公立学校の真実
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講師をどこの県でやるかは、正教員をやりたい県になるのだろう。ただ、確実に講師に採用される保証はどこにもない。そんなことを考えて何か所かに講師登録をする人もいるだろう。
小学校や理科や数学は教育委員会も確保しておきたいところだから講師に採用されやすい。ところが体育や社会は希望しても採用がない場合がある。積極的に離島やへき地を希望すれば採用されやすい県もある。
講師に採用されるときは電話がかかってくる。電話は委員会の人か採用しようとする学校の教頭からかかってくる。その時、すぐに「やります」と言いたいところだが、希望する校種・教科の話でないときもあるから厄介だ。また、かなり遠い所への採用もある。以前、兵庫県尼崎市に住んでいた知り合いは、日本海側の高校から電話があり、教員住宅に移り住むように促された。
教員の定数確保は委員会や学校にとって重要課題である。4月当初から不足ということがあってはならない。特に不足しがちなところにおいては早く電話をかけてくる。確保したい人材には1月からほぼ採用と電話をかけてくるところもある。
長崎県では、離島の教員が不足しがちだ。長崎県の採用試験不合格者には不合格通知に同封して講師登録書を送る。その中の講師希望で離島希望者には9月時点で採用をほのめかす電話をかけてきたという。だいたい講師採用の電話は3月中旬から下旬だ。
不足しがちな理数系などの教科は別として、電話がかかってきても一度断れば、次にかかってくることはほとんどない。ある程度の条件であればOKを出すべきだ。
一度OKを出してからやむを得ず辞退しなけれなならないときは、速やかに連絡する必要がある。代わりの講師を探すのが大変だからだ。時々、採用が決まってから、別の学校からかかってくることもある。その時悩む。正採用になりたい県から後で電話が入った場合、前を断っても良いと思う。常勤を希望していて非常勤で電話が入り一旦受けたが、あとで常勤の電話が入ってきたとき、非常勤の方を断っても良いと思う。
こういう論調は一方的だと思いますか?
より
文部科学省によると平成25年度にわいせつ行為等により懲戒処分等を受けた公立学校の教職員は205人にのぼり、調査開始後初めて200名を超えたそうである。
警察庁が発表している犯罪統計によると、平成25年度中に全国で発生した強姦・強制わいせつの認知件数は9082人で、仮に日本の15~64歳人口約8000万人を分母とすると、性犯罪発生認知件数率は約0.01%となる。
集計方法が異なるので単純な比較はできないが、懲戒処分等を受けた教職員数205人を分子に、全国の公立小・中・高校の教職員数約100万人を分母にすると、性犯罪発生率は約0.02%となる。
教職員5000人に1人が性犯罪を犯すのは、普通の人から見ても多いと言わざるを得ない。しかもこの数はあくまでも「公立学校の教職員」の犯罪数であり、これに塾・予備校講師等による犯罪数を加えると、発生率はさらに上がる可能性がある。
そして教職員のわいせつ行為の相手は、実に60%以上が18歳未満の児童・生徒なのである。これは警視庁発表の性犯罪のうち被害者が未成年である割合(約50%)をはるかに超える。つまり「教師を見たらロリコンと思え!」というのは、あながち嘘とは言い切れないのだ。
なぜ教師はロリコンとなるのか。もともとそういう性癖を持った者が、合法的に少女に近づける職を自ら選ぶというケースももちろんあるだろう。そういう人物の場合、子ども達の方でもなんとなく薄気味悪さを感じて、本能的に避けることができよう。問題なのは後天的にロリコンとなっていくケースである。これは生徒から慕われている教師の方が、実は陥りやすいのだ。
生徒から好かれ慕われている教師の場合、当然その教師の周りには生徒が集まってくる。距離が近くなればその体に触れることもあるだろう。スキンシップは人間関係の親密さに比例するから、慕われれば慕われるほど接触数は多くなる。教師とて人間である。もし恋人などに恵まれていなければ、ちょっとしたスキンシップの時に、性衝動が刺激されることもあるかもしれない。
もちろんこれは可能性の問題であり、全ての教師が「そうだ」と言っているのではない。しかし一般の人に比べ児童や中高生と接触する機会が多い仕事であるがゆえに、そうした危険性は一般よりは多くなるだろう。子どもを持つ親は、そのことに思いをいたしておくべきなのである
「かもしれない」などのことばで決めつけて、保護者に必要以上に教師は性犯罪者的だと持っていく論調は怖い。
