公立学校の真実
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Cさんは中学1年生。彼女が最も苦手なのは数学の授業。特に分数や小数の計算になると、教室で一番最初に手が止まるのがCさんだ。彼女にとって、分数の足し算や引き算はまるで異次元の言葉のように感じられる。
例えば、ある日の授業で、先生が黒板に「」と書いたとき、Cさんの頭の中は真っ白になった。周りの友達がスラスラと解いていく中、Cさんは手元のノートを見つめながら必死に理解しようとしたが、どうしてもわからなかった。
Cさんにとって、数字は単なる記号以上のものには見えず、どのようにしてこれらの記号が意味を持つのかが理解できなかったのだ。授業が終わった後、Cさんはため息をつきながら教室を出て、次の授業に向かった。その夜、家で宿題をしているときも同じ問題に取り組んだが、やはり解けなかった。
そんなある日、Cさんは算数の文章問題にも挑戦してみた。問題は「りんごが3個ありました。さらに2個買いました。合計で何個になりますか?」というもの。Cさんは、りんごの数を頭の中でイメージしようとしたが、数が増えるにつれて混乱してしまった。結果として、何度もやり直しを繰り返し、最終的には諦めてしまった。
数の大小や順序の理解も難しく、先生が「1、10、100の順に並べてみましょう」と指示すると、Cさんは「1」と「100」の位置を混同してしまいました。彼女は、数が大きくなるほど数値が増えるという基本的な概念が理解できていなかったのです。
さらに、「1と100のどちらが大きいか?」という質問に対して、Cさんは「1の方が小さい数字だから1の方が大きい」と答えてしまいました。この回答は、数の大小関係を理解していないことを示しています。
Cさんのこうした困難は、彼女自身だけでなく、周りの大人や教師にも理解されにくいものであった。彼女が算数の授業で苦労している姿を見て、先生たちもどう支援すればよいのか悩むことが多かった。
山中優里さんの話
まずは東大生の山中優里さんのエピソードをご紹介。彼女はADHDと診断され、その影響で授業中に集中できず、実験中には器具を壊してしまうことが多々ありました。
ところが、彼女は自分なりの対策を講じて困難を克服しています。
例えば、必要なものを一つの袋にまとめたり、使い捨ての皿や箸を使うことで、紛失や後回しを減らしています。
また、大学の支援体制も積極的に活用し、理学部支援室でサポートを受けることで、学業に集中できる環境を整えています。
今では、少しずつ困難を克服し、充実した学生生活を楽しんでいるそうです (Todai Shimbun)。
きよきよさんの話
次に、きよきよさんのエピソードです。彼は発達障害の子どもを持つ親として、特性を理解し、それに合った対応をすることの重要性を痛感しています。
初めは「どうしてできないの?」と責めることが多かったそうですが、特性を理解し、「この子の特性からすると、こうしたら改善できるかな?」と考えるようにした結果、親子関係が改善されたとか。
きよきよさんの投稿は、多くの共感を呼び、発達障害の子どもを持つ親たちにとって大きな励みとなっています。特性を理解し、適切な対応をすることで、家族は少しずつ前向きに進んでいるとのこと (grape [グレイプ])。
まどりさんの話
ASD/ADHD/LD併発の発達障害を持つまどりさんの話も興味深いです。
現在、在宅勤務をしながら一歳の娘を育てている彼女は、発達障害の特性を理解し、自分なりの対策を講じることで、日常生活の困難を克服してきました。
まどりさんのブログでは、自身の半生や発達障害に関する情報、障害者雇用に関する情報を分かりやすく紹介しており、多くの人々にとって参考になる内容を提供しています。
彼女自身も、多くの支援や理解を受けながら、発達障害と向き合い、前向きに生活を送っている様子です (不注意型の眠り姫 - 当事者の声で作る参加型ADDメディア)。
なおさんの話
次は、双極性障害と発達障害を持つなおさんのエピソード。
「生きづらさJAPAN」というオンラインメディアを運営し、発達障害の特性を理解し、自分に合った対策を講じることで、日常生活の困難を少しずつ克服しています。
特に、オンラインでの交流を通じて、多くの共感と支援を得ることができたそうです。オンライン会は、発達障害やその他の生きづらさを抱える人々が集まり、互いの悩みや経験を共有する場となっており、多くの参加者にとって貴重な交流の場となっています (HikiPOS)。
