公立学校の真実
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例えば、夜7時になっても教員たちが職員室に散見している。これは以前、私にとっての日常風景だった。しかし、今、異様に思える。
委員会のHPに載っている常勤講師の労働条件には17時までと記してある。
これは真っ赤な嘘だ。
笑うしかない。
こういう嘘の表記は法律に違反しないのだろうかと思ってしまうのだ。
中学校では17時はまだ部活動が終わっていない。
顧問は指導を放り出して帰ることはできない。
それに今日も3年生は17時から進路書類の点検をしていた。
「3年生だから仕方がない」と思い込み、だれも文句を言わない。
そういうことに文句を言おうものなら、熱意のないサラリーマン教師と思われるかもしれない。
私が朝学校に到着すると、部活動の生徒たちが走り回っている。そこには指導者が立っている。これも昔自分がしていた日常の風景だ。
しかし、変だと思うのだ。
なぜ、7時から教員は勤務しなければならないのだろうか。
思い出してきた。 生徒のためにやっているんだ。
生徒たちが喜ぶから、保護者が応援してくれて自分の評価が上がるからだ。
県大会出場!「先生すごいですね」と言われ「いやいや」といいながら・・
県大会〇位!! 心の中で「どうだみたかー」。
保護者からも生徒たちからも熱心な教師だと思われ、自分は熱血をやっているという大いなる満足感。
それが俺のえさだったことを今思い出した。
しかし、無意味とまではいかないが、今はそれらがなぜか色褪せて見えてきている。
今日は6日、始業式や入学式が行われている学校も多い。学級担任や部活動顧問の紹介も行われただろう。教員はようやく担当するこどもたちと出会い、様々な思いがあるものの、とりあえずホッとしたことだろう。
新しく、その学校へ赴任した教員に焦点を当てたい。
赴任先に一人でも二人でも知っている先生がおられるなら少しは緊張は和らぐ。まったく知らない学校へ赴任したら、しゃべる相手もいないし、どう自分を表したらよいのか分からないし、不安と緊張が頭に走る。
それが子どもたちが登校し、出会いを深めると、少しずつ元気になる。やっぱり、教員は子どもと出会うことが仕事だからだろう。
さて、現役の先生方、頑張ってください。陰ながら応援しております。
第一に、教員人気を上げたい、なり手を増やしたいのであれば、今の学校現場で働いている先生たちを大切にする施策を打つべきである。・・中略・・
今の先生たちが生き生きしていないと、駄目なのだ。はっきり申し上げると、中高生向けに説明会などをする暇があるなら、学校を支援するほうに教育委員会は人手と予算と時間をかけるべきだ。「教員はこんな魅力があるよ」といくら動画や説明会でPRしても、それは、都合のよいところを切り取っているだけと思われるだろうし(その程度の批判力のない人が教員になるなら、逆に心配だ)、よき恩師に出会ったなどの体験に勝るものにはならない。・・ 中略・・
教員人気を左右する最大の広報の場は、今の学校現場にあるのであり、説明会やYouTube上ではない。
最後の下線部が妹尾氏が一番言いたいことなのだろう。生き生きと働いている教員の姿こそ、若い人たちの教師を志す礎となるということだ。これにはまったく同感だ。
元校長らも含めて、私の知っているどの退職教員に聞いても、担任は二度とやりたくないという。正確には、「やれない」という方が正しいかもしれない。理由は自分たちが担任のころと比べて仕事の数が増えているし複雑化しているし、仕事が厳格化しているからだという。体力的に弱っているということもあるだろうが、「やれない」が一番の本音だろう。
三十数年ほど前の話だが、中学校に勤務していた時、夏休みは本当に心身ともに休養が出来た。午前中は部活動をし、午後からは本屋に涼みに行くと同時に、本を読み漁った。夕方にはゆったりとした気持ちで夕食を食べることができた。 しかも、夏休みという期間も今より長かった。
そのような健康的な生活がひと月でもあれば、心身リフレッシュできる。今は研修などで縛られ、休養できない。
