公立学校の真実
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それはさておき、すでに22年度東京都公立学校教員採用試験の結果が出た。
そこで目を引くのが 特別支援学校教員の倍率だ。
数学1,3倍
理科1,3倍
これは一般校の数学の4,0倍に比べてはるかに低い。 多分日本中探しても理数でこの低さは断トツだろう。
後は考えられるとしたら大阪市の特別支援の理数かなと思われる。
また、技術は1,0倍だからさらにすごい。答案用紙を出したもの全員合格なのだ。
一方、社会はなんと24,1倍。理科系科目を遥か彼方に凌ぐ高倍率なのだ。
さて、これからこれらを論じていきたいところだが、やはり時間がない。またの機会にしたい。
「携帯を持ってきた生徒をどう指導するか」の場面指導だったそうだ。他の受験生が指導しているのを見て「あほらしなった」と言っていた。
理由は、指導が「規則だからだめだよ」と説教しているからだったという。
今どき、「規則だからやめなさい」で辞める中学生はほとんどいない。それで辞めるのはよほど良い子だと言う。その通りだと思った。
困難校では、社会のルールなどいとも簡単に日常的に破られている。学校の規則だからやめましょうね、の指導など吹っ飛んでいる。
もし試験官がそれで合格させたらと思うと不安が残る。
少なくとも私の現場にはいらない。重荷になる。
心ある鍛錬された試験官なら、悪いことは悪いとはっきり言わなくてはならないが、それをどう彼らのハートに迫るように届けるか、くどくどと説教じみたことは通じないと知っているだろう。
やんちゃは小さい時から教科書に書いてあるような説教は言われ続けてきている。耳にたこ状態。そんな彼らに通用するのはそれを打ち破る教師のハートしかない。
言葉でつらつらと言うほどやんちゃは聞く耳を持たなくなる。それを面接官様は理解されているはずだ。きっと。
昨日ニュースで分かったが、今の駒沢大学4年生は就職求人数は昨年8000人から6000人に落ち込んだという。
あと1年大学に残って就職浪人も奨励しているようだった。お金が掛かるな、親はたまったもんじゃない。
しかし、シンクタンクによれば今年より来年、つまり今の4年生より3年生の方が就職はさらに厳しくなるという。
採用数を激減させている企業もあるが、内定取り消しなどという、あってはならないことも多々起こってきた。
そのような中で、教員に挑戦する者たちがいる。しかし、教員採用試験に見事合格したとて、県によっては安心してはいられない、合格=採用ではないからだ。
つまり、合格=4月1日よりの1年間の採用者名簿登
載と言うことである。だから実際に採用されないことも
あるのだ。
今の時代これはおかしいのではないか!!!
内定取り消しとまではいかずとも不安を掻き立てる採用の仕方だ。
合格し採用者名簿に載るが、確実に採用されないとわかると不安で仕方がない。さらに他に決定している企業を蹴って採用を待っている者もいる。
そこを今の時勢を見て教育委員会はどう考えているのか。
いつまでも採用側が殿様商売をしている場合ではない。
若者たちの身になって採用をキチンんとした形でまず教育公務員が率先して行うべきだ。
6人ほどで場面指導の協議がある。その協議内容を採点するというのだ。もう少し詳しく伝えると、6人がそれぞれ違った課題をもらいその場で後の5人を生徒に見立てて指導するという。
全員終わるとそのことについて協議するというのだ。協議の時間も10分ほどという。一人が2回ほど発言するかしないかである。
ここである県から出ている、場面指導における教員選考の方針たるものを見てみよう。
(1) 指導場面を的確にとらえ、適切に指導しているか。
(2) 積極的に発言し、その内容が建設的であるか。
(3) 周囲の状況を考えて話合いに参加しているか。
(4) 表情や動作に明るさや豊かさが感じられるか。
(1)は場面指導の状況そのものの時のことだと思える。
それ以降は協議の場面を押さえてのことだと思うが、講師の方が言っていたのは、合否がかかっている場面で、協議はなかなか自分を出してやりにくいということ。
積極性=厚かましさ
周囲の状況を考えて=謙虚さの表れ=消極的に見られる
など10分で判断されにくい要素も含まれているのは事実だ。
もう少し時間をかけて観ても良いのではないかと思う。
