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 破廉恥行為で教員が捕まっている事件も多いが、京都市、大阪市などは市の職員が覚せい剤に手を染めた事件も多い。だが、一旦免職になっても数年後にまた、市に採用されている例もあるのだから恐れ入る。
 しかし、公務員もこうも不祥事が続くと、一般市民も怒りがおさまらない。税金返せと叫ばれても仕方がない。まあ、不祥事までもいかないが、仕事をしているのかしていないのかわからない公務員は多い。

一般企業では通用しない仕事ぶりという意味だ。




新聞等によると

 大阪市は09年11月11日、覚醒(かくせい)剤の「運び屋」を務めていたとして覚せい剤取締法違反(営利目的所持)の罪で起訴された市環境局城北環境事業センター職員、元山健次被告(44)を懲戒免職処分とした。今年度に入り同法違反で市職員4人が摘発されており、懲戒免職となったのは3人目。

 電車内で女子高校生の胸を触ったとして、大阪府警東淀川署は2日、府迷惑防止条例違反の疑いで、大阪市立視覚特別支援学校の教員、尾崎淳一容疑者(45)=神戸市須磨区南落合=を逮捕したと発表した。

 逮捕容疑は、1日午前7時35分ごろ、大阪市淀川区の阪急京都線十三駅に停車中の快速急行電車内で、10代の女子高校生の胸を触ったとしている。次の停車駅で、女子高校生が友人2人と尾崎容疑者を呼び止めて取り押さえ、東淀川署員に引き渡した。

 東淀川署によると、尾崎容疑者は視覚障害があり障害者手帳を所持。当初は「目に障害があるので、手が当たったが、故意ではない」と供述していたが、「触った」と容疑を認めているという。


                                                           


 京都市の発表によれば、2003年から2006年までの間に、不祥事で懲戒処分を受けた職員は京都市全体で70人にのぼり、そのうち39人までが環境局の職員であったという。

中には、環境局職員である姉妹が揃って覚醒剤で逮捕されたケースもあった。

不祥事職員の再雇用

また、新聞報道により、一度不祥事で懲戒免職になった職員が再採用されている実態も明らかになった。

例えば、1988年に交通事故の保険金詐欺事件で懲戒免職になった職員は5年後に、タクシーの運転手への恐喝事件で1984年に分限免職となった職員は9年後にそれぞれ再雇用された。

また1983年に覚せい剤取締法違反と銃刀法違反事件に関与した職員は分限免職となったが、17年後に再雇用された。

                                                          
 公務員を減らせという意見もあるが、当然だ。まじめに働いていないどころか、待遇がよく、税金をふんだくっているからだ。

 なぜ、いい加減な職員に正当な額面以上の税金を投入するのか、しかも、組織ぐるみでだ。なぜ、自浄作用が働かないのか、発覚が遅いのか、それには訳がある

 つまり、正当な考えを隅に追いやる人々はあまり言いたがらない闇の大きな力が存在するからだ。

 実はその力は当然教育界にも及んでいることは誰もが知っている。特に大阪市、京都市だ。しかし、最近このように暴露され、正常になりつつあるのも事実だ。表面上はだが。
 


大阪市は正当な退職金のほかに別のヤミ退職金を公務員に支払っ

ていた。

大阪市は確定給付型年金を使ってヤミ退職金を作り出していた。

その元手は市民の税金である。

市民は公務員に2重に退職金を支払っていたことになる。

公務員はよくもここまで市民をばかにしたものだ。


大阪市が、職員を退職一時金や年金支払い制度のある生命保険会社の確定給付型年金に加入させ、掛け金として11年間に約304億円を公費負担していたことが19日、分かった。


市職員には勤続35年で約3000万円の退職手当や共済年金が支給されるが、これとは別の「ヤミ退職金・年金」が支払われていた。
市は「市民に理解されるとは思えず、見直す」としている。

あたりまえや。これって理解される・されへんの問題なのか?泥棒やないか!!!!