私は性犯罪で捕まった教師を知っているが、恋人もいるし恵まれたあったかい家族を持った人だった。職員間でも教師として評価が高かった。だが、癖のように行っていた。
やはり「ストレス」からくるものだ。
例えば、若い先生はつい先日まで大学生だったのだ。世間の荒波にさらされる前の甘い考えが通用する時代だ。それが、一気に「先生」と呼ばれるまったく別世界に飛ぶ。誰でも初めは違和感を感じるが、これはたまらない快感となる。なぜなら、これまでの人生とはまったく異なる逆の立場に立つからだ。
しかし、その快感も1月もすれば不快へと変貌していく。
新任教員のバカほど多い研修。外から見ればかわいい子どもも、実は大人以上に扱いにくく怖い存在だったということが分かってくる。その背後にある保護者の想像以上に深い要求。
プレッシャーは日がたつにつれて両肩に背負いきれないほど大きくなる。
また、年数を経た教員は家庭での親としての責任、学校での責任の範囲が重く広くなる。体力も衰え、親の介護も入ってくる50代ともなると若手に負けていられないが、実は負けている自分を見ることになる。
プレッシャーの要素は蓄えられそのはけ口を求め始めるのだ。
クラスの子どもたちや卒業生たち、そして自分の親、兄弟、妻、自分のこどもの(;_;)を思い浮かべてほしい。
残念な結果に悔しさを持った人もいるだろう。
採用試験でよく集団討論がある。それだけでなにが分かるのだろうと思うことがある。
もし、私が面接官ならばどのように評価するかを考えた。
高い評価=現場で通用する精神を持つこと。
次の2点を持つ人に高い評価をしたい
★ 聞く耳を持つ人
★使命感を持った人
・しゃべることを仕事にしている教員は信頼されない。しっかりと気持ちを受け止められるかが信頼の大きな分かれ道になるからだ。
・教員という仕事を愛してどこまでもやる気で頑張る姿勢のあるファイターを高く評価したい。使命感がある人は、初めはどんなにできなくても必ず伸びてくるので高い評価をして採用したい。
子どもたちと一緒にとる給食や昼食時間を教員の休憩時間と考える方もいるようだが、少なくとも私の学校では給食時は戦場と化す。
まず、給食当番をきちんとさせるための闘い。もし、担任がさぼる子どもを放っておいたらクラスの子どもたちからの信頼がなくなる。一人さぼらせると、そこからクラス崩壊が始まる。その恐怖との闘いと子どもたちとのせめぎあいが給食指導だ。
次に配膳。平等に配膳されるかを教師がしっかりと見ておかなくてはならない。
見ていないといつの間にか弱いものには配られないことがある。例えば、おいしいプリントか出ると、全員にいきわたらないことがある。誰かが2,3個とっている。教師の目を盗んで余分に取っていくのだ。出てくるまで給食を食べさせない。
この時、子どもたちとの駆け引きにかなりエネルギーをとられる。
次に力のある子どもが弱い子に「プリンちょうだい」と言う。弱い子は断ることができない。これを見逃すと「いじめ」に発展する。保護者や管理職、他の子どもたちのまなざしが頭によぎる。低い評価につながる…という恐怖心がよぎるのだ。すかさず強い子に指導を入れる。
給食時は緊張感で心はかさかさになる。しかし、そこを奮い立たせて、笑顔を忘れず、先ほど指導した子にも柔らかく話しかける。緊張ばかりしたクラスにならないよう心を配る。
給食が終わると次の闘いが待っている。あとかたずけ当番だ、これもさぼりを出すとクラス運営が破たんする。さぼって逃げ出そうとする子どもを捕まえてときに説得して当番をさせる。
昼休みはできる限り教室や廊下にいることにしている。昼休みこそ問題が起きる時間だからだ。たぶん保護者から見れば、子どもたちとたわいもない会話をしているようにしか見えないがそうしながら見張っているのだ。
次の授業がなければそのまま5限目が始まるまでそこにいる。授業があれば、すきを見て職員室に準備をしに行きすぐ教室へ戻る。
空き時間はもちろん授業準備をしたいが、悔しいができない。授業に入らない子を探したり相手をしたりで終わる。
授業が終わるとホッと一息だ。しかし、会議か部活指導。部活指導も手を抜くことはない。もしかしたら会議や研修の時間に休憩しているのかもしれない。
教員の事務量が多いといわれ続けているが、新任の指導教諭が作る書類もほんとうに哀れだ。指導教諭のほとんどが適当に作成している。管理職も期日までに委員会に書類を提出することで頭がいっぱいでその内容など頭にない様子だ。つじつま合わせや形を整えるために作成する書類ほど無味乾燥なものはない。
