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この歳で、教えることから3年も離れれば、教科を教える自信が加速的に失われていく。

しかし、相談業務の自信は加速的に失われることはないように思う。

今まで教師をしてきて、技量として今も残っているのは、教科を教える技術より、発達検査を施しその報告書を書く技術だと自負できる。

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先日、ある病院の公認心理師が書いた被検査者へ返したウイスク検査の報告書を見た。

聴覚優位や視覚優位など一般的なことが一通り書かれていただけだった。また、下位検査の数値が記されていないので細かいことは分からなかった。

これは時間がなかったのだろうか。残念な気持ちになった。
一生に関わる検査結果をもう少し慎重に書くことが出来なかったのかと思った。



私は思うに、下位検査の数値も報告書に記すべきだと思う。他の機関へそれを見せた時に、そこの心理士さんたちがより支援をしやすいからだ。さらに、もう一度検査をし直さなければならないという子どもへの負担も少なくなる。


話しは変なとこへとんでしまった。emoji



教員たちは一通り発達障害について学ぶ。

しかし、それは机上の理論として学ぶ。だから、実際に発達障害を前にして、どうしてあげればよいのかを自分で判断し、対応を模索していく技術は育たない。

教員が発達検査に触れる機会をつくることが必要だ。emoji

発達障害の子どもたちに向き合う時に、検査結果の読み方に熟知して検査結果を見てその子どもと出会うのと、見ないで出会うのとでは、実物を見るのとすりガラス戸越しに実物を見るぐらいの差がある。子どもたちに対応するときに大きな差がでてくる。

せめて特別支援教育に関わる教員たちが、発達検査がどのようなものかを知り、できれば、検査を実施できるように養成すべきだ。

そのための研修を設けることが必要だ。

emoji
ウイスクならば解説書をよく読みこなし、経験者の実施しているところに同伴を繰り返し、3回ほど自分たちでとりあえば、自信がつく。そういうシステムを作ることは出来ないのか。emoji

きっと教科指導の力以上に私のように教師生活に残るものとなるだろう。





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毎日新聞
12/13(火)10:35配信 によると・・
(  )内は私見。


通常学級に通う公立小中学校の児童生徒の8・8%に発達障害の可能性があることが13日、文部科学省の調査で明らかになった。
10年前の前回調査から2・3ポイント上昇し、35人学級なら1クラスに約3人が読み書き計算や対人関係などに困難があるとみられる。このうち約7割が各学校で「特別な教育的支援が必要」と判断されていなかった。文科省は「特別支援教育の知識がある教員が少なく、適切な支援ができていない可能性がある」としている。
(本当にそうだ。適切な支援ができていない。なぜなら、知的障害や肢体不自由などではなく発達障害に精通する教員がいないからだ。つまり、発達障害を専門にできる教員養成が遅れている。)
 
学習障害(LD)▽注意欠陥多動性障害(ADHD)▽高機能自閉症―― 三つのいずれかに該当する小中学生は8・8%。質問項目などが異なるため、単純比較できないが、初調査の2002年(6・3%)と前回調査の12年(6・5%)より比率が上がった。
文科省は「保護者や教員の間で発達障害への理解が深まり、以前は『落ち着きがない子』と見過ごしてきたようなケースを認知できるようになった」と分析する。
個別に見ると、LDに6・5%▽ADHDに4・0%▽高機能自閉症に1・7%――が該当し、障害が重複するケースもあった。

(LDは見落としやすい。教師からは普通に学校生活をしていると見えたり、勉強が得意でないが手のかからないおとなしい子なので、支援対象にならなかったりする。しかし、大人になってから生きづらさは増し、2次障害を発したりや精神的な病になることがある。後々になって気づく場合がある。)

 学年別では、小1=12・0%▽小5=8・6%▽中1=6・2%▽中3=4・2%――など学年が上がるにつれて発達障害の可能性がある子どもの割合は減少する傾向があった。
文科省は、「多動」など一部の症状は成長とともに落ち着く傾向があるためとみている。  