 市総務局によると、同市では1993年度から、職員の福利厚生事業を行っている4つの互助組合で作る「大阪市互助組合連合会」を通じ、大手生保会社と契約。

教員を除く職員約4万6000人が給料の0・6%を掛け金として支払い、不足分を市が補てんしてきた。


 昨年度は掛け金37億9000万円のうち、職員が11億4000万円、市が人件費名目で26億5000万円を負担、退職者に計44億円が支給された。


 受給額は、月給約49万円で60歳で定年退職する標準的な職員の場合、退職一時金が約60万円、向こう10年間の給付金が計約324万円となる。


 同市にはかつて条例で定めた「特別退職一時金」制度があり、給料の1・5%を積み立てたものに市の交付金を加え、退職金と別に支給していた。


しかし、自治省(現総務省)から退職金総額を国家公務員並みに引き下げるよう指導されて段階的に減額。


92年度に全廃後、市互助組合連合会を作り、生保会社と契約する形にして存続させたという。


 ヤミ退職金については、大阪府職員互助会が、本人積立金の最高2・9倍の退会給付金を支給していたことが97年に発覚。
府は現在、積立金への補助金充当を廃止している。



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今日はホントに面白いことを聞いた。でもこれを書くと、特定されるので言えないが、時期をずらして書き込みたい。

まあ、世の中、本当の事を言えば、周りから攻撃されたり、おかしいことをおかしいと言えば、仲間外れにされたりすることも多々ある。それは子どもの世界にもある。いじめや、ちくりなどという言葉で代表されるものだ。しかし、教員や公務員たちの世界にも激しく存在している



縮図だ。

本当の事を話したり、やろうとすれば、キング牧師やガンジー、キリストさんのように暗殺もされるのだ。日本の政治家もそれでなくなっている人もいる。

さあ、あと少しで夏休みだ。成績処理がんばろう。

 

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まさに首相ごっこのようだ。ころころと首相が変わる。日本の政治の目的は国民のためではなく、選挙のためだと言える。

あの舛添要一氏も自民党を離脱して新党を旗揚げしたが、どうも目的が納得いかない。氏は「打倒小沢」これを第一目標にしている。しかし、小沢さんが辞めた今、何を次の目標にするのだろうか。あるいは、まだ小沢は死んでいないと見て、徹底的に小沢さんを死ぬまでやるのか。それが、どう国民のためになるのか疑問だ。

小沢さんをとかではなく、日本をどうしたいのかだ。国民に日本の進むべき道を示し、道を切り開いていくのが政治家だ。要一氏よ、志が小さいのではないか。


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この記事、今の日本のマスコミの姿を言い当ててますね。すごい!


2010.05.31 普天間基地問題、前向き思考のできない日本人
政府、野党、知事会、マスコミ、国民、皆ひどい

早房長治 ((地球市民ジャーナリスト工房代表)

鳩山由紀夫内閣は28日、普天間問題処理の政府方針を閣議決定したが、基地移転先である沖縄・名護市、訓練移転先の徳之島の了解が両方とも取れていないのであるから、ナンセンスの方針というほかない。その上、首相が閣僚である福島瑞穂・社民党党首を罷免したことによって、社民党が連立政権から離脱する可能性も出てきた。

この事態の最大原因は鳩山内閣の大失政である。「最低でも県外移転」の失言から始まって、名護市長選前の決着を先の延ばししたこと、何よりも「5月末決着」を打ち出したことなど、あきれるほどの失敗の連続。鳩山内閣は責任を取って総辞職すべきである。

しかし、最大の問題は、普天間問題は鳩山内閣が退陣しても解決しないことである。野党もマスコミも政府の失態を批判するが、前向きの解決策はまったく提示していない。自民党は自公政権がつくった案に戻せと主張するが、名護市長が賛成派から反対派に変わった今日、この主張は解決策とはならない。マスコミに至っては何の解決案も示していないのであるから、無責任極まりない。

27日開かれた全国知事会における石原・東京都知事をはじめとする知事たちの態度にもあきれた。政府の失政を批判するのは結構である。しかし、その後に、沖縄の負担軽減のために己の自治体は何をやるといわなくてはおかしいのではないか。まともな発言をしたのは橋下・大阪府知事だけである。欠席した18人の知事はもちろん、出席した残りの知事も「安全保障の負担は沖縄にさせて、自分たちはただ乗りすればいい。それが知事としての自らの安泰の道でもある」と考えているのであろう。無責任極まりない。

