公立学校の真実
★★★
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
【姫路市立城陽小学校の特別支援学級での暴言・体罰問題】担任だった元教諭(39)が2018年以降、児童6人に「生きる価値がない」などの差別的な暴言や、体を押さえつけるなどの体罰を繰り返していたことが発覚。
元教諭の授業をサポートする女性職員が管理職に少なくとも7回相談したが、管理職は市教育委員会に報告したり、確認したりせずに事実上放置。
2021年6月、女性職員が元教諭の問題行為を記録したメモを校長に提出したことで学校側が調査を始め、県教委が計34件を認定し懲戒免職とした。
この問題が学校内で発覚してから間もなく半年となる。「息子は今は元気に通っているが、心の傷は本当に癒えたのか不安は消えない」と胸の内を明かす。
男児は集団行動が苦手で「クラスメートの邪魔をしてはいけない」と支援学級を選んだ。普通の子どもより大変だろうから、「学校に手が掛かる子を預けている」という負い目があったという。
元教諭が担任になってから、男児は「また怒られてん」と不満を漏らすようになった。本人は怒られた理由を理解できておらず、違和感が残った。息子からのSOSに気付きながら「我慢しようね」と慰めることしかできなかったという。元教諭の補助役で、暴言や体罰を管理職に告発した女性職員を慕っていたため、何とか通い続けたという。
理解できない理由で児童を叱り、親に説明もない。元教諭は支援学級には合っていないように感じたが、担任が代わることはなかった。「また怒られるから言わないで」と息子に頼まれ、学校側に苦情を言えなかったという。
女性職員は2018年度から少なくとも7回、学校側に実態を訴えたが、管理職は確認もせず、事実上放置したことに今でも納得できずにいる。
「なぜ学校はすぐに動いてくれなかったのか」「なぜ、他にも見聞きした教職員がいたのに訴えは届かなかったのか」
学校の説明会で何度も疑問をぶつけたが、現校長からは「口頭注意で直ると思っていた」という言葉しか返ってこなかった。
学校は動かない。一支援員が言うことなど校長は聞く耳を持たない。教諭が教育の中心。そういうことかもしれない。だが、他の教師が訴えても動きは鈍いと思う。校長は体罰などを教育委員会へわざわざ上げるのは、自分の指導力がありませんでした、と教育員会へ言いに行くようなものだからだ。できればもみ消したい。適当にお茶を濁して表面化させたくないのが本音だろう。だから動きは鈍いのだ。
これが私学だったらもっときついだろう。
評判ということもある。いわゆる経営にかかわってくる。
私学の特別支援学校で思い出したが、知り合いに高知の人がいる。高知の私立H特別支援学校では、教育そのものが昔ながらのスパルタ。戸塚ヨットまではいかないが、暴言暴力はあるという。今年度もそれが嫌で辞めていった生徒が数人いると聞く。
だが、表面的に問題にならないのは、スパルタ的な教育で実績を上げている部分もあるからだろう。また、管理職や経営者はその方針を尊守し、それ以外は受け付けないからだろう。
時代は変化している。特別支援教育は劇的に増えている。そして大きく変化している。その対応に遅れれば、いずれ私学は経営が難しくなる。
特別支援は、保護者と一緒に作る個別の支援計画に基づき教育を推進していく時代なのだから。
報道によると・・・・
特別支援教育を担う教員をどう育成するかについて議論している文部科学省の検討会議は24日、すべての教員が採用後10年程度の間に、特別支援学級の担任などの経験を2年以上積むことが望ましいとする報告書案を大筋で了承した。専門性を持つ教員を育てるとともに、特別支援教育の経験を通常学級での実践に生かしてもらう狙いもある。
文科省は報告書案に基づき、全国の教育委員会に人事制度の改善などを促す。
通常の小中学校で特別支援教育を受ける児童・生徒は急増している。特別支援学級に所属したり、通常学級に籍を置きながら一部の授業を別室で行う「通級指導」を受けたりする子どもは、2011年度は約22万人だったが、21年度は約46万人と2倍以上になった。
