公立学校の真実
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最近、教員調整手当の引き上げが発表され、現行の4%から最大10%になるというニュースが注目を集めています。この増額の背景には、深刻な教員不足があり、特に若手教員の離職率が高い現状が問題視されています。しかし、この手当の引き上げだけで教員不足が解決するのでしょうか?
まず、具体的なデータを見てみましょう。
2021年度の調査によると、日本の公立小中高校では2,558人の教員が不足しており、全体の5.8%の学校で教員が足りていない状況です 。
特に特別支援学校では13.1%が教員不足に陥っています。小学校も大変です。
また、教員の離職理由として挙げられるのが過重労働です。長時間労働が常態化しているため、若手教員は疲弊し、教職を続ける意欲を失ってしまいます。
これは、特に小中学校で顕著です 。
手当の引き上げは、こうした教員のモチベーション向上には役立つかもしれませんが、根本的な解決策とは言えません。
さらに、親の価値観の多様化も教育現場に影響を与えています。
保護者からの多様な要望や期待に応えるため、教員は高いコミュニケーション能力と柔軟な対応力が求められます。
しかし、これらのスキルを十分に発揮するためには、適切な研修とサポートが必要です。手当の増額がこうした研修の充実につながることが期待されますが、現場の実情を考えると、十分とは言えません。
日本政府は、教育現場の改善に向けた緊急計画を立ち上げ、外部の人材確保プロジェクトに5000万円を追加予算として割り当てました 。
しかし、このような対策が実際にどれほどの効果を持つかは不透明です。
教員調整手当の10%引き上げは、それだけでは不十分だということです。
発達障害の子どもたちへの支援体制の強化や、親との連携の強化、そして教員の労働環境改善など、多角的なアプローチが求められています。
教育は未来を創る重要な基盤であり、社会全体でその重要性について考え、改革することが必要です。
教職調整額は基本給の4%、基本給が30万円だとすれば1万2000円だ。
それが10%になれば3万円だ。
今までの業務量は変わらないが、「少し増えるので、定額働かせ放題のことは目をつぶってね」と、こんな感じだろう。
ところで、4%の根拠は、1972年施行の給特法で教職調整額を定めるにあたり、1966年度に行われた全国的な教員の勤務状況調査で月あたりの教員の平均残業時間は「8時間」だったことからだ。
少ないね~
文科省の2022年度に行われた調査から平均残業時間を割り出せば、提言されている10%が適切かが分かるのだが。
調査によると、平日1日あたりの学校での勤務時間の平均は、小学校で10時間45分、中学校で11時間1分となっている。
話は逸れるが、国が残業の上限としている月45時間を超えるとみられる教員は中学校で77.1%、小学校で64.5%もいるのだ。
さて、これから平日1日当たりの残業時間を割り出すと、中学校で約3時間。
ひと月20日出勤としても、3×20で60時間となる。
土日の部活動指導時間は別としてだ。
そうすると、8時間で4%ならば、60時間ならば30%ととなる。
つまり、10%なんておかしく、根拠なしの数字ということだ。
この10%を賞賛している方々は、騙されているというか、これで手を打っているとしか考えられない。
定額働かせ放題はかわらない。業務量が増えても、10%にしたんだから世間に文句は言わせないということだろうか。
これでは教員は集まらないだろう。
しかも、教員不足の本質は、給与ではない。
業務量の多さや多岐にわたる仕事の数。
そして、発達障害など、以前よりはるかに複雑で子どもたちや親の価値観の多様性への対応の困難さなのだ。
必要なのは、同じような報告書を何度も書かせたり、形式ばった書類の作成に1日とらせたり、いらぬ慣習や仕事は止めるということだ。つまり斬新な業務の精選と効率化。そして、正規教員の各校への増員ではないか(責任がない非正規が多すぎて、正規教員に重要な職務が集まっている)。
10%か、消費税みたいやな。まあ、10%に上げておくから、定額働かせ放題なんで、教員のみなさん頑張って働いてちょうだい。というところかな。
教員の働きやすい環境を整える提言はないようだ。例えば、人を増やすとかだ。ただし、非常勤や講師ではなく教諭を増やすということだ。特に小学校は、穴埋めがしやすいので、人増やすことで、特に有益だ。
なにが10%に引き上げですか。
中教審が、残業代を支払わない代わりに一律支給される「教職調整額」を4%から10%以上に引き上げる文科省の素案を大筋で了承したらしいです。
今頃!!