社民党の態度にもあきれる。「国外・県外移設」は昨年の衆院選の時から同党が主張してきたことであるから辺野古移設への回帰に反対するのは当然であろう。しかし、あくまで反対なら連立政権から離脱するのが筋である。離脱を望まないなら、何らかの妥協をするのが“大人の政党”のなすべきことである。政権党でありながら、野党と同様な行動をすることは許されない。福島瑞穂・党首は「沖縄は社民党の命」と発言したが、本心は「沖縄の票は命」ではないのか。

マスコミの無責任さは80年代以来のことであるから,いまさらの感が拭えないが、それにしてもひどすぎる。マスコミが権力者を批判するのは当然である。鳩山内閣の退陣を要求してもいいのである。だが、批判する場合は、それなりの対案を提示しなければならない。朝日、読売、毎日、日経の主要新聞がどれも普天間問題についての対案のカケラも掲載していないのは何とも悲しい。

民間テレビはお笑い芸人が集まって鳩山内閣の失態を面白おかしくやり玉に挙げている。こんなテレビの、こんなやり方が、世の中の役に立つとはとても思えない。他の先進国には見られないマスコミの姿である。

無責任な政治と前向き思考のできないマスコミの被害者は一般国民である。しかし、よく考えてみると、このような政治家を選び、興味本位に走るマスコミを面白がって受け入れているのは国民自身である。私たち国民自身が前向き思考に変わることが政治やマスコミを正常化する原動力となる。

民主党は鳩山内閣に代わって新しい内閣を発足させた上で、2~3年かけて安全保障政策を根本から再構築し、その上で日米安保条約の改定を提起すべきである。そのような過程を経なければ、沖縄の基地問題は解決の糸口さえつかめない。当面は、普天間基地は辺野古に移設するしか方法はないであろう。それも不可能なら、普天間基地の存続しかない。

                  (5月29日記す)

 

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この2週間ほど、大変忙しかった。

ようやく新年度の準備が、80パーセントほど出来た。後は新年度になってからの勝負だ。

春と言うのに、霰(あられ)か氷(ひょう)かどちらか知らないが、ぱらぱらと降っている。

異次元の世界に誘うように降り続けている。


新年度への不安はある。そういえば、教え子から手紙が来ていた。

4月より、新採で小学校に赴任するという。この人に教えられるなら、いいだろうな。

すがすがしい生徒だった。 今、彼女はどんな心境だろう。やはり不安か。それとも期待で胸いっぱいか。


最近、新任の若い先生を見ると、うらやましくなる。若さでみなぎっているからだ。その陰に希望が見えるからだ。

私は新任の先生からどう見られているのだろうか。それを考えると…、いや、それは考えまい。

この歳になると、いろいろ思い出す時がある。例えば、以前に赴任した学校の校長室の扉を見ても、「おれはこの学校ですごいことをしてきたなぁ」と魂の奥からうなずく時がある。 また、川のそばの料亭を通ると、「ああ、ここで体育大会の打ち上げをした」と、その時のあの人の顔が浮かび、以前にも増して感謝の思いが深まる。

不思議だ。当時は、たわいもないことだったり、ただひたすらやっていたことが、今、すごく大きなことに感じる。

さて、新年度はもうすぐだ。まずは、構えからだ。






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 最近の採用試験は指導要領などから出題されている。専門教養の試験にも出てくる。もちろん面接試験にも出てくる。
 しかし、指導要領を丸暗記し採用された教師たちが直面するのは、指導要領無視の教育現場である。管理職さえもそれは放任している現実がある。
 都道府県の委員会が指導要領を出題するのなら、現場への指導を徹底すべきだ。なぜなら、指導要領を無視した職員たちによって新任教師は育てられ、それが当たり前のように身に付いていくからだ。
 新任研修をやるのもいいが、それを生かせるような職場環境を作るべきだ。

詳しく書くと特定されるので書けないのが残念だ。

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早稲田大学の油布佐和子教授らの研究グループ「教職の専門性と教師文化に関する研究会(PACT)」の調査によると、校長の権限強化や教育評価制度の導入など学校現場の制度改革が進む中、組織に適合することでやりがいを感じる教師が増加しているという。油布教授は「考え、行動する教師」の育成が重要だと指摘する。…
 
