお呼びでない年寄り扱いなのです。
以上が現実だ。
まあ、コンビニのバイトぐらいはあるかもしれない。本当に自分の思う職業に就くのは難しい。
結論として、自分で独立することが一番だ。
退職金をうまく利用して、賃貸経営をする。これが一番かもしれない。
しかし、教員は世間知らず。業界の罠には、気を付けてほしい。
私も何度もはまっている。
まずは、どこの府県も新採用や転任のあわただしい動きがある。
式典にするところが多い。
残留した教員たちは、新年度の準備で朝から忙しい。
まあ、午後からは全員が集まるので、職員会議や学年会を開く。そこで全員の顔が分かる。
私らは、職員室のスミで眺めているだけ。
私らというのは60前後の人たち。
若い人らを見ていると、過去の自分を見ているような気になりほほえましい。そういえば、エネルギッシュにがんばっていたなと。
若い人らは、新年度に向けて顔が輝いている。
プレッシャーはあるけど、4月の始業式や入学式までは、期待の方が勝っている。期待が苦痛に変わっていくのは、実は5,6月ごろからだ。
我々、老人教員は、もう、入学式や始業式に新たな感動はない。
飽和状態とでもいうべきか。
あるのは、この1年踏ん張れるかどうかの思案だ。
不安な自分に、「頑張れる」と言い聞かせながら、生徒たちを迎える。
まずは、10連休突入まで頑張ろう。
次は、夏休み目指して。
でも、2学期は長い。
31年度の年間行事予定を隈なく眺めながら、どこで休養できるか考える。
2学期も、11月半ばまでくれば、もう冬休みは見えてくる。安心だ。
3学期は、アッという間に終わるので、何も怖くない。
難しいことは若手に任せて、
職員室で来年度のことを考えてお茶を飲む。
さあ、明日から新たな気持ちで、老人教員の味のあるパホーマンスを発揮するぞ。
もう2月だ。
とにかく来年1年、頑張ってみるか。
期待もされていないが、とりあえず人数には入っているらしい。校長の話からそう感じた。
ただ、かなり体力、視力が衰えてきた。生徒と一緒に一日中部活をやるなど今は考えられない。
来年1年持つかな。
元気の良かったフルで働いている再任用の先生も、来年は非常勤でゆっくりすると決めていた。
働いている年配の非常勤の先生たちは、どの人を見ても覇気がない。職員室でちょこんと座り、知らぬ間に帰っていかれる姿には、人生の一抹のむなしさを感じる。
一見ぼろ雑巾のように見える退職教員や退職前の教員らは、教職に対しての生きた知恵をかなり持っている。
教科指導にしても生徒指導にしてもだ。
その知恵は学校にとっての宝だ。もっと自信を持ってもよいのではないか。
さて、教師は教育に専念しているが、それは法律で定められているが、金儲けも時間を作って考えるべきだ。
公務員という銀行に信頼される絶大な肩書があることを知ってほしい。
それは退職と同時に消えてしまうのだぞ。今しか使えないのだが、忙しくてそれどころではないのが教員。もったいない。
ぜひ、30、40代のうちに投資を勉強し実践しておくべきだ。
それなりに頑張っておられる。
高校の教員をしていた先輩は、私学に就職が決まって喜んでおられた。65歳定年なので、そこまで職は保証されるという。給与のことは聞いていない。
諸先輩の動向を見ていると、将来の自分がどうなるか、将来どうするればよいかが見えてくる。
週4の仕事はしたくない。本当に給与は低く、スキルを身に着けることもない職も多い。体は少し楽だといわれるが。
やはり、賃貸経営だなと思う。
そこそこかせいでいる先輩は、家賃収入が月18万あるという。再任用の給与よりは多い。
現在60で退職しても3年も4年もしないと年金がもらえない人たち。
もらえたとしても65まで全額ではない。だから、働く人が多い。
ほとんどの人が再任用の安い給与で働くことになる。年金がもらえることになっても、働けば働くほど年金が減るというシステムにやるせなさを感じ、やる気をなくしていく。
同一労働同一賃金とか世間は騒いでいるが、再任用の世界ではむなしい。
たぶん、若い教師たちは、そんな退職後のことや再任用教諭には興味もないだろう。
それどころか、退職間近の教員さえ、再任用になっての安い給与のことに対しての危機感はないようだ。
私の隣の再任用教諭が、フルで働いているのに手取り19万ということに対して失望の意を私に示した。
給与をもらうまでは、実感がないという。7月のボーナスの低さに追い打ちをかけられ、さらに失望を増していた。
もう一人の再任用教諭は、担任をしているが、年収の低さに怒りを隠せず「新任教諭よりも低いかもしれないて、どういうことや」とつぶやいた。
