公立学校の真実
★★★
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
生徒がかわいいので「何とかしてあげたい」とか「尽くしたい」とか、やさしさあふれる気持ちが出る時がある。
児童・生徒の成長した姿を確認して心から喜ぶこともある。実はその心は恋愛感情に似てはしないか、と思うことがある。
ある校長は、子どもたちと接するときに「恋人やと思え」と言った。苦労人の熱のある校長の言葉だった。
しかし、熱心な教員の情熱が恋愛感情と区別つかなくなる時があれば、そこから間違いが起きる。
中高の教師と言う仕事、特権がある。ギャルといつもいることが出来ること。「先生、先生」と慕ってくるし、卒業しても、同窓会ではギャルの中にいる。
そんな特権を持っているのは教員だけだ。
私だって、「先生大好き」と言われたことは何度もある。正直、うれしいしその言葉は男子女子からに関係なく最高の言葉だ。
ただ、生徒側からの「好き」という言葉を、翻訳ミスすると大変な苦しみに突入する。
生徒は、先生が好きなのであって、この男性を好きだと言うことは滅多にないからだ。
きれいな着物を着た女性がいたとしよう。
周りから、「きれいね」という言葉をいやほど投げかけられる。しかし、着物がきれいということであり、女性そのものの単体だけを「きれい」とは言ってないということだ。
何ぜだ。そう思う時が多い。
だが、よく考えてみると、確かに生徒はかわいい。
以前、女子●●部の顧問になったことがあるが、どの部員もかわいくて仕方なかった。十数人、どの部員と結婚しても構わないと思えるほどみんなかわいかった。しかし、現実は、厳しい指導でよく泣かしたが。
紙一重とはよく言ったものだ。セクハラはこの紙一重が破れた時に起こる。幸い、私の顔はもてない顔だったからよかったかもしれない。イケメンなら怖いだろうなと思う。向こうがその気になった場合、こちらが止まらないだろうから。
実際、身近に新聞沙汰になって辞めていった教師がいる。そして、新聞沙汰になってはいないが、やってしまった教師も複数いる。だが、以前にも書いたが、教師にとって恋愛とセクハラの差も紙一重と言えないこともない。
生徒と恋愛結婚した教師も一定数いるからだ。
言えることは・・・
自分の性欲の牙にかけるのは、生徒をとてつもなく悲惨な人生に追い込むことになる。
だから、かわいいければかわいいほど、愛していればいるほど、その子たちの人生を限りなく大切に扱わなければならない。
そう肝に銘じ、今日を生きよう。
ほとんど問題のない学校へ来た。
そこでまず担任をさせられた。
しかし、過去の栄光を教室で生徒にしゃべりだす時があった。
やんちゃな生徒を手なずけたこと。
それをすればうまくいかないと思った。
やがて、彼のクラスの生徒たちから彼の悪口を聞くようになった。
彼は体調も崩し、今は5時になればタイムカードを入れて帰る日々が続く。
その後ろ姿は寂しい。
彼は、50代だ。
心配している。どうするんだろう。
転勤するか、踏ん張るか。
時代は思っているより変化が早い。
自分を変えていかなければ務まらない。
私は、以前暴力教師だった。校長からも注意を受けた。
「君は学校にけんかしにきとるんか」と。
そうかもしれないが、何が悪いか、とその時は思った。
だが、私の心にひびが入った時があった。
やんちゃな女子らのボスから、暴力をふるわれた時だ。
自分の生徒指導を根本からくつがえさせられた。
形ではない、心だ。
ようやくわかった時だ。
ここから変わっていった。
いまでは、暴力教師の面影はまったく消えた。
今日は、女生徒からライン教えてと言われた。もちろん教えなかったが、昔と違って生徒たちが自然と寄ってきてくれる。
私は、歳は一番上の方だが職員室での存在感はやっぱりない方だ。
なぜなら、若い教師たちのようにシャキシャキと仕事をこなせないし、仕事では周りに迷惑をかけている。また、部活指導もバリバリどころかさぼっているからだ。
老いてくるとできないことが増え、腰はまだ曲がらないが、低くなる。
彼も、きっとそのことが分かって来たのかもしれない。
仲間が増えた。
中学3年生にもなると、スタイルのよい女子も多くなる。私服になると20歳といってもわからない子も出てくる。その若い魅力は輝いている。女性としての魅力が出てくるということだ。それに私も圧倒される時がある。否定はしない。
また、昨年、小学生を教える機会があった。小学1年生の女子だ。女性としての魅力は不明だが、中学生にはないかわいらしさがあり、連れて帰って私の子どもにしたいぐらいかわいかった。
しかし、これらはそこで終わっている。そこから先は進まないのが普通だ。
だが、深く進む教師がいるのも事実。
教え子と結婚した教師だ。
私は数人知っている。
また、教え子と結婚しようとアプローチして失敗したかわいそうな教師も知っている。
これらは社会的に許されている。
性欲ではなく愛だからだろうか。
許されないのは性欲に歯止めが利かない教師だ。