新任が研究授業をするのに指導案を作る。大変な時間をかけて作っている。だが、この指導案、研究授業をするときだけのもので、普段の授業にはいちいち作成していられないものだ。指導案は有効なものだと思うが、実用性はない。それに研究授業のためのよそいきの授業なんていくら研究しても役に立たないと感じている教師も多い。
教師に大切なのは言うまでもなく「人間力」だ。人間力の中で重要なのはコミュニケーションの力だ。
子どもたちはもちろんのこと同僚や保護者とのコミュニケーションはとても重要だ。偏差値の高い大学を卒業していてもコミュニケーションの能力は高いとは限らない。どちらかといえば、学生時代やんちゃだったやつほどコミュニケーション能力があるような気がする。
だが、そのコミュニケーション能力を高める研修ほどしにくいものはない。また、研修を受けたからといってすぐに成果がでるものでもない。なぜなら、幼少より作ってきた能力だから高めるにはスクラップアンドビルドしなければならない部分が多く、長期戦となるからだ。
教師の人間力をつくる研修や実践が前面に出てくれば、学校は必ず変わる。
その友人の話をまとめると…。
ある生徒が急に人格が変わったようになるという。何かわからないが、スイッチが入ると手が付けられない。その場は暴言・暴力の嵐に変わるという。また、どこであろうが床に寝て起きない。
その時の名誉の傷を見せてもらった。まさに拷問でもかけられたのかと思うほどの惨状だった。
しかし、その生徒もクールダウンして元に戻ると話が通じるようになるという。
で…どうしたのと聞くと、精神科にかかり薬を処方してもらったという。しかも次第にその症状は穏やかになってきたとのことだ。
その話をしばらく聞いていて、あの子を思い出した。以前の学校にいたU君だった。全く同じだ。
だが、全く違うのが医療機関へのアプローチがなかったことだ。処方箋は、ただただ腕ぷしの強い体育教師が興奮が収まるのを押さえつけて待つことだけだった。
中学校の教師が明らかに生徒を病的だと思っても、保護者に精神科への相談を勧めにくい。その反面、支援学校では、精神科医が巡回して校医相談に来ている。かなり精神科医に相談しやすい環境にある。
中学校には、かけ算の九九さえまともに言えない生徒やほとんど漢字が書けない生徒も厳然としているのだ。さらには前述のU君のように病的に自分を見失う生徒もいる。さらにADHDとみなされる生徒も一クラスに1人は必ずいる。
この生徒たちのほとんどが特別支援のまなざしや医療の支援対象として見られることはない。
自分を見つめることで今までやってきた常識が常識でなくなるときがある。そのとき見える風景が変わる。追い求めるものこだわるものが変わる。
ある教師は、結婚をきっかけに料亭の女将への道を歩んだ。結婚するまでは、体育教師であり、バスケット部の鬼顧問であった。私が結婚して数年後に電話をかけると、「生徒に偉そうに言ってたことが本当にはずかしい」と開口一番に伝えてきた。その時は「へーっ不思議なことを言うもんだな」と心情を察すことができなかった。
今私は、部活動の指導の中心から外れ、客観的に見ることができる立場にある。もう一度部活動を熱心にする意義を問いただすことが自然にできる。
だが、問いただせば問いただすほど、自分中心だったと後悔が湧く。指導の一つ一つが名誉を追い求めていた指導だったことが恥ずかしい。強力な求心力がなければ部活動の顧問などできない。ある意味部活動は一つの顧問を中心とした宗教団体のように思えるときもある。
女子高校生を使った「JKビジネス店」が大阪で摘発された事件で、店ぐるみで女子高校生に性的なサービスを行わせるシステムだったことが分かった。
川井明人容疑者は今年6月、自らが経営する風俗店「新大阪女子高校」で当時17歳の少女に客に対し、性的なサービスをさせた疑いがもたれている。
この店は女子高校生が個室でカウンセリングを行うとうたい、30分で6000円の料金設定だが、実際は「裏オプション」と称する性的なサービスが横行していたとみられる。
性的なサービスの料金は女子高校生が決め、得た金は本人のものとする一方で、そのために20分で3000円かかる延長料金を店側の収入にしていたことが分かった。
店には少なくとも数十人の女子高校生らが在籍していて、警察では店ぐるみで違法な性的サービスを行わせていたとみて捜査している。
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親がお金をどこに使うかは子どもを貧困スパイラルから抜け出させるための重要な要素だ。教育に投資することで、子どもは貧困から抜け出すチャンスをつかむ。目の前のことにお金を使うより教育という未来を創ることにお金を使えるかが親に問われているのだ。
大阪には貧困スパイラル脱出の支援が絶対的に必要だ。