このような縛られた感覚になっている教員のいる学校を見て、教員になろうとは思わないだろう。
個人の力でそれぞれが生徒たちに対応しなければならない。
教師がそれぞれにバラバラな思いで違ったことを生徒たちに発信することになり、教師の指導にスキが生まれる。
しかし、生徒たちの質と言えば失礼だが、素行がよければ、それでも問題は表面化しない。
うまくいっていると教師たちは見る。
生徒たちの可能性や個性を伸ばすことができているのかと言えば、ひょっとして10を7に落としているのに、7ですばらしいと観て満足しているのかもしれない。
静かにしている、教師の言うことを聞いて学習している、生活面で乱れがない。
そんな表面を見て満足している。
だが、なにかもの足りない。
我々は、人間の表面だけを育てているのだろうか。
内側はどうなったのか。
いや、道徳心とか常識ではない。
自分の願いに気づき、志を持ち困難な社会に一石を投じることができる力だ。
この変化の多い、「まさかの時代」には、大きな変化に対応し、斬新な考えを示し、チャレンジし続けなければ前に進まない。そんな力だ。
教師とは枠の中で古い考え方にしがみついた、飼い犬のようだ。
チャレンジしようとしない安穏とした教師集団からは、世界を変えるような個性ある人物は育たない。 そう、逆に輝きは押さえつけられているようにも感じる。
老教師である私であるが、これからは同僚に一石を放つことができる教師であり続けようと思う。
まず、私からだ。
愚痴をいっている暇があれば実行。
できないとあきらめないで違う方法でやってみる。
可能性のある生徒を、生き生きとした生徒を一人でも輩出するためにここを去るまで全力を尽くし続ける。
朝はちょっとした作業。
実は昼からはやることがなかった。
会議もない、年度初めにやる主要な準備はすでに終わっている。
横の女教員は机に伏せて寝てる、前の若い講師たちは採用試験の勉強をしている。
これが6日まで続くとしたら、恐ろしく暇なように思えてきた。
教材研究をするにも体力忍耐力に限りがある。
職員室は、15時からぽろぽろと時間休をとって帰りだし、16時になれば4分の1はいなくなる。5時30分になったらほとんど職員室は空になる。
日々の動きとして、教員は動き回っているので、座り続ける働き方に無理がある。
ずっと机に座り、何かをし続けるなんて考えてもいなかった。
部活もないから、外へも行かない。
これが毎日続くと思うと、年休取って家で好きなことをしたいと思えてきた。
仕事がないのに学校へ行くなんて
税金を無駄に使っている。
そう思っている教員は多いかな。
声にだすと本当に減るかもしれないので言わないだろうが。
他の部屋で仕事をしていた。夕方6時を回った。
職員室にかえると数名しかいない。
ほとんど帰った。
いつもだったらこれから仕事が始まるというのに。
今日、保護者に会った。「先生は大変やわ」という。
何がたいへんかな。
吹き出しそうだったが、世間では学校は大変という。
あえて言うならば… 中学3年生のこの時期に最後のまとめができない、これが心残りとなるだろう。
それ以外はそこまで大変とは感じない。
逆に体は楽だし、精神的にも余裕がある。
私はこの余裕を使ってこの週で仕事をかたずけ、来週で次年度の仕事をし、本来の春休み25日からは、老後破産に備えるために勉強する。
だから余裕はない。 追われている感じだ。
とはいうものの、生徒を目の前にして指導がない。
楽。
明日もきちっと8時30分には学校へ行き、職朝をして、そこから仕事の段取りを組む。生徒がいないので朝に余裕がある。
部活もない。土日も部活はない。
一生に一度あるかの余裕の日々。
しかし、もうそこまで次のカオスがきている。
しっかり備えよう。
その福島商業の出身の人と話をする機会があった。頑張って公務員試験に合格し、数々の資格をとり、賃貸業を0から始めて今では年収2000万の収入を得ている。
ある地方の3流私学出身の人は、みんなが知っている有名な学校の校長をしている。
教え子で、大阪産業大学を出て教師をしている者がいる。熱心に生徒指導の方で頑張っている。