これは、周りからはわからない。まさかこの人がということが多い。
教員採用試験の面接ではわからないだろう。逆にこれらの人は高得点をとる可能性がある。
数年前、私の知っている教師で、駅の階段で盗撮して新聞に載った人がいた。若かった。恋人もいた。生徒にも職員室でも人気があり、みんなも、もったいないことをとしたなと口々に言っていた。好人物だったからだ。
生徒に人気があり、指導力も実績もあるので府教委の上層部に上り詰めた人がいた。この人、駅で女性に体液をかけてしまった。新聞に載り、社会から葬り去られた。
彼らはなぜ人物優秀だったのに留めることができなかったのだろうか。
初めからそうだったかもしれないし、人生にストレスを感じていたのかもしれない。
我々には学校というステージがある。
そのステージの上でうまく演じれば演じるほど、私生活の自分との違いにうんざりするときがある。
教師は自分ができなくても、できるを演じて指導をしなければならないときがあり、それが宿命だ。
思い出すのは、私がよく怒られた小学校の教師の家に上がった時のことだ。
部屋に入るや「えっ」と思った。食卓が置いてあり、その上には何回か食事した後の食器がそのまま溢れんばかりに置いてあった。汚かった。私は机の上や中をかたずけないからその先生からよく怒ら、親まで呼び出されていた。
また、そんな怒られていた私が教師をしていること、笑えてならない。
ありのままの姿で教師ができれば、これほど気持ちが楽なことはない。
・・・・
教師の性犯罪はなくならないのだろうか。
どの学級通信を見ても、各クラスの学級通信には名前がついている。
英語のもの、聞いたこともない4字熟語のものと様々だが、どれをとっても立派に見える。
内容も立派なことが書いてある。
例えば…
・有効な勉強方法!
・生活面がよくなる3か条
・よい友人関係のつくりかた
・自然体の君でよい
・ストレス解消法
・熱中症予防…などが載っている。
教師て本当にすごいな。
もし教員がそれを実行したら、教員の不祥事やメンタルが壊れることは絶対に起きないだろう、と思われる内容が学級通信には多々書かれてある。
これだから教師は精神的に疲れるー
職員室では、いかにも自分はできていて生徒たちは未熟でダメ、というしゃべり方をする人が多い。私もそうかもしれない。
だが、自分は学生時代にどれだけいい加減なことをしていたか。思い出せば目を覆うのだ。
教師は未熟でもよいのではないか。
へまや失敗、弱さをさらけ出してもよい。
学校の先生は実はまじめな凡人なのだから。
ただ、あいつらのためにどれだけ生きてるか、それだけを大切にしたい。
8時30分には職員は一応みんな集まる。
すべての会議は前倒しになってきた。
夕方6時には職員はほとんどいなくなった。
いままで最終学校を出るのが夜10時台だったが、
夜7時台になった。
朝いつも早い人も
部活の朝練がないので8時30分ぎりぎりに来る。
職員室はいつ見ても満員。
授業がなく、デスクで仕事をしているから
この時期は成績処理の声が飛び交う
それが終わればクラス分け作業が始まる。
昼はゆったり外に食べに行く人が多い。
ほとんどの学校は混乱してない。平穏だ。
そして、最大の関心ごとは人事異動だ。
次だれが異動するのか。
自分は、来年度どうのような働きになるのか。
何年生担当か。副担か担任か。
2,30年ほど前はほとんどが正規の教員が職員室をうずめていた。
しかし、今は違う。
私のところで言えば、非常勤講師が3人、○○指導員、カウンセラー、スクールソーシャルワーカー、それに常勤講師が4人となる。
さらに退職後の再任用教諭たち2人。
校長は、この非正規たちの力を引き出しうまく回さなければ、学校運営にロスを抱えることになる。企業で言えば、不良債権だ。
逆に言えば、うまく回せば学校はとても楽になる。
正規の中には、病気や様々な諸事情で、担任ができない人がいる。
生徒とのコミュニケーションができない人もいる。
優秀な非正規がいるととても心強い。
しかも、自分は過去、失敗の王者だったのにだ。
例えば、私の知る限り、学級崩壊、体罰の表面化、進路の極秘資料を電話ボックスに置き忘れ紛失、生徒の願書出し忘れ、などの各当事者たちが堂々と管理職になっている。
最近の世相は、昔と違うが、「失敗をしてもいい、すべて俺が責任を持つ、思いっきりやれ」という管理職はいなくなった。
私は主な理由は次の3点と考える。
①学校へのクレームの内容が異常で複雑、解決するに
多大のエネルギーがいる。
②学校はサウンドバック化しており、表面化すると
メディアに巻き込まれる恐れがある。
③保護者のクレームを一般教員が全く動かず対応せず、
そのまま校長室へ持ち込んでくるケースが多くなった。
従って、管理職は、保護者からのクレームが多い教員を排除したがる。
多少いい加減でも、自分を守ってくれる教員をよしとする傾向がある。
今まで見てきたが、1年目完全にダメ教員で2年目に干されたが、3年目に環境が変わって大きく学年に貢献していた教員がいた。その方は、私も学ばせていただくほどの教員に成長した。
