公立学校の真実
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障害者はかわいそう、と見るのが我々の考えだが。考え方を変えれば、障害者は、我々の心の深いところへメッセ-ジを送ってくれる存在だ。そして、極めつけの言葉がある。イエスキリストである。私はクリスチャンではないが、このイエスの言葉は感動する。
こんな言葉だった、あるとき弟子が、盲目人を横にしてイエスに「この人の目が見えないのは、この人の所業がわるいからでしょうか。それとも、何代か前の祖先の所業が悪かったからでしょうか。」と問うた。イエスが答えたのは、「どちらでもない、この人の目が見えないのは、神の栄光を表すためである。」と言ったのである。一瞬「はぁ?」であるが、よく考えるとすごい発想である。すごすぎる。涙が出そうだ。
障害者を見る目を、「かわいそう」という次元から脱しなければ、特別支援は語れない。だから、私は次のエッセイで出てくる、「チャレンジャー」という呼び方に賛同する。
おなかに赤ちゃんがいると分かった時、 大抵の母親は 「どうか、 五体満足で生まれてきますように。」 と願う。 私もそうだった。
そして十二年前、 願い通り元気な五体満足の長男を生み、 喜んだ。 数年後に、 この子が知的障害を伴う自閉症だと分かる日がくるとは夢にも思わずに…。 自分の力で世界を開拓し、 夢を実らせてほしいと願いを込めて、 「拓実」 と名付けた。
一歳を過ぎると、 主人のことは、 「パンパン」 と呼び (パパからかな?)、 私には 「あーちゃん」 (私が明子だから?) と呼んだ。 私たちの手遊びをキャッキャッと笑顔でまねをした。 二歳までの拓実は、 そのようなことしか思い出せない。
だから、 三歳過ぎて発達の遅れを検診で指摘されても、 私自身も 「この子、 よその子と比べて何か変かな?」 と感じても、 なかなかそれを受け入れられず、 「子供の発達には、 個人差があるんだし…」 と、 自分に言い聞かせて (ごまかして) いた。
でも、 いくら単語は出ても会話をしない。 何かにこだわりだしたら、 てこでも動かない。 幼稚園に入っても、 パニックになり、 逃げ回る。 そんな様子が段々目立つようになり、 拓実の顔からも笑顔が少なくなり、 自分の周りのほとんどの存在を拒否しているかのようにさえに見えた。
幼稚園を休み、 自傷行為、 チックが出てくることも多くなった。 夜驚症 や きょうしょうといって、 夜中、 眠っているのにすごい勢いで暴れ回るというような症状も出た。 頭を打ちつけないよう、 隣で寝ている弟にぶつからないよう主人と二人がかりで拓実を押さえた。
まだ、 一、 二歳の二男を観ながらの、 そんな拓実との生活は、 ほとほと泣けてきた。 すがる思いで専門の先生の所へ通い、 拓実の言語訓練を受けたり、 親の私たちにもアドバイスをいただいたりしていたが、 何だか悪夢を見ているような気分がずっと続いていた。
そんなある日、 テレビで障害者の特集があり見ていると、 コメンテーターの一人が 「日本では障害者というと、 ハンディを持っている人のこと。 だから、 障害者と呼びますが、 北欧辺りでは彼らのことを、 チャレンジャーと呼んでいるそうです。 障害というのはその人にとって、 取り巻いている環境が障害なんでしょ? そんな不便な世の中で、 彼らは頑張って精いっぱい生きているのです。 ですから彼らは、 尊敬に値する存在なんです。」 と言った。
この言葉は私の心の中に、 一本の光が深く差し込んできたかのような深い感動を与えてくれた。
まだ生まれて数年の拓実は今、 自分が出せる精いっぱいの言葉、 行動で必死にチャレンジしながら生きていこうとしている。 母である私が、 まずはこの事を十分に分かってあげなくては…と。 今まで自分の運命、 世の中、 拓実に対してさえもネガティブな気持ちを持っていた自分を見つめ直し、 自然に 「今まで、 ごめんね」 とつぶやいた。
とは言え、 拓実を含め、 チャレンジャーたちを取り巻く障害をすべて取り除いてあげることも、 すべての人たちに理解を求めることも、 もちろん無理だ。
拓実自身も、 ハードルの高いさまざまなことにチャレンジしていき、 つらさや苦しさを我慢したり努力をすること、 社会でのルール、 マナーを理解し守っていくこと。 そしてこだわっている自分だけの世界のほかにも、 素晴らしい世界があること、 人との優しさを少しずつでも知ってほしい。 そして名前のごとく、 人生を開拓し、 実らせていってほしいと改めて思った。
