公立学校の真実
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だから私は今も小学校の臨時免許状を持っている。
校長から言われたことは、「8時30分から15時30分まで休憩なしでお願いします」、の一言だった。
へーっそんなことあるんだろうかと、まさかとなめてかかっていたが、小学校と言うところ本当に休憩なし。
朝の宿題点検や提出物の点検、連絡帳の点検、これやるだけでも相当ハードだ。しかも35人分。
遅れてくる子もいるし、やってない子もいるし、自分で提出できない子もいる。
3人がかりでやって大体なんとかできる。ああしんど~~
しかし、その朝の時点で、なんだか疲れはてる。
そして小学校の低学年の授業は一人でやる。
とにかく休み時間も子どもたちに関わり、給食など戦争なので、一番心がしんどい時。
掃除が始まって、ああ、今日も終わりかなという気持ちでホッとしてくる。
しかし、困るのはトイレだ。
他の教員にトイレ行ってきますんで、といってトイレに行くのだが、トイレの中だけはホットする場所と時だった。
こんな日々を送っていると、体力は持たず心もぐったりとなる。初めは良いが、次第に自分の防御シールドが弱ってきて、子どもたちに破られていく。
だから私は校長に言って辞めさせていただいた。
本当に休憩がなかった。65過ぎてこんな現場は無理だ。
その後しばらくして、教員が足らないからと言って中学校から引きがあった。65とうに過ぎているのにまだ依頼が来るとは、本当に教員が足らないのだ。
仕方なく、中学校に行ったが、そこは比較的平和な学校で、特別支援の教育をさせていただいた。
小学校よりはるかに楽。小学校の10分の1の労働力と言える。
ただ、間違えてもらったら困るのだが、中学校でも担任をするとこれが小学校以上になる。部活や進路やもういろいろ入ってくるからだ。
学校・・現場、普通なら物好き以外就職しないだろう。人間としての当たり前の休憩を入れることが出来るシステムをなんとか考えてほしい。法律的にもおかしい。
今日も小学校ではこんな過酷な日々が詰まっているのだろうか。
もっと、人間らしく働ける職場であれば、きっと子どもたちにも好影響を与えることが出来るのにと思う。
アップアップ状態が今日も続いているのかと思うと、「教師にならないか」という言葉を、青年になった教え子たちにかけにくい。
自分も嫌な仕事を人に勧めるのはおかしいと思うからだ。残念だ。
観点別評価と評定をつけなければならない通知表。
中学校で、12345の評価と観点別評価のABCの整合性が合わないときがある。
保護者にも説明がつきにくい場合があるので改ざんする。
前にも伝えたが、AAAAでも4になる時がある。
きれいにA評価をとる生徒がいるのだ。 しかし、実力的には4。
テストが88点でも評価がAAAAで「5」となるときがある。
93点でもAAABで「4」となるときがある。
テストで、どこの観点で点をとったかによって違ってくる。
Bがあれば評定は4になると規定すれば、93点をとった生徒を「4」とするのはあまりにも理不尽。
だから、整合性を考えて「5」にするためにBをAにするのだ。
あるいは、88点の生徒のAをBにして「5」とするのだ。
教師をしていて、これほど馬鹿な成績付けはない。
どの学校でもこの矛盾した問題がでている。
文科省は理解しているのだろうか。
机上の空論が現場に矛盾をまき散らす。
そのつけは現場の教員たちに押し付けられる。
不満な保護者と対応するのは教員。
文科省職員ではない。
不満な教員に対してこじつけの説明をしなければならないかわいそうな管理職たち。
見ていて滑稽しか感じない。
ああストレス。
ストレス。
高校では、今日卒業式があり、道すがら卒業した笑顔の高校生たちとすれ違った。のどかな姿を見ることができた。
私まで嬉しいような、しかし、寂しいような淡い気持ちになった。
さて、大阪市の教員が不適切な指導で停職3か月の処分を受けていた。
ニュースの記事には・・・
児童に対して、ノートを机に投げるようにして返却したり、提出物を見て「字が汚いからやり直し」「なんでこんなん分からへんの」、テスト中に回答を書く手が止まった児童に対し「はよ書きや、やる気あんの」など、暴言や威圧行為を繰り返したということです。 これにより、少なくとも5人の児童が「先生が怖い」として通常の教室での授業を拒み、一部の児童は今も別室に登校しているということです。・・
と記してあった。
良きも悪しきも、昔はこの程度、あったと思う。大体よくどつかれた。私の通知表の所見欄に「隣の子としゃべるな」など、今から考えれば、めちゃめちゃ厳しい言葉が記されていた。今なら問題な文言だろう。
私が小学校1年の時は、1月1日にみんな学校に行き、正月を祝っていた。先生から紅白まんじゅうをもらって帰った。そんな時代だ。
時代は変化している。その変化に対応した指導をすべきだろう。そういうことは誰でもいえる。実は私も昔は暴力教師だった。朝礼中にガムを噛んでいた生徒を注意しケンカになり、ぶっ飛ばしたこともある。
何も問題にならなかったどころか他の教師から褒められた。
話しは変わるが、この3か月停職になった教師。頑張れよと思う。