給与のために働いているのではないが、退職してからの老後は今の年金システムではとても不安だ。だから退職してからの給与に目が行く。
生きていくのに最低ライン、医療費がいらない生活保護の方が安心して生活できるかもしれない。
まず、京都と大阪の常勤講師の給与を比べてみよう。
★京都府の講師登録用のホームページより引用
8 給与等(常勤講師)
(1)給 与 大学新卒の場合月額222,000円程度 (平成29年1月現在)
経験年数及び勤務する地域・校種等に応じて一定の基準により加算されることがあります。(最高月額391,000円程度)
(2)諸手当
応じて、支給されます。
(3)退職手当
★大阪府の講師登録用のホームページより引用
・基本給与(給料+教職調整額+地域手当+義務教育等教員特別手当)
大学新卒(4年制) 約239,000円 短大新卒(2年制) 約217,000円
※経歴その他に応じて一定の基準により加算。
※基本給与の支給限度額は
☆☆ 市町村立小・中学校の講師で約 365,000 円
☆☆ 等学校及び特別支援学校の講師で約 387,000 円です。
※金額は平成 30 年 4 月 1 日現在です。(今後変更される場合があります。)
・退職手当 引き続き 6 月以上の期間を勤務した場合は、一般の退職手当が支
給されます。
☆☆☆
講師登録のホームページを見る限り、長年勤めて定年退職して、講師を希望した場合、どちらも最高の号給で給与が出ると考えられる。
その額は、
京都は最高月額が391,000円程度 、大阪は約 387,000 円だ。
しかし、京都からは
「なんでや!} と失望と怒りの声が出ている。
なぜなら、京都では、定年退職者たちが講師を希望した場合、給与は、再任用に合わせる名目で諸手当を入れて30万前後に抑えられているからだ。
大阪や周辺県ではありえない処遇だ。
60歳以上の講師の給与は、低く抑えられる。
このことは講師登録のホームページのどこにも見当たらない。
事務員に聞いても「知らなかった」と言うらしい。
組合のパンフレットを見て初めて知る人も多いらしい。だまされたと思う人も出て当然だ。
大阪は、定年退職した講師にも、ホームページに記載されている通り、最高の号給が支給されている。
奈良と滋賀はどうだろうかと思い、友人に聞いてみた。
奈良、滋賀とも定年退職者だけ給与を低く抑える非情なことはしていない。
だが、奈良と滋賀は講師の給与そのものが低く設定されているので、結局、最高級が30万前後になる。奈良が少し高いらしいが。
府県によって待遇がこれほど違うのかと思うと同時に、定年後は大阪で働きたいと思った。 講師を1年勤めれば大阪は退職金1か月分ほどある。京都は半月分、
奈良はゼロだ。それも大阪が好待遇だ。
お金で物事を考えては損をする。しかし、お金もどんどん稼いだらよいと思う。
そして人のために使う。
ーつぶやきー
再任用教諭は身分が保証されているので、ほとんどの退職者がそこに行く。しかし、同一労働同一賃金からは程遠い最悪の低賃金で働かされる。
だから、退職してから講師を希望する教員がいる。
ただ、行政はその講師希望者に対しては全く温情はない。長年、その府県に貢献してきたにも関わらず、講師希望者が職を干されているのを何度も見てきた。
また、副業などしている余裕もないのが現状だ。
だが、老後を充実させて生きたいなら、副業を若いころから正しい知識で計画的に行う必要がある。
年金で生活できる時代は終わった。今や年金収入はたとえ教員であったとしても、生活保護と変わらない。
生活保護は医療費が無償と考えると、生活保護の方が待遇が良いのかなと思ってしまうこともある…。
教員の副業は不動産賃貸業だ。
教員にとってこれが一番よい。
銀行や日本政策融公庫は教員にはお金を貸してくれる。
賃貸業をやるものにとってこれほどの強みはないのだ。
しかし、退職してからでは貸してくれるところは極めて少ない。
よく教員に「マンション経営しませんか、いいところあります」と電話がかかってくる。あれはやめた方がよい。自分で研究して自分で納得してやらなければ大損をする。
ボーナスの率は現役たちに比べて半分。
それでも、頑張って担任をしている再任用の方もいらっしゃる。
さらに週4日勤務の方は職種はいろいろあるが、激減する。手取りで月14万ぐらいだろう。しかも、ボーナスはないところが多い。
しかし、給与が低ければ、年金がもらえる年齢になれば所得が増えるのでそんなものかと思ってしまう。つまり、働きすぎて給与が多ければ年金はもらえないのだ。残念な仕組み!!
