公立学校の真実
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日本語のできない外国人の子が、学校に1~4人。そんな外国人散在校が全国で10年間に800校増えた。
外国人の子がたくさんいる学校と違って日本語指導の先生の配置を受けられず、専用の教室もない。どう支えればいいのか、現場の先生たちは手探りを続ける。文部科学省も対策を考えるため、自治体からの公募によるモデル事業を始めた。
ネパール人の女の子、シャルマ・シラさん(8)は昨年12月、大阪府八尾市立刑部(おさかべ)小学校の1年の学級に編入学した。他の33人はみな日本人。学校全体で日本語指導が必要な外国人はシラさんだけだ。
担任の磯部香教諭(25)は「えんぴつ」「黒板」と言っても通じないシラさんに、どう接していいか戸惑った。ネットで初歩のネパール語を学ぼうと考えたが、文字が難しくてあきらめた。ネパール旅行ガイドブックを買い、ネパール語で話しかけてみたが、まったく伝わらない。すでにひらがなを教える単元は終わっていて、1人のためにやり直すのは難しい。
家庭科や特別支援学級の教諭らが応援に入り、ひらがなから指導。磯部教諭は表に絵や写真、裏にひらがなで名前を書いた単語カードを数百枚作り、繰り返し見せて覚えさせた。「シラさんが活発な性格だったことが幸いした」と磯部教諭。
初日から校庭で同級生の縄跳びの輪に入り、授業中はほとんど分からなくても元気に手を挙げた。ひらがな、カタカナや日常の単語を覚えた頃から子ども同士で会話するようになり、だんだん文章で話せるようになった。
今春からは校外の人の力も借りている。その一つが、授業中に机を並べて付き添ってもらう「日本語指導員」。同市では、外国語を話せる日本人や、日本で育児を終えた中国やベトナム出身の人たち計約50人が日本語指導員として登録しており、シラさんには日本人男性(72)が週1~2回教えている。また、多くの外国人児童が在籍している市立志紀(しき)小学校から週1回、日本語指導担当の小桜満香教諭(41)が派遣され、シラさんを別室で教えている。
ただ、市内には散在校が小学校だけで5校ある。距離の問題などから、小桜教諭が回れるのは2校だけだ。
成功例ばかりではない。関西地方の公立中に3カ月前から通う、中国人の母親を持つ男子生徒(15)には、自治体から派遣された指導員が当初ほぼすべての授業に付き添っていた。だが、1カ月足らずで指導員に支払える謝礼の上限に達し、学校独自の予算に切り替えた結果、付き添える時間が週4時間に激減した。
散在校は全国的に増えている。その理由を、ブラジル人ら外国人労働者の集住地区を抱える愛知県の担当者は「社員寮にまとまって住んでいた外国人が、不況で職を失って様々な場所に転居していることが一因では」と分析する。
都道府県により「5人以上」「10人以上」などと基準は違うが、1校にある程度まとまった人数の外国人生徒が在籍していれば、国が給与の3分の1を負担する日本語指導教員の加配(定数に上乗せした配置)がある。加配校では「日本語教室」「国際教室」などの名の特別教室が設けられることがほとんどだ。
しかし、散在校では加配が受けられないため、外国人を指導した経験のない教員が手の空いた時に教えるといったケースが多いと見られる。
文科省は3月、散在校の日本語指導に照準を合わせたモデル事業を公募。八尾を含む大阪、千葉、兵庫、三重の4府県18市が選考を通った。刑部小と志紀小のように集住地区にある拠点校から散在校への巡回指導をしたり、日本語指導の担当者の情報交換会を開いたりするなどの試みを国費で実施している。
ただ、集住地区が近くにない学校では巡回指導の手法は使えないなど、課題が多い。(朝日com)
