公立学校の真実
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さて、採用試験を受けるならやはり小学校だ。倍率が高くないのと、高校入試程度さえ完璧にこなせばかなり合格に近くなるからだ。
あとは理系だ。社会科は辞めた方が良い、異様に競争率が高い。
採用試験を受ける諸君。準備はできているか。いまさらジタバタする必要もないが…。
私も大型書店で教員採用の棚に行って採用関係の本を見てみた。気になったことは、○○県の採用試験問題集と書いてあっても、その県の専用試験ではなく、どの県にもあてはまる問題集だったりすることだ。
講師の先生が言っていたが、そのような市販の問題集より、最近は情報公開で役所などで過去問題をコピーさせてもらえ、それが一番ためになるらしい。
頑張れ熱意ある受験生のみなさん。
このような姿を見たら公立中学校に通わせたくなくなる親もでてくるだろう。ひょとしたらそのほうが正常なのかもしれないとも思う。
中学校の教師の役割とは何か、80%が生徒指導にエネルギーを注ぎ、荒れている学校では教科指導の研究時間はない。
悪循環
この言葉は荒れている学校にあてはまる。授業中抜け出す生徒がいるので、ローカで見張りをする。だから一日の空き時間がなくなる。授業がおわると部活動の指導や会議に出る。採点や事務仕事や教材研究は生徒が帰ったあとでする。不登校生徒や問題を抱えた生徒の家庭訪問を夜おこなう。帰るのは10時11時と遅い。家族との団らんなど考えられない。
疲れはピークに達していても、翌朝は部活動の朝練習のために7時に学校に行く。土曜日曜は部活指導。
疲れはピークを過ぎ次に精神をむしばみ始める。そのよな状態で生徒と関わるから良い関わりなど生まれない。どんどん見通しの立たない事件が起こる。仕事もたまる。ますますしんどくなる。体も精神も病んだまま生徒と関わらざるをえない。身動きとれない。孤独。
好転循環
生徒は少しやんちゃでもかわいい。誰一人授業中抜け出さない。空き時間はしっかり教材研究をして授業に臨める。生徒と良い関わりが増える。放課後は問題処理などないので早く帰れる。体を休め家族と団らんもある。
翌日もプレシャーなく学校に行ける。
県内に100の中学校があるとすれば、学校に来ても妨害するか、やることなくただ校舎内を徘徊するかしている生徒は100人はいるはずだ。その内20人でも特別な配慮をした教育ができればすばらしい。
およそ上記のような生徒は荒れている学校に数名いるのであり、その中の1人でも特別な配慮の教育を受けさせることが出来れば、他の生徒も影響を受ける。例えば荒れているグループのトップの生徒を違う環境で教育を受けさせるために抜けば、教師の負担もかなり減る。
そこまでは難しいかもしれないが、公教育の枠をとりはらった策が必要だ。
中学校は困窮している。学校教育では無理な課題を背負い込んでいる。文科省の超有名大学出の人間は机上の理論を整えるばかりで、現場を見ていない。日教組は反日イデオロギーに染まり中国や北を見て日本国民を見ていない。。
どっちにも助けを求められない教師は、じっと耐えるしかない。
しかし、耐えることも飽きてきた。少ない給与から絞り出し、自分にできることをしようと考えはじめた。大火に水滴だがそうでもしないとやってられない。
朝は8時15分出勤だけど、みんな7時半には出勤して校門や玄関あたりで立ち番やってる。
朝補習は7時半からやってるし、部活だって運動部で強いトコは19時半ごろまでやる。
教材研究や書類仕事はその後になるから、21時~22時に帰るヤツばっかだぜ。
オレなんて全国大会を目指してるテニス部の顧問なんだが、去年テニスを始めたばかりなのにそんなトコに廻されて・・・。
生徒の方が上手いのに「経験者だから指導してね」っちうのは、ホントにどうかと思うわ。
長期休暇は教師も休みだと思ってるヤツが大半だが、勘違いすんなよ?
普通に仕事しとるっちうねん。
特別休暇(夏期休暇)なんざ去年か一昨年ぐらいから5日もらえるようになったけど、それまでは3日だったんだからな。
年末年始だって、部活で元日以外ぜんぶツブされたりするんだぜ?
