全力を尽くす教師になる
報告、連絡、共通理解の機会がないと、よい知恵が積み重ならない。

個人の力でそれぞれが生徒たちに対応しなければならない。

教師がそれぞれにバラバラな思いで違ったことを生徒たちに発信することになり、教師の指導にスキが生まれる。


しかし、生徒たちの質と言えば失礼だが、素行がよければ、それでも問題は表面化しない。

うまくいっていると教師たちは見る。


生徒たちの可能性や個性を伸ばすことができているのかと言えば、ひょっとして10を7に落としているのに、7ですばらしいと観て満足しているのかもしれない。

静かにしている、教師の言うことを聞いて学習している、生活面で乱れがない。

そんな表面を見て満足している。



だが、なにかもの足りない。

我々は、人間の表面だけを育てているのだろうか。

内側はどうなったのか。
いや、道徳心とか常識ではない。

自分の願いに気づき、志を持ち困難な社会に一石を投じることができる力だ。


この変化の多い、「まさかの時代」には、大きな変化に対応し、斬新な考えを示し、チャレンジし続けなければ前に進まない。そんな力だ。

教師とは枠の中で古い考え方にしがみついた、飼い犬のようだ。

チャレンジしようとしない安穏とした教師集団からは、世界を変えるような個性ある人物は育たない。  そう、逆に輝きは押さえつけられているようにも感じる。

老教師である私であるが、これからは同僚に一石を放つことができる教師であり続けようと思う。

まず、私からだ。

愚痴をいっている暇があれば実行。

できないとあきらめないで違う方法でやってみる。


可能性のある生徒を、生き生きとした生徒を一人でも輩出するためにここを去るまで全力を尽くし続ける。





























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2020/08/01 11:40 | Comments(0) | 教師の意欲

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