例えば、芸能界でも、AKBと少女時代を比べてみると、いかにも国際競争の味がする少女時代、田舎のAKBという比較になる。(個人的には田舎のAKBの方がすきなのだが)
洗練されたのはどちらかと問われると、勝負はついている。
この現象はどの業界でも起きている。もちろん産業界は明らかにサムソンなど外国勢がシェアを席巻し、教育でも、中韓などアジア勢の台頭に太刀打ちできないと分かった。
日本はいい加減目を覚まさないと、昔の人たちの残した財産を食いつぶしていくことになる。我々はなにも残さないで。
この危機をどれだけの日本人が持っているのか。教室を見る限り、今の子供たちにはない。親の甘い汁を吸っているだけのセミのように思える。やってもらって当たり前、さらに「やったってるねん」というありさま。
いつになったら教育行政は重い腰を上げて、現場に本気で乗り込むのか。いつまで国旗や国歌でエネルギィーを管理職が奪われているのか。そんな公務員として当然の事にエネルギィーを使うな。管理職は本来業務に専念せよ。公務員として恥ずべきものは即刻首だ。当然だろう。
しかし、現実は抜き足ならぬ状態で、気が遠くなるほど理想からは遠い。悲壮感が漂う。だが、一歩から始めなければ動かない。
昨日のZERO。
ありのままの公立中学という長期密着プロジェクト。
初めて見ました。
授業中でも自由に教室を出入りする生徒たち。
生徒たち・・・つまり一人や二人じゃりません、集団です。
学習成果発表会。
途中に会場を抜け出す生徒がいるのはいつものこと。
さらには途中、生徒がざわつき、収拾できない事態に。
ついに校長が立ち上がり、一喝。
出席した保護者も、そのあまりの実態を目の当たりにすることに。
手を尽くしてもなお改善の兆しの見えない学校に、保護者も立ち上がる。
教室の巡回、声かけ。
そんななか、進路指導主事、宮部先生の奮闘振りをカメラが追います。
宮部先生の生徒指導の手法は、この前のNHKプロフェッショナル 仕事の流儀で
紹介されていた定時制高校、岡田倫代先生と似ています。
岡田先生の「ふだんから雑談して何でも話せる雰囲気を作る」と言っていた言葉を思い出します。
いきなりの指導じゃなく、まずは雑談、世間話から入る。
そこで徐々に生徒の心を開いていこうとする地道な方法。
でも、だからこそ、生徒も宮部先生には他の先生とは違う何かを感じている様子。
北九州市立湯川中学校。
どういう経緯で取材に応じたのか知りませんが、学校の勇気とともに、
何とかしてほしいという学校現場の悲痛の声とも受け取れるのです。
文部科学省は29日、大学4年間で単位を取得すれば教員免許が取れる現行制度を変革し、新卒者の免許を2種類に分け、正規教員として本格的に教壇に立つには教職大学院修了など修士課程レベルの免許取得を求める新制度の検討を始めた。
今後10年をめどに実現にこぎ着けたい考えで、30日の中教審特別部会に提示する。
構想によると、大卒者に与える免許は「基礎免許」とし、大学学部段階での教職課程修了を証明するという暫定的な資格にとどめる。取得者は教員にはなれるが、担任に就かず校務や授業を補助する役割とする。
一方、正規教員につながる「一般免許」を取得できるのは、教職大学院や大学院の教育研究科修士課程を履修した人を想定。
ただ、資格者を限定しないよう大学での基礎免許取得を大学院の入学要件とはしない方向で、教職課程を履修していない学生や、社会人も教員を目指せるようにする。制度の移行段階は、学部卒業者も正規教員として受け入れる考えだ。
また、学校段階別になっている現行の免許を統一して「義務教育(小中)免許」「中等教育(中高)免許」とし、学校種を越えて教えられるようにする制度も検討する。
大阪女学院大学ニュースより
平和な学校は、空き時間にコーヒーを入れて自分の机に持ってきて、じっとしている人もいる。平和な学校は教師の顔が違う。ゆったりとした、あの昔のほのぼのとした香り都雰囲気が漂う。
