公立学校の真実
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有能な女性が担任を外れるのは痛いが、担任している途中に産休や病休で休む場合はもっと痛い。年度途中での講師は見つかりにくいのと、見つかっても講師の人はやりにくい。なぜなら、優秀な人の埋め合わせに来た講師は、生徒も教師も前の人と比較してしまうからだ。前の人がかなりめちゃくちゃな人なら、普通にしているだけでありがたがられるが、その反対の事が起こる。
妊娠が悪いことではない。学年が一致団結して試練をチャンスに生かす時だ。
3年生は私学入試突入だ。
私学専願の生徒はこの1月にあった学年末を捨てた生徒が多い。急激に内申が下がる生徒も毎年いる。
残念ながらというかなんというのか、私学は2学期までの成績で合否を割り出すので、学年末テストは私学専願者には関係ない。ただ、それで合格すればよいのだが不合格ならば、その下がった内申で公立高校を受験しなければならないはめになる。どうしても2学期までの成績で勝負したければ私学1,5次という方法もあるが…。1月末の学年末テストと2月初旬の私学入試の勉強の兼ね合いが難しい。
教師が困るのは私学の発表の後だ。合格者の中でも専願の合格者が気が抜けて授業中何もしない。挙句の果てに横柄な態度になるのだ。
今まで一生懸命に生活態度も頑張ってきたのは内申のためだけだったのかと、3年生の教師たちからため息が出る時も2月だ。
正恩氏の母親は、在日朝鮮人の舞踊家、
韓国でも在日帰国者は差別される。
在日にとって、改善すべき重要な問題がある。それは自国での、自国民差別撤廃問題だ。残念ながら、そのための抗議行動、発言をこれまで見聞したことがありません。
しかし、日本での在日の差別反対行動はよく見かけ、教育の現場ではそればかりです。
だから、子供たちは本当の在日の姿を知りません。さらに韓国社会の日本への考え方は全く知りません。いや何者かが知らせないようにしている感があります。これで国際交流とか言えるでしょうか。仲良くなら、まず相手の真の姿を知り、交流すべきです。
しかし、真実の韓国の姿は教えていない。
韓国は13年年前にようやく日本文化を国内に解放し始めたのだ。今も親日派の子孫の財産はことごとく法律で没収している。黒も白も教えて本当の教育ではないのか。韓国は素晴らしく日本は悪い国としか教えないのは偏った教えだ。生徒がかわいそうでならない。
日本の学校ではこういうことを言える雰囲気ではないのでブログでしかかけない。しかし、私と同じことを思っている教師はわりと多い。下記は韓国がどのように大衆文化を解放してきたか、ごく最近の事実だ。
韓国政府による日本文化開放政策(概要)
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平成15年12月30日
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1.1次開放(98年10月20日)
○映画及びビデオ ・日韓共同製作作品、4大国際映画祭(カンヌ、ベニス、ベルリン、アカデミー)受賞作品を開放。ビデオは劇場で公開されたものにつき開放。 ○出版 ・日本語版出版漫画及び漫画雑誌を開放。
○映画及びビデオ
・劇場用アニメを除く映画の大幅開放(70大映画祭入賞作、もしくは
・2000席以下の室内公演場での歌謡公演を開放。
3.第3次開放(2000年6月27日) ○映画及びビデオ
・「18歳未満観覧不可」の作品以外は全て開放(劇場用アニメ除く)。
○歌謡公演、レコード
○ ゲームソフト
○ 放送
【2003年9月に開放が決定された部分】
○ 映画及びビデオ
○ レコード(CD、テープ等)
○ ゲームソフト
○放送
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生徒から「先生、私、今の実力でA高校にはいれるかな」と聞かれることがよくある。私学なら基準があるので答えやい。だが公立は定員割れなどがあり答えにくい。過去のデーターのみで答えるのだが、こちらのデーター不足もあり不安が募る。