その生き方を変えるべきだ。
そのやり方では教師は務まらない。
生徒の話をよく聞くこと。まず、訊くこと。
そこから背景を知ることだ。
それができてようやく教師側の厳しい話が通る。
教師の人生も、いろいろある。
ある県のW先生は教頭まで上り詰めた。しかし、セクハラで降格、平教員に戻った。そこで教師人生は終わりだ。
周りから変な目で見られていたに違いない。
しかし、彼は頑張った。その県で指導していた部活動を優勝させ。全国ベスト8まで勝たせた。
これからまた教師としての花を咲かせることだろう。
しかし、舞い上がらず、謙虚に頑張ってほしい。
停職3か月になった大阪市の教員の方よ。そこからが人生だ。頑張れ。
しかし、自身が背負った痛みや、それ以上に生徒の痛みを忘れずに謙虚に頑張ってほしい。
処分になった教師の中には優秀な教師がいる。
私の知っている限りでは、ほとんどが優秀な教師だった。
本当に自分を変えて再起してほしい。
ただ、世間はそう認めないかも知れないが・・頑張ってほしい。
2022年度に、福岡900件超・埼玉1000件超の臨時免許状の発行があった。
他府県もよく似た状況のところが増えてきていることと思う。
私はほとんど中学校そして支援学校を経験してきたが。
実は小学校の臨時免許を持っている。
だが・・・
小学校の問題は解けない、というか中学校とは教えるポイントが違うので違和感を感じる。
国語の問題でも、絵が描いてあり、それはなんですかと問う問題が私には分からなかった。
答えは「図工」。
そういう発想がないので答えが生まれてこないのだ。
中学校の教師が小学校を教えられるかと言えば、センスによるだろうと思う。
私はセンスないなと思った。
クラスの子どもたちの漢字の添削をしてください、と渡された30人分の漢字プリント。
はねるところ、とめるところ、部首が離れてしまっている漢字など、どこまでが許されるのか分からない。
自分なりにやってみるが、後で小学校の教員が1枚1枚手直ししていた。
算数は、答えの目の付け所が違うので、私なら正解という答えがたくさんあって、愕然とした。
長方形らしき図が描いてあり、「これは何という図形」かと問われれば、もちろん小学校では「長方形」が正解なのだろう。
しかし、プリントの長方形らしき図にはサイズも角度も記してないので、「四角形」と答えてた子に✖をつけるのはおかしいと思ってしまう始末。
頭が固いのか、そんな問題は中学校では「四角形」といしか言えない、とそこで私はつまずくのだ。
教科だけではない。子どもへのしかり方、話し方も違うなぁと感心した。
小学校は、子どもにガーンと叱っているように見えるが、実は理論的にこどもを追い詰めていくやり方をする人が多い。
あのやり方は私にはできないと思った。
小学校独特の文化のようにも思えた。
発達段階が違うので叱り方もあるのだろうが、中学校教員が小学校に来てすぐに担任をすることは危険だと思った。
小学校教員のやり方をじっくり見て真似をするところはしていかないと、子どもはついてこないと思った。
学校の教員不足の非常事態が多い中、臨時免許状の連発は仕方ない部分もある。しかし、だからこそ、今までのやり方に頼るとすべってしまう可能性があることを知ってほしい。
多くの臨時免許状で頑張っている教員にエールを送りたい。
ヤフコメの中に悲惨なことが書かれていた。
コメントだから事実関係は把握できないが、あってもおかしくないだろう。
以下、コメントよりそのまま。
息子の小学校の担任は 激務が重なり、過労で 教壇で倒れたまま返らぬ人になりました。
脳ヘルニアとかで 長期間、頭痛があったが病院に行くヒマも なかったらしい。
未だに子供達も忘れられない いい先生だったと言ってる 。
真面目な人ほど休まないし 頑張り過ぎる傾向にある 先生達の仕事をなんとか 減らせないものだろうか
以上
私が、先日、小学校から非常勤講師の依頼を受けた時、校長が示した条件は、7時間連続勤務そして休憩なし、だった。
耳を疑った。
労働基準法第34条で、労働時間が 6時間を超え、8時間以下の場合は少なくとも45分 8時間を超える場合は、少なくとも1時間の休憩を与えなければならない、と定められているからだ。
それを全く無視した労働条件をまさか校長が示してくるとは、ただただ唖然とした。
しかし、考えてみれば、小学校ではそれが普通に日常的に行われているのだろう。校長は正直に私に伝えたのだ。
実は、実際に引き受けてやってみた。
まさしく7時間休憩なしだった。
休憩と言えばトイレくらいだ。
給食は給食指導だ。
給食を教室で食べるのは心臓に悪い。
いろいろなことに気を使い指導しなければならないからだ。
教員という夢のある職。
胸を張って校長が人にすすめることができる職であってほしい。
暴れてしまう子が学級に1人以上在籍し、トイレに行けず血尿がで始めたのに、大量の業務に追われ病院に行くかどうか悩んでいる先生へお伝えしたいです。
私は現在育休中ですが、担任していた頃、上に書いた状況でした。
子どもたちの安全のために教室を離れられず血尿がで続け、5分おきに何故か尿意がくるようになり仕事にならないので土曜日泌尿器科へ行き血液検査しました。
