公立学校の真実
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(2000年)社会関係研究 第6巻 第1・2号 で 吉井健治は「日本におけるホームスクールの可能性と課題―ホームスクールの一事例を通じて―」の論文の中で次のように論じている。
「わが国の場合、不登校生徒及び高校中途退学者は年々増加しており、学校教育からの子どもの離脱現象がすすんでいる。
ところが、この問題への対応においては学校教育の内部における対策が強化されるばかりで、学校教育そのものの存在価値や学校外教育の可能性についての論議は少ない。
この背景には、学校教育の万能性が期待され、同時に高い責任性が付与されるという、いわば学校信仰あるいは学校絶対視があると考えられる。」
不登校やホームスクールに関係する問題の解決は、学校側の対応に任せられ、関係する教師の力量にゆだねられているのが現状だ。
学校では不登校問題の解決の方向は「学校復帰」しかない。
それ以外のカードを持つことは、学校では許されていない。「学校信仰」を学校自らが捨てることはやはりできないからだ。
しかし、生徒によっては、「学校信仰」を捨てることによって救われたり命を守られたりすることがあるのが今の現状だ。
市や県が未来を見通して、「学校信仰」を打ち破った策を打ち出すことが必要なのだ。
どこの市町村でも行っている適応教室は学校復帰を目指すものだ。
しかし、学校復帰を超えた公的な取り組みとしてすでに次の3つがあることも知っておくべきだ。
〇特区申請をし学習指導要領を弾力化したシステムを作った大和郡山市。その施設ASU。
そのホームページには次のように紹介されている。
「ここでは、不登校児童生徒を対象とする学校設置に係る教育課程を弾力化できる措置を受け、学習指導要領を根本から見直し、独自の教育課程と評価を作成して、授業を進めています。
また、児童生徒一人一人の実態に応じて、常勤の教員の指導のもと奈良教育大学の大学生(学習チューター)が、学習指導の補助を行います。」
「奈良県公立高等学校や私立学校等を受験する際、調査書等は学科指導教室「ASU」で作成し、「ASU」から提出できます。」
〇京都市の洛風中学校は、「不登校という経験」がある生徒のために、「主体的に生きる・自立できる・自己実現できる」
すなわち、将来に向けて「社会とつながり、明るく元気に働く大人」への成長を支える学校として位置づけられて運営されている。
教育課程は生徒の実態に合わせて弾力的に運用押されている。例えば、朝の時間や放課後のゆとりを考え,午前中2時間,午後2時間を基本にすることで現行の1015時間を770時間に設定している。
〇池田市のスマイルファクトリーは、不登校生徒に丁寧に対応した施設だ。大阪府池田市からNPO法人トイボックス/スマイルファクトリーへの委託 という全国でも珍しい形で、既存の教育のワクにおさまりきらないこども達のための 新しい「がっこう」づくりを展開している。
内容的には午前中は自分のペースで個別学習を、午後はさまざまな体験授業(理科実験、アートなど)を行なっている。池田市民は無料だ。
学校は「学校信仰」から抜け出し、多様化してきた保護者のニーズに先手を打って策を打ち出すべきときがきたのではないか。
学校に行くのは週1 前向きな不登校を選択したある親子の挑戦
年間30日以上学校を休んだ場合、文部科学省の定義では、おおむね「不登校」と判断される。しかし、東京都内に住む会社員の佐別当(さべっとう)隆志さん(40)の娘の絵里ちゃん(6)は、あえて小学校に通うのは週1日とし、それ以外は英語教室に通ったり、母親の指導を受けたりして学ぶ。背景には「画一的な学び」への抵抗感がある。
学校と学校外の学びを組み合わせた教育方法を佐別当さんは「ハイブリッドスクーリング」と呼び、一つの選択肢として普及を目指している。しかし、法的な課題も多い。ハイブリッドスクーリングの定着はあり得るか。現状を取材した。
シェアハウスに暮らし、多様な大人の中で育った娘「学校に行かせるより家で学んだほうが伸びる」
家族以外の大人が日々出入りし、書道や演劇のワークショップなども自宅で開催してきた。一般的な家庭よりもにぎやかな環境で、絵里ちゃんはのびのびと育ち、人懐っこい、物怖じしない性格となった。「友達作るのなんて簡単だよ」。天真爛漫な笑顔は、いわゆる「学校に行くつらさを抱えて不登校となった子供」のイメージとは程遠い。
そんな絵里ちゃんを毎日小学校に通わせないことに決めたのは、佐別当さん夫妻の教育観によるところが大きいという。
「家で学校では学べないような体験をさせている。画一的に教えられるよりも、生活の延長で学んでいくほうが力を伸ばせるのではないか」(楊さん)、「学校に行かせるのが正しいんだろうかというのが疑問としてはあった」(佐別当さん)
絵里ちゃんからも入学前の学校説明会や入学式に行ったときに、「今までの教育スタイルのほうがいい、学校に行きたくない」という話があったという。
「そう言うんじゃないかな、と思っていた。娘が行きたくないなら、いろいろな学びの場や大人から学んでいく形を広げていこうと思った」(佐別当さん)
テスト当日にノートを提出させるのが通例だが、テストの採点とともに時間がかかる作業でもある。ノートの中身を丁寧に点検していくと相当時間がかかる。
時間がかかるだけでなく、ノート点検そのものに疑問を持っているから滅入るのだ。
ノートの中身をマーカーやペンできれいに彩り丁寧にまとめているなら、一応良いノートとされるが、私はあまり思わない。
教科の性質もあるのかもしれないが、美術科でもないのできれいさを競うものではないからだ。人に見せるものでもない。
ノートは自分の理解を助けるものであればよい。
なので、いちいち他人が外から見て評価する対象にはならないものだ。
これが本音なので、生徒のノートを点検してABCと評価するときの気分はつらい。
同僚にこのことを愚痴ると、同感してくれる人も多い。
しかし、「このノート点検で救われる生徒もいるんですよ。テストの点が悪くてもこれを頑張って最低の評定にならないようにしている生徒もいるんです」と伝えてくれた同僚もいた。
確かに。ノート点検があるから生徒は静かにノートをとり、教師は静かに授業を進めることができる一面はある。
我々の中学や高校時代、先生がノートを点検することは全くなかった。通知表が観点別評価になったのをきっかけに、意欲関心の観点をノート提出などに求めていった。
ノートだけではない。学校で使う問題集を提出させて評価する教科も多々ある。しかし、答えを丸写ししてくる生徒も後を絶たない。
それも含めてなんとか評価にしているのが今の現状だ。
答えを丸写ししてくる生徒、それは学力がその問題集に合ってないからだ。
だったらその学力に見合う問題集を与えればよいのだが、平等主義が邪魔をする。つまり、同じ教材でないと平等な地点に立って評価ができないのだ。
