公立学校の真実
★★★
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
平成25年にいじめ防止対策推進法が施行された。その後、学校はどう変わったのか。
私の情報網の中で、次の2つは我々の心に留めておくべき事例と思われるので挙げておく。
ある学校のあるクラスであきらかないじめがあった。
いじめた生徒も反省している。
しかし、いじめられた生徒は教室には入れない。教室にはいじめた生徒がいるからだ。
はじめは、いじめられた生徒が別室で授業を受けていた。
しかし、ある時期が過ぎて、いじめられた生徒の保護者が、
「いじめられた方が教室に入れず別室というのはおかしい。
いじめた方が別室にいくべきだ」
と校長に強く訴えた。
校長は折れ、訴えは通りいじめた方が別室に行くことになった。
しかも、訴えはそれだけにとどまらず、学年のすべてのクラス替えの即時実行を要求してきた。
校長はこの要求も飲まざる得ず、この3学期から年度途中ではあるが要求通りクラス替えをする。
次は、学校側がいじめの事実を認めていない時に起きた事例だ。
学校はいじめを認めていない。
だから、いじめられていると認識している保護者は、学校に不信感を持ち、その証拠を見つけるために自分の子供にボイスレコーダーを潜ませた。
決定的な事実をつかもうとしたのだ。
ところが、ボイスレコーダに録音された中に、A教師の不適切と思われる言葉が入っていた。
それを保護者から問われたA教師は、録音されているとも知らずに「そんなことは言っていない」と反論した。しかし、それは録音されていた。
保護者の学校不信や怒りはさらに増幅し、学校は大変な状況になっている。
学校ではすでにこのような流れが始まっている。
いずれにしても日々誠実な対応を心がけること以外に道はない。
保護者と意地になって勝負してもよい結果は生まれない。
保護者の痛みを理解することがすべての解決の道だ。これ以外に最善の道はあり得ないだろう。
いじめやいやがらせのまったくないクラスなど今まで見たことも聞いたこともない。
いじめの大小はあろうが、クラス編成後から終わりまでいじめ大小がゼロのクラスなど拝見したいものだ。
人間が数人集まれば問題が起こる。それが40人も集まれば、問題を作るために集めているようなものだ。クラスにはさまざまな生徒がいる。考え方もさまざまだし育った背景も環境も違う。
クラスに問題が存在しないようにすることがすばらしいのではない。問題は生まれて当然と考えるのが本当ではないか。
重要なことは、みんなでクラスの問題を解決するために悩み知恵を出し合っていく過程を生徒たちが経験することだ。
人間が存在する限り、すれ違いや排除の心理が働くのは当然だ。自己顕示欲もある。 少なくとも私にはある。
しかし、そこからなんとか道を探しクラスを変えていくことは必ずできる。そのときのクラスの最後は感動的だ。
いや、1年生では解決できずとも、2年生、3年生と成長するたびに解決能力が上がる。そして、卒業時に感動的なシーンを生徒たちが演じてきたこともたびたび見てきた。生徒も私も涙だ。
そのとき、人間てすごいと思った。こいつらすごいやつらや…と思った。
しかし、それでも100パーセントクリーンな状態は無理だった。
3学期もクラスのさまざまな問題を解決するために保護者や生徒と一緒になってがんばりたい。今日から出勤だ。
一般公開に踏み切った理由について、沢村憲次教育長はこの日の記者会見で「保護者に渡すと当然外に出て行くし、一般市民にも伝える必要がある」と説明。同中学の在校生約880人の保護者に対し「希望があれば学校で手渡す」という内容のメールを送り、生徒にも案内書を配った。希望する保護者に市議会で配布したのと同じ資料を配る。
公開された資料は、在校生が書いた回答を教員がパソコンで一覧表に整理したもの。昨年10、11月に実施した2回分で、加害者とされる同級生の名前などは白く消されている。(毎日新聞)
