公立学校の真実
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厚生労働省と文部科学省の共同調査による2010年3月大学卒業予定者の就職内定率は62.5%(09年10月1日時点)。これは“就職氷河期”と言われた03年の60.2%、04年の61.3%に次ぐ低い水準だった。また、日本経済新聞社が行った主要企業の10年度採用状況調査(10月1日時点)では、大卒内定者数が09年入社実績に比べ28.6%も低下している。
こうした結果を受け、多くの11年卒業予定の学生たちは、“就活”に警戒心を強めている状況だ。
実際、就活情報サイト『日経就職ナビ』が11年卒予定の学生に「今年の就職戦線は前年と比較してどうなるか」を尋ねた調査によると、「非常に厳しい」39.8%、「やや厳しい」53.6%と、合わせて93.4%の学生が就職戦線は「厳しい」という見方をしている。
しかし、『日経就職ナビ』を共同運営するディスコの前岡巧調査担当部長は、2011年卒の学生の就職活動を「2010年卒の学生より有利なのではないか」と分析をする。それは一体なぜなのだろうか。
先輩の失敗を糧に堅実に行動する
2011年卒の学生たち
昨年11月、学生の就職情報サイト『リクナビ』が東京で主催した就活イベントに、前年同時期の46000人を大きく上回る57000人の学生が来場した。『リクナビ』の毛利威之編集長は「開場前から学生が長蛇の列になっていた。過去のイベントで、あんな黒山の人だかりを見たことがない」と、“就活のプロ”もその熱気に驚くほど。東京以外の地域のイベントにおいても、来場数は軒並み昨対比約1.3倍の来場者数といい、早めの活動をする学生に就活への意欲と危機意識が感じられる。
この意識は、エントリー企業数にも明確に表れている。ディスコが行った調査によると、昨年11月中旬時点で企業に「エントリーした」学生は全体の95%。さらにエントリーした学生1人あたりの平均社数は44.3社にのぼる。同調査ではここ数年、11月時点でのエントリー数は25社~30社台前半で推移していたというのだから、40社超のインパクトは大きい。早くから大手や人気業界などに志望先を絞りすぎず、広く企業を研究する熱心な様子が伺える。
さらに「2011年卒就職戦線の見通し」(同上『ディスコ』調べ)によると、10年卒に比べて「やや楽」になると回答した学生が前年同期調査の1.0%から6.4%とわずかながら増えている。就職環境が買い手市場へと急変した10年卒に比べれば冷静さが若干ながら伺えるようになっているのも事実だ。
今回の事業は、教育再生会議が第3次報告で「適正な競争原理の導入により、学校の質を高める」と提言したことを受けたもの。文科省は、学校独自の取り組みに応じた予算分配の効果を2年間かけて調査する。
これもある程度のものしか特色を出せないだろう。
一部の学校のみ特色を出せるが他のほとんどの学校には無関係なことだ。つまり、本来学校の運営やあり方に特色は出せない。
指導要領で定められた通り授業は行わなければならないし。弾力的な運営も、きちんとお役所仕事の委員会様にお伺いし、お墨付きを頂かなければ事は進まないのである。実は委員会も前例のないことはやらない。怖いからだ。まずその体質を正すことが先ではないか。
平成21年度予算で、調査のための費用として約350万円を計上。学校選択制や地域と連携した学校活動などに取り組んでいる市町村教委から公募し、モデル地区に選ばれた教委は2年間、学校の取り組みに応じて予算を分配する。
一方、学校側は、児童生徒へのきめ細かな指導▽児童生徒の個性を伸ばすユニークな授業▽スポーツ活動への特化▽地域ボランティアとの共同-など独自性を打ち出すことで、より重点的に予算配分を受けられるように目指すことになる。
それにしてもこうして特色ある取り組みをするとなると人手がいるのだ。しかし、総合学習でもそうだが、やることは増やしても人はいないから、過重負担の教師が出てくる。そこでみんなやる気をなくし、様々な取り組みも仕方なくやる。精気が消えるのである。
これら困難を克服してやれる校長は素晴らしいと思う。しかし、その傍らつぶれる教師も多い。
就職内定、大卒73%、高卒68%=悪化幅は過去最大-昨年11月末時点
1月14日21時58分配信 時事通信
高校生の内定率(同11月末時点)も68.1%と同9.9ポイント低下。ともに2年連続の悪化で、下げ幅は過去最大だった。
この時期の内定率としては、大学生が1996年以降で最悪、高校生が88年以降で6番目に低い水準。教育関係者らの間では「就職氷河期」の再来との見方が多く、政府に未就職の新卒者支援策を求める声がさらに高まることは確実だ。
大卒内定率は、理系が78.6%で前年同期比2.2ポイントの低下にとどまったのに対し、文系は72.0%と8.4ポイントの大幅な低下になったのが目立つ。男女別では男子が73.0%、女子は73.2%で、それぞれ7.4ポイント、7.3ポイント低下した。
高校新卒への求人数は43.7%減の17万5000人で、減少率は過去最大になった。求職者数は16万7000人と、こちらも11.9%減少した。
都道府県別の高卒内定率は最高が福井の85.0%で、三重の83.9%が続く。最低は沖縄の36.6%で、北海道の45.2%が次に低い。男女別では、男子が73.1%で10.0ポイント下回り、女子は61.7%と9.9ポイント低下した。
学生確保に「大学」必死 授業料値下げ
や減免奨学生
1月11日14時15分配信 J-CASTニュース
日本福祉大学(愛知県知多郡美浜町)は2010年度入試で、昨今の厳しい経済状況を踏まえて、「経済援助学費減免奨学生」を募集することにした。リハビリテーション学科介護専攻を除く学部生に対し、初年度前期授業料の半額を減免するというものだ。家計状況が特に厳しい人を対象として、100人を募集。入試前に事前申し込みし、合格発表と同時に審査結果を公表するとしている。
■甲子園大学は授業料値下げに踏み切る
甲子園大学(兵庫県宝塚市)ではホームページ上に大きく、「平成22年度から授業料値下げします」と告知している。入学金が全学部で5万円、学費は栄養学部栄養学科では15万円、栄養学部フードデザイン学科は25万円、値下げする。さらに、看板学部の栄養学部への入学者には、10万円の特別奨学金を支給するという。
入試広報課は「(授業料値下げは)昨今の経済状況によるところが大きい。学生の確保も狙いです」と話している。とりわけ栄養学部では実験や実習が多いために、他学部に比べて学費がやや割高という事情もあった。
また、前出の日本福祉大学では2010年入試で、家計状況を加味して学費を減免するAO入試を行った。ユニークなのは家庭や家計状況、居住地に関する条件を付したことだ。児童養護施設等の入居者、要介護認定や障害者認定を受けた者との同居、3人兄弟、過疎地域に住む者など、いずれかに該当するとした上で、意欲ある学生を対象とした。