年金が出るまでのつなぎ感覚で職場にいる人もいるわけだ。そう考えると大きな口をたたけなくなるのが再任用教諭たちだ。
現役と同じ、
いやそれ以上の働きをしている再任用教諭もいる。
この人だったら同じ給与を出すべきだ。
「同一労働同一賃金の考えはどこへ行ったのか」と声高に叫ぶことができる。
とはいうものの、全体的に初めに記したように、悲しいかな再任用教諭の評価は低い。「仕事をしない」これが一般的な評価として定着してきた。
私は65までフルで働かねば生きていけないからがんばる!副業もしながら、夢を追いかけながら。
勤務校であまり目立たない50代の教員と話をする機会があった。
来年度の話をしていると「早期退職したいんです」と言われた。
やめてどうするのかと聞くと、私立でも公立でもいいので講師で勤務したいという。高校に勤務して自己の専門性を高めたいという。
彼が本校で勤務している姿や顔を見ていると私には楽しそうには映っていなかった。どちらかというと今の職場、仕事に嫌気をさしているように見えていた。
50代の教員は目の前の現場の現実より未来の自分のことを心配し始める。
悪いことではない。
今の情勢、当然のことだ。
ただ、それが若い教員にとっては理解しがたく、やる気のない老害教員と映ることとなる。
よく考えると彼は結果的に未来を見つめた選択を考えているかもしれない。
退職は60歳なのに65歳までは年金が出ない。その5年間をどうするのか。
いわゆる今までの半分の給料での再任用教諭…。
しかも、中学校の現場は、肉体的に60代には相当しんどい。それなら高校の方がましだ。
高校で通用する専門性を今から磨き、65歳まで講師で働き続けることができれば万々歳だ。
講師ならばこちらからある程度勤務先も選べるし、公立ならば再任用より給与は高い。
もう少し、定年前の教師にやさしい勤務体制ができないのか。知り合いの大企業では定年2年前はすべての役職を解かれ平凡に過ごす。
我々教員は、疲弊疲労してようやく定年にたどり着くので、定年後のことなどゆっくり考えられないのだろう。
この時世、定年後の働き方改革が絶対必要だ。
したがって、老後破産なる恐ろしい言葉がはやりだすのだ。
んっ…。そういうあなたは?とう声が聞かれそうだ。
私は考えているが、そして実行しているが、まだ途上だ。
頑張る…。では。
年金は65歳までは満額はもらえないので月にして13万円ほど。そして、 週4の再任用で手取り月14万ほどもらえるそうだ。
だが、我々の時はこうとも限らない。まず、定年退職してすぐには年金が入らないからだ。
残念だが65歳まで働くか、退職金で食いつなぐかだ。退職金でつなぐとして、今までと同じような生活をすると65歳で2,400万ほどの退職金はほぼ無くなる。
先を見据えた先輩方は、在職中に賃貸業をしている。
貧乏老人や破産老人などとつぶやかれているが、教員もその中に入る可能性は十分ある。
65歳になってから月20万弱の年金で暮らすことは一応できる。食費、保険、光熱費などを節約して細々と暮らすのだ。
そんなイメージを描きながら夜を過ごすと、不安で何かしなければと突き動かされる。
退職後はほんとに余生を消化するだけなのか。
退職金をもらい、再任用の低い給与で細々と暮らす。年金が出ると再任用もやめて貯蓄を崩しながら年金で暮らす。
社会から切り離されつつある老後。これを感じとって、同窓会や地域の会、〇〇の会などに顔を出す。茶飲み友達やゴルフ友達を探す。
そんな60代の先輩の姿をみる。
年賀状には毎年、「ゴルフ三昧で…」と書かれているが、第二の人生はそんなふらふらしていておもしろいのかなと疑問に思う。
現職の時、あれだけ大きな影響力や才覚を持っていた人が退職と同時に露のごとく消えていくのはとてももったいない。
