老いてこそ分かるものがあるようだ
困難校を渡り歩き、学年主任や教務主任を歴任し、どこの学校でも絶大な信頼を得ていた教師がいた。
ほとんど問題のない学校へ来た。
そこでまず担任をさせられた。

しかし、過去の栄光を教室で生徒にしゃべりだす時があった。
やんちゃな生徒を手なずけたこと。

それをすればうまくいかないと思った。
やがて、彼のクラスの生徒たちから彼の悪口を聞くようになった。


彼は体調も崩し、今は5時になればタイムカードを入れて帰る日々が続く。
その後ろ姿は寂しい。

彼は、50代だ。


心配している。どうするんだろう。

転勤するか、踏ん張るか。


時代は思っているより変化が早い。
自分を変えていかなければ務まらない。


私は、以前暴力教師だった。校長からも注意を受けた。
「君は学校にけんかしにきとるんか」と。

そうかもしれないが、何が悪いか、とその時は思った。

だが、私の心にひびが入った時があった。
やんちゃな女子らのボスから、暴力をふるわれた時だ。

自分の生徒指導を根本からくつがえさせられた。

形ではない、心だ。
ようやくわかった時だ。

ここから変わっていった。
いまでは、暴力教師の面影はまったく消えた。
今日は、女生徒からライン教えてと言われた。もちろん教えなかったが、昔と違って生徒たちが自然と寄ってきてくれる。

私は、歳は一番上の方だが職員室での存在感はやっぱりない方だ。
なぜなら、若い教師たちのようにシャキシャキと仕事をこなせないし、仕事では周りに迷惑をかけている。また、部活指導もバリバリどころかさぼっているからだ。

老いてくるとできないことが増え、腰はまだ曲がらないが、低くなる。
彼も、きっとそのことが分かって来たのかもしれない。
仲間が増えた。













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2021/02/16 03:12 | Comments(0) | 教員の質

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