10%の恩恵は今からの教員のみ。それまで、地道というかめちゃめちゃしんどいめをしてきたひと昔前の教員たちには何もないのですね。
今は、働き方改革のもと、部活動も水曜日が休みとか土日のうち1日は休むとか、休日の部活動はなしとか、部活動については教員への配慮があります。そして、平日も管理職も早く帰るし、平教員に早く帰れと言うし、とりあえず我々が休みなしで働いていたころよりましです。
今から10%にするて、精神的に限界までやっていたその教員たちの労働対価はどうなるんだ。
退職教員全員に何らかの支給をすべきだと思う。
解答をPCなどで打って作成することも可となる日も近いだろう。いや、すでに来ているのかもしれない。
これらは、主に発達障害の生徒たちへの配慮だ。
生徒数が減っている中で、発達障害を含む特別支援教育を受けている生徒数は急激に増加している。
これから発達障害を受け入れる体制をおろそかにする私学は、大学進学を売りにできる進学校以外は経営困難になるのではないかと予想する。
中学校側は高等学校の対応を見ている。
中学校で心配だった生徒が高等学校で頑張っている姿を見るのはうれしい。この高等学校ならば信頼できると、送り込もうとするものだ。
私学の中には、入学生100人で卒業生60人と選別して卒業させ、進学率や就職率、資格の合格率を高めているところもあるようだ。だが、いつかは見破られ、見放される。
高等学校は発達障害への対応を迫られているが、公立のように予算がない。
私学の特別支援教育に公的支援が必要ではないのか。
学校でも同様だ。
1人1台の末端機器配布があたりまえ、電子黒板は当然。
そして、それらを扱えないのは私のような老害教員を除いて存在しない。
また、不登校生徒や特別支援教育を必要とする生徒への手厚い対応や合理的配慮。
部活動の日数や時間の制限。3年生の担任も把握できないような複雑な高校入試制度。
学校の電話は、夕方6時以降「本日の営業は終了しました」とアナウンスが流れる。
なにより教師の意識の変化が大きい。いろいろな意味で、ひと昔前の泥臭さがなくなりつつある。
昔は良かったとは言わないが、生徒指導主任はぼやく、「家庭訪問に行かずに電話でかたずけることが多くなってきた」と。
しかし、私はもう学校から去っていく。
さようなら
それは、4月から来るSSWにがっかりしている声だった。
介護の福祉業界にいた社会福祉士が資格があるというだけでSSWとして教育業界に来て、ただ職員室にいるだけになってしまう。
SSW自身もなにをしてよいかわからない、居心地が悪そうに職員室にいる。
残念だが学校はこのようなSSWから得るものはない。
教員がSSWに不登校や発達障害のことを説明しSSWが熱心にメモをとるのだから。
4月から来るSSWは前職で何をしていたのかを生徒指導主任は探っていた。
介護かそれとも児童相談所か。
これは大きく違うという。
SSWになるにはほとんどが社会福祉士か精神保健福祉士の資格が必要だ。
だが、資格よりも実際は前職の経験が99%ものをいうのだ。
SSWは柔軟に教員からも排出できるようにすればよい。
一定の研修を受けた教員にSSWをさせる。あるいは教員も社会福祉士をとれるような仕組みを実現することだ。
提出した資料「教育職員の健康及び福祉の確保等に関する関連資料」の中
で、「教育職員の精神疾患による病気休職者(令和3年度)は、5897人(全
教員職育職員の0.64%)で、令和2年度(5203人)から694人増加し、過去
最多」となった。
学校教育は数十年前と大きく変わってきた。
特に発達障害の子どもが激増。不登校生徒は学級にいて当然。
これに対して、対策はしてきたものの、追い付いていない。
だから教員は疲弊し、休みがちになる。
休んだ教員の仕事を誰かがする。
最悪の場合は休養に入る。
しかし、代わりの教員はいない。
残った残った教員たちは疲れ連鎖的に倒れていく、という暗転循環が始まる。
その最悪の中からでも、隣県では、若手教員たちが集まり、志を持って教育に熱を投じようとする動きが出始めている。
私はこれを応援したい。
