公立学校の真実
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例えば、頭髪指導なんて学校の責任ではない。夏休みともなれば、ずいぶん多くの生徒が髪を茶髪にする。親が許しているか、親が乗り越えられているので指導できないかだ。それを学校が指導していく。このエネルギーだけでも相当なものがある。ピアスは親があけるときもある。それを学校が外させる。服装の指導も大変だ。勝手にしてくれと言いたいくなる。しかし、放っといては学校の評判が悪くなる。地域からどうなっているのかと問われる。 仕方なく学校が担わなければならない。
学校は指導をやっても親から文句を言われ、やらなかったら地域に学校不信が広がる。サウンドバック状態といってよい。中学校はそういう指導に費やす時間と労力が大半を占めていて学習指導の準備ができない。だが、それでは学校不信がより深まるので、なんとか頑張っている状態だ。
だれか声をあげて学校がやることと家庭がやることを分けるシステムを作ってほしい。
そういうことを言うと、お前がやれよ、という声が聞こえてきそうだ。
管理職は組織を動かすのか、人を動かすのか。
管理職は組織を立ちあげて計画的に学校運営をすることが基本だ。
しかし、大阪の教員は組織的にものごとを進めることが弱い。緻密さや論理だててものごとをすすめることを置き去りにしてきたからだ。横暴とかわりない大胆さやどんぶり勘定が幅をきかせていた。
校長をトップとした組織を作り、末端まで動かす。そのための心臓が企画委員会なるものだ。頭脳は校長、教頭、教務主任の3役が中心だ。これらがしっかりビジョンを持って心臓部の企画を動かし、次に各部を動かしていく。この当たり前のことがなされなければ、職場は混乱する。
例えば、企画委員会を通さず校長の思いつきで一つの部を勝手に動かすとかだ。しかし、トップのビジョンと計画性がなければ、目の前にものごが迫ってきてからしか動き出さないので、時間がなく、しかたなく直接人を呼びその「人」を動かす。組織ではなく人を動かすのだ。これでは組織が混乱し、全体は力を発揮できない。
これは管理職に限ったことではない。
大阪では、教育委員会がまさにこれだ。学校に委員会から下りてくるのが1カ月前という事案がある。学校には何のための年間計画があるのか、それは無視だ。
最近、急に委員会からの要請で生徒を動かさなければならないことが多くなったきた。それに対して校長はNOとは絶対言えないので引き受ける。そして実行部隊は校長の言うことを実行してくれる教師たち。つまりYESマン教師か、NOと言えない新任たちとなる。
これが当たり前になれば現場に不信感がつのる。
桜ノ宮高校にしてもそうだし、給食導入、生徒の教員評価導入もそうだ。
大阪の友人たちはこう言う、「明らかにベテラン教員のやる気度が低くなった」、さらに「新人教師の志が目に見えて低下してきている」と。
友人はこう解説してくれた。
大阪は他府県から遅れている教育を取り戻そうと必死だ。大昔からやっている10段階相対評価なども絶対評価への移行が検討され、指導要録もいい加減な大阪基準からきちんとした全国基準でつけられ始めた。このように一斉に改革をやるので、それまでのやり方になじんできたベテランたちがついていけない。また、そのような改革が現場からの必要性で生じたものではなく、上からの一方的な通達なので、ただ形だけをこなしていき、むなしさが蔓延する。
最近は管理職さえ職員の前で橋下改革にたいする不安を見せる。結局、橋下ー委員会ー管理職ー教職員という一方的な通達による急激な方向転換によって橋下以下が右往左往しているのが現状だ。やることが一方的なので抑うつ感が蔓延し、職員の自主性の欠落がおこり、団結力が弱まり学校全体の問題解決能力の低下が起こっている。
ここからは私の論。
ただ、大阪にも大胆な改革が必要とする因があった。本当にいい加減な教員が多かったからだ。過去形になっているが、今も多少そうかもしれない。学校内でセックスをする教員たちがいたりと、すごい。
そして以前、大阪市は職員互助組合が「退会餞別金」を1人当たり300万円以上も支払ってきたことが発覚。いわゆる闇退職金だ。
このうち実に7割が公費(税金)だったことが批判され、2005年には住民団体による返還訴訟が起きた(大阪地裁で20億円を返還することで和解)。闇給与もあった。
だから大胆な改革は必要だ。
愛知県教育委員会が2010年4~6月に県立学校で勤める教員約1万1千人の勤務時間を調べたところ、国が過労死の危険ラインとする月80時間超の残業をしていた教員が3カ月の平均で13%に上っていたことがわかった。同県教委が全教員を対象に勤務時間を調べ、残業時間の割合を把握したのは初めて。
調査対象は、県立高校151校と特別支援学校27校(分校含む)の計178校に勤務する教員約1万1千人。
その結果、残業時間が80時間超だった教員の割合は、4月15.6%、5月11.5%、6月12.0%。新年度を迎えた4月が高かった。最も超過時間の割合が高かった県立高校では、教員のほぼ半数が月80時間を超えていた。
残業時間は09年度も調べたが、集計方法は学校に任せていた。10年度からは県教委による統一の書式で全教員に記入させたため、09年度に把握した人数より5倍近く増えた。10年夏以降の調査結果も集計を進めている。
県教委は10年3月、各校に対して負担軽減を呼びかけるための通知を出し、定時に退校する日を設定することなどを呼びかけた。だが、現場では超過勤務が続いていた。土日に部活動を指導したり、検定や試験に向けて指導したりしているためとみられる。
調査結果について、県教委福利課は「少ない数ではない。厳粛に受け止めている」としている。