担当者は「意欲の高い人に入学して欲しいのが狙い。とくに過疎地域を条件にしたのは、福祉の課題が中山間地にあるという考えから。別の条件は経済的に負担が大きい家庭への配慮を考えたためです」といい、福祉大学らしい意義があるようだ。
■私立大学の7割が特待生入試行っていた
大手予備校の河合塾・教育情報部は「奨学金などを通じて学費を免除する動きは広がっている」と指摘する。河合塾の調べによると2010年入試では、私立大学の399校が、奨学金にからむ特待生入試を行っていた。これは私立大学の7割にあたる数で、10年前の約4倍だった。その上で、担当者は「大学側の話によると、最近は奨学金に関する保護者からの問い合わせが増えているそうです。また、大学案内にも奨学金や給付制度の説明は大きく取り上げられています」と話していた。
一方、東京大学の場合は2008年、世帯の給与収入が400万円以下など、一定の条件にあう学生に対して、授業料を全額免除する制度を開始し、話題を呼んだ。奨学厚生グループは「授業料免除の仕組みは従来もありましたが、その基準や算出の仕方を明確にすることで、対象者は誰なのか、わかりやすくしました。入学説明会でも質問が増えました」と話している。2009年度後期の実績では学部学生の763人が利用したという。前の年に比べて約100人増えたという。
教育事情に詳しいジャーナリストの石渡嶺司さんは、授業料値下げや免除、などの動きについて、「昨今の景況感も大いに関係しているでしょう。(入学金や授業料を)払いたくても払えない家庭があり、しかも奨学金が得られるのは入学後の6月頃。入学までにお金を用意できないため、地方の受験生では地元志向が根強かった」と指摘している。一方で、大学側には優秀な学生を確保できるメリットがあるとしている。
また、就職率だけでなく資格試験の合格率もよく学校の宣伝に出されている。
さて、ある大学の看護学部の国家試験の合格率は100%、そしてとある看護学校の国家試験合格率も100%だった。全国平均が90%だからどちらもすごい。この数字だけを見れば、この専門学校に入学すればほとんど看護師に成れたも同然だと思うだろう。
実は、その合格率には隠されたものがあるのだ。
看護学校の入学者数を見ると、43名、そして卒業者数は30名。ここに合格率100%の秘密がある。看護専門学校の授業及び実習そしてレポートはかなりハードなことで知られている。このハードさについていけず、留年や退学するものが随分いるのだ。
言い方を変えれば、国家試験合格のレベルに達した学生のみ進級させて国家試験に臨ませるということだ。
すこし、やらしいく言い過ぎた感もあるが、事実、看護学校は厳しい。
さて、このようにさまざまの学校の大学合格者数や就職率、資格取得率などはきちんと裏をも見る必要がある。
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確かに、教員の出勤時の服装を見ると、どこのおっちゃんか、兄ちゃんかという感じに思う。ただ、管理職はネクタイでの出勤だ。それでも、校内に入ると管理職も作業服になっている時もある。中学校では進路を担当する先生はネクタイ姿が多い。対外的な面もあるのだろう。
私は出勤時の服装はネクタイはせずともジーパンやジャージはやめている。なぜなら保護者が見たら、やはり「何をしに学校に来ているのか」と思われても仕方がない服装だからだ。ただし、特別支援学校などは校内ではジャージは当然だと思う。さらに小学校もジャージでもよいかと思う。中、高になるとさすがそれなりの服装で授業をすべきと思うがいかがなものか。
下の記事を読んで少し考えたい。
- 2009.10.09 11:01
大阪府の橋下徹知事と、府内市町村の議会議員らでつくる「大阪教育維新を市町村からはじめる会」の懇談会で、教職員がジャージやジーパンなど私服に近い格好をしていることを問題視する意見が出た。橋下知事もこれに賛同、教職員の服装を正すための方針をまとめる考えを示した。
これに対しブロガーの間でも、「大方の企業が服装のルールを定めているように、学校現場でも何らかのルールは決めるべき」「生徒や保護者に対する印象や、職場の雰囲気などに影響を及ぼすこともあると思う」など教師の服装について指摘する声がある。
一方、「現場を知らない発言」という意見もあがっている。ブログ『★小学校教師★SAMEの「MAJI!」日記』では、教師の立場から「休み時間はドッジボールをしたり、エアコンのない暑い教室で一日を過ごしたり、子どもと汗まみれになる毎日です。(中略)動きやすい服装であることも必要」と述べている。『奈良大四苦八苦』のブロガーは、「夏にスーツを着ることは、まず民間から、エコの面からも改めるべきだし、小中学生を相手にネクタイというのもあまり合わないと思うが、いかがなものか」と疑問を語る。
同懇談会では、教師の服装と学力の関係を明らかにする調査についても要望が出ており、知事もこれに興味を示したという。教育の場は、未来を担う子どもたちの育成の場であることは共通だが、その現状や見方はさまざま。服装という分野で規制を課していくことは必要か否か、今後も注目を集めそうだ。
就職活動は今や大学3年生がピークを迎えようとしている。
就活は「新卒有利」 就職浪人避け専門学校へ 大卒者の入学増
≪3年前の1・5倍≫
少子化に伴う「大学全入時代」のあおりを受け、専門学校(専門課程)の入学者数は平成16年度以降、減少している。
文部科学省の調査によると、16年度の33万5102人が21年度は24万7823人と約9万人も減った。大学や短大を卒業後、専門学校に入学する学生数も17年度の2万4351人から減少していたが、21年度は前年度比1146人増の2万265人と、5年ぶりに増加に転じた。
専門学校の入学者のうち大学・短大の卒業者が占める割合も7%台で推移していたが、21年度は8%を超えた。
文科省は「大学生の就職状況が厳しい中、職業能力を身につけるために専門学校に入学しようという学生が増えているのではないか」と説明する。
実際、主要な専門学校に大学・短大の卒業者が入学するケースが増えている。
専門学校大手「大原学園」(東京都千代田区)では、首都圏19校の21年度の入学者のうち、大学、短大卒(中退を含む)の入学者数が3年前に比べ約1・5倍の1237人となった。
簿記など「資格取得」に力を入れていた同学園だが、約10年前から企業のニーズに合わせた人材育成も強化し、就職率を向上させている。同学園本部就職部の堤敦部長は「学生40人の担任制で、きめ細やかな教育が強み」と話す。
≪景気回復待つ≫
