公立学校の真実
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管理職は組織を動かすのか、人を動かすのか。
管理職は組織を立ちあげて計画的に学校運営をすることが基本だ。
しかし、大阪の教員は組織的にものごとを進めることが弱い。緻密さや論理だててものごとをすすめることを置き去りにしてきたからだ。横暴とかわりない大胆さやどんぶり勘定が幅をきかせていた。
校長をトップとした組織を作り、末端まで動かす。そのための心臓が企画委員会なるものだ。頭脳は校長、教頭、教務主任の3役が中心だ。これらがしっかりビジョンを持って心臓部の企画を動かし、次に各部を動かしていく。この当たり前のことがなされなければ、職場は混乱する。
例えば、企画委員会を通さず校長の思いつきで一つの部を勝手に動かすとかだ。しかし、トップのビジョンと計画性がなければ、目の前にものごが迫ってきてからしか動き出さないので、時間がなく、しかたなく直接人を呼びその「人」を動かす。組織ではなく人を動かすのだ。これでは組織が混乱し、全体は力を発揮できない。
これは管理職に限ったことではない。
大阪では、教育委員会がまさにこれだ。学校に委員会から下りてくるのが1カ月前という事案がある。学校には何のための年間計画があるのか、それは無視だ。
最近、急に委員会からの要請で生徒を動かさなければならないことが多くなったきた。それに対して校長はNOとは絶対言えないので引き受ける。そして実行部隊は校長の言うことを実行してくれる教師たち。つまりYESマン教師か、NOと言えない新任たちとなる。
これが当たり前になれば現場に不信感がつのる。
彼らはこれからの教員生活に希望を抱いているように見える。
最近採用試験では面接が重視される。いわゆる人物評価だ。評価方法についての平等性や不確実性は問われるものの、本当に教師は人物だと思う。
私の職場では、京大や阪大出はいないがそれに次ぐ1流国立大学を出た教師たちがいる。しかし、さほど学校で活躍しているとは思えない。逆に名もない私立大学をでていても、かなり生徒に慕われ保護者から信頼を得ているトップクラスの教師がいる。
この困惑の中にある学校現場を救済してくれるのは、本物の愛ある人物だ。力で制する教師でもない。
私も自分を律し、磨いていく。
どんな格好で来るのか。先日、茶髪指導はしに行ったが、なかなか指導しにくい。さらに親は非協力的だ。服装もきちんとしてくるだろうか。それにましてこちら教員側の指導体制が弱い。組織力がない。意思統一出来ていない。服装違反や頭髪違反んで来た生徒はだれがどうし対応するのか一応決まってはいるが…。
出たとこ勝負ではこの先の行き着くところは決まっている。
今日は土曜日だ。天気は大荒れという。
だが、休んではいられない。
なぜなら月曜が始業式。それに向けて全力を尽くす。生徒の家に行き、話をする。
次の学年で頑張るために、初めから違反してくるなよと。意思の確認、頭髪の確認。
必ずこの子らみんなキチンと卒業さす。
日曜も学校で続きだ。
始業式のために。
頼む、もし神様がいるなら力をかしてください。
あらたな戦いが始まる。
職員室の雰囲気が変わった。新しい先生らが来たからだ。
新任、転勤の先生たちだ。私はいつもと同じように変わらない。
子供たちは聞いてくる「もうクラス決まってんの?」と。
「いやまだやで」とこの子が私のクラスになるのが分っているのに、
発表までよそよそしくする。そして、この子は私が担任と決まったら
どう思うだろうと考える。よく担任とクラス発表で悲鳴が聞こえるが、
私もネタにされることもあった。時に私が若いころは、泣いていた
生徒もいた。
今はどうだろう。
一番気になるのは、手のかかるAだ。あいつは新しい担任のもとで
やっていけるのかと…。「先生、来年ももってな」と言っていたが
持てない。今回は違うやんちゃを持つ。裏切ったと思うだろうか。
本当は一番私がさみしい。絶対、高校いけよ。
転勤しなくても、退職でさようならとなる人もここ数年多くなってきた。
来年度の学年主任、●●主任もすでにほとんど決まっている。決まっていないのは来年、どの生徒をだれが担任するかだ。これは4月にならないと出来ない。一応のクラス分けは3月中にしておくが、それもほとんど仮状態の時もある。
今年は3月に一息入れたい。4月になれば戦争が始まるからだ。いつも4月から戦争なのだが、歳のせいか学期の終わりには体をゆっくりさせなければ次の学期に動けなくなる。でもクラブ活動が…ああっある。でもあいつらでやらせておこう。3日間jはゆっくりしたい。26から28日くらいかな家でなにもしないでゆっくりしたい。