17年連続の増加で、00年度(2262人)の2.4倍。病気休職者に占める割合も63.3%で15年連続の増加。
文科省は08年、教員の仕事量についての調査、検討を都道府県教育委員会に通知したが、増加に歯止めがかからず、「長時間労働や保護者からの要望の多様化など、複数の原因が絡み合っていると推測される」と分析した。
全国の公立小中高や特別支援学校の教員約91万6000人を対象に調査。病気休職は8627人で、うち精神疾患が5458人といずれも過去最多となった。精神疾患の多くはうつ病とみられ、パニック障害や統合失調症も含まれるという。
精神疾患者の年代別内訳は
20代364人(6.7%) 30代1048人(19.2%) 40代1926人(35.3%)
50代以上2120人(38.8%)
全教員の年代の比率は20代9.6%、30代22.4%、40代36%、50代以上32%であることから、50代以上の割合が高かった。
文科省は「職責が重くなることに加え、体力の低下から自信をなくす例が多かった」と説明した。発症原因は(1)長時間労働(2)多様化する保護者の要望への対応(3)複雑化する児童、生徒指導(4)職場の人間関係--など。
文科省は増加する精神疾患対策として、08年に教員の事務負担を軽減するための実態調査を行うよう各教委に通知を出したが、今回の調査では市区町村教委の43.2%が調査をしていないことも判明した。
文科省は「この結果を教委に戻し、調査をするように呼びかける」としている。
◇懲戒処分943人で前年度比116人減
調査では教員の懲戒処分などについてもまとめた。
何らかの処分を受けた教員は計7981人(監督責任を除く)で、08年度より3961人増。
このうち免職、停職、減給、戒告の懲戒処分は943人で、08年度より116人減った。全体の処分者数が大幅に増えたのは、兵庫県で3624人(学力検査の集計、採点ミス)、神奈川県で130人(PTA会費の引き落としミス)の大量処分があったため。
主な処分理由。
飲酒運転を含む交通事故378人(08年度比44人減)▽体罰150人(同10人増)▽わいせつ行為等138人(同22人減)など。
わいせつ行為などで処分を受けた教員(懲戒処分以外も含む)の年代別内訳。
20代26人(17%)、30代38人(24.8%)、40代51人(33.4%)、50代以上38人(24.8%)で、全教員の構成比率に比べると20代の処分者の割合が高かったが、文部科学省は「なぜ高いのかは分析できていない」とした。≪毎日≫
精神疾患で休職した公立学校の教員が過去最多の5458人。これは、精神疾患を患った教師が5458人ということではない
ほとんどの都道府県では、精神疾患で2週間の休みなら、年休か病気休暇扱いだ。もちろん5458の数字には上らない。では、5か月休んだとしよう、これも長い間精神疾患で休んでいるが休職に入らない。
精神疾患で休みだしてから6か月を超えるまでは休職と呼ばない。休みだして6カ月過ぎた時点で休職となる。給与もおよそそれまではほぼ全額支給だが休職から8割となる。
休職に追い込まれる教師はそうとう痛んでいる。また、私の知っている限りで、休まないまでもうつの薬を服用している教師が複数名いる。5458人には含まれない精神疾患を患っている教師は相当数存在すると考えてよい。
教師の精神状態は極限に来ている。生徒たちは、ずたずたな精神状態の教師たちと毎日過ごしているということだ。大げさな表現とは言えないと思う。
もし、この困難な状況を半分でも改善できたら、日本の生徒の学力はぐんと上がり、世界に誇れる教育成果が現れる。なぜなら、教師が元気になると、本来業務の教材研究に力が入り、また新たな良き発想が湧き学校に好転循環が生まれるからだ。
高校の先生が中学校に赴任すると、かなり大きな違和感を感じるという。まず高校では、授業を受けないで徘徊する生徒は停学、喫煙・暴言暴力は2度3度行えば退学。提出物も未提出ならば容赦なしに単位は与えないところがほとんどだ。それに対して親はめったに文句を言わない。
一方中学校では、退学はない。ひどくなると学校内で喫煙を見つけたくない気分になる。いくら見つけても親も家で吸わせているし、改善の見込みがないからだ。通知表を1にすると親は怒鳴りこんでくるものもいる。教師への暴言暴力はひどく日常的になる。学校は秩序を保つのが難しくなり無法地帯と化し、さらにいじめの温床となる。以前いた学校では、普通のいじめに指導がいきわたらなかった。それよりももっとすごいことが常時起きているし、夜も土曜日曜も休むことはなく学校に出て力を使い果たしていたからだ。
この状況のなかで中学校教師は心の傷を癒す暇なく、世間や上からのパッシングを受け続ける。その時、精神と体のバランスが崩れる。我々は人ごとではなく、いつ5458人のなかに入ってもおかしくはない状態だ。
朝食を食べて来なかった児童のために、女性校長(59)が手ずから握ったものだ。
授業中に教室を飛び出したり、同級生に暴力をふるったりといった問題行動を起こした児童は、落ち着くまで校長が校長室で面倒を見る。毎日のように数人が部屋にいる状況に、校長は「担任は手いっぱいで……」とため息をつく。
2009年度、県内の公立校では、753件の暴力行為が発生。児童生徒1000人当たり6・4件と、全国平均を2・1件上回った。教師は、問題行動が起きるたびに子どもに指導を行い、家庭訪問に走る。保護者たちから苦情を受けることも少なくない。
忙しさや責任の重さに、体調を崩す教師は後を絶たず、約7400人いる県内の公立学校教員のうち、ここ数年は常に100人前後が休職している。その半数は、うつ病などの精神疾患によるものだ。
