公立学校の真実
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元・児童養護施設内マイノリティの自己主張ブログ
より抜粋―――
かつてわたしは、養護施設の勝ち組と表現していた事があった。その表現に傷付けられた人からバッシングを受けた事があった。
意図が他にあるとしても、わたしは養護施設出身者がほとんど中卒か、高校へ行っても中退してしまう中、高校を卒業する事ができたと語り、当時非常に強い拒否と不快感を与えてしまったのは当然だった。だからその事をわたしは責められても仕方ないと思っていた。でもそれほどこの問題は養護施設という現状を伝えている話だと思っている。
わたしにとっては、一般の家庭では進学する気があればほぼ100%高校へ行ける世に育ち、勝ち組だと表現しなくてはならない養護施設の子の置かれた状況に揶揄を込め、発信したつもりだった。丁度ブログに訪れる人々から「あなたは幸せじゃない」「虐待も受けてないし」「保護されたくせに」と連日のように言われ続けていた事もあり、さすがにもう少し多様な表現を必要と感じ始めていた。その流れで「勝ち組」というのもどうかと思うが、当時は他に言い様がなかった。
多くの養護施設では体罰・虐待を受けてない事も、高校へ進学する事も高根の花で、ほとんどが体罰・虐待を受けるだけ受けて中学で施設を出て行かなくてはならない。その話は過去の話ではない。
しかし虐待を受けず、高校も卒業したというその両方を持っているわたしは、何故勝ち組と言わなくてはならなかったのか・・・。
大人になった時、わたしは園長から自分が出た施設はモデル施設だと教えられた。
「この施設はモデル施設だ。『モデル施設というのは最低でも虐待が無い、高校へ進学できる』という、他の施設をリードするほどのものなんだぞ、だから社会へ出ても問題を起すなよ」と言われていた。
でも、後でエドワードさんに聞いたところ、モデル施設なんていう制度?は無いとの事。あの養護施設勝ち組という言い方は、虐待がない、高校へ進学という2つのキーワードを使っているので、なんらかの関連があるようにも思う。最低でも高校へ進学・・・と言っていたが全員高校へ行ったわけじゃないのだから。何がモデルだ。
一般家庭では、ほぼ・・・というか確実に保障されている高校進学が施設では虐待がない、高校へ進学する事は特別でモデルなのだという事、その世間と大きくズレた感覚を植えつけられていたので、人によっては失笑するような勝ち組発言をしていたらしい事に気付いた。所詮は施設の中の低レベルでの競争。
それでも養護施設から中卒で社会へ出るよりはまだ三年分多く大人に近づいて卒業する事ができる。わたしが大学卒業した男性と結婚する事ができたのも高校へ行き、学歴が高卒以上という資格の職場に就く事ができたからだ。そして高校を出た事で得られたこの環境を使いわたしが発信している内容は、
全ての養護施設の子に高校進学の道を、せめて里親家庭から高校へ通えるようにしてほしいと望む事である。
なぜなら、施設から中卒で社会に出る子は
もう我慢できない、どうしても施設にいたくないから就職する。
施設の虐待から逃れたい、やっと施設を出られるとの思いで就職する
施設から就職しろ、お前なんか無理だと責め立てられる
私立は当然入れない、そして公立だと職業高校しか入れない
(#わたしが大人になって聞いたところによると授業料がとても安い事と、大学進学の当てがない為 職業高校を選択させると聞いた、実際は未調査)
などなど、その子が持つ能力や成績の問題ではなくその他の理由の方が多い。能力があるのに高校へいけない子のなんと多い事か。
わたしは、中学まで養護施設で過ごした子には里親家庭から高校へ行ける道も広げてほしいと願う。わたしは施設から高校へ行ったけれど、それで家庭生活や社会を知るわけではない、高校生専門の里親制度の道を広げてほしい、施設だけで全ての子ども時代を過ごさずにすむように・・・。
この記事は2007年と古いが、同感だ。
なぜなら、私は教員として施設から通う生徒の不遇を見てきたからだ。
養護学校高等部に勤務していた時、中学校のラグビー部で活躍した生徒がきていた。彼はラグビーへの熱い思いは養護学校へ来ても潰えることはなかった。しかし、軽度の知的障害があるのと施設から通うためお金がなかったので私立高校に行けなかった。公立へ行くには学力がない。
どれほど本人もそして中学校の顧問も周りの友も辛い思いをしたことだろうかと察する。
私は心の中で、「この子を家に連れて帰って、近くの私立高校のラグビー部へいれようかな」という思いに何度もかられた。教員はある程度の財力はある。1人2人子どもが増えてもやっていける。
養護学校では何人もこのような施設の子の不遇を見てきた。今、大学は中学校でオール1に近い生徒でもお金さえあれば入れる時代になった。しかし、お金がなければそれはかなわない。ぜひ我々はこの切ない現実から目をそらすべきではない。