明日、学校に行ったらもう一度、クラブの計画を見て休養計画を練ろう。来年度は大変な年になりそうだからな。
最近思うのは、明らかに発達障害の生徒がクラスで3人ほどはいるということです。実際に発達障害と診断された生徒たちもいますが、診断されないケースもあります。発達障害といっても様々なケースがあります。いじめの対象になってしまったり、多動で何度注意してもじっとしていられない、または非行に走る場合もあります。
三重県名張市の市立中学校で昨年12月、男性教諭が女子生徒の頭をたたいていたことが14日、同市教育委員会への取材で分かった。女子生徒にけがはなく、市教委は男性教諭を口頭による厳重注意とした。
市教委によると、女子生徒が授業中に携帯電話を触っていたため、授業をしていた別の教諭が注意。女子生徒が言うことを聞かなかったため、授業終了後、男性教諭が呼び出して注意している際に女子生徒の頭を平手で1回たたいた。
男性教諭は「素直に非を認めなかったので手をあげた」と話している。男性教諭は直後に女子生徒と保護者に謝罪したが、女子生徒は数日間欠席したという。
市教委は2月上旬に学校からの報告で把握。男性教諭による体罰は他には確認していないとしている。和南義一学校教育室長は「体罰は許されない。教員の指導を徹底し、再発防止に努めたい」としている。
この程度のことなら覚えのある教師も多いはず。私の学校では、過去にさかのぼれば体罰で自分も含めて3分の1ほどの教師が処分を受けるだろう。
教師の体罰を取り上げるのもよいが、踏み込んで教育の根幹を議論してほしい。
荒れた公立中学校では、生徒は自由気ままだ。したい放題している。それに対して我々は何の策もない。
例えば、携帯電話を教室でかけるし音楽を聴く。服装はとても制服とはいえない私服同様で来る。授業中でも出入り自由、授業していてもカップラーメンを食する。強く指導すると暴言暴力に至る。
学校とは何なのか疑問だ。
毎日授業に入らず好き放題して過ごしている生徒たち、それに対してなんら解決策を見つけられない教師や行政。この子らに義務教育の枠を外してやったほうがよいのではないかと常に思う。そうでないと結局行き着くところは、暴力や迷惑行為で、鑑別所などの外部機関にお世話になる。それによって初めて本人たちは自分自身を見つめ始めることになるが、遅すぎやしないか。
原因は学校に多大な要求を押しつけて、すべてを任せているからではないのか。学校は何をするところなのかはっきりさせたい。子守なのか、学習指導なのか、家庭教育でできていない道徳教育なのか、生活指導なのか。はっきりとさせたい。
教師がすべて引き受けて行うのは無理だ。
桜ノ宮高校にしてもそうだし、給食導入、生徒の教員評価導入もそうだ。
大阪の友人たちはこう言う、「明らかにベテラン教員のやる気度が低くなった」、さらに「新人教師の志が目に見えて低下してきている」と。
友人はこう解説してくれた。
大阪は他府県から遅れている教育を取り戻そうと必死だ。大昔からやっている10段階相対評価なども絶対評価への移行が検討され、指導要録もいい加減な大阪基準からきちんとした全国基準でつけられ始めた。このように一斉に改革をやるので、それまでのやり方になじんできたベテランたちがついていけない。また、そのような改革が現場からの必要性で生じたものではなく、上からの一方的な通達なので、ただ形だけをこなしていき、むなしさが蔓延する。
最近は管理職さえ職員の前で橋下改革にたいする不安を見せる。結局、橋下ー委員会ー管理職ー教職員という一方的な通達による急激な方向転換によって橋下以下が右往左往しているのが現状だ。やることが一方的なので抑うつ感が蔓延し、職員の自主性の欠落がおこり、団結力が弱まり学校全体の問題解決能力の低下が起こっている。
ここからは私の論。
ただ、大阪にも大胆な改革が必要とする因があった。本当にいい加減な教員が多かったからだ。過去形になっているが、今も多少そうかもしれない。学校内でセックスをする教員たちがいたりと、すごい。
そして以前、大阪市は職員互助組合が「退会餞別金」を1人当たり300万円以上も支払ってきたことが発覚。いわゆる闇退職金だ。
このうち実に7割が公費(税金)だったことが批判され、2005年には住民団体による返還訴訟が起きた(大阪地裁で20億円を返還することで和解)。闇給与もあった。
だから大胆な改革は必要だ。
橋下発言に中学校長会が反発 「入試行うべきだ」