これは1月25日の日本経済新聞に掲載されたものであるが、要約したものが以下である。
 
本調査は教育改革が始まる以前の95年、改革幕開けの時期である99年、制度改革が一応の決着を見た現在を比較することで、一連の教育改革が教職と教師の仕事にどのような変革をもたらしたのかを明らかにした。
調査からは、この15年間で「組織としての学校」への転換と、教師の側のそれへの積極的な適応という傾向が明らかになった。
 
つまり、学校は鍋ぶた組織型から、校長の権限の拡大や組織マネジメントの考え方を導入することが求められてきた結果。「学校目標は、伝統的に決まっている」という学校はこの15年間で減少した(小学校45.5%→20.8%、中学校45.5%→35.0%)。「職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する」学校は増加した(小学校40.0%→58.4%、中学校60.6%→81.8%)。運営も学校目標や経営方針を論じるのではなく、行事計画の打ち合わせに重点が置かれるようになった。
 
また、「毎日が忙しい」という項目に「あてはまる」「ややあてはまる」と回答する教師が、3時点のいずれでも95%以上になった。「慢性的に疲れを感じる」教師も85%前後存在し、教師の仕事負担感は15年間改善させることなく続いていることが明らかになった。
 
しかし、興味深いことは「教師になってよかった」と思う教師が微増し(小学校85.7%→89.3%→93.5%、中学校84.7%→85.7%→90.7%)、「やりがいがある」と回答する教師も、09年調査では95%を超え、過去の2時点を上回ったことである。
 
「やりがいがある」と回答する教師には、ある一定の傾向を見出すことができた。彼らは「子供の人格のあらゆる側面にかかわる」ことや「生徒に自分の体験談や人生観を話す」ことは少なく、「学級作り」といった側面にも大きな関心を払わないが、学校の役割は学力向上にあると強く認識しているのである。
 

ここで私見を述べる。

  彼らが、学校の役割を下線部のように認識し続けるならば、一時的に「やりがい」を得ても、自己矛盾の壁に突き当たる。
   
    ここに一冊の高等学校野球部の部員向け冊子がある。この高校は以前甲子園に出た県の強豪だ。最初の1ページ目には部の目的が記してある。「甲子園出場」ではなかった。「人格形成」と記してあるだけだ。次のページに初めて目標の一つに「甲子園」と出てくる。いかに甲子園に出た部でも、目的は人を育てることである。

  我々教員は人を育むために存在している。人を育むとは人の心を育むことである。その基礎の上に立って初めて学力伸長だ。教師も生徒も、喜びや悲しみを感じる自己の心を差し置いて、基礎学力何%向上などが目的なっている教育活動には矛盾を感じる時が来る。
 
   
要約の続き…


   同僚関係も変化してきた。「同僚と学校を離れてもインフォーマルに付き合う」といった「日常的な交流」や、「同僚と教育観や教育方針について話し合う」といった教師同士の「実践的交流」は減少し、互いの授業を見たり、指導に意見を述べたりするような「組織成員としての交流」に変化した。
 
教職の改革は今世紀に入って急速に進み、教員評価制度の導入や、指導が不適切な教員への人事管理システムの導入など、教職の養成・採用・研修のあらゆる側面に及んだ。さらに、職員会議の法的根拠の明確化、主幹教諭の配置など、学校組織運営体制が再編され、教師の日常的教育活動を規定する領域が大きく変容した。調査結果はこうした改革が学校現場や教師の仕事に浸透していることを示している。
 
学校が目的を絞り短期的なアウトプットを目指して編成された組織に変わることで、教師は、指導効果の表れの「不確定さ」からくる不安から免れるようになった。
 
しかし、これは手放しに歓迎できない。つまり、判断や決定を組織の上位に委ね、自ら教育の在り方を構想できない末端技術者としての教師の増加を意味しているからである。
 
子供の実態に向き合あっている教師同士が、互いに状況を共有し議論を重ね、社会・時代の変化に敏感でありつつ、広い意味での文化伝達の役割を担うということが必要であり、そのために「考え、行動する教師」の育成と学校現場での条件整備が求められる。
 