医者から開口一番「もしかして学校の先生ですか?」と聞かれ、「はい」と答えました。
膀胱炎からの出血と不正出血が混ざってるとの診断を受け、薬を飲み尿意がしたらすぐにトイレに行かないと治らないと言われたのですが、教室を離れられないためオムツを履くことにしました。
下校させた後オムツを見ると血だらけという毎日。
20代前半でした。
関連はないかもしれませんがその後29歳で結婚、30歳と32歳で流産しています。
難しいことは重々承知してますが早めに病院行ってください。
上はヤフーのコメントにあったものだが、とても悲惨だ。
しかし、私が勤務する市も同じだ。
小学校教員は高学年ならば専科の授業の時に休むこともできるが、低学年なら教室にへばりついていなければすぐトラブルになることもある。
だからトイレに行きにくい。
これを医者は知っていたのだろうか。
こんなシステムおかしいと思いつつも受け入れざるを得ないのが現在だ。
今のところ対策はない。もちろん子ども優先である。
土日の部活動を外部に委託とか言われている。
しかし・・
結局、教員免許更新制と同様に失敗しかけているように見える。
机上の空論や理想だけで、実態を知らないものが施策を考えているように思ってしまう。
部活動をするために中学校や高校に来ている生徒もいる。
部活動をするために学校に来ている教師もいる。
今、マスコミは部活動に対する否定的な意見をよく取り上げている。しかし、高校野球をはじめとする学校スポーツとなると、休日も返上し頑張っている教員兼監督の働き方には触れず、ただ、賞賛したり批評したりしている。
伏見工業高校山口監督はドラマのモデルにもなった。そうして部活動における教員と生徒の人間関係の良さをドラマの中で最大持ち上げた。山口監督に続いて教員になったものもいた。
今、部活動は学校教育活動のやっかいものとして取り扱われ始めている。
教員の働き方改革は時間だけの問題ではない。
仕事内容の問題だ。
良いことだからと良いことを教員の仕事ととして増やし続けてきた。
増やせば量が増える、単純な足し算の原理によって、今や教員をしたがらない人が増えた。
残念だが、再起不能になり学校現場から消えていった人の机に座り、残務の一部を受け継ぐという仕事に従事することがある。
この半年以内で2回であった。
本当に残念だが、消えていったのはいずれも新人だった。
数十年前、私も大量採用された新人だった。同期の教員たちの間で、「早く辞めたいな」というひそひそ話が幾度となく出ていた。かなり荒れた学校だったからだ。
実際に3年で、私学や他の公務員へ移った人たちがいた。
5年で県内の高校から引っ張ってもらい移った人がいた。
さみしいかなどんどん同期たちは厳しい現場から逃げていった。だが、年度途中で倒れるということはなかった。
それは、どんなしんどい時でも支えがあったからだ。
同期や先輩たちの支えは大きい。
問題事象があり夜遅くの家庭訪問から帰ってくると、職員室にはまだ明かりが灯り、同期や先輩たちが待っていてくれた。そして、自分と同じように悩んでくれ、へまをしても励ましてくれた。
そういう支えと励ましが常にあり、生徒はしんどかったが、教員仲間は団結していた。
だから年度途中で倒れることなく頑張れたのだろう。
ここで今の教員の人間関係は・・・と言いたいところだが。
そう、単純な話ではないと、これを書きながら思い直した。
発達障がいへの対応の困難さがとても大きいと感じたからだ。
13年間で10倍になった発達障がいの子たち。
クラスに発達障がいの子どもが3人もいると、教員はかなりのエネルギーがいる。
これはやってみないとなかなか分からないしんどさだ。
実際にその場にいて対応しないと分かりにくいだろう。
きちんと頑張ろうと考えている人ほどしんどい。
発達障がいの診断がなくても、グレーゾーンと呼ばれる子どもたちも多くなっている。
昔は40人や35人学級でも対応できたことが、今はできないことも多い。
今、現場に行ってみて一クラス20人が限度だと感じた。
新任教員たちが倒れて教育現場を去っていくのを、その新任教員たちに原因があるとしてしまってよいのか。
その学校の教員たちの心にも傷が残っているはずだし、抜けた穴を埋めるのは厳しく、残ったものが多くの代償を払わなければならない。
国や自治体は本気で現場の悲惨さを正常化することを考えなければ、教員が足らないは永遠に続く。小手先の施策はもういいかなと思う。
新任教員たちをサポートする体制を充実させていくことはとても大切になる。
付け足しにはなるが、老人教員を雇うなら、それ相応の配慮も必要だ。
トイレも手すりがあるととても助かる。プール指導は身体に響くので避けたいところだ。
病院へ行くために、中学校の門の前を8時30分前に通った。
若い女の先生が登校してきた生徒たちに「あと何分やよ」というように声をかけている。
その声掛けに生徒はちょっと茶化しながら過ぎ去っていく。
先生は何とも言えない表情だった。
その風景を見て通り過ぎた時。
中学生への対応は難しいと思った。
そしてこれから始まるその若い先生の業務の重たさを感じた。
中学生・・やりがいはあるが精神的には疲れる。
生徒から来るエネルギーは強烈だ。顔に食らうパンチのようだ。