「もっと人に余裕があれば」。学校関係者はそう口をそろえ、独自に対策をとる市町村教委もある。和歌山市教委は03年から、小学校低学年の授業のサポーター制を導入し、10年度は約20人を配置。同様の支援員として海南市は12人、有田市は6人を置くなど、各自治体がそれぞれの予算で行っているが、県が採用する臨時講師と違って、担任を任せることはできず、補助的な役割にとどまる。
市町村からは県予算による教員配置を求める声が上がるものの、県教委は財政難から独自配置には否定的。県教委総務課の西岡敬秘書班長は「金を使って教員を増やすよりも、教員のスキルを上げることが先決だ」と強調するが、現場からは「教師のスキルアップすら、財政難でおろそかにされるのでは」との声が漏れる。
不信感の一因は、現状とマッチしない県教委の様々な施策だ。
05年、県教委は県内7か所の教育事務所を全廃。「市町村教委への権限移譲」が建前だったが、実態は行財政改革に伴う合理化が目的だった。その後、指導主事による地方の学校への訪問が手薄になるなどし、現場からは「県教委の支援が行き届かない」と不満が噴出。今年4月、県教委は県内4か所に教育支援事務所を置き、指導主事の配置を復活させるはめになった。
2年前からは、「市民性を育てる教育」をキャッチフレーズに、地域住民による実習授業の実施や、ボランティアとしての学校行事への参加を推進している。だが、ある市教委の担当者は「地域の人に、問題行動を起こす子どもへの対応まで手伝ってもらえとでも言うのか」と反発する。
紀中地方のある教育長は吐き捨てるように言う。
「県教委の『かけ声』はもういい。欲しいのは実利だ」(加野聡子)(2010年11月24日 読売新聞)
全くその通りだ。はっきり言おう、指導困難な生徒をどうするかなのだ。逆にいえば、指導楽勝な生徒が60人集まったクラスより指導困難な生徒5人がいる生徒数15人のクラスの方がはるかにしんどい。ボランティアできても楽勝な生徒は扱えるが、困難な生徒はやはり担任が面倒を見なければならない。採用するなら退職教員で元気なものに講師をしてもらうのがいい。若い人でもよいが彼らは採用試験があるので全力投球できないのだ。
文科省が全国の都道府県教委などに対して調査した結果、新人教員のうち、1年の試用期間中に辞めるなどして、正式採用されなかったのは317人。前年度を2人上回り、過去最多を更新。6年前に比べると3倍近くになった。
依頼退職が302人で大半を占めたが、このうち83人は精神疾患が理由。また、「教員になじめなかった」などの理由も多かった。指導力不足で不採用決定を受けた新人も29人いたほか、犯罪を理由に失職した新人も1人いた。
一方、新人以外でも教育委員会に、資質不足で指導が不適切と認定された教員は260人に上った。在職20年以上のベテランが60%。特に50代が44%を占め、同省は「年齢が高く自分の指導方法に固執して改めないのが原因」と分析。ただ、認定数は前年度比46人減で5年連続で減った。
学校のトップや中間管理職のような勤務に耐えられず、校長や副校長、主任教諭から希望して降格される「希望降任制度」利用者は223人。前年度を44人上回り過去最多を更新した。 以上産経より
退職に至るまで悩んだり病気になるのは分かる。文字通り、心身ともに疲れ果てるからだ。ベテランでも新しい学校に赴任してしばらくは、歯車をかみ合わせるのに時間がかかる。新人なら相当しんどいだろう。しかし、たまに息抜きをしようにも、出来ないのが学校だ。出来るのは長期休業中だが、新人は、新人研修や初任者研修が夏休みでも容赦なくある。しかも、校内では新任の研修やレポートや発表があり、気を抜けない。これに担任業務が入り、生徒や親との関係が悪くなるとまず、耐えられない。学校に行くだけでも二重丸と言える状態になる。
教師の数を増やせとか、ひとクラス当たりの人数を減らせとか言うが、それだけでは解決は不可能だ。
今学校の現状は、痛み過ぎている。生徒の心が痛み過ぎているのだ。特に小学校と中学校において、心を育む教育が必要だ。しかし、応急手当としては、特別にはみ出た生徒を手厚く教育するシステムや場所が必要だ。なぜなら、学校では、学校からはみ出た生徒もひっくるめて教育することは無理だ。出来るが、最終的にかなりリスクを負う。排除の理論と間違われるが、あえて言う、現場はそんな生半可ものではない。痛んだ生徒は癒される環境を与えられるべきだ。
とする声明を発表し、謝罪と賠償を要求した。
自分の家にあがりこまれ、追い払おうとしたら、逆切れされ、すごまれ逃がす。そして、こんどはさらに追い打ちをかけるように金品の要求を突きつけられる。
まるで、これは中学生のいじめ集団と同じ手口だ。いじめる側がいじめられている側に、「お前が悪い謝れ」「金持ってこい」だ。
これでどうして日本のいじめがなくせるのか。いや教育がなせるのか。政府はこの問題を那覇地検に責任をなすりつけているが、まったくこれも責任逃れのよい見本だ。
日本はどうなっているのか。
教師も日本の良さを生徒に教えられない。
中国や北朝鮮を美化するイデオロギー集団の先生たちには、喜ばしいことではありそうだが…。
メディアも今回の大きな国益の損をそして世界への恥を考えさそうとはしない。他の事件に目を向けさせているようにも思えて仕方がない。
尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖の日本領海内で起きた中国漁船衝突事件で、逮捕、拘置されていた中国人船長が処分保留で釈放されたことを受けて、中国外務省は25日、「日本側が漁民を拘置、調べたことは、いかなる形式の司法措置であれ、すべて違法で無効だ。
日本側は中国側に謝罪し、賠償すべきだ」
とする声明を発表し、謝罪と賠償を要求した。
日本の正義は勝つのか、中国の脅し、圧力が勝つのか?