できるだけトランプやすごろくなど、 家族で遊ぶのを日課にし、 小学生になったら、 勉強も日課にし、 でも拓実の世界も理解するよう努めた。
と書くと、 聞こえはいいが、 なかなかどうして…で、 感情的に怒ったり、 お互い泣いたり、 自分で自分が嫌になることも多く、 専門の先生に相談してアドバイスをいただいて、 何とかなっている感の数年間である。
あと、 ありがたいことにさまざまな公共施設や団体で、 体験活動を催してくれているので、 家族そろってなるべく参加するようにしている。 田植え、 畑仕事、 パソコン、 化石掘り、 英語、 植樹、 キャンプ、 スポーツ、 工作、 カヌー…。 人と交わりながらの体験は拓実にはもちろん、 弟の健瑠や私たち親にとっても、 とても良いことだと思っている。 (親も楽しめる)
拓実が十歳になった日から、 父子のコミュニケーションと体力づくりのために、 主人とジョギングを始めた。 初日はグランド一周からだったが、 徐々に長い距離を走れるようになったので、 生目の杜で行われる 「小学生マラソン大会」 に出場させてみることにした。 ところが当日、 コースの説明を聞くと、 結構複雑で、 「拓実には難しいかも…」 と不安になったが、 「まあ、 前の子について行くだろう」 と、 たかをくくっていた。 でも悪い予感は当たり、 初めての大会で訳のわからない状態の拓実は走ることだけが精いっぱいで、 大きくコースアウトをしていて、 一人、 ずっと遅れてのゴールであった。
こういったことを予測しなかった私たちのミスだが、 何か惨めな思いで拓実も、 「間違ちゃったね」 を連発し、 後味の悪い思いをしてしまった。
そして一年後、 また出場することにした。 昨年の反省から、 大会事務局に電話を入れ、 事情を説明すると、 「伴走をつけますね」 と言ってくれたので、 「これで、 ひと安心」 と、 拓実にその旨を伝え、 会場に向かった。 小五のコースは更に複雑であった。 「まあ、 伴走がいるから大丈夫」 と思っていたが、 小五の男子スタートになっても、 何の手違いか、 伴走者がいないのである。 もはや拓実にそれを伝えることもできない。 主人と青くなって見つめた。 ところがいざスタートすると、 意外にも拓実は前の子にしっかり付いていっている。 そしてグラウンドを出て、 見えなくなった。
走っているうちに前の子とも間が広がるし、 疲れてくれば、 またコースも分からなくなるだろうし…と、 昨年のことを思い出していた。 ところが、 拓実が戻ってきた。 必死で前の子を見て疲れた顔はしているものの、 しっかりとした足どりで。 健瑠も 「兄ちゃん」 と叫んで走り寄った。 ゴールした時の感動は言い尽くせなく、 言葉が出なくて涙ばっかり出てしまった。
そんな拓実だが、 弟に対し、 話しかけるということはまだない。 健瑠にはまだ拓実のことを、 きちんと説明はしていないが、 子供なりに分かってはいると思う。 そんなある日、 健瑠が毎週習いに行っているサッカーの迎えのバスをうちのマンションの前で待っていたら拓実が突然、 ベランダに出て、 「健瑠、 行ってらっしゃい。」 と、 大きな声で叫んで笑顔で手を振った。
私は驚くやら、 うれしいやらで、 拓実を抱きしめてしまった。 健瑠も階下から、 「お母さん、 兄ちゃんが僕に、 行ってらっしゃいと言ったよ」 と、 うれしそうに大声で叫んだ。 主人にもすぐこのことをメールした。 主人はこのメールだけは大切に保存しているそうだ。
拓実を通して得たものは感動である。 マラソンをコース通り走る。 弟に 「行ってらっしゃい」 と言う。 誰もが普通にすることが、 私たちにとってはすごく感動的なことなのである。 私は思う時がある。 当たり前だと思っていることが実は素晴らしいことで、 大いに感動していいことなんだと。
人と話しができる。 笑い合える。 学ぶ場、 働く場がある。 だから虐待をはじめ、 殺伐とした事件を聞くと、 心が痛む。 ニートとか聞くと、 何てもったいないと思う。
世界中にさまざまな境遇のチャレンジャーたちがいる。 彼らが持っていなくて頑張っているものを、 最初から持ち合わせているのである。 どうかそのことに感動し、 チャレンジャーたちがチャレンジしていけるよう、 力を貸してもらいたい。 そしてまだまだ未熟な私も、 拓実というチャレンジャーや、 また多くのチャレンジャーたちの力になっていきたいと思っている。
