一番びっくりしたのは、不登校生徒の別室指導を行う教室が整備されていたことだ。個別に仕切りが作られ7人ほどが自学自習できるようになっていた。もちろん数人で集まってゲームもできる。
その場所で、専属の支援員さんがいてうまく関わってくれている。その支援員さんは免許がないが教諭よりうまく関わっているように見えるのだが、給与は低い。
一つの学校が2つに分かれているように感じた。
普通に流れている場所と、ゆったりと自分のペースで学習や会話、遊びができる場所に分かれている。
体育も以前から男女別ではなく、クラスごとに行っている。
初めの体操から競技まで1つのクラスで行うのだ。ただ、男女の運動能力差はありありなので、キャッチボールなど男同士、女同士で行っていた。
そして、女性の管理職登用も以前から比べるとかなり目立つようになってきた。女性の管理職に違和感がなくなってきた。
ただ、管理職の体育教師登用は相変わらずだ。
教務主任から教頭、校長まですべて体育教師という学校も少なくない。
あとは非常勤や支援員、ボランティアが多くなり、何の職なのか、名前は誰なのか分からない人がいる。それはこちらが老いてきて覚えられないだけなのかもしれないが。
これらの場所や人材を動かしまとめなければならない教頭の役目は学校にとって大きいといえよう。
だが、いつも思うことだが、職員室に若手教員が多くなったものの、気を使い元気がないように見えるのだが。
SSW(スクールソーシャルワーカー)は教員や関係機関と協力し、教育現場で児童生徒や家庭が抱える多様な問題の解決を図る福祉の専門職とされている。
平成20年から全国的に導入されている。
しかし、多くが非常勤で複数の学校を受け持つため、一つの学校に滞在できるのは週1~2回程度だ。
教員たちとの連携を密にし、児童生徒の状況を詳しく把握するには不十分だ。せめて週4回の勤務が必要だ。
SC(スクールカウンセラー)も同じく非常勤で週1が多い。あまり費用対効果はないように思える。
SSWは社会福祉士や精神保健福祉士などの資格が必要だ。だが、この資格は医療や福祉の関係を学ぶことが主であり、教育に関して学んだり実習をしたりすることはほとんどない。従って、教員との連携といわれるが、やりにくいだろうと思われる。
私は教員と児童相談所の交換人事を一時的(1年~3年)行うことを提案したい。
教員が児童相談所の職員を経験することは十分に役に立つ。学校現場に戻れば、児童相談所との連携がスムーズに行われる可能性が高い。
また、3年間経験を積めば、SSWの資格を与えればよい。
児童相談所の職員には学校現場でSSWだけでなく、学習支援や部活指導など幅広く経験させればよい。
このような人事交流を大胆にする必要がある。そうすることによって、幅広い見識を持った教員や児童相談所職員が育つのではないか。
校種、教科にもよるだろうが、ますますなり手が減っているのか、その年代の青年たちの全体数が少ないからなのか分からない。
しかし、本当に教員になりたいものにはチャンスだ。
公務員としては給与は良いし、夏や冬は工夫すれば民間よりたくさん休みもとれる。
学校に行って、子どもたちと触れ合うのは楽しいし、恐怖でもある。
その2つの波が毎日襲ってくる日常。これが学校現場だ。
心は擦り切れるが、楽しみも多く、教員ほど面白いものはないと今でも思う。
中でも中学校は面白い。部活動もあり、どこまでも子供たちと一緒に頑張ろうと思うし、尽くしてあげたいと思ってしまう。
しかし、それがまともに続くのは40歳代までかもしれない。なぜなら体力的に持たないからだ。だから、そのまま続けるのではなく特別支援教育や管理職になることも選択肢に入ってくるだろう。
教員志願者が減っているのは、仕事量は多くや休みが少ないからといわれるが、教師の魅力を封印し発信しないマスコミの責任もあるのではないか。
「青春とはなんだ」「これが青春だ」や金八先生など、教師はいいなと思わせるドラマは今あるのだろうか、あまりテレビに興味がないから知らないが、耳にしない。
職員室を見渡すと、30代あたりが多くなってきたと思う。しかし、元気がないように思う。何か管理された機械のような気がする。
職員室の色はモノトーン。
服装も白か黒。コロナで教員同士の絆も切断され薄れているように思う。我々の若い時は、良し悪しは別として学生運動に走るものもいたり、エネルギーだけはあった。
そして教師たちに武勇伝を語らせれば、それはそれは尽きることはなかった。同僚で旅行もよく行ったり、飲み食いによく行った。