学習指導要領1本では今の中学校は多様化する生徒たちに対応しきれない。学校では同じカリキュラムを教える、これが当たり前になっている。だが、この古びた考え方を脱却したときにしか光は見えない。
支援学校では、ひとクラスに10人おれば、10人に同じカリキュラムを施す枠組みは存在しない。10人を様々な角度から複数の班に分けて教育するのが当然となっている。
「違いがあって当たり前」が根底にあり、教師も生徒も保護者もその流れに乗って教育に向かっている。
以前、ある聴覚支援学校の教師から聞いた話だが、中1の中位の下グループ5人を教えているが、独自の教材でカリキュラムを組んでいるという。
例えば、中1の数学では、正と負の数、文字式、1次方程式の基礎基本(特に計算)に9ヶ月をかけ、あとの3ヶ月で図形の計量の精選した問題と9か月間学習した計算中心の復讐をするという。
このやりかたは、一般校の教師にとってうらやましい。なぜなら一般校でも下位30パーセントの生徒はこの方法に適しているからだ。下位30パーセントの生徒にとって、教科書の応用部分の授業を聴くことは苦痛だ。授業する方にとっても、彼らを放ったらかしにして授業をしているようで嫌だ。
中学校の下位10パーセントの生徒はさらに悲惨だと考える。九九ができない、小1の漢字が読めない。また、ADHDであろう生徒たち、何らかの原因で荒れている生徒たち。このような生徒たちに一律に授業を行うことは無謀だ。
この生徒たちに丁重な教育を施すためには、今の教師の数や施設では無理がある。
これらの問題の解決を切望している行政や教師、地域の人たちはかなり多い。しかし、解決どころかますます問題は複雑化している。一刻も早く教育の多様化路線を国が認め、多様な生徒たちに対応できるシステムを構築すべきだ。
大阪市ではひどく手に負えない生徒を隔離するシステムがある。私は手に負えない生徒に労働環境を与えてもよいのではないかと思う。
実際、中学校では職場体験学習を数日間実施している。働くことを通して何かをつかんで欲しいと願うためだ。生徒によっては、数日間だけではなく数ヵ月間実施してもよいと思う。長く働くことによって初めて得ることがあるからだ。
学校に行っても教室に入らず、他の生徒の邪魔をして1日を無駄に過ごすより、数ヶ月間労働を体験することで、得ることが多いと考えるのは私だけだろうか。
学習指導要領にのっとって、教室内に押し込むカードしか持ちえない我々教師に、多様なカードを生徒たちに行使できる環境を与えてほしい。また、行政が学校の枠を超えて生徒たちを支援する団体への資金援助を進めてほしい。それによって救われる生徒たちは少なくない。
このような中で、暑さをしのぐ工夫をしている部も多い。ポカリスエットなどを大量に用意して水分を十分にとらせる。これは教師が負担している場合が多い。
次に日中の熱い時間帯を避けて活動をする。朝6時台に活動を始めている部もある。また、夕方4時から6時までの時間帯で行う部もある。私も経験あるが、夏の朝6時台はまだ活動しやすい。休憩なしで8時ごろまでできるのでとても効率がよい。夕方は4時ごろから活動しやすくなり5時6時と涼しくなるので体は元気になってくる。夕方7時まで活動すると少し心情的にさみしくなってくるが、1日の終わりまで頑張ったので充実感にあふれる。
ここで腑に落ちないことがある。部の顧問は朝早く来たのにもかかわらず、終わりは夕方5時までなのだ。当然、早朝手当など出ない。6時半から勤務したなら、2時間早く帰らせてやってほしい。教師の健康上の問題もあろう。
中学校はまさににブラック企業だ。以前いた中学校では、休憩がとれなかった。
朝、7時に出勤して。部活動の早朝練習。給食時間は給食当番のさぼりや配膳を指導。もちろん食物アレルギーへの対応もする。
とりわけしんどいのが、給食中にいない生徒を探してクラスへ連れ戻ことだ。この時点で自分の給食はほとんど手を付けられていない。
授業が終わり終学活が終われば一安心。ホッと一息ついて職員室に戻るが、部活動の生徒がカギを取りに来る。すぐに部活動の指導に行く。6時ごろまで指導したあと教材研究やその日の事務処理。心配な生徒のところへ家庭訪問に行くときもある。
授業のない空き時間に休憩をとれば良いのだが教材研究や打ち合わせなどで時間がつぶれるし、授業中校内を徘徊している生徒への指導がある。徘徊していなくても、徘徊をゆるさない体制をとるために校内を巡視する。給食や昼食はホッとできる放課後にとることもある。
教員は、45分の休憩を与えられている。中学校はそれがとれない人が多いし、休憩時間などの意識がない。特別支援学校では、例えば3時15分から4時までと設定されていて、その休憩時間内に外に出てコンビニやたばこに出かけている。会議は4時からが多い。
