公立学校の真実
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しかし、退職金は減るし、年金も試算するとかなり低い。月にして18万ほどかなと。
医療費無料、税金なしの生活保護のほうが確かに生きやすくなるかもしれない。
大きな住みよい家は買えたが、大きければおおきいほど税金が高い。
退職を前にしてあまりにも無策、猶予感覚のある人が周りに目立つ。
ただ、退職後の策ばかりに走り、今の仕事をおろそかにしてもらうと負担がこちらにかかってくる。
さて、退職後は再任用を考える人がいるが、私は講師をする。再任用よりも給与が高いからだ。場合によっては年100万は違う。ただ、再任用のほうが種類が多く、授業をしないでも良い職種もある。
いづれにせよ、在職中からはかなり貧困な生活を強いられることとなることは覚悟しておかなければならない。
また、50代になるとすでに管理職の道も外れている。しかし、懸命に突っ走ってきた者の中に不満が残る者もいる。学校のために生活を犠牲にし、上を向いて頑張ってきたのに、こんな処遇しかないのかと。管理職にあこがれてきた者ほどひどいショックを受ける。ぐちぐち言っているのが聞こえてくる。
すでに目の前のニンジンンが腐ってきて、走ろうにもテンションがあがらない50代たち。頑張れー共にあと数年を乗り切ろう。
以下このブログでの主張は私も重なるところがある。だから読んでほしい。
7月20日付の『朝日新聞』(朝刊)に、意外には思わなかったが、さすがの私もビックリするような数字が報じられていた。
朝日新聞社が全都道府県・指定市の教育委員会への調査を行い(2005〜2009年度)、公立の小中高校と特別支援学校の教員の早期退職の実態などを初めて実数で明らかにしたものだ。
文部科学省も把握していない数字だと記事にはあったが、教育委員会に報告させればすぐに分かる数字を、本当に文科省が把握していなかったのかどうか、把握していたのに公表していなかっただけではないのかどうか、疑問は残る。
本当に文科省が知らなかったとすれば、関心がなかったということであり、これまたひどい話ではないか。
調査結果によると、
都道府県と指定市だけの調査なので、退職率の高さをこの数字だけで比較するのは大雑把すぎると思うが、関西の3市に関して個人的には「ある共通点」を想像するが、その内容は憶測に過ぎないのでちょっと書けない。
早期退職者の総計は、05年度12542人、06年度13865人、07年度14484人、08年度13445人、09年度12732人。
全教員に占める09年度の退職率は1.51%だった。
地域別では関西や首都圏の退職率が高く、09年度で最も高かったのは堺市(3.14%)、大阪市(2.62%)、京都市(2.78%)、
千葉市(2.27%)、東京都(2.12%)なども高い。
他業種のデータが乏しいため比較が難しいが、文科省が06〜08年に外部委託した調査では、公立小中学校の教員で「仕事に意義・やりがいを感じる」と答えた人が9割を占める一方、「勤務時間以外でする仕事が多い」という回答も9割を数え、いずれも一般企業の2倍に及んだ。「気持ちが沈んで憂うつ」という教員は27.5%で一般企業の約3倍に上る。
「仕事に意義・やりがいを感じる」という回答と、「勤務時間以外でする仕事が多い」という回答がどちらも9割を占めるというのは、私の実感とも一致する。
ただ、それが《一般企業の2倍》の数字になるというのは統計的にやっぱり大雑把すぎるようにも思う。
たしかに「仕事に意義・やりがいを感じる」ことがなければ教師などやってられないが、「勤務時間以外でする仕事が多い」のが教師という仕事だけなのかどうかはよく分からない。
「勤務時間以外でする仕事が多い」というのも、家に持ち帰ってする仕事が多いというだけではなくて、中学校で言えば部活動(クラブ活動)が休日でなければグラウンドを広く使って練習できないことや、公式戦や練習試合なども当然休日に出勤しなければならないことなども含まれている。
さらに言えば、何か生活指導上での問題や必要があって家庭訪問しなければならない場合、勤務時間内というのは普通無理で、夜や休日でなければ難しい場合も少なくない。
夜や休日に突然電話がかかってきて出勤しなければならないことだってある。
こうした仕事は、単に「勤務時間外」という問題以上に、身体的・精神的にストレスが強く、疲れる。
こういう疲労感は、他の仕事には少ない教師独特のものかもしれない。
学校が荒れて、パトカーが何度も入ってきていた時期には、このタフな(?)私でさえ人間不信に陥ることがあった。
「教育」という仕事と、人間不信とは両立できない。何人かの同僚が仕事を辞めていったのも「敵前逃亡」と非難することはできなかった。