今、わがブログは教員採用試験で検索されるものが多い。
そんな参考になるものもないが、悲しさが湧き出る。
なぜなら、教員志望なる者は様々な無駄な知識によって判定されるからだ。
現場でそんなこと言うてたら、あいてにされんで。
と思うほどの知識偏重。教員は教科専門知識と、一般教養、教職教養がふつうにあり、あとは人間的魅力があれば十分だ。どれだけ人間が好きで、明るく、誠実か。これだ。
文科省がどういう見解を持っているとか、指導要領がどうかとかそれは教員になってからの研修で十分身に付くからだ。それを知らなくても、明日から十分に教師をやっていける。
しかし、人間性は教師になってからでは確実に遅い。
指導要領に精通していることが即戦力にはならない、教師力を計る物差しではない。重要なのは人間力だ。
そこを見るべきだ。
実は、我々が、受けた教員採用試験の方がひょとすると人間力を計っていたかもしれない。
こんなのがあった。号令テストだ。生徒を集め、号令をかける、校外学習の想定で生徒に語り、解散させて終わる。知識は必要ない。実際の場面そのものを演じ、気合いがあるかどうか、それだけだ。
私も気合いで行った。集合時、生徒役になってだらしている受験生を目を尖がらせて本気で怒った。そして最後は笑顔を忘れず。
それと面接。
質問の中に「生徒がひどく悪いことをした時、あなたは生徒に手を振り上げますか」という酷な質問があった。「はい」と言えば、体罰として法を犯すことになる。しかし、私はその場面では手を出すだろう。私はじっと考え「どつきます」と答えた。合格だった。
今なら、きっと問答無用の不合格!に近いかもしれない。
新指導要領へ右へ倣えの指導がこの困難な教育現場の解答たるのか疑問だ! 現実の中で本当に役立つのか。
指導要領が悪と言うのではない、現実は指導要領を忠実に実行すれば解決するという甘いものではないということだ。要領は頭に入れておいて自己研鑽に励み、そこから滲み出てくるもので実践せよ、と言いたいのだ。
どうだろう?
では、採用試験は受験生がどれだけ指導要領が頭に入っているのかを調べるものだ、と言われればそれまでだが、人間的に魅了する者でなければ、頭だけ優れていても、子どもから受け入れられず、つぶれていくのは事実だ。
はっきりいって指導要領を知らなくても人間的魅力と明るさが滲み出てくる人物なら現場ではエース級と言える。逆に言えば、現場のエース級が教員採用試験でどのような回答をするか見てみたい。
我々が実践で拠り所とするのは培ってきたカンと、保護者や生徒に対する純度の高い誠だ。
この誠が出せない教師はいくら口がうまくても最終的に誰からも信頼されない。
我々は、どんなに正論と正攻法で立ち向かっても、行けばいくほど保護者や生徒と縺(もつ)れるパターンがある。そのかわり、文科省、委員会の皆様から見ればかなりやばい捨て身の方法ですんなり解決への道に至ることもある。
自己を知るというのは本当に大切だ。
例えば、今行っている指導が、自分の面子でやっているのか、上司に気に入られるためかを振り返るということだ。その時、本当にこの生徒のためにやっているなら、それはきっと最後には信頼され、うまくいく。面子のためにやって一時的にうまく行った、周りから羨望の眼差しが来たとて、それはあくまでも一時的、最終章では悲しい結末で終わるのだ。
保護者はどれだけ教師が誠をつくして我が子に関わってくれているのか、それを見ているのだ。
長々とした文に成ったかが、教員採用試験の面接を突破するための本に載っていたこの部分を見てほしい。
「保護者からの苦情にたいして、どんな気持ちで対応をしますか。」
保護者からの苦情というと「理不尽な苦情」や「無為難題な要求」だけが注目されがちですが、よく聞けば保護者の純粋な願いであったり、学校や教師への励ましであったりすることもあると思います。
持ち込まれる苦情によっては、学校や教師にとって子供や保護者との望ましい信頼関係を築き、教育活動のさらなる前進のためになることもあると思います。
ですから、学校や教師の誠意ある対応が保護者の心に触れるものであれば、その苦情の大部分は解決できると信じて対応したいと思います。
これはまったく同感である。これに尽きる。
さらに進んで、「モンスターペアレント」という」言葉がありますが、そういう親からのクレームに対処したらよいですか。」