必ず、一人の教員を生かす道がある。それを目指さねば、生徒たちへの「みんな違っていい」とか「みんなが大切だ」などと言う言葉は嘘になる。
「なんで俺はこの学校に来たんだろう」と思っていた。
ある日、学校へ行く途中、車の中で答えが、突然返ってきた。
「会いたかったんだ、この子らに会いたかったんだ」
ずっと涙が止まらなかった。
不思議な体験だった。
この学校での体験を、少し「いじめ」という点でまとめた。
あの学校で、2年目、私のクラスで発達障害のR子へのいじめがあった。親は、どうしてくれるんだと迫る。
指導してもやまない。
決意した。
とことんこの親に付き合おう。
なんどでも指導をやろう、覚悟を決めた。
そうしたら、親が落ち着いた。
その学年が終わるとき、親とかなり親しくなっていた。
また、ある年、トラブルがあった。
しかも学校外でだ。
A子がC子の親とトラブルったという。
その後、そのことでA子が不登校になっっていった。
A子もC子もかわいい私のクラスの子だった。
A子の親は、最終的にA子が学校へ行けなくなったのは「あなたのクラス経営の責任だ」と私に迫ってきた。
管理職も頭を抱えた。
この問題の解決は、A子が親に「先生をせめないで、先生はそんな先生じゃない」と親を説得したことが大きかった。それと、管理職と私が、何度も時間をとって親の話を聞いたことが大きかった。
卒業したA子は、毎年私に会いにくる。
A子の横には彼氏がいる。
A子は将来の夢を私に話す。
私はぜひそれをかなえてほしいと強く願っている。
次の年もいじめがあった。これは人生最大の強烈さだった。
親は、学校を揺るがすような要望をある行事で突き付けてきた。
この親の要求をのめば、他の親たちの怒りは爆発するのは目に見えていた。
しかし、私はそれを実行することにした。
いくら考えても、道はそれしかなかったからだ。
私は、実行した後、辞めようと考えた。
この顛末は私の辞任で終わらせるのが一番良いと思ったからだ。
しかし、
奇跡が起こった。
不思議だった。
他の親の怒りは少しはあったが、最良の方法で行事を終えることが出来た。
天は味方した。本当に天だ。
どうにも動かない窮地の時でも、何が起こるかわからない。
最後まであきらめないことだ。
そして、困難には捨て身で向かっていくこと。
この学校では、それを実体験した。苦しみと共に心に刻んだ。
Q 教員採用で、1種免許と2種免許 どちらが得なのか。
A 同じ。
Q 2種免許ならば給与が低いのか。
A 給与は1種 2種 専修の種類で決まるのではない。
最終学歴が、短大か 大学か 大学院かで決まる。
例えば、大学院卒で、2種の免許で採用されても、給与表は大学院卒の
ものを使う。
Q 2種は世間の肩身が狭いか。
A 気持ちの問題。職員室内でとやかく上る話題ではないし、生徒も知ら
ない。
Q 2種で管理職になれるのか。
A 1種じゃないと管理職になれない都道府県が多い。
Q 2種から1種へはどうすればできるか
A 1種免許状を取得するために、2種免許状を取得した後に修得すべ
き単位数は、実務経験年数によって決まる。
大阪府教委の場合、下のリンクから「教員免許状の授与」のページを開き、「申請書類等」の下にあるリンクから確認できる。
http://www.pref.osaka.lg.jp/annai/menkyo/detail.php?recid=2757&sin_recid=9486#shinsei
以下、大阪府教委ホームページから抜粋
◆ 1種免許状の取得に必要となる、在職期間の年数
(実務経験年数が増えるにしたがって修得すべき単位数は減っていきますが、次の在職年数以上の方は、すべて最低修得単位数(10単位)を下記の内訳により修得することで一種免許状の申請ができます。)
① 小学校教諭二種免許状所持者→ 小学校の教員としての在職期間が通算して12年以上ある方
② 中学校教諭二種免許状所持者→ 所持する免許状の教科の中学校の教員としての在職期間が通算して12年以上ある方
③ 養護教諭二種免許状所持者→ 養護教諭としての在職期間が通算して5年以上ある方
(※ 在職期間には講師経験でも算入可能。
ただし非常勤の場合、週当たり10時間以上の持ち時間であれば常勤換算、10時間未満ならば按分。
(例) 週当たり5時間で12か月勤務⇒ 5/10の按分により、6か月の在職期間と扱う。
また「小学校の教員」には特別支援学校の小学部の教員を含み、「中学校の教員」には特別支援学校の中学部の教員を含みます。)
単位を取得できる大学は、下記の文部科学省のHPをご参照。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/daigaku/index.htm
(小・中学校の上級免許取得は「別表第3」、養護教諭の上級免許取得は「別表第6」をご覧下さい。)
大阪府教育委員会事務局教職員企画課免許係