私が出会ったSSWは4人いるが、みんな共通していることがある。
それは暇だということだ。
他の市のSSWさんには大変失礼だが、私の市ではそうだ。
先日、出会ったSSWさんは50代くらいの女性だった。
週に1回来てくれているので、顔を合わすことは少ないのだが、「ご苦労様」と言ってみた。
すると、「いやいや私何にもしていないんです」と小さくなっていた。
確かに、仕事がないようだ。
案件のほとんどが教員で完結しているのだから、SSWさんに仕事がまわってこないはずだ。
その方の前の人も、生徒指導主任から、あの人はPCに向かってそして帰るだけ、という評価をされていた。
それは仕方のないことだと感じる。
知らない学校に来て、しかも週に1回、動けと言われても、教員の名前も覚えるのに時間がかかるし、生徒の様子も分からない、地域も知らない、本来の力を発揮しようにもできないだろう。
社会福祉士や精神保健福祉士を持っていても学校についてのソーシャルワークはそこまで勉強していないのが実情だ。
SSWの資格要件を、社会福祉主事任用資格を持っているある程度の教員経験を持つ者とすれば、教員と連携しやすいのではないか。
2学期半ばに来ても、学校で小さくなっているSSWさんを見ると、県はこのSSWの実態を知っているのかと思う。
東京都教育委員会が実施した2024年度の教員採用選考について、小学校の受験倍率が1・1倍だったことが分かった。小中高、特別支援学校を合わせた全体の倍率も1・6倍で、初めて2倍を切った。29日都教委発表。いずれも過去最低だった前年を下回り、教員の質の低下や人手不足がいっそう懸念される事態となっている。
また、盛山正仁文部科学大臣は2023年9月19日の記者会見で、24(令和6)年度予算の概算要求で「教員になったら奨学金を減免する」という制度の復活方針が盛り込まれていることについて、「質の高い教師の確保に資するものとなるよう検討を進めている」と述べた。
東京では今まで考えられない恐ろしい事態が起きているようだ。小学校が1,1倍。
ほとんど合格という採用状況だ。この状況は東京だけではないという。
学校の何がしんどいのか。
一番は「子どもが教師の言うことを聞かなくなっている」ことだ。
そして、学校はそこに決定的な手立てを未だ持っていない、ということだ。
小学校に行くと、ほぼ一人で学級を指導しなければならない。給食も指導のうちの一つだ。1日休むことが出来ない。
それに加えて、少し優しい先生だとなめてかかる。
言うことを聞かないし、立ち歩き、授業に関係ないことを平気でしている。教室から出て自分勝手なことをしている子どももいる。なんでもありの状況が繰り広げられる。
発達障害の子どもは増えている。クラスに1人いるともう担任も大変だ。辞めたくなるのも分かるし、とにかく疲れる。一日が終わるとへとへとになり、翌日、それを引きずって学校へ行くことの繰り返しとなる。
精神は病む。
こんなのやりたいと思うわけがない。
中学校では17時までが勤務だが、完全下校は部活があり18時とかだ。おかしいだろう。笑うしかない。
この厳しい現実を変えていく手立てを構築しなければならないのに、外ばかりを変えようとする日本の政治がとても嫌だ。
外と言うのは、給与を上げるとか、採用試験の時期を早めるとか、大学3年生でも採用試験を受けれるとか、教員になったら奨学金免除だとかハードウエア―の部分だ。
教員の魅力とは何か。
それは子どもたちと心と心で触れ合えること、お互いの成長を喜べあえることだ。
だから、子どもたちと向かい合える時間をとれるような教育課程の改善を図るとか、教員にある程度の自由度を増やし、授業研究のための時間を自由に取らせるとか、教員をやっていて面白い、子どもたちのために熱を注げる楽しいと思えるような環境を作ることだ。
教員の魅力はなく、働きバチのまま放っておかれるイメージのままだ。
一番びっくりしたのは、不登校生徒の別室指導を行う教室が整備されていたことだ。個別に仕切りが作られ7人ほどが自学自習できるようになっていた。もちろん数人で集まってゲームもできる。