時代は変化している。急激に。
市内の支援学級も増えてきた。
だから、教師も特別支援教育の知識や経験を積むことが必要になっていることは十分理解している。しかし、2、3年で変わる教員が多くなると、それこそ特別支援教育の現場は混乱する。それでなくとも、私の市では支援学級担任を再任用教諭や講師まかなっている。保護者からの信頼される教育を考えれば、そんな入れ替わりの激しい人事は現実的ではない。現実的ではないので、また教員免許状更新制度と同じ目にあるだろう。
教師の4分の1程度を目安に特別支援教育を経験させることができれば、その教師たちが学校で指導的立場で特別支援教育を推進してくれるだろう。
そのための検査もあるだろうし、病院や保護者との緊密な連携も考えられるだろう。
障がいに対する知識や外部との連携なしに、力や脅しだけで勝負している特別支援学校の教師は悲しいものがある。なぜなら、生徒の可能性を伸ばせないからだ。
私も過去に特別支援学校に勤務したことがある。ある生徒は、「ごはん」を「こはん」と濁点をぬかして書いたり漢字では一本線がなかったりする特徴があった。その都度、いちいち指導していた。だが、今に思えば、LD・学習障がいだったのかもしれないと思える。なぜなら、理解力はあり、普通にしゃべることができていたからだ。現在は、定期テストで漢字が間違いでも、ひらがな表記ができていれば正解とする学校も増えてきた。私の学校もそうだ。
「なんどいったらわかるんだ」と怒鳴る前に、発達検査をしてみたらわかることがある。14歳なのに、覚える能力だけが6歳の力しかないと分かることがある。そういうことが分かれば、何度言ってもできないという理由が分かり怒る理由もなくなる。
しかし、「体罰はいけませんよ」と管理職が全体へ伝えることはあるが、教師が生徒に暴言暴力をしている場合にどうすればよいか、マニュアル化しているところはない。
同僚が虐待をしているところを発見したら、校長へ伝えるのが一般的だ。外部へ通報することはほとんどない。また、外部と言っても教育員会や市の虐待窓口になるが、考えられないほど動きは鈍い。それは。何度も言うが、学校は障がい者虐待防止法の外にあることが一因だからだ。
いじめも同様だが、マスコミに取り上げられて、大事に至らねば学校は動かないのかもしれない。
話は違う部署へと持っていかれたが、動きが鈍い。市は県へ訴えを上げたというので、県へ確認の電話を掛けると、市以上に対応ができていない。逆に警察へ行ってくれといわれた。決定的な証拠がないので難しいとも言われたという。
では、少しでも虐待と思えばしかるべきところへ通報しなければならないはずだが、学校の教職員がする虐待や病院の職員するのは別らしい。
「障害者虐待防止法を解説する」という文の中で
埼玉精神神経科診療所協会会長 鈴木仁史(こうぬまクリニック院長)は次のように記している。
学校と保育所と病院での障害者虐待が通報の対象外となった。学校は校長、保育所は所長、病院は管理者に障害者虐待防止や対応を義務付けた。(中略)虐待を目撃した職員や患者がその病院の管理者に「通報」するのに抵抗感を持つ 場合も少なくないであろうから、市町村の窓口に通報するルートを確保するべきであろう。 学校や保育所についても同じことがいえる。
つまり、学校での虐待は校長へ伝えよというらしい。これは本当に無茶なことだ。なぜなら、校長も自分の学校が傷つくことは自分の評価につながり、隠したいという気持ちが働くからだ。
3月は、「来年度どうなるのだろうか」これが一人ひとりの教師の心にざわめく時でもある。卒業式も近い。今の生徒たちは卒業しても、次の新しい子どもたちが待っている。そのために自分はどの配置につかせていただけるのだろうか。また、転勤になるのだろうか、心がざわめくのだ。
さて、学校というところ世間の注目を浴びる時もあるが、それを逃れて密かにやりたい放題やっているところがあるのも事実だ。