調査では、支援状況も聞いた。
校長や教員らが支援体制を検討する「校内委員会」によって、「特別な支援が必要と判断」されている割合は28・7%(前回18・4%)だった。
また、通常学級に在籍しつつ、別室などで一部だけ特別な授業を受ける「通級指導」を受けているのは10・6%(同3・9%)、個別の支援計画を作成しているのは18・1%(同7・9%)など前回より割合は上昇した。
だが、この10年で広く一般でも発達障害への理解が深まったことを考えると、上昇率は「高くない」(文科省の担当者)という。  

調査に関わった有識者会議座長の宮崎英憲・東洋大名誉教授(全国特別支援教育推進連盟理事長)は「学校全体で支援の取り組みを進める必要があるが、校内委員会の検討自体がなされていない可能性がある。外部機関に教員が支援を相談しやすい体制づくりも必要だ」とした。  

◇特別支援、精通した教員が不足
発達障害の可能性がある公立小中学校の子どもに支援が届きづらいことの背景には、特別支援教育に精通した教員の不足がある。
明治学院大の海津亜希子教授(障害科学)は「管理職の意識に温度差があり、校内委員会が形骸化している学校もある」とも指摘する。
公立小中学校の8割に特別支援学級が設置されているが、校長の7割以上が特別支援教育に携わった経験がないまま学校運営を担っている。このため文科省は今年3月に都道府県教委などへの通知で、新規採用教員が10年以内に特別支援学級の担任などを複数年経験し、管理職登用の際にも経験を考慮するよう求めた。
ただ、養成は一定の時間がかかる上に、特別支援教育を経験した人材が増えても、公立学校で慢性化している教員不足の課題は残る。
40代の男性教諭が勤務する東京都内の公立小学校では、校内委員会が週1回開かれるなど管理職の理解はあるという。
だが、発達障害に限らず、家庭での虐待やネグレクトなど配慮が必要な子どもは多く「クラスの4分の1ほどはいる。きめ細かく見守るには20人学級くらいでないと難しい」と話す。
特別支援教育にも携わってきたが、「『発達障害』の支援に何が必要かの判断は、経験があっても簡単ではない」と語った。
(これはその通りだ。専門知識を有する教員らも発達障害の子たちに手さぐりで対応している。)
 海津教授によると、読み書きなどの学習障害は、授業中に歩き回るといった行動面の困難よりも目立たないが、早期に見つけて授業を工夫したり、通級指導につなげたりすることで改善するケースは多いという。
今回の調査結果から、全国に発達障害の可能性がある小中学生は約80万人と推定される。
海津教授は「『通級指導』などを専門的に担える教員の免許制度を創設したり、支援の予算を増やしたりするなど、国や自治体は抜本的な対策をとるべきだ」と指摘した。
(通級指導の先生たちは、公認心理師や特別支援教育士など、個人的に大金をかけて取得している先生も意外と多い。だが、公認心理師は来年からは取得できない。とにかく海津教授の言うように、早急に専門的な免許制度を整え、発達検査などができる資格として位置されるように働きかける必要がある。)

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支援学級はその子に応じたカリキュラムを作って授業を進める。