その場所で、専属の支援員さんがいてうまく関わってくれている。その支援員さんは免許がないが教諭よりうまく関わっているように見えるのだが、給与は低い。
一つの学校が2つに分かれているように感じた。
普通に流れている場所と、ゆったりと自分のペースで学習や会話、遊びができる場所に分かれている。
体育も以前から男女別ではなく、クラスごとに行っている。
初めの体操から競技まで1つのクラスで行うのだ。ただ、男女の運動能力差はありありなので、キャッチボールなど男同士、女同士で行っていた。
そして、女性の管理職登用も以前から比べるとかなり目立つようになってきた。女性の管理職に違和感がなくなってきた。
ただ、管理職の体育教師登用は相変わらずだ。
教務主任から教頭、校長まですべて体育教師という学校も少なくない。
あとは非常勤や支援員、ボランティアが多くなり、何の職なのか、名前は誰なのか分からない人がいる。それはこちらが老いてきて覚えられないだけなのかもしれないが。
これらの場所や人材を動かしまとめなければならない教頭の役目は学校にとって大きいといえよう。
だが、いつも思うことだが、職員室に若手教員が多くなったものの、気を使い元気がないように見えるのだが。
SSW(スクールソーシャルワーカー)は教員や関係機関と協力し、教育現場で児童生徒や家庭が抱える多様な問題の解決を図る福祉の専門職とされている。
平成20年から全国的に導入されている。
しかし、多くが非常勤で複数の学校を受け持つため、一つの学校に滞在できるのは週1~2回程度だ。
教員たちとの連携を密にし、児童生徒の状況を詳しく把握するには不十分だ。せめて週4回の勤務が必要だ。
SC(スクールカウンセラー)も同じく非常勤で週1が多い。あまり費用対効果はないように思える。
SSWは社会福祉士や精神保健福祉士などの資格が必要だ。だが、この資格は医療や福祉の関係を学ぶことが主であり、教育に関して学んだり実習をしたりすることはほとんどない。従って、教員との連携といわれるが、やりにくいだろうと思われる。
私は教員と児童相談所の交換人事を一時的(1年~3年)行うことを提案したい。
教員が児童相談所の職員を経験することは十分に役に立つ。学校現場に戻れば、児童相談所との連携がスムーズに行われる可能性が高い。
また、3年間経験を積めば、SSWの資格を与えればよい。
児童相談所の職員には学校現場でSSWだけでなく、学習支援や部活指導など幅広く経験させればよい。
このような人事交流を大胆にする必要がある。そうすることによって、幅広い見識を持った教員や児童相談所職員が育つのではないか。
校種、教科にもよるだろうが、ますますなり手が減っているのか、その年代の青年たちの全体数が少ないからなのか分からない。
しかし、本当に教員になりたいものにはチャンスだ。
公務員としては給与は良いし、夏や冬は工夫すれば民間よりたくさん休みもとれる。
学校に行って、子どもたちと触れ合うのは楽しいし、恐怖でもある。
その2つの波が毎日襲ってくる日常。これが学校現場だ。
心は擦り切れるが、楽しみも多く、教員ほど面白いものはないと今でも思う。
中でも中学校は面白い。部活動もあり、どこまでも子供たちと一緒に頑張ろうと思うし、尽くしてあげたいと思ってしまう。
しかし、それがまともに続くのは40歳代までかもしれない。なぜなら体力的に持たないからだ。だから、そのまま続けるのではなく特別支援教育や管理職になることも選択肢に入ってくるだろう。
教員志願者が減っているのは、仕事量は多くや休みが少ないからといわれるが、教師の魅力を封印し発信しないマスコミの責任もあるのではないか。
「青春とはなんだ」「これが青春だ」や金八先生など、教師はいいなと思わせるドラマは今あるのだろうか、あまりテレビに興味がないから知らないが、耳にしない。
職員室を見渡すと、30代あたりが多くなってきたと思う。しかし、元気がないように思う。何か管理された機械のような気がする。
職員室の色はモノトーン。
服装も白か黒。コロナで教員同士の絆も切断され薄れているように思う。我々の若い時は、良し悪しは別として学生運動に走るものもいたり、エネルギーだけはあった。