丁寧でいいんじゃないと思われる人も多いかもしれないが、古い人間の私には違和感がある。
特に、保護者に「アッ いつもお世話になってます」 コレコレ。
これを聞いた時、あんた商売人かと思う。
保護者が子供を預けて、お世話してるのは我々の方だと思うのだが。
傲慢な思い方だろうか。10年前はそんな言い方聞いたことはない。
保護者に対しては、いつも学校の教育活動に協力していただきありがとうございます。という思いで、「お母さん、いつもありがとうございます」と私は切り出す。
教師は本当に低姿勢だ。
昔は丁寧というか保護者との会話に面白さがあったように思う。
古い人間はついていけてないのかな。
川崎市立西高津中学校(高津区久地1丁目、上杉岳啓校長)の卓球部顧問の50代の男性教諭が今月、市内の卓球大会に部員を引率した際、試合後に賞状を部員たちの目の前で破っていたことがわかった。
同校によると、教諭は10月6日と7日にあった市中学生卓球大会(新人戦)に部員を引率。団体戦があった6日の試合後、会場の一角で男女の部員たちを前に、47校中3位だった男子団体の賞状を破った。7日の個人戦を前に、生徒のやる気を出させるパフォーマンスとして破った、と説明しているという。
同校は、15日に届いた匿名の投書で状況を把握。教諭は同日、部員に謝罪し、保護者にも連絡をとって謝ったという。
上杉校長は「いかなる理由があろうと賞状を破ることはあってはならない。指導を徹底する」と話す。(斎藤茂洋)朝日新聞デジタル
そういえば、十数年ほど前、中3の生徒があまりにもやる気ないので、高校の願書(白紙)を目の前で破った学年主任がいた。なにも問題になるどころか、破られた生徒は、「俺がわるいもんなぁ」としかたなそうにしていた。
時代は変わるよな。この賞状を破った教師の気持ちはわかる。「3位か、お前らもっと力あるだろう!」と言いたげなんだよな。その気持ち、わかってほしいよな。
校長も上のように言わざるを得ないんだろうな。気持ちはわかってても。
今の時代、あまり過激なことは私も慎んでいます。気持ちがあっても、どうとるかは相手。気持ちが伝えられるような行動をしていかなくてはと前向きに考えてます。
しかし、あまり悪いことは言わず、褒めてばかりいると、「馬鹿にしているんですか」と生徒から言われたと、ある担任が言ってました。
難しいです。非常に。お互い腐ることなく頑張りましょう。
全国で教員不足600人超
26都道府県と9市の公立校
学校現場の長時間労働が深刻化し、教員の負担軽減が課題となる中、全国47都道府県と20政令指定都市のうち、26都道府県と9市で公立の小中高の教員が、定数に対し少なくとも計600人不足していたことが1日、各教育委員会への取材で分かった。
5月16日時点で各教委が持つデータを共同通信がまとめた。
定年による大量退職や、若手の志望者減などが背景にある。人員不足が続けば授業の実施が困難になったり、1人当たりの業務量が増加したりする恐れもあり、学校関係者から「民間と人材の取り合いになっている」との声も出ている。
今回の調査で教員不足の実態の一端が浮き彫りとなった。
★教員採用試験の真っ最中。この記事はなんと不思議な記事だろうかとだれもが思う。
記事を書くならば、見出しから「年度途中採用の非正規の教員足らず」と書くべきだろう。
年度初めの4月からの教員は、今行われている教員採用試験で補充されている。
定数が足りなければ常勤講師で補う。なので4月から足りないというのはほとんどない。
問題になっているのは、年度途中で病休や産休で穴が空いたところを埋めてくれる非正規の教員たちが不足していることだ。
これは足りないのは当たり前だ。
年度途中のいつに採用されるかもわからない、下手すれば採用がないかもしれない、そんな仕事をわざわざ待っている人がいるだろうか。
どうしても教員がしたくて、4月に講師の仕事が来なかった人が待っているぐらいだろう。
この非正規の年度途中の採用を円滑に進めるために教育委員会は日夜奮闘している。
7/4 NHKニュースより
全国の公立の小中学校の教員の数が、ことし4月の時点で定数より少なくとも700人以上不足し、一部の学校では計画どおりの授業ができなくなっていることがNHKの取材でわかりました。
これまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足が要因と見られ、専門家は「国や自治体は早急に実態を把握し、対策を検討すべきだ」と指摘しています。
全国の公立の小中学校の教員は、国が学校ごとの児童や生徒の数に応じて毎年、定数を算出し、それをもとに各地の教育委員会が配置しています。
NHKが全国の都道府県と政令指定都市、合わせて67の教育委員会に教員の定数とことし4月の始業式の時点での実際の配置状況について尋ねたところ、全体の半数近い32の教育委員会で定数を確保できず少なくとも717人の教員が不足していたことがわかりました。
