公立学校の真実
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1年の「試用期間」のうちに、教壇を去った公立学校の新人教員が08年度は過去最
多の315人(前年度比14人増)に上ったことが、文部科学省の調査で分か
った。うち約3割の88人は精神疾患を理由に退職していた。
文科省は「イメージと現実とのギャップで自信を喪失し、うつ病などになるケースがある」とし、相談相手となるべき先輩教員らの支えや目配りを求めている。
教員は、一般の地方公務員(半年)より長い1年の「条件付き採用期間」を経て正式採用が決まる。08年度は小中高校、特別支援学校などで2万3920人が採用され、このうち1年後に正式採用に至らなかった315人は1・32%(前年度比0・06ポイント減)を占めた。10年前(98年度)は0・27%の37人で、8・5倍に達している。
315人のうち依願退職者は304人(前年度比11人増)。病気が理由だったのは93人で前年度より10人減ったが、5年前の10人、10年前の5人と比べると急増ぶりが際立つ。文科省が今回初めて精神疾患の人数を調べたところ、「病気」の95%を占めた。
このほか、わいせつ行為や飲酒運転を理由に懲戒免職となったのが5人。不採用決定を受けたのは4人。死亡退職は2人だった。
また、自ら望んで降任した教員も過去最多の179人(同73人増)に上った。主幹教諭からの降任が89人、副校長・教頭からの降任が84人。望んだ理由は、精神疾患を含む「健康上の問題」が95人と半数を超えた。
教育委員会から「指導力不足」と認定された教員は4年連続で減少し、08年度は306人(同65人減)。指導力不足と認定され、研修後に復帰し、再度認定された教員8人も含まれる。
重要な調査なのでアップしてみた。
これは最近の生徒・保護者(モンスターペアレント)の困難性が原因なのだろうか?
あるいは新任ならば、新任研修をどこの都道府県も強化しすぎるほどしているはずなのにこういう事態に陥っている点、つまり、その新任研修のあり方が原因なのか?
単に、大量採用のための教員の質の低下なのか?
私がこうだと一概に言えるものでもないが、実感として、学校は働きにくい職場になってきた。
しかし、教員は目の前の生徒をほっておくわけにはいかず、放棄するわけに行かず頑張る。採用される教員はほとんどが仕事を与えられればそれを果たそうとするまじめな人間である。
この状態はひょとすると最近言われている「ブラック企業」に近い状態かもしれない。
公立中学校でも地域性により、相当学力のある学校もある。そういうところに行けば、生徒指導面でも悩むことは少ない。しかし、経験のない人には理解しがたいが、想像を絶する学校もある。昔、文化センターへ鑑賞に行かすのに、駅から列になっていた中学生たちの中に、目立つ格好をした中学生がビニール袋を片手に時々口に当てながらふらふらと歩いているのを見たことがある。どのような指導をしているのか疑問に思ったが、悲惨な現状に心が痛み、すれ違う担任の顔をまともに見れなかった。
新任で最初から困難校に行けば、必ず辞めようと考える。私もそうだった。2年間は、いつ「辞めます」と言おうかその時期を模索ていた。新任の間でもお互いに辞めたい、またはこの学校を早く抜けたいと言い合っていたのを思い出す。
しかし、その時はまだ教員に自由があった。生徒に真正面かからぶつかる心の余裕があった。20年程前である。
次第に生徒に対峙する仕事ではなく、形を整える仕事が多くなってきた。
目の前の生徒のためにと誠実に働くことはエネルギーが出る。だが、形を整えるための書類作成や周りから言われないための●●対策の仕事が増えれば増えるほど本来業務から離れた感覚が芽生え、虚しくなる。自分でも知らぬ間に教育に対するエネルギーが萎えていく。
そして、文科省は、上から支持さえすれば教員は動くと思い、社会からの要請や風当たりが強くなればなるほどよいと思われることをますます打ち出してきた。学校5日制。「総合学習」「少人数授業」習熟度授業」選択教科」、ゆとりかと思えば学力向上に向けて学習指導要領も含めての教育改革。ある地域では学校選択制。全国学力テストの実施。学校カウンセラーの配置。
さらには小学校での英語の必修化。極めつけは免許の更新制、しかし廃止の方向。
どれも素晴らしい取り組みではあるが、やることが多くなれば何かを削らねばならない。
そのお陰で学校行事は極端に少なくなった。
そして、どの取り組みも中途半端に終わっているではないか。
現場にいてありありと分かることがある。
その様々な取り組み自体、教員はやる気がないということだ。
エネルギーを出そうとも思っていない。学校の中でやろうとしているのは管理職を中心に極一部のみ、あとは仕方なく続いていくといったもの。
このような教員の取り巻く状況の中に入ってきた新任教員にはさらに新任研修という研修の嵐が待っている。時には、生徒との対話の時間や、学校行事にかかわる時間も削って出かけなければならないのだ。
こうして新任教員たちは頑張っている。また、最近思うことだが、新任といってもすでに講師で3,4年頑張ってこられた先生方も多い。一律新任教育をする必要はないはずだ。免除制度は設けられないものか。
話はそれたが、新任教員を取り巻く状況は厳しくその肩にのしかかっている期待も大きい。
私たちの時は新任研修などなかった。新任時から県のトップの困難校で洗礼に会い、心身ともに疲れ果てたが得たものは言葉で表せないほど大きかった。新任時に共に闘った教員たち、リーダーシップをとって大きな支えとなってくれた先輩たちがいた。それ自体が真の研修だった。
今、私ははたして新任教員たちの心の支えになっているか疑問だ。
本当の原因は文科省も言うように我々先輩教員にあるのかもしれない。
責任を感じる。