自分の精神状態によって防御できるか壊れていくかに分かれていく。
精神状態がよくても、幾度もパンチを食らうと防御システムの修復が出来なくなり、精神は弱っていく。
職員室の中はその防御システムを修復できる環境どころじゃない。どこか一人になって静かに落ち着き、心を立て直したい。
一日のうちに 多種多様な生徒から多種多様な言葉をかけられる。
左からは悩みごと、前からはお怒りの声、右からは喜びの声、それらを逃すことなく応えて彼らからは普通とされる。出来なければ「無視しよった」と陰口も覚悟しなければならない。
私は今現場にはいない、しかし、現場に放り込まれる日がもうすぐ来る。
覚悟はできているのかと自分に問う日々だ。
例えば、担任と副担。
それだけでもかなりの軽重がある。
私は担任をやろうとは思わない。昔と違いあまりにも量が多く、仕事は多彩になっているからだ。
昨日の1例でいうと、3時間目の途中、A先生は校門の後ろでクラスの不登校の対応をするためにそっと立っている。生徒が来ると笑顔で話しかける。一言一言に気を使いながら。
そうだろうな。一つ間違えれば、「先生が○○○○といったから行くのが嫌になった」「あの先生は無視する」となることもある。いい加減な気持ちで対応はできない。
給食指導、朝の会、終わりの会、出席簿の管理、生徒から集めたプリント類の管理、教室管理、保護者対応、すべて責任を負う。
その反面、副担任はそこまでのことはない。学校によって違うが、主任級でも担任ほどの重圧がかからないこともある。
担任業務、分掌業務、教科指導、部活指導、いろいろやらねばならないが、すべてやろうと思えば、休日にきて仕事をするしかない。
休日のほうが落ち着いてできるとみんな言っている。
あるいはどれかをしないかだ。
私も困難校にいてた時は、90%が生徒指導だったので、教科指導の準備は教室へ行くまでのローカと階段でしていた。
いや空き時間があるだろうということだが、困難校では、お決まりのローカ指導だ。
授業中に生徒が教室から出ないように見張り、出てきたら「よしよし」と教室へ戻す。
これをやっていると、心の中で、ここは中学校かとつぶやく。
冬の寒い日のローカは冷える。それでもローカで教科書を開いて教材研究や、分掌の仕事をするときもある。
・卒業式も難なく終わる。
・卒業生たちや親に感謝され平和な一日が終わる。
・心地よい疲れが自分に感じられ、教師になってよかったなぁと思う。
★★ しんどい学校。
卒業式の前日、髪の毛を染めたまま来させないよう、当日家を出る前
に服装を確認してほしいと親に頼みに行く。
家庭訪問で明日頑張れよと説得をし、服装と頭髪をチェック。
学校で髪の毛を黒に染め直してやることもある。
しかし、式当日はそんなにうまくいくはずもなく、いい加減な服装や頭
髪で登校してくるやつもいる。
でも、卒業式は、ちゃんとさせて当たり前の世界しかない。
焦りまくる。
他の教師の眼。「何してんねん、きちんさせろよ」
そこをなんとか着替えさせたり、髪に黒のスプレーを塗ってゴマかして
式に出す。他の生徒はほったらかしで、そいつにかかりきりになる。
クラス全員が式場に入るころには、精神的にかなりぎりぎり。
心を立て直して、呼名をなんとか終える。
式の感動より、強烈な無事に終わってくれの祈り。
もし涙が出るとしたら、うれし涙の方かもしれない。やっと卒業してく
れた。なんとか自分も折れずに頑張れた。よくやった。
あいつらから、「先生、おれらが明日からおれへんでさみしいやろ」と
言われても、本心、嬉しいと口元まで出ても抑え、「そやなぁ」と濁す
気持ち悪さ。
式が終わると、ものすごいプレシャーから解放。
ドッーーっと疲れが出て、誰にも言わず一人で飲みに行くか、死んだよ
うに寝る。
誤解を恐れず言えば…
こういう時に教師は、不祥事を起こしてしてしまうのかもしれないな。
そう思う。
つかの間の休息も、4月の始業式まで。
また、繰り返しが始まる。
そのような人はだいたい中学校から支援学校に変える人が多い。中学校で使えないから支援に回す、というような扱いの人たちもいるのは事実だ。
しかし、年齢を重ねると、支援学校や支援学級に行ってもよいかなと思う。なぜなら、部活動がほぼないので拘束時間は中学校より短いからだ。
実際中学校から支援学校に行った人に話を聞いてみると、「ひまやー」「こんなに楽させていただいて申し訳ありません」「面白くない」などの意見が多い。しかし、「この教育がやりたかった、本当にうれしい」と感無量の人にも出会ったことはある。
「面白くない」という人の話を深く聞いてみた。
支援学校に行くと初心者になってしまい、いくら一般校で実績があっても新参者として扱われ耐え難い。人間関係が複雑で、悪口・陰口が普通に蔓延している。生徒からたたかれたりけられたり、愛情があっても疲弊する。人間てたたかれることが続くと精神が病むんだと知った。
などと語ってくれた。
支援学校には支援学校のしんどさがある。
「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」――。こんなブログ記事がネットに投稿され、話題を呼んでいる。