自閉・情緒のクラスは基本的に当該学年のカリキュラムに準じるが、なかなかそうはいかないのが現状だ。

やはり遅てしまう。

しかし、場合によっては、通常学級でみんなと一緒に受ける教科も出てくる生徒もいる。



通常学級を教えていても、九九が一部抜けている生徒や、分数はおろか、繰上りや繰り下がりができない生徒もいる。

支援学級の生徒の方がよくできると思うことも多々ある。

逆に、支援学級の生徒で、通常学級にいって授業を受けてもいけるのではないかと思う生徒も数人はいる。



支援学級では何をどう教えようが基本的に誰からも横やりは入らない。

みんなが喜んで授業を受けていれば、大したことをしていなくても担当として十分認められる。


しかし、実際に支援学級で教えていると、あることに気づく。

カリキュラムのチェック者がいないということ。

そして、恐ろしいことに、学習の遅れがあったとしても、それは教員の責任ではなく、本人の能力の範囲であり、仕方のないこととして葬り去られるということだ。

言い方は悪いが、簡単なことを教えて、テストも自在に担当が作れるから、簡単なテストを作り、90点をとらせて、評価も、「よくできました」とすることもできるということだ。

それを誰からもとがめられることはない。


チェック者はいない。


とにかく、穏やかに楽しく学校生活が送れていれば、それで〇がもらえるのが支援学級というものだと言えば、様々な方面から反論が飛んできそうだが。

あえてそう言いたいのが私の持論だ。




























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 特別支援学校の一部かすべてに当てはまるのか定かではない。私の周りにいる先生方がよく言われるのは、「特別支援学校では生徒の可能性を引き出す教育がされていない」ということだ。
 
 建前は別として、特別支援学校の教員の基本的考え方と姿勢は、『生徒の身体的精神的知的能力が低く、どうしょうもないので世話してやっている、教えてやっている、子守してやっている』というものだという。その程度の意識で教師をしているというのだ。
 
 だから、教師による威圧がまかり通る。一部の教師の、いじめともとれる言動が日常茶飯事に行われている。障害を持ち合わせている生徒たちは本当に出来ない、どうしようもない生徒なのだろうか。
 
 暴れる精神的に障害を負った生徒を静めるには、力が必要だ。しかし、大半の生徒は純粋だから教師の権威や腕力で言うことを聞かせやすい。
それに甘んじて、強引に生徒を動かしてはいないだろうか。

 われわれの目は節穴になっていないか点検する必要がある。「こいつはどうしようもないやつだ…」このつぶやきは本当だろうかと。
 しかし、よくよく考えてみるとこのつぶやきは一般校の教師にも十分当てはまることだ。もしこのつぶやきから離れて、教師が心の眼を開くなら、どれほどの生徒が救われるだろうか。
 我々は、島秋人の死刑前の言葉を肝に銘じ、彼の祈り心を引き継ぎ、生徒と対峙したい。
 
 ねがわくは、精薄や貧しき子らも疎(うと)まれず、幼きころよりこの人々に、正しき導きと神の恵みが与えられ、わたくし如き愚かな者の死の後は死刑が廃(はい)されても、犯罪なき世の中がうち建てられますように。わたくしにもまして辛き立場にある人々の上にみ恵みあらんことを。

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  障害者はかわいそう、と見るのが我々の考えだが。考え方を変えれば、障害者は、我々の心の深いところへメッセ-ジを送ってくれる存在だ。そして、極めつけの言葉がある。イエスキリストである。私はクリスチャンではないが、このイエスの言葉は感動する

 こんな言葉だった、あるとき弟子が、盲目人を横にしてイエスに「この人の目が見えないのは、この人の所業がわるいからでしょうか。それとも、何代か前の祖先の所業が悪かったからでしょうか。」と問うた。イエスが答えたのは、「どちらでもない、この人の目が見えないのは、神の栄光を表すためである。」と言ったのである。一瞬「はぁ?」であるが、よく考えるとすごい発想である。すごすぎる。涙が出そうだ。