夏休み冬休みなどの宿題もどこかの出版社の作った問題集を一律に与えたりするが、学力差に合った問題集を選ばせることが必要だと痛感しながら購入させ、提出させている。
ノートをきれいにとることに力を入れるあまり、教師の話をうまく聞けていない生徒がいることは事実だ。本末転倒といえる。もっと自在に学習ができるよう我々教師側の自在な発想・工夫が必要な時が来ている。
年金は65歳までは満額はもらえないので月にして13万円ほど。そして、 週4の再任用で手取り月14万ほどもらえるそうだ。
だが、我々の時はこうとも限らない。まず、定年退職してすぐには年金が入らないからだ。
残念だが65歳まで働くか、退職金で食いつなぐかだ。退職金でつなぐとして、今までと同じような生活をすると65歳で2,400万ほどの退職金はほぼ無くなる。
先を見据えた先輩方は、在職中に賃貸業をしている。
貧乏老人や破産老人などとつぶやかれているが、教員もその中に入る可能性は十分ある。
65歳になってから月20万弱の年金で暮らすことは一応できる。食費、保険、光熱費などを節約して細々と暮らすのだ。
そんなイメージを描きながら夜を過ごすと、不安で何かしなければと突き動かされる。
その福島商業の出身の人と話をする機会があった。頑張って公務員試験に合格し、数々の資格をとり、賃貸業を0から始めて今では年収2000万の収入を得ている。
ある地方の3流私学出身の人は、みんなが知っている有名な学校の校長をしている。
教え子で、大阪産業大学を出て教師をしている者がいる。熱心に生徒指導の方で頑張っている。
どこの学校を出ようが、頑張っている人は伸びる。
教師はほとんど出身大学は関係ないだろう。やる気のあるものが生徒から慕われるだけだ。逆に難関大学を出て威張っている人間は残念なながら必ずしも生徒から慕われていないのが現状だ。
やはり、教師は人間性だ。
退職後はほんとに余生を消化するだけなのか。
退職金をもらい、再任用の低い給与で細々と暮らす。年金が出ると再任用もやめて貯蓄を崩しながら年金で暮らす。
社会から切り離されつつある老後。これを感じとって、同窓会や地域の会、〇〇の会などに顔を出す。茶飲み友達やゴルフ友達を探す。
そんな60代の先輩の姿をみる。
年賀状には毎年、「ゴルフ三昧で…」と書かれているが、第二の人生はそんなふらふらしていておもしろいのかなと疑問に思う。
現職の時、あれだけ大きな影響力や才覚を持っていた人が退職と同時に露のごとく消えていくのはとてももったいない。
退職したこの人らが力を合わせればどれ程大きなことができるのだろうかと思う。
「退職教員たちよ大志を抱け」まだまだ力は十分残っているぞ。
そのような人はだいたい中学校から支援学校に変える人が多い。中学校で使えないから支援に回す、というような扱いの人たちもいるのは事実だ。
しかし、年齢を重ねると、支援学校や支援学級に行ってもよいかなと思う。なぜなら、部活動がほぼないので拘束時間は中学校より短いからだ。
実際中学校から支援学校に行った人に話を聞いてみると、「ひまやー」「こんなに楽させていただいて申し訳ありません」「面白くない」などの意見が多い。しかし、「この教育がやりたかった、本当にうれしい」と感無量の人にも出会ったことはある。
「面白くない」という人の話を深く聞いてみた。
支援学校に行くと初心者になってしまい、いくら一般校で実績があっても新参者として扱われ耐え難い。人間関係が複雑で、悪口・陰口が普通に蔓延している。生徒からたたかれたりけられたり、愛情があっても疲弊する。人間てたたかれることが続くと精神が病むんだと知った。
などと語ってくれた。
支援学校には支援学校のしんどさがある。
中学校教員の多忙化を分析し議論するより、中学校という枠組みを変えることが最優先だろう!
今、わが校のわが学年では、不登校生徒がクラスに平均2人いる。
その中で、市の適応教室に通っている生徒が3人、家から出てこない生徒が2人、別室登校する生徒が4人。そのほかは時々来るが家にいるほうが圧倒的に多い生徒たちだ。
別室登校に対して、教員の加配は全くない。しかし、必ず、学年の教師が彼らの面倒を見るために別室に行く。養護教諭も手伝ってくれる時はあるが、基本的に学年の教師が就く。こうなると、学年の学級数が一つ増えたと同じことになるだ。
しかも、わが校は、やんちゃが多いので、教室に入らない彼らを誰かが面倒を見なければならない。
学年の教師は、授業をしているか、別室にいるか、教室に入らないやんちゃを追いかけているかだ。空き時間はなくなる。
場合によっては、朝早くから部活指導し、夕方部活指導して彼らが下校するまで、まったく休みなし、椅子にも座れない状態が続くときがある。
昼の休みがあるじゃないかというが、給食時間こそ戦いであり、昼休みこそ問題行動が起きやすい時間帯、だから私は廊下にいるのだ。
やはり、中学校教師はブラックとしか言いようがない。だが、夏休みは勤務はあるが楽だといえよう。
この中学校ブラック化の最大の解決策は、
「生徒は学校に行くべき」
「親は学校に行かせるべき」
という考え方を払拭し超えることにある。
不登校になると、親や本人は学校にいけないことを「罪」と思い。申し訳ないやら情けないやらの思いに駆られる。「すみません」と担任に謝っている親を見ることもある。生徒も恥だと感じている。
だが、本当は多様な生徒を受け入れられない一本調子のお粗末なシステムしか持ちえない学校が最大の原因なのを皆知らない。
例えば、通信制の中学校を作るのはどうだろう。通信制の高校があって、大学があって大学院もあるのだから中学校にも通信制があってもよいではないか。このような発想はないのか。
これだけ社会が流動化し困難化しているのに、先を見た柔軟な考えは未だ文科省から生まれてこない。
流動化多様化した世の中、いつまでも固定化したシステムを固守して、しかもそれがさび付いて、苦しんでいる人たちがたくさん出てきているのに、なぜ変えようとしないのか。
いじめで、学校に行けなくなり死を選ぼうとする生徒もいる。
朝、家の門から出ていくとき、生徒たちは学校に行かなくてはならない、学校にしか生活する場がないと思うからだ。
「学校がすべて」という誤った信仰に侵された悲しさがある。
中学校にも多様なシステムがあれば救われる生徒も必ず出てくる。
やんちゃも学校に行って校内をうろついて他人に迷惑をかけるだけかけて3年間終えるならば、既定の中学校より魅力的な中等専修学校をつくるべきだ。
高等専修学校があるのは魅力的だが、中等専修学校は、日本全国統一された一つしかないカリキュラムを押し付けられる中学校より、やんちゃさんにとっては個性を伸ばせるもっとも魅力的な存在になるだろう。
そうはいっても歴史的に文科省や公的機関がすぐ動くはずがない。基本的に頭が固すぎるのと、前例のないことはしない主義だからだ。
だから、なんでも民間がやってから、知らぬ間にすっとやりだすのが通例だ。
例えば、高等学校の特別進学コースとか少し偏差値の高い生徒が集まるクラスがあるが、これも私学が作って大きな成果を収めて、それを確認してから公立が作り始めた。