ブログは自身について、いわゆる「教育困難校」に勤務する教師だとしている。内容から女性とみられる。「ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって」と、仕事の苦労を切々と綴っている。
「ちょっと強く言ったら、教育委員会に言うぞとか...」
「毎日、授業にもならなくて、毎日、ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって、ちょっと強く言ったら、教育委員会に言うぞとか、体罰だとか騒がれて、でもそれが教員の仕事でしょ、って言われて、そういう子に情熱を傾けるのが教員でしょ、それがやりたくて教員になったんでしょ、って」
「公務員の給与プラスアルファで、朝7時から夜9時まで、昼休みなんて、パンを体内に詰め込む5分くらいで、クレームにうまく対応しながら、全く学校に行かない日なんて月に2、3日でも、休みの日だって狭い生活圏で、あの人は先生だって周囲に見られながら生活して」
と生徒とのコミュニケーションの難しさ、仕事の辛さをぶちまけている。
こんなことは、以前からわかっていることだ。今まで、日々教師が体と心を張って生徒たちにぶつかってきた。どうにもならない現実と向き合い、教師たちは、ただ彼らが早く卒業してくれることだけを願い一日一日を過ごしてきた。
そして、どうにもならない自分たちの力にふがいなさを思い、少しの休養の日だけを楽しみに生きて来た。こんな教師たちを救えるのは誰なのか。
まず、学校にすべてを任せるのは無理だということを社会が認識する必要がある。
教育困難校の改善は、もはや学校が担える教育の範疇にはない。いや、「範疇にはあるだろう」と答える人もいるかもしれない。そうなると教師が、教科担当、担任、部活顧問、カウンセラー、ソーシャルワーカーすべてを担い、24時間対応のスパー人間になれというに等しくなる。
それは教師ではない。スーパー人間だ。しかし、そんなことは無理だ。
私も困難校では24時間対応しなければならなかったことが多かった。
朝5時ごろまで保護者対応して、「そろそろ職員が仕事に来るので終わりましょう」と促して帰ってもらったこともある。
また、子どもの進学費用がないので、「親戚の家に工面しに行くので先生ついてきてほしい」といわれ、しぶしぶ夜中に親戚の家に私が説明しに行ったことがあった。場所は隣の県だったので帰ってきたのは朝方だった。
しかし、そんなことは長く続けられなかった。
今の世の中、学校の教師では対応できないことがある。
だから、学校を支援するシステムと施設が必要だ。
そこは、学校に適応していない生徒を救うことが役目だ。
発達障害とみられる激しい暴力的な生徒。担任教師では対応ができない。
中学生でも職業教育と称して働かせてもいいと思う。また、スポーツや手に職をつける興味ある授業を展開してあげても良いと思う。
机に縛り付けることは、無理なんだから。その無理を教師にさせるのは、社会の無責任と言えよう。
週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。
医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。
調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。
調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。
小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。
単純には比較できないが、11年に労働政策研究・研修機構が調べた医師の40%を大きく上回ったほか、連合総研が16年に調査した建設業の13・7%、製造業の9・2%、運輸・情報通信業の9・0%を大きく上回っている。
特に中学の運動部顧問の場合、午前7時以前に出勤する教諭が15%、午後9時以降に退勤する人は22%に上った。
「必ず」「だいたい」毎日、家族全員と一緒に夕食をとるのは小学校39%、中学校33%で、民間企業労働者の52%を下回った。
朝日新聞社
関西福祉大学紀要13号(2009)の中で芳田、栗村らは
「スクールカウンセラー(SC)による教師のメンタルへルス支援」を執筆している。
今年が2017年なので8年ほど前の文献になるが、学校の実態をスクールカウンセラー(SC)から見て如実に書いているので大変興味深い。
例えばこうだ。
「教師のストレスフルな状況は、週1回の勤務であるSCにも肌で十分に感じることができる」
…「このようなストレスフルな学校現場が多いため、SCが勤務校を変わっても、必ず一人は病気休職の教師がいたり、心理的重荷を抱えて慢性的に疲労が重なりひどく疲弊している教師に出会うことが最近多くなっている。そこでこの状況を放置しておくことができないと痛感し、教師のメンタルヘルスに対して、SCも何か対策を講じる必要性があると痛感する。」と示している。
いかに学校現場が疲弊しているかを、よく知ったうえで手を差しのべようとしている。だから、この言葉に励まされる思いがした。