どこの学校を出ようが、頑張っている人は伸びる。
教師はほとんど出身大学は関係ないだろう。やる気のあるものが生徒から慕われるだけだ。逆に難関大学を出て威張っている人間は残念なながら必ずしも生徒から慕われていないのが現状だ。
やはり、教師は人間性だ。
生徒の学習、友人関係、親子関係などの困難な状況は改善されるのだろうか。その背景に保護者の経済的、身体的そして精神的な困難な状況が存在する。
それらを無視して担任は前へ進めない。
保護者と面談すると、子供のことだけでなく、保護者自身が抱えること、そして経済的しんどさなどを吐露される。
それが今年は多すぎる。
私には、どうもできない。聞いていて重たくなる。出来る限りのことをしてあげたいとも思う。
部活動でも、練習をたくさんやりたいからもっと練習させてくれと生徒は言う。休みの日に学校に来て勉強したいとクラスの生徒はいう。それらの要請にすべて応えていると体が衰弱していくのがわかる。
しかし、不思議なことに衰弱しながらも力が湧いてくるときがある。表現が難しいが。
明日も学校だ。久しぶりに今日は8時間寝た。少し体が戻った。今からの時間を有効に使い、明日に備えよう。
そして少しの間、これからの身の振り方をかんがえよう。第2の人生、この困難な状況を打破する水流の一滴になりたいから。
転勤しなくても、退職でさようならとなる人もここ数年多くなってきた。
来年度の学年主任、●●主任もすでにほとんど決まっている。決まっていないのは来年、どの生徒をだれが担任するかだ。これは4月にならないと出来ない。一応のクラス分けは3月中にしておくが、それもほとんど仮状態の時もある。
今年は3月に一息入れたい。4月になれば戦争が始まるからだ。いつも4月から戦争なのだが、歳のせいか学期の終わりには体をゆっくりさせなければ次の学期に動けなくなる。でもクラブ活動が…ああっある。でもあいつらでやらせておこう。3日間jはゆっくりしたい。26から28日くらいかな家でなにもしないでゆっくりしたい。
明日、学校に行ったらもう一度、クラブの計画を見て休養計画を練ろう。来年度は大変な年になりそうだからな。
忙しいというか、エネルギィーがここにまで行かないのだ。
2012・10・23 朝日デジタル
大阪府教委は23日、来年春採用の府内の公立学校教員採用試験で、平均倍率が4倍で史上2番目の低さだったと発表した。中学の理科では倍率が2を切り、府教委は「水準に達する人材が確保できなかった」として異例の追加募集を行う。
大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)の主導で厳しい教員評価などが盛り込まれた条例の施行後、初の採用試験。大阪府では橋下前知事時代から給与カットが続き、小中学校教員の平均基本給が全国平均より月約2万8千円低いことも響いた可能性があるとみられる。
倍率が下がると教員の質の維持が難しくなるため、府教委は、出身大学の推薦を受けた受験者の1次試験を免除するなど受験生確保に腐心。だが中学理科の倍率は、大阪の1.9倍に対し、近隣の兵庫県は3.1倍、京都府は3.85倍、中高の教員を共通枠で採る東京都では5.44倍。理数系教員の確保は他の自治体でも課題とされるが、中でも苦戦ぶりが目立った。
府教委は、中学の理科と技術科の教員を約15人ずつ追加募集する。試験日が重なった九州に潜在的な希望者がいる可能性が高いとして、福岡市内で試験を行う予定。
ということだが…、大阪は人気のない職場だ。
また、中学校では生徒や保護者からの教員の評価も実施された。授業について個々の教師の評価を生徒と保護者がアンケート形式で行う。アンケート用紙は保護者らが糊付けなどで封筒に閉じて入れ、担任が集めて管理職のみがみることになる。これが給与などに影響する教員評価に響くこととなる。
日教組の思想教育はいやだが、上からの監視や押し付けも意欲を削ぐだろう。大阪の友達は言う、「もの言わぬ教師が多くなった」と。裏を返せば、校長からの通達や連絡などが反発もされないが真摯に実行もされなくなったという。