実力テストは近くの学校が集まって同一問題で実施する。これも参考資料になる。大阪の友達は校内実力テストは校内独自で作成すると言っていたが、それこそデーターには不足が多いだろうと懸念される。
塾もかなりのデーターを持っている。進路の面談をすると、塾ではこう言われたと話してくれる親も多い。その時、「塾ではそう言われたのか…俺の情報も甘いしな」と心の中で塾になびくときも時々ある。
就労世代増、市が年150億円を負担
受給者数はバブル崩壊後から徐々に増加していたが、20年秋の「リーマン・ショック」後に急上昇。景気の低迷による失業者の増加を背景に、世帯主が就労できる層(15~64歳)での受給が増えているのが特徴で、リーマン・ショック前の20年8月には、この層の受給割合は9%だったのに対し、23年3月には21%にまで急増。また、単身高齢者も増加傾向にある。
市は21年9月に制度の抜本改革と不正受給防止を掲げたプロジェクトチームを発足。生活保護受給者や制度の悪用を狙った「貧困ビジネス」などへの対策を強化しているが、受給率の増加に歯止めをかけるところまでにはいたっていない。
このため、市は政府に対し抜本的な制度改革を要求。昨年10月には保護費のほぼ半額を占める医療扶助の一部自己負担化などを盛り込んだ生活保護法改正案を取りまとめたほか、先駆的な取り組みを実施するため「生活保護特区」を申請する構えも見せている。
生活保護政策にかかる費用は国負担が原則だが、大阪市の負担分は年間約150億円にも上っており、平松邦夫市長は「国庫負担化を抜きにしては抜本改正はできない」と訴え、生活保護費の全額国庫負担化を求めている。
しかし、大阪市には1万人程の在日外国人が生活保護を受給している。だが、本来受給できるのは憲法上日本人だけである。
大阪市では中国人46人が入国直後に生活保護を申請した問題を受け、入国後3カ月以内に市に申請した外国人について、受給目的で入国したケースがないか調査すると発表した。不適正な支出が判明した場合、支給打ち切りを検討するとしている。
これで生きていけるのだろうか。
今から老後の事も考えなければならない。
もうバリバリに働くことはできない。しかし、70くらいまでなら
中学校ではなく、高校や特別支援で働くことが出来るかもしれない。
しかし、高校で教科を教えられるだろうか。
大学入試問題などいまさら現役の高校生に負けないで教えられるだろうか。
厳しいな、でも挑戦したい。
特別支援より高校の方がいい。私は特別支援は似合っていない。
だから、今から定年後を考えて、勉強しよう。
生きていかなくてはならないから。
それと不動産にて収入を得る手立てを考え始めた。
妻は教師ではない。だから年金は少ない。
妻1人では生きていける金額ではない。
私が先に死んだならどうするのだ。月8万でどのように生活するのだ。
妻に不動産所得が得られるようにしておかなくてはならない。
しかし、不思議なのは生活保護だ。月13万ももらっている人がいる。
病院代や住居費も出てだ。
どう考えたらよいのだ。支えてくれた妻にせめてもの生活できる費用を
捻出してやりたい。
14日、札幌でワゴン車が横転した事故で死傷した20代の男女5人は、お盆休みを利用した同窓会から帰る途中だったということです。
14日午前1時過ぎ、札幌市白石区の路上で20代の男女5人が乗ったワゴン車が横転し、大破しました。この事故で、ワゴン車に乗っていた札幌市白石区の高田愛さん(22)が死亡したほか、20代の男性4人が脳挫傷などの大けがをしました。
ワゴン車は、制限速度をオーバーして友人の軽自動車を追い越そうとした際、接触して横転したとみられています。
5人は中学時代の同級生で、事故の直前にカラオケ店で開かれていた同窓会に参加していました。警察はアルコール反応を調べるなどして、事故の原因を調べています。
同窓会で事故は悲しい。
同窓会は、タイムマシーンだ。場面も淡い香りもよみがえる。大切なひと時だからぜひ慎重に設定したい。特にアルコールといけない男女関係に注意しないとすべてを壊す。
同窓会といても色々ある。ワイワイ騒ぐ同窓会も若い時には面白いが、静かに人生を励ます同窓会は心にしみ、力を与えてくれる。