職員会議も面白くなくなった。白熱した議論などはなく、静かに発信者の声を聴く、PCを見ながら。
それでも教員という職はどれより面白いと思う。
職員室にいても私は週4の勤務で働きは少ないので、いくら彼らより歳上でも発言権はないと思っている。それに、やはり活躍する若い教員が主役になってほしいし、少しでも支えることが出来たらうれしいと思っている。
自分でもやだなと思う。
私は部活動で外に出ていたのでシミがやけに多い。
この歳になると浮き出てくる。
こぎれいに歳をとりたい。生徒や同僚から不潔と思われるのは嫌だ。
中国製で「シミ取りレーザー」がなんと2800円ほどで販売されていた。
ユーチューブで効果を検証している動画を見ても全く効果がないというものではなかった。
なので買ってしまった。来るのが楽しみだ。
シミを皮膚科に行ってレザーでとると、保険がきいても一か所6000円もした。
試験的に一か所だけ取ってもらったが、なんかもう一つきれいにならない。
中国製シミ取りに淡い期待をしている。
教え子のわいせつな動画は複数人のものがあるとされている。熱心な教員であったという。
評判の良い熱心な教員が女性がらみで新聞に載るのは、私の身近にも数件あった。同僚もいた。
驚くばかりであるが事実だ。
人間て表面だけでは分からないと思ってしまう。
確かに、生徒はかわいい。困っていれば何とかしてやろうと思う。しかし、それ以上行き過ぎるとこの商売、罠が待っている。
自分の教師人生振り返って、常にこの罠にはまらないよう気を付けてきた。
部活動でも体には触れない、卑猥ととられるかもしれない言葉は使わない、行動もしない。
当たり前のことだが、気を付けてきた。身近に罠にはまってしまった同僚がいたからよけいに気をつけるのかもしれない。
何よりも子どもたちが本当にかわいければ、そういうことはしない。
小倉大臣が「悩みを抱えた時にどういった人にその悩みを相談をしようとしているのか?」と聞くと、生徒は「スクールカウンセラーなどの組織が学校にあるのですが、私的にはそういうところには少し相談しづらいと考えています」と生徒から率直な意見も飛び出した。
もっともな意見だ。2週間に1回とか1週間に1回学校に来て、悩みを言ってごらんと言ったところで、見知らぬ人にすぐに心を開けることは難しい。
それは心理学を学んだカウンセラーが一番よく知っていることだ。SCは連携ということを考えると、学校の組織と文化にも適応していかなければならない。
私が考えるには、SCは常勤で雇うべきだ。今の体制では教員よりはるかによい時給5000円が生きていない(非常勤教員は時給2800円ほど)。
財政上の問題で勤務日を増やせないならば、時給を5000円から3000~3500円にすることも検討すべきではないか。
ある学校の養護教諭は嘆いていた。
ケガとかではなく心がしんどい、人間関係がもつれてしんどいなどの来室が多く、気持ちを聞いてあげる対応が多くなってきたからだ。
もちろん担任や学年教師も対応するが、それでも手は足らない。気持ちを聞くのも本来業務の一部ではあるが、その来室の多さに圧倒されて事務仕事ができないという。
完全下校が過ぎて、生徒がいなくなってから事務仕事を始めなくてはならないそうだ。
しかし、少し離れた市ではそういう子どもたちのために対応する職員を配置している。
そのための部屋も確保されている。
やはり、個別に対応するための人と場所は重要だ。
なぜなら、ひと昔前に比べると個別対応はかなり増えたからだ。
一クラスに担任が3人ほしいところもある。
国や県、市町にその理解があるのかないのかで教員の負担は大きく変わる。
残業代を増やしても、教員のしんどさは変わらない。
職員室の皆さんに悪いけどお先にという気持ちで、静かに職員室を後にして、靴箱に上靴を入れて下靴を出して履く。
そして、玄関を出る。
すると目の前にグラウンドが広がっている。
そこには部活真っ只中。
こうせいああせい・・と顧問の指示が聞こえてきます。
生徒たちは暑い中で頑張っています。
労働時間は5時までの規定のはず。
私ぐらいの非常勤だけ帰れます。
その時、ああよかった、常勤でなくて、と思います。
文科省はどう思っているのでしょうか。
部活指導の後しか職員室にみんなが集まらないので、生徒の情報の交換は6時以降になります。
教科や分掌の打ち合わせも部活終わってからです。
部活は大切だと思います。