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校の体罰問題を受けて、橋下徹市長が同校の体育系2学科の入試を中止するよう市教委に求めたことに対し、市立中学校長会は17日午前、「入試を行うべきだ」とする申入書を市教委に提出した。
申入書は、桜宮高を目指してきた生徒に動揺が走っており混乱を招くと指摘。市教委は申し入れを受け、校長会や保護者との話し合いの場を設けるよう検討を始めた。入試を中止するかどうかは市教育委員が21日の会議で判断する予定。
すでに12月の時点で生徒の受験先は懇談でほとんど決定している。公立の併願校にあたる私学も決定してる。それを崩すことは生徒に動揺を与える。そのようなことを市長が決定してよいのか。あいた口がふさがらない。
文部科学省は、公立学校で土曜日も授業を行う「学校週6日制」導入の検討を始めた。
ゆとり教育の見直しで授業時間数を増やした新学習指導要領が小中学校で実施されているが、さらに土曜日も使って授業時間を確保し、学力向上をめざす考えだ。
下村博文文科相は「世論の理解はある」として省内で課題を整理し、スケジュールを詰めるという。
導入は既定路線と言いたいのだろうが、現行の週5日制は企業などの週休2日制とも連動して社会に定着している。説明もなく、官僚だけで事を進めるのはあまりに乱暴すぎないか。
週5日制は1980年代後半のゆとり教育の考え方を背景に2002年4月に完全実施された。詰め込み教育への反省もあったはずなのに、次第に学力低下との関係が指摘されるようになる。
象徴的なのは経済協力開発機構(OECD)のテスト結果で、06年に読解力、数学、理科の3科目とも国別の順位を下げると、「ゆとり教育の弊害の現れ」と騒がれたのは記憶に新しい。
安倍晋三首相が週6日制にこだわるのは、前回の安倍内閣時に設置した「教育再生会議」が週5日制の見直しを提言したからか。
提言は退陣後に新学習指導要領に反映されたが、「道半ば」と考えたとしても不思議ではない。
だが、下村文科相が言うように世論の理解はあるのか。
週5日制には土曜に授業ができる例外規定がある。昨年度から指定校を設け、月1回から学期に1回の頻度で土曜授業を導入している京都府教委の調査では、小中学の7割を超える保護者が実施に肯定的だった。だが、実施回数が限られた土曜授業についての話だ。
児童・生徒は、6割超が「疲れる」などを理由に否定的だった。これでは、もう一つの狙いでもある平日の授業時間数の増加による負担を軽減することにならない。
何より、授業時間数を増やしても学力がアップする保証はどこにもない。学習意欲の低下こそ深刻な問題との指摘もある。
きちんとした検証や総括もないまま路線を転じる「猫の目の教育行政」を繰り返すつもりなのか。
導入から10年を超え、週5日制が子どもたちにも地域にも定着するなか、なぜ週6日制に戻さなくてはならないのか、必然性に疑問符をつけざるを得ない。
安倍内閣は学制改革など大上段の制度改革を掲げるが、子どもたちの学習意欲をどう高め、固定化が進む教育格差にどう対処するのか。足元の課題を見つめることから始めてもらいたい。
[京都新聞 2013年01月17日掲載]
この社説は気に入った。子供たちの学習意欲減退が最大の課題だ。実態を知ってほしい。教員は解決策のない日々の中で疲れている。1日1日をなんとか過ごすのに精一杯だ。
今日、授業をしながらノートをとらない生徒が何人いるか調べていた。誤解のないようにしたいのだが、指導している。しかし、ノートをとらないまたはとれない生徒だ。6人はいる。多いときで10人だ。ずーっとノートをとらずに座っている。
いじめやいやがらせのまったくないクラスなど今まで見たことも聞いたこともない。
いじめの大小はあろうが、クラス編成後から終わりまでいじめ大小がゼロのクラスなど拝見したいものだ。
人間が数人集まれば問題が起こる。それが40人も集まれば、問題を作るために集めているようなものだ。クラスにはさまざまな生徒がいる。考え方もさまざまだし育った背景も環境も違う。
クラスに問題が存在しないようにすることがすばらしいのではない。問題は生まれて当然と考えるのが本当ではないか。
重要なことは、みんなでクラスの問題を解決するために悩み知恵を出し合っていく過程を生徒たちが経験することだ。
人間が存在する限り、すれ違いや排除の心理が働くのは当然だ。自己顕示欲もある。 少なくとも私にはある。
しかし、そこからなんとか道を探しクラスを変えていくことは必ずできる。そのときのクラスの最後は感動的だ。