しかし、船長は釈放された。
あなたなら、このことを生徒にどう説明する。次の3つから選んでほしい。
(1)力には力で対抗するんだ
(2)力のつよいものにいじめらたら屈して尻尾をふるが徳なんだよ
(3)いじめに屈してはならない、力ではなく正義を貫け。必ず道はある
私は(3)で説明したい。しかし、現実は領土を侵されて、正義を貫こうとした日本が、力に屈してしまった形になった。
これでは日本人は元気が出ない。日本全国で、「やっぱり、力の強いものが勝つのか、正義までも曲げてしまわねば、ならないのか」と目線を落としている状況だ。
国会議員からも、批判的な声があがっている。民主党の金子洋一参院議員は、同僚議員4人(中津川博郷衆院議員、松原仁衆院議員、石関貴史衆院議員、長尾敬衆院議員)と連名で「中国人船長の処分保留と釈放に抗議する」と題した声明を発表。
「容疑者の行動は、これまでの地検による捜査状況に鑑み、わが国の法律を犯したものであることは明白である。捜査の継続を放棄し、容疑者を釈放することは、わが国の法秩序を蹂躙するものであり、将来の建設的なわが国と中華人民共和国の関係樹立の観点からもとうてい容認できない」
などと政府の対応を批判している。
ツイッターを見ても、やはり批判的な声があがっている。
「中国人船長の処分保留での釈放、極めて誤った判断です。民主党政権下でこの国の主権が危機に瀕しています」(自民・世耕弘成参院議員)
「そもそも、外交関係まで考慮しての軽い処分の判断をすることも検事の裁量権の範囲とすることは法の想定外。 検察段階では、過去の公務執行妨害罪の際の検察の処分との比較で日本人であれ中国人であれ同じ処分にしないと『法の下の平等』に反することになる」(みんな・浅尾慶一郎衆院議員)
今回の釈放のニュースは、中国側も速報。ポータルサイトのコメント欄では、
「醜い日本人だ」
「小日本(日本に対する蔑称)になんて興味ない」
「人民万歳!」
などと勝利宣言が続いている。
政府は責任地検に転嫁して言い訳と責任逃れに走っているだけではないか。
き部分が多い。でもなぜ、こうも教員の仕事が(特に中学校は)多くなっ
たのか。
中学校を支援する教育施設が必要だ。
主義主張はさておいて、記事を読んでほしい。
東京都が、教員不足で地方から教員のなり手を募るためのバスツアーを行った様子をNHKニュースで報じていた。その様子はあまりもばかげて見えた。なぜ教員が足りなくなるのかということには全く触れず、団塊世代が退職するから、など理由にもならないことを言っていた。問題意識のない報道というのは見苦しい。バスツアーに乗り込んでいる若者があわれにも感じられた。
医師が足りない、介護士が足りない、教員が足りない・・と何度も何度も報道されているが、足りなくなった責任を問われるのは誰か、という点がすっぽり抜けているのはわざとだろうか。
毎日新聞でしばらく前に『先生〜生徒指導は今』というシリーズで公立小中学校の教員が直面している問題を連載していた。学校の荒れ、疲弊する教員、重圧に押しつぶされる教員の姿がかなり正確に誠実に報道されてた。心折れ定年前に辞めていく教員、自殺に追い込まれた新任教員のことなど、深刻な内容だった。
2月24日の「記者の目」はこのシリーズを担当した三木陽介氏の記事だった。
「教育取材担当になって以来、学校に足を運ぶたびに生徒指導に疲弊している先生達の姿を目の当たりにして、このままでいいのかと思っていた。先生が一人で対処する容量をはるかに超えているのに、そうした実態が学校の外に伝わっていないとも強く感じた。それが今回の連載をしようと思ったきっかけだ。」と三木氏は述べている。
その「記者の目」の中で「文科省の調査では教員の一日の平均勤務時間は10時間36分。このうち休憩はわずか14分」「先生達はもっとSOSを発信するべきだ」とあったが、今の学校は、市町村の教育委員会の姿勢や地域性で、その雰囲気は少しづつ異なるが、教員の忙しさがこの10年で以前に比べ数倍にもなったことだけは大げさではなく確かな事実だ。
さて、学校の教員は誰に対してSOS発信ができるのだろう。生徒の保護者だろうか。一般の人だろうか。政治家? 教育委員会?