部活の日は5時間授業にしてせめて夏場は5時に部活を終わる、てのはダメなんですかね。
すべてが平等なんて無理がある。
教員の学校の配置についても同じだ。
出来る教師は困難校を転々とさせられることもある。
また、比較的、穏やかな学校の集まった市町を転々とする人もいる。
同じ給料をもらいながら、精神的、肉体的に定年が来る頃にはボロボロになる人と、まだ余裕がある人がいる。
さて、私が勤める市は比較的穏やかな学校が集まる地域だ。問題はあるが、暴力事件やいじめ重大事件などが頻繁に発生することはない。
どちらかといえば、不登校が一番の問題となっている。
そして、今日は8月31日、明日から9月だ。
今日、医者に行ってきた。
病院の受付の人が健康保険証を提示してくれということで、健康保険証を出そうとしたら、国民保険から切り替わった保険証を学校からまだもらっていないことに気がついた。
それを言うと、現金で10割で払い、健康保険証ができたら3割になり、その差額を医院が私に戻すということを言われた(よくあることだ)。
しかし、その期限が8月中だという。
一瞬頭が???。
いや、今日は8月の末、31日。
8月中に新しい健康保険証を呈示できるわけない。「あほか」ようそんな殺生なこと言うなとカチンときた。受付の人はルールだからとの一点張り。
しかし、よく聞くと、10割で払ったその領収書を学校の事務へ持って行くと保険証が出来た時点で差額を戻してくれるという。ほんまかなと不安に思いながら、診療を受けた。
保険証の代わりにマイナンバーカードが適応するのかもやってみないと分からないと言う。
中学校では考えられない。
昔、年間の授業時数をごまかして報告していたところは普通にあった。
しかし、なんだかんだと世間が厳しくなり、委員会も見て見ぬふりはできなくなり、ごまかすということは少なくなった。
ただ、何年か前、本当にあった話で、今もやっているかもしれないが、年間授業時数の規定を完全に下回っているのに、ごまかして報告している学校があった。
まず、休みが多いのだ。1年から3年まで、3者面談の間は授業がないのだ。
何かと理由をつけては午前中授業や45分授業。
3年生の3学期は午前中授業がほとんどで、午後の授業があるのは2日ほど。もちろん公立だ。
その学校の名前を言いたい・・と、喉元まででているのだが、多くの方に迷惑がかかるかもしれないので手で口をふさいでいるところだ。
私の信頼できる他府県の知人の学校の話だ。
さすがに今はないと思うが、わからない。
しかし、不思議なことに年間の授業数は少ないのに、その学校の学力は低くはないと知人が言っていた。
今まで例のない対応だ。
22日は、伊達市の小学校でグラウンドでの体育の授業後、2年生の女子児童が熱中症の疑いで倒れ、死亡した。
それを受けての対応だろうか。
また、北海道の他の市では短縮授業にしたところも出ている。
いつも思うが、一市民や教師が真に大切なことを警告しても動かない。誰かが死んだり怪我をしたりしてから初めて動くのが行政だ。
今後、本州でも2学期が始まるが、子どもたちの心身の健康に配慮した柔軟な時間割を実施すべきだ。
3時間目と4時間目が体育の授業で、グラウンドに出てボール投げをして授業が終わり、校舎に戻る途中に倒れたという。気温は33,5度だった。
子どもは大人よりも汗をかく能力が40%ほど低いと言われている。つまり、子どもは汗で放熱する力が弱いし、体を冷却するという能力がまだまだ出来上がっていないということだ。
まさか、教員がこのことを知らなかったことはないだろうが・・。
グラウンドは照り返しもあり、気温以上に体にこたえる。しかも2時間体育となると、きつすぎたのではないか。
体育館でも、この時期は蒸し風呂状態だ。
こちらでは、これから2学期が始まる学校が増えるが、まだ38度とか体温より暑い日がある。
しかし、始業式の翌日から6時間授業など実施し、授業時数確保を第一として生徒を頑張らせる予定だ。
早く教育課程を刷新して、8月末までは休みとして、9月は午前中短縮授業をせめて1週間は続けるべきではないのか。
2022年から施行されている高校への観点別評価。
「知識・技能」,「思考・判断・表現」,「主体的に学習 に取り組む態度」の3観点に整理されている。
中学校での経験だが、12345の評価と観点別評価のABCの整合性が合わず、保護者にも説明がつきにくい場合があった。
だから、一旦、評価が出ても修正した。
例えば、4なのに観点別はAAA。