仲の良い友達だったものと飲むというのもある。クラスで会することもある。また、年1回全体で行う学校も多い。 自分が担任だったクラスが同窓会をした時、目立っていた生徒はやはり同窓会でも目立つ。しかし、私の心には、不登校だった子、いじめられていた子がその時よぎる。たいていそういう子は同窓会に来ない。
なぜ心によぎるのか、申し訳なかったという思いがあるからだ。できれば幸せに生活していてほしいという思いが募るからだ。
自分の出身校の同窓会には目立った明るい子も目立たない弱い立場だった子も来てほしい。できれば弱い立場だった人と話をしたい。昔、嫌な言葉をかけた人に笑顔で話をし、こんどはその人の笑顔を見たい。
施設の子の奨学金について書かれたブログを拾ってみた。下の2つがそうだ。
どちらも当然と思うことだが、この政治混乱のさなか、東北の災害復興もままならないのに施設の子らの奨学金なんて話題にも上らないのだろうこの国は。
だったら、なんとかまず民間でやらねばならないのではないか。
2つのブログより抜粋
タイガーマスク現象の影響か、匿名の寄付が続いている。土曜日に私宛に差出人のない封書が届いた。中にワープロで打った文書と5万円が入っていた。さらに某幼稚園で講演をしたらそれを聞いた保護者がメールで寄付を申し込んできた。匿名ではないが、関西のほうの方からお米が届いた。有難い限りである。それに今朝新聞を見たら最低基準が見直されるらしい。
一方で、高3の女児の大学進学について、多方面に支援を呼びかけていこう思っていた矢先、こんなことばを聞いた。「不景気の時代、普通の家庭だって進学を諦める子がいるのに、どうして施設の子を大学に進学させなくてはいけないの。家が大変で施設に入っていたのだから進学なんかより働かなくてはならないんじゃないの」と。こうした考え方は一般論として非常に根強いのかもしれない。これこそ劣等処遇の考え方なのだが。
私はこう思う。子どもたちがどんな環境に生まれ育ったかによって、自分の意志とは関係なしに進学を断念しなければならないとしたら、そんな社会であっていいのだろうか。貧困家庭に育つこと、施設で育つことは、決してその子の責任ではない。選択不能の環境のせいで、自身の夢をあきらめなくてはならないとしたら、格差社会はさらに顕著なものとなろう。そんな日本であることを容認していいのだろうか。
日本国憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とある。出生や門地にかかわらず人は個人として尊重されなければならないし、誰にでも幸福を追求する権利があるのである。
私は、いくつかの大学で教鞭をとっているが、文章もろくに書けない学生、勉強する気の全くない学生に出くわすたびに、「こんな子を大学にやるために親は必死に働いて学費を納めているのか」と思ってしまう。高卒後の進学が当たり前となりつつある現代、「せめて大学までは」という親心なのであろう。
私には「せめて大学までは」という親心はない。大学で学ぶ意志も能力もない子の進学を支援しようとは思わない。しかし、夢をもち大学で学ぶことでその夢に近づくことができ、また学ぶだけの能力を有する子であるなら、さらには、そうすることで社会にとって有益な人材に育つことができるのであるなら、その進学を支援したいのである。
「貧困で大学に行けない子もいる」、本当にそうだろうか。大学に行かない理由が経済的なことであるなら、それは言い訳に過ぎない。私は高3の時に家計が破たんした。一つ上の姉が浪人中で、私の大学進学はどうなるのだろうと思ったが、進学しないという選択肢はなかった。結果的には、新聞奨学生となり新聞専売店に住み込んで学生生活を送る道を選択した。親から金銭的な支援を受けることなく4年間で無事大学を卒業した(ただし働いてばかりいたので失ったものも多いが)。言えることは、経済的な理由が進学できない理由にはならないということ。