今勤めてるトコは新設校だからまだイロイロ固まってなくて、やるコトは山ほどあるわ。
4月から5月の半ばぐらいまでは、昼メシっちうモンを喰う時間すらないぐらいだったなぁ。
進路指導部ってトコにいるんだが、放課後は次から次から生徒が来て、いろんな相談するんだ。
将来に悩みを抱えてるヤツもいるし、そういう子らのカウンセラーみたいなコトもするから、少しでも自分の見聞を広めておかないと大変だわ。
ポッと出で民間企業の経験がない若いセンセなんかは、一体ナニを教えられるんだって感じだよ。
勉強だけじゃなくて、いろんなコトを教えられないとダメだもんな。
世の中、支援が必要な子どもがたくさんいる。しかし、児童相談所は満員状態。しかも、児童相談所の職員に電話しても、つながるのは3回に1回ほどだ。忙しすぎる。
我が校でも児童相談所の一時預かりにかからなければ生活上大変なことになる生徒がいるが、空きがない。
おまけに、「里親はどうか」と児童相談所の職員に聞くと、中高生を対象とする里親は極めて少ないという。
あまり深入りした話はできないが、ほんとうになんとか考えるべきだ。
児童相談所は,虐待児の保護だけではなく,親がきちんと世話のできない子供一般を扱っている。すなわち,親が蒸発したり,家にいても,子供の養育を放棄しているといった児童から,場合によっては,非行少年を扱う場合もある。
特に,少年の場合には,刑罰法規に触れる行為をしなくても,一定の事情があって,将来刑罰法規に触れる行動に出る可能性がある少年は,家庭裁判所の審判の対象になるので,時には,そのような少年の保護や,家庭裁判所への送致も仕事となっている。
最近の社会情勢からすると,少子化による児童数の減少を補って余りあるほど,実際の業務は増加しているのではないかと思う。
兵庫県の実情はよく分からないが,どこの自治体も,予算の厳しい折から,児童福祉に振り向けられる金額も限られていると思われる。児童福祉法の関連施設は,児童相談所だけではなく,助産施設,乳児院から,非行少年関係で時々出てくる児童自立支援施設(昔の教護院)まで,たくさんある。
また,問題を抱えた子供の保護は,専門的知識のある職員でなければ対応することができないが,こういう子供の保護の仕事は,楽な仕事ではなく,人材の確保も難しいと聞いている。
里親制度は、そんな子供たちを、実の親に代わって育てる制度のことだ。養子縁組とは違い、里親は法律上「親」となるわけではなく、住民票上の続柄は「縁故者」として記される。
つまり、里親として子供を育てる場合、親権は実親に残ったままで、里親はあくまで子供を一時的に預かる「同居者」という立場となる。
「養子縁組は戸籍上も親子関係を結び、一生親子関係を続ける制度。一方の里親制度は戸籍上は他人で“一時的”に子供を預かる制度のため、審査基準などに違いがあります」(里親制度を担当している東京都育成支援課)
東京都児童相談センターの担当者はいう。
「里親を希望するかたの半数は、実の子供がいないけれど、養子縁組は認められず、それでも子供を育てたいというかたです。残りの半数は、実の子供もいるけれど、社会貢献のために子供を預かりたいというかたです」
実際、里親を希望する場合は、各地方自治体の児童相談所か民間のあっせん団体に申し出る。
諸条件は各自治体で異なるが、東京都の児童相談所の場合は、里親を希望する人は必ずしも夫婦である必要はなく、「25才以上65才未満」が条件となっている。その他に、収入、自宅の床面積や間取りなどの条件を満たすと、児童相談所に預かりたい子供の性別や年齢を伝えたうえで、里親になるための4日間の研修を受け、家庭調査が行われる。
調査内容を都の認定部会が審査したうえで里親として認定されれば、子供を預かることができる。その後は2年ごとに預かり期間が見直されていく。
東京都児童相談所では昨年度は里親を希望する105件の申請があったうち、102件が成立している。それでも里親を必要とする子供のうち、成立しているのはごく一部。全国で児童相談所などが保護している子供は約3万8000人いるのに対して約3900人の子供しか里親に預けられていない。
「子供に恵まれない夫婦の多くは、子供を預かるのではなく、“わが子として小さいころから育てたい”という希望を持っています。そのため里親ではなく養子縁組を望むケースが多いのです。また、一度預かっても“やっぱり難しい”と話が破談になることも少なくないのです」(前出・東京都児童相談所)
※女性セブン2010年9月30日・10月7日号
施設の子の奨学金について書かれたブログを拾ってみた。下の2つがそうだ。
どちらも当然と思うことだが、この政治混乱のさなか、東北の災害復興もままならないのに施設の子らの奨学金なんて話題にも上らないのだろうこの国は。
だったら、なんとかまず民間でやらねばならないのではないか。
2つのブログより抜粋