そして教師たちに武勇伝を語らせれば、それはそれは尽きることはなかった。同僚で旅行もよく行ったり、飲み食いによく行った。
職員会議も面白くなくなった。白熱した議論などはなく、静かに発信者の声を聴く、PCを見ながら。
それでも教員という職はどれより面白いと思う。
職員室にいても私は週4の勤務で働きは少ないので、いくら彼らより歳上でも発言権はないと思っている。それに、やはり活躍する若い教員が主役になってほしいし、少しでも支えることが出来たらうれしいと思っている。
小倉大臣が「悩みを抱えた時にどういった人にその悩みを相談をしようとしているのか?」と聞くと、生徒は「スクールカウンセラーなどの組織が学校にあるのですが、私的にはそういうところには少し相談しづらいと考えています」と生徒から率直な意見も飛び出した。
もっともな意見だ。2週間に1回とか1週間に1回学校に来て、悩みを言ってごらんと言ったところで、見知らぬ人にすぐに心を開けることは難しい。
それは心理学を学んだカウンセラーが一番よく知っていることだ。SCは連携ということを考えると、学校の組織と文化にも適応していかなければならない。
私が考えるには、SCは常勤で雇うべきだ。今の体制では教員よりはるかによい時給5000円が生きていない(非常勤教員は時給2800円ほど)。
財政上の問題で勤務日を増やせないならば、時給を5000円から3000~3500円にすることも検討すべきではないか。
ある学校の養護教諭は嘆いていた。
ケガとかではなく心がしんどい、人間関係がもつれてしんどいなどの来室が多く、気持ちを聞いてあげる対応が多くなってきたからだ。
もちろん担任や学年教師も対応するが、それでも手は足らない。気持ちを聞くのも本来業務の一部ではあるが、その来室の多さに圧倒されて事務仕事ができないという。
完全下校が過ぎて、生徒がいなくなってから事務仕事を始めなくてはならないそうだ。
しかし、少し離れた市ではそういう子どもたちのために対応する職員を配置している。
そのための部屋も確保されている。
やはり、個別に対応するための人と場所は重要だ。
なぜなら、ひと昔前に比べると個別対応はかなり増えたからだ。
一クラスに担任が3人ほしいところもある。
国や県、市町にその理解があるのかないのかで教員の負担は大きく変わる。
残業代を増やしても、教員のしんどさは変わらない。
職員室の皆さんに悪いけどお先にという気持ちで、静かに職員室を後にして、靴箱に上靴を入れて下靴を出して履く。
そして、玄関を出る。
すると目の前にグラウンドが広がっている。
そこには部活真っ只中。
こうせいああせい・・と顧問の指示が聞こえてきます。
生徒たちは暑い中で頑張っています。
労働時間は5時までの規定のはず。
私ぐらいの非常勤だけ帰れます。
その時、ああよかった、常勤でなくて、と思います。
文科省はどう思っているのでしょうか。
部活指導の後しか職員室にみんなが集まらないので、生徒の情報の交換は6時以降になります。
教科や分掌の打ち合わせも部活終わってからです。
部活は大切だと思います。
部活の日は5時間授業にしてせめて夏場は5時に部活を終わる、てのはダメなんですかね。
中学校では考えられない。
昔、年間の授業時数をごまかして報告していたところは普通にあった。
しかし、なんだかんだと世間が厳しくなり、委員会も見て見ぬふりはできなくなり、ごまかすということは少なくなった。
ただ、何年か前、本当にあった話で、今もやっているかもしれないが、年間授業時数の規定を完全に下回っているのに、ごまかして報告している学校があった。
まず、休みが多いのだ。1年から3年まで、3者面談の間は授業がないのだ。
何かと理由をつけては午前中授業や45分授業。
3年生の3学期は午前中授業がほとんどで、午後の授業があるのは2日ほど。もちろん公立だ。
その学校の名前を言いたい・・と、喉元まででているのだが、多くの方に迷惑がかかるかもしれないので手で口をふさいでいるところだ。
私の信頼できる他府県の知人の学校の話だ。
さすがに今はないと思うが、わからない。
しかし、不思議なことに年間の授業数は少ないのに、その学校の学力は低くはないと知人が言っていた。