障害者を見る目を、「かわいそう」という次元から脱しなければ、特別支援は語れない。だから、私は次のエッセイで出てくる、「チャレンジャー」という呼び方に賛同する。
                            

 おなかに赤ちゃんがいると分かった時、 大抵の母親は 「どうか、 五体満足で生まれてきますように。」 と願う。 私もそうだった。
  そして十二年前、 願い通り元気な五体満足の長男を生み、 喜んだ。 数年後に、 この子が知的障害を伴う自閉症だと分かる日がくるとは夢にも思わずに…。 自分の力で世界を開拓し、 夢を実らせてほしいと願いを込めて、 「拓実」 と名付けた。
 一歳を過ぎると、 主人のことは、 「パンパン」 と呼び (パパからかな?)、 私には 「あーちゃん」 (私が明子だから?) と呼んだ。 私たちの手遊びをキャッキャッと笑顔でまねをした。 二歳までの拓実は、 そのようなことしか思い出せない。
 だから、 三歳過ぎて発達の遅れを検診で指摘されても、 私自身も 「この子、 よその子と比べて何か変かな?」 と感じても、 なかなかそれを受け入れられず、 「子供の発達には、 個人差があるんだし…」 と、 自分に言い聞かせて (ごまかして) いた。
                    
 
 でも、 いくら単語は出ても会話をしない。 何かにこだわりだしたら、 てこでも動かない。 幼稚園に入っても、 パニックになり、 逃げ回る。 そんな様子が段々目立つようになり、 拓実の顔からも笑顔が少なくなり、 自分の周りのほとんどの存在を拒否しているかのようにさえに見えた。
 幼稚園を休み、 自傷行為、 チックが出てくることも多くなった。 夜驚症 や きょうしょうといって、 夜中、 眠っているのにすごい勢いで暴れ回るというような症状も出た。 頭を打ちつけないよう、 隣で寝ている弟にぶつからないよう主人と二人がかりで拓実を押さえた。
 まだ、 一、 二歳の二男を観ながらの、 そんな拓実との生活は、 ほとほと泣けてきた。 すがる思いで専門の先生の所へ通い、 拓実の言語訓練を受けたり、 親の私たちにもアドバイスをいただいたりしていたが、 何だか悪夢を見ているような気分がずっと続いていた。  

 そんなある日、 テレビで障害者の特集があり見ていると、 コメンテーターの一人が 「日本では障害者というと、 ハンディを持っている人のこと。 だから、 障害者と呼びますが、 北欧辺りでは彼らのことを、 チャレンジャーと呼んでいるそうです。 障害というのはその人にとって、 取り巻いている環境が障害なんでしょ? そんな不便な世の中で、 彼らは頑張って精いっぱい生きているのです。 ですから彼らは、 尊敬に値する存在なんです。」 と言った。
 
 この言葉は私の心の中に、 一本の光が深く差し込んできたかのような深い感動を与えてくれた。
 まだ生まれて数年の拓実は今、 自分が出せる精いっぱいの言葉、 行動で必死にチャレンジしながら生きていこうとしている。 母である私が、 まずはこの事を十分に分かってあげなくては…と。 今まで自分の運命、 世の中、 拓実に対してさえもネガティブな気持ちを持っていた自分を見つめ直し、 自然に 「今まで、 ごめんね」 とつぶやいた。
 とは言え、 拓実を含め、 チャレンジャーたちを取り巻く障害をすべて取り除いてあげることも、 すべての人たちに理解を求めることも、 もちろん無理だ。
 拓実自身も、 ハードルの高いさまざまなことにチャレンジしていき、 つらさや苦しさを我慢したり努力をすること、 社会でのルール、 マナーを理解し守っていくこと。 そしてこだわっている自分だけの世界のほかにも、 素晴らしい世界があること、 人との優しさを少しずつでも知ってほしい。 そして名前のごとく、 人生を開拓し、 実らせていってほしいと改めて思った。
 できるだけトランプやすごろくなど、 家族で遊ぶのを日課にし、 小学生になったら、 勉強も日課にし、 でも拓実の世界も理解するよう努めた。
 と書くと、 聞こえはいいが、 なかなかどうして…で、 感情的に怒ったり、 お互い泣いたり、 自分で自分が嫌になることも多く、 専門の先生に相談してアドバイスをいただいて、 何とかなっている感の数年間である。
 あと、 ありがたいことにさまざまな公共施設や団体で、 体験活動を催してくれているので、 家族そろってなるべく参加するようにしている。 田植え、 畑仕事、 パソコン、 化石掘り、 英語、 植樹、 キャンプ、 スポーツ、 工作、 カヌー…。 人と交わりながらの体験は拓実にはもちろん、 弟の健瑠や私たち親にとっても、 とても良いことだと思っている。 (親も楽しめる)
 