また、「…教師の疲労感や無力感を強く感じることが多くあり、…本来は問題と向き合ってほしいと思うのだが、今の担任の心と体の状態から考えると、教師にこれ以上の対応を求めることがとても負担になると感じられ、「今は、この対応で十分ですよ」「先生、よく頑張っておられますね」とお声をかけるしかない場面にであう。」という。
他の職種からみれば、甘えたことだと思われるかもしれない。
だが、私も発達障害の生徒をどう指導していくかを相談したときにSCから似たような声をかけられた。
「先生、まず自分を守ってください」と。
このとき、SCが何を言っているのか理解できず、一瞬、会話が止まったのを覚えている。よくよく聞いてみると、私がこの指導で疲れ切って倒れるのを本当に心配していたようだった。
教師は学校の中で自分自身のことが見えなくなることがある。
芳田、栗村らは、そのことについても次のように述べていた。
「SCから見ると、日々緊急事態なのだが、教師にとってはその状態が日常であり、その状態に毎日身を置いていることから感覚が麻痺した状態になっており、ストレスフルな状況を辛いことや過剰な労働であると感じなくなっている学校現場や教師に出会うことが時折ある。」
私もそうだったのかもしれない。
この文献の終わりの方で芳田、栗村らは、「教師は、保護者対応や子どもとの関わりの中で、個人としての全人格を否定されるような傷を受けていることがある。…」と記している。
これを読んで正直、ズドンと心にきた。
きっと自分が全人格を否定されたときの痛みが瞬時によみがえったのだろう。
疲れました。迷わくをかけてしまいすみません―。☆
福井県若狭町の中学校の社会科教諭、嶋田友生(ともお)さん=当時(27)=は中学時代から毎日欠かさず付けていた日記にこう残し、自ら命を絶った。
教員採用されてからわずか半年だった。長時間労働などにより精神的に追い込まれる教員は福井県内でも少なくない。教育現場からの「叫び」をリポートした。
■希望と不安
友生さんは4年間の中学校学習支援員、講師を経て2014年4月、中学校教諭に採用された。1年生の担任を受け持つことが決まり迎えた入学式。同6日の日記には「21名の子どもたちを前にしてワクワクするとともに、不安もひしひしと感じた」と記した。
半年後の10月6日。初めて学校を休んだ。
体調が悪そうな友生さんに母が病院に行くよう勧めたが「病院かあ。ぼちぼち行くわ」。昼すぎ、友生さんは学校に行くと告げて車で家を出た。母は毎夕、友生さんにメールをするのが日課だったが、この日は返信がこなかった。翌7日、母の実家で友生さんの車が見つかった。
車中には練炭。友生さんは一酸化炭素中毒で死亡していた。
■161時間
友生さんは、講師時の中学校と当時の勤務校との授業スタイルや指導方法の違いに悩んでいた様子だったという。
友生さんの父・富士男さん(56)は「5月ごろから疲れた表情を見せるようになった」と振り返る。
初任者研修の一環としての授業を10月中旬に行う予定だったが、この指導案作成にも苦労しており、口内炎ができたり、食欲が落ちたりと様子は悪化していった。亡くなる前日には頭を悩ませている様子で、「あかん。なかなかできん」と母に話していたという。
使用していたパソコンなどの記録から、4~6月の時間外業務は月128~161時間に上ると見られている。
■恐怖
友生さんの精神疾患と自殺に相当の因果関係があるとして今年9月6日、公務災害と認定された。6月ごろ、何らかの精神疾患を発症していたとされる。担当した村上昌寛弁護士によると、一般的な労災のケースでは申請から認定まで1年~1年半程度かかるが、友生さんの場合は約9カ月で認定されたという。県内教員の認定は初ではないかといい、「勤務時間が非常に長いことが大きかった。
日記には指導案が出来上がらないことなどから、寝ることに恐怖を感じていたような記述があり、悩みやストレスを発散する時間もなかったとみられる」と説明する。
富士男さんは「息子は精神的にも肉体的にも強い人間だったのに、なぜ…」と友生さんの死を今も受け入れられないでいる。「本当の原因が分からんから、息子に掛ける言葉も見つからない」。友生さんの遺骨は自宅に残されたままだ。
ーーー12/9福井新聞よりーーーー
☆☆
指導案が出来上がらない…たぶん新任研修の一環として行われる授業研究のことだと思うが、私の学校でも新任の方は指導案を作成するのに必死だ。
また、それを添削する指導教官も余分な仕事が増えるがしっかり見てあげなければならないと思って指導する。
私の学校では、指導案は、指導教官→学年主任→教頭へ持っていく、さらに校長へと指導案は上がる。
スッと管理職まで行けばよいが、学年主任と教頭の添削が違ったり、同じ人でもこの前と今の指導内容が違っていたりと、途中で新任が右往左往をしてしまうことがよくある。厳しい人に当たると指導案作成は長引く。厳しさは新任への愛情だと思うが、ときに指導する側の自己満足だったりしないか。
それに付き合わなければならない新任は弱い立場なので従うしかなく本当に疲れ果てる。
指導案も人によって書き方や表現が違ったり、学校によって違ったり、年度によって書き方が新しくなる部分もあり、一定しない。これも本当に疲れる。
また、教員は指導案を通常の授業では絶対使用しない!