また、中高一貫なども、私学が大きな成果を収めているのを指をくわえてみているだけではたまらなくなったから公立が全国で作り始めたのだ。
つまり、先に社会の問題を解決すべく先鋭的システムを作り上げるのはいつも民間だということだ。残念ながら、その後に公的機関がゆっくりとついてくる。
私は、この中学校のシステムの多様化の流れを作りたい。流れを作ればきっと後に続く大きな流れができるはずだ。
これも本当に毎日苦労して身を削り活躍しておられる先生方を思い、頑張りたいと思うのだ。
しかし、やはりわが校でも、不登校生徒、授業を抜け出す生徒の対応に追われ、その時間がその生徒たちの対応にあてられる。
不登校の生徒を別室で教師もつかず自習をさせておいて何かあれば大変な問題となる。最近、自傷行為や精神疾患を抱える生徒が多いので一人にさせておくことはできない。
また、教室に入らないやんちゃな生徒を放っておくと、他の授業の邪魔をしたり、校外にいったり、たばこを吸ったり、器物破壊をするので教師がついていないといけない。
ここで教師は貴重な空き時間が無くなる。放課後があるじゃないかとなるが、部活指導や委員会指導、会議に追われる。
それが終われば…6時が過ぎる。そこで初めて自分の仕事ができるのだが、今日、問題があった生徒や不登校生徒のところへの家庭訪問や電話連絡に追われ、自由の身になるのは夜8時ごろとなる。夜8時であればましかなという中学校も多いはずだ。
クラスの大半を放っておいて一人の生徒に教師が莫大なエネルギーをかけることになる担任もでる。 これが学校文化だからと放置されているのが今の時代だ。
しかし、これを放置せずに処方していくとなると、莫大な予算がいるのも事実だ。その予算がないため、一人の教師が何役もやっているのが現状だ。
カウンセラーが学校に配置されて久しいが、週1日だけというのが定番で、現状の問題解決には遠い、焼け石に水というところだ。カウンセラー配置の事実を作るためと思われても仕方ない日数だ。
やはり、民間や地域が立ち上がらないとこの問題は予算的にも物理的にも解決は遠い。
学校にしがみつく必要はない
私から言わせれば、いやなら学校に来なくてもよい。これは突き放して言っているのではない。
申し訳なさそうに、学校に来れないことを学校に謝り、不登校に罪悪感を持つ生徒や親がいるのが不思議だからだ。日本の学校システムが狭いのだから、日本のシステムの問題なのだ。
学校も一つの選択肢だ。学校に行かないのも一つの選択肢だ。
ただ、学校に行かないとなると、学力をどうつけるのかという問題が残る。そこでそれを補完するシステムが必要になる。それを作るのにお金、人が必要になるのだ。公立で無理なら民間で作ろうではないか。
老体になると本当に記憶力が衰え目も悪くなり、顔も悪なる。もともと悪いけど。
ただ、不思議なことに、それでも慕ってくる生徒がいるんだな。
教師の特権かなと思う。
しかも、昔悪かった奴らが、20歳過ぎて会うと、敬語まで使ってくれるときもある。年末年始は忘年会新年会もあるけど、同窓会もある。そろそろ、日程の調整に入ってるクラスもあるようだな。
自分の中学校時代の忘年会もあるし、これも面白い。だが、来る奴はみんな一応集まっても恥ずかしくない程度の何かの持ち主ばかりだ。やはり大卒が多い。高卒でも何か成功したやつとかだな。
最近、体力ないんで、年金もらうまで働けるかなと思う。65までは働きたい。そう思う毎日。
過労死ラインを超える残業が状態化
今年4月末に文部科学省が公表した2016年度の「教員勤務実態調査(速報値)」で教員の勤務実態が明らかになった。公立学校教員の勤務時間は週38時間45分と定められている。だが過労死ラインに相当する週60時間以上(週20時間以上残業)勤務した教諭は中学校で約6割、小学校で約3割に上る異常事態が起きている。
『週刊東洋経済』は9月11日発売号(9月16日号)で、「学校が壊れる 学校は完全なブラック職場だ」を特集。大量の仕事に忙殺されながら、「子どものため」と酷使され過労死ラインを超える残業が常態化する教員たち。その負担軽減策に迫っている。
約6割が過労死ラインを超える残業を余儀なくされている中学校の教員。最大の原因は部活動だ。日本体育協会の調査によると1週間に6日以上行われている部活動(運動部)は7割に上り、そのうち週7日活動している部活動も1割ある。
一方、スポーツ庁の調査によると、教員が全員顧問に当たることを原則とする学校が9割近くある。土日もあまり休めない教員が多いのだ。
平日は授業終了後16~18時ごろまで部活の顧問に時間を割く。その後に授業準備や採点など教員本来の仕事に取りかかる。そうすると、帰宅は20~22時になる。休日も練習試合や大会があるときには1日通して付き添うことになる。
部活動というと運動部のイメージを持ちがちだが、文化部にも教員たちから「ものすごくブラック」と言われるものがある。それは吹奏楽部だ。夏場でも室内で行うため、エアコンなどの設備が整っていれば、熱中症などを気にせず何時間でも練習ができてしまう。教員は単に大人数をまとめればいいというわけではなく、楽器やパートごとに細かく指導しなければならないため、かかる負担は大きい。生徒にとっても、1人休んだら成り立たないのでプレッシャーになる。
また、東洋経済から学校の特集が出た。以前も学校の特集が出ていたが、興味を引き面白い。
ところで、各都道府県や学校によってしんどさは格段に違ってくる。若いうちは情熱とありあまる体力で部活動命のような教員もいる。文化部の吹奏楽部は確かに練習がきつい。さらにお金がかかる。
全国大会に行った私の友達の中学校の顧問は300万近くを修理費や移動費などに自腹をきっていた。
その顧問は、大会の時期になると相当のプレッシャーがかかっているのか、よく話を聞いてあげていた。
文部科学省は、2018年度の公立小中学校の教職員定数を3800人増やすよう求める方針だ。
新学習指導要領で小学校英語が正式教科化されるのに対応して専任教員を大幅に増やし、学級担任が受け持つ授業の負担を減らす。
事務職員も増員し学校の運営体制を強化。長時間勤務が顕著な教員の働き方改革を推進する。
小学校では新たに教科化される英語を中心に、教科を専門的に教える教員を2200人増員。
中学校ではいじめや不登校対策を強化するため、生徒指導を担当する教員を500人増やす。
事務職員も400人増やし、校長や副校長が学校運営に専念しやすい環境をつくるほか、子どもの貧困対策などにも対応できるようにする。
また、発達障害児向けに個別指導を行う「通級指導」や、日本語が不自由な外国人の児童生徒らの指導を担当する教員など、17年度から子どもの数に応じて自動的に配置されるようになった教員について、18年度は385人の増加を見込む。
一方、少子化などの影響による教職員数の自然減は3000人で、全体で差し引き800人の増。
18年度予算概算要求では、義務教育費国庫負担金1兆5189億円を計上するが、教職員の平均年齢の若返りなどに伴い給与が減少するため、要求額は前年度比約60億円の減少となる。