ダイヤさんの話
最後にご紹介するのは、パンセクシャルでポリアモリーのADHD当事者、ダイヤさんです。
彼女はオンラインカウンセラーとして活動し、発達障害と向き合いながら、自分に合った対策を講じることで、日常生活の困難を克服してきました。
特に、オンラインサロンやYouTube配信を通じて、多くの共感と支援を得ることができたと話しています。
ダイヤさんのブログでは、発達障害やセクシュアルマイノリティーに関する情報を提供し、同じような境遇の人々と繋がることを目指しています。これにより、多くの人々にとっての励みとなっているのです (不注意型の眠り姫 - 当事者の声で作る参加型ADDメディア)。
例えば、いじめがあった場合、学校側はそれぞれの「設置者」に届け出ることとなっている。
公立の場合は教育委員会だが、私立の場合の届け出先は当の学校法人なのだ。
だから、私学は、いじめがあっても隠ぺいしやすいシステムになっている。
しかも、教育委員会の片隅に設置してある私学課などと呼ばれているところは、法の規定により問題教員の人事異動やいじめ加害者の出席停止といった「具体的な改善指導」はできない。
また、特別支援教育では、しゃべることができない子どもたちは、教師からの虐待や暴言をされていても訴えることができない。つまり特別支援教育でのそういった類のものは発覚しにくいということだ。
何が言いたいか。私学と特別支援が重なると、非常に危険ということだ。
私学のいじめや虐待の現場には穴がある。子どもたちを守るためには、その穴を埋める法の早期改正が必要だ。
文部科学省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(2018年度版)によると、全国に3万7192校ある小・中・高校・特別支援学校のうち、「いじめ」があったことを認知していた学校は80.8%。国公立と私立に区分すると、前者は83.1%。これに対し、全国で2579校ある私立のいじめ認知の割合はちょうど50%。私立の学校はいじめが少ないと判断できる、と思ってしまう。
知的障害や発達障害を持っていて、親も育てることが出来なければ、どうなるのだろうか。
そういつ子どもは児童相談所扱いになる。そして、福祉施設に入所することになる。
しかし、そこからその子どもの人生が悲惨な人生になるのか、それとも明るい人生になるのかは、周りの人間の気持ち一つとなる。
児童相談所の人たち、福祉施設の人たち、特別支援学校の先生方の気持ち一つだ。
時にはこいつはダメだと烙印をおされ精神病院へ送られる時もあれば、そこから救われる時もある。
もし、自分の子どもが精神病棟で薬づけとなったとするとどうだろう。しかたないのだろうか。
一方その子どもの個性を受容し、育むことができればその子の人生は救われる。
私は人生が輝いた子供はあまり知らないが、悲惨な人生を送らざるを得ず、闇へ葬り去られた子どもたちを2人ほど知っている。それはきっと明るい人生を送ることが出来たであろう子どもだった。大人たちのエゴと怠慢でそうならざるを得なかった。
あるSNSにその事実を書き込んだが、しばらくするとそのSNSは使えなくなった。
本当のことを入手して書き込んだのだが。
救えない人たちがいる。189や県に伝えてもかなり反応は鈍い。
無力感に襲われる。しかし、希望はある。
- 最重度・・・ おおむね20以下
- 重度・・・ おおむね21~35
- 中度 ・・・ おおむね36~50
- 軽度・・・ おおむね51~70
しかし、境界性知能とは、上の分類にはなく、およそIQ70~85のことだ。全体の人数の14%に当たる。35人学級の中に5人いる計算になる。
WISC4の結果には、言語理解、知覚推理、ワーキングメモリー、処理速度と4つの指標がある。その得点だけでは子どもの特質は概略しか理解できない。指標得点を作っている下位検査を細かく見ることが必要だ。
軽度知的障害や境界性知能の子どもたちでも、ある部分では普通にできるものを持っていることがある。例えば、知覚推理と処理速度が極めて低いような生徒でも、言語理解とワーキングメモリーが90近くあれば、普通に会話ができ頑張れば学習にもついていける。ただ、そういう生徒は算数・数学は厳しいだろう。だから、周囲から見ればちゃんとコミュニケーションもでき、出来る教科もあるのに出来ない教科があるので、怠けているとみなされるのだ。