学校は隠ぺい体質と非難されるが、なぜ隠ぺいができるのかといえば学校は密室だからだ。特に、特別支援教育での教師の暴言暴力は隠ぺいしやすい。生徒が意思を表現するのが難しいからだ。体罰や暴言を受けても訴える能力がない。一般校なら、「先生いまの体罰やな」とこちらに迫ってくることもあるし、家に帰って親に言うこともある。意思を表現できない子はそれが出来ないし、自分が体罰を受けていることも能力的に理解できないこともある。
では、それらはどうして防ぐことができるのだろうか。
内部告発か意思を表現できる子がそれを見ていて親に言うということから発覚し、問題があらわになり改善されていく場合もある。または、子どもが、家で夜泣きや奇妙な行動、たとえば誰かが腕をあげると、頭に手を持っていくとかの行動を見て親が気づくのだ。
例えば、ASDの生徒が「聴覚異常があるので40人の学級ではひどくなって過ごしにくい」などだ。
そこで、自閉症・情緒学級を保護者は考えるのだが、保護者は一定の学力をつけることを強く要求する。高等学校進学を希望しているからだ。
ただ、支援学級では受験を意識した指導は時間割上難しい。英語が本来4時間のところ3時間だったり、数学を専門じゃない先生が教えていたりすることが多々あるからだ。
専門の先生が教えられるように時間割を組むとすると、その先生たちの持ち時間が増えてしまう。
いくら効果があるといえ、多忙な先生たちは時間数が増えることはけして望まない。
ただ、これも工夫すれば、乗り越えられる。我が中学校の先生方の持ち時間数を眺めてみると、ある教科の持ち時間数が少ない。その教科の先生たちに支援級へ来てもらうのだ。専門ではないが、貴重な人材となる。
市内の支援学級から高校へ進学する生徒は多くはないが毎年一定数いる。通信制や私学がほとんどだが公立高校へも進学している。
高校へ提出する内申書だが、市内の支援学級では高校受験できるように作成している。
支援学級のイメージは知恵遅れの子たちの集まりと受け止められられている場合が多い。小学校では「支援学級に入ると高校へはいけない」と保護者に伝えている場合がある。それは地域によって違いがあるが、少なくとも私の市内の中学校では間違いだ。
高校進学がスムーズにできる支援学級を作るために校長へ具体的な提言をしていきたい。
支援学級のイメージを改善し、生徒たちができる限り可能性を開き、広く社会へ飛び立てるように尽くしたい。
保護者に胸を張って支援学級へ入級してもらえるような支援学級を作ることを時代から呼びかけられていると、今強く感じている。
支援学級からの進学は支援学校だと思っている保護者が多い。事実、支援学級から支援学校への進学がほとんどだからだ。
しかし、知的障害の学級とは違って、自閉症・情緒障害学級は通常の教育課程を基本とするものと文科省から定められている。なので通常の教科の学習を受けられ、高校進学への道は十分開かれているはずなのだ。
支援学級はこのことを前面に出す時がきている。
私は、支援学級の中に高校進学コースのようなものを作り、手厚く発達障害の子たちの居場所と進路を確保していくべきだと思っている。
教員たちが疲弊しているという。
とある学校の決断力のある校長は、1学期の所見は書かなくてよいことにしたらしい。右往左往している教員を見かねての決断。
困惑の中にありながら、きっと道はあるのだろう。そういう中で働いている方を思うと涙が浮かぶ。
自分は来年4月、自由の身になり、妻と沖縄旅行の話で盛り上がていたのが恥ずかしい。
よく考えてみると、担当している子が最近学校に来ていない。沖縄旅行に心が奪われ、生徒や親の悩んだ姿をスルーしている自分があった。
もう一度、最後かもしれないが闘いのリングに上がろう。
何とか1学期ガンバって夏休みで体力を回復させたいところだ。
学校というところ、年寄りにはきつい。部活が終わる18時から学年会。これは違法だろうと思うが、教員たちから不満を聞いたことがない。不思議だ。
さらにうちとこの教頭の労働時間がひどい。土日と平日は22時が当たり前。いつかこの人おかしくなるんじゃないかと思うほどだ。
さて、ここまで書いたが、支援学級について特段思うところがあるのだが、明日の健康のためにキーボードをたたくのをここでやめる。