タイガーマスク現象の影響か、匿名の寄付が続いている。土曜日に私宛に差出人のない封書が届いた。中にワープロで打った文書と5万円が入っていた。さらに某幼稚園で講演をしたらそれを聞いた保護者がメールで寄付を申し込んできた。匿名ではないが、関西のほうの方からお米が届いた。有難い限りである。それに今朝新聞を見たら最低基準が見直されるらしい。
一方で、高3の女児の大学進学について、多方面に支援を呼びかけていこう思っていた矢先、こんなことばを聞いた。「不景気の時代、普通の家庭だって進学を諦める子がいるのに、どうして施設の子を大学に進学させなくてはいけないの。家が大変で施設に入っていたのだから進学なんかより働かなくてはならないんじゃないの」と。こうした考え方は一般論として非常に根強いのかもしれない。これこそ劣等処遇の考え方なのだが。
私はこう思う。子どもたちがどんな環境に生まれ育ったかによって、自分の意志とは関係なしに進学を断念しなければならないとしたら、そんな社会であっていいのだろうか。貧困家庭に育つこと、施設で育つことは、決してその子の責任ではない。選択不能の環境のせいで、自身の夢をあきらめなくてはならないとしたら、格差社会はさらに顕著なものとなろう。そんな日本であることを容認していいのだろうか。
日本国憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とある。出生や門地にかかわらず人は個人として尊重されなければならないし、誰にでも幸福を追求する権利があるのである。
私は、いくつかの大学で教鞭をとっているが、文章もろくに書けない学生、勉強する気の全くない学生に出くわすたびに、「こんな子を大学にやるために親は必死に働いて学費を納めているのか」と思ってしまう。高卒後の進学が当たり前となりつつある現代、「せめて大学までは」という親心なのであろう。
私には「せめて大学までは」という親心はない。大学で学ぶ意志も能力もない子の進学を支援しようとは思わない。しかし、夢をもち大学で学ぶことでその夢に近づくことができ、また学ぶだけの能力を有する子であるなら、さらには、そうすることで社会にとって有益な人材に育つことができるのであるなら、その進学を支援したいのである。
「貧困で大学に行けない子もいる」、本当にそうだろうか。大学に行かない理由が経済的なことであるなら、それは言い訳に過ぎない。私は高3の時に家計が破たんした。一つ上の姉が浪人中で、私の大学進学はどうなるのだろうと思ったが、進学しないという選択肢はなかった。結果的には、新聞奨学生となり新聞専売店に住み込んで学生生活を送る道を選択した。親から金銭的な支援を受けることなく4年間で無事大学を卒業した(ただし働いてばかりいたので失ったものも多いが)。言えることは、経済的な理由が進学できない理由にはならないということ。
私にもできたのだからと、施設の子どもたちに同様のことを求めるのかといえば、否である。なぜなら実子にそれを求めないからだ。私には大学1年、高校3年、中学3年の3人の子がいる。彼らが進学を望みまたそれに値する能力があるのなら、3人とも親が全面的に大学進学を支援したいと思っている。実子には大学を終えてからも様々な支援をしていかなくてはならないとも思っている。私は実子の保護者であると同時に、施設に入所する子の保護者でもある。実子に求めないものを施設の子には求めるという自己矛盾に耐えられそうにないし、私はそんな冷徹な人間にはなれそうにない。施設の子にしてやれることには限りがある。30歳になって支援を求められてもできないことはできない。でも大学を卒業するまでの支援ぐらいならしてやりたいと思う。
私とともに養徳園に入所した弟は脳外科医であるが、医学部で学ぶための費用は先代の施設長が全面的に支援した。稀有な能力を埋もれさせてはならないという思いだったのであろう。その後継者たる私はその意志を引き継ぎ、もっと幅広く進学を支援したいと思う。ただ、私は微力だから、多くの方々に助けてもらわなければならない。
自分ではどうすることもできないことで、夢を諦めなくてはならないとしたら、それはその子だけの問題では終わらない。先輩が夢を諦めていく姿をみた後輩は夢をもつことすらできなくなってしまうのだ。心は荒むばかりだ。大人は子どもに「夢をもて」というのに・・・。
施設の子を大学に進学させることは、世間にはびこる劣等処遇の思想との戦いでもあるのだと考えさせられた。タイガーマスク現象が広がる今、劣等処遇について考える契機になればと思う。だからこそ、この現象を一過性のものとして終わらせてはならないのだ。
今春、児童養護施設から大学に進学した女性(18)が、日本学生支援機構の奨学金を借りられずに困っているという。
保護者からの虐待により施設へ入った経緯があり、民法で定められている、「奨学金を借りるための親の同意」が得られないためだ。学費は慈善団体の支援でまかない、アルバイトと奨学金で生活費にあてる見込みだった。
こういうニュースを読むと、本当に、考えさせられる。かなりの数の外国人留学生に対して、日本は授業料はもちろん負担させず、教科書代と生活費に十分余裕のあるだけの国費を、返還義務を課さずして湯水のごとく注いでいるというのに。日本人への国からの救済策というのは、ないんだね。