大阪のとある学校でのことだ。40代の新任教員が話をした。「自分は他県にいて講師をしていたが、大阪が受かりやすいと聞いたので受けにきて通った」と。その40代新任教師の働きはというと、仕事が期日までにできない、できても内容はお粗末すぎ、生徒対応に明らかな不誠実な行動がある、など他の教師からかなりの批判が広がっている。
大阪の教育は、2012年2月28日の内外教育で、大阪大学大学院の小野田正利教授が出した文章の通りになってきた。小野田教授は「大阪から若い教師が兆散」という言葉を使っているが、悪いことに他県で通用しない教師が大阪に「流入」してきている例もある。
「大阪から若い教師が逃散」 小野田正利教授
「逃散」とは、中世や近世において、領主からの厳しい年貢の取り立てや取り締まりに耐えかねて、農民たちが反抗手段として他領に逃亡することであった。現代の日本で今、大阪では確実にそれが始まろうとしていると、私は感じている。市長や知事の「圧制政治」を忌避して、公務員や教員が就職するのを躊ちゅうちょ躇するだけでなく、確実に他県・他市に逃げ始めている。
阪大の教職課程の責任者をしているが、講師陣から、教員免許を取得中の学生たちの間に、明確にマイナスの影響と波紋が出ていると聞かされる。「大阪府の教員になることを躊躇したり、嫌がっている学生が多く、非常に残念です。
条例などのことを考えると、これからの大阪の教育が最悪の状態になるような気がしてなりません」そして皮肉なのか同情なのか、神戸や京都の教育関係者からは「おかげで、ええ教員が採れるようになります」と、真顔で言われることが多くなった。
この4月から大阪府下(大阪市を除く)に採用が決定している教員採用試験合格者の辞退者数を、大阪府教育委員会が2月3日に集計して発表したが、合格者2292人のうち、284人(12・4%)が辞退していることが明らかになった。
高校と支援学校は103人、そして小学校94人、中学校76人となっている。前年の11年度は、2309人のうち217人といったように、例年は9%台だったが、過去最高の辞退率だ。
「他府県や私学の教員に採用」が57・4%、「大学院進学など」が25・4%、「教員以外の就職」が5・3%とされるが、急増とまでは言わないまでも、大量発生している。しかもこれは確定した数字ではない。4月1日まで、さらなる上積みが予想されるし、まだ大阪市の分は明確になっていない状態にある
そこで、大阪は、今年から教員採用試験を大幅に変更して質の高い教員の確保に躍起になっている。だが、形を変えても、根本が変わっていないとけして好転は起こらない。
根本を変えることで好転が起こった良い例は、2005年に京都市から「オスカー認定」という表彰を受けた「近江屋ロープ」野々内氏の経営改革だ。
野々内氏は側だけを変えたのではない。誰かの責任を追及したのでもなく、業績の悪い社員の給与をカットしたのでもない。自分が変わったのだ。そして、社員の可能性は引き出され業績は飛躍的に上がった。もし興味がおありならば、「魂主義という生き方」を読んでほしい。
教員という子どもバカを外から締め付けても決して力は発揮されない。なぜなら、子どもが好きで、子どものためだけには頑張ることができるバカだからだ。「子どものために」に火が付くと大きく力を発揮するということをよく知るべきだ。例えば、まったく金にもならない部活動を他のすべてを犠牲にしてもやっているバカがいる。残業代も出ないのに夜遅くまで仕事をしているバカ教員がいる。朝方まで家でした生徒を探すバカもいる。行政は縛るだけでは、教師は育たないことを肝に銘じるべきだ。信じることだ。教師を信じる方策、方針を出し続けることが、大阪の教員を伸ばす。
行政の施策は、ほとんど現場の意見を取り入れない。また、行政は保護者に目が向き過ぎてはいないか、教員の意見もよく聞くことだ。内情を一番知っているのは保護者ではなく教員だ。例えば、中学校給食、あれは大阪の教員を苦しくしている、学校を苦しくしている。給食は選択制でもよかったのではないか。それを一番知っているのは教師だろう。
大阪の教員は貧困の問題や同和問題、在日外国人問題の解決が残る中で日夜よく頑張っている。奮闘している教員に頭が下がる。ありがとう。
前述した生活保護の友達が手伝ってくれた。
先ず、玄関先の木が隣に伸びているので、電動丸のこで枝を切った。
きれいに切れる。素晴らしい切れ味だ。
切った枝を一般ゴミに出せるようにさらに細かく切っていたら、急に電動丸のこが止まった。おかしいなと思って、電源やスイッチを確かめたが異常はない。