掲載回答例、ポイントと掲載している。
1、電話でのクレームの時は、「お会いしてお話を聞かせてください」と言って学校に来てもらう。
2、教頭か教務主任・学年主任等の同席のもとにクレームの内容を聴く。必ずメモをとる。
3、クレームの内容について事実確認をする。
4、事実が明白になったら、その対応策について上司の指導を受ける。
5、再び、保護者に来校してもらい、教頭か、教務主任、学年主任等の同席のもとに説明し、保護者の納得を
得る。
6、電話、ひとりでの対応は絶対に避ける。
私見
まず、引っかかるのが、1番である。
いろいろなパターンがあるが、クレームを出す親には「おまえらが来い」と言い出すことも十分考えられるのだ。その時はあくまでも来校を促すというより、保護者の状況を見て、「こちらから行きます」と先手を取って言う方が、素早く動いてくれていると見なされ、解決は早くなる。
さらにこの場合、保護者側から見れば2回学校に行く羽目になる。ここで保護者は本題に入る前に気分をややこしくさせてしまう。まあ、ここで掲載されているパターンは基本と言えば基本だが、一定御理解のある保護者様への対応と言ったところだ。
現場はもっと変化に富んでいる。
まあ、教員採用の受験生諸君頑張ってくれたまえ、やはり面接試験は、きれいごとになるかもしれないが、教科書的な準備本を見ておいた方がよい。なぜなら、まずは教員になることが先決だからだ。
これでよいのか採用試験
人物重視の採用試験になってきているのは世の教育界困惑事情を考えれば当然だ。しかし、その採用実態はいかなるものか。
ほとんどの都道府県で小論文が出題される。本当に小論文が書ける教師が必要なのか、小論文は人物重視のための選考道具たるのか。
面接においても、たかが、10分20分程度の面接で人間の本質がわかるのか。疑問が湧く。
場面指導、模擬授業と多々ある採用試験。
ホントに人間味ある奴を採用できるのか。それとも人間的に優秀な小人物ばかりを取ろうとしているのか。
今の中学校、後者ばかりでは絶対無理。
言い方を変えれば、少々やんちゃでもバイタリティーに富んだ馬鹿な奴でなければやってけないよ。
そんな中で最近この採用試験をクリヤーするための学校。そして、参考書、問題集などが出回っている。採用試験対策には確かに重要だろう。しかし、対生徒に重要かどうかは疑問だなぁ。
ある採用試験対策の面接攻略本でこんなことが書かれてあった。
「道徳教育を充実させるためにはどんな活動が必要だと思いますか。」
掲載の模範解答
道徳教育は、道徳の時間を要として、学校の教育活動全体を通じて行うものと考えます。そこで、道徳の授業を教員相互及び保護者へ公開することが必要だと思います。さらに、自然体験活動や動植物や命の大切さを重点にした体験活動、ボランティア活動、キャリア教育的な視点を加えた取り組み等を自動、生徒の発達段階に配慮しつつ展開し、道徳の時間にリンクさせる必要があると思います。
さすが模範解答。すばらしい。
しかし、模範すぎて、実際道徳授業を公開するって、それホント?と言いたくなる。けど公開して授業研究するのがいいんだろうが。新人がそれを言って、ううんホント教科書通りって感じでくすぐったい。
「生きる力とはなんですか、また、それを育む指導の具体策を上げてください。」
掲載模範解答
生きる力とは、変化の激しいこれからの社会を生きるために子供たちに身につけさせたい「確かな学力」「豊かな人間性」「健康と体力」の3つの要素からなる力と考えられます。それを育む指導は全教育活動の中で取り組むことを基本として、特に「確かな学力」を教科指導の中で、「豊かな人間性」を道徳教育の中で、「健康と体力」を体育の中で、それぞれ学んだことを深化、発展させながら、自分のよさを認識しながら、更に他への思いやりを身に着けられるようにしたいと思います。
すばらしい、学習指導要領の理念そのものを右から左だ、間違いのない的確な解答だ。
このような模範解答が本の中で続く。
現職教員よ。
新指導要領へ右へ倣えの指導がこの困難な教育現場の解答たるのか疑問だ! 現実の中で本当に役立つのか。
指導要領が悪と言うのではない、現実は指導要領を忠実に実行すれば解決するという甘いものではないということだ。要領は頭に入れておいて自己研鑽に励み、そこから滲み出てくるもので実践せよ、と言いたいのだ。
どうだろう?