無念なことに教員のSOSを受け止めてくれる場はないのである。公務員で一応身分も保障され、給料もある程度もらっている、となれば、他の誰が教員の悩みに耳を貸すだろう。(給料について言えば、30代で子供が2人いると生活保護の対象になる位のものだが)
私の知っている中学校ではこの3月に50代の教員が3人も(全校たった20人の教員のうちで)早期退職をするという。「もうこれ以上は耐えられない」と言う。3人ともベテランの教員である。
こんな先生に子供をまかせるなら安心、と思うような人達である。退職後、皆この不況時に新たに職探しをしなければならないのだが、それでもこのままでは心身が持たないと、退職の道を選んだのである。
教師集団という言葉があるが、今のような忙しさの中では教員は会話する時間もなく、孤立して一日に百数十人の生徒と向き合わなければならない。ベテランの教師でも、ふっと気付いたら「ご飯と味噌汁の味がわからなくなっていた」という事が起こりうる。真面目に生徒と向き合おうとする人ほど当然無理を積み重ねるから心が折れてしまう。
新任教員に至っては、相談したくとも相談する相手がいず(それぞれが忙しく話しをする暇がないせいで)、本当に気の毒というほかはない。希望に燃えて教員試験を受け、見事合格しても絶望の淵に立たされる新任は多い。繊細な心や自責の心を持った真面目な人ほど、絶望感も大きいだろう。
これでは教員のなり手がいないのも当然のことだ。新任もベテランも辞めていくのだから。
なぜ辞める教員が多いのか、そうならないためにどうすればいいか、という問題を全く棚上げして、「東京の学校見物ツアー」などというばかげたことを得意げに企画し、それを喜んでNHKが報道している。「学校ツアー」で一体何を見るのだろう。建物?それとも児童、生徒の様子?
(東京都では教員は職員会議で意思表示の挙手、採決をしてはいけないということもちゃんと説明しただろうか?)
学校に関してはあまりにいろいろな話題が好き放題に報道されるため、一番深刻な問題の焦点はいつもベールにつつまれている。授業は増やしても教員数は増やさず、教員を忙殺させ追いつめている。臨時教職員という身分を新たにつくり出し教員希望者を安上がりに使っている。そのくせ、予算をさいて現場に不用な、授業をやらない管理職(副校長、主幹)を置いた。免許更新制度を作り、これ以上余裕のない教職員を意味のない研修に無理矢理に参加させる。不毛で有害な学力テストで金と労力を無駄遣いした。
教員の疲弊は教育の疲弊につながる。そして十分にていねいな教育を受けられなかった子供が大人になって理不尽な行動を取ると、「モンスターペアレント」などという下品な言葉を投げつける。(「モンスターペアレントの対策」などという研修もあるそうだから、いかに文科省のレベルが低いかよくわかる。)これほどまでに教育が踏みつけにされるとは想像もできなかった。
こういう教育界に見切りをつけ逃げ出す先生達に、これ以上「がんばってほしい」とは言えないのである
教員は担任業務に加え、深夜にも携帯電話に保護者からの連絡が入るなど対応に追われ、実質的な超過勤務時間は1カ月100時間を超えていたという。鬱病発症後、教員は一時休職するものの8月末には職場復帰し、投薬・通院のかたわら自殺を図る5日前まで業務をこなした。この際、学校側からは副担任をつけるなどの措置はなかったといい、川人弁護士は「教員の過労・ストレスを助長する学校運営があったのではないか」と指摘している。
川人弁護士は教員が自殺の1週間前に母親へ送ったメールを公開。メールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…つらいことだらけだけど」「泣きそうになる毎日だけど」と、教員の疲弊した心情がつづられていた。
この記事は4年ほど前だが、教員は児童・生徒と向き合う時間が少ない。なぜなら、様々な書類を作成したり、事務処理があったりするからだ。この先生も、4月に赴任してから、計画書などの書類を作成せよと命令されていた。教員には自由度が必要だが、それがなくなり、代わりに締め付けが来ていることは確かだ。そんな中で、この学校の管理職も実は悲しい締め付け状態にあるのかもしれない。特に都はそうだろう。教育の世界にもかなり、性悪説が入り込んできた。人間への眼差しの基本線がゆがみだした。
校長や教頭などの管理職を取り巻く状況も深刻だ。先の人事行政状況調査によると、管理職の希望降任制度を設けている59都道府県・政令指定都市教委の中で、校長や教頭から「希望降任」した者は、2003年度66人、2004年度81人、2005年度71人、2006年度84人、2007年度106人と増加傾向を見せている。また、2007年度の106人のうち70人が「教頭から教諭へ」の希望降任だった。校長と一般教員の間で板挟みになりやすい教頭の環境の厳しさがうかがわれる。
正式採用に至らなかった新採教員の人数、採用者全体に占める割合の推移を見ると、2003年度が111人(0.61%)、2004年度が191人(0.98%)、2005年度が209人(1.00%)、2006年度が295人(1.36%)、2007年度が301人(1.38%)で、人数、割合ともに年々増加している。2008年度は315人
増加の原因は、依願退職者が増えているためだが、そのなかで注目されるのが「病気」を理由に依願退職する新採教員の急増だ。「病気」を理由に依願退職した新採教員は、2003年度が10人、2004年度が61人、2005年度が65人、2006年度が84人と増え続け、ついに2008年度は103人となり100人を突破した。
今回の事業は、教育再生会議が第3次報告で「適正な競争原理の導入により、学校の質を高める」と提言したことを受けたもの。文科省は、学校独自の取り組みに応じた予算分配の効果を2年間かけて調査する。
これもある程度のものしか特色を出せないだろう。
一部の学校のみ特色を出せるが他のほとんどの学校には無関係なことだ。つまり、本来学校の運営やあり方に特色は出せない。