 拓実が十歳になった日から、 父子のコミュニケーションと体力づくりのために、 主人とジョギングを始めた。 初日はグランド一周からだったが、 徐々に長い距離を走れるようになったので、 生目の杜で行われる 「小学生マラソン大会」 に出場させてみることにした。 ところが当日、 コースの説明を聞くと、 結構複雑で、 「拓実には難しいかも…」 と不安になったが、 「まあ、 前の子について行くだろう」 と、 たかをくくっていた。 でも悪い予感は当たり、 初めての大会で訳のわからない状態の拓実は走ることだけが精いっぱいで、 大きくコースアウトをしていて、 一人、 ずっと遅れてのゴールであった。
 こういったことを予測しなかった私たちのミスだが、 何か惨めな思いで拓実も、 「間違ちゃったね」 を連発し、 後味の悪い思いをしてしまった。
 そして一年後、 また出場することにした。 昨年の反省から、 大会事務局に電話を入れ、 事情を説明すると、 「伴走をつけますね」 と言ってくれたので、 「これで、 ひと安心」 と、 拓実にその旨を伝え、 会場に向かった。 小五のコースは更に複雑であった。 「まあ、 伴走がいるから大丈夫」 と思っていたが、 小五の男子スタートになっても、 何の手違いか、 伴走者がいないのである。 もはや拓実にそれを伝えることもできない。 主人と青くなって見つめた。 ところがいざスタートすると、 意外にも拓実は前の子にしっかり付いていっている。 そしてグラウンドを出て、 見えなくなった。
 走っているうちに前の子とも間が広がるし、 疲れてくれば、 またコースも分からなくなるだろうし…と、 昨年のことを思い出していた。 ところが、 拓実が戻ってきた。 必死で前の子を見て疲れた顔はしているものの、 しっかりとした足どりで。 健瑠も 「兄ちゃん」 と叫んで走り寄った。 ゴールした時の感動は言い尽くせなく、 言葉が出なくて涙ばっかり出てしまった。
 
 そんな拓実だが、 弟に対し、 話しかけるということはまだない。 健瑠にはまだ拓実のことを、 きちんと説明はしていないが、 子供なりに分かってはいると思う。 そんなある日、 健瑠が毎週習いに行っているサッカーの迎えのバスをうちのマンションの前で待っていたら拓実が突然、 ベランダに出て、 「健瑠、 行ってらっしゃい。」 と、 大きな声で叫んで笑顔で手を振った。
 私は驚くやら、 うれしいやらで、 拓実を抱きしめてしまった。 健瑠も階下から、 「お母さん、 兄ちゃんが僕に、 行ってらっしゃいと言ったよ」 と、 うれしそうに大声で叫んだ。 主人にもすぐこのことをメールした。 主人はこのメールだけは大切に保存しているそうだ。
 
 拓実を通して得たものは感動である。 マラソンをコース通り走る。 弟に 「行ってらっしゃい」 と言う。 誰もが普通にすることが、 私たちにとってはすごく感動的なことなのである。 私は思う時がある。 当たり前だと思っていることが実は素晴らしいことで、 大いに感動していいことなんだと。  
 人と話しができる。 笑い合える。 学ぶ場、 働く場がある。 だから虐待をはじめ、 殺伐とした事件を聞くと、 心が痛む。 ニートとか聞くと、 何てもったいないと思う。
 世界中にさまざまな境遇のチャレンジャーたちがいる。 彼らが持っていなくて頑張っているものを、 最初から持ち合わせているのである。 どうかそのことに感動し、 チャレンジャーたちがチャレンジしていけるよう、 力を貸してもらいたい。 そしてまだまだ未熟な私も、 拓実というチャレンジャーや、 また多くのチャレンジャーたちの力になっていきたいと思っている。
                                  (お茶の間エッセイより)