文科省はこれに併せて、26年度まで9年間の教職員定数改善計画も示す方針。
働き方改革などを目的にした増員を2万2755人、通級指導や日本語指導などによる増員を3476人と見込む一方、3万2200人の自然減を想定。
9年間で差し引き5969人の減少となる見通しだ。
小学校英語教員は非常勤などによる増員となるのだろうか。
いずれにしても英語教員の重要性が増すということだが、せめて公務も背負ってくれる常勤にしてほしいが現場の願いだろう。
元社会教諭に「数学教えて」 教員不足、九州の教委必死
九州各地で教員不足が深刻になっている。年度当初の欠員が相次ぎ、福岡県では1学期半ばでも60人以上が不足していた。第2次ベビーブーム世代の就学時に採用された教員の大量退職が背景にある。切羽詰まって、「教員免許をもつ人を紹介して」と保護者に呼びかける教委もある。
■保護者に「紹介して」メール
「お知り合いの方で、教員免許状をお持ちの方がいれば、是非紹介してくださるようお願いします」。今年1月、福岡県大野城市の小学校の保護者に届いたメールだ。県教委の福岡教育事務所が、管轄する市町の教委と小中学校を通じ、保護者ほぼ全員に呼びかけたという。この保護者は「そこまで先生が足りないのかと驚いた」と話す。
福岡県内の元中学教員の男性(61)には昨年、地元教委を名乗る人から「中学の教員が足りない。講師として来てくれませんか」と電話がかかってきたという。男性は元社会教諭。「社会はいっぱいおるでしょう」と言うと「いや、実は数学なんです。臨時免許を出します」。男性は驚き、断った。「数学なんて教えたこともないし、免許もないのに」とあきれる。
ある中学では今年度、技術の教員が6月半ばまで不在。やむなく技術の時間は家庭科や他の教科に充てた。生徒からは「なんで技術できんと?」と不満が漏れたという。別の中学では5月末まで美術の教員がおらず、授業ができなかった。体育教員が臨時免許で美術を教えているケースもある。
「担当外では満足に教えられない。これで学力をあげろと言われても無理」とある中学教員。別の小学教員は「教員はだれでもできる仕事じゃない。こんな状況では子どもたちにも失礼だ」と話す。
朝日新聞社
県下でも最強と呼ばれる困難校での活躍は目を見張るものがあり、県の優秀教員となったB校長。定年を待たずして肩の荷を下ろした。今は細々と市の施設で週四回の勤務をこなしている。
今までの実績が高く評価され県でも名の知れた困難校に抜擢され転勤が決まったC校長。しかし、3月の終わりに、誰もが耳を疑った。まさかの困難校を避けて転勤を拒否して早期退職を選んだC校長。
私はこの中のB校長とこの夏出会い、酒を酌み交わした。
壮観だった当時の面影は影を潜め、当時の思い出話とともに高血圧や体調が少しずつ改善し、今は気分が楽になりつつあることを聞かせてもらった。
もう一度教育現場で働くことを誘ってみると、怖い顔ですぐに拒否された。何か得体のしれないものにおびえ、しかし、それが解け始めているような感覚を受けた。
優秀な管理職の早期退職。
野野球のピッチャーの肩に似ている。 ピッチャーの肩は消耗品。
どのような優秀なピッチャーでも酷使続ければ必ず壊れる。必ずだ。壊れれば手術をし長いリハビリ期間が必要になる。しかし、そのリハビリが終了すればまた大舞台で活躍している。
このサイクルは野球界では誰もが知り、保証されいるようなものだ。
我々教員は壊れてからでは遅い。なぜなら肉体だけでなく知らず知らずのうちに精神も曲げられ壊されているときがあるからだ。
教員はどこかで自分に休みを入れることが必要なのだ。どこかで壊れる前に休養をとりきちんと回復させれば、また大舞台で活躍できる。
これは本人の為にも教育界全体のためにもとても重要なことだ。
しかし、責任を負っているものは、自分で休みを入れることができない。責任を負った優秀な教員ほど休むことはいけないできないと思い込んでいる哀しい現実があるのだ。
そこで、意外な言葉を聞くことがある。大学を卒業して誰でも知っている大企業に就職した卒業生が、「広島で教師をしている友達の話を聞いていると、教員がどれほどサービス残業をし頑張っているかが良くわかりました。部活の指導本当にありがとうございました」と言い頭を下げた。
いや、部活の指導など日々のやんちゃな生徒たちの指導に比べるとまだましだ。
また、話を聞いていると、実に志が大きい卒業生もいるものだ。私の志をはるかに超えているかと思われる。
これからも卒業生と呑むだろう。
そのたびに彼らの成長に驚かされる。しかし、私も若いもんに負けてられない。これからが青春と思い新たな野望に取り組む。
その中で採用試験の話をすると、採用試験の面接官は様々な人がいるということ。
面接官は現職校長や委員会の人が中心である。民間の人が入る場合もあると聞くが希だろう。
ここで問題になるのは委員会の人でも教育現場に直接関わっていない行政職の人が面接官になる場合だ。
ある県で、校長と行政職の人2人で個人面接をしたときに、校長は高評価で行政職の人は逆の低い評価になった。慌てた校長が、受験者の言動を専門的に説明をして不適切な低い評価を改めてもらったという。
また、これは受験者からの話だが、東北地方の国立大学の養護教諭特別別科の学生が北海道を受験したとき、一人の面接官が養護教諭特別別科の存在を知らなかったという。
もう一人の面接官が北海道(北海道教育大)にもありますよと面接中に別科の説明をしていたという。
受験者からするととても心もとない話だったという。
面接は人間が行う。
完璧はない
評価にもばらつきが出てくるのは当然と考えるべきだ。だからといって、面接練習をしても無駄だとおろそかにするのは無謀と言えよう。
3年前に受験した人が、自分の考えをまとめて暗記してましたと言っていた。そして今もそれをいえますよと、職員室で完璧にまでに披露していたのを見ると、さすがにそこまでやれば……自信がつくだろうと関心させられた。
しかし、熱がないのに暗記しても無駄だろう。
教育に対する無限の熱があるかどうかが古今東西、合格の鍵であることは間違いはない。
さて、ぜひ読んでみてください。いろいろな意味で考えさせられました。
(すべてを載せておりません、抜粋です。)
★★私は大学卒業から去年の12月まで13年間、高等学校の英語科臨時的任用教員及び非常勤講師をしてきました。
私は、所謂「教育困難校」と呼ばれる高校を渡り歩いてきました。勤務する自治体によって、あるいは個人によって事情は多種多様であると思いますが、私の経験上で言わせていただくと、正規採用と異なるのは「待遇の差」だけではありません。同じ仕事が割り当てられて、異なるのが「待遇の差」だけであれば我慢もできます。しかし、現実問題、同じ仕事内容、仕事量などということはありませんでした。細かく書くことはできませんので、簡単に申しあげますが、「嫌なこと引受人、何でも屋」でした。誰もが嫌がる係、役割をすべて充てられるのです。