高校なら平和な学校は、教科の部屋があるにで、好きなことができる。教材研究も十分時間はあるし、趣味もできる。なにせ一週間に15時間ほど授業をすればよいから、ゆったりと時間がつくれる。教師になってよかった思えるひと時を過ごせる。放課後の部活動も体育科の先生たちが中心で見ているのでそんなに見なくともよい。
中学校や小学校や高校の困難校に行くと生活は一変する。朝起きると、気合いを入れる。まず、7時20分までに学校に行かねばならない。部活の朝練があるからだ、自分が遅刻すると生徒が練習できない。また、教師が遅れていては示しがつかないのだ。練習が始まると、支持を的確に出して効率の良い練習を支持する。朝練習に来ていない生徒を把握し、どう対処していこうかと心の中で考える。
朝の打ち合わせが始まる。一日の流れを把握しなければならないので、気を抜けない。時には私が職員全体に伝えることもある。さあ、朝学活に行く。この時が一番足取りが重い。服装、頭髪、不要物、すでに頭の中は憂鬱そのもの。次に、遅刻者への対応やまだ来ていない生徒に電話する。
その後は自分の授業をすればよいのだが、空き時間は、授業に入らない生徒への対応に追われる、さらに保健室登校の生徒の対応もする。戦いは給食と掃除。何が起きるかわからない。ここでいじめがある。だから、職員室には昼休みでも帰ることはない。これを乗り越えると部活が待っている。だが、部活も実は戦いだ。練習中に邪魔をしに来る生徒がいる。部員の用具をとり勝手にプレーするのだ。また、自分のクラスの生徒の生徒指導に追われる時がほとんどだ。
すべての生徒が下校しても終わりではない。しばらくじっと心身の回復を待ち、打ち合わせ後、家庭訪問だ。重い家庭訪問はその家へ行くまでに逃亡したくなる。しかし、逃げるわけに行かない。時には親が返ってくる時間帯まで待つ。それが夜10時かもしれない。教材研究はいつするのか。職員室から教科書を持って階段を上り教室につくまでの間だ。他に時間はない。
困難校は授業準備への余裕がない。いい授業が作れるはずもない。だから授業で生徒を引き付けられていないかもしれない。だから荒れる。だから授業準備ができない。と…悪循環が貫通。これは教師の精神や身体にもあてはまる。夜が遅い。体を休められない。生徒への対応時に疲れたままの対応になる。生徒とのかかわりが雑になる。対応にまずさがでる。だから問題が多発する。体や精神を休められない。悪循環だ。
生徒の言葉や態度は時に教師の心に刺を突き刺すときがある。その刺は抜ける。だが抜く時間が欲しいのだ。でないと次の刺がささる。いつのまにか小さな刺が全身に刺さっている。精神的な刺は肉体的な刺より恐ろしい結果がまっている。
テスト前の土曜日曜がうれしい。部活指導がないからだ。日曜でも遠征すれば6時30分に集合させる時もあり、学校から離れられて気分転換にいいが、体はつらい。
自宅で学級通信、テストの採点、プリント作成などを深夜までする時もあるが、最近は仕事の持ちかえりがうるさくなってきたので、困っている。これも平和な学校なら、勤務時間内にできることだ。
要するに、平和な学校は好転循環、困難校は悪循環が渦巻き、そこから逃れる術は…あるのかないのか。今まで見てきたところによると困難校も波はある。良い時悪い時。我々いつになったら解放されるのか。退職したら解放されるかもしれないが、この悪夢からは解放されない。
体はぼろぼろでも、心が喜んでいればこの仕事は面白く続けられる。しかし、体はぼろぼろでも心が喜ぶってのはある意味悟りを開くことに等しいと思う。まさしく教師は聖職といえる。労働者なら過剰労働分をもらいたいが、そんなものもらっても教育が良くなるはずはない。せめて、マスコミや地域社会は教師パッシングを教師理解へと移せないものか。その方が刺さった刺は溶けやすい。