使用するとすれば授業用のメモだ。そんな非日常的なものの作成にエネルギーをとられてしまうことがそもそも教員を疲弊させる大きな原因の一つになっている。
教員採用試験でも指導案作成が出る県もあるというが、指導案作成が優秀な人が教員に向いているとはあまり思えない。教員は生徒と一緒にドロドロになって頑張る気持ちがあるのかないのかが重要なことなのだ。
私は指導案作成時の表現方法や書き方の違いに必死になるよりほかのことに時間を使いたい。そんなことをしている時間があれば、生徒と関わる時間を増やしたい。なので、受け持った新任には自由に書かせてこちらは大まかに見てやっている。
夫は公立高校の教員ですが、基本週休0日です。
土日祝日は部活(遠征、大会、出張等県外へ行く事も多いです)、
生活指導、家庭訪問、補習補講、etc・・・平日も遅く帰って来ますが
休みも滅多にありません。
過労死するのでは、交通事故をおこすのでは、と結婚してから気が休まる事が
ありません。夫はかなりの強靭な体と精神の持ち主だと思います。
慢性疲労、体調不良、多大なストレスを今のところ根性で押し切って
働いています。
持ち帰り仕事も多いです。(個人情報ものは持ち帰れませんが)
学校も誰も正確な実働時間は把握していないと思います。
人間らしい生活は出来ていないと思います。夫ではなく私が鬱状態です・・・。
ネットでマスコミで公務員叩きされ、ボロボロの真面目人間の夫を見て、
同じアパートや戸建の子供もいるサラリーマン等が土日祝日休み、
大型連休を楽しんでいるのを見るとみじめになります。
本当の事ならいいですがデマで叩かれるのは耐え難いものです。
(暴力や性犯罪などワイドショーで見る様な教師は根絶して欲しいですが。)
部活などやればやるほどお金がかかります。
給料一律、聖職者、一般の感覚では理解できない事ばかりです。
教員同士の結婚が多いわけです。独身、離婚も多いわけです。
政治家が教育改革等と発言するとまたどんな雑務が増えるのだろうと
暗澹たる気持ちになります。
度々、急激な少子高齢化に伴い共済組合より健康保険等値上げ、(本人は見てませんが)附加給付の廃止など収入が支出を厳しい財政状況による見直しのお知らせが来ます。こんな職業に団塊世代?の大量退職後、真面目で優秀な若者が入って来るのか、
教育の質が落ちないのか不安です。現在の中堅若手は悲惨に思えます。
労働基準法では月4日は休みを取らなければならなかったと思いますが休みが月0日だったりするのは納得がいきません。
教師に人権を認めない、立派な教育をしろとは矛盾しています。
自分の子供に接する時間もない、激務、薄給で子供を持てない人間に
家庭の躾まで押し付ける日本の教育現場は異常だと思います。
なにより過労死認定されにくい、過労死ラインで働く教師達の救済をするべきです。
仕事は優秀で真面目な教員に集まる傾向にあります。
毎日新聞
14年度公立学校 背景に改善されない教員の多忙感
2014年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教員が5045人(全教員の0.55%)に上ることが、文部科学省の調査で分かった。20年ほど前から増加し、07年度以降5000人前後で高止まりが続く。学校関係者は「教員数を増やすことが不可欠だ」と訴えている。
精神疾患による休職は本人や家族はもちろん、学校にも影響を与えるため、自治体はメンタルヘルスケアのプログラムを設けるなど復職支援を進めている。
在職者に占める割合を学校別でみると、中学が0.65%(1548人)で最も高く、特別支援学校0.64%(535人)、小学校0.56%(2283人)、高校0.36%(675人)、中等教育学校0.26%(4人)の順。休職期間は6カ月未満が33%と最多で、6カ月以上1年未満と1年以上2年未満が各27%で続いた。全体の39%が14年度中に復職し、引き続き休職が44%、退職が18%だった。
高水準が続く背景には、いっこうに改善されない教員の多忙感がある。経済協力開発機構(OECD)の13年の国際調査(TALIS)によると、日本の中学教員の1週間の仕事時間は計53.9時間と参加国で最長。常に学力向上を求められる上に、いじめや不登校など複雑・多様化する課題への対応も迫られる。保護者からのクレーム対応に悩む若手教員も多い。1日の休憩時間が10分程度という教員も珍しくない。
この国際調査では「教職が社会的に高く評価されていると思うか」の質問に、「非常に良く当てはまる」「当てはまる」と答えた教員は、日本では3割弱と参加国平均より低い。「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」という回答の割合も日本は下から2番目で、教員の労働環境の厳しさを物語っている。【三木陽介】
都が訓練機関、延べ463人復職
精神疾患の教員の復職を支援するために東京都教委は2010年、全国に先駆けて専門の訓練機関「リワークプラザ東京」を設置した。14年度までに463人が訓練プログラムを終えて学校に戻り、その取り組みが注目されている。
訓練は休職者の希望を受け、休職前の職場で原則3カ月間行う。精神科医が訓練に参加できる状態かどうかを判断し、可能となれば臨床心理士と校長OBで組む「復職アドバイザー」が本人や校長らと相談しながらプログラムを作成する。