これをもらった生徒は、じゃあ5になるために何をどう改善したらよいのか分からない。
だから修正したのだ。
修正の仕方としては、4で知識理解が不足しているということはありえないので、思考判断表現をBにする。こんな感じだ。クラスに1人や2人は修正が必要だった。
この観点別評価の意味などを生徒や保護者に理解していただくのは難しい。
そこに時間を割くより、こちらが整合性を合わせておく方が、生徒や保護者にも我々にとっても、不毛な議論をする時間もエネルギーも奪われなくてよい。
そんなことより、私が一番嫌だったのは、従前の「関心意欲態度」の評価をつけることだった。
関心意欲態度を見るために、ノートや問題集の評価をつけるのだ。
付箋をつけて重要なことや補足を書いたり、色分けしたりして少し工夫がみられる様子があるノートはA、普通はBとかなのだが、面倒くさいし、自分の心に嘘をついているように感じていた。
自分が中学や高校の時、そんな工夫なんて、邪魔と無駄以外なかったからだ。
教師として評価している今の私は嘘の私。仕方ないからやっている。
これが嫌だった。
大声をあげて叫びたい。ノートなんて自分が分かればよい。
それがAだ。
見栄えよく作品のように作るのは、やはり無駄、というより要領の良い学習とは言えず、学習の仕方が分かっていないのでBとつけたいところをAにする心の切なさ。
観点別評価をつけてから2人一組で点検をする。この仕事も増えた。とにかくよいことだからとどんどん増えていく仕事量。働き方改革と言いながら、不思議だ。
道路では、それでも走っているジャージ姿の生徒たちがいた。
「ようやる」と横目で見ながら通り過ぎた。
話しは変わるが・・
「特別支援教育において専門的な教科指導を強化すべき」と文科省に叫びたい。
特別支援学校か特別支援学級か普通級かと悩まれる保護者は多い。
市の就学指導委員会などで、どこが適応しているか示してくれるのだが、発達検査の結果などを考慮して判断してくれるだけであり、最終決定は保護者となる。
特別支援教育を受ける児童生徒はうなぎ上りに増え、文科省は柔軟な対応を迫られている。
教室や教員が足らない状況を改善していくと共に、特別支援教育の中身を、今のニーズに合わせて刷新していくことが求められているのではないか。
現場の教員に聞いてみてほしい。
昔は、特別支援学級→特別支援学校→障がい者枠就職、就労支援などというお決まりのコースでそれ以外考えられなかった。
しかし、特別支援学級に、知的には問題のない児童生徒が入級を希望する案件が増えてきた。
これにしっかり応えていくには、学校全体の時間割を綿密かつ柔軟に考えなければならない。(これがすごく難しいんです)
教科指導は、そもそも支援級担任が一人で対応できるものではない。
特に教科担当制の中学校では難しく、各教科の教師に応援に来てもらったり、交流学級へ授業を受けに行ったりするのだが、毎年それでも事足らない。
以前いた学校でも、体育の支援級担任が数学や理科を教えて、しかも苦労しながらテストまで作っていた。
専門外を教えるのは苦痛であり、教えられる生徒は残念だがポイントを押さえた指導を享受できない。
支援級の生徒はより時間数を絞って教えなければならないのに、専門外の教師ではそんな高度な工夫はできないはずだ。ましてや教科の受験指導となると、とても対応できない。
いったいどれだけの人間がこのことを分かっているのか、置き去りにされているような特別支援学級の状況をみると悔しさがある。
・・・補足・・・
自閉症・情緒障害学級は、主として知的障害のない自閉症の児童・生徒を対象とするた め、各教科の指導は、基本的に通常の学級に準ずる内容を実施する。しか し、自立活動もあるので、児童生徒の特性に応じて指導内容を検討・精選、工夫しなければならないのだ。
支援学級では、生徒8人以下を1人の教師で見ると決まっている。担任の専門教科であれば、しっかり専門的に教えることが出きる。しかし、専門の教科外も支援学級では教えなければならないことが多々出てくる。しかも、能力が千差万別だから、指導が行き届かないのが実情だ。
人間は暑いと、皮膚の表面の血管を広げて血流を多くする暑さ対策をする。その結果、脳への血流は弱くなり、脳の活動が弱くなる。つまり、頭がぼーっとしてくるのだ。
昔、9月から2学期が始まり、しばらく午前中短縮授業だったのが懐かしい。
今は、8月28日あたりから2学期とするところが多くなり。それに加えて、始業式の翌日から6時間授業を強行する。