最近、時間はないと思っていたが、作ればよいと思うようになった。刺を抜くために。
エアコンを公費で整備せず、保護者らの負担での導入を認めている県立高校で、学力が低いとされる高校ほどエアコンが導入されていないことが、千葉県立布佐高校の鳥塚義和教諭の調査で明らかになった。偏差値が下がるほど、保護者がエアコン設置費を負担する余裕が無く、親の格差が子どもの学習環境にも影響を与えているとみている。
同教諭が県内の都市部にあたる第1~3学区(千葉、市川、船橋、松戸、習志野、八千代、浦安、野田、柏、流山、我孫子、鎌ケ谷)の73校 を対象に県教育庁に情報公開請求して調べた。31校で普通教室にエアコンが設置されていた。
学習塾の偏差値データを利用し、偏差値ごとのグループで分けたところ、「偏差値50以上」の学校では31校中27校で設置されていたが、 「49以下」では36校中4校だけだった。うち2校は偏差値49の学校。残りの2校も騒音対策のために公費で設置された学校で、48以下では保護者によるエアコンの設置はなかった。
県教育庁によると、2月現在、県立高校129校中、55校でエアコンが設置されている。2006年度以降、保護者らの意向がまとまった場合にエアコンの設置を認めている。「厳しい財政上、公費で設置することは難しいので、保護者が希望した学校には設置を認めている」とのスタンスだ。ただし、5校は例外的に自衛隊の騒音対策などで公費で設置されている。保護者らはエアコンを設置した場合、リース代や光熱費として、月に560円~960円を負担しているという。
県内の「進学校」から「教育困難校」まで経験したことのある鳥塚教諭は「『困難校』では保護者の授業料の滞納なども多く、少額にも思えるエアコン代も払える状況にない。エコの観点だとエアコンは不要とも思うが、進学校では涼しい場所で勉強がはかどり、困難校では暑さで集中できない。親の格差が子どもの格差につながるという象徴的なもの。困難校の現状を知って欲しい」と話す。
生活保護、ひとり親、低所得などの世帯に適用される授業料の減免者率も調べ、偏差値「39以下」の学校では生活保護、ひとり親、低所得世帯ともに最も高い割合だった。調査結果をまとめた論文は5月に鳥塚教諭が非常勤講師を務める武蔵大「武蔵大学教職課程紀要」で発表する予定だという。
07年度から都の予算で設置している東京都が06年に行った調査では、大阪府、和歌山県は行政が設置し、保護者から年約4、5千円を徴収。京都府、鳥取県は公費で設置していた。埼玉県など28県は保護者らの負担による設置を認めていたという。
2010,3,17 塾ニュースより
神奈川県教委、日本史独自教科書の修正案可決
神奈川県の全県立高校での平成24年度日本史必修化に向け、県教育委員会が作成中の独自教科書「近現代と神奈川」について、県教委は30日、南京事件の被害者数を「多くの中国人」としていた記述から「多くの」を削除、「具体的な人数について、さまざまな説がある」と付け加えるなど、内容を修正する案を可決した。今年度中に製本し、来年4月から先行実施10校で使用する。
今年4月末時点では、南京事件を「南京大虐殺として国際的な非難をあびた」とし、被害者数も過大な数字を記述するなど、日本の過去の歩みをおとしめる記述が多く見られた。しかし、9月の最終案ではこうした記述はほぼ修正され、南京事件は欄外記載となり「大虐殺」の表記は削除された。
今回はさらに9カ所を見直しており、県教委は「生徒が歴史的事実を客観的に考えられる記載とする視点などから検討を行った」と説明している。