では、採用試験は受験生がどれだけ指導要領が頭に入っているのかを調べるものだ、と言われればそれまでだが、人間的に魅了する者がなければ、そんな教師ほど硬くてつぶれるだろう。
はっきりいって指導要領を知らなくても人間的魅力と明るさが滲み出てくる人物なら現場ではエースと言えるのだ。逆に言えば、現場のエース級こんな回答をするかが疑問だ。
我々が実践で拠り所とするのは培ってきたカンと、保護者や生徒に対する純度の高い誠だ。
どんなに正論と正攻法で立ち向かっても、行けばいくほど保護者や生徒と縺(もつ)れるパターンがある。そのかわり、文科省の皆様から見ればかなりやばい捨て身の方法ですんなり解決への道に至ることもある。
困難校であればあるほど、捨て身のパターンは多い。
保護者はどれだけ教師が誠をつくして我が子に関わってくれているのか、それを見ているのだ。
次に
私も困難校で担任の時、ほとんどの指導が正攻法ではなかった。それでも自信を持って卒業させ、その子たちと同窓会を何度も持っている。
面接で私が答えるとなると、100パーセント不合格だと思う。
また続く。
今年から堺市は大阪府から独立して他府県にも説明会場を設置し大々的に教員を募集している。
しかも、ホームページをみても独創的と言える意気込みが感じられる。
集まりはかなりよさそうという感触はある。
しかしおかしいのではないかという声が一部から上がり始めている。
それは一旦結婚や子育て、里帰り等で退職した教員等の受験者から出ている。
声としてはこうだ「私学教諭経験者は1次試験での一部科目の論文への振り替え等措置があるのに、公立学校教諭経験者にはないのは理解に苦しむ」ということらしい。また、講師経験者にも同様の措置が敷かれてあるが、教諭経験者にはないという。
もしこれが本当だとしたら。要するに、教諭経験者は一般教養、教職教養の知識理解は特別にあるとは思えない、講師経験者よりもないと公的に発表しているようなものだ…。
それを聞いた私は「なにかの間違いだろう」と軽くあしらっていた。なぜなら他府県では、経験者の特別採用方法において講師経験よりもちろん教諭経験の方が上位にあるし、私学関係経験者を排除している県もあるからだ。
しからば私が調べよう!と血が騒いできた。
いつものように直接電話だ。
堺市教育委員会に℡!
結果
教諭経験者は特別措置はなし、社会人等の特別採用試験にも入らず(東京都は入る)つまり教諭経験者は一般受験と同じようにすべての試験を受けなければならない、とお答をいただきました。
理由はわかりません!
確かに「おかしいぞ、堺市教員採用!」と燻られてもおかしくはない事実ですね。
発見
次の①②のいずれかの勤務経験があること。
① 平成19 年4 月1 日から平成21 年5 月31 日までの間に国公私立学校※4 において、講師又は
養護助教諭(私立学校は教諭としての勤務経験を含む。)としての勤務経験(非常勤としての勤
務経験は除く。)が1 月以上ある人で、その勤務経験が平成21 年5 月31 日までに過去の勤務
経験と通算して3 年以上(休職中である期間を除く。)あること。
② 平成19 年4 月1 日から平成21 年5 月31 日までの間に堺市立学校園において、講師、養護助
教諭又は実習助手(期限付任用を含む。)としての勤務経験(非常勤としての勤務経験を含
む。)が1 月以上ある人で、その勤務経験が平成21 年5 月31 日までに過去の勤務経験と通算
して1 年以上(休職中である期間を除く。)あること。
※4 私立学校は、学校教育法第1 条及び第2 条に該当する学校をいう。