3時間目と4時間目が体育の授業で、グラウンドに出てボール投げをして授業が終わり、校舎に戻る途中に倒れたという。気温は33,5度だった。
子どもは大人よりも汗をかく能力が40%ほど低いと言われている。つまり、子どもは汗で放熱する力が弱いし、体を冷却するという能力がまだまだ出来上がっていないということだ。
まさか、教員がこのことを知らなかったことはないだろうが・・。
グラウンドは照り返しもあり、気温以上に体にこたえる。しかも2時間体育となると、きつすぎたのではないか。
体育館でも、この時期は蒸し風呂状態だ。
こちらでは、これから2学期が始まる学校が増えるが、まだ38度とか体温より暑い日がある。
しかし、始業式の翌日から6時間授業など実施し、授業時数確保を第一として生徒を頑張らせる予定だ。
早く教育課程を刷新して、8月末までは休みとして、9月は午前中短縮授業をせめて1週間は続けるべきではないのか。
2022年から施行されている高校への観点別評価。
「知識・技能」,「思考・判断・表現」,「主体的に学習 に取り組む態度」の3観点に整理されている。
中学校での経験だが、12345の評価と観点別評価のABCの整合性が合わず、保護者にも説明がつきにくい場合があった。
だから、一旦、評価が出ても修正した。
例えば、4なのに観点別はAAA。
これをもらった生徒は、じゃあ5になるために何をどう改善したらよいのか分からない。
だから修正したのだ。
修正の仕方としては、4で知識理解が不足しているということはありえないので、思考判断表現をBにする。こんな感じだ。クラスに1人や2人は修正が必要だった。
この観点別評価の意味などを生徒や保護者に理解していただくのは難しい。
そこに時間を割くより、こちらが整合性を合わせておく方が、生徒や保護者にも我々にとっても、不毛な議論をする時間もエネルギーも奪われなくてよい。
そんなことより、私が一番嫌だったのは、従前の「関心意欲態度」の評価をつけることだった。
関心意欲態度を見るために、ノートや問題集の評価をつけるのだ。
付箋をつけて重要なことや補足を書いたり、色分けしたりして少し工夫がみられる様子があるノートはA、普通はBとかなのだが、面倒くさいし、自分の心に嘘をついているように感じていた。
自分が中学や高校の時、そんな工夫なんて、邪魔と無駄以外なかったからだ。
教師として評価している今の私は嘘の私。仕方ないからやっている。
これが嫌だった。
大声をあげて叫びたい。ノートなんて自分が分かればよい。
それがAだ。
見栄えよく作品のように作るのは、やはり無駄、というより要領の良い学習とは言えず、学習の仕方が分かっていないのでBとつけたいところをAにする心の切なさ。
観点別評価をつけてから2人一組で点検をする。この仕事も増えた。とにかくよいことだからとどんどん増えていく仕事量。働き方改革と言いながら、不思議だ。
道路では、それでも走っているジャージ姿の生徒たちがいた。
「ようやる」と横目で見ながら通り過ぎた。
話しは変わるが・・
「特別支援教育において専門的な教科指導を強化すべき」と文科省に叫びたい。
特別支援学校か特別支援学級か普通級かと悩まれる保護者は多い。
市の就学指導委員会などで、どこが適応しているか示してくれるのだが、発達検査の結果などを考慮して判断してくれるだけであり、最終決定は保護者となる。
特別支援教育を受ける児童生徒はうなぎ上りに増え、文科省は柔軟な対応を迫られている。
教室や教員が足らない状況を改善していくと共に、特別支援教育の中身を、今のニーズに合わせて刷新していくことが求められているのではないか。
現場の教員に聞いてみてほしい。
昔は、特別支援学級→特別支援学校→障がい者枠就職、就労支援などというお決まりのコースでそれ以外考えられなかった。
しかし、特別支援学級に、知的には問題のない児童生徒が入級を希望する案件が増えてきた。
これにしっかり応えていくには、学校全体の時間割を綿密かつ柔軟に考えなければならない。(これがすごく難しいんです)
教科指導は、そもそも支援級担任が一人で対応できるものではない。