これには生徒も肉体的・精神的についていけない(実は教師もだが・・)。
自主的に短縮授業をする生徒が出てきてもおかしくない。
この暑さも含めて、18歳以下の自殺者数が一番多いのは2学期の初めだということを学校は考慮すべきではないのか。
暑さは教室にはエアコンがついているから大丈夫だと思われるかもしれないが、まず、児童生徒は登校してくるだけで汗だくになりかなり疲れる。
そして、身体が学校のリズムになじんでいないなど、長期休業明けには多くの課題があり配慮が必要なのだ。
実際、この暑さで保健室は、体調不良生徒の来室が多くなる。
以前のように2学期の初めは午前中短縮授業にすべきだ。
そのためには、キャパオーバーした教育課程を見直し、詰め込んだスケジュールから生徒も教師も解放してあげることだ。
その第1歩が、週2時間ほどある「総合的な学習」を潔くなくすことだ。
それにより、教師の仕事も減る。
毎日6時間という詰め込みがなくなり、教師も生徒も余裕が出てくる。
学校にはこの余裕が重要なのだ。
このことの方が総合的な学習を行う効果より、教師の働き方改革をも含めて教育的効果は大きい。
教育実習では、この「指導案」が重要視される。
研究授業のために「指導案」を長い時間をかけて完成させるのだ。
何回も指導教官から訂正を受けることもある。
寝る時間を割いて取り組むことも稀ではない。
ところが、いざ教員になって、年間200日前後授業をしても、それらの授業のために「指導案」を書くことはほとんどない。
40年の間、教員を続けてきた私でも、正式な「指導案」を書いたのは不本意ながら10回もない。
何か研究授業の都度に書くだけだった。
教育委員会が視察に来る時の略案は毎年一つは書いていた。
なぜ、授業に使わない「指導案」を形式や文言にこだわり重視するのだろうか。
この忙しすぎる教員生活の中では実態に合っていないのは明白だ。
実態に合っていないことに実習時間を割いて終わらせることが、本当に教員の実力につながるのか疑問だ。
教員はよく子どもたちと対峙する時間はない、それは事務処理に圧殺されているからだと言う。
しかし、教員たちは実習生にそれを行っていることを理解していない。
「指導案」は学部の授業で習得させ、実習では生徒に対峙すること1時間でも多く授業をすることに重きを置いてはどうか。
実習の授業も略案で十分ではないだろうか。
バイデン米大統領は現地時間8月10日、米ユタ州でのイベントで中国を「時限爆弾」と表現した。
★ 中国の不動産大手・恒大集団は8月17日、米連邦破産法15条の適用をニューヨークの連邦破産裁判所に申請。
★中国の不動産大手・碧桂園は、発行したドル建て社債2本総額2250万ドル(約33億円)の保有者に対して、8月7日が期限だった利払いを履行できなかった。 30日間の猶予期間内に支払いができなければデフォルト(支払い不能)となる。
このような現実が迫った中でのバイデン大統領の「時限爆弾」発言だった。同時に「悪い人々が問題を抱えると悪いことをする、これは良くないことだ」と発言している。
この発言も意味ありげで怖い。
不動産バブルの崩壊が金融危機を誘発するのは、歴史の常だ。
「時限爆弾」は世界の行方を左右することになるかもしれない。
リーマンショックの時も、日本の専門家連たちは、いわゆる「対岸の火事」レベルで日本への影響は限定的とか言っていた。それが実際には、とんでもない破壊的レベルの影響だった。
コロナもしかり。
これを甘く見ていると大変なことになりそうだ。
「小学校で教育実習したとき、2021年度から必修化になったプログラミングの授業を何度か見学させてもらいました。そこで目にしたのは、教えるための十分なスキルがないまま授業をしている先生たちの不安そうな表情でした。時代の変化が速い中で、教員が教えることも変わっていくはずです。そういう場に身を置いて、不安な気持ちのまま子どもに接しなければならないのかと考えたとき、『教員の仕事は自分に向いていない』と思いました。それで、教員になるのはやめました」
私の知り合いの大学生が通う大学では、教育実習が終わった後、教職課程を履修していた学生たち数名が来なくなったという。その大学生が一人に理由を尋ねてみいたらしい。
何度も指導案を書き直さされて大変で、しまいに土日も駆り出された、もう教師になるのを止めたという。
「教育実習」そして「指導案」、実を取るようなものにならないのか。
例えば、いじめがあった場合、学校側はそれぞれの「設置者」に届け出ることとなっている。