私の学生時代、日本の国費を得る留学生たちは本当にリッチだった。(母国での家庭環境も豊かな人が多く、30を過ぎてなお、外遊がてらフラフラしていられるだけの余裕がある家の出身であることも)
中国や韓国、インドネシアや台湾からの留学生はとても勤勉な印象だった。しかし、お国柄があるのか、どこぞの国からの留学生たちは、毎晩、クラブ(踊りの方)通い。学内では、その夜デートに誘う女の子を探し歩いて、ナンパばかり繰り返していた。
私はそのうち一人に、3年に渡ってしつこく追い回された挙句、彼が日本からの奨学金を得ながら高価なアクセサリーを贈ろうとさえするのに頭にきて「あなたは日本へ勉強しに来たのか、それとも女の子のハンティングにきたのか?」と尋ねたことがある。
訛りの強い英語で、何か尋ねている風に男性器を示す隠語を繰り返し、何も知らない日本人女子学生にリピートさせては大喜びしているような、呆れるほど軽薄でバカな男だった。
大学やその関係施設に、国家キャリアの天下り先が幾つもあるために、このようなことが起こっていると思われる。外国人留学生の頭数が多いほど、彼らが納めるはずの授業料は、日本の税金から支払われ、大学側は潤うことになる。日本人の貧困層のための政策よりは、その内実の国民に見えにくい留学生らへ。また、外交や慈善、国際支援の観点に絡めれば、より一層、通しやすい。
マザーテレサは、言った。「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」と。
もっともな言葉であるが、外国人留学生への奨学金に関しては、私はこう答えたい。
「彼らが助けたいのは、自らの財布のみ。彼らにとって、苦しんでいるのが外国人であろうが日本人であろうがどちらでもよく、重要なのは金にするのにどちらが簡単であるかだから、偽善より悪く、もう救いがないのだ」と。
私の子どは今春中堅の私立大学を卒業して、公務員として勤務している。奨学金は240万借りており、返済は利子込みで300万になる。バカにならないが、経済的に安定された生活はとりあえず約束されている。
つまり、奨学金を借りてでも大学を卒業すれば、努力すればだれでも将来生きる道は開かれている。それは施設の子にも同様に…のはずだが、この国ではそうではないらしい。
政治家よあなたはなぜ政治家になったのだ。何のために生まれてきたのだ。思い出してほしい。この悲しい現実を見て、何とかするために政治家になったのではないのか。
まず、我々で出来ることを始めよう。そう決意した。
元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ
より抜粋―――
かつてわたしは、養護施設の勝ち組と表現していた事があった。その表現に傷付けられた人からバッシングを受けた事があった。
意図が他にあるとしても、わたしは養護施設出身者がほとんど中卒か、高校へ行っても中退してしまう中、高校を卒業する事ができたと語り、当時非常に強い拒否と不快感を与えてしまったのは当然だった。だからその事をわたしは責められても仕方ないと思っていた。でもそれほどこの問題は養護施設という現状を伝えている話だと思っている。
わたしにとっては、一般の家庭では進学する気があればほぼ100%高校へ行ける世に育ち、勝ち組だと表現しなくてはならない養護施設の子の置かれた状況に揶揄を込め、発信したつもりだった。丁度ブログに訪れる人々から「あなたは幸せじゃない」「虐待も受けてないし」「保護されたくせに」と連日のように言われ続けていた事もあり、さすがにもう少し多様な表現を必要と感じ始めていた。その流れで「勝ち組」というのもどうかと思うが、当時は他に言い様がなかった。
多くの養護施設では体罰・虐待を受けてない事も、高校へ進学する事も高根の花で、ほとんどが体罰・虐待を受けるだけ受けて中学で施設を出て行かなくてはならない。その話は過去の話ではない。
しかし虐待を受けず、高校も卒業したというその両方を持っているわたしは、何故勝ち組と言わなくてはならなかったのか・・・。
大人になった時、わたしは園長から自分が出た施設はモデル施設だと教えられた。
「この施設はモデル施設だ。『モデル施設というのは最低でも虐待が無い、高校へ進学できる』という、他の施設をリードするほどのものなんだぞ、だから社会へ出ても問題を起すなよ」と言われていた。
でも、後でエドワードさんに聞いたところ、モデル施設なんていう制度?は無いとの事。あの養護施設勝ち組という言い方は、虐待がない、高校へ進学という2つのキーワードを使っているので、なんらかの関連があるようにも思う。最低でも高校へ進学・・・と言っていたが全員高校へ行ったわけじゃないのだから。何がモデルだ。
一般家庭では、ほぼ・・・というか確実に保障されている高校進学が施設では虐待がない、高校へ進学する事は特別でモデルなのだという事、その世間と大きくズレた感覚を植えつけられていたので、人によっては失笑するような勝ち組発言をしていたらしい事に気付いた。所詮は施設の中の低レベルでの競争。