教師のストレスは、最前線の兵士のストレスに比肩する、と評した医師のことは以前の記事にも書いた。
休みが多くて教師は楽な仕事だと、未だに信じている人がいるらしいから、こんな状況は想像すらできないに違いない。
私が早期退職したのは2004年なので、この調査には入っていないのだが、並んでいる数字から見ても全国で12000人はいたと推測しても大きくは違わないだろう。
退職の辞令交付式というのに(行かなくてもよかったらしいのだが)行ってしまい、顔も見たくない教育長から辞令を受けとったのだが、その時に一人一人「自己都合により」といった理由をいちいち読み上げるのを聞いていると、「定年退職」という人がほとんどいなかったことに驚いた記憶がある。
この調査は教育委員会を通じてのものなので、いちばん肝心の《退職理由など詳しい状況は不明》なのだが、一橋大学名誉教授(教育社会学)のコメントだけが紹介されている。
《子どもや保護者らとの関係に悩み、事務作業なども増える中で『やめたい』という気持ちに傾く教師が増えているのではないか》こういう質問を、現場を知らない学者に訊くこと自体が見当外れだと思うが、私の場合にあてはめて当たっていると思えるのは「事務作業が増えた」ということくらいか。
出張と言えば研究会や、他校の授業参観などが中心だったのに、市教委主催のコンピュータ講習でExcelだWordだと、提出書類をデジタル化させることが中心になっていった。
授業計画(シラバス)を作らせ、提出させ、チェックすることがまるで教師の仕事の中心であるかのような様相を呈してきたのである。
こんなどうでもいい書類づくりに時間をとられるということは、それだけ生徒と顔を合わせる時間が少なくなるということであり、「教育」からはどんどん遠いものになっていった。
私が早期退職した時はまだ橋下知事ではなかったが、今はもっとひどいことになっているのではあるまいか。
私は早期退職して非常勤嘱託(いわゆる、安月給による再雇用)を選び、授業と部活動だけに専念できて本当に愉しかった。
嘱託には決定権もないので、どんな会議にも出る必要がなく、校務分掌も割り当てられることもなく、授業の合間には読書三昧、放課後は生徒たちとスポーツで遊んで、いや「指導」していればいいのだから、高校生のバイト代よりも安いサラリーではあったが、ストレスもなく気楽だった。
もう2、3年は続けたいと思っていたが、心ならずも打ち切らざるをえないこととなったわけである。
この記事の最後に、もっと驚くべき数字が紹介されていた。
《調査では、在職中に死亡した教員の人数も質問。05年度612人、06年度594人、07年度642人、08年度602人、09年度650人で、計3100人がこの5年で亡くなっていた。》大半は病死であろうが、事故死や自殺者も含まれているだろう。毎日2人近くが亡くなっている計算になる。
これはやっぱり驚くべき数字ではあるまいか。世界中を探して、こんな国が他にもあるのだろうか。
私が在職中にも、同僚だったことのある教師や知り合いだった教師だけでも数人が亡くなった。(同僚の配偶者まで含めれば10人近くになる。)
全員現職だったので、40代か50代の死である。全員病死だった。
私の知る範囲だけでもそれだけいるということは、その何倍もの死者が同じ市内でいたと考えるのが自然であろう。
戦場にも劣らないストレスフルで過酷な仕事なのだと改めて思う。
退職後に癌が見つかった私の場合も、恐らくは積年のストレスが大きく影響しているであろうことは疑いない。
この死者の数を見ながらツレアイとも同感したのは、「この歳までよくまあ生き延びたものだ」という思いなのである。
40代後半、50代で早期退職する教員たちがいた。彼らは一見普通の教員、指導力不足教員ではない。中にはすごく優秀な教員もいた。
なぜ早期退職をするのか?分からなかったが、最近じわっと湧いてくるようにわかってきた。すべての人に当てはまるわけはないのは分かっているが、敢えて言うならば自分に有用性を見いだせなくなったからだ。年を取ると動けない、生徒の運動能力や会話についていけない。
一方、長年やってきたことが馬鹿らしく思えてくる事がある。生徒指導、進路指導、部活動指導…夜遅く、休みも返上して誰のために、何のために走り続けてきたのか。生徒のためと思いながら頑張ってきたが、それが不安になる。
実はすべてが自己顕示のために頑張ってきただけと気づく。そして管理職の道も外れた自分、若手達は評価を受け、誰も評価しない老いぼれた教師、自分だけがそこに立っていた。その時、職場つまり学校での自己有用性のなさが浮き彫りになる。 学校にいることが辛くなる。