指導要領で定められた通り授業は行わなければならないし。弾力的な運営も、きちんとお役所仕事の委員会様にお伺いし、お墨付きを頂かなければ事は進まないのである。実は委員会も前例のないことはやらない。怖いからだ。まずその体質を正すことが先ではないか。
平成21年度予算で、調査のための費用として約350万円を計上。学校選択制や地域と連携した学校活動などに取り組んでいる市町村教委から公募し、モデル地区に選ばれた教委は2年間、学校の取り組みに応じて予算を分配する。
一方、学校側は、児童生徒へのきめ細かな指導▽児童生徒の個性を伸ばすユニークな授業▽スポーツ活動への特化▽地域ボランティアとの共同-など独自性を打ち出すことで、より重点的に予算配分を受けられるように目指すことになる。
それにしてもこうして特色ある取り組みをするとなると人手がいるのだ。しかし、総合学習でもそうだが、やることは増やしても人はいないから、過重負担の教師が出てくる。そこでみんなやる気をなくし、様々な取り組みも仕方なくやる。精気が消えるのである。
これら困難を克服してやれる校長は素晴らしいと思う。しかし、その傍らつぶれる教師も多い。
16年連続で増加
うつ病などの精神性疾患で2008年度に休職した全国の公立学校教員は、前年度より405人増え、5000人を超えたことが25日、文部科学省のまとめで分かった。
心の病などによる休職者は16年連続増で、1979年度に調査が始まってから過去最悪となった。
調査対象は公立の小中高校などの教員91万5945人で、8578人が病気で休職していた。このうち、精神疾患が理由の休職は5400人で、病気休職の6割を占めた。03年度から4年連続で2ケタのパーセンテージだった伸び率は鈍化傾向にあるが、それでも数百人規模で増えていることに同省は危機感を強めている。昨年10月に同省がまとめた抽出調査では、うつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍に上っていた。
この問題の解決は教師間の真の支え合い、絆と無関係ではない。
ある県の有名な困難校で実際にあった話だが、指導主事が学校訪問に来て諸先生方へ日々の熱心な指導への感謝と指導助言を伝えた時のことだった。
その中で、職員からこの困難な現状を打開する有効な方法がないかと質問が出た。その解答に指導主事が「死ぬ気でやる」という気構えを職員に伝えた。 しかし、この「死ぬ気でやる」というフレーズが問題だった。
実はこの学校では教職員が1年前に死んでいた。熱心な女の先生が生徒指導に追われる中を縫って、一旦家に帰り自分の子どものために食事を作り、その後学校に戻って深夜まで仕事をするという常態勤務が続いていた。その一旦家に帰り、また学校に来るまでの時に事故で亡くなっていたのだ。
その指導主事の発言のあと、一人の女教師が「もうすでに人は一人死んでいるんです」と震える声で言った。またその学校では、2年後に一人の優秀な若い主任級の教師が病気で死んだ。
しかし、この学校ではこの頃、心の病での休職者は皆無であった。これはすごいことだ。それは団結力、出来なくても当たり前、支え合って当たり前という風潮、原則が職員間を支配していたからだと思う。その中にいた私も随分多くの先生に支えていただいた。
これを読んだ当時の先生方はどこの学校かすぐ分かると思う。私の存在も特定されるので心配だが、古い話であるが真実だ。思い出すと込み上げてくるものがある。
さて、規制緩和、新自由主義、グローバリズムなど、人間を成果主義に駆り立てる要素が社会に蔓延しているが教育界も例外ではない。今は教師の間でも、能力給が試されている。そして学校間の学力競争(高校では優秀な生徒の奪い合いだけに終わっているところもあるが…)。不思議だが、そこには前述のような協力や共同といった要素はない。一番教師が元気が出るのは教師間の絆や連帯感の実感だ。競争ではない。
悲しいかな、最近はその連帯感や絆が薄いため、先輩教師から新任教師への伝承がなされていない。忙しすぎるということもあっただろう。だから、盛り沢山の新任研修が流行しているのだ。見ていて涙ぐましい。そこまで必要なのか疑問に思うが、この話は別の機会にしたい。
病気休暇中や休職中の教員と接し対応していくのは管理職である。その対応がブレると、特に精神疾患に陥っている教員は再起の道を失う。
従って、他の教員も積極的にコミュニケーションをとる必要があると思う。
なぜなら人間関係ができていない管理職と話しても本音は話せないだろうし、安心できない。これは管理職が悪いと言っているのではない。管理職一人に背負わすのではなく、仲の良い教員たちとのコミュニケーションが必要だということだ。
安心して本音が語れればこちらとしても復帰する条件も整えやすいと考えるからである。これも不登校生徒と通じるところがある。
形式的に法や規則を前に出した対応だけではただ冷たく映る。これは管理職の対応に出がちなことだ。これは相手に見捨てられていると映るだろう。それは私どもが不登校生徒に対応してきた経験から言える。
不登校生徒も、精神疾患の教員もほとんど原因は学校内の何かにきっかけがある。どちらも人間、心の構造は同じだ。疲弊しているのだ。疲れ果て心身がどん底に落ちている。
もし、許されるのなら、最悪の場合、現場を変えてあげるのが一番だ。
生徒なら、今は教育的配慮で転校が認められている。しかし、教員はそうたやすくできないのだ。まず、一旦学校に復帰しなくてはならない。大体、1月には人事の動きがあるので、最低2月の初めまでに学校に復帰していなければ、人事の対象にならないのだ。
ところが、精神疾患に陥ってしまった教員は、病気が回復しても、同じ現場にだけは戻れない場合があるという。例えば、生徒・保護者・他の教員が原因ならば、そこに戻れば再発するかもしれないという恐怖が付きまとうのだという。そこでまた休職を無駄に長引かせるというのだ。