以上
 
さすがにしっかり調査を行いデータから実相を分析していると評価できる。次のデータとの検証を願いたい。
 
 うつ病などの精神性疾患で2008年度に休職した全国の公立学校教員は、前年度より405人増え、5000人を超えたことが25日、文部科学省のまとめで分かった。
 心の病などによる休職者は16年連続増で、1979年度に調査が始まってから過去最悪となった。
 調査対象は公立の小中高校などの教員91万5945人で、8578人が病気で休職していた。このうち、精神疾患が理由の休職は5400人で、病気休職の6割を占めた。03年度から4年連続で2ケタのパーセンテージだった伸び率は鈍化傾向にあるが、それでも数百人規模で増えていることに同省は危機感を強めている。昨年10月に同省がまとめた抽出調査では、うつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍に上っていた。
 

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  早稲田大学の油布佐和子教授らの研究グループ「教職の専門性と教師文化に関する研究会(PACT)」の調査によると、校長の権限強化や教育評価制度の導入など学校現場の制度改革が進む中、組織に適合することでやりがいを感じる教師が増加しているという。油布教授は「考え、行動する教師」の育成が重要だと指摘する。…
 
  これは1月25日の日本経済新聞に掲載されたものであるが、要約したものが以下である。
 
  本調査は教育改革が始まる以前の95年、改革幕開けの時期である99年、制度改革が一応の決着を見た現在を比較することで、一連の教育改革が教職と教師の仕事にどのような変革をもたらしたのかを明らかにした。調査からは、この15年間で「組織としての学校」への転換と、教師の側のそれへの積極的な適応という傾向が明らかになった。
 
 つまり、学校は鍋ぶた組織型から、校長の権限の拡大や組織マネジメントの考え方を導入することが求められてきた結果。「学校目標は、伝統的に決まっている」という学校はこの15年間で減少した(小学校45.5%→20.8%、中学校45.5%→35.0%)。「職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する」学校は増加した(小学校40.0%→58.4%、中学校60.6%→81.8%)。運営も学校目標や経営方針を論じるのではなく、行事計画の打ち合わせに重点が置かれるようになった。また、「毎日が忙しい」という項目に「あてはまる」「ややあてはまる」と回答する教師が、3時点のいずれでも95%以上になった。「慢性的に疲れを感じる」教師も85%前後存在し、教師の仕事負担感は15年間改善させることなく続いていることが明らかになった。 
  
  しかし、興味深いことは「教師になってよかった」と思う教師が微増し(小学校85.7%→89.3%→93.5%、中学校84.7%→85.7%→90.7%)、「やりがいがある」と回答する教師も、09年調査では95%を超え、過去の2時点を上回ったことである。 「やりがいがある」と回答する教師には、ある一定の傾向を見出すことができた。

  彼らは「子供の人格のあらゆる側面にかかわる」ことや「生徒に自分の体験談や人生観を話す」ことは少なく、「学級作り」といった側面にも大きな関心を払わないが、学校の役割は学力向上にあると強く認識しているのである。

 
まだ要約は続くが、長いのでここで時間を頂くとする。しかし、下線部のような認識の教師が増えると学校も何か学力の商業化してきたかなという感がある。教師としてのやりがいは今も感じているが、面白くない職場になってきたと痛感している。まあ論は後ほどとし、あすのために休養をとる。

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確かに、教員の出勤時の服装を見ると、どこのおっちゃんか、兄ちゃんかという感じに思う。ただ、管理職はネクタイでの出勤だ。それでも、校内に入ると管理職も作業服になっている時もある。中学校では進路を担当する先生はネクタイ姿が多い。対外的な面もあるのだろう。

私は出勤時の服装はネクタイはせずともジーパンやジャージはやめている。なぜなら保護者が見たら、やはり「何をしに学校に来ているのか」と思われても仕方がない服装だからだ。

ただし、特別支援学校などは校内ではジャージは当然だと思う。さらに小学校もジャージでもよいかと思う。中、高になるとさすがそれなりの服装で授業をすべきと思うがいかがなものか。

下の記事を読んで少し考えたい。

- 2009.10.09 11:01

  •  

大阪府の橋下徹知事と、府内市町村の議会議員らでつくる「大阪教育維新を市町村からはじめる会」の懇談会で、教職員がジャージやジーパンなど私服に近い格好をしていることを問題視する意見が出た。橋下知事もこれに賛同、教職員の服装を正すための方針をまとめる考えを示した。

これに対しブロガーの間でも、「大方の企業が服装のルールを定めているように、学校現場でも何らかのルールは決めるべき」「生徒や保護者に対する印象や、職場の雰囲気などに影響を及ぼすこともあると思う」など教師の服装について指摘する声がある。