この夏はすごく暑かった。今も暑いが続いている。夏休みが暑いのは仕方がない。ただ、2学期が始まってから、この暑さは耐えれない。なぜなら、教室にクーラーがないからだ。教室の温度は36度だ。これでは生徒たちに「集中して勉強しよう」と声をかけずらい。それぞれの学校が対策を練って凌いでいるが、やはり、ク-ラーのついている学校にはかなわない。
さて、それではなぜ教室にクーラーがつかないのか。単純にお金がないからだ。市や県にお金がないから予算がつかないだけの事なのだ。
しかし、そう決めつけても良いものか。
教育委員会や役所の融通の利かない体質がそうさせている部分もあると見る。
話は変わるが、昔ある教師が、校庭に1,5メートルほどの高さの柵をつくり、学校農園にクラブ活動で飛んでくるボールが入らないようにした。それは農園だけが困るのではなく、クラブ部員が、ボールを探すのにとっても困っていたからだ。
しかし、学校に予算がないので、農園担当の教師が、農家や様々なところから木やネットを都合して作りだしているところへ、教育委員会から横やりが入った。「そんなものを作って、もし子どもがけがをしたら誰が責任をとるのか」だった。いわゆる責任問題だ。市民へのサービス心より自分たちの立場を死守する公務員体質の露呈だ。
学校には予算がない。市も配分してくれない。だから子どものためにがんばって都合をつけてきたのに、この仕打ちかと、うなだれた農園担当教員はなすすべもなかった。
クーラーを教室に取り付けるには、家庭用のクーラーでは弱すぎる。事務所級の大きさのクーラーが必要だ。多少古くても学校には十分なので、そういう事務所などの御下がりをもらえばすべて解決する。ただし、それを取り外して、教室に取り付けるにはある程度専門的な技術がいる。教員でも慣れれば出来るが、市民からボランティアを募ればよい。
また、少し馬力が弱いが、家庭用で良ければ2,3台もつければ、この暑さはしのげる。
あとは学校が、先程の農園担当教員のように様々なところへ都合をつけに回る気概があるかということと、役所が融通きかせられるかだ。
そして、いかに役所を動かせるように説得する人間たちがいるかだ。
各都道府県で違うが、夏休みに、8時30分より職員朝礼をする学校もある。
まあ、タイムカード制のところは、夏休みといえどもきちんと出勤だ。一時間でも早退は時間休をとる。
しかし、適当な時間に来て、部活動をして、ふらーーっと飯を食いに行って、帰りたければ帰る。これが普通だ。私はそれでいいと思う。ただし、中学校の話であって、小学校や特別支援学校は別だ。中学校は日々の勤務が激動の日々、それくらいしても余りある労働だからだ。
まあ、とにかくこの夏休み勤務形態の件に関しては、隣の県とは違うみたいだ。日本では統一されていないみたいだ。
組合が強い県ほど休みは楽に取れるのが基本だったが。組合や団体が強すぎて、闇給与や闇退職金など、今まで常識では考えられないくらい税金を公務員に垂れ流してきたところは、逆に監査が激しくなり、叩かれて、締め付けにあっているようだ。
もし、私が保護者なら、学校の実態を知ったら怒りに満ちるだろう。ただ、保護者は、真実を見ていないから、的外れな攻めを学校にしている。
学校は変われる。そのために次の2点が必要だ。
①校長のリーダーシップ発揮
②ビジョンを持った管理職の登用
①については、国民は実態を知らなさすぎる。いかに校長はリーダーシップを発揮できていないかだ。
理由は簡単だ。組合が強いからだ。校長も教育委員会もそれに屈しているからだ。
もうひとつは、校長になってからは保身一本。無事退職できれば良し、安泰を目指す。責任を持って改革しよ
うとする気概が生まれない。
②はビジョンンを持った教師はたくさんいる。しかし、それを発掘出来ていない。また、志やビジョンを持った教
師は管理職になるより生徒と向き合う一教員を目指す人も多い。つまり、管理職に希望や夢がなくなっている
から目指す人も名誉欲が強い人がなるという悪循環が出来ている。