着任早々、係を割り当てられた教諭に土下座で頼まれ、校長からも土下座されて頼まれたような役割もありました。私は着任したばかりなので何のことやら分からないままに引き受けてしまったのですが、着任後すぐに事情を把握できました。ここではその内容を書くことはできませんが、人(正規)が嫌がることを引き受ける(というか着任前から割り当てられている)ことが常でした。
長々と勝手なことをぼやいてしまいました。申し訳ありません。前任校は任期が12月までと年度途中までであったため、その後の繋ぎも四月からの依頼も無く、現在の預金も数万円・・・必死に各自治体の臨時教員の登録をしながら、短期の派遣を求職中です。3月末までの任期がないと、このようなことになってしまうことも非常勤や臨時的任用の大きなリスクです。明日が見えないとはまさにこのことです。明日が見えないのに11月に入籍を控えている私は、希望どころか、暗澹たる気持ちでいっぱいなのです。
それともう一つ申し上げれば、我々のように長年教壇に立っていた者にとって、転職は極めて不利です。理由はご存知と思います。ですが、正規の方は退職後までその問題に直面されることはございません。しかし、私どもは毎年、あるいは任期によっては1年も経たずして直面する問題、常にこの問題と向き合っております。その精神的な負担を考えれば、たとえ正規の方と同じ仕事を割り当てられたとしても、抱えるストレスは大きく異なると思います。
「あなたはここでやっていけたのだから、どこの学校でもやっていける!」「あなたは教育困難校の経験豊富だからもう慣れたでしょう!」非常によく言われる言葉です。
私は各地に点在する、その地区で悪名高いと噂される学校を転々としてきましたが、決して慣れることはございません。
ひとつひとつの事件がトラウマとなり精神を蝕んでいき、現在の学校教育に対する不安と失望ばかりが大きくなっていきます。そういった中で正採用になりたい、こんな教師になりたい、理想の教師像、、、そのようなモチベーションは否が応でも落ちていきます。そして万年講師という負のスパイラルに陥ります。これが我々の実情なのです。
もうひとつ、自分は消耗品なのだなぁと実感させられた思い出があります。マラソン大会の時のことです。マラソンコースは河川敷沿い、土手の上がメインでした。ところどころチェックポイントに教員が立つのですが、なにしろ河川敷なので悪路であったり、道が無くなったりで車では通行できません。そこで教頭が私を呼んでこういいました。「あんたバイクも持ってたよね。明日、生徒が全員ゴールするまでの間、バイクでコースをぐるぐる巡回してくれよ。途中でばっくれる奴やタバコ吸う奴がいないか目を光らせてほしいんだ。あんたが回ってるだけで抑止力になるからね。あのコースだと車じゃ通れないし、それができるのはアンタだけだから。頼んだよ。」そう言うと大好きなゴルフ雑誌を再び読み始める教頭。そして当日、言われた通り、バイクでぐるぐる巡回しておりました。途中、砂利の多い場所に差し掛かった時、急にバイクがスリップして制御不能になり転倒しました。しばらくは動けませんでしたが、なんとか自力で立ち、壊れたバイクを押して学校に帰りました。スーツはベリベリに破け血染めのスーツとなりました。競艇選手の兄から貰った大切なスーツ(競艇選手の制服、一見スーツにしか見えません)でした。
そのズタボロになった姿で職員室に帰ると皆、息を飲んで私を遠巻きに見ておりました。そして事情を教頭に報告して「今から病院に行きます。」と申し上げたところ「はい。じゃあ年休届出しといて」と例のゴルフ雑誌を見ながら冷たく返答されました。公務災害なのに年休?と不審に思ったのですが、とにかく病院へ急ぎました。肉の内部まで土が入りこみ破傷風になる恐れもあると言われ緊急に切開手術となりました。「これは労災だね」と助手の方からも言われました。「じゃあ明日、事務に労災の申請出さないとな」と思いました。翌日、事務にそのことを申し上げると、事務員の方は小声で「実バイクによる公務中の負傷は労災は下りないのです。バイクを公務で使用することは認められていないので」
返す言葉が見つかりませんでした。
ただ頭によぎったのは「使い捨て、消耗品」という言葉です。
教頭はそれを知っていたから年休届を出せと言ったのか?それを知った上であのような命令を出したのか?それは今でも分かりません。そしてその教頭は翌年校長に昇格しました。
★★当県では、正規採用者を大幅に増やした結果、臨時的任用教員のいわば「雇い止め」問題が勃発したようです。
臨時的任用教員さんのコメントと同様、私も、仕事に誇りを持って、充実感を感じつつ、前に勤務していた私立学校の冷遇から抜け出せた喜びを感じながら、生徒指導にやりがいを感じながら仕事をしていたのですが、事務方の横柄とも思える態度を見るにつけ、37さんと同様、不信感を抱いているところです。
もう、当県での採用試験は受けたくないなというのが本音ですし、そのような事務方のいるような県で仮に採用になっても、人事面で冷遇があるのでは?と勘繰りも出てきます。
せめて、人事評価を校長がし、教委に上げ、次年度の更新に相応しい職員かどうかを判断し、きちんとその評価については本人と協議し、納得の上でことをすすめてほしいです。仕事ができないという評価で更新がないなら諦めもつきます。
正直申し上げ、正規職員で授業もろくすっぽ成立しない方を傍目に診ながら、自らはそんな教員にはならないと心に決め、生徒からの信頼を第一にがんばってきました。国際理解教育など当校がまったく行っていなかった実践を、新たに企画・実践したのも私がいたからこそでした。
そんなことは関係なしに、ただ財政上の理由ののみで(私は40代なのでコストもかかるでしょう)「雇止め」なら、腹立たしさを通り越して、教員に転職などするんじゃなかったと後悔ばかりです。
臨採特別枠を設けて正規採用を増やしたのは悪いことではありません。むしろ全体としてはよろこばしいことです。しかし、行政の非効率な事務処理状況、たとえば、臨時的任用教員希望者およびすでに配属されている教員の人事情報を一元管理していない(こんなもの、このコンピュータ時代に、一元管理、ネットで結ぶことなどたやすいと思うのですが)、意味のない「一つの教育事務所管内でしか登録できない」などのシステム、改善すべき点がたくさんあります。この非効率なシステムがあるから、一方で人が足りないのに、一方では人がだぶついているなどの弊害がおこっています
★★非正規雇用の労働環境の不満に対して、
「そんな思いをしたくなければ早く採用試験に受かることだ」と管理職に言われたことがあります。
これは論点をすり替えているといいますか、問題外だと思いました。
「そのような思いをさせる労働環境、雇用条件等に問題があるのではなく、採用試験に受からないあなた方が悪い」と言われているようなものです。
このような状況では我々の労働環境は当分改善されないことでしょう。
上記に述べたことと、この件、総合して皆さまはどうお感じになられたことでしょう?