このうち福岡県内では担当教員の不在で技術や美術の授業をおよそ2か月間実施できない中学校があったほか、千葉県内では小学校の学級担任が確保できず教務主任が兼務する事態も起きています。
専門家によりますと、背景にはこれまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足があるということで、教員の配置に詳しい慶應義塾大学の佐久間亜紀教授は、「臨時採用など非正規の教員は雇用が不安定で給料が低く確保が難しい状況にある。国や自治体は早急に事態を把握し、採用計画を見直すなど対策を検討すべきだ」と指摘しています。
臨時講師は、ほとんどが教員採用試験に不合格で、来年度の採用試験を受ける人たちだ。しかし、講師プロの方もいる。
とにかく不安定が特徴。
次の講師の口があるかないかを気にしていなければならないし、教員採用試験のための勉強もしなければならない。精神的にも落ち着けない立場にある。
臨時講師は、ほとんどが4月から1年契約となるが、そこに入れない人もいる。
4月契約にこぎつけられなかった人は、講師依頼が来るまで他の仕事もほどほどにして家で待機しなければならない。
年度途中に、産休・育休、教諭の急な病気などで教育委員会から呼び出され赴任する。しかも年度途中採用は様々な勤務上給与上の理不尽に思える扱いがある。
このような不安定な職に就く人たちがが不足しているということだ。
私も年度途中で代わりの講師が来ないことを幾度も経験している。
このような悪条件で働く人を見つけるのには苦労する。
足りないというのではなく、だれもなりたくないので、そのような中途採用の講師の存在自体が希であるということだ。この採用計画を見直せるか大きな疑問だ。
大量採用が続いた都道府県では新任の若い人たちが多くなった。若い人は結婚し、女性教員は妊娠をする。
そこで大量に必要なのが産休・育休臨時講師だ。私の学校にも3人の育休講師が働いている。県全体では何人の産休・育休講師が存在しているのだろうか。かなり必要だろう。
我々のときは2週間で良かったものが今は3週間だ。
我々のときは教育実習は楽しいものだと思ていた。
授業が終われば先生と喫茶店に行ったし、大学の授業を受けるより生徒たちと触れ合えるのでみんな生き生きしていた。
だが、最近の実習は地獄だよ。ということをよく耳にするようになった。
何が地獄かと聞くと、睡眠時間がないという。おかしなことを言うもんだと思っていたが、妹の子が教育実習で一日2,3時間しか寝れなくてふらふらになって頑張っていると聞いて、本当なんだと確信した。
また、指導案作成にとても時間がかかるとも聞く。
我々のような困難校では、教師たちは生徒指導に追われ指導案をじっくり見る暇もないのだが、教育学部の付属校では、研究や指導案作成が命のところがあるので実習生の大変さが目に浮かぶ。
ネットで教育実習の大変さを検索していたら、教師にとって耳の痛いブログ記事があったのでアップした。
これは、個人的にわりと腹立ってることなので、だいぶ殴り書きになるかもしれない。
先日、後輩の女の子がボロボロと泣いて僕に相談してきた。その子はどうやら教育実習をしているところなのだが、実習がとにかくつらいとのこと。
話を聞けば、朝は7時45分には出勤。退勤はその12時間後。クーラーがない中でスーツを着ているため、体育館などで長時間立っていると具合が悪くなる。周囲にはしゃがみ出す人もいる。しかも業務はずっと立ちっぱなし。小学校での実習である故、椅子には殆ど座れない。
そして当然、休憩は存在しない。
帰宅後に提出用の実習の日誌を記入し、指導案の訂正をしなければならない。しかし、初めての教室実習で授業は思うように組み立てられず、不安になり、頭もこんがらがり、身体も心も強くない私はとても息が苦しくなる、と。
…話を聞いていれば、色々と思うところはある。
生徒の性格もステータスもろくに知らない教育実習生が、はじめての生徒の前での授業で不安を持つのは当然。大学で授業の案を作成する準備はできた筈。それでも学校側への不満はある。
まず、現役の教師らはろくに実習生の労務管理もできないのか。俺の前の実習先だと、夜8時半とか9時まで学校に実習生を居座らせる教師がいた。そこから指導案を訂正して授業の練習すれば、夜なんてろくに眠れない。
あ、「俺らはこんなに遅くまで残業代ナシで働いてるからお前らもそんだけ仕事して当然」とかいう言い訳はナシな。
そういう価値観がブラック労働を助長してるわけで。ブラック労働の何が問題なのかはもうイヤほど知れてるし。そもそも週5勤務の現場で休憩ナシに半日近く居させるだけでアウトなんだけど。日誌だって立派な持ち帰り残業だろうし。
しかも、その子の実習先のある教師が、実習生全体に向けて「体調管理はしっかりしろ」って注意したらしい。いやいやいや、あんな湿気も入り放題で熱も篭りやすい場所で、クーラーなしにどうやって体調管理しろって言うの?睡眠時間もろくに与えずに?
もっと言えば、校長。教員が実習生の勤怠管理もろくにできてないのは、校長がろくに教員の労務管理をしてないからじゃないの?