よく見ると、コードに亀裂が入っていた。知らぬうちにコードが電動丸のこの歯にすれたようだ。
そこで電動丸のこの作業は強制終了。
次に浴槽を徹底して研磨する作業を友達と交代しながらやった。ピカピカにはなったが、塗装自体がはげてきているので上塗りが必要だ。今度やろう。
浴室の壁も洗面所の壁も磨いた。これもペンキを塗るための前段階の大切な作業。ここで今日は終わった。 明日はペンキ作業だ。
さて、電車に乗っていたら、よく大学の広告を見る。
車内に広告を貼っているのは私学ばかりだ。どこもインパクトがある内容を工夫している。その中でもさらにインパクトがあったのは近畿大学だ。
どこよりも小さい広告。赤井英和みたいな人がにらみをきかせ「近大入試のゴングがなっとるで」とすごんでる。
これ大学の広告かなぁ?と思わせるインパクトがあり目立った。
その他は「あーあぁ」という程度だった。
JR大阪駅の改札口を出て目の前に大阪教育大学の広告を発見した。びっくりした。国立大学がこんなところに。でも、洗練されていて初めは大学の広告とは分からないほどだった。写真を撮ったので貼る。
願書を出す人が出てきた。
最近の願書にはアピール文を書かせるところが多い。面接官は受験生の書いたアピール文を見ながら質問を考える。だから願書が重要だ、とN大学教職センターが学生たちに伝えていた。そうなのかと思った。
そして、驚いたことに、N大学では願書は締め切りぎりぎりで出せという。
理由は、優秀な意識の高い受験生は願書を早めに出す。その受験生たちの中に受験番号が混ざると集団面接の時に高いレベルでの争いに参加しなければならないからだという。そういうこともあるのかと思った。
教職センターも大学の実績をつくるためにいろいろ考えている。では、あえて願書を早めに出すというのはどうだろう。
身が引きしまって良いのではないか。
「人ごとだから言えるんやでぇー」という受験生の声が聞こえてきそうなので実際に調べてみた。
ほんの1例だが、昨年度の福岡県の小学校のおそらく現役の2次合格者番号を前から100人と後ろから100人を取って調べてみた。現役らしき受験生はは740人超受験している。
前から100人までの合格者数は52人
後ろから100人までの合格者数は24人
前の方が約2倍の合格率。受験番号の後ろは合格率がかなり低い。確かに意識の低い受験生が後に集まっているという教職センターの言うことは間違っていない。
あらためて、「さすが」と思った。しかし、あえて後ろで受けるかはその人の意識しだい。意識の低い学生に引き込まれなければよい結果が出るだろう。
しばらく更新をしなかった。
もう退職したわけではないのだが、教員だという意識が薄くなったような気がする。退職後のことを考え、あることを実行しているからかも知れない。それは「賃貸経営」だ。
退職しても、すぐに年金は出ない。
再任用は65歳まで。
私の年金は月20万あるかどうかだ。
月8万の住宅ローンが残っている。
まさに私は貧乏老人予備軍といえる。
年金も医療費や税金で飛んでしまうことを考えると、生活保護のほうが豊かに思える。実は近くに生活保護を受けている友人がいる。リストラから鬱になり働いていない。医療費は無料だし、住居費も出ている。
夢を実現したい。准看護師学校をつくることだ。そうなるとかなりの準備費用がいる。これをねん出するには寄付か自分で稼ぐかだ。
退職してから自分で稼ぐには、2つしかないと考えた。賃貸物件を持って稼ぐかブログを書いてアフェリエイトで稼ぐことだ。このブログはアフェリエイトは貼っていないので稼ぎはないが、月2万pvあるので月数千円ほどアフェリエイトで稼げる…笑うばかりだ。
しかし、賃貸の方は少しずつ進んでいる。賃貸で収入が出てきた。
賃貸経営の本を読み実践していると、自分が教師なのを忘れてしまう。しかし、借主から「おっちゃん…」と呼ばれたりすると、急に違和感が出る。多分、平日の昼間は「先生」と呼ばれているからだ。
少し古い家を安く家を買って、リホームを見積もった。床のフローリングの張り替えだけで10万は飛ぶ、階段のじゅうたんの張り替えで12万、家のクリーニングで6万、浴槽の入れ替えで数10万、洗面台の入れ替えで14万。「うわーーー」どれだけ飛んでいくんやぁと体に悪い見積もり明細表を見た。
だから、業者に頼まず、自分でやることにした。休日はこの作業で埋まる。幸いにも先ほど出てきた生活保護の友達が手伝ってあげると言ってきた。私が貧乏老人にならないために。だから少し希望はある。
昨日、電動丸のことと電動研磨機を買ってきた。休みの日はリホーム、DIYという言い方もあるらしいが、その動画を見て懸命にリホームの仕方を研究している。