★★雇い止めの臨時講師
「不透明な決定という感触はなかったのか」という質問に「ございません」と即答。
京都府山田知事も7月14日の定例会見の中で「愛媛県は10年間訴え続けたのに対してこちらは1年、努力が足りなかった」と伝えた。
加計学園の問題はなんだったのか。
愛媛県、京都府の当事者の方がたの認識とマスコミの認識はかけ離れている。
マスコミは首相官邸と加計学園に問題があるかのように報道していたが、憶測の域を越えず、国民に誤った認識を持たせた。
しかし、ここにきて愛媛県前知事の加戸さんや京都産業大、京都府山田知事の発言により首相の加計学園への便宜は明白になかったと断定できた。
食品会社が偽装をおこなうとそれなりの法律上のお咎めがある。
マスコミがうそのニュース、一方的な偏った情報を流すことに規制や罰則はないのか。あってもほとんど機能していないのだろう。
岡山理科大学出身の先生が不満を語っていた。
マスコミは真実を知らせていないと。
なので、7月10日の閉会中審議なるものをネットから拝見した。
前川前事務次官が語っていたことは、ほとんどがテレビなどですでに聞いたような内容だった。
しかも、質問を真正面から受けていないように感じた。
もう一人の参考人、加戸愛媛県前知事の話は、あのお歳で静かながらも迫力十分で内容が整然としていた。誰が聞いても納得のいくものだ。
本当に愛媛を思い日本を思うからこその言葉だと私は捉えた。
加計問題の本筋が手に取るように理解できた。納得できた。
ネットでは、ある大手のテレビや新聞が加戸前知事の話は流さず前川前事務次官の話のみを流すという不自然な報道をとったことに対する大反発が起きていた。
確かにマスコミは国民をだましているといえる。
さて、調べてみると愛媛の岡山理科大学獣医学部の校舎にワインセラーなるものが設置されるとマスコミで取り上げられたが、これも完全なデマだった。
ワインセラーといえば大きなワイン部屋かなと思いきや全く想像とはかけ離れたワイン用冷蔵庫だった。しかも、初期設計段階で不適切だと加計学園が業者に取り払ってもらっていた。
ワインセラーあたりは他の大学でも設置されている。大学の中に食堂やレストラン、飲食会場はあって当たり前だ。
最近、マスコミや野党がアベ本人追及から岡山理科大学を貶めることに変わり、なぜか必死になっている。しかも、事実から逸脱している。
長期間政争の具にされ、マスコミから自分たちが通う学校を貶められている学生及び生徒たちがいる。そこに通う大学生や附属中学生、付属高校生たちそして卒業生たちの心は疲弊しているだろう。
加計学園に通う生徒たちはなにか悪いことをしたというのだろうか。
心が痛む。
そろそろマスコミはこのことも考えなければならないのではないか。ましてや、国民の代表である国会議員は当然であろう。
7/4 NHKニュースより
全国の公立の小中学校の教員の数が、ことし4月の時点で定数より少なくとも700人以上不足し、一部の学校では計画どおりの授業ができなくなっていることがNHKの取材でわかりました。
これまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足が要因と見られ、専門家は「国や自治体は早急に実態を把握し、対策を検討すべきだ」と指摘しています。
全国の公立の小中学校の教員は、国が学校ごとの児童や生徒の数に応じて毎年、定数を算出し、それをもとに各地の教育委員会が配置しています。
NHKが全国の都道府県と政令指定都市、合わせて67の教育委員会に教員の定数とことし4月の始業式の時点での実際の配置状況について尋ねたところ、全体の半数近い32の教育委員会で定数を確保できず少なくとも717人の教員が不足していたことがわかりました。
このうち福岡県内では担当教員の不在で技術や美術の授業をおよそ2か月間実施できない中学校があったほか、千葉県内では小学校の学級担任が確保できず教務主任が兼務する事態も起きています。
専門家によりますと、背景にはこれまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足があるということで、教員の配置に詳しい慶應義塾大学の佐久間亜紀教授は、「臨時採用など非正規の教員は雇用が不安定で給料が低く確保が難しい状況にある。国や自治体は早急に事態を把握し、採用計画を見直すなど対策を検討すべきだ」と指摘しています。
臨時講師は、ほとんどが教員採用試験に不合格で、来年度の採用試験を受ける人たちだ。しかし、講師プロの方もいる。
とにかく不安定が特徴。
次の講師の口があるかないかを気にしていなければならないし、教員採用試験のための勉強もしなければならない。精神的にも落ち着けない立場にある。
臨時講師は、ほとんどが4月から1年契約となるが、そこに入れない人もいる。
4月契約にこぎつけられなかった人は、講師依頼が来るまで他の仕事もほどほどにして家で待機しなければならない。
年度途中に、産休・育休、教諭の急な病気などで教育委員会から呼び出され赴任する。しかも年度途中採用は様々な勤務上給与上の理不尽に思える扱いがある。
このような不安定な職に就く人たちがが不足しているということだ。
私も年度途中で代わりの講師が来ないことを幾度も経験している。
このような悪条件で働く人を見つけるのには苦労する。
足りないというのではなく、だれもなりたくないので、そのような中途採用の講師の存在自体が希であるということだ。この採用計画を見直せるか大きな疑問だ。
大量採用が続いた都道府県では新任の若い人たちが多くなった。若い人は結婚し、女性教員は妊娠をする。
