やはり教育は人物
新任教員たちが来た。ただ、講師の方もいる。新任教員たちの中に肝っ玉の据わった人がいる。うれしい。
彼らはこれからの教員生活に希望を抱いているように見える。

最近採用試験では面接が重視される。いわゆる人物評価だ。評価方法についての平等性や不確実性は問われるものの、本当に教師は人物だと思う。
私の職場では、京大や阪大出はいないがそれに次ぐ1流国立大学を出た教師たちがいる。しかし、さほど学校で活躍しているとは思えない。逆に名もない私立大学をでていても、かなり生徒に慕われ保護者から信頼を得ているトップクラスの教師がいる。

この困惑の中にある学校現場を救済してくれるのは、本物の愛ある人物だ。力で制する教師でもない。

私も自分を律し、磨いていく。

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2013/04/13 20:53 | Comments(3) | 未選択

コメント

はじめまして。

一番上が小学生の
まだまだ未熟な父親です。

教員も仕事である以上、
年度が変わって
担任でなくなると
他人になると思います。

しかし、
一度かかわった生徒は、一生自分の生徒だ
という気持ちが重要だと思っています。

実際には
絶対に無理だとは思いますが、
そういう気持ちが必要だと思いますし、
そうでなければ、
学校教員はおもしろくないのでは
といつも思います。

いかがでしょうか。
posted by トトat 2013/04/14 08:38 [ コメントを修正する ]
おもしろいもなにも、関わった生徒はいつまでもつながっています。
でも、担任でなくなると大胆に関われないのも事実です。

posted by 管理人at 2013/04/20 03:08 [ コメントを修正する ]
その人物採用が適正に行われていないから最悪なんですよ。特に愛知は酷い。
posted by NONAMEat 2013/08/20 17:10 [ コメントを修正する ]

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