一方、「現場を知らない発言」という意見もあがっている。ブログ『★小学校教師★SAMEの「MAJI!」日記』では、教師の立場から「休み時間はドッジボールをしたり、エアコンのない暑い教室で一日を過ごしたり、子どもと汗まみれになる毎日です。(中略)動きやすい服装であることも必要」と述べている。『奈良大四苦八苦』のブロガーは、「夏にスーツを着ることは、まず民間から、エコの面からも改めるべきだし、小中学生を相手にネクタイというのもあまり合わないと思うが、いかがなものか」と疑問を語る。

同懇談会では、教師の服装と学力の関係を明らかにする調査についても要望が出ており、知事もこれに興味を示したという。教育の場は、未来を担う子どもたちの育成の場であることは共通だが、その現状や見方はさまざま。服装という分野で規制を課していくことは必要か否か、今後も注目を集めそうだ。

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今日、数学科の先生から面白いことを聞いた。

反比例の実際の例はいくらかあるが、画期的なものはあまり見当たらないという。
教科書に書いてあるのが精いっぱいかなというところらしいが…。

しかし、視力を測るときに使う C に反比例の関係が潜んでいるらしい。


視力 0.1  ×  Cの隙間の長さが一定の値

だというのだ。

あなた知ってました?

そして、隙間だけじゃなく、 C の線の太さもと視力の値も反比例の関係にあるという。

放物線が、パラボラアンテナの曲線というのは知ってましたけどね。



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 ある県で、学校に人権推進員会という団体が入っていて、その団体専属教員てのがいて、授業もないそうな。「いいな、いいな、うらやましー」

           ガンバちょるね。

電話も学校にいながら電話番号が学校と違うのを使ってるのだ。すごい!!!そんなのどうして出来るのか。

教師ってなに?教えるのが仕事じゃないのかな。まあいいや。運動も仕事のうちか。

しかし、学校に入り込めるだけの力を持っているってすごいなぁ。考えられん。
しかも、校長もそこの会議や集会に呼ばれたら、みんないくねんて、怖いからちゃう。
もっと、子供の本当の学力を身につけさす方向に校長も出張すべき。

その人権団体さんは、全校レベルで「反戦・平和」「反差別・共生」と叫んでいる。でも、イデオロギィーの刷り込みの感がありありとする。

 以前、職員朝礼で、組合の人が組合の事務連絡をしようとしたとき、教頭が「それは止めてくれ」と止めた。当然止まった。

 教師の世界は何か変だ。とにかくおかしい。


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 同じなんだよな。生徒からみたら。昔、中学校の数学の先生で若い女の先生がいた。教えてもらいたかったよな。違う学年だった。あの先生は今から思えば時間講師の先生だよ。
 理科に若い結婚したての女の先生がいた。ほのぼのとした授業だった。1学期の中間は92点だった。確か、レンズと光のとこだっけ。しかし、平均点が高くて評価は4。それでもいい先生だったなと思う。
やはり女の先生でほのぼのする香りの先生はいい感じだね。

その反対にきゃんきゃんやぎゃーーっ…っつてる女の先生、いわゆるヒステリック系は私は駄目だ。 

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 どうやらずいぶんとお久しぶりらしい。

それは、ブログを書くという意識がかなりうすくなったからだ。

現実の学校のお仕事の多忙さに圧されてしまった感じだ。

天理で中学生が逮捕されたらしい。それは嫌がらせメールを500程も送りつけたからだ。

バカな話だと思うがどこの中学校でも嫌がらせメールのやりとり事件はあると思う。

なかなか指導しにくい。アドレスを変更してだれからか分からなくしてから送りつけてくる場合もある。

正直逮捕はきついが、その子にとって見つかってよかったかもしれない。

私は今、荒れている学校にいる。

自分のクラスもかなりしんどい状況になってきた。学級崩壊とまでは行かないが、つくづく子どもたちの心の荒れ方にはついていけないところまできた。

どうしてこんなに学校て、しんどくなったのかな。

学校現場の者と世間様の感覚とは大きなずれがあると思う。これは経験したものでないと分からないだろう。

では、また現場へと行くとしようか。よっこらしょと。

 

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 今はテスト一週間前になると先生が”テスト勉強の計画表”を配るところが多くなった。すごいサービスだ!