それは不登校の生徒が心身ともに元気だが、自分の学校には登校はできないというのと非常によく似ている。しかも、彼らは、例えば転校や進学で場を変えることができたならば、そこで思わぬ活躍をしていることがあるのだ。
結論。
都は精神疾患が治癒された教員で、4月から復帰が可能と医師の判断があれば、他の勤務場所への移動を無条件に可能にするシステムの構築を全国に先駆けて早急に行うべし。
これは非常に難しいかも知れない。だが、その教員を救う最後の手段といえるし、しかも休職を長引かせないという財政面も救う大きなメリットがある。
ここで、病気休暇や休職している教職員に支給される給与が年間で総額約60億円に上るということの本質を詳しく解説したい
各都道府県によっても違ってくるかもしれなが、休職となれば本給与の8割程度が支給される。もちろん賞与についてもかなり減る。期間は今は1年間のみ支給されるのが普通だ。
だから、病気をしないで普通に勤務している時より給与は少なくて済む、従って財政面では特に問題にしなくてもよいのではないかとなる。
しかしここで問題なのは休んでいるならば必ず代わりの教員が必要だということだ。
臨時的に任用される講師のことだ。
講師に支払われている給与をざっと低く半分と見積もっても30億。数字としてはこちらのほうが問題の核心を突いている。
精神疾患を患った教員を4月から復帰させるにはよきシステムの構築が急がれる。
そのシステム案を示す。
治癒した教員が望むならば早急に職場に行かさず、教育センターな
どで3月いっぱいまで研修を行わせる
その後4月から他校へ勤務させるのだ。
ところ変われば必ず活躍するものがいるのだ。
都が早くスムーズな再勤務可能システムを導入しないと、ますます休職者を増加させることとなるのはまちがいない。
東京都の公立学校教職員のうち、
精神系疾患で病気休暇や休職している教職員に支給される給与が年間で総
額約60億円に上ることが5日、都教育委員会の調査で分かった。
精神系疾患による休職者は全体の約7割に上り、全国平均を上回るペースで急増している。休職者の約70%が病欠を取得するまで受診していない実態も判明。事態を重視した都教委は今後、全国の教委で初めて、メンタルヘルスチェックを健康診断に組み込むなど、早期発見・治療が可能なシステム構築に乗り出す。
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都教委によると、平成20年度の教職員の休職者は、788人。うち、精神系疾患で休職した人は68・5%にあたる540人に上った。
15年度は60%の259人で人数も割合も急増した。休職者率も全国平均の0・55%(19年度)を上回る0・94%(20年度)。東京は、小中高に加え特別支援を含め全校種で全国平均を大きく上回っている。
文部科学省が4日に公表した調査結果では、教員採用試験に合格しながら、1年間の試用期間後に正式採用とならなかった教員は平成20年度は315人。うち約3割の88人が精神系疾患による依頼退職だったことが判明したばかりだ。
こうした実情を踏まえ、都教委では精神系疾患の休職者の置かれた環境を独自に分析。19年度は、病気の発生率で特別支援学校(1・01%)が最も高く、男女比では高校の女性教員、小学校の男性教員の休職率が高いことが分かった。年齢別では高校の20代(1・43%)、特別支援学校の40代(1・17%)の休職率が際立った。
休職者の在籍年数では、小中学校で採用3年目までの、特に小学校教員の休職率が高く、在職21年目以降のベテラン教員の休職率も、極めて高い傾向にあった。
休職の理由については、自己申告では「不明」が最多。次いで、「児童・生徒」「保護者」の順だった。異動を理由に挙げた事例では、多くが「環境不適応」とみられる。
一方、精神系疾患で休職した教職員の約70%は病欠するまで医師の診断を受けていなかった。
都教委では手遅れ受診の背景に、(1)本人に「鬱病(うつびょう)」の知識(病識)が少ない(2)生活に支障がないと周りも気がつかない(3)内科を受診時に心療内科や精神科を勧められて発見される-ことなどがあるとみている。
とりあえず新聞をアップしてみた。
都の教育委員会の姿勢は非常に強硬と思われるところがある。
1年の「試用期間」のうちに、教壇を去った公立学校の新人教員が08年度は過去最
多の315人(前年度比14人増)に上ったことが、文部科学省の調査で分か
った。うち約3割の88人は精神疾患を理由に退職していた。
文科省は「イメージと現実とのギャップで自信を喪失し、うつ病などになるケースがある」とし、相談相手となるべき先輩教員らの支えや目配りを求めている。
教員は、一般の地方公務員(半年)より長い1年の「条件付き採用期間」を経て正式採用が決まる。08年度は小中高校、特別支援学校などで2万3920人が採用され、このうち1年後に正式採用に至らなかった315人は1・32%(前年度比0・06ポイント減)を占めた。10年前(98年度)は0・27%の37人で、8・5倍に達している。
315人のうち依願退職者は304人(前年度比11人増)。病気が理由だったのは93人で前年度より10人減ったが、5年前の10人、10年前の5人と比べると急増ぶりが際立つ。文科省が今回初めて精神疾患の人数を調べたところ、「病気」の95%を占めた。
このほか、わいせつ行為や飲酒運転を理由に懲戒免職となったのが5人。不採用決定を受けたのは4人。死亡退職は2人だった。
また、自ら望んで降任した教員も過去最多の179人(同73人増)に上った。主幹教諭からの降任が89人、副校長・教頭からの降任が84人。望んだ理由は、精神疾患を含む「健康上の問題」が95人と半数を超えた。
教育委員会から「指導力不足」と認定された教員は4年連続で減少し、08年度は306人(同65人減)。指導力不足と認定され、研修後に復帰し、再度認定された教員8人も含まれる。
重要な調査なのでアップしてみた。
これは最近の生徒・保護者(モンスターペアレント)の困難性が原因なのだろうか?