私にもできたのだからと、施設の子どもたちに同様のことを求めるのかといえば、否である。なぜなら実子にそれを求めないからだ。私には大学1年、高校3年、中学3年の3人の子がいる。彼らが進学を望みまたそれに値する能力があるのなら、3人とも親が全面的に大学進学を支援したいと思っている。実子には大学を終えてからも様々な支援をしていかなくてはならないとも思っている。私は実子の保護者であると同時に、施設に入所する子の保護者でもある。実子に求めないものを施設の子には求めるという自己矛盾に耐えられそうにないし、私はそんな冷徹な人間にはなれそうにない。施設の子にしてやれることには限りがある。30歳になって支援を求められてもできないことはできない。でも大学を卒業するまでの支援ぐらいならしてやりたいと思う。
私とともに養徳園に入所した弟は脳外科医であるが、医学部で学ぶための費用は先代の施設長が全面的に支援した。稀有な能力を埋もれさせてはならないという思いだったのであろう。その後継者たる私はその意志を引き継ぎ、もっと幅広く進学を支援したいと思う。ただ、私は微力だから、多くの方々に助けてもらわなければならない。
自分ではどうすることもできないことで、夢を諦めなくてはならないとしたら、それはその子だけの問題では終わらない。先輩が夢を諦めていく姿をみた後輩は夢をもつことすらできなくなってしまうのだ。心は荒むばかりだ。大人は子どもに「夢をもて」というのに・・・。
施設の子を大学に進学させることは、世間にはびこる劣等処遇の思想との戦いでもあるのだと考えさせられた。タイガーマスク現象が広がる今、劣等処遇について考える契機になればと思う。だからこそ、この現象を一過性のものとして終わらせてはならないのだ。
今春、児童養護施設から大学に進学した女性(18)が、日本学生支援機構の奨学金を借りられずに困っているという。
保護者からの虐待により施設へ入った経緯があり、民法で定められている、「奨学金を借りるための親の同意」が得られないためだ。学費は慈善団体の支援でまかない、アルバイトと奨学金で生活費にあてる見込みだった。
こういうニュースを読むと、本当に、考えさせられる。かなりの数の外国人留学生に対して、日本は授業料はもちろん負担させず、教科書代と生活費に十分余裕のあるだけの国費を、返還義務を課さずして湯水のごとく注いでいるというのに。日本人への国からの救済策というのは、ないんだね。
私の学生時代、日本の国費を得る留学生たちは本当にリッチだった。(母国での家庭環境も豊かな人が多く、30を過ぎてなお、外遊がてらフラフラしていられるだけの余裕がある家の出身であることも)
中国や韓国、インドネシアや台湾からの留学生はとても勤勉な印象だった。しかし、お国柄があるのか、どこぞの国からの留学生たちは、毎晩、クラブ(踊りの方)通い。学内では、その夜デートに誘う女の子を探し歩いて、ナンパばかり繰り返していた。
私はそのうち一人に、3年に渡ってしつこく追い回された挙句、彼が日本からの奨学金を得ながら高価なアクセサリーを贈ろうとさえするのに頭にきて「あなたは日本へ勉強しに来たのか、それとも女の子のハンティングにきたのか?」と尋ねたことがある。
訛りの強い英語で、何か尋ねている風に男性器を示す隠語を繰り返し、何も知らない日本人女子学生にリピートさせては大喜びしているような、呆れるほど軽薄でバカな男だった。
大学やその関係施設に、国家キャリアの天下り先が幾つもあるために、このようなことが起こっていると思われる。外国人留学生の頭数が多いほど、彼らが納めるはずの授業料は、日本の税金から支払われ、大学側は潤うことになる。日本人の貧困層のための政策よりは、その内実の国民に見えにくい留学生らへ。また、外交や慈善、国際支援の観点に絡めれば、より一層、通しやすい。
マザーテレサは、言った。「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」と。
もっともな言葉であるが、外国人留学生への奨学金に関しては、私はこう答えたい。
「彼らが助けたいのは、自らの財布のみ。彼らにとって、苦しんでいるのが外国人であろうが日本人であろうがどちらでもよく、重要なのは金にするのにどちらが簡単であるかだから、偽善より悪く、もう救いがないのだ」と。
