公立学校の真実
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時代の変化とともに、学校もサービス業であるとの考えが浸透しました。それが、営利を追求する企業や事務的な手続きが中心となる官公庁などとは異なる性質を持つはずの学校現場に、混乱をもたらすことになったと言われています。
学校予算を統一テストやスポーツ大会、音楽コンクールなどの実績に応じて配分することを決めた足立区では、教師が事前に子どもたちに問題の内容を教えるなどしていたことが表面化。教師の給与が能力給になる自治体も多く、同僚教師が競争相手となるため、教師間のつながりが希薄になったともいわれています。それに加え、鬱病などの心の病で休職・退職する教師が激増。教育現場の抱える問題の大きさを、改めて浮き彫りにしました。
今、学校に何が起きているのでしょうか。
都内で小学校の教師をするMさんは、「教師の目が、子どもではなく保護者のほうを向くようになった」と言います。学校評価制度の導入により、保護者から評価される立場となった教師たち。子どもに接する時間よりも保護者対策をする時間のほうが増え、自分の信念に従い行動するよりも、保護者の反応に合わせて行動せざるを得ない状況です。
教師の職務が多岐にわたり、激務に拍車がかかっている現状もあります。休み時間や放課後も書類整理に追われ、子どもたちひとり一人に関わる時間がほとんどないという実情。これが今の学校なのです。
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現在だけを切り取って語らないで
教師がどれほど大変な立場かと言う事は保護者から見ても充分わかります。
でも、今だけを切り取って語らないで欲しい。
もともと教師は聖職者と言われていました。
亡くなった祖父が、(戦中は獣医をしていたのですが戦後資格を取り直し)地方の中学教師から教頭~校長へとなっていった戦後混乱期~高度経済成長期直前までの話を、母からよく聞きますが、あの頃の先生は、とにかく生活全てが先生だったそうです。
教え子やその親が、先生の自宅に畑で取れた野菜を持って、子どもの相談に訪れるなんて毎日のことだし、女子の中学卒業後の進路は、よい家柄のお宅へのお手伝いさんなども多くて、そういう奉公先を探してやったり、卒業してからも地元に根付いた人はどこですれ違っても「せんせいせんせい」と声をかけられ、公私の境はなかったそうです。
でも、子も親も先生を敬いとても尊敬され、先生のいうことなら間違いないと、皆が先生の言葉を信頼していました。
それが、高度経済成長期に、教師達は「教師は労働者だ!!」と主張し始めたのです。
勤務時間外労働を嫌い、労働条件改善の主張ばかり通してきました。
その流れの中で、徐々に徐々に教師と子どもや親達の意識に変化が生じてきたのだと思います。
私は教師の労働条件について見直すことにはなんら問題はないと思いますが、ただ、教師と言う仕事は一般の労働者とは明らかに性質の違う仕事ですので、全てを同じように当てはめる事に違和感を感じていました。
なのに、半ばごり押しに主張ばかりする教師達。
結果、教師が労働者であると主張すればするほど、逆に親達は教師に対してだんだん、「聖職者」→「教師とはサービスを提供する労働者」だと感じるようになったのだと思います。
権利を主張すれば、その責任もついてきます。
労働者の権利を主張されたのですから、世間の目は厳しく、中途半端な意識では仕事はできないと言う事です。
聖職者だった頃の先生は、「先生は偉い」という前提が先生の仕事を円滑にする上で大切な主張部分だったので、「偉い立場」と言う権利に対しての責任が、もの凄く大変だったと思います。だから24時間365日公私を問わず教師は常に「先生」だったはずです。
私は、大変熱心な先生方も多く存じていますので、現在の状況には大いに先生方に同情いたしますが・・・。
しかし、今だけを切り取って語るのは、やはりよくないと思います。