就職が決まらなかった私大4年の女子大生(22)も卒業後、大原学園への入学を決めた。指導を受けて再度、就活に備える。「就職浪人で大学に残るより、専門学校で学び、自信を付けたい」という。
日本電子専門学校(東京都新宿区)でも21年度の入学者のうち大卒者が前年度比で約1割増えた。22年度の出願者(昨年12月24日現在)も、大学・短大の既卒者(中退を含む)が2年前の同期に比べて38%増。中でも新卒は倍増した。寺脇保・理事兼広報部長は「厳しい今年の就活を避け、景気回復を待とうという学生も多い」とみている。
専門学校を選ぶ背景について、就職情報会社「ディスコ」(東京都文京区)の前岡巧調査担当部長は「今の学生はバブル崩壊後の就職氷河期に就職できず、フリーターになった人たちが、なかなか定職に就けない実態を知っている」と分析する。
日本では新卒でなければ正社員になることは難しいとされる。前岡部長は「大学を卒業して『既卒』となるより、専門学校から『新卒』として就活する学生が増えても不思議はない」と話している。
16年連続で増加
うつ病などの精神性疾患で2008年度に休職した全国の公立学校教員は、前年度より405人増え、5000人を超えたことが25日、文部科学省のまとめで分かった。
心の病などによる休職者は16年連続増で、1979年度に調査が始まってから過去最悪となった。
調査対象は公立の小中高校などの教員91万5945人で、8578人が病気で休職していた。このうち、精神疾患が理由の休職は5400人で、病気休職の6割を占めた。03年度から4年連続で2ケタのパーセンテージだった伸び率は鈍化傾向にあるが、それでも数百人規模で増えていることに同省は危機感を強めている。昨年10月に同省がまとめた抽出調査では、うつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍に上っていた。
この問題の解決は教師間の真の支え合い、絆と無関係ではない。
ある県の有名な困難校で実際にあった話だが、指導主事が学校訪問に来て諸先生方へ日々の熱心な指導への感謝と指導助言を伝えた時のことだった。
その中で、職員からこの困難な現状を打開する有効な方法がないかと質問が出た。その解答に指導主事が「死ぬ気でやる」という気構えを職員に伝えた。 しかし、この「死ぬ気でやる」というフレーズが問題だった。
実はこの学校では教職員が1年前に死んでいた。熱心な女の先生が生徒指導に追われる中を縫って、一旦家に帰り自分の子どものために食事を作り、その後学校に戻って深夜まで仕事をするという常態勤務が続いていた。その一旦家に帰り、また学校に来るまでの時に事故で亡くなっていたのだ。
その指導主事の発言のあと、一人の女教師が「もうすでに人は一人死んでいるんです」と震える声で言った。またその学校では、2年後に一人の優秀な若い主任級の教師が病気で死んだ。
しかし、この学校ではこの頃、心の病での休職者は皆無であった。これはすごいことだ。それは団結力、出来なくても当たり前、支え合って当たり前という風潮、原則が職員間を支配していたからだと思う。その中にいた私も随分多くの先生に支えていただいた。
これを読んだ当時の先生方はどこの学校かすぐ分かると思う。私の存在も特定されるので心配だが、古い話であるが真実だ。思い出すと込み上げてくるものがある。
さて、規制緩和、新自由主義、グローバリズムなど、人間を成果主義に駆り立てる要素が社会に蔓延しているが教育界も例外ではない。今は教師の間でも、能力給が試されている。そして学校間の学力競争(高校では優秀な生徒の奪い合いだけに終わっているところもあるが…)。不思議だが、そこには前述のような協力や共同といった要素はない。一番教師が元気が出るのは教師間の絆や連帯感の実感だ。競争ではない。
悲しいかな、最近はその連帯感や絆が薄いため、先輩教師から新任教師への伝承がなされていない。忙しすぎるということもあっただろう。だから、盛り沢山の新任研修が流行しているのだ。見ていて涙ぐましい。そこまで必要なのか疑問に思うが、この話は別の機会にしたい。
ある有名大学の学生が有名企業に内定したとき大学に提出した報告書である。
これを見たとき、感嘆した。
ここまで就職活動を分析できる彼ならこの就職難で有名企業内定も当然かと思わせるものだったからだ。
以下、報告書を紹介する。
1、動いてから、考える
まず、とにかく何でもいいから動いてください。経験が圧倒的に足りていないため、できるだけ人より多く動いて、まず経験値を高める必要があります。
失敗はものすごく価値あるものです。絶対に失敗を恐れてはいけません。はじめてなのだから失敗するのは当然のことで、大切なのは絶対その失敗を繰り返さないことです。人のアドバイスや知識よりも、自分の失敗した経験の方が100倍役に立ちます。
就職活動は時間との勝負です。基本的に時間は足りません。大学に入って毎日好きなことだけやってきて、3年生の途中で数か月の間で、おそらくは一生働き続けるであろう会社を決めることになります。ゆっくり考える時間はありません。とにかく動いて、いろいろなものを見て、話を聞いて、自分の興味と合致する仕事を、限られた時間の中で探してください。
2、「働く」ということ
会社をたくさん回って下さい。あなたの知らない仕事、業界が山ほど出てきます。イメージだけで仕事を選ぶのは、例えば、小学生が将来はプロ野球選手になりたいです、と言っているのと同じです。たくさんの会社を回って、自分の能力を生かすことのできる、適正とマッチした仕事を、現実的になって探してください。
人気企業ランキングなどといったものがありますが、こんなものは何の役にも立たないので無視してください。
就職活動は受験戦争ではありません。人気の高い企業に入ること、知名度の高い企業に入ることが目的ではありません。勝ち組、負け組という区別ができるとすれば、それは自分に合った仕事に就いた人とそうでない人の違いでしょう。
3、自分を売り込む
面接を通して企業が知りたいのは、「あなたは大学で何を知りたいのですか」「そこから何を得ましたか」「それがうちの会社にどういったメリットをもたらすのですか」という3点に収斂することができるでしょう。入学から何らかの具体的な目標を持ち、それに対して努力し、何らかの具体的な結果を出し、そこから何かを得た、という経験があればパーフェクトです。
私たち外●●学部のストロング・ポイントは語学力だと思いますが、これはそれほど役に立ちません。英語で言えば、TOEIC950点を超えて、ネイティブレベルでビジネスの会話ができる、というぐらいでないと、メインのPRにはならないでしょう。あくまでも副次的なもので、例えば、語学力を磨く上で向上心を養った、といったようなものなら十分評価してもらえます。
4、就職活動を楽しめ