公立の場合は教育委員会だが、私立の場合の届け出先は当の学校法人なのだ。
だから、私学は、いじめがあっても隠ぺいしやすいシステムになっている。
しかも、教育委員会の片隅に設置してある私学課などと呼ばれているところは、法の規定により問題教員の人事異動やいじめ加害者の出席停止といった「具体的な改善指導」はできない。
また、特別支援教育では、しゃべることができない子どもたちは、教師からの虐待や暴言をされていても訴えることができない。つまり特別支援教育でのそういった類のものは発覚しにくいということだ。
何が言いたいか。私学と特別支援が重なると、非常に危険ということだ。
私学のいじめや虐待の現場には穴がある。子どもたちを守るためには、その穴を埋める法の早期改正が必要だ。
文部科学省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(2018年度版)によると、全国に3万7192校ある小・中・高校・特別支援学校のうち、「いじめ」があったことを認知していた学校は80.8%。国公立と私立に区分すると、前者は83.1%。これに対し、全国で2579校ある私立のいじめ認知の割合はちょうど50%。私立の学校はいじめが少ないと判断できる、と思ってしまう。
働かないということはプレッシャーがない。自由で気分が良い。
働いている妻から見ると、だらだらした生活に見えたかもしれない。
2学期から知り合いの校長から頼まれ、中学校へ働きに行く。
だが、この自由な生活が板について「働きたくない」というモードになっている。
白髪のおじいさんが中学校へ行っても、職員にも生徒にも相手にされないだろうなと、そちらも小さなプレッシャーになっている。
ああっ、若い時は、いや、ついこの間までは、生徒にも好かれ、職員にも好かれ楽しい学校生活を送っていた。
しかたない、そこは割り切るか。
教科を教えるわけではない、教室に入ることもない。1対1対応の仕事だ。
時数も多くはない。ただただ、専門的なだけ。
3月まで頑張ることが出来ればいうことなし。
でも、自分の好きなことは横へおかなくてはならない。
涙。
さて、明日は家族で海へ行くという。海に行くのはよいが、泳ぐとなると、上半身をみられるのが恥ずかしい。
このだぼだぼの身体。特にお腹。
海へ行ったら泳ぎたくなる。裸にならないといけない。
だんだん人に見られると嫌なところが増えてきた。
そのままにしておくと台風の時に瓦が飛び他の家に迷惑がかかる。
ボロ物件は安いし利回りが良いのだが、こういうことがあるので危険な商売ともいえる。
教え子の工務店に来てもらい見積もりをしてもらった。
70万だという。
「教え子やろ、もうちょっと考えろや」と言いたくなる金額だった。
ショックだった。
だがどうしようもない、道は3つだ。
①家を売る ②70万で直す ③ついでにいろいろなところを直しまくる
さて、どうするかだ。
100万までで購入できたこのぼろ物件、人が住めるまでにかなりのお金をかけてきた。 だからまだかけるのかと思うとショックなのだ。
下を向いていても仕方がない。
最善の道はあると信じよう。
ひょっとしたら、このぼろ物件をこの際さらにリノベーションせよという天からのお達しかもしれない。
そう思うと心が軽くなってきた。
人生が楽しくなってきた。
旅行へ行きたいが、予算も少ないので、日帰りで日本海の海へ行く。帰りにスーパー銭湯へ行って夕飯を食べて終わる。
無駄使いはこの歳になって死を意味する(大げさやけどほんと)。
だが、嫁が大手の研究員の友人は、海外旅行へ1週間行くという。
いいね。
知り合いの校長から、人が足りないので来てくれという涙ながらの要請に応えた形だ。
フルはやめてほしいと校長へ懇願すると、教育委員会へ折衝してくれた。
そして非常勤講師という形で働くこととなった。
でも給与は安い。まあ涙をのんで、人が足りない教育界に貢献するしかないかと思っている。
利点と言えば、家から近い。好きな仕事。知っている人が多いので、人間関係をはじめから作らなくてもよい、ということだ。
知っている人が多いとその分話も早いし、何かと融通が利く。
また、非常勤だから、部活動や公務分掌を持たなくてもよい。
これは、私は楽なのだが、その分私の仕事を誰かがすることになる。
だから、正規の教員が一人いなくなると、周りの教員の負担が増え、学校が疲弊していく原因となるのだ。
こんな老教員を雇うしかない教育現場のつらい状況は見るに堪えない。