さらにWISCなどの発達検査の結果を正しく読み取るみとる力がなければならない。時には発達検査をする必要に迫られるという。そうなると単なる普通の教員ではできない。WISCなどの発達検査は研修や説明を聞いても実施する自信はけして持てなく、何度もやってみて初めて自信が持てるからだ。また、実施できないと結果を手に取るように読み取ることは難しい。
通級指導担当者は教室で授業をおこなわないので多くの生徒と接する機会は少なくなる。職員室の中でも同業種は一人なので孤立しやすい。通級指導という教育方法が認識され広まっていないので、他の職員との共通理解を図ることが容易ではない。など通常学級の担当の時とは違った困難さと環境に置かれる。
では実際に現場ではどのような人が通級指導を担っているのか、私の周辺を見渡すと10人いれば8人が50代60代だ。20代はいない。ある程度の教員経験がなければできないのは確かだが、もっと若い人が欲しい。そして女性が7割から8割を担う。女性のやさしさ細やかさが生かされている職種と言える。
中学校では、自分の教科を教えることが手ごたえとなったり、担任となって生徒にかかわることが喜びとなる。また、部活動で生徒と触れ合うことも生きがいとなる。そのほとんどが奪われるのが通級指導担当だ。
通級指導担当を担う人を探そうとすることは難しい。①専門性に興味があること②通常学級での手ごたえや喜びを手放す覚悟がいること、これが条件となるからだ。
しかし、発達障害の診断が出ている生徒や疑いのある生徒の数は増え続けている。専門性を身に着けた教員が必要となってきているのは明白だ。
ひとこと苦言を呈した。
卒業式も終わり、後は終業式と新年度を迎えるばかり。
3年生の先生方ご苦労様でした。
今が教師のほんの一息つけるその時だ。
すべての苦労から解放され、身体が軽る~くなる。
これも4月を迎えるまでだが。
4月からは次の苦しみと楽しみがちゃんと待っていてくれる。
私が大学を卒業して初めて赴任した学校は、外国籍の方が25パーセントの中学校だった。やんちゃは多かった。それでもとても好きな学校だった。
今では考えられないだろうが、テストの平均点を出す計算を暗算と筆算で行っていた。そこで美術の女の先生がすっとそろばんを持ってきて、手伝ってあげるわとそろばんをはじいてくれた。嬉しかった。そんな時代だ。
しかし、今や生徒も教師も一人1台の末端機器を使いこなす時代。変わった。これからもっと変化していくだろう。
変化に対応しないと生きていけない。
若い人にまた助けてもらおう。
朝日デジタル 2019,1,21
発達障害などが理由で「通級指導」を受ける小中学生が増えるなか、文部科学省は指導できる教員の数を増やそうと、専門性を高める取り組みを始める方針を固めた。教員が一定の講座などを受ければ「履修証明」を出す制度をつくるほか・・2020年度から順次、実施する。
通級指導は通常の学級に所属しつつ、週に数回はクラスを離れ、別室などで友人との円滑なコミュニケーションの仕方や、自分の障害の特性などについてグループや個別で学ぶ。「一方的に話す」「文字を書くことや読むことが難しい」といった発達障害がある子のほか、視力や聴力に比較的軽い障害がある子らが対象だ。対象の子どもは07年度は約4万5千人だったが、17年度は約10万9千人と、10年で約2・4倍に急増しており、中学生に限ると約5・5倍に増えた。特に、(LD)や(ADHD)が理由の子どもが増えている。
一方、校内で通級指導を受けられる公立の小学校は全体の22%、中学校は9%で、他校に通うか、希望しても受けられないケースが多い。 また、専門の免許を持つ教員が教える特別支援学校と異なり、通級指導は通常の小中の教員が担うことが多く、教員の数と専門性が課題となっている。
通級指導を受ける子どもが増えている
そう考えていると、やはり、思わぬ方向から呼ばれた。そうきたか、という感じだ。良い面は、自分の時間が持てる。しかし、かなりの研究をしないといけないし、個人情報を扱う事務量も多い。心を鋭敏にしなければミスしてしまう。