特に教科担当制の中学校では難しく、各教科の教師に応援に来てもらったり、交流学級へ授業を受けに行ったりするのだが、毎年それでも事足らない。
以前いた学校でも、体育の支援級担任が数学や理科を教えて、しかも苦労しながらテストまで作っていた。
専門外を教えるのは苦痛であり、教えられる生徒は残念だがポイントを押さえた指導を享受できない。
支援級の生徒はより時間数を絞って教えなければならないのに、専門外の教師ではそんな高度な工夫はできないはずだ。ましてや教科の受験指導となると、とても対応できない。
いったいどれだけの人間がこのことを分かっているのか、置き去りにされているような特別支援学級の状況をみると悔しさがある。
・・・補足・・・
自閉症・情緒障害学級は、主として知的障害のない自閉症の児童・生徒を対象とするた め、各教科の指導は、基本的に通常の学級に準ずる内容を実施する。しか し、自立活動もあるので、児童生徒の特性に応じて指導内容を検討・精選、工夫しなければならないのだ。
支援学級では、生徒8人以下を1人の教師で見ると決まっている。担任の専門教科であれば、しっかり専門的に教えることが出きる。しかし、専門の教科外も支援学級では教えなければならないことが多々出てくる。しかも、能力が千差万別だから、指導が行き届かないのが実情だ。
人間は暑いと、皮膚の表面の血管を広げて血流を多くする暑さ対策をする。その結果、脳への血流は弱くなり、脳の活動が弱くなる。つまり、頭がぼーっとしてくるのだ。
昔、9月から2学期が始まり、しばらく午前中短縮授業だったのが懐かしい。
今は、8月28日あたりから2学期とするところが多くなり。それに加えて、始業式の翌日から6時間授業を強行する。
これには生徒も肉体的・精神的についていけない(実は教師もだが・・)。
自主的に短縮授業をする生徒が出てきてもおかしくない。
この暑さも含めて、18歳以下の自殺者数が一番多いのは2学期の初めだということを学校は考慮すべきではないのか。
暑さは教室にはエアコンがついているから大丈夫だと思われるかもしれないが、まず、児童生徒は登校してくるだけで汗だくになりかなり疲れる。
そして、身体が学校のリズムになじんでいないなど、長期休業明けには多くの課題があり配慮が必要なのだ。
実際、この暑さで保健室は、体調不良生徒の来室が多くなる。
以前のように2学期の初めは午前中短縮授業にすべきだ。
そのためには、キャパオーバーした教育課程を見直し、詰め込んだスケジュールから生徒も教師も解放してあげることだ。
その第1歩が、週2時間ほどある「総合的な学習」を潔くなくすことだ。
それにより、教師の仕事も減る。
毎日6時間という詰め込みがなくなり、教師も生徒も余裕が出てくる。
学校にはこの余裕が重要なのだ。
このことの方が総合的な学習を行う効果より、教師の働き方改革をも含めて教育的効果は大きい。
教育実習では、この「指導案」が重要視される。
研究授業のために「指導案」を長い時間をかけて完成させるのだ。
何回も指導教官から訂正を受けることもある。
寝る時間を割いて取り組むことも稀ではない。
ところが、いざ教員になって、年間200日前後授業をしても、それらの授業のために「指導案」を書くことはほとんどない。
40年の間、教員を続けてきた私でも、正式な「指導案」を書いたのは不本意ながら10回もない。
何か研究授業の都度に書くだけだった。
教育委員会が視察に来る時の略案は毎年一つは書いていた。
なぜ、授業に使わない「指導案」を形式や文言にこだわり重視するのだろうか。
この忙しすぎる教員生活の中では実態に合っていないのは明白だ。
実態に合っていないことに実習時間を割いて終わらせることが、本当に教員の実力につながるのか疑問だ。
教員はよく子どもたちと対峙する時間はない、それは事務処理に圧殺されているからだと言う。
しかし、教員たちは実習生にそれを行っていることを理解していない。
「指導案」は学部の授業で習得させ、実習では生徒に対峙すること1時間でも多く授業をすることに重きを置いてはどうか。
実習の授業も略案で十分ではないだろうか。