逆にIQ100なのにテストではどの教科も20点台だという生徒もいる。それは知的には遅れのないディスレクシアなどに当たる生徒が多い。これらは怠けている、あるいはどうしようもなく学力が低いとみなされ放っておかれる。
子どもたちの困難な状況を早い段階で理解してあげ、支援の対象にしてあげることがなにより必要だ。そして、子どもたちにも、自分の特性をしっかり理解し見つめていく力を持たせることが必要になる。
そうするためには、発達検査を受けやすい環境を学校で作ることが大切になる。支援学級や通級指導教室の担当が発達検査ができるように研修を積めるようにしてほしい。ただ、現在は支援学級の担任で発達検査に詳しい教師は極めて少ない。通級指導教室の担当教員ならば熟達した先生も多い地域がある。
発達障害の児童生徒が激増している現在、文科省はその対策のために通級指導教室を増設している。しかし、大阪市にはこの施策はない。大阪市の特色としてのインクルーシブ教育推進が優先されているからだ。
保護者にとってどちらが良いのか、その判断は難しいが、他の都市の学校は通級指導教室開設によって大きな恩恵を受けていることは事実だ。それは3点ある。
①発達障害の子たちへSST(ソーシャルスキルトレーニング)を中心に指導できる。
②発達障害の子たちや親にとって相談できる場所が校内にできる。
③発達障害の専門的な知見を持つ教員が排出される。
私はどれも大切だと思うが、③は支援の根本に当たると思われる。
通級指導担当教員によって他の教員へ発達障害への知見が徐々に広がるシステムができ、子どもたちにとっては最良の支援が広がっていく学校へと変わるからだ。
通級指導教員は自己研鑽、教育センターや教育委員会の研修を通して専門的な知見を身に着けていく。さらにK式やWISCなどの発達検査の実施やその報告書を書くための実践をする場合も少なくない。また、就学相談にもかかわる場合もある。このような実践や経験は他の教師ではけしてできない。
自己研鑽では特別支援教育士などを持つ教員も多く、その資格を維持するために休みを利用して自腹で遠方まで行き研鑽を繰り返している教員も少なくない。さらには公認心理師を持っている教員もいる。そのような資格を持っていなくとも通級指導教員たち同志で切磋琢磨しあい、資格所持者と同等あるいはそれ以上の専門性を持っている教員も多い。
大阪市では、残念ながらそれはない。発達障害についての専門性という点では、多くの発達障害の子どもたちに接して指導し、研鑽を続けている通級指導教員にはけして及ばない。
だから、目の前の発達障害の子どもがいてもスルーする場合が多くなる。専門性を伴った適切な支援体制が構築できていないからだ。専門性を持っている教員が校内に1人でもいるかいないか、これは発達障害の子たちを救えるか救えないかの大きなポイントになるだろう。
小中学校でそういう子どもたちを拾わなければ、残念ながら大人になってその子は社会の壁にぶつかり続けなければならない。
大阪市は他の都市を参考にし、インクルーシブ教育の推進と共に発達障害の子どもたちを救えるシステムを早急に作るべきだ。もっと現在の子どもたちと学校の実態を見るべきだ。学力を全国なみにすることと発達障害の子どもたちの支援はけして異なることはない。発達障害の子どもたちを専門的に支援することにより全体の学力は上がると信じる。
8月26日、まさか合格はないと思っていたので昼間にあったネット発表はまったく気にしていなかった。寝る前に、そういえば今日合格発表とかいっていたな。という感じで歯磨きをしながらみて見た。
番号があった。何度も見直した。ある。
自己採点では133点あるいはよくて135点どまりだった。しかし、合格していた。 そして合格通知が29日に来た。やはり合格していた。この封筒を持って実感した。すぐに申請書を作成し翌々日には出していた。
頑張った甲斐があった。さて、これからどうするかだ。心理検査などは出来る。検査の報告書も書きなれた。だが、まだまだ心理に関する知識は弱いし、福祉関係の知識が弱いので、クライエントに対して適切なアドバイスができない。これからどのような道を進むか、もう一度考えていきたい。社会貢献は間違いない。
中学校では教科制だから支援学級の担任の専門教科は、深くその子にあったレベルまで教えることができる。しかし、その他の教科には時間も足らず出来る範囲でやるしかないのが現状ではないか。