私の子どは今春中堅の私立大学を卒業して、公務員として勤務している。奨学金は240万借りており、返済は利子込みで300万になる。バカにならないが、経済的に安定された生活はとりあえず約束されている。
つまり、奨学金を借りてでも大学を卒業すれば、努力すればだれでも将来生きる道は開かれている。それは施設の子にも同様に…のはずだが、この国ではそうではないらしい。
政治家よあなたはなぜ政治家になったのだ。何のために生まれてきたのだ。思い出してほしい。この悲しい現実を見て、何とかするために政治家になったのではないのか。
まず、我々で出来ることを始めよう。そう決意した。
送別会は送る側も送られる側も今までの苦労や絆を思い出し、時には涙して語り合う。
歓迎会は新しい人と向き合ってじっくりと酒を味わうことが出来、新しい人も「自分は歓迎されているのだ」とこれからの不安がしだいに消えていく。
歓送迎会は新しい人にとって、歓迎されているという感覚より緊張感の方が強い。酒もいやーな味が残る。みんなの眼差しは送られる方の偉大な功績に向けられることが多いからだ。
さらに、出ていく人と残った人の親しく楽しい会話は咲きやすいが、新しい人はそのような会話を聞いて、いや聞かされてそこに適当な居場所を見つけて存在しなければならない苦労がある。新しい人にとって、その時はかなり苦痛だ。つまり、4月より緊張してきたのに、さらにここでも緊張が増すのだ。ましてや出て行った先輩方の前では遠慮が生じて自分を出せない。
歓送迎会は歓迎と送迎を一緒に済まそうとする暴挙と感じる。
すでに新体制もほんとんど決まっている。あとは細部の細かい役割だけだ。学級担任も3月末で決まっている学校もあれば、4月に入って学年で顔を合わせてから決めるところもある。
生徒も教師を選べないが、教師も生徒をあまり選べない事実がある。
いよいよ4月から私もすべてを一新してボロボロになった体をいたわり前に進まなくてはならない。プレッシャーはないが、若い時のように体は前向きになってはくれない。
とはいうものの4月、新たな生徒の顔を見るとあわただしさの中でやるしかないという環境に、疲れを感じる暇なく進んでいく。
これを跳ね返すのがさらに教師の言葉だ。「誰に言うてんねん!」そこには譲らない信念が見える。だが、最近はそれも時代遅れだ。よしよしとすかす場面が多い。なぜならそこでケンカしても最後に「教師がそんな言葉使ってええのか」とやり込められるからだ。情けない。それならはじめからていねいな言葉で対応するしかない。
中学校教員は常にこのストレスと背中合わせだ。だから、中学校教員の心は荒れている。そして疲れている。
学校での教師に対する評価は、いかに生徒に言うことを聞かせられるかというところに重きがある。
保護者も生徒も周りの教師もそこをよく見ている。
新任の時、ベテラン教師から「笑わないで暗く接することがコツ」と言われたことがある。たしかに生徒はなれなれしくしないだろう。厳しく見えるかもしれない。だが、本当にこれでよいのか疑問に思う時もあった。
力や権力で圧すれば騒いでいる生徒を静かにさせられる。逆に優しい先生はなめられている。しかし、人間に優しさはいらないのか。
力で押さえて育てた子供たちはやがて「人間は力と権力がすべてだ」と錯覚して卒業しないだろうか。学校では問題を起こさずよかったが、その後、本当に他に役に立つ人として育つのだろうか。
人権教育を掲げながら、実際は権力や力で押さえる場面が多い。それは中学校の宿命のような気もする。
だが、やはり人間教育だ。優しさ、人間の尊厳を深く知って卒業してほしい。力で抑えるのではなく良心に訴える。それに挑戦し続けるのか我々だ。
サムスン電子の株価は50倍、ソニーは半分に
この数字は韓国サムスン電子の株価推移である。一方、同時期のソニーの株価は、4400円から、2561円と半分近くに減ってしまった。
現在の株式価値は、サムスン電子が約8兆円、ソニーが約3兆円。手元資金が4兆円程度あるアップルがソニーを買収するのではないかとの見方が市場を駆け回っているのは、あながち噂だけではないのではないだろうか。
一方で、ソニーを目指し、そしてあっという間に抜き去ったサムスン電子はさらなる成長をうかがっている。
この差はどこから来たのであろうか?