いろいろ賃貸経営に関することをやっていると、面白くなってくる。教師よりこっちの方が面白いかなと一瞬だけど思う時がある。
このGWもほとんど賃貸関係で埋まっている。
貧乏老人にならないためもあるが、本当の目的は「准看護師学校をつくる」と「中学校を支援するシステムをつくる」ことだ。そのための第1歩として私は決断した。
過去の非行歴(万引き)が原因で、担任教諭から志望校の推薦を得られないと言われ自殺をしたが、過去の非行歴は事実ではなかったという。
しかし、1回万引きをしたぐらいで推薦しないとかあるのかなと思う。大昔はあった。しかし、その時は家庭訪問で親に言いにいったことを覚えている。そして、親は校長に懇願してきた。だが、推薦は取れなかった。
今は、それぐらいでは…覚えないなぁ。しかも、推薦が取れないことを本人だけの確認で終わらせる進路指導はやってないな。最低電話で親に確認か、必ず、3者面談か家庭訪問で親子ともども確認するのがパターンだろう。
どうした、緑が丘中学校。なんか変だぞ。
以前、済む家が欲しいと嘆く母親がいた。家がないわけではないが、家の中は人間の住むところではないと言うのだ。風呂はあるが壊れている。ガスが使えない。冷蔵庫は動かない。エアコンもない。家の中はごみ屋敷状態という。
さらに、重度の障害を持つ成人した子供がいる。さらに夫は働いてはいるが臨時で給料は不定。
だから家庭訪問の時期になると、母親が学校に出向いてくる。この母親自身も体を悪くしていつも青白い顔をしている。
家を移りたいが資金がないという。生活保護には理由があって出来ない。
貧困かつ不自由な生活をせざるを得ない家庭がある。
一方で、伊東美咲(38)の新居 ...は10億という。1億でも我々からみれば豪邸と思うのだが、そんな10億の豪邸必要あるのかと思ってしまう。
お金のあるとこにはある。ないところにはない。
我々に何かできないものかと思ってしまう。
それが面白い。
H君は中堅私大に在学している。中学時代は数学が苦手で社会は得意だった。高校2年生で英検2級を取得し、英語には自信があるようだ。
塾で指導をしているときは英語は楽に教えられるが、数学は教えられないという。
しかし、塾では任されるので、適当に教えているという。私に数学の問題を聞くのだが、三平方の定理や相似は完全に忘れている。基本的なことを忘れているので、これでどうして塾の生徒を教えられるのだろうかと思った。
分からないときは、理系の大学に通っている講師に授業中でも聞きにいくらしい。
場合によっては5教科を教えなければならないときがあるという。理科も分からないので生徒には適当に教えるしかなく、社会も覚えるしかないよと言うらしい。
苦笑いしながらH君の話を聞いていたが、だんだん教えられている生徒がかわいそうになってきた。
大学生に教えられる塾生徒は、絶対教師を選んだほうが良いと思う。
このような質問に答えられる教員はすごい。
だが、生徒で良く考えているものがいる。
「先生、人間てなんのために生きてんのん」とよく問いかけるA子。
しかし、答えように困る。
メールで「飯いこや」と語りかけてくる卒業生のM。最近疲れがたまっててそんなどころじゃない。
家で嫁の作った飯をたべて寝るが体力的に今は精いっぱいだ。
中学校の先生になりたいと地方の大学に行ったH。どうしているんだろう。そろそろ同窓会を開いてやろうかと思う。そのクラスにはもう一人、教師になりたいと頑張っている卒業生もいる。
教員採用試験に合格したY君。あともう少しで配属地域が分かるという。4月から私と同じ教師だ。
それにしても、教師てそんなにいいのか。彼らも「人間てなんのために生きてんのん」という質問に答えをだすのに苦労するだろう。
しかし、人の夢は儚い。まさに字のごとく。
私の夢の残骸はそこかしこに落ちている。
高校入試でとある大学付属高校の受験失敗から始まって、学校の部活でのレギュラー争いの敗北。仕事でのポジション争いの敗北。子どもの大学受験サポート失敗、言い出したらきりがない。
しかし、退職しても夢は続く。
どうにかしたいと思っていることがあるからだ。
夢…音楽好きな学生を募ってコンサートを開く。やりたいなぁー。
本当は自分がボーカルをしたいが、もう体力がないわ。
だから、せめてそういう音楽の夢を持っている子たちをサポートしたい、と同時に聞く人のこころを癒したいと思う。それでお金がはいればいうことなしだけれど。
しかし、退職金は減るし、年金も試算するとかなり低い。月にして18万ほどかなと。
医療費無料、税金なしの生活保護のほうが確かに生きやすくなるかもしれない。