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           東京でも要支援教育生徒急増


東京都教育委員会は
8日、障害を持つ子供への教育方針を示す特別支援教育推進計画の第3次実施計画案をまとめた。

障害を持つ子供が想定よりも大幅に増える見通しとなり、特別支援学校を2校新設するなど大幅な再編整備を進めるという。  

都教委によると、27年度に特別支援学校に在籍する子供の推定数は、平成16年度の第2次実施計画時の推定数から2581人増の8811人に見直された。

 このため、特別支援学校新設のほか、区市町村の支援教育体制充実を図るために、現在は地域の中核学校にある特別支援教室を都内の全小中学校に設置する。

 都教委は「近年、障害への認知が高まったことで、子供に合った教育を望む保護者が増えたことが推定数を押し上げている」としている。
 

    20年間で発達障害の未就学児10倍 福岡市

 

自閉症学習障害など「発達障害」とされる子供の増加が指摘されるなか、福岡市で、発達障害と診断される未就学児(0~5歳)の数が10年間で約1.5倍、20年間では10倍超になっていることがわかった。

 専門家は「診断基準を理解できる医師が増えたため」と説明するが、
発生要因は学界など

でも結論が出ておらず、教育や医療、福祉などの分野を超えた取り

組みが急務となっている。


 

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最近、経費削減のために非常勤や常勤の講師を採用する公立学校が増えている実態があることはテレビやその他の報道でも周知の事実である。

私学でも同様であると思う。ある私学教員募集サイトを覗いてみると全国から募集があるが教諭つまり専任教員募集を探すのに非常に苦労する。ほとんどが講師だ。

公立学校の実態をある調査から見てみると、講師率が20パーセントを超える職種があるのを知った。大阪市の特別支援学級担当だ。
また、大阪市では特別支援学校の講師率も多い。ある部では教員23名中8名が講師である。この実態を知ったら保護者はどう思うであろうか。

専門的な配慮が必要な職種である特別支援になぜ講師を多用するのか。
それは、財政上の問題以外に特別支援を必要とする生徒数が増加しているのにも関係している。

京都府でも講師が30人いる特別支援学校がある。知り合いの管理職に聞くと来年度は20人に減るそうだが、多い。

ちなみに2009年度の大阪府の特別支援学校の講師は379人
であった。大阪市は204人であった。

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教員採用試験に合格して特別支援学校に勤務し、毎日自立活動的な授業をしていると、10年もすれば自分の専門教科を教える専門性は衰えてくる。まず教員としての大切な授業スキルを蓄える術が特別支援学校にはないからだ。それでいて次に聾学校や、盲学校に行けば教科を教えることになる。だから、聾、盲の教師の教科指導力は一般校に比較して非常に弱い。さらに生徒会や生徒指導、クラブ活動といった指導力も経験がないだけに弱く、さらに特別支援学校によきモデルが生まれないので若い教員の指導力が向上しない。強いて言いうと素人集団ともいえる人たちで教育を運営しているようなものだ

これは特別支援学校に勤務する私の友人が言っていた言葉だ。
私も、この意見は少し言いすぎかなという部分はあるものの、本当にそうかもしれないということも感じている。

これに反論する読者の意見を聞きたい。

コメントに入れていただきたいがどうだろう。

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 特別支援学校はある意味、治外法権的なところがあるのかもしれません。特別支援学校は小学部、中学部、高等部などにわかれていますが、いずれも連携というところでは薄いと思います。年数回の連絡会があるだけで、一貫した教科教育がなされているとは思いません。逆に障害の程度、親対応などは引き継ぎはきちんとありますし、そこは引き継がないと当該する部が困るからです。
 