退職したこの人らが力を合わせればどれ程大きなことができるのだろうかと思う。
「退職教員たちよ大志を抱け」まだまだ力は十分残っているぞ。
県下でも最強と呼ばれる困難校での活躍は目を見張るものがあり、県の優秀教員となったB校長。定年を待たずして肩の荷を下ろした。今は細々と市の施設で週四回の勤務をこなしている。
今までの実績が高く評価され県でも名の知れた困難校に抜擢され転勤が決まったC校長。しかし、3月の終わりに、誰もが耳を疑った。まさかの困難校を避けて転勤を拒否して早期退職を選んだC校長。
私はこの中のB校長とこの夏出会い、酒を酌み交わした。
壮観だった当時の面影は影を潜め、当時の思い出話とともに高血圧や体調が少しずつ改善し、今は気分が楽になりつつあることを聞かせてもらった。
もう一度教育現場で働くことを誘ってみると、怖い顔ですぐに拒否された。何か得体のしれないものにおびえ、しかし、それが解け始めているような感覚を受けた。
優秀な管理職の早期退職。
野野球のピッチャーの肩に似ている。 ピッチャーの肩は消耗品。
どのような優秀なピッチャーでも酷使続ければ必ず壊れる。必ずだ。壊れれば手術をし長いリハビリ期間が必要になる。しかし、そのリハビリが終了すればまた大舞台で活躍している。
このサイクルは野球界では誰もが知り、保証されいるようなものだ。
我々教員は壊れてからでは遅い。なぜなら肉体だけでなく知らず知らずのうちに精神も曲げられ壊されているときがあるからだ。
教員はどこかで自分に休みを入れることが必要なのだ。どこかで壊れる前に休養をとりきちんと回復させれば、また大舞台で活躍できる。
これは本人の為にも教育界全体のためにもとても重要なことだ。
しかし、責任を負っているものは、自分で休みを入れることができない。責任を負った優秀な教員ほど休むことはいけないできないと思い込んでいる哀しい現実があるのだ。
公民館の片隅で事務仕事をしていたA元校長。庭の手入れが好きで花の水やりを頑張っている元S校長、ゴルフ三昧だというE元校長。
退職されてからもよく交流があるのは委員会に努めているH元校長だけだ。彼は元気だ。よく本を私に勧めてくる。この間は、「運命の逆転」という本を持ってきた。
彼はよく委員会の中のことを話してくれる。こう言っていた。「楽だよ、まあ65までの中継ぎだから力が入らないよね」と。
しかし、校長の風格は変わらない。やはり、上から目線は変わらないようだ。
校長をやめて再任用で働いているUさんに電話してみた。元気がない。現役のときのようなイケイケな会話はなくなっている。
校長をやめた知り合いに共通していることは、寂しさを感じることだ。「おれは校長だ」という意識が残っている分寂しさがあるように感じた。
唯一元気だと感じた人がいた。
退職して72に届く音楽科の校長だ。得意の楽器で身を立てて様々なところで活躍しておられた。お会いすると、まるで一芸人の様相だ。得意の楽器を聞かせてくださり、まだまだ現役以上。これはすごいと思った。
教員は赴任したとたんに「先生」と呼ばれ、退職したとしても、先生と呼ばれることもある。しかし、退職して別の世界で生きていこうとするとき「先生」とは呼ばれず。別の世界では、初心者、新参者なる。これを受け入れるのはつらいだろうなと思う。「おい、おれをだれだと思っとるんや」とつぶやく声が聞こえてきそうな気がする。
退職校長。70でも80でもすごい可能性があると思う。
それは小さくても社会のために尽くせることだ。
退職したら自分の趣味に没頭するのも良いが、自分の世界に終わってしまわぬようお願いしたい。
ますます学校はすさんできている。混乱に拍車がかかっている。助けなくてはいけない。
退職校長や元教員がその気になれば、地域の学校は助かることがたくさんある。
私は退職したら、ぜひ学校を支援することをしたいと決めている。