それでも養護施設から中卒で社会へ出るよりはまだ三年分多く大人に近づいて卒業する事ができる。わたしが大学卒業した男性と結婚する事ができたのも高校へ行き、学歴が高卒以上という資格の職場に就く事ができたからだ。そして高校を出た事で得られたこの環境を使いわたしが発信している内容は、
全ての養護施設の子に高校進学の道を、せめて里親家庭から高校へ通えるようにしてほしいと望む事である。
なぜなら、施設から中卒で社会に出る子は
もう我慢できない、どうしても施設にいたくないから就職する。
施設の虐待から逃れたい、やっと施設を出られるとの思いで就職する
施設から就職しろ、お前なんか無理だと責め立てられる
私立は当然入れない、そして公立だと職業高校しか入れない
(#わたしが大人になって聞いたところによると授業料がとても安い事と、大学進学の当てがない為 職業高校を選択させると聞いた、実際は未調査)
などなど、その子が持つ能力や成績の問題ではなくその他の理由の方が多い。能力があるのに高校へいけない子のなんと多い事か。
わたしは、中学まで養護施設で過ごした子には里親家庭から高校へ行ける道も広げてほしいと願う。わたしは施設から高校へ行ったけれど、それで家庭生活や社会を知るわけではない、高校生専門の里親制度の道を広げてほしい、施設だけで全ての子ども時代を過ごさずにすむように・・・。
この記事は2007年と古いが、同感だ。
なぜなら、私は教員として施設から通う生徒の不遇を見てきたからだ。
養護学校高等部に勤務していた時、中学校のラグビー部で活躍した生徒がきていた。彼はラグビーへの熱い思いは養護学校へ来ても潰えることはなかった。しかし、軽度の知的障害があるのと施設から通うためお金がなかったので私立高校に行けなかった。公立へ行くには学力がない。
どれほど本人もそして中学校の顧問も周りの友も辛い思いをしたことだろうかと察する。
私は心の中で、「この子を家に連れて帰って、近くの私立高校のラグビー部へいれようかな」という思いに何度もかられた。教員はある程度の財力はある。1人2人子どもが増えてもやっていける。
養護学校では何人もこのような施設の子の不遇を見てきた。今、大学は中学校でオール1に近い生徒でもお金さえあれば入れる時代になった。しかし、お金がなければそれはかなわない。ぜひ我々はこの切ない現実から目をそらすべきではない。
時代の変化とともに、学校もサービス業であるとの考えが浸透しました。それが、営利を追求する企業や事務的な手続きが中心となる官公庁などとは異なる性質を持つはずの学校現場に、混乱をもたらすことになったと言われています。
学校予算を統一テストやスポーツ大会、音楽コンクールなどの実績に応じて配分することを決めた足立区では、教師が事前に子どもたちに問題の内容を教えるなどしていたことが表面化。教師の給与が能力給になる自治体も多く、同僚教師が競争相手となるため、教師間のつながりが希薄になったともいわれています。それに加え、鬱病などの心の病で休職・退職する教師が激増。教育現場の抱える問題の大きさを、改めて浮き彫りにしました。
今、学校に何が起きているのでしょうか。
都内で小学校の教師をするMさんは、「教師の目が、子どもではなく保護者のほうを向くようになった」と言います。学校評価制度の導入により、保護者から評価される立場となった教師たち。子どもに接する時間よりも保護者対策をする時間のほうが増え、自分の信念に従い行動するよりも、保護者の反応に合わせて行動せざるを得ない状況です。
教師の職務が多岐にわたり、激務に拍車がかかっている現状もあります。休み時間や放課後も書類整理に追われ、子どもたちひとり一人に関わる時間がほとんどないという実情。これが今の学校なのです。
一方で、中西教育長は「府教委の取り組みが不十分であるとの指摘もあり、真摯(しんし)に受け止めなければならない」と、複雑な胸中ものぞかせた。
その後、答弁に立った橋下知事は「府教委が起立することを決めた平成14年以来、改善されていない。組織として成り立たない以上は政治の出番だ」と強調。「職務命令には徹底的にこだわっていきたい」と述べた。
さらに橋下知事は記者団に対し、「これは教育委員会制度の問題点。教育長は『必要ない』と言っているが、府民の皆さんはどうなんですかということ。粘り強く指導すると言って9年もかかっている。(府教委が)できないからしようがない」と話した。
市教委と中学校長は午後、佐世保市役所で記者会見。永元太郎・市教育長らは「大変申し訳ない」と謝罪した。
校長によると、酒井容疑者は明るい性格で、生徒に人気があり、保護者や同僚教諭からも信頼されていた。教員を指導する教務主任として、最近では、校長や教頭と不祥事対策も話し合っていたという。校長は「信じられない。事件を起こす兆しは全く感じなかった」とうなだれた。
市学校教育課によると酒井容疑者は技術家庭科を担当、教務主任を務めていた。