1つの要因は、韓国の教育が生んだ競争力の高い労働力と、それを使いこなす経営陣・企業文化にあることは明らかだ。
中国当局を支持しノーベル賞委員会に抗議するノルウェー在住の中国人によるデモも計画されており、中国人同士によるデモ対決となっている。 在ノルウェー中国大使館前のデモは、米国在住の民主活動家、楊建利氏が呼びかけた。
デモには牧野聖修衆院議員(民主党)も参加、「日本は中国の民主化問題について隣国としてもっと関わるべきだ」と述べた。 一方、ノルウェー在住の中国人によるデモは授賞式当日の10日午後に予定されており、「ノーベル賞委員会の中国に対する内政干渉」などを抗議することが目的としている。 同デモの主催者はメディアに対し「あくまで自発的な行動」と主張し、中国による官製デモとの見方を否定している。
しかし、国際人権団体によると、中国の外交官らは10月ごろから、在ノルウェーの中国人団体などを訪ねて「内政干渉抗議デモ」への参加を繰り返し要請、参加しない人に対し、「深刻な結果を招く」などと警告したという。
少し込んでいたが、その人たちの弾む声は周りに響いていた。耳に入ってくるのは、進路の事、「来年あの学年はいろいろな意味でしんどいで」と他学年の事、そして自分たちの子供のことだ。自分たちの子供の事を語っている時は生き生きと話している。どこの国立大学に入ったとか、芸術の道に進んでいるとか幸せそうに話していた。
教師は恵まれているなと痛感する。なぜなら大学に行かせる給与が出るし、子供を扱っている関係で、どのように勉強させれば人生で安全な道を進ませることができるかを知っているからだ。その極端な例が、大分の教員不正採用事件だ。
さて、しばらくすると、その5人が降りた。今度は若い女性2人が横に座った。センスの良いOLと思った。しかし、しばらくすると耳を疑った。理科を教える難しさの話をしている。次にあの生徒は…だ、と生徒の批評をしだした。最後にはあいつ呼ばわりで生徒の事を突きだした。正直、嫌な思いがした。センスの良いOLと出会ったと思いきや一瞬にして現場の女鬼を見た思いがしたからだ。
自分は教師だが、他の教師の姿を見るのは嫌だ。自分の嫌な姿を鏡映しに見ているからだろう。
朝鮮学校で使われている教科書 文科省の内部資料によると、日本の小中学校に当たる朝鮮学校の初中級学校、高校に当たる高級学校側へ支出された補助金額は平成21年度に27都道府県で計7億6666万円にのぼる。うち都道府県の直接支出が計5億4973万円で、市区町村レベルの支出も2億1693万円にのぼった。
最も金額が大きいのは大阪府で1億8511万円。次いで兵庫県で1億3956万円。同県では、市区町村レベルでも別に4860万円を計上している。 産経新聞社が補助金を出している27都道府県の担当者に聞き取り調査をしたところ、北朝鮮の独裁政治を支えるような思想教育や反日教育などが行われていないか授業実態や教科書の内容を詳しくチェックした上で、補助金を支出している自治体はなかった。 都道府県には学校教育法などに基づき朝鮮学校の設置認可や監督権限があるが、教育内容にはほとんど考慮せずに莫(ばく)大(だい)な公費を投入していたことになる。うち、10都道府県には高級学校があり、授業料無償化が適用された場合は、さらにノーチェックのまま税金が投入される可能性が高い。 法令上、朝鮮学校など私立各種学校の認可で詳しい教育内容は問題とされない。このため、チェックなしで補助金を出している自治体は、その理由として、「認可に教育内容は関係ない」「ほかの各種学校や外国人学校にもチェックせずに補助金を支出している」などと説明している。