就職活動は確かに大変で、不安で、悩みましたが、結果的にはそれがとても楽しかったという感想を持ちました。理由は大きく2つあって、社会を見る視野が広がったことと、成長できたことです。成長することは楽しいことで、例えば留学から帰ってきたとき、出発する前の自分とは別人になったような気分を味わうことがありますが、それと似ています。
これまでの経験を振り返ってみてほしいのですが、あなたは今までに、何かを嫌々やって成功したり、成し遂げたことはありますか。モチベーションが外的で強制的なものに、100パーセントの力を発揮することはできないでしょう。仕方がないから就職活動を始めて、なんとなくこの会社に来ました、という学生と、夢とビジョンンをしかっり持って、それを熱くぶつけてくる学生と、企業はどちらを評価するか考えてみてください。
まず自分を知ること、そして、失敗して反省して前へ進み、それを楽しむこと。長くなりましたが、みなさんの成功を陰ながら応援しています。
以上
この報告書は教員採用試験の心構えに対してもある意味、的を射ている。
私学でも同様であると思う。ある私学教員募集サイトを覗いてみると全国から募集があるが教諭つまり専任教員募集を探すのに非常に苦労する。ほとんどが講師だ。
公立学校の実態をある調査から見てみると、講師率が20パーセントを超える職種があるのを知った。大阪市の特別支援学級担当だ。
また、大阪市では特別支援学校の講師率も多い。ある部では教員23名中8名が講師である。この実態を知ったら保護者はどう思うであろうか。
専門的な配慮が必要な職種である特別支援になぜ講師を多用するのか。
それは、財政上の問題以外に特別支援を必要とする生徒数が増加しているのにも関係している。
京都府でも講師が30人いる特別支援学校がある。知り合いの管理職に聞くと来年度は20人に減るそうだが、多い。
ちなみに2009年度の大阪府の特別支援学校の講師は379人であった。大阪市は204人であった。
ただし、条件があるのだ。
習熟度別クラスごとに独自の絶対評価を付けること。
テストは習熟度別クラス独自のもので行うこと。
以上の2点である。
そして、その2点を展開するにあたっては、「人間の尊さは学力で判定できない」ということの、生徒・保護者への徹底徹底的な啓蒙が必要になる。
しかし、現在この2つの条件と啓蒙が展開出来ているのはごく一部の学校だけである。
若き頃、中二のテストの採点をしていて、ふっと思ったことがある。「この生徒は小学校6年間、そして中学校2年間、合計8年も勉強してきているのに未だに簡単な分数もできない。それどころか九九も十分覚えていない。8年間何をしてきたんだろう。」と。
それはその生徒に向けられたものでもあるが、我々教師側に向けた思いでもあった。
そもそも2乗に比例する関数や方程式の利用など分かるはずがないのだ。
それを教えている時、その子と目が合うと謝りたくなる。「今はじっと我慢しててくれ、すまない」と。
数か月もあれば九九は完成出来る。1年もあれば分数だって理解できる。なのになぜできない生徒が生まれるのだ。
その責任は教える側のシステムにあると考える。
中学校になると、授業でお客様と呼ばれる生徒が出てくる。授業を理解できないためにじっと座っているだけの生徒のことだ。
何年間もお客様でいることによく耐えていると思う。
教師もいろいろ工夫するのだが、限界がある。
もし、下位の生徒を集めて、様々な制約なしに、わかる授業を展開できればどんなに素晴らしいだろう。
しかし、それには上記に示した乗り越えなければならないいくつもの高い壁がある。
評価とテストは表裏一体である。また、評価の目的が高校入試のためのものか、生徒の習熟度ないし、達成度をはかるためのものかにより評価方法は違ってよいと考える。
習熟度別授業を上からの要請により形だけ推進すると失敗する例がみられる。習熟度別授業をより成果のあるものとして立ち上げるためには、この評価とテストを斬新的な切り口で新たに位置づける必要がある。
習熟度授業の実践例をみると、例えば数学であれば、同じ問題を上位層グループではヒントなしで行い、下位層グループはヒントをつけて教えるスタイルがとられていたりする。そして評価テストは両方のグループとも同じ問題で行う。
このスタイルは一見筋が通っているように見える。しかし、習熟度別授業推進の研究発表、実践のために一時的に打ち上げ花火を上げただけにすぎないスタイルだ。
だから、このスタイルを真似るとうまくいかず、習熟度別授業をあきらめ、単純分割の少人数授業に変えていく学校が何校も出てくるのだ。
習熟度別授業は素晴らしい形態である。実に効率が良い。しかし、上位層グループ、下位層グループを同じ評価テストで行うことによって大きな制約が生まれ、非効率的な授業となるのだ。
数学ともなると、今だ九九も完全に覚えていない中学生や分数と聞いただけで、そっぽを向くものもたくさんいる。その生徒たちに、上位層と同じ評価テストで対決させることが無駄、無理、生徒のやる気を削ぐのだ。
指導計画としては、九九から始めてもよいではないか、難しい計算は後でもよい、上位グループと同じ教科書で教えるならば、まず年度の半分を使ってでも計算力(式の計算、方程式)を付けさせることだ。文章問題は後でまとめて指導する。
このような生徒と上位層を同じ進度、同じ評価テストによって評価せねばならないとする前提から我々は解放されなければならない。
そして、生徒のために本当の実をとる必要があるのではないか。
しかし、そうなるとかなりやっかいなものも抱えなければならないが、次にする。
それはさておき、すでに22年度東京都公立学校教員採用試験の結果が出た。
そこで目を引くのが 特別支援学校教員の倍率だ。
数学1,3倍
理科1,3倍
これは一般校の数学の4,0倍に比べてはるかに低い。 多分日本中探しても理数でこの低さは断トツだろう。
後は考えられるとしたら大阪市の特別支援の理数かなと思われる。
また、技術は1,0倍だからさらにすごい。答案用紙を出したもの全員合格なのだ。
一方、社会はなんと24,1倍。理科系科目を遥か彼方に凌ぐ高倍率なのだ。
さて、これからこれらを論じていきたいところだが、やはり時間がない。またの機会にしたい。
2002年度から学習指導要領が改正され、現在、高校入試では絶対評価と相対評価を記載する中学校がある。どちらを使うかは各都道府県が定めている。
例えば大阪府では未だに10段階の相対評価である。京都府は5段階の絶対評価である。
全国で行われた絶対評価ついては、当初から様々に問題視されてきた。例えば次のようにである。
<毎日新聞 2004年5月25日>
1学年の生徒数が40人以上の学校(144校)で、「5」の生徒数の割合に最も差がついたのは2年生の英語。80人中44人(55%)と82人中1人(1.2%)の学校の格差が45.8倍あった。