逮捕容疑は昨年4月2日ごろ、長崎県内のホテルで、女子高校生が18歳未満と知りながらみだらな行為をした疑い。江迎署によると、女子高校生が電話で県警に相談して発覚。
再発防止に向けて、永元教育長は、酒井容疑者に事情を聞くなどして原因究明を徹底することを強調した。
一連の不祥事では、人気も信頼もある「優秀な先生」(市教委)による犯行が目立つ。そのため、市教委は、期待や職責が大きく、ストレスや悩みを抱えやすい可能性もあるとして、教員が臨床心理士に相談できる制度の拡充も検討するという。
一方、県教委では、今月を「自己を見つめ直し、職場の連帯感を高める月間」と位置付け、公立校の全教職員にワークシートを配り、わいせつ事件などの事例を自身に照らして考える取り組みを始めたばかりだった。
県内では、わいせつ行為で懲戒処分を受けた教員は、2000~04年度の4人から、05~09年度は14人に急増。県教委の担当者は「具体的な防止策はまだ見いだせていない」と力なく話した。
人気ある優秀な教師は、一時的に浮かれる。また、人気を維持しようとするため相当のストレスがあると思われる。
私も人気ある教師の1人になったことがあるが、その時完全に浮かれていた。
自分はできる教師だと錯覚してしまう。
錯覚というのはこういうことだ。自分の実績だと思っていたことが、実は陰になりがんばってくれていた人があってのことだったり、生徒が頑張っただけのことだったり、クラブの実績も保護者がどれだけ支えてくれていたかだったりで、自分はみこしに載せてもらっただけのことなのだ。
いずれにせよ、色ごとの不祥事は男ならほとんどが引っかかる。男の性だ。これをなくすには相当の意志の強さがいる。教師だからというのではなく、人間だからなるのだ。
正直、私も若いころの一時期は新聞に載ってもしかたないこともした。発覚していないだけの事だ。
ただ、生徒に興味をもって接することはありえない。しかし、生徒と結婚した教師は周りに数名いる。
北海道教委は08年、実際に懲戒免職された教諭の手記を載せた「不祥事防止リーフレット」を全教職員に配布。40歳の高校教諭が懲戒免職になった場合、「給与1億4300万円と退職金2800万円を失う」と経済的な損失額を示した。
しかし昨年10月、女子高校生(15)に対する児童買春で小学教諭が逮捕、懲戒免職になるなど、根絶には至らないのが現状だ。
昨年、逮捕者が相次いだ長崎県教委は、不祥事根絶を宣言。採用方法の見直しのほか、原因解明のため、強制わいせつ罪などで起訴された元教員の公判の傍聴も始めた。教え子への強制わいせつ容疑などで小学教諭が08年に逮捕された広島県教委は、外部専門家でつくる「不祥事根絶対策専門家会議」の提言を受け、研修内容の見直しや個別の生徒とのメールのやり取りの禁止などを進める。
しかし、生徒とのメールが生徒指導でいかされていることは明らかだ。私もメールや携帯電話などでやり取りする。
「つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちはみんなしんでしまいました。じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります」
津波で児童の約7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校。壮絶な環境のなかで、懸命に捜索を続ける陸上自衛隊14旅団(香川県善通寺市)の隊員は同校の児童とみられる女児からこんな手紙を受け取った。動物のイラストが描かれた一枚の便せんに「日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう」とあった。
国民を守る最後の砦、自衛隊員の献身的な姿には、全国から称賛が集まった。
だが、「教科書」に描かれる「自衛隊」は相変わらずさんざんだ。全国シェア60%超で中学校で最も使われている「東京書籍」の教科書から引用してみる。
《平和や安全を守るためであっても、武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見があります》
《自衛隊の任務の拡大は、世界平和と軍縮を率先してうったえるべき日本の立場にふさわしくないという声がある》
検定合格し、来春から全国の中学校で使われる教科書の現実だ。生徒は存在への疑問符をまず学び、防衛協力なども日本として「ふさわしくない」と教わる。災害支援は全く触れず「国家の安全保障」でなく「人間の安全保障」と説く記述もある。
《従来の『安全保障』は(略)国家の軍事力による『国家の安全保障』でした。しかし、(略)国家の安全保障だけでは人々の安全と平和を確保できない場合もみられ(略)そこで、人間一人ひとりに着目し、その生命や人権を大切にすべきだという『人間の安全保障』という考え方が出されています》
しかし、被災者の救出に精を出したのは紛れもなく「国家の安全保障」を担う自衛隊だった。
× × ×
「せめて写真だけでも…」。10日に行われた福島県川内村の一時帰宅。防護服を着てわずか2時間わが家に戻った被災者たちはこぞって写真やアルバムを持ち出した。家族の絆がどれほど大切か。そう実感した被災者は多かった。