 教科についてもう一度目を通してみましょう。支援学校でも研究はされていますが、一般校ほどではありません。評価にしても曖昧な部分をずいぶん残していますし、そのためにどんぶり勘定で動いているところがあります。

  あなたの支援学校では週案はありますか?教科の年間計画はあると思いますが(なければ委員会から指導されますが)、見たことありますか?つまりどんぶり勘定で動いています。そして学期ごとの評価は観点別につけられていますか。 最終、観点の評価の説明を教育委員会から提示せよと言われても客観的に説明できますか。
 
 たぶん支援学校だけが曖昧だろうと思います。生徒の障害の特性上仕方がない部分も出てきますが、一定整理し、評価をきちんとしたところから教科指導のシステムを構築していくことが支援学校生徒の学力をつけていく大切なポイントだと思います
。 
 
 さて、ここまで書きましたが、これを実行することは大変なことです。なぜなら現実は慣性の法則とでもいうのか支援学校に働いている暗黙の原則があるからです。
 
 都道府県、市町村によっても違いはあると思いますが、例えば評価は現在5段階絶対評価ですが、教育的配慮でほぼ2段階になっていないでしょうか。(詳しくは言いませんが考えてください)これは極めて良い面もあります。しかし、実質2段階で評価と言えるのかどうか。苦しいところです。こういう現状のままで行くとしたら、もう少し観点別評価をきっちり・はっきりとつけていくべきだ思います。 

 個人的にいえば特に上位層に関して当てはまることと思います。

 

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親が特別支援学校教員に期待を持っていることはよくわかる。それは将来への不安が多々あるからだ。親の学校への要望の中に時々宿題をしかっり出してほしいというものがあるが、一般校以上である。一般校では、先述したように問題集を買わせているからそれを利用できる。そして教師は言う「自分で計画的に勉強できるよう成長させたい」と。
 
特別支援学校はそれが弱い、やはり手取り足取りのスタンスが根底にあり、自分で計画的にとはなかなか言いにくいしさせにくい。教師の頭にもない場合がある。あるのは手取り足取り支援だ。そして自学自習の雰囲気、環境が整っていないのが欠点だ。

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 特別支援学校と一般校の差は歴然としている。 
 何が歴然としているか?教師の教科の指導レベルだ。
 まあ最近の一般校でも臨時教員が多くて言えたものじゃないが、特別支援学校の教師は教科の専門性は弱いと思う。 特別支援の中にも一般校と同じ学力の生徒もいる。盲、聾はもちろんのこと、病弱教育においてもいるのだ。
 
 こういうことがあった。 グランドにコースを書くときだった、「円の円周の求め方は?」と、ある教師が体育科の他の教師に聞くと二人ともが知らなかった。体育科だから仕方がないか。数学科はどうだろう。例えば円錐の側面の扇形の中心角を求める方法として、底面の半径÷母線の長さ×360度なんて知らないよ。
たぶんメラニウスの定理もチェバの定理も知らないだろうな。教える必要がないからだ。進学する生徒も少ないし、適当にやっていても誰からも文句は言われないからだ。そしてなにより研究が障害についてを大部分に裂き、純粋教科指導研究は非常に弱い。
 それに一般校では4月に業者がこれでもかというくらい問題集や参考書の見本を持ってくるが、特別支援学校は寄ってないし持ってもこない、だから生徒は問題集をもつことも少ない。特別支援では教科書だけで授業をする。一般校では教科書はもちろん、先述の通り必ず副教材(問題集)を学校で買わせてテスト範囲にする場合が多い。
 つまり教師の意識にある意味諦めが入っているし、程度の高い授業を提供する術を得る機会もない。もちろん受験指導技術はないと見た。
 
 

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