いや、1年生では解決できずとも、2年生、3年生と成長するたびに解決能力が上がる。そして、卒業時に感動的なシーンを生徒たちが演じてきたこともたびたび見てきた。生徒も私も涙だ。
そのとき、人間てすごいと思った。こいつらすごいやつらや…と思った。
しかし、それでも100パーセントクリーンな状態は無理だった。
3学期もクラスのさまざまな問題を解決するために保護者や生徒と一緒になってがんばりたい。今日から出勤だ。
やはり来年度もここか。
定年が近くなると、体力や体の機能(視力、聴力、膝、腰など)が目に見えて低下する。それを目の当たりにしたとき、残りを適当にやろうかと考える。だが、それを許さないのが、ミッションだ。
何か生徒たちと約束してきたような気持ちになることがある。 人間として一緒に成長することを(少しカッコつけすぎたかも)。
だから、いい加減にはできないのだ。いい加減にやると心の深いところで後悔する気がして怖い。
どうしても放っておけないのだ、目の前の彼らを。
忙しいというか、エネルギィーがここにまで行かないのだ。
2012・10・23 朝日デジタル
大阪府教委は23日、来年春採用の府内の公立学校教員採用試験で、平均倍率が4倍で史上2番目の低さだったと発表した。中学の理科では倍率が2を切り、府教委は「水準に達する人材が確保できなかった」として異例の追加募集を行う。
大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)の主導で厳しい教員評価などが盛り込まれた条例の施行後、初の採用試験。大阪府では橋下前知事時代から給与カットが続き、小中学校教員の平均基本給が全国平均より月約2万8千円低いことも響いた可能性があるとみられる。
倍率が下がると教員の質の維持が難しくなるため、府教委は、出身大学の推薦を受けた受験者の1次試験を免除するなど受験生確保に腐心。だが中学理科の倍率は、大阪の1.9倍に対し、近隣の兵庫県は3.1倍、京都府は3.85倍、中高の教員を共通枠で採る東京都では5.44倍。理数系教員の確保は他の自治体でも課題とされるが、中でも苦戦ぶりが目立った。
府教委は、中学の理科と技術科の教員を約15人ずつ追加募集する。試験日が重なった九州に潜在的な希望者がいる可能性が高いとして、福岡市内で試験を行う予定。
ということだが…、大阪は人気のない職場だ。
また、中学校では生徒や保護者からの教員の評価も実施された。授業について個々の教師の評価を生徒と保護者がアンケート形式で行う。アンケート用紙は保護者らが糊付けなどで封筒に閉じて入れ、担任が集めて管理職のみがみることになる。これが給与などに影響する教員評価に響くこととなる。
日教組の思想教育はいやだが、上からの監視や押し付けも意欲を削ぐだろう。大阪の友達は言う、「もの言わぬ教師が多くなった」と。裏を返せば、校長からの通達や連絡などが反発もされないが真摯に実行もされなくなったという。
生徒たちは弱っている。教師たちはゆとりがない。
学校てなんだろう。大半の生徒は授業に参加しているが、数人は参加できていない。理由は学力や集中力、気力に問題があるのだろう。
私の生徒時代を思い出してみた。中学校の時はがむしゃらに勉強した。競い合い、友人に平均点で勝つことが嬉しかった。学校に行くことに全く疑問はなかった。
高校は学習内容もかなり難しくなり、気力も萎えた。ついていけない、授業が面白くない。大学はその上を行った。一体何のための勉強なのか、生まれた時から学校があり、適齢になれば行かなくてはならない。高校の頃から疑問だらけになった。
今は教師も生徒も急かされている。夏休みは少なくなり、8月終から授業が始まる。始業式などのときも式後に授業をするようになってきた。授業数確保のためだ。
だが、その前にすることがあるような気がする。
授業中クラスを見渡すと、ついていけない生徒が何人いるか。内容は分からずにただノートだけをとっている生徒、内容も分からないしノートもとらない生徒、寝ている生徒。だから習熟度別の授業がある。 だが、これもうまくいかない。
九九がはっきり言えない生徒がいた。九九ぐらい一ヶ月やれば覚えられる。いったい小学校6年間、中学校数年間教師は何をしてきたのか。
中学校てなんだろう。
クラブ活動があって、授業がある。行事がある。規則があり、生徒指導がある。しかし、はみ出す生徒、落ちこぼしていく生徒たちがいる。また保護者の考えも多様になってきた。学校だけで教育を完結するのに無理が出てきた。学校を支援するコミュニティーが必要だ。