支援学級のどの教科も一定のレベルに持っていくことが必要となってきた。その理由は2つある。1つは情緒・自閉症のクラスではそのように定められているからだ。2つ目は入級してくる生徒が多様化しはじめ、高校進学を視野に入れている生徒が増加しているからだ。
多様化している生徒を前に、特別支援学級と交流学級との授業配分が1:1程度では現場は頭を抱えるだけだ。生徒を最大限伸ばすための対応ができないからだ。その難題が支援学級の担任へのしかかることも多くなってきた。
自治体にとっては初めから文科省の通達である1:1を上限とすることを無視しているところもあるが。
しかし、大阪は独自に週1時間でも、いやいや0時間でも支援学級の生徒として扱っている。
インクルーシブ教育を重視しているからだろう。気持ちはよくわかるがその反面、文科省が推進している通級指導教室は皆無と言っていいほど存在しない。
隣の京都などではすでに半分以上の学校に通級指導教室が設置されている。
通級指導が扱う発達障害は知的障害と違いさらに専門的な研究や知識が必要で、時にWISCなどの検査がとれてその解釈ができる教員が必要だ。独特の大阪方式は発達障害の対応が遅れ、そのような教員が育っていない。また、通級指導では教科の補填はしても教科を強化しないのが原則だ。
通級指導のことを差し置いて大阪の特別支援教育の課題は語れないだろう。なぜなら、学校では発達障害の子たちの課題が特に顕著化しているからだ。全国的にみても発達障害の子たちのは増え続けている。それを差し置いて今の特別支援教育はない。
大阪のインクルーシブ教育はある意味賛成だが、文科省の通達を無視し続けるのではなく、文科省へ自分たちの考えをしっかり提案をしてくべきだ。
特別支援教育を必要とする生徒はうなぎ登りに増えています。発達障害の子たちも増え、支援学校や支援教室、通級指導教室の数は大きく増えています。
しかし、なぜか大阪市は発達障害の子たちの支援をほとんど行っていません。
研修の機会も少ないです。
文科省からは発達障害の子たちのために通級指導教室の設置をするように指導や通達がありました。
大阪市の小学校は286校ありますが通級指導教室が設置されているのは15校、そのうち発達障害の看板をはっきり掲げているのが(九条東、金塚など)6校にすぎません。
15校としてパーセントで考えると通級指導教室の設置率は3%!
発達障害の子たちの支援をやってないに等しいです。
比較してみましょう。
同じ政令指定都市の京都市では、150校中、80校にLD等(発達障害専門)の通級指導教室があります。
設置率53%です。
大阪市では、特性を持った子供たちが、専門的な指導を受けられず、時代遅れの指導を受けさせられているのです。
残念です。
時代の流れに遅れている不可解な都市 大阪市。
【姫路市立城陽小学校の特別支援学級での暴言・体罰問題】担任だった元教諭(39)が2018年以降、児童6人に「生きる価値がない」などの差別的な暴言や、体を押さえつけるなどの体罰を繰り返していたことが発覚。
元教諭の授業をサポートする女性職員が管理職に少なくとも7回相談したが、管理職は市教育委員会に報告したり、確認したりせずに事実上放置。
2021年6月、女性職員が元教諭の問題行為を記録したメモを校長に提出したことで学校側が調査を始め、県教委が計34件を認定し懲戒免職とした。
この問題が学校内で発覚してから間もなく半年となる。「息子は今は元気に通っているが、心の傷は本当に癒えたのか不安は消えない」と胸の内を明かす。
男児は集団行動が苦手で「クラスメートの邪魔をしてはいけない」と支援学級を選んだ。普通の子どもより大変だろうから、「学校に手が掛かる子を預けている」という負い目があったという。
元教諭が担任になってから、男児は「また怒られてん」と不満を漏らすようになった。本人は怒られた理由を理解できておらず、違和感が残った。息子からのSOSに気付きながら「我慢しようね」と慰めることしかできなかったという。元教諭の補助役で、暴言や体罰を管理職に告発した女性職員を慕っていたため、何とか通い続けたという。
理解できない理由で児童を叱り、親に説明もない。元教諭は支援学級には合っていないように感じたが、担任が代わることはなかった。「また怒られるから言わないで」と息子に頼まれ、学校側に苦情を言えなかったという。