家族もまた、学校教育では個人の生き方を制約する存在としてないがしろにされた。公民の「家族」はかつて全教科書が扱ったが、今は半分程度に。国会では家族や結婚制度を崩壊させると危惧される選択的夫婦別姓が進められ「家族を解体する動き」と批判を浴びている。
「関東を離れるように」。3月13日、フランス大使館が在日フランス人に避難勧告を出すと、首都圏のフランス人約6千人の半数以上が帰国、避難した。米国や中国、インドも追随。東京の大使館を閉じた国は一時30カ国を超え、街から外国人が消えた。
自国民の保護は国家の役割だ。国民は国家に従って行動する。しかし、教科書は「日本国民」としての視座を遠ざけ「地球市民」の意識が大切と説く。
《私たちは日本国民としての意識だけでなく地球に生きる人間(地球市民)としての意識を持つことが求められています》
国政では国民の意思決定である地方政治の選挙に外国人を加える動きがあり、批判を浴びている。国や国家へのまなざしが強まるなか、教科書のナイーブな記述に違和感は際だつばかりだ。
× × ×
「震災で学校の空気は明らかに『周囲が私に何をしてくれるか』という権利者の意識から『自分が周囲に何ができるか』へと変わった気がする」
全日教連元委員長で山口県柳井市の大畠中学校社会科教諭、三好祐司はこう話す。
「私たちが当たり前に手にできた暮らし。その多くはたくさんの人の支えで初めて手にできたものばかりだ。いかにもろく、そしてありがたいか。考えてほしい」
震災直後に生徒にまずこう語りかけた。被災地から離れていても真剣に耳を傾ける生徒に三好は「生徒はすでにたくさんのことを感じ、考え、人のためになりたいと感じた」という。
都内のある教育長は都教委が宮城県の学校に教員派遣を即座に決めたことに驚いた。「教員はとかく権利意識が強い世界。組合はもちろん、校長も自分の学校運営へマイナスを恐れ消極的になりがちなのに、こんなに即座に決まるとは…」
不平や権利は語っても、自分にできることには腰が重い。頑迷で横並び意識が強い教育界の病にも震災は小さな風穴を開けつつあるようだ。
三好は原子力発電所の事故対応に奔走した自衛隊などの献身的な姿を正面から取り上げるつもりだ。「震災は悲しい出来事だった。しかし、日本人としての健全な国家観や愛国心を培い、家族の絆の大切さを実感する機会もまた多かった。私たちは震災を通じて考える課題を与えられた気がする」
京都府綾部市教委は15日、同市立東八田小学校の梅田泰道校長(59)が、教室にいた女子児童のスカートの中をデジタルカメラで盗撮したと発表した。梅田校長はすでに自宅謹慎しており、府教委で今後処分を決めるという。
市教委によると、梅田校長は今月11日、教室で下校準備をしていた女児のスカートの中を自分のデジタルカメラで盗撮。女児は気づかなかったが同級生が目撃し、保護者に報告。保護者から連絡を受けた市教委などが梅田校長に確認したところ、校長は盗撮を認め、画像も見つかった。
市教委の久木章平教育長は「子供や保護者、市民の信頼を失墜させ、心からおわび申し上げます」としている。
すごい記事だ。校長がこれするかな?
考えられない。
考えられない。
東京アカデミーのホームページによると大阪市、大阪府の持参申請は5月9日(月)まで、つまりこのブログを書いているのが8日(日)だから、あすまでとなる。
それに対して、京都府や京都市は5月10日(火)から申請受付が始まる。大阪はいつも一番初めに受付を終えるようだ。
いつも思うことだが、地方の高倍率の採用試験をうけるより都市部の低倍率の採用試験をなぜうけないのかなと思う。教員としては同じ子供を扱うのだから…と疑問に思う。
特に、採用されることだけにこだわるのならダントツ大阪だ。理系は誰でも通りそうだ。倍率をみれば分かる。
あと一日、大阪を受けるのも手だが…。
送別会は送る側も送られる側も今までの苦労や絆を思い出し、時には涙して語り合う。
歓迎会は新しい人と向き合ってじっくりと酒を味わうことが出来、新しい人も「自分は歓迎されているのだ」とこれからの不安がしだいに消えていく。
歓送迎会は新しい人にとって、歓迎されているという感覚より緊張感の方が強い。酒もいやーな味が残る。みんなの眼差しは送られる方の偉大な功績に向けられることが多いからだ。
さらに、出ていく人と残った人の親しく楽しい会話は咲きやすいが、新しい人はそのような会話を聞いて、いや聞かされてそこに適当な居場所を見つけて存在しなければならない苦労がある。新しい人にとって、その時はかなり苦痛だ。つまり、4月より緊張してきたのに、さらにここでも緊張が増すのだ。ましてや出て行った先輩方の前では遠慮が生じて自分を出せない。
歓送迎会は歓迎と送迎を一緒に済まそうとする暴挙と感じる。
しかし、最近本当に忙しい。このブログに私の実践を記録したいが、それより日々の業務が忙しくパソコンさえ見れない。