そこで大量に必要なのが産休・育休臨時講師だ。私の学校にも3人の育休講師が働いている。県全体では何人の産休・育休講師が存在しているのだろうか。かなり必要だろう。
ニュースといえば、松居一代のなんたらの話ばっかり。私は別に松居一代のことは好きだが、家族でも親戚でもない。そこまで詳細に毎日他人の家の中の状況を聞きたくもない。
日本の皆さんはマスコミに対してよく満足しているなと思う。
もっと大切なことがいっぱいあるだろう。
嘆きはさておいて。
北朝鮮の指導部が自国民におこなっている非人道的な政策に対して世界中が一丸となって改めさせるべきだ。
ミサイルだけをやめさせるのではない。
自由諸国陣営が大切にしてきた人権や自由が国丸ごと損なわれ、北朝鮮の方がたは悲惨な状況だ。人間として扱われていない。もし神がいたら血の涙を流そう。
なぜ自由陣営諸国は人間の尊厳や自由のために立ち上がらないのか。
日本よ、我々から
声を大にして立ち上がるべきだ。
まあそれはさておき、学校でキャリア教育を推進しているが、本音を言えば、きれいごとを教えているようでもぞもぞする。
卒業生と合って話をすると、医療事務なんか初任給が手取り16万ないという。しかし高校を出て医療事務の専門学校に進学している人が意外と多い。それで一生食べていけるのかと思う。
中小企業も待遇が悪い。ホテルマンだって1流ホテルならある程度の収入があろうが、中程度のホテルに就職した卒業生は手取り20万もない。
また、介護職の給料はもう笑うしかない。夜勤を月4回しても手取り17万だ。まず年齢を重ねても給料は上がらない。
こうなればやはり、大企業か公務員そして資格のある職業、看護師などだ。それを教えてあげなければならない。
我々のときは2週間で良かったものが今は3週間だ。
我々のときは教育実習は楽しいものだと思ていた。
授業が終われば先生と喫茶店に行ったし、大学の授業を受けるより生徒たちと触れ合えるのでみんな生き生きしていた。
だが、最近の実習は地獄だよ。ということをよく耳にするようになった。
何が地獄かと聞くと、睡眠時間がないという。おかしなことを言うもんだと思っていたが、妹の子が教育実習で一日2,3時間しか寝れなくてふらふらになって頑張っていると聞いて、本当なんだと確信した。
また、指導案作成にとても時間がかかるとも聞く。
我々のような困難校では、教師たちは生徒指導に追われ指導案をじっくり見る暇もないのだが、教育学部の付属校では、研究や指導案作成が命のところがあるので実習生の大変さが目に浮かぶ。
ネットで教育実習の大変さを検索していたら、教師にとって耳の痛いブログ記事があったのでアップした。
これは、個人的にわりと腹立ってることなので、だいぶ殴り書きになるかもしれない。
先日、後輩の女の子がボロボロと泣いて僕に相談してきた。その子はどうやら教育実習をしているところなのだが、実習がとにかくつらいとのこと。
話を聞けば、朝は7時45分には出勤。退勤はその12時間後。クーラーがない中でスーツを着ているため、体育館などで長時間立っていると具合が悪くなる。周囲にはしゃがみ出す人もいる。しかも業務はずっと立ちっぱなし。小学校での実習である故、椅子には殆ど座れない。
そして当然、休憩は存在しない。
帰宅後に提出用の実習の日誌を記入し、指導案の訂正をしなければならない。しかし、初めての教室実習で授業は思うように組み立てられず、不安になり、頭もこんがらがり、身体も心も強くない私はとても息が苦しくなる、と。
…話を聞いていれば、色々と思うところはある。
生徒の性格もステータスもろくに知らない教育実習生が、はじめての生徒の前での授業で不安を持つのは当然。大学で授業の案を作成する準備はできた筈。それでも学校側への不満はある。
まず、現役の教師らはろくに実習生の労務管理もできないのか。俺の前の実習先だと、夜8時半とか9時まで学校に実習生を居座らせる教師がいた。そこから指導案を訂正して授業の練習すれば、夜なんてろくに眠れない。
あ、「俺らはこんなに遅くまで残業代ナシで働いてるからお前らもそんだけ仕事して当然」とかいう言い訳はナシな。
そういう価値観がブラック労働を助長してるわけで。ブラック労働の何が問題なのかはもうイヤほど知れてるし。そもそも週5勤務の現場で休憩ナシに半日近く居させるだけでアウトなんだけど。日誌だって立派な持ち帰り残業だろうし。
しかも、その子の実習先のある教師が、実習生全体に向けて「体調管理はしっかりしろ」って注意したらしい。いやいやいや、あんな湿気も入り放題で熱も篭りやすい場所で、クーラーなしにどうやって体調管理しろって言うの?睡眠時間もろくに与えずに?
もっと言えば、校長。教員が実習生の勤怠管理もろくにできてないのは、校長がろくに教員の労務管理をしてないからじゃないの?
そもそも教師に無駄な仕事を押し付ける自治体や教育委員会、労働問題にろくな対策を講じない文科省もアレだけどな。
つーか労働の場で実習生や研修生を守る法律ができて然るべきじゃねえの?実習生とか新任の教師を鍛えさせる法律ばっか出来てるけど、不当で劣悪な環境で実習生や研修中の教員が勤務するのを防ぐような法律が先だろ。研修も、そういう労働法メインで教えろよ。
まあ給料の教職調整額が無くならない限り、そんなことはしないんだろうけど。
教員の質が低下?教師もブラック、実習時点でブラックじゃあ、そら優秀な人材はほかに流れていきますわ。我慢を強いられて働いて、それを同じように実習生に押し付けた結果だろ。離職率が高いのも納得。
しかも、中学高校なら、部活の顧問がができるか否かで教員採用試験の結果が決まるみたいな話も聞くし。
教育課程外の部活がメインの業務を圧迫するほどの負担になってる現状に何とも思わないの?