あと、その仕事は座って出来る。恵まれているようで、一つ間違うと怖い立場。それ以上言うと、この職は少ないので特定される。
ただ、自分の顔を鏡で見ると、老けてきたと思う。生徒から見ると、おじいさんかな。
最近、風呂上りに肌に栄養クリームを塗る。できれば、このシミも消したい。時々、シミが消えたというユーチューブを見ると、本当かなと思うと同時に、やってみたいと思うようになった。
手の甲にはやはりシミがぽつぽつとだんだん色濃く表れてきた。
いやだ。
昔、歳をとった人のシミを見て、ゲッと思った、その思いのブーメランが今、自分に返ってきているように思える。
若い子たちと向き合う。せめて清潔にしなければと、学校へ行く前に、眉毛をそろえる。鼻毛を切る。ひげはきちんとそる。いつまで働き続けるかな。
8時に起きて、ゆっくり食事をして時に散歩をして、10時に読書。また、ゆっくり昼時に散歩がてらに図書館でも行く。夕方には夕日を浴びる。
そんな生活を少ししてみたが、またあの7時台に学校へいく生活が始まる。
何ぜだ。そう思う時が多い。
だが、よく考えてみると、確かに生徒はかわいい。
以前、女子●●部の顧問になったことがあるが、どの部員もかわいくて仕方なかった。十数人、どの部員と結婚しても構わないと思えるほどみんなかわいかった。しかし、現実は、厳しい指導でよく泣かしたが。
紙一重とはよく言ったものだ。セクハラはこの紙一重が破れた時に起こる。幸い、私の顔はもてない顔だったからよかったかもしれない。イケメンなら怖いだろうなと思う。向こうがその気になった場合、こちらが止まらないだろうから。
実際、身近に新聞沙汰になって辞めていった教師がいる。そして、新聞沙汰になってはいないが、やってしまった教師も複数いる。だが、以前にも書いたが、教師にとって恋愛とセクハラの差も紙一重と言えないこともない。
生徒と恋愛結婚した教師も一定数いるからだ。
言えることは・・・
自分の性欲の牙にかけるのは、生徒をとてつもなく悲惨な人生に追い込むことになる。
だから、かわいいければかわいいほど、愛していればいるほど、その子たちの人生を限りなく大切に扱わなければならない。
そう肝に銘じ、今日を生きよう。
ほとんど問題のない学校へ来た。
そこでまず担任をさせられた。
しかし、過去の栄光を教室で生徒にしゃべりだす時があった。
やんちゃな生徒を手なずけたこと。
それをすればうまくいかないと思った。
やがて、彼のクラスの生徒たちから彼の悪口を聞くようになった。
彼は体調も崩し、今は5時になればタイムカードを入れて帰る日々が続く。
その後ろ姿は寂しい。
彼は、50代だ。
心配している。どうするんだろう。
転勤するか、踏ん張るか。
時代は思っているより変化が早い。
自分を変えていかなければ務まらない。
私は、以前暴力教師だった。校長からも注意を受けた。
「君は学校にけんかしにきとるんか」と。
そうかもしれないが、何が悪いか、とその時は思った。
だが、私の心にひびが入った時があった。
やんちゃな女子らのボスから、暴力をふるわれた時だ。
自分の生徒指導を根本からくつがえさせられた。
形ではない、心だ。
ようやくわかった時だ。
ここから変わっていった。
いまでは、暴力教師の面影はまったく消えた。
今日は、女生徒からライン教えてと言われた。もちろん教えなかったが、昔と違って生徒たちが自然と寄ってきてくれる。
私は、歳は一番上の方だが職員室での存在感はやっぱりない方だ。
なぜなら、若い教師たちのようにシャキシャキと仕事をこなせないし、仕事では周りに迷惑をかけている。また、部活指導もバリバリどころかさぼっているからだ。
老いてくるとできないことが増え、腰はまだ曲がらないが、低くなる。
彼も、きっとそのことが分かって来たのかもしれない。
仲間が増えた。
これほど税金を取られるのか。怒りを通り越して悲しい。
真面目に確定申告に来なければよかった、と本当に後悔する。
脱税する人の気持ちに寄り添えることができる境地に導かれる。
なので、節税対策を講じることが必要なのだ。
脱税ではない、節税。
しかし、原価償却方法や経費の範囲(何を経費にできるか)など、自分で勉強していかなくてはならない。