私はきっとそれをやる。
2学期も忙しいが、夏休みも慌ただしく過ぎた。
維新の会が躍進を遂げているが、橋下氏は人間としてどうなのか。
志はあると見る。
だが、以下の赤部分の言葉に違和感を感じる。
大阪市の橋下徹市長は2012年8月3日朝の囲み取材で、サッカーの日本女子代表「なでしこジャパン」がロンドン五輪の南アフリカ戦で引き分けを選択したことで、一部に批判が出ていることを念頭に、
「僕は、勝つためであればルールの範囲内であれば、戦術・戦略、いろんなことをやっていいと思いますけどね」
と、なでしこジャパンの対応に理解を示した。五輪観戦の感想を聞かれたのに対して答えた。
市長は、
「全部リアルタイムで見られている訳じゃないんですけど、必死になって、勝負する姿というのはいい」
と五輪観戦を楽しんでいる様子。その上で、
「残念なことに、戦略というか戦術で今、批判をあびているようなところもありますけれどね。うーん、難しいですね。やっぱり当事者(の立場)に立てば、勝つことがある意味全てになってくるので…。オリンピックはどうなんでしょう、観客のためとか国民のためにやってる訳じゃなくて、選手個人が勝つためにやればいいと思いますからね」
と、「勝つこと」を優先すべきだとの考えを示した。
今回の五輪で日本人選手たちは団体競技、個人競技とも多くの「人とのつながり」を感じていた。
メダリストたちは自分が頑張ったからメダルを取った、とはいわなかった。
例えば…
女子柔道の松本選手は、家族の絆を感じていた。
監督に頭を優しくたたかれ、涙がこぼれた。かすんだ視線の先、観客席に家族全員の姿が見えた。「自分一人だけの金メダルじゃないな、と勝った瞬間思いました」と感じた。
北島康介率いる水泳メドレー選手たちは、「康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない」と自分たちの力を振り絞った。
体操個人総合で金メダル、種目別床運動で銀メダルを獲得した内村航平選手は
「終わりよければすべてよし、という言葉もある。日本の皆さんに頑張っている姿を見せて感動や勇気を与えられたと思う」と日本人を想い言葉を述べた。
男子ハンマー投げで銅メダルの室伏広治選手は「この銅メダルを被災された東北の方々にささげたい」と被災者を思った。
卓球女子の福原選手も室伏選手と同様のことを言っていた。
どの選手の言葉からも絆や感謝のことばを感じられるのは私だけではなさそうだ。もし、橋下氏がこの日本人の特有のみんな力でやる、絆を感じる、お陰様を感じる心を無視し個人主義や勝ち至上主義に徹すると墜落するだろう。
五輪サッカー男子の3位決定戦、日本-韓国の試合後に韓国選手の朴鍾佑が竹島(韓国名・独島)領有を主張するメッセージを掲げた問題で、国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は12日の記者会見で、同選手へのメダル授与を保留し、現在事実を詳しく調べている。
この問題について、韓国メディアは、事実関係を中心に同情的に伝えたが、五輪憲章違反の疑いのある朴の行為を問題視する論調はなかった。
韓国では日本を貶める行為についてはすべて歓迎される事実がある。いわゆる日本に対して何をやっても良いのだ。
韓国の教育は日本を極端に忌み嫌い恨む方向へと持っていく。だが、日本は逆で、韓国を差別することはダメだと教える。
日本の教育もしっかりと現代の日韓関係の事実を教えるべきだ。
我々の世代は、韓国は日本の文化さえ排除していたのに、韓国は日本と仲間だと勘違いして育ってきた。そして、日本が韓国に悪いことをしてきたので頭が上がらないとも思っている。
事実は、韓国は反日国であり、日本の教育者は嘘を教えていた。
今も我々の仲間はそれを信じ込み、人権教育や社会科で偏った韓国観を教えている。
「韓国人及び在日を差別するな」。それは素晴らしいことだ。 しかし、この事実も教えるべきだ。
韓国が在韓の定住日本人に対して行っている制度(ほんの一例)
◆就労権剥奪
◆国民年金に加入させない
◆住民登録させない
◆ローンを組ませない
◆身分鉦の発行が受けさせない
◆電話回線に加入させない
◆不動産を保有させない
◆生活保護適用除外
事実を教えよ。韓国では親日罪があり、仮想敵国は日本であり、
日本に対する恨みは消えず、未だ民主主義が成熟していな
い国であることを。
その上で、どのように韓国と対処していく道があるのかを模索する本当の授業を展開すべきだ。