(お茶の間エッセイより)
こんな言葉だった、あるとき弟子が、盲目人を横にしてイエスに「この人の目が見えないのは、この人の所業がわるいからでしょうか。それとも、何代か前の祖先の所業が悪かったからでしょうか。」と問うた。イエスが答えたのは、「どちらでもない、この人の目が見えないのは、神の栄光を表すためである。」と言ったのである。一瞬「はぁ?」であるが、よく考えるとすごい発想である。すごすぎる。涙が出そうだ。
障害者を見る目を、「かわいそう」という次元から脱しなければ、特別支援は語れない。だから、私は次のエッセイで出てくる、「チャレンジャー」という呼び方に賛同する。
おなかに赤ちゃんがいると分かった時、 大抵の母親は 「どうか、 五体満足で生まれてきますように。」 と願う。 私もそうだった。
そして十二年前、 願い通り元気な五体満足の長男を生み、 喜んだ。 数年後に、 この子が知的障害を伴う自閉症だと分かる日がくるとは夢にも思わずに…。 自分の力で世界を開拓し、 夢を実らせてほしいと願いを込めて、 「拓実」 と名付けた。
一歳を過ぎると、 主人のことは、 「パンパン」 と呼び (パパからかな?)、 私には 「あーちゃん」 (私が明子だから?) と呼んだ。 私たちの手遊びをキャッキャッと笑顔でまねをした。 二歳までの拓実は、 そのようなことしか思い出せない。
だから、 三歳過ぎて発達の遅れを検診で指摘されても、 私自身も 「この子、 よその子と比べて何か変かな?」 と感じても、 なかなかそれを受け入れられず、 「子供の発達には、 個人差があるんだし…」 と、 自分に言い聞かせて (ごまかして) いた。
でも、 いくら単語は出ても会話をしない。 何かにこだわりだしたら、 てこでも動かない。 幼稚園に入っても、 パニックになり、 逃げ回る。 そんな様子が段々目立つようになり、 拓実の顔からも笑顔が少なくなり、 自分の周りのほとんどの存在を拒否しているかのようにさえに見えた。
幼稚園を休み、 自傷行為、 チックが出てくることも多くなった。 夜驚症 や きょうしょうといって、 夜中、 眠っているのにすごい勢いで暴れ回るというような症状も出た。 頭を打ちつけないよう、 隣で寝ている弟にぶつからないよう主人と二人がかりで拓実を押さえた。
まだ、 一、 二歳の二男を観ながらの、 そんな拓実との生活は、 ほとほと泣けてきた。 すがる思いで専門の先生の所へ通い、 拓実の言語訓練を受けたり、 親の私たちにもアドバイスをいただいたりしていたが、 何だか悪夢を見ているような気分がずっと続いていた。
そんなある日、 テレビで障害者の特集があり見ていると、 コメンテーターの一人が 「日本では障害者というと、 ハンディを持っている人のこと。 だから、 障害者と呼びますが、 北欧辺りでは彼らのことを、 チャレンジャーと呼んでいるそうです。 障害というのはその人にとって、 取り巻いている環境が障害なんでしょ? そんな不便な世の中で、 彼らは頑張って精いっぱい生きているのです。 ですから彼らは、 尊敬に値する存在なんです。」 と言った。
この言葉は私の心の中に、 一本の光が深く差し込んできたかのような深い感動を与えてくれた。
まだ生まれて数年の拓実は今、 自分が出せる精いっぱいの言葉、 行動で必死にチャレンジしながら生きていこうとしている。 母である私が、 まずはこの事を十分に分かってあげなくては…と。 今まで自分の運命、 世の中、 拓実に対してさえもネガティブな気持ちを持っていた自分を見つめ直し、 自然に 「今まで、 ごめんね」 とつぶやいた。
とは言え、 拓実を含め、 チャレンジャーたちを取り巻く障害をすべて取り除いてあげることも、 すべての人たちに理解を求めることも、 もちろん無理だ。
拓実自身も、 ハードルの高いさまざまなことにチャレンジしていき、 つらさや苦しさを我慢したり努力をすること、 社会でのルール、 マナーを理解し守っていくこと。 そしてこだわっている自分だけの世界のほかにも、 素晴らしい世界があること、 人との優しさを少しずつでも知ってほしい。 そして名前のごとく、 人生を開拓し、 実らせていってほしいと改めて思った。
できるだけトランプやすごろくなど、 家族で遊ぶのを日課にし、 小学生になったら、 勉強も日課にし、 でも拓実の世界も理解するよう努めた。