特に新しい仕事になれないのだ。中学校はクラブも進路も公務分掌もすべてやりきると毎日9時を超えて学校を出る。土曜日曜は春の大会に向けて練習試合を組む。
不登校の子の世話もする。
歓迎会や送別会、この4月はあわただしく動く。
さて、あすも授業がある。準備は何年教師をしてもこれでよいということはない。生徒たちが毎年変わるので教材も微妙に変化させる。だから準備が大変だ。今日も家でプリントを作った。でもまだ不安だ。いまからもう一度明日の授業の流れを確認して寝よう。
基本はいかに分かりやすいか、無駄な教え方を省くかだ。教え方はかなり自己流だが、生徒が「先生の教え方分かりやすい」と言ってくれると嬉しい。
では。
教員の授業時間割にもそれはある。
話は変わるが、上から習熟度をせよと予算が出て教員配置する。これは本当に実態と合っていない。
教師の授業は1たす1は2にはならない。
例えば、チームティーチングだ。2人で組んで授業をすれば2倍の効果があるのかと言えば、あるわけがないと答える。なぜなら教室に2人いてもほとんどしゃべっているのは1人だからだ。そのしゃべっている時に他の教師が補助を行うわけだが、そんなうまくいかない。気休め程度のものと判断する。ただ、ここで学校の荒れの程度や学力の程度によって効果はかなり違ってくる。荒れている学校はあいている教師がうるさい生徒を静めたり、出て行くのを止めたりすることにより授業をスムーズにさせることが出来る。普通の学校では静かに聞いているときに、教師が歩き回ったり、生徒に話しかけたりすると教師が授業の邪魔になる。
コンビを組み一緒にやっていくのも大変だ。教師は独自の教え方やスタイルを持っているからだ。逆に話し合いによってそのスタイルを変えていくと実にやりにくい。教授力が半減する。やはり授業は1人で自分のスタイルでやる方がやりやすい。
習熟度や少人数はかなり教育委員会が推進しているが、実際形だけになっているところも多い。あるいは委員会にはやっていると報告してやっていないところもある。私は教師にやる気がないなら習熟別は辞めた方が良いと信じる。やる気がないのにやっても成功しないからだ。やる気があってはじめても成功は難しい。委員会の人はやらせることに必至で、現場の実態は見ていない。例えば実施する教室がないのに小人数をさせるとかだ。
教師にやる気を起こさせるのはどうすればよいのか。上から押さえつけても、抜け道をつくってやらないか、やっても形だけにしてお茶を濁すかだ。
だから、教師側つまり現場側から提案させるとよい。また、学校の実態に応じた提案を積極的に委員会が受け付けるべきだ。お役所仕事で我々に関わられると教師はやる気をださない。
すでに新体制もほんとんど決まっている。あとは細部の細かい役割だけだ。学級担任も3月末で決まっている学校もあれば、4月に入って学年で顔を合わせてから決めるところもある。
生徒も教師を選べないが、教師も生徒をあまり選べない事実がある。
いよいよ4月から私もすべてを一新してボロボロになった体をいたわり前に進まなくてはならない。プレッシャーはないが、若い時のように体は前向きになってはくれない。
とはいうものの4月、新たな生徒の顔を見るとあわただしさの中でやるしかないという環境に、疲れを感じる暇なく進んでいく。
当局側は厳しく高い労働水準を要求し、労働組合側はいわば働きやすい職場を要求する。主張は対立しているように見える。
しかし、働き安い職場を作ることは労働意欲につながり生産性の向上につながる。だから当局も働きやすい職場作りを目指せばよい。
そうすれば労働組合との折衝も折り合う。
だが、人間は働きやすい職場とは楽して働く職場と勘違いしていく。難しい問題だ。
ここで大切なのは労使の志の共有だ。これが根本にあって初めて次の話が出来る。
例えば教育の世界なら…
生徒の何を育むのか、教育の本質は何か。なぜ働いているのか。なぜ教師をしているのか。どんな学校をみんなで作ろうとするのか。 この根本論議を忘れて、枝葉末節で争っていては折り合いもつかない。
特に管理職は、自分を守ることにふつうになり、学校評価=自分の評価になる。
管理職のあいさつの中に「生徒指導に学習指導にみなさんしっかり頑張って頂きありがとうございました。お礼を申し上げます」というようなものがある。
いつも思うのだが、別に管理職にお礼されるために教育をしているのではない。管理職の評価を上げるために頑張っているのではない。非常に私は違和感がある。
管理職も含めて共に頑張って来たこの学校だ。生徒を輝かるためにみんなで必死になてきた。だったら、あいさつも「この3学期多くの試練をみんなで乗り越えてきました。本当にうれしかったです。みんさんありがとう!」ではどうだろう。
このありがとうは評価に対してではない。みんなに元気をいただいたことや、みんなとのつながりにありがとうだ。
明日は始業式。
また最後に校長からお礼の言葉がある。
私は校長の評価のために頑張ってきたのではない。生徒を輝かせるために共に涙し汗を流してきた。そのことに心から乾杯したい。そんなあいさつがあれば我々も輝く。苦しさも元気に変わり飛んでいく。