全校の「5」評価数の平均は、以前の「相対評価」で定められていた7%の2倍を超える17.7%。30%以上も9校あった。
3年生の保健体育では、「5」が56.4%(335人中189人)と高率の学校がある一方、0%(14人中0人)の学校もあった。
ある学校では全9教科で「5」評価数の平均が4割を超え、評定平均は2年生が3.79、3年生が4.02だった。相対評価の場合は3.00になるが、同校の校長は「興味や関心を持ち、意欲的に学習する生徒が多いから」と他校より高い原因を説明。
同市教委も「突出する学校は気になるが、問題ではない。絶対評価ではあり得ること」と静観する。
以上
このように、不安定な絶対評価は、高校合否の資料に値しない。
次に、内申書の数字が大きな差を生む代表的な2つの例を上げる。
立命館守山高校では、直近の9科成績(5段階評定)合計が4●以上、かつ、3年間の9科成績合計が1●●以上であれば推薦基準に達する。そして推薦基準に達すれば毎年全員合格する。しかし、推薦基準に達しなかった生徒は専願受験となる。ある年の専願受験者は265人、その内、合格者は114人と推薦受験と打って変わって厳しい状況になる。
また、京都府内のある私立高校では、5教科(5段階)成績合計が20以上であれば入学金、授業料、施設費、教育費が免除される。達していなければ、すべて払わねばならない。
超難関といわれる学校以外、ほとんどの私立高校が、中学校の評価によって推薦や専願基準を決定している。また特待生や奨学生などの基準を決定している。
この不安定な絶対評価を使用することによって、高校受験時の平等性は失われている。
相対評価においても、不平等感はぬぐえない。
学校間の学力格差の問題だ。
学校間の学力格差は一般市民が思っているよりはるかに激しい。ある学校の相対評価3は他の学校で5になることもありうる。いやそれを見てきたから言えることであって、けして空想で言っているのではない。
以前こういうことがあった。模擬テストで偏差値49の生徒が評価の合計で同志社系列の学校の推薦基準にのってしまったのである。このときは笑いが止まらなかった。逆の悲しいパターンもあった。高級住宅街にある優秀な学校で、他の学校なら推薦基準にのるのに、この学校だから推薦基準にのらないのだ。
これを是正するにはかなり斬新的な考えを持って施策を打つ必要がある。
また、上記は私学のことを書いてきたが、公立高校入試でも不平等感はぬぐえない。中学校からの評価を点数化し合否を決定しているからである。
大阪府は11年度から、府内の私立高校の3割に及ぶ年収500万以下の世帯の授業料も無償化する意向だ。将来的には、段階的に府内の私立高校生の7,8割の生徒の授業料を無償化するという。
もし、これが府内在住者のみに適応するなどといわれると他府県の教員もがっくりだが、すごいことになった。
これなら、すこし、年収の低い世帯の親も中学から私学に通わせる余裕が生まれる。
中学時の授業料だけを我慢すればよいことになるからだ。
大阪の私学は、高校受験のの倍率はもちろんのこと、中学校も徐々に人気が出てくるだろう。
さて、そうなると橋下知事も自分が出した方針により頭を抱えることになる。つまり、全国的にも低い水準にある大阪の地元公立中学校に通わせるより、私学の中学校に通わせたいと思う輩が出てきても不思議ではないからだ。そして、ますます公立中学校は低迷する可能性が出る。
まあ、どうなるかは分からないが、影響は各方面に出るだろう。
いずれにせよ私は大賛成である。
病気休暇中や休職中の教員と接し対応していくのは管理職である。その対応がブレると、特に精神疾患に陥っている教員は再起の道を失う。
従って、他の教員も積極的にコミュニケーションをとる必要があると思う。
なぜなら人間関係ができていない管理職と話しても本音は話せないだろうし、安心できない。これは管理職が悪いと言っているのではない。管理職一人に背負わすのではなく、仲の良い教員たちとのコミュニケーションが必要だということだ。
安心して本音が語れればこちらとしても復帰する条件も整えやすいと考えるからである。これも不登校生徒と通じるところがある。
形式的に法や規則を前に出した対応だけではただ冷たく映る。これは管理職の対応に出がちなことだ。これは相手に見捨てられていると映るだろう。それは私どもが不登校生徒に対応してきた経験から言える。
不登校生徒も、精神疾患の教員もほとんど原因は学校内の何かにきっかけがある。どちらも人間、心の構造は同じだ。疲弊しているのだ。疲れ果て心身がどん底に落ちている。
もし、許されるのなら、最悪の場合、現場を変えてあげるのが一番だ。
生徒なら、今は教育的配慮で転校が認められている。しかし、教員はそうたやすくできないのだ。まず、一旦学校に復帰しなくてはならない。大体、1月には人事の動きがあるので、最低2月の初めまでに学校に復帰していなければ、人事の対象にならないのだ。
ところが、精神疾患に陥ってしまった教員は、病気が回復しても、同じ現場にだけは戻れない場合があるという。例えば、生徒・保護者・他の教員が原因ならば、そこに戻れば再発するかもしれないという恐怖が付きまとうのだという。そこでまた休職を無駄に長引かせるというのだ。
それは不登校の生徒が心身ともに元気だが、自分の学校には登校はできないというのと非常によく似ている。しかも、彼らは、例えば転校や進学で場を変えることができたならば、そこで思わぬ活躍をしていることがあるのだ。
結論。
都は精神疾患が治癒された教員で、4月から復帰が可能と医師の判断があれば、他の勤務場所への移動を無条件に可能にするシステムの構築を全国に先駆けて早急に行うべし。
これは非常に難しいかも知れない。だが、その教員を救う最後の手段といえるし、しかも休職を長引かせないという財政面も救う大きなメリットがある。
ここで、病気休暇や休職している教職員に支給される給与が年間で総額約60億円に上るということの本質を詳しく解説したい
各都道府県によっても違ってくるかもしれなが、休職となれば本給与の8割程度が支給される。もちろん賞与についてもかなり減る。期間は今は1年間のみ支給されるのが普通だ。
だから、病気をしないで普通に勤務している時より給与は少なくて済む、従って財政面では特に問題にしなくてもよいのではないかとなる。
しかしここで問題なのは休んでいるならば必ず代わりの教員が必要だということだ。
臨時的に任用される講師のことだ。
講師に支払われている給与をざっと低く半分と見積もっても30億。数字としてはこちらのほうが問題の核心を突いている。
精神疾患を患った教員を4月から復帰させるにはよきシステムの構築が急がれる。
そのシステム案を示す。
治癒した教員が望むならば早急に職場に行かさず、教育センターな
どで3月いっぱいまで研修を行わせる
その後4月から他校へ勤務させるのだ。