大きな住みよい家は買えたが、大きければおおきいほど税金が高い。
退職を前にしてあまりにも無策、猶予感覚のある人が周りに目立つ。
ただ、退職後の策ばかりに走り、今の仕事をおろそかにしてもらうと負担がこちらにかかってくる。
さて、退職後は再任用を考える人がいるが、私は講師をする。再任用よりも給与が高いからだ。場合によっては年100万は違う。ただ、再任用のほうが種類が多く、授業をしないでも良い職種もある。
いづれにせよ、在職中からはかなり貧困な生活を強いられることとなることは覚悟しておかなければならない。
毎日新聞
14年度公立学校 背景に改善されない教員の多忙感
2014年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教員が5045人(全教員の0.55%)に上ることが、文部科学省の調査で分かった。20年ほど前から増加し、07年度以降5000人前後で高止まりが続く。学校関係者は「教員数を増やすことが不可欠だ」と訴えている。
精神疾患による休職は本人や家族はもちろん、学校にも影響を与えるため、自治体はメンタルヘルスケアのプログラムを設けるなど復職支援を進めている。
在職者に占める割合を学校別でみると、中学が0.65%(1548人)で最も高く、特別支援学校0.64%(535人)、小学校0.56%(2283人)、高校0.36%(675人)、中等教育学校0.26%(4人)の順。休職期間は6カ月未満が33%と最多で、6カ月以上1年未満と1年以上2年未満が各27%で続いた。全体の39%が14年度中に復職し、引き続き休職が44%、退職が18%だった。
高水準が続く背景には、いっこうに改善されない教員の多忙感がある。経済協力開発機構(OECD)の13年の国際調査(TALIS)によると、日本の中学教員の1週間の仕事時間は計53.9時間と参加国で最長。常に学力向上を求められる上に、いじめや不登校など複雑・多様化する課題への対応も迫られる。保護者からのクレーム対応に悩む若手教員も多い。1日の休憩時間が10分程度という教員も珍しくない。
この国際調査では「教職が社会的に高く評価されていると思うか」の質問に、「非常に良く当てはまる」「当てはまる」と答えた教員は、日本では3割弱と参加国平均より低い。「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」という回答の割合も日本は下から2番目で、教員の労働環境の厳しさを物語っている。【三木陽介】
都が訓練機関、延べ463人復職
精神疾患の教員の復職を支援するために東京都教委は2010年、全国に先駆けて専門の訓練機関「リワークプラザ東京」を設置した。14年度までに463人が訓練プログラムを終えて学校に戻り、その取り組みが注目されている。
訓練は休職者の希望を受け、休職前の職場で原則3カ月間行う。精神科医が訓練に参加できる状態かどうかを判断し、可能となれば臨床心理士と校長OBで組む「復職アドバイザー」が本人や校長らと相談しながらプログラムを作成する。
プログラムは3段階で各1カ月間ずつ、計3カ月間組まれる。第1段階の最初の1カ月間は、半日ほどの事務補助作業などを週3日間行う。2カ月目は週3〜5日、半日の勤務で授業の教材準備などを行う。3カ月目は通常の勤務時間に通い、管理職の立ち会いの下で授業を担当したりする。症状が軽い場合は訓練期間を短縮する場合もある。
訓練終了時に精神科医が復職の可否を判断し、復職後もアドバイザーが学校を訪問し、仕事ぶりを確認する。訪問は従来、復職後に1度だけだったが、学校側から「復職者にどう接したらいいか、相談に乗ってほしい」といった要望があり、現在は必ず2回以上訪問する。症状が重い場合はフォロー訪問を5回繰り返したこともあったという。
ただし、訓練を始めても途中で体調が悪化するケースも少なくない。14年度は142人が申し込んだが、最初の精神科医との面接を通過したのは128人で、実際にプログラムを終えたのは92人だった。
訓練機関を設置した効果について、都教委の担当者は「休職した教職員の復帰に行政が責任を持つ体制になった。何かあれば都が調整に乗り出すので、学校や支援スタッフ、教職員本人も安心して復職に取り組んでもらえるようになった」と話す。【稲田佳代】
不登校や中退した生徒を受け入れ全国的にも知られる北星学園余市高校について、運営する学校法人は、来年度の新入生が定員のおよそ3分の2に満たなかった場合、4年後の閉校に向け検討を本格化させる方針を固めました。
北星学園余市高校は、「やんキー母校へ帰る」で一躍有名になったが、通信制高校などに押されているということだ。