そもそも教師に無駄な仕事を押し付ける自治体や教育委員会、労働問題にろくな対策を講じない文科省もアレだけどな。
つーか労働の場で実習生や研修生を守る法律ができて然るべきじゃねえの?実習生とか新任の教師を鍛えさせる法律ばっか出来てるけど、不当で劣悪な環境で実習生や研修中の教員が勤務するのを防ぐような法律が先だろ。研修も、そういう労働法メインで教えろよ。
まあ給料の教職調整額が無くならない限り、そんなことはしないんだろうけど。
教員の質が低下?教師もブラック、実習時点でブラックじゃあ、そら優秀な人材はほかに流れていきますわ。我慢を強いられて働いて、それを同じように実習生に押し付けた結果だろ。離職率が高いのも納得。
しかも、中学高校なら、部活の顧問がができるか否かで教員採用試験の結果が決まるみたいな話も聞くし。
教育課程外の部活がメインの業務を圧迫するほどの負担になってる現状に何とも思わないの?
まあ思わないから部活ができてかつ素直そうな人間ばかり選んでるんでしょうけどねえ。おかげで自分の専門外の部活動の顧問をさせられて、私生活まで破綻してる先生方もいるみたいですけどね。
教育実習生に向けた現役教師のパワハラ・セクハラも最近ネットのニュースになったし、そろそろ実習先の中にフィジカルもメンタルもやられて自殺者が出る頃では?てか、もう実際に出てるとこもあるんじゃねえの?ドロップアウトする人間がいるのはよく聞くけどね。
ともあれ、先ほど話した女の子の実習が無事終了するかどうか、心配だ。
Homer's Blog
実習はそんなに酷なのか。
時代は変わったな。
ブラックと言われるまで実習生を追い詰める実習は必要ない。授業が命というのは理解できるが、我々教師が普段書かない指導案に体を悪くしてまでしがみつかせる必要もない。
実習でつかんで欲しいことはただ一つ。現場で、生徒の心をつかむためには何を一番大切にしなければならないかを身をもって知ることだ。
英検取得、生徒も教員も全国上位 中学教員1位、高3と高校教員2位
文部科学省は5日、全国の公立中学・高校の生徒の英語力を調べた2016年度英語教育実施状況調査の結果を公表した。高3生のうち「英検準2級程度以上」の生徒は、前年度より2・1ポイント増の36・4%。中3生で「英検3級程度以上」は0・5ポイント減の36・1%だった。福井県教委によると、都道府県別で福井の高3が前年度比2・3ポイント増の44・8%で2位、中3は前年度比3・8ポイント増の46・5%で3位だった。
調査は昨年12月、全公立中高計1万2850校を対象に実施。高校は都道府県、中学は都道府県と政令市をそれぞれ集計した。高3では47・3%の富山県が最高で、福井県44・8%、兵庫県43・4%と続く。中3は政令市も含めると奈良県48・0%、東京都47・1%、千葉市46・6%の順で、福井県は4位となる。
政府は東京五輪なども見据え、卒業段階での割合を17年度までにそれぞれ50%にすることを目指しているが、達成が困難になりつつある。ここ数年、中学、高校ともに英語力は少しずつ上がっていたが、中3で低下に転じた。文科省は「新学習指導要領では小学5、6年で英語が教科化されるなど今後、現場での取り組みも大きく変わる。徐々に計画に近づけていってほしい」としている。
調査結果には、英検の級を取得していない生徒らについて、授業の様子や定期テストの結果を基に教員の裁量で「相当の力がある」と認めたものも含まれる。このため評価のばらつきを指摘する声もあるが、文科省は「各地で教員研修などを積み重ね評価の標準化に努めている」と説明している。
英語教員の英語力も調査。大学中級程度とされる英検準1級かそれに相当する資格を持つ割合は、高校で前年度比4・9ポイント増の62・2%、中学で1・8ポイント増の32・0%だった。
都道府県別でみると、高校は香川がトップで、福井は前年度比0・8ポイント減の85・8%で2位。中学は最も高いのが福井で、前年度比4・6ポイント増の56・3%だった。
さすが教育県福井。パチパチパチ!!!