ところ変われば必ず活躍するものがいるのだ。
都が早くスムーズな再勤務可能システムを導入しないと、ますます休職者を増加させることとなるのはまちがいない。
東京都の公立学校教職員のうち、
精神系疾患で病気休暇や休職している教職員に支給される給与が年間で総
額約60億円に上ることが5日、都教育委員会の調査で分かった。
精神系疾患による休職者は全体の約7割に上り、全国平均を上回るペースで急増している。休職者の約70%が病欠を取得するまで受診していない実態も判明。事態を重視した都教委は今後、全国の教委で初めて、メンタルヘルスチェックを健康診断に組み込むなど、早期発見・治療が可能なシステム構築に乗り出す。
◇
都教委によると、平成20年度の教職員の休職者は、788人。うち、精神系疾患で休職した人は68・5%にあたる540人に上った。
15年度は60%の259人で人数も割合も急増した。休職者率も全国平均の0・55%(19年度)を上回る0・94%(20年度)。東京は、小中高に加え特別支援を含め全校種で全国平均を大きく上回っている。
文部科学省が4日に公表した調査結果では、教員採用試験に合格しながら、1年間の試用期間後に正式採用とならなかった教員は平成20年度は315人。うち約3割の88人が精神系疾患による依頼退職だったことが判明したばかりだ。
こうした実情を踏まえ、都教委では精神系疾患の休職者の置かれた環境を独自に分析。19年度は、病気の発生率で特別支援学校(1・01%)が最も高く、男女比では高校の女性教員、小学校の男性教員の休職率が高いことが分かった。年齢別では高校の20代(1・43%)、特別支援学校の40代(1・17%)の休職率が際立った。
休職者の在籍年数では、小中学校で採用3年目までの、特に小学校教員の休職率が高く、在職21年目以降のベテラン教員の休職率も、極めて高い傾向にあった。
休職の理由については、自己申告では「不明」が最多。次いで、「児童・生徒」「保護者」の順だった。異動を理由に挙げた事例では、多くが「環境不適応」とみられる。
一方、精神系疾患で休職した教職員の約70%は病欠するまで医師の診断を受けていなかった。
都教委では手遅れ受診の背景に、(1)本人に「鬱病(うつびょう)」の知識(病識)が少ない(2)生活に支障がないと周りも気がつかない(3)内科を受診時に心療内科や精神科を勧められて発見される-ことなどがあるとみている。
とりあえず新聞をアップしてみた。
都の教育委員会の姿勢は非常に強硬と思われるところがある。
1年の「試用期間」のうちに、教壇を去った公立学校の新人教員が08年度は過去最
多の315人(前年度比14人増)に上ったことが、文部科学省の調査で分か
った。うち約3割の88人は精神疾患を理由に退職していた。
文科省は「イメージと現実とのギャップで自信を喪失し、うつ病などになるケースがある」とし、相談相手となるべき先輩教員らの支えや目配りを求めている。
教員は、一般の地方公務員(半年)より長い1年の「条件付き採用期間」を経て正式採用が決まる。08年度は小中高校、特別支援学校などで2万3920人が採用され、このうち1年後に正式採用に至らなかった315人は1・32%(前年度比0・06ポイント減)を占めた。10年前(98年度)は0・27%の37人で、8・5倍に達している。
315人のうち依願退職者は304人(前年度比11人増)。病気が理由だったのは93人で前年度より10人減ったが、5年前の10人、10年前の5人と比べると急増ぶりが際立つ。文科省が今回初めて精神疾患の人数を調べたところ、「病気」の95%を占めた。
このほか、わいせつ行為や飲酒運転を理由に懲戒免職となったのが5人。不採用決定を受けたのは4人。死亡退職は2人だった。
また、自ら望んで降任した教員も過去最多の179人(同73人増)に上った。主幹教諭からの降任が89人、副校長・教頭からの降任が84人。望んだ理由は、精神疾患を含む「健康上の問題」が95人と半数を超えた。
教育委員会から「指導力不足」と認定された教員は4年連続で減少し、08年度は306人(同65人減)。指導力不足と認定され、研修後に復帰し、再度認定された教員8人も含まれる。
重要な調査なのでアップしてみた。
これは最近の生徒・保護者(モンスターペアレント)の困難性が原因なのだろうか?
あるいは新任ならば、新任研修をどこの都道府県も強化しすぎるほどしているはずなのにこういう事態に陥っている点、つまり、その新任研修のあり方が原因なのか?
単に、大量採用のための教員の質の低下なのか?
私がこうだと一概に言えるものでもないが、実感として、学校は働きにくい職場になってきた。
しかし、教員は目の前の生徒をほっておくわけにはいかず、放棄するわけに行かず頑張る。採用される教員はほとんどが仕事を与えられればそれを果たそうとするまじめな人間である。
この状態はひょとすると最近言われている「ブラック企業」に近い状態かもしれない。
公立中学校でも地域性により、相当学力のある学校もある。そういうところに行けば、生徒指導面でも悩むことは少ない。しかし、経験のない人には理解しがたいが、想像を絶する学校もある。昔、文化センターへ鑑賞に行かすのに、駅から列になっていた中学生たちの中に、目立つ格好をした中学生がビニール袋を片手に時々口に当てながらふらふらと歩いているのを見たことがある。どのような指導をしているのか疑問に思ったが、悲惨な現状に心が痛み、すれ違う担任の顔をまともに見れなかった。
新任で最初から困難校に行けば、必ず辞めようと考える。私もそうだった。2年間は、いつ「辞めます」と言おうかその時期を模索ていた。新任の間でもお互いに辞めたい、またはこの学校を早く抜けたいと言い合っていたのを思い出す。
しかし、その時はまだ教員に自由があった。生徒に真正面かからぶつかる心の余裕があった。20年程前である。
次第に生徒に対峙する仕事ではなく、形を整える仕事が多くなってきた。
目の前の生徒のためにと誠実に働くことはエネルギーが出る。だが、形を整えるための書類作成や周りから言われないための●●対策の仕事が増えれば増えるほど本来業務から離れた感覚が芽生え、虚しくなる。自分でも知らぬ間に教育に対するエネルギーが萎えていく。
そして、文科省は、上から支持さえすれば教員は動くと思い、社会からの要請や風当たりが強くなればなるほどよいと思われることをますます打ち出してきた。学校5日制。「総合学習」「少人数授業」習熟度授業」選択教科」、ゆとりかと思えば学力向上に向けて学習指導要領も含めての教育改革。ある地域では学校選択制。全国学力テストの実施。学校カウンセラーの配置。
さらには小学校での英語の必修化。極めつけは免許の更新制、しかし廃止の方向。
どれも素晴らしい取り組みではあるが、やることが多くなれば何かを削らねばならない。