と書くと、 聞こえはいいが、 なかなかどうして…で、 感情的に怒ったり、 お互い泣いたり、 自分で自分が嫌になることも多く、 専門の先生に相談してアドバイスをいただいて、 何とかなっている感の数年間である。
あと、 ありがたいことにさまざまな公共施設や団体で、 体験活動を催してくれているので、 家族そろってなるべく参加するようにしている。 田植え、 畑仕事、 パソコン、 化石掘り、 英語、 植樹、 キャンプ、 スポーツ、 工作、 カヌー…。 人と交わりながらの体験は拓実にはもちろん、 弟の健瑠や私たち親にとっても、 とても良いことだと思っている。 (親も楽しめる)
拓実が十歳になった日から、 父子のコミュニケーションと体力づくりのために、 主人とジョギングを始めた。 初日はグランド一周からだったが、 徐々に長い距離を走れるようになったので、 生目の杜で行われる 「小学生マラソン大会」 に出場させてみることにした。 ところが当日、 コースの説明を聞くと、 結構複雑で、 「拓実には難しいかも…」 と不安になったが、 「まあ、 前の子について行くだろう」 と、 たかをくくっていた。 でも悪い予感は当たり、 初めての大会で訳のわからない状態の拓実は走ることだけが精いっぱいで、 大きくコースアウトをしていて、 一人、 ずっと遅れてのゴールであった。
こういったことを予測しなかった私たちのミスだが、 何か惨めな思いで拓実も、 「間違ちゃったね」 を連発し、 後味の悪い思いをしてしまった。
そして一年後、 また出場することにした。 昨年の反省から、 大会事務局に電話を入れ、 事情を説明すると、 「伴走をつけますね」 と言ってくれたので、 「これで、 ひと安心」 と、 拓実にその旨を伝え、 会場に向かった。 小五のコースは更に複雑であった。 「まあ、 伴走がいるから大丈夫」 と思っていたが、 小五の男子スタートになっても、 何の手違いか、 伴走者がいないのである。 もはや拓実にそれを伝えることもできない。 主人と青くなって見つめた。 ところがいざスタートすると、 意外にも拓実は前の子にしっかり付いていっている。 そしてグラウンドを出て、 見えなくなった。
走っているうちに前の子とも間が広がるし、 疲れてくれば、 またコースも分からなくなるだろうし…と、 昨年のことを思い出していた。 ところが、 拓実が戻ってきた。 必死で前の子を見て疲れた顔はしているものの、 しっかりとした足どりで。 健瑠も 「兄ちゃん」 と叫んで走り寄った。 ゴールした時の感動は言い尽くせなく、 言葉が出なくて涙ばっかり出てしまった。
そんな拓実だが、 弟に対し、 話しかけるということはまだない。 健瑠にはまだ拓実のことを、 きちんと説明はしていないが、 子供なりに分かってはいると思う。 そんなある日、 健瑠が毎週習いに行っているサッカーの迎えのバスをうちのマンションの前で待っていたら拓実が突然、 ベランダに出て、 「健瑠、 行ってらっしゃい。」 と、 大きな声で叫んで笑顔で手を振った。
私は驚くやら、 うれしいやらで、 拓実を抱きしめてしまった。 健瑠も階下から、 「お母さん、 兄ちゃんが僕に、 行ってらっしゃいと言ったよ」 と、 うれしそうに大声で叫んだ。 主人にもすぐこのことをメールした。 主人はこのメールだけは大切に保存しているそうだ。
拓実を通して得たものは感動である。 マラソンをコース通り走る。 弟に 「行ってらっしゃい」 と言う。 誰もが普通にすることが、 私たちにとってはすごく感動的なことなのである。 私は思う時がある。 当たり前だと思っていることが実は素晴らしいことで、 大いに感動していいことなんだと。
人と話しができる。 笑い合える。 学ぶ場、 働く場がある。 だから虐待をはじめ、 殺伐とした事件を聞くと、 心が痛む。 ニートとか聞くと、 何てもったいないと思う。
世界中にさまざまな境遇のチャレンジャーたちがいる。 彼らが持っていなくて頑張っているものを、 最初から持ち合わせているのである。 どうかそのことに感動し、 チャレンジャーたちがチャレンジしていけるよう、 力を貸してもらいたい。 そしてまだまだ未熟な私も、 拓実というチャレンジャーや、 また多くのチャレンジャーたちの力になっていきたいと思っている。
(お茶の間エッセイより)
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