女性職員は2018年度から少なくとも7回、学校側に実態を訴えたが、管理職は確認もせず、事実上放置したことに今でも納得できずにいる。
「なぜ学校はすぐに動いてくれなかったのか」「なぜ、他にも見聞きした教職員がいたのに訴えは届かなかったのか」
学校の説明会で何度も疑問をぶつけたが、現校長からは「口頭注意で直ると思っていた」という言葉しか返ってこなかった。
学校は動かない。一支援員が言うことなど校長は聞く耳を持たない。教諭が教育の中心。そういうことかもしれない。だが、他の教師が訴えても動きは鈍いと思う。校長は体罰などを教育委員会へわざわざ上げるのは、自分の指導力がありませんでした、と教育員会へ言いに行くようなものだからだ。できればもみ消したい。適当にお茶を濁して表面化させたくないのが本音だろう。だから動きは鈍いのだ。
これが私学だったらもっときついだろう。
評判ということもある。いわゆる経営にかかわってくる。
私学の特別支援学校で思い出したが、知り合いに高知の人がいる。高知の私立H特別支援学校では、教育そのものが昔ながらのスパルタ。戸塚ヨットまではいかないが、暴言暴力はあるという。今年度もそれが嫌で辞めていった生徒が数人いると聞く。
だが、表面的に問題にならないのは、スパルタ的な教育で実績を上げている部分もあるからだろう。また、管理職や経営者はその方針を尊守し、それ以外は受け付けないからだろう。
時代は変化している。特別支援教育は劇的に増えている。そして大きく変化している。その対応に遅れれば、いずれ私学は経営が難しくなる。
特別支援は、保護者と一緒に作る個別の支援計画に基づき教育を推進していく時代なのだから。
報道によると・・・・
特別支援教育を担う教員をどう育成するかについて議論している文部科学省の検討会議は24日、すべての教員が採用後10年程度の間に、特別支援学級の担任などの経験を2年以上積むことが望ましいとする報告書案を大筋で了承した。専門性を持つ教員を育てるとともに、特別支援教育の経験を通常学級での実践に生かしてもらう狙いもある。
文科省は報告書案に基づき、全国の教育委員会に人事制度の改善などを促す。
通常の小中学校で特別支援教育を受ける児童・生徒は急増している。特別支援学級に所属したり、通常学級に籍を置きながら一部の授業を別室で行う「通級指導」を受けたりする子どもは、2011年度は約22万人だったが、21年度は約46万人と2倍以上になった。
時代は変化している。急激に。
市内の支援学級も増えてきた。
だから、教師も特別支援教育の知識や経験を積むことが必要になっていることは十分理解している。しかし、2、3年で変わる教員が多くなると、それこそ特別支援教育の現場は混乱する。それでなくとも、私の市では支援学級担任を再任用教諭や講師まかなっている。保護者からの信頼される教育を考えれば、そんな入れ替わりの激しい人事は現実的ではない。現実的ではないので、また教員免許状更新制度と同じ目にあるだろう。
教師の4分の1程度を目安に特別支援教育を経験させることができれば、その教師たちが学校で指導的立場で特別支援教育を推進してくれるだろう。
そのための検査もあるだろうし、病院や保護者との緊密な連携も考えられるだろう。
障がいに対する知識や外部との連携なしに、力や脅しだけで勝負している特別支援学校の教師は悲しいものがある。なぜなら、生徒の可能性を伸ばせないからだ。
私も過去に特別支援学校に勤務したことがある。ある生徒は、「ごはん」を「こはん」と濁点をぬかして書いたり漢字では一本線がなかったりする特徴があった。その都度、いちいち指導していた。だが、今に思えば、LD・学習障がいだったのかもしれないと思える。なぜなら、理解力はあり、普通にしゃべることができていたからだ。現在は、定期テストで漢字が間違いでも、ひらがな表記ができていれば正解とする学校も増えてきた。私の学校もそうだ。
「なんどいったらわかるんだ」と怒鳴る前に、発達検査をしてみたらわかることがある。14歳なのに、覚える能力だけが6歳の力しかないと分かることがある。そういうことが分かれば、何度言ってもできないという理由が分かり怒る理由もなくなる。
しかし、「体罰はいけませんよ」と管理職が全体へ伝えることはあるが、教師が生徒に暴言暴力をしている場合にどうすればよいか、マニュアル化しているところはない。