そのお陰で学校行事は極端に少なくなった。
そして、どの取り組みも中途半端に終わっているではないか。
現場にいてありありと分かることがある。
その様々な取り組み自体、教員はやる気がないということだ。
エネルギーを出そうとも思っていない。学校の中でやろうとしているのは管理職を中心に極一部のみ、あとは仕方なく続いていくといったもの。
このような教員の取り巻く状況の中に入ってきた新任教員にはさらに新任研修という研修の嵐が待っている。時には、生徒との対話の時間や、学校行事にかかわる時間も削って出かけなければならないのだ。
こうして新任教員たちは頑張っている。また、最近思うことだが、新任といってもすでに講師で3,4年頑張ってこられた先生方も多い。一律新任教育をする必要はないはずだ。免除制度は設けられないものか。
話はそれたが、新任教員を取り巻く状況は厳しくその肩にのしかかっている期待も大きい。
私たちの時は新任研修などなかった。新任時から県のトップの困難校で洗礼に会い、心身ともに疲れ果てたが得たものは言葉で表せないほど大きかった。新任時に共に闘った教員たち、リーダーシップをとって大きな支えとなってくれた先輩たちがいた。それ自体が真の研修だった。
今、私ははたして新任教員たちの心の支えになっているか疑問だ。
本当の原因は文科省も言うように我々先輩教員にあるのかもしれない。
責任を感じる。
介護職や看護助手は一般的に3交代制である。この不況時でも3交代制を呑んで勤務するなら就職はある。
しかも看護助手なら資格なしでもよい。だが、給与は介護職、看護助手ともまだまだ低い。
手取り18万程度が普通だ。
これは3交代及び夜勤を月4回入れての話だ。もし、3交代なし、夜勤なしの通常時間帯の勤務ならば月手取り14万である。
これが介護職の実態だ。
他の職を経験していても、50歳のおばさんが今からこの職に就こうとすれば同様の金額になる。正社員になれるが、到底家族を養える収入ではない。また、断っておくが仕事は意外と激務が多い。
しかし、
2年間の准看護師養成所を出て、准看護師の資格を
取れば、収入は2倍近くに跳ね上がってくる。お金の話
ばかりで申し訳ないが、もし私どもの近くに介護職の
30代の方がいれば准看護士を勧める。
ただし、養成所を出るための時間とお金があるのかがポイントになる。バイトしながらでもできないことはないだろうが、精神的にも肉体的にも一般の人が思っているよりかなりきつい。看護系の学校は専門学校の中でも厳しく一番勉強させれれるところではないかと思う。
話はそれたが、この准看護学校を設立したい。と同時に、本来2年間を
3年間にして、中学卒のものは高卒資格を取れるようにする。このような学校
を作るのだ。これは出来るのだが資金がない。
教員採用試験に合格して特別支援学校に勤務し、毎日自立活動的な授業をしていると、10年もすれば自分の専門教科を教える専門性は衰えてくる。まず教員としての大切な授業スキルを蓄える術が特別支援学校にはないからだ。それでいて次に聾学校や、盲学校に行けば教科を教えることになる。だから、聾、盲の教師の教科指導力は一般校に比較して非常に弱い。さらに生徒会や生徒指導、クラブ活動といった指導力も経験がないだけに弱く、さらに特別支援学校によきモデルが生まれないので若い教員の指導力が向上しない。強いて言いうと素人集団ともいえる人たちで教育を運営しているようなものだ。
これは特別支援学校に勤務する私の友人が言っていた言葉だ。
私も、この意見は少し言いすぎかなという部分はあるものの、本当にそうかもしれないということも感じている。
これに反論する読者の意見を聞きたい。
コメントに入れていただきたいがどうだろう。
全私立校校で授業料を実質的に府の助成基準まで下げ、全校での無償化を目指す。
府は55万円以下の授業料の私立校校を対象に、国とともに授業料相当分を各学校に支給し、年収350万以下の低所得世帯の新入生を助成する。
55万円を上回る私立高校についても、給付型の奨学金などで授業料を実質55万円以下にすれば支給対象に加える。
以上31日付けの朝日新聞によるものだ。
よくこの決定をしたものだと、大阪府の姿勢に敬意を表す。
私学にもいろいろあるが、基本面倒見がよい。そして、私学なので公立ではできない独自の生徒指導をやってくれる。というのが私の経験上思うところだ。
スポーツは得意で、私学でスポーツをやりたい、だがお金はない。このタイプの生徒にとっても、そして私学のクラブ顧問においても大いに喜ばしいニュースになる。
中学校でクラブ活動を熱心に行い、実績も出してきた生徒が私学からお誘いがあることは珍しくない。しかし、授業料が払えないため断念してきた生徒も毎年見てきた。これは育てた教員も、私学側も、もちろん本人・保護者も大いに悩んできた越えられない壁であった。この壁がすべて取り払われるということではないが、光が差してきたことには間違いはない。
これにより、さらに私学が生徒を伸ばし、発展してくれることを期待する。
この施策で、低所得、府立高校にもはじかれる低学力層の生徒は救われる。
ただ、「350万円以下の世帯」とあるのが気がかりだ。つまり、子供が3人、4人と私学(大学、専門含む)に行っている360万円世帯はどうなるのかということだ。
また、これにより、他府県の低所得者の受験者が大阪に雪崩れるだろうと予測される。というより、他府県の低所得、低学力層を抱える学校が、これからの進路指導にて進路先を大阪府に振ってくると予測される。奈良、兵庫、和歌山、京都あたりの大阪にほど近い中学校あたりの動向が気になる。
進路主任や3年生担当の教師は、公立不合格者の次に持って行くところとして、この大阪府の私学無償化が頭をよぎるだろうことは間違いない。
しかし、入試はどう動くかが分からない。私学の定員が満たされていれば、公立発表の後の私学2次は厳しい状況かもしれない、また、ないかもしれないと考え、2月、私学1次の試験から大阪府私学への専願受験ないし、併願受験に持っていくことも考えられる。
私は、生活面で少し荒れた生徒なら、遠くなければ大阪の私学の1次試験に積極的に持っていく。なぜなら、ひとつは進路先が早く決まるからである。もうひとつは公立の発表を待って、公立にぎりぎりで入学できたとしても本人が3年間耐え得るかどうかが疑問だからだ。
しかし、これも一概に判断できない学校事情、クラス事情がある。
教師の手中になかなか入らない、生活面で荒れた生徒は、進路を引き延ばし、入学試験という縛りで学校生活を卒業までうまく持っていかねばならない。
また、生活面が安定している生徒なら、公立にたとえぎりぎりで入学できたとしても、3年間で卒業の見込みはある。だから、公立発表まで待つ方法を考えるかもかもしれない。
いずれにしても、生徒の実態をしっかり把握することで適正な進路指導を図っていかねばならない。ここは教員の悩むところだ。