税理士に丸投げしてもよいが、莫大な費用がいる。
そんなことしていたら、ひと月分の給与ぐらい吹っ飛ぶ。
だから逃げ道はないので、自分でYouTubeで学んでいる。
とにかくやるしかない。不動産賃貸業、これは不労所得のように思われがちだが、レベルを上げていくほど様々な知識と経験が必要となり、それを習得するにあたってまじで勉強しなければならない。
不動産王になるには道は険しい。
しかし、悩ませる報告もある。
それは、臨時講師に決まりましたという報告だ。
私も臨時講師から教員を始めたが、初めて学校に入り教壇にたち、部活動を共にする、この初々しさと感動は例えようがない。
大きな喜びだった。
きっとこの卒業生も、その喜びの予感を感じているのだろうと、電話口の声から手に取るようにわかる。
しかし、現実はどうなのかだ。
教員採用試験に何年も不合格の講師たちがうようよいるではないか。
この卒業生も、委員会の飼い殺しになるかもしれないと思うと、
喜びの奥底で不安の渦が巻く。
熱心→仕事をがんばる→教員採用の勉強時間がなくなる→不合格
これを毎年繰り返している仕事熱心な臨時講師たち。
熱心な奴ほど合格にほど遠く、程よい歳になったら消えていくしかなくなる人もいる。
私の職場にも、熱心な講師たちがいる。
彼らは部活動も実績を残し、休日でも様々な仕事をしてる。
しかし、難解な高校入試問題が解けない。
生徒の前でもわからなければ、私に持ってくる時がある。
これでは、きっと採用試験の問題も解けないだろう。
どうするのだろうこの人、不安がよぎる。
大阪の教員採用を調べていると、全部がそうとはかぎらないが、最終試験にある専門教養が講師たちにとって鬼門になっているように思える。
例えば、大阪の堺市と豊能地区の中学英語。
2地区合わせて、
一般受験で2次まで進んだのが21人、そして最終合格者は13人。
2次から最終合格まで62%。
講師枠で2次まで進んだのが13人、そして最終合格者は1人。
2次から最終合格まで8%。(豊能地区に至っては0人で0%)。
委員会の飼い殺しという意味が分かってもらえただろうか。
だが、受験生よ、講師諸君よ、
間違ってはいけない。
委員会に責任をなすりつけても時間の無駄。
工夫して乗り越えるしかない。
応援している.
子供たちを愛する熱心な講師諸君!!
教員ではない。
寮監だ。
「同志社国際高校」の寮の管理を夫婦で住み込みで行う仕事だ。
あまりくわしいことは書かれていなかったが、夫婦二人で月40万ほどもらえる。
食事は作らなくてよいが、清掃や設備管理、寮生の生活サポートなどが業務らしい。
1年契約だが、5年を越えない範囲で更新できそうだ。
頭に思い浮かんだのは、妻に仕事をさせて自分は好きなことができる、という邪悪な考えだった。
この先2人で月40万稼ぐのは厳しくなる。だったらこういう手もありかなと思って真剣に考えた。
そして妻に話を持っていくと、意外にも話にのってくれた。
しかし、生活の自由が奪われそうに感じ始め、話を持って行った私の方が躊躇した。
夫婦の履歴書を2月1日までに送らなければならないのだが、決断をするに至らなかった。
この歳になると、おいしそうな話にすぐ飛びつきそうになる自分に笑う。
しかし・・・どこにするのか。
無駄に1年を過ごすことのないようによく調べなければならいでしょう。
要綱や受験案内をよく読んでください。
講師をしていて、その評価を採用試験に反映するところもあるでしょう。
実は大阪の事例で大変申し分けないのですが、講師をしていて本当に合格しやすいのか,出されているデータだけで調べてみました。
ただし、下記レポートのデータ処理については皆さんの責任で判断して読んでください。よろしくお願いします。
大阪市を目指すのならば、大阪市内で講師をすべきだ。
なぜなら、合格しやすいからだ。
では、それを2021年度の大阪市採用試験のデータで説明してみよう。
大阪市以外で講師をしていて、講師特例で受験した人の平均合格率は10.4%、約10人に1人しか合格できていない。