まあ思わないから部活ができてかつ素直そうな人間ばかり選んでるんでしょうけどねえ。おかげで自分の専門外の部活動の顧問をさせられて、私生活まで破綻してる先生方もいるみたいですけどね。
教育実習生に向けた現役教師のパワハラ・セクハラも最近ネットのニュースになったし、そろそろ実習先の中にフィジカルもメンタルもやられて自殺者が出る頃では?てか、もう実際に出てるとこもあるんじゃねえの?ドロップアウトする人間がいるのはよく聞くけどね。
ともあれ、先ほど話した女の子の実習が無事終了するかどうか、心配だ。
Homer's Blog
実習はそんなに酷なのか。
時代は変わったな。
ブラックと言われるまで実習生を追い詰める実習は必要ない。授業が命というのは理解できるが、我々教師が普段書かない指導案に体を悪くしてまでしがみつかせる必要もない。
実習でつかんで欲しいことはただ一つ。現場で、生徒の心をつかむためには何を一番大切にしなければならないかを身をもって知ることだ。
私は来年度講師の仕事がない、中学校の講師です。
もう10年以上も講師をしてきました。採用試験もずっと受けてきましたが、一向に受かりません。
管理職は本当にきちんと評価しているのでしょうか。今の勤務校の校長は、教育委員会にいた人物です。私の評価は悪いのでしょうか。待遇の差にも我慢して耐えてきて、ここで次の話もない。
採用制度を変えるべきです。2年以上臨時をしたら自動的に正式採用にするとかにしないと弱者は弱者のままです。
★★こんばんは。
今日、まさに不当な待遇を受てしまいました。来年度からの仕事はないと。
寝耳に水でした。
臨時的でありながらも、仕事に誇りを
もちながら、採用試験を受けながらでしたが、残念です。くやしいです。
仕事は大好きですが、この待遇の自治体への不信感、管理職への不信感は拭えません。
★★初めまして。正規教員です。
私は、少し厳しいことを言わせていただきます。
私は、大学4年で採用試験を受験したとき、不合格でした。その時の採用者は、0人。「0人なら、試験やるなよ」と怒りさえ覚えました。大学卒業単位をすでに取得していた私は、その後3ヶ月ほどアルバイトを必死で行って翌年の採用試験までの生活費を稼ぎました。そこからの勉強時間は1日12時間です。大学受験の時には体を壊して椅子にも座ることが出来なかったものですから、たぶん今までで一番勉強したと思います。勉強しすぎで大けがすることは無いと思いますから頑張りました。3流大学の私は、就職活動もしていないし、もう引くに引けなかったので必死でした。もちろん、民法について研究するゼミにいたので、そこでの知識が教職教養にずいぶん役立ったこともあります。その結果かどうかわかりませんが、翌年、300倍の難関を突破して見事合格してしまいました。
「優秀だね~」と職場でちやほやされるのもつかの間、採用数が少ないため、私の上下10歳ずつは年の近い教員が居ません。もちろん、今もです。15年くらいは一番下っ端で、嫌な仕事は全部やらされる。保護者やこどもに見える仕事は、全部持って行かれる。そういうやつに限って、管理職になったりしてる。今思いますが、管理職は、バックがアルト思います。旦那が社長、地域の名家、議員の親戚など。正規になったからと言って、楽しいことばかりあるわけでもありませんよ。
それでもこの仕事につかれたいのなら、頑張って正規になってください。今ここで愚痴を書かれている方。ネットなんかやらずに、勉強してください。
★★よくある臨任への批判ですね。
要するに勝てば官軍だと。
利益を守るべき組合の専従にも同じことを言われ、なんて教員の世界は冷たい人の集団なんだとがっかりしています。
もう、そういう偽善は聞き飽きました。問題の本質はそこですか?いちばん人間らしく働くべき教員がそれでいいんですか?ってことではないんですか?人を育てる仕事をしている教員が、正規と非正規雇用で分断されていていいのでしょうか?
正規の守られた立場だからこそ、仲間、同じ教員仲間を守るように声を上げるべきでは?なんで非正規雇用を下に見る?
あなたこそ、ネットしていないで教材研究したり生徒指導の仕方をめぐって議論してるんですか?
わたしは少なくとも研鑽のために大学院に行きますし、これまでも青年海外協力隊に参加していたりします。
★★
私は、4月から養護教諭の加配で中学校に行っている養護助教諭です。
兎に角、辛いです。
今まで楽しく養護助教諭をしてきたのですが、「私は正職です、先生は違いますよね」等々言われ続け、修学旅行には行ってくれ。中学校の加配なのですが、週3日は小学校に行くように言われ、不登校対応で入っているのですが、なかなか生徒と接することができず、先日、凄い目眩と吐き気が治まらず病院に行きました。
なぜ、こんな扱いを受けるのか…毎日毎日、朝、吐き終えて仕事に行っています。管理職は、あの養護教諭は性格が強すぎるからと言うだけで、何も改善はできていません。疲れました。
★★私は、昨年の12月まで初任の臨時採用としてある自治体で中学校教員をしておりました。
お恥ずかしい話で、途中でうつ病になってしまい、年度途中でやめてしまうという悔しい思いをしました。
やはり臨時採用の制度は見直してほしいとは思います。自分みたいな人を増やさないためにも...。
色々な仕事が最終的には降ってきて心も身体もボロボロになりました。自分が精神的にもともと弱かった部分がありますが...。
今はうつ病の治療をしながら、塾のアルバイトを始めました。まだ完治していないので不安ですが。一応教員は自分の夢だったので、今年も教員採用試験は受けようと思っています。
このような現状では日本の教育は衰退していってしまうのでしょうね。
★★こんにちは。
初めてコメントさせて頂きます。
家庭科教員を目指している大学4年生です。
今年度の教員採用試験が不合格だったため、大学院へ進学するか、臨時的任用教員になるかの二つの選択肢で迷っている中、このブログを見つけました。
みなさんのコメントから、各地域によって待遇が違うこと、それぞれの立場にも苦労があることを知りました。進路選択の参考にさせて頂きます。
ただ一つ、私の思いとしては、どんな立場になるにせよ、一番に生徒のことを考えられる教員になりたいです。現実を知らない若輩者の言い分ですが、これだけは見失わないようにしていきたいです。
ありがとうございました。
☆☆ ここからは「公立学校の真実」のブログ主 ☆☆☆
臨時講師は間違いなく冷遇されている
行政の財務緊縮で一番最初に身を削られる存在である。
大学の同窓生である友人が努める奈良県では、臨時講師と新任だけが、平成29年4月当初に委員会で決済された通勤届けを7月になって突き返されるという出来事があった。
さらに事細かく査定され戻入勧告者が続出しているという。
中にはあまりにも一方的な査定なので思い余って上申した結果、戻入勧告を撤回してもらえた講師が出てくるなど、他府県ではありえない混乱の様相だ。
一度行政側が決済した通勤経路と通勤手当を、年度途中に変更し、当事者の戻入という形で終わらせるということは誰が聞いても納得のいかない話だ。
これを百歩譲ったとしても、講師と新任だけが戻入し、新任以外の教諭は3月から4月へ継続されているからという(あまりよくわからない)理由で今年度の戻入はしないという差別化は、少なくとも私の県では聞いたこともない。
まさに弱い者いじめととられかねない話だ。
講師や新任は文句を言いにくい立場にある。
これを利用した年度途中の講師と新任だけの戻入といえる。
この件については多くの管理職も納得のいかない部分が多かったと友人から聞いた。
こういうことがあると働く意欲がそがれる。
このようなことは氷山の一角だが、本当に臨時講師は上記のコメントにあるように精神的にきつい。
しかし、急に講師の立場や採用システムが好転することもない。
結論から言うと、落ち着いて自分の教育を実践するためには「教諭」になることが先決だ。
採用試験を突破するにはそれ相応の準備が必要なことは言うまでもない。
だが、私の周りを見ても、何かと自分に都合をつけてそれをしていない人が多いのも事実なのだ。
そういう人が多いということは、本気になれば突破できる可能性が高いということだ。
幅広く策を練ってみてもよいと思う。
却下されそうだが、あえて言うと…倍率が低い県を狙う…私学の専任を狙う…倍率の低い教科や校種に変えて受験する等などだ。
一度は頭をよぎった人もいるかもしれないが、実行するとなると心の変換が必要となる。
しかし、それで成功を収めている人を何人も見て来たから言えることだ。
まだ教員として働いていない人にはわかりにくいが、正規採用と非正規採用には待遇面だけでなく精神的な面でかなりの差がでる。
その改善は行政にとっても課題だが正直難しいところにある。