我がクラスにもいじめはある。加害生徒はそのたびに親とも話し合い謝罪しているがやめない。人間はなんと弱く悲しい存在なんだろう。前のクラスもいじめはあった。いじめとは異質を排除する人間の本能のようだ。癖にも近い。
男子同級生を全裸にさせ、携帯電話で写真を撮影したうえ暴行し、用意した排泄物を持たせて教諭の車にすりつけさせたとして、滋賀県警高島署は16日、強要と暴力行為処罰法違反の疑いで、同県高島市立中学校3年で14~15歳の男子生徒3人を逮捕した。同署によると、3人のうち2人は容疑を認めているが、1人は「強要はしたが、手は出していない」と一部容疑を否認している。
- 3人の逮捕容疑は今月11日の同校で、男子同級生(15)を全裸にさせ携帯電話で写真を撮影。足で蹴るなど暴行をしたうえ、用意していた排泄物を同級生に持たせ、校内に駐車中の男性教諭の軽乗用車にすりつけるよう強要したとしている。
市教委によると、事件翌日の12日、保護者が同署に被害届を提出し、学校にも連絡。学校側の聞き取りに3人は「からかい半分でやった」などと話したという。学校側は3人のうち2人が今年6~7月に数回同級生を叩くなどしたことを把握、2人を口頭注意していた。
いじめの認知件数は計1602件。全日制が1466件、定時制では136件だった。
具体的ないじめ行為(複数回答)は計2952件で、最も多かった「悪口を言われたり、おどされたりする」は計911件。そのほか、「仲間はずれにされたり、無視されたりする」(571件)、「たたかれたり、けられたりする」(398件)-などが目立った。
認知したいじめのうち75・8%にあたる1214件は教諭らの指導などで解消されたが、残る388件は継続しているという。
調査は、桐生市立新里東小6年の上村明子さん(12)が自殺した問題を受け、11月に県下の全日制、定時制高校計82校、4万711人を対象に実施した。
群馬県桐生市で小学6年の上村明子さん(12)が自宅で首をつり、短い人生に自ら終止符を打った。家族は学校でのいじめを苦に自殺したと訴える。しかし学校側は明子さんが学級内で孤立していたことは認めながらも「いじめの認識はない」と否定する。高木義明文部科学相や同県の大沢正明知事はいじめの存否を含めた調査を指示したが、学校側との埋まらない溝に家族の苦痛は増すばかりだ。
明子さんに自殺を決意させたのは、意を決して参加した「社会科見学だ」と父の竜二さん(50)は振り返る。
10月に入り休みがちだった明子さんは21日、前橋市内の県庁や地裁を回る社会科見学には参加した。当日の朝、リュックを何度も笑顔でのぞき込む姿を竜二さんは鮮明に覚えている。
だが、社会科見学に臨むと笑顔は消えた。「こんなときだけ来るのか」。同級生が放った一言にふさぎ込んだ。そして、二度と学校に行くことなく23日正午ごろ、自室のカーテンレールにマフラーをかけて首をつった。マフラーは母(41)へのプレゼントに自ら編んだものだった。
いじめは明子さんが愛知県から転校した1年後の5年生に始まった。授業参観に訪れたフィリピン人の母の容姿について悪口を言われたのがきっかけだった。
クラス替えした6年生から無視が始まり、今秋には給食時にグループに加われず独りぼっちで食べていた。「転校したい。どんなに遠くても歩く」と、明子さんは何度も両親にすがっていた。
今、いじめによる転校は認められている。文科省からその旨の通達があった。少なくとも私の学校では出来る。
ただ、どこに訴えっていくかだ。学校よりも直接県教育委員会に行く方ががぜん良い。なぜなら理由は2つある。まず、管理職がその通達を理解していない。もう一つは、学校がいじめによる転向をなぜか嫌がる傾向があるからだ。
一番手っ取り早いのは、住所を移すことだ。だから、私はそこまで子供が学校を