自分が配っていながら、すごいなー、何でここまですんねんやろう…とおもっちゃぅ。

皆様どうおもわれますか?

いたれりつくせりの中学生て結局なんでもやってもらって当たり前になって、やってもらわなければ「うざい!」とか思うのですよね。

ぼくらのころは、こんなにいたれりつくせりのすごおおおおいサービスなんてなくて、計画表なんて自分でつくってたよなあああ。

こんなにやってあげて、今のひとたち本当に強く育つのかしら?みなさまどう思われます!
 

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最近のいじめ自殺連鎖に追い討ちをかけないよう配慮し始めたのか
騒ぎ立てる報道も若干少なくなった。いじめから話題を一旦そらしたい。

 
 
以前、長崎市立片淵中学校バレー部の顧問が体罰をしたことがあった。生徒は精神的ショックで授業
に出られず…だった。
体罰は法律で禁止されている。
どこの学校も体罰は絶対いけないと管理職が職員に伝えている。
伝え方としては「たとえよかれと思い体罰をしても、今の現状では体罰の事実が一人歩きしてしまう。
さらに、体罰でしか教育出来ないことを露呈しているようなもの、体罰でない方法で生徒をしっかり
導くべき。」といった内容のものだ。しかし、ここで今の小学校、中学校の現状を国民の皆様がどれ
程しっているのかが疑問に残る。
 
ただ、体罰がいけないと教師だけに責任を押しつけていくと、これからの日本はますます大変なこと
になっていく。これは小~大学生に至るまでの様々な事件の報道をみれば一目瞭然だ。あの子たちは
一握りだと思っていては事実が見えない。わかりやすくいえば氷山の一角。
それほどの危機感を持ってもあまりあると思う。生徒たちの何かがすでにオカシイ。病んでいる。
 
これは本当に教員になってみないと分からないかもしれない。
 
外からではほんの表面だけしか見えない。
 
だから、教師が悪いと単純に発言されやすい。
 
今の生徒の言葉使い。普通ではない。
 
生徒の考え方これもノーマルとされる考え方はすでに浸食されている。
生徒の間違った人権を守るが故に真の生徒の人権が守られていない。これが今の学校だ。

言葉使いは公立の学校ではひどいものだ。(私立は一応出来ているところもある)
女の子の発する“おまえ、俺”は特別ではなくなってきた。
テレビドラマでもすでに使っている。
殺すぞ、死ね、きもいはもうすでに学校で市民権を得て自由に使っている。
教師も以前は指導してきたが、今はしなくなってきた。言葉いが悪いと心まで完全にすさむ。
また教師に対しての言葉使い、態度も極まりなくひどい。唖然とする。
そして教師も激しくショックを受ける。くやしさとか怒りを超えている。
例を挙げると。教師が「そこのゴミを拾っておいてね」というとすかざず、生徒が
「はあ?おまえがひろえやー」という会話。
現実的には甘い顔を見せると完全になめる。指導が効かない。つまり崩壊だ。だから厳しく脅す
というのもどうしても使ってしまう。生徒は学校や教師をなめているから(教師も教師だし、
世間からこき下ろされているので)、目の前で平然と悪いことをするやつもいる。
人間として最低限してはいけないこともすでに破られている。
学校倫理は崩れたかもしれない。
 
いじめもとめられない。

 
 
私はいじめや体罰事件を通して皆様に考えてほしい。
教師は過去のように万能ではなくなったということ。
 
なぜ、教師が体罰を振るうのか。そうでもしなくちゃ終始がつかないと見えてしまう現場の実態
が存在するということ。私には学校から子供たちの叫び声と共に教師の叫びも共に聞こえる。
 教師が疲弊した面白くない学校がどうして生徒が面白いとおもうのか。ありえないだろう。
 影山メソッドの影景山氏が言っていたが、せめて兵庫県高塚高校校門圧死事件の以前(生徒は
生徒、教師は教師の当たり前の次元)まで戻して欲しいのは影山氏と私だけだろうか。

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19日いじめ事件を受けて各都道府県の教育委員会の責任者召集される。

 そこでいじめについて成功事例も失敗事例もありのままの実態を報告するよう通達するらしい。
 

「あほか」と言いたい!
 