大阪府外のことに関して書いたが、渦中の大阪府の教員もそして、保護者もこの施策で進路変更をするものが増えることは間違いない。
いろいろなパターンが考えられるが、私なら、内申書は良い、しかし、当日の入試の得点力がないと予測される低所得の生徒は私学に持っていきたい。ここだけの話だが、内申書は私学において重要な要素となる場合が多い。もちろん例外もある。
最後に…
ここに書いたことは、授業料についての「無償」である。他にも費用はかなりかかることを知る必要はある。
例えば、入学金、定期・制服・教科書・体操服代等、クラブ活動をするなら遠征費・合宿費などだ。
とにかく、現、中学3年生担当の教員の頭をよぎる、かなり風の強い施策であることは間違いない。
さらに追加させていただくとして、この施策により、離婚が増えるということだ。困難校の教師なら分かるが、母子家庭には何種類もの福祉制度があり、特典があるので、経済事情安定のため離婚している家庭も少なくない。それがさらに増えると予想されるということだ。つまり、夫婦合算で350万より多ければ、この私学の授業料「無償」は甘受できない。だから、離婚して一世帯あたりを350万以下にするのである。
生活費は3年間で150万削減され、さらに様々な福祉制度を受けられれるからだ。
以上、今後も様々な動向を見守りたい。
教員養成を6年で行う案が出ているが、ホントにするつもりなのだろうか。
少し疑問に思うことは、小学校や中学校の教員を全員が大学院まで出ないといけないのかということだ。短大でも十分だ。
現在でも、短大を出て教員になって頑張っている人は多い。
教員の質は教科専門性及びコミュニケーション能力ではないのか。
この教科専門性は、小学校、中学校ははっきり言わせていただいて、高校までの知識量で十分できる。
実は高くはないのだ。
嘘だと思うなら、近くの小学校の先生に、センター試験レベルの問題を問うてみるとよい、ほとんどの先生が答えられないだろう。
中学校の先生にも聞いてみるとよい。例えば、数学の先生に、センター試験数Ⅱの問題を持ってい行くと、忘れているというのも手伝って、問題の3割も解けるだろうか。
お前はどうだ、と言われそうなので、はっきりと断っておく、新聞に出ていたセンター問題を解いて、専門教科は5割取れなかったのだ。
情けなかったが、これが現状だ。
しかし、コミュニケーション能力は、経験とともにかなり高まっている。ただし、体力は落ちていく一方だが…。
このように、大学院まで出て、何を勉強するのか。高校で教えるとなるとかなり有効かと思うが、実際教師は現場で鍛えるのが一番育つ。教育実習のことを言っているのではない。教育実習は2週間でも十分だ。センスのある奴はなしでもいいと思う。教育実習はやはり実習、周りに守られ行うため本当の苦労はほとんどない。
現場で子供たちを目の前にして、子供の生きたエネルギィーとぶつかって初めて開かれるものがあるということだ。
しかし、教職員大学院は充実させてもよい。ただし現職教員は休職していくとなるが、何らかの生活ができる状態にまで持っていくべきだ。休職し給与はなし、では行く気がしない。給与も全額ではなくとも7割は必要だ。
今、教員免許を取得するのに、様々な実習が必要になっている。
その実習の実態を何人の人が知っているのか疑問だ。
以下は教員免許を取得する際に必須となるいわゆる介護実習に関する一般的な説明である。
義務教育諸学校の教員免許状を教育職員免許法5条別表第1で授与を受けるにあたっては、社会福祉施設や特別支援学校などにおいて、文部科学大臣が定める期間(7日間)、介護等の体験を行わなければならない。その目的は、人の心の痛みのわかる教員、各人の価値観の相違を認められる心を持った教員の実現に資することにある[1]。
教員免許状を申請する際、社会福祉施設または特別支援学校が発行する体験に関する証明書(この証明書は再発行ができない)を提出する必要がある。文部事務次官通達によると、特殊教育諸学校(現特別支援学校)における体験は2日間、社会福祉施設については5日間が望ましいとされている。
以上
私たちが教員免許を取得するときはこのようなものはなかった。いつごろか定かではないが最近だ。
私はホームヘルパー2級を取得した友人のA教諭に、その実態を詳しく聞く事が出来た。
A教諭は自分の親の介護のためにホームヘルパー2級を取得した。その時、一緒に実習に来ていたのが、教員免許取得のため大学生たちであった。
ホームヘルパー2級取得のためには実習だけに関すると、介護施設2日、訪問介護半日だけである。しかし、大学生たちは5日間まるまるの実習が課せられていたという。つまり実習だけに関していうとヘルパー取得者の2倍である。
そこで気になるのがその内容である。同じ実習だから内容も同じかなと思っていたら、実は、ヘルパー資格実習者とその大学生たちの実習内容は大きく違っていたという。
まず、大学生たちはいわゆる、さわりだけを体験するのだという。ヘルパー資格実習者はそういうわけにはいかない。実際本質的な介護体験を指導者のもとで計画的にさせられる。厳しいことも言われるという。
具体的には入浴介助では、大学生は着衣した利用者の髪の毛をドライヤーで簡単整髪だけ。ヘルパー資格実修者は利用者の着脱介助だ。これには大きな違いがあるという。裸の利用者を間近で介助するとき、老女の恥じらいの態度、また、体の痛み、むくみや変形などをじかに見、利用者の気持ちが伝わってくるという。
これでこそ、人の心の痛みがわかる最善の実習だろう。しかし、大学生はさわりだけだという。
また、大学生は介護に必須なおむつ交換はさせてもらえない。おむつ交換では、陰部を洗浄する。その時、老人の排泄物のついたお尻をきれいに傷つかずに拭きとる。しかし、本当にきれいにできたかといえば疑問が残るという。やはり自分のじゃないからうまくできない。それでも「ありがとう」と老人は答えてくれる。
これぞ本当の心の通った介護体験だ。
私は大学生に、介護の本当のにがい部分を実習させたい。いくらヘルパー資格実習者の2倍、施設に在しても、これでは人の痛みへの理解は2分の1だろう。
実習は深い部分が体験できるなら2日間でよい、その前の3日間で、介護福祉士やケアマネから本当の実習が出来るレベルまで講習を受けさせたい。そうすれば、受け入れる施設側も、安心して、ヘルパー資格実習者と同じ実習を受けさせることができるのだ。
そして、本当に施設利用者の痛みと心に接することになろう。
また、希望するなら、あと何単位かを取ればホームヘルパー2級資格も取得できるようにすれば一石二鳥である。
教員の質向上を資格という形に残すことができるようにしてやれば励みになる。
今は、実習といえど、お客様扱いではないのか。それで人の痛みがわかれというのも、無理があろう。