同僚が虐待をしているところを発見したら、校長へ伝えるのが一般的だ。外部へ通報することはほとんどない。また、外部と言っても教育員会や市の虐待窓口になるが、考えられないほど動きは鈍い。それは。何度も言うが、学校は障がい者虐待防止法の外にあることが一因だからだ。
いじめも同様だが、マスコミに取り上げられて、大事に至らねば学校は動かないのかもしれない。
話は違う部署へと持っていかれたが、動きが鈍い。市は県へ訴えを上げたというので、県へ確認の電話を掛けると、市以上に対応ができていない。逆に警察へ行ってくれといわれた。決定的な証拠がないので難しいとも言われたという。
では、少しでも虐待と思えばしかるべきところへ通報しなければならないはずだが、学校の教職員がする虐待や病院の職員するのは別らしい。
「障害者虐待防止法を解説する」という文の中で
埼玉精神神経科診療所協会会長 鈴木仁史(こうぬまクリニック院長)は次のように記している。
学校と保育所と病院での障害者虐待が通報の対象外となった。学校は校長、保育所は所長、病院は管理者に障害者虐待防止や対応を義務付けた。(中略)虐待を目撃した職員や患者がその病院の管理者に「通報」するのに抵抗感を持つ 場合も少なくないであろうから、市町村の窓口に通報するルートを確保するべきであろう。 学校や保育所についても同じことがいえる。
つまり、学校での虐待は校長へ伝えよというらしい。これは本当に無茶なことだ。なぜなら、校長も自分の学校が傷つくことは自分の評価につながり、隠したいという気持ちが働くからだ。
3月は、「来年度どうなるのだろうか」これが一人ひとりの教師の心にざわめく時でもある。卒業式も近い。今の生徒たちは卒業しても、次の新しい子どもたちが待っている。そのために自分はどの配置につかせていただけるのだろうか。また、転勤になるのだろうか、心がざわめくのだ。
さて、学校というところ世間の注目を浴びる時もあるが、それを逃れて密かにやりたい放題やっているところがあるのも事実だ。
学校は隠ぺい体質と非難されるが、なぜ隠ぺいができるのかといえば学校は密室だからだ。特に、特別支援教育での教師の暴言暴力は隠ぺいしやすい。生徒が意思を表現するのが難しいからだ。体罰や暴言を受けても訴える能力がない。一般校なら、「先生いまの体罰やな」とこちらに迫ってくることもあるし、家に帰って親に言うこともある。意思を表現できない子はそれが出来ないし、自分が体罰を受けていることも能力的に理解できないこともある。
では、それらはどうして防ぐことができるのだろうか。
内部告発か意思を表現できる子がそれを見ていて親に言うということから発覚し、問題があらわになり改善されていく場合もある。または、子どもが、家で夜泣きや奇妙な行動、たとえば誰かが腕をあげると、頭に手を持っていくとかの行動を見て親が気づくのだ。
例えば、ASDの生徒が「聴覚異常があるので40人の学級ではひどくなって過ごしにくい」などだ。
そこで、自閉症・情緒学級を保護者は考えるのだが、保護者は一定の学力をつけることを強く要求する。高等学校進学を希望しているからだ。
ただ、支援学級では受験を意識した指導は時間割上難しい。英語が本来4時間のところ3時間だったり、数学を専門じゃない先生が教えていたりすることが多々あるからだ。
専門の先生が教えられるように時間割を組むとすると、その先生たちの持ち時間が増えてしまう。
いくら効果があるといえ、多忙な先生たちは時間数が増えることはけして望まない。
ただ、これも工夫すれば、乗り越えられる。我が中学校の先生方の持ち時間数を眺めてみると、ある教科の持ち時間数が少ない。その教科の先生たちに支援級へ来てもらうのだ。専門ではないが、貴重な人材となる。
市内の支援学級から高校へ進学する生徒は多くはないが毎年一定数いる。通信制や私学がほとんどだが公立高校へも進学している。
高校へ提出する内申書だが、市内の支援学級では高校受験できるように作成している。
支援学級のイメージは知恵遅れの子たちの集まりと受け止められられている場合が多い。小学校では「支援学級に入ると高校へはいけない」と保護者に伝えている場合がある。それは地域によって違いがあるが、少なくとも私の市内の中学校では間違いだ。
高校進学がスムーズにできる支援学級を作るために校長へ具体的な提言をしていきたい。
支援学級のイメージを改善し、生徒たちができる限り可能性を開き、広く社会へ飛び立てるように尽くしたい。
保護者に胸を張って支援学級へ入級してもらえるような支援学級を作ることを時代から呼びかけられていると、今強く感じている。