それに対して、大阪市内で講師をしていて、講師特例で受験した人の平均合格率は31.5%、3人に一人とは言わないがかなり高い合格率だ。
校種別では下の表のようになった。
特に、養護教諭は、市外の講師たちは19人受けたが誰も合格していない。また、小学校でも57人受けて4人の合格者しか出なかった。倍率にすれば14倍だ。小学校の倍率としては異例の高さと言えよう。
市外の講師たちには非常に厳しい教員採用試験だ。
大阪市以外の講師たちが大阪市を受験するメリットはないといえる。
令和3年度 講師経験者の大阪市教員採用合格率(%)
以下赤字は倍率
大阪市内の講師 | 大阪市以外の講師 | |
小 | 37.5 2.7 | 7.0 14 |
中 | 35.7 2.8 | 20.3 4.9 |
高 | 11.5 8.7 | 4.8 20.8 |
養 | 12.1 8.3 | 合格者なし |
大阪府内の講師については、経験年数によって10点、20点と1次選考に加算される場合がある。
それ以上のデータがないので詳しいことはわからない。
豊能地区は大阪市とは対照的だ。
府内の講師3年以上か、豊能地区の講師2年以上を経ている人は、1次選考の筆頭テストは免除されるのだが、免除されない一般選考者たちに比べて明らかに合格率が劣るのだ。
ただ、教科によってはそうとは言い切れない部分もあることを記しておく。
令和3年度豊能地区教員採用合格率(%)
常勤講師 | 一般選考 | |
小 | 13.8 7.3 | 30.3 3.3 |
中 | 9.6 10.4 | 17.0 5.9 |
細かくデータを読み取ると、2次試験で大きく2者の差が広がっていることがわかる。専門科目で差が開いているのだろうか。
堺市は豊能地区と同様な感じだ。
2次試験の受験者と合格者を合格倍率で比較してみると、一般受験のほうが合格率が高く、倍率にしても一般受験のほうが明らかに低くなっている。
小学校では、講師が5.1倍 一般が2.0倍
中学校では、講師が3.1倍 一般が2.4倍
上記はデータの数値を分析したもので、さらに細かく見なければ本当の状況は分からない。
自分がやりたい地域で講師をするのが一番だ。
ただ、様々な観点から考えて、自分はどこで講師をすればよいのか、もう一度見直してもよいかもしれない。
それにしても、大阪市以外は、なぜ地元で講師をしていて合格率が悪いのか。
昔、ある団体がそのことを問題にしたことがあるが、講師は忙しくて受験勉強ができていない。それが大きな理由かもしれない。
実際、大阪市では・・
1次選考は市内の講師たちの合格率は各段に高いが、専門教科の試験が入ってくる2次選考になると、明らかに市内の講師たちの合格率は低いことがわかる。
ただ、総合してみると、市内の講師たちは1次で赴任校の評価が加味されているのか、1次試験で大量に合格させているので、結果的には非常に高い合格率を維持している。
それでは,皆さん、また採用試験が近づいてきました。
ぜひ、合格を祈っております。
ここにあるデータは教育委員会からのものを計算したが、しっかりもう一度自分の目で確かめて計算していただくことを願う。
教員採用試験も新たに仕切り直しだ。
教員採用試験を受けるにあたって、要綱や案内をしっかり見ることが必要だ。
そして、過去の合格者状況も調べて、自分なりに分析しておくことが、合格のチャンスを広げることとなる。
例えば、大阪の状況についてみてみよう。
大阪市と大阪府では採用試験のペーパー試験の内容は同じだが、それをどう合否に扱うかは微妙に違う。
例えば、市では2次選考、府では3次選考は、専門教科の筆頭テスト、実技テスト、面接テストを行う。
府は行ったテストの点数の合計点で合否を決める。面接テストも実の点数として反映される。
だが、市は、面接テストは行うが、筆頭テストと実技テストのみで合否を決める。
つまり面接テストは合否に入れないのだ。
もう少し詳しく言うと、面接は基準点に達してさえいればよい。
中学高校ならば420点満点のうちの211点(50%超)が基準点になる。
それをクリアーできれていれば、専門教科の知識と実技で勝負となる。