 役所の伝統的体質やないか、嘘の報告は通常あたりまえやないか。私の知ってる限りでは、教育委員会にウソの報告をするのは当たり前、10校あったら、真実の報告をしているのは、たった1,2校くらいだ。
 しかも、教育委員会はそれを十分知っている。
 なぜかというと、教育委員会の人間もほとんどが現場にいた人間だからだ。

  つまり、嘘の報告をしてきた人間  そのものだからだ。

 現場の人間が委員会に入ったとたん、人が変わったみたいに学校に言わんでも良い重箱つつくような細かいことばかり言い出す。
 
 なぜ、現場は嘘の報告をするのか。締め付けがきついからだ。上からの指示がある。

 それを管理職はあたかも実行しているように改ざんして委員会に報告している。そんなこと何度も見てきた。
 こんな感じだ。
 

 管理職から「△△先生」と呼び止められて、「○○については3件やったらいろいろ不都合やから5件にして上に出しとくよ」とういシーンは現場のベテラン先生なら覚えがあると思われる。

 
 ここで私が言いたいのは、このような体質を作ってきた上の上が悪いということだ。  

 いや言い過ぎた。

 人間の「うまく上に取り次ぎたい」という心理を上が上手く使っているということ。

 分かりやすく言えば「よき立場にいたい、安心、出世!」だ。

 そして、それに管理職以下われわれが、上の言うことに対して「はい」と言い、気に入られるように一生懸命頑張るというシステムが出来上がっているんだ。

 

 
 校長や現場の責任はもちろんある。しかし、上から来るアンケート的な書類を見てわれわれは時々呆然とすることがある。

 今流行の習熟度授業にしても、いじめに対する取組、不審者対応にしても、やってないとか出来なかったと報告できる選択肢が極端に少ないことだ。

 つまり上はやったと報告しなければならないような書面にしてくるのだ。 
 

 だから、今更ありのままの実態を報告するなんて、習慣化されていない大変なことだ。
 俺から言わせれば、「ホントにホントの報告をしていいの?! 怒らない。ダメ学校、ダメ管理職とみなして左遷しないですか?」と公開質問状を頂点の人に送り付けたい。

                                  
 

    昔、北海道やどこかで生徒指導加配として配属された教師が他の仕事をしていたのに、嘘の報告を委員会に上げていてマスコミに取り上げられた。
 それも、アホかといいたくなった。
 

   そもそもそんなこと全国探せばいくらでもあるはずだ。つまり嘘の報告だ。

 加配の使い方にしても、実際学校現場主導でで柔軟性を持って使えば現場はすごく生き生きと回りだす。 

 それは子供たちへ十分返って行く。

 現場の教師はそれを肌で感じているだろう。

 

 嘘は悪い。だからホントのことを報告すれば、全国で裏金も絡んで大変なことが起きるだろう。

 そう思っているのは俺だけか?

 
 正直な人間は教師の世界では生きていけない。上に向いた人間しか上手く教師の世界を渡っていない。残念だ。

 
 
 

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  土曜・日曜は学校が休みだ。    ずうっと以前は土曜も(4時間目まで)授業があった。

   だから、土曜日は昼食を食べてクラブ活動だった。これが普通だったね。
 
 最近は土、日ともクラブ活動をするところが増えてきた。

  うん、すごい。もちろんまったくしないところもあるし、土曜の午前だけするところもある。強いところは、土日やっているのが普通だ。
 

  全国レベルになると夜もやっている。他府県まで出かけて試合をして帰ってくる時間が夜の9時10時ってのもよく聞く。実際隣の席の先生はそうだから。
 
 ああ…すごいなぁ。それにしてもそれだけやって、教師たちは疲れないのか。休みなしだ。

                                                           

  そうそう、しかも1日1000円ちょっとほどの報酬でしかない。飯代や遠征の交通費にきえてしまうところもある。働きすぎじゃない。あの給料でさ。みんなすごいよな。
 

  自分の車を大きいワゴンに変えて、そこに生徒を乗せ移動する先生も多いよ。他府県てどこらへんへ?…というと隣の県くらいが多いけど、東京から三重とか大阪から東京もあったし京都から九州もあった。

  やはり中学より高校の方がダントツに多いね。

                                                        

 教師のビックになりたいっていう精神がコレを維持させるのかもしれない。俺がそうだったから。

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