しかし、このような見方もあった。
日刊ゲンダイDIGITAL 4/9(日)
デキない先生に教わった方がいいかも――
先日、文科省が公表した2016年度の「英語教育実施状況調査」。都道府県の中高生だけでなく、教員の英語力も公表されているが、意外な結果だった。教員と生徒の成績がかみ合っていないのだ。
教員は「英検準1級」、高3は「同準2級」、中3は「同3級」レベル以上の割合が調査され、都道府県別に公開された。
高校教員では、89.1%の香川県がトップ。全国平均が62.2%だから圧倒的なのだが、香川の高3は全国平均36.4%を下回る34.0%。教員はデキても、生徒は伸び悩んでいる。
香川県教育委員会は、「教員の全国1位はうれしいのですが、あくまで生徒の学力を伸ばすのが教育ですからねぇ。課題として取り組んでいきたい」(高校教育課)と複雑な様子。香川だけではない。熊本(4位)、愛媛(6位)、佐賀(7位)など教員上位県の生徒は平均未満。
“優秀な先生に優等生”とはなっていないのだ。
中学生の調査でも注目すべきトレンドがあった。中3の成績トップは奈良だが、教員の成績は平均をやや上回る程度。他に、中3の成績上位の千葉(4位)、群馬(7位)、埼玉(8位)の教員は全国平均を下回っている。どうして教師と生徒の成績がかみ合わないのだろうか。
「自分の成績が悪い先生は教える際に、生徒の目線に立って工夫したりと、上手に教える傾向があります。今回の結果はその表れかもしれません。文科省が生徒の成績と並べて教員の成績を公表することは問題です。これでは、教員は自分の“英語力アップ”に走ってしまう。英語ができることと、教えることは別物。鍛えるべきは“教えるスキル”です」(大阪産業大客員教授の八幡義雄氏=教育学)
成績が悪かった先生は落ち込むことはない。
私は京都大学出身の先生と同じ学年を教えたことがある。その先生が教えたクラスの成績が伸びたという事実はない。部活動の指導でも選手経験が全くない先生が全国大会に出場させた事実がある。
上記の大阪産業大学の八幡義雄先生が言われる通りのところもあると思う。
教員は、授業が理解できない生徒の頭の中身が理解できない。勉強ができる学生のまま教壇に立った場合、できない生徒の気持ちはつかめない。教える経験や自分の心を見つめることによりできない生徒の気持ちを理解できるようになってくる。そしてそれが教科指導に生かせることができるようになってくるのだ。
教える技術は生徒が伸びる重要なポイントだ。
以前、大手予備校が中学受験専門の教師を募集をしていたので電話で問い合わせてみた。即、断られた。「中学受験の経験がありますか」と問われ、否と。現役中学校教員だと説明すると、「それでは問題がとけませんので」と断られたのだ。
中学受験には経験と教える技術がとても重要だと理解した。
教員は常に研修に励み、教える技術を磨き続けることが必要だ。だた、その時間は保証されるべきだ。
良き養護教諭は生徒の情報をつかむために常にアンテナを張っている。生徒の情報を収集しそれを整理して他の教員たちと共有し次の手を打つ案内人となっている。
保健室に来る生徒はやんちゃから不登校生徒と多種多様だ。彼らから多くの情報を耳に入れることができる。例えば、保健室でのたわいもない会話から生徒の家庭状況を知ることができたり、生徒同士の人間関係の構図を知り得たり、時には教員に対しての反発心を受け止めることもある。
しかし、保健室にこもっているだけではつかむ範囲も限られてくる。校内をふらつき生徒の様子を観ることが必要だ。
生徒の情報をつかむといっても生徒が寄ってきてくれなければ何もつかむことができない。生徒が信頼できる人間的魅力を備えている必要がある。
こういう論調は一方的だと思いますか?
より
文部科学省によると平成25年度にわいせつ行為等により懲戒処分等を受けた公立学校の教職員は205人にのぼり、調査開始後初めて200名を超えたそうである。
警察庁が発表している犯罪統計によると、平成25年度中に全国で発生した強姦・強制わいせつの認知件数は9082人で、仮に日本の15~64歳人口約8000万人を分母とすると、性犯罪発生認知件数率は約0.01%となる。
集計方法が異なるので単純な比較はできないが、懲戒処分等を受けた教職員数205人を分子に、全国の公立小・中・高校の教職員数約100万人を分母にすると、性犯罪発生率は約0.02%となる。
教職員5000人に1人が性犯罪を犯すのは、普通の人から見ても多いと言わざるを得ない。しかもこの数はあくまでも「公立学校の教職員」の犯罪数であり、これに塾・予備校講師等による犯罪数を加えると、発生率はさらに上がる可能性がある。
そして教職員のわいせつ行為の相手は、実に60%以上が18歳未満の児童・生徒なのである。これは警視庁発表の性犯罪のうち被害者が未成年である割合(約50%)をはるかに超える。つまり「教師を見たらロリコンと思え!」というのは、あながち嘘とは言い切れないのだ。
なぜ教師はロリコンとなるのか。もともとそういう性癖を持った者が、合法的に少女に近づける職を自ら選ぶというケースももちろんあるだろう。そういう人物の場合、子ども達の方でもなんとなく薄気味悪さを感じて、本能的に避けることができよう。問題なのは後天的にロリコンとなっていくケースである。これは生徒から慕われている教師の方が、実は陥りやすいのだ。