あるいは新任ならば、新任研修をどこの都道府県も強化しすぎるほどしているはずなのにこういう事態に陥っている点、つまり、その新任研修のあり方が原因なのか?
単に、大量採用のための教員の質の低下なのか?
私がこうだと一概に言えるものでもないが、実感として、学校は働きにくい職場になってきた。
しかし、教員は目の前の生徒をほっておくわけにはいかず、放棄するわけに行かず頑張る。採用される教員はほとんどが仕事を与えられればそれを果たそうとするまじめな人間である。
この状態はひょとすると最近言われている「ブラック企業」に近い状態かもしれない。
公立中学校でも地域性により、相当学力のある学校もある。そういうところに行けば、生徒指導面でも悩むことは少ない。しかし、経験のない人には理解しがたいが、想像を絶する学校もある。昔、文化センターへ鑑賞に行かすのに、駅から列になっていた中学生たちの中に、目立つ格好をした中学生がビニール袋を片手に時々口に当てながらふらふらと歩いているのを見たことがある。どのような指導をしているのか疑問に思ったが、悲惨な現状に心が痛み、すれ違う担任の顔をまともに見れなかった。
新任で最初から困難校に行けば、必ず辞めようと考える。私もそうだった。2年間は、いつ「辞めます」と言おうかその時期を模索ていた。新任の間でもお互いに辞めたい、またはこの学校を早く抜けたいと言い合っていたのを思い出す。
しかし、その時はまだ教員に自由があった。生徒に真正面かからぶつかる心の余裕があった。20年程前である。
次第に生徒に対峙する仕事ではなく、形を整える仕事が多くなってきた。
目の前の生徒のためにと誠実に働くことはエネルギーが出る。だが、形を整えるための書類作成や周りから言われないための●●対策の仕事が増えれば増えるほど本来業務から離れた感覚が芽生え、虚しくなる。自分でも知らぬ間に教育に対するエネルギーが萎えていく。
そして、文科省は、上から支持さえすれば教員は動くと思い、社会からの要請や風当たりが強くなればなるほどよいと思われることをますます打ち出してきた。学校5日制。「総合学習」「少人数授業」習熟度授業」選択教科」、ゆとりかと思えば学力向上に向けて学習指導要領も含めての教育改革。ある地域では学校選択制。全国学力テストの実施。学校カウンセラーの配置。
さらには小学校での英語の必修化。極めつけは免許の更新制、しかし廃止の方向。
どれも素晴らしい取り組みではあるが、やることが多くなれば何かを削らねばならない。
そのお陰で学校行事は極端に少なくなった。
そして、どの取り組みも中途半端に終わっているではないか。
現場にいてありありと分かることがある。
その様々な取り組み自体、教員はやる気がないということだ。
エネルギーを出そうとも思っていない。学校の中でやろうとしているのは管理職を中心に極一部のみ、あとは仕方なく続いていくといったもの。
このような教員の取り巻く状況の中に入ってきた新任教員にはさらに新任研修という研修の嵐が待っている。時には、生徒との対話の時間や、学校行事にかかわる時間も削って出かけなければならないのだ。
こうして新任教員たちは頑張っている。また、最近思うことだが、新任といってもすでに講師で3,4年頑張ってこられた先生方も多い。一律新任教育をする必要はないはずだ。免除制度は設けられないものか。
話はそれたが、新任教員を取り巻く状況は厳しくその肩にのしかかっている期待も大きい。
私たちの時は新任研修などなかった。新任時から県のトップの困難校で洗礼に会い、心身ともに疲れ果てたが得たものは言葉で表せないほど大きかった。新任時に共に闘った教員たち、リーダーシップをとって大きな支えとなってくれた先輩たちがいた。それ自体が真の研修だった。
今、私ははたして新任教員たちの心の支えになっているか疑問だ。
本当の原因は文科省も言うように我々先輩教員にあるのかもしれない。
責任を感じる。
昔、学校ってすごく簡単なシステムだった。
教師が教科を教える、悪いことをしたら指導する。放課後はクラブ活動をしてやる。
これだけだからそれに専念出来た。
つまり子供にすごく関われた。
でも、今はとっても教師は管理され、ちっともおもしろくない。
絶対教師は自由が必要と思う。いわゆる機械でいう“アソビ”という部分です。
今は上意下達一方通行だ。 それは教師はもう諦めている。
「言っても変わらない」と、そして言えば言うほどその教師の立場が悪くなる。私は組合の人間ではないが、
それにしても上の支持は常に変わる。ゆとりかと思えば学力重視、右往左往の現場。「言っても変わらない」。
総合学習!あれはなんだったんだ。 今は学校上げての学力充実、補習につぐ補習。進路実績をあげよ!だ。