プログラムは3段階で各1カ月間ずつ、計3カ月間組まれる。第1段階の最初の1カ月間は、半日ほどの事務補助作業などを週3日間行う。2カ月目は週3〜5日、半日の勤務で授業の教材準備などを行う。3カ月目は通常の勤務時間に通い、管理職の立ち会いの下で授業を担当したりする。症状が軽い場合は訓練期間を短縮する場合もある。
訓練終了時に精神科医が復職の可否を判断し、復職後もアドバイザーが学校を訪問し、仕事ぶりを確認する。訪問は従来、復職後に1度だけだったが、学校側から「復職者にどう接したらいいか、相談に乗ってほしい」といった要望があり、現在は必ず2回以上訪問する。症状が重い場合はフォロー訪問を5回繰り返したこともあったという。
ただし、訓練を始めても途中で体調が悪化するケースも少なくない。14年度は142人が申し込んだが、最初の精神科医との面接を通過したのは128人で、実際にプログラムを終えたのは92人だった。
訓練機関を設置した効果について、都教委の担当者は「休職した教職員の復帰に行政が責任を持つ体制になった。何かあれば都が調整に乗り出すので、学校や支援スタッフ、教職員本人も安心して復職に取り組んでもらえるようになった」と話す。【稲田佳代】
先生を「命令だけ」で動かしたら
本校は先生の数が20名あまりの
また、現在『産育休者が4名』い
今、50才以上と非正規雇用者で
『子は宝』であり最も産育休は尊
その状況でも学校の安定が維持で
情をもって生徒や保護者、地域だ
現にそんな負のスパイラルに陥っ
市長も大阪市の教育委員会議もそ
テレビや新聞の報道でわれわれ場
もう、最近驚きもしない。諦めで
東三国中は大阪市の長所のみを取
でも、もう疲れたよ。
また、不登校生徒にも丁寧に対応したい。
授業準備の時間は削られる。
上の80パーセントは感覚的だが、遠慮した数字だ。
朝、1時間目が始まってしばらくすると服装違反に身を固めた生徒たちがぽつぽつと登校する。今日も来たかと思う。服装を正して教室へ入れるのだが、言うことを聞かない。短いスカートを伸ばさせてもピアスをとらない。2時間目に入ってようやくとる。しかし、今度は教室へ入らない、そのような生徒が学年に1人や2人だったらよいのだが、10人にもなると授業をしていない教師をかき集めても対応できない。そこへ不登校の生徒が別室登校してきたとなると、どこかを捨てなければならない。
これが毎日続くと自己の体力気力の限界を感じるようになる。
職員室に落ち着いて座って仕事をするのは、あの子らが朝登校してくるまでの間だけだ。昼食も喉が通らないし生徒と一緒に食べない。昼休みはトラブルが起こりやすいのでなるべく教室にいる。自分の昼食は昼食時間以外の空いているときに食べる。それが放課後になる時もある。だが、放課後は部活動の指導だ。
中学校はブラック企業だ。
さあ、ほんのひと時の休みは終わり、3学期が始まる。
授業も入らない、九九も十分でない生徒たちを3学期からどうすればよいのか。教師だけで解決できるとは思えない。教師はなんとか一日をやり過ごしているだけで、市民の方や上の方が思ってるほど成果をあげられていないのだ。
社会の闇を抱え込んでいる生徒たち。その闇と対峙する教師。この教師たちを支え支援することが必要だ。
マスコミにたたかれ、上からは絞られる教師たち。3学期も未熟だが我々は知恵を結集して頑張る。
6月25日に公表されたOECDのTALIS2013によれば、日本の教員(中学校)は、1週間あたりの勤務時間が、調査に参加した34カ国・地域の平均38.3時間を大幅に上回る53.9時間で、参加国中で最長だった。また自分の指導に対する自己評価や教育職への社会的な価値感、満足度なども、相対的に低かった。
1週間の勤務時間で、日本の53.9時間に次いで長かったのは、カナダ・アルバータ州の48.2時間で、5.7時間の開きがあった。次いでシンガポールの47.6時間など。
参加国平均以上は、参加34カ国・地域中10カ国(回答数が少なかったので参考データとしてアメリカの44.8時間がこの中に入る)。平均よりやや長いデンマークが40.0時間。
特徴的なのは、勤務時間の中で授業そのものに使っている時間が占める割合。参加国平均では、勤務時間全体の半分を授業に使っている。これに対して日本は、勤務時間全体の3分の1ほど。
欧米に比べて日本では、部活動や生徒指導、事務処理など、授業以外でも多様な働きに向けられる時間がたいへん長い状況が浮き彫りにされた。
(詳細は「教育新聞」紙面に掲載)
座っていられない、よく勘違いをしてカッとなり他の生徒に危害を加える。危険性を認識できないために他の生徒が被害を被る。そして、LDはたくさんいる。中学校にきて九九が半分わからない。漢字はほとんど読み書きできない。教室から飛び出る。教室にいてもしゃべるか立ち歩く。他の生徒たちは毎日びくびくしながら生活している。学校を休む生徒もいる。何らかの措置が必要だ。
教師の力だけでは限界がある。正直、頼るのは警察だけだ。
そのような生徒の指導に80パーセントのエネルギーを注ぎ、他の生徒は余力で関わる。この学校教育なんとかならないものか。いつも思う。