生徒から好かれ慕われている教師の場合、当然その教師の周りには生徒が集まってくる。距離が近くなればその体に触れることもあるだろう。スキンシップは人間関係の親密さに比例するから、慕われれば慕われるほど接触数は多くなる。教師とて人間である。もし恋人などに恵まれていなければ、ちょっとしたスキンシップの時に、性衝動が刺激されることもあるかもしれない。
もちろんこれは可能性の問題であり、全ての教師が「そうだ」と言っているのではない。しかし一般の人に比べ児童や中高生と接触する機会が多い仕事であるがゆえに、そうした危険性は一般よりは多くなるだろう。子どもを持つ親は、そのことに思いをいたしておくべきなのである
「かもしれない」などのことばで決めつけて、保護者に必要以上に教師は性犯罪者的だと持っていく論調は怖い。
私は性犯罪で捕まった教師を知っているが、恋人もいるし恵まれたあったかい家族を持った人だった。職員間でも教師として評価が高かった。だが、癖のように行っていた。
やはり「ストレス」からくるものだ。
例えば、若い先生はつい先日まで大学生だったのだ。世間の荒波にさらされる前の甘い考えが通用する時代だ。それが、一気に「先生」と呼ばれるまったく別世界に飛ぶ。誰でも初めは違和感を感じるが、これはたまらない快感となる。なぜなら、これまでの人生とはまったく異なる逆の立場に立つからだ。
しかし、その快感も1月もすれば不快へと変貌していく。
新任教員のバカほど多い研修。外から見ればかわいい子どもも、実は大人以上に扱いにくく怖い存在だったということが分かってくる。その背後にある保護者の想像以上に深い要求。
プレッシャーは日がたつにつれて両肩に背負いきれないほど大きくなる。
また、年数を経た教員は家庭での親としての責任、学校での責任の範囲が重く広くなる。体力も衰え、親の介護も入ってくる50代ともなると若手に負けていられないが、実は負けている自分を見ることになる。
プレッシャーの要素は蓄えられそのはけ口を求め始めるのだ。
クラスの子どもたちや卒業生たち、そして自分の親、兄弟、妻、自分のこどもの(;_;)を思い浮かべてほしい。
教員の数をめぐる論議が行われている。
削減を求める財務省に対し文部科学省側は反発している。来年度予算編成に向けた「数」の綱引きに終わらせず、教育の質の向上につながるよう考えてもらいたい。
教職員は学級数に応じた人数の他に教育上の課題に対応する「加配」をプラスして配置されている。
財務省は財政制度等審議会で、義務教育の公立小中学校の教職員の数を平成36年度までの9年間で約3万7千人削減できるとの案を示した。
一方、文科省は同年度までに5千人の減少に抑えるよう計画している。少子化で学級数が減り、教職員数も自(おの)ずと減るが、いじめや不登校など学校が抱える問題は多様、複雑化しているとして加配教員の増員を求めているからだ。
財務省案に対し、文科相の諮問機関の中央教育審議会は「学校の厳しい実態を無視した暴論」と非難し合っている。
国力につながる教育に、十分な予算が必要であることに異論はない。しかし、限られた財源の中で何を優先するのか。義務教育費の8割を人件費が占めていることは事実であり、教職員数は他の文教施策にも関わる。
少子化のなかで、児童生徒数に対する教員の数はむしろ増えている。1クラスの人数が20人台以下の学校も少なくなく、安易な教員増が公教育の信頼回復につながらないことは経験上明らかだ。
教員が増えれば本当にいじめが解決できるのか。多忙が解消されるのか。こうした財務省の疑問を、文科省をはじめとする教育界は、真摯(しんし)に受け止めて答えを出さなくてはなるまい。
学校を外から見ると、真剣に指導にあたる教員と、そうでない教員の差が大きい。指導力不足の教員が放置され、他の足を引っ張る現状もある。まず教員世界の悪平等を排し、熱心な教員を適切に評価し、報いたい。意欲ある教員が腕を振るえる環境を整えることで優秀な人材も集まろう。
校長や教頭に多くがなりたがらないという組織は不健全だ。研修などを工夫し、日頃から教員同士の連携を強めることでチームとしてカバーし合い、不登校などの問題を解決している例もある。
教育を良くするも悪くするも教員の力にかかっている。その力を高める施策を優先してほしい。
教員の質を高める施策を優先するべき、という論調だ。しかし、ここで質を高める施策とは何か、という問題が出てくる。例えば、研修を繰り返せば質が上がるのかということだ。
現場では、今は新任の研修が多く、新任が校内で十分な活動ができないことがある。また、研修の内容も不評なことがある。
今、現場の教員に身につけてほしいことは次の2つだ。
1つ目は、試練を迎え討つ心の構えだ。毎日、教員には試練が矢継ぎ早にやって来る。それをどう受け止め、最善の道をつけていくかを問われつずけている。毎日が秒刻みの神経戦だからこそ必要なことなのだ。
2つ目は、信頼関係を構築する力だ。生徒や保護者との信頼関係だ。また、同僚同士の信頼関係だ。信頼関係は教師の権力や力を振りかざしてはできない。かといって、もの言えない弱腰でもできない。これは本当に難しい。
これら2つは知識をもらう研修ではつかめない。失敗も含めて経験を積み、よき先輩たちと仕事をして心を心を研いでいくしかない。