しかし、補助金は認可とは別の行政判断で行われる政策だ。すでに東京都の石原慎太郎知事も補助金の見直しに言及し、大阪府では橋下徹知事が補助金支出の条件として朝鮮学校側に対し、教育内容の変更を要求した。橋下知事は「北朝鮮との関連性や権力崇拝を行っている学校が認可に値するのか」と、認可自体の再検討にも言及している。
やがて、朝鮮学校へ右へならえの学校、教育機関が出てくるだろう。つまり日本の教育の指導要領や憲法はどうでもよく、無視していても金はもらえる学校ということだ。
日本と言う国の信条は何か?人は大切だが、自国を脅かす思想、信条を持つ団体までも大切にするお人よしは日本だけだろう。それなら、北朝鮮や韓国が行っている反日行為にたいしても厳しく日本は介入すべきだ。日本はお人よしで、日本人はいつまでたっても主義主張をせず、正しい主張を殺していていいのか。
日本を守るのが政府ではないのか。
自国民を守らずして政府と言えるのか。
このような文科省に任せて日本の未来はあるのか。
朝鮮学校に高校授業料無償化を適用するか検討している文部科学省が、北朝鮮による独裁政治の思想教育や歴史教育は適用の判断材料としていないことが9日、分かった。産経新聞の取材に、文科省初等中等教育局が認めた。反日教育を行い、北朝鮮の意向を反映させた運営をしている朝鮮学校の授業料を国費で無償化することへの不満が相次ぐ中、文科省の姿勢に批判が集まることは必至だ。
朝鮮学校の適用について検討している文科省初等中等教育局の説明によると、数学や理科、国語といった日本の高校と同じカリキュラムが、朝鮮学校にも外形的にそろっているかが主な検討材料となっており、教科書の内容などについては判断材料にはなっていないという。
朝鮮学校では、歴史教科書で、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件を「南朝鮮(韓国)当局のでっちあげ」と教え、主体(チュチェ)思想など独裁政治に利用される思想教育が行われているが、こうした点は問題にしていないことになる。
思想教育や、北朝鮮の指示を受け在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と一体で行われている学校運営などの問題点については、高校無償化法案の国会審議の際にも指摘されたが、川端達夫文科相はこれまで、「事実関係を把握していない」「都道府県の認可でやられている学校で、調べる立場でもない」「無償化に関してその中身をどうこうするとは考えていない」などと答弁してきた。
文科省関係者によると、この答弁は、「朝鮮学校の詳しい教育内容や運営体制を適用の判断材料とすべきではない」という見解を示したことになり、同省としても、大臣の答弁と矛盾した行為を行えない状態になっているという。
朝鮮学校は学校教育法上の私立の「各種学校」。教育内容や学校運営については都道府県に監督権限があるため、答弁もこうした法制度をふまえたとみられるが、省内からも「北朝鮮支配を無視していいのか」という批判や異論が出ている。
朝鮮学校の無償化については現在、川端文科相が諮問した専門家会議でその是非を検討しているが、川端文科相は会議設置以前から思想教育や歴史教育の内容は判断材料にしない趣旨の答弁をしており、「結論ありきだ」として、会議の存在自体の意味を否定する声も出ている。
■北朝鮮問題に詳しいジャーナリストの萩原遼氏の話
「朝鮮学校では、カリキュラムで『歴史』などとしながら思想教育を行うなど、何をしているか分からない。カリキュラムを見ただけでは不十分。いくらでも改竄(かいざん)が可能だ。国が公費を投じるならば、ほかの高校と同じように、学習指導要領に基づいた教育が行われることを条件とすべきだ。文科省と専門家会議が、きちんと内容を確認しないとすれば、おかしい」