また、面接の基準点は、平均点より7~80点低く設定されているので、普通にやっていればクリアーできる。
また、市は幼・小・養護教諭・栄養教諭は合格者の2割ほどを、筆頭テストと実技テストの得点にかかわらず、面接テストの得点で判定するシステムを作っている。
大阪市は変則的な合否システムを作っているのが特徴的だ。
若いころ、マイホームを探して不動産屋に行った。不動産屋は紹介してもらった家を見せながら、「いい物件でしょう」と言った。その物件は築25年という。見るからに古くボロそうだった。
心の中で、「はあ?何を言ってんのこの人」と??が何個も付いた。
しかし、
30年経った今なら、不動産屋の紹介は正しいとわかる。
今、賃貸業を妻と共にしているからわかるが、新築は買った次の日から中古となる。
つまり値が下がるということだ。
だから、家を買うときは中古のほうが良い。
700万円(地域の土地値にもよるが、高くても1400万)も出せば普通の中古住宅が買える。
新築そっくりさんまではいかなくとも、300万も出せばさらにリホームしてきれいになる。
しっかり住める状態になる。
リホームは自分の思うようにこだわってできるからうれしい。
きっと若い時に出会った不動産屋もリホームすることも含めて紹介したのかもしれない。
この間は、滋賀県の物件を買った。
土地は500㎡ 古いが大きな家だった。
価格はタイミングよく、指値された直後で、200万円の物件が70万まで落ちていた。
自分はさらに50万まで値交渉したが、結果、65万円で商談成立。
築48年で水回りも良好なので大変満足している。
こういうこともあるのだなと、購入のタイミングがベストだった。
やはり相続がらみの物件は穴だった。
これを少し手直して4万で貸すことができれば万々歳というところだ。
このようにして物件を増やしている。
これを若い時からやっていくと10年もすれば一通りのやり方が失敗や経験を通して身につき、次第に家賃収入としてのキャッシュが溜まる。
今、私は家賃収入月40万を超えようとして、50万を目指している。
目標は67歳までに月100万。
若い時からぜひ副業をすべきだ。
年金だけではむなしい老後が待っている。
私は退職しても、まだまだ社会貢献を目指して頑張る決意だ。
公立では全くない。
担任は副担より仕事量も多く、責任もあるのだが。
朝の会、終わりの会、給食指導、清掃、学級のあらゆるトラブル、教室管理まで、すべての責任を負う。
このプレッシャーはすごい。
周りの教師の目。
生徒たちの目。
保護者の目。
副担なら逃げられるが担任はそういうはいかない。
ただ、楽な学校へ行けば、負荷は少なく逆に楽しさが増す場合もある。
担任の活動の例を少しあげてみよう。
給食時間。
アレルギーのある生徒への対応。
一つ間違えれば死にいたる緊張の時。
また、給食指導は困難校になれば戦場と化す。
まず、給食当番をきちんとさせること。
それが崩れる恐ろしさは担任として耐え難い苦痛をともなう。
ひとりでも給食当番をさぼると次々とさぼりだすからだ。
その時、学級崩壊の始まりが頭をよぎる。
配膳の指導が無事終わり、食べようとするとき、一人一つのはずのジャムがない生徒がいた。
余分にとっている生徒がいる。
「だれやー」と怒りの演技をする。
ここで簡単にいただきますをすると、次はもっと悲惨な状況になるのを担任は知っているから、妥協はしない。
ようやく終わりの会が来るころには、疲れのピークが来ている。
静かにさせて、明日の連絡事項を伝え、各教科からのノートの返却や個人への手紙の配布を確認して終わる。
しかし、終わりの会あたりで、何かトラブルがあると、配布物を配布するのを忘れたり、重要な連絡を忘れたりする時がある。
泣きっ面にハチを絵に描いたような状況となる。
教室からとりあえず職員室に帰る。
席に座る。
まだまだ終わりではない。
心を立て直して部活へ行く。
もし、部活をきちんと見なければ、だれた練習になったり、トラブルが起きたりする。
担任はとても苦しいが心の奥底では楽しい。
このプレシャーを味わいながら、生徒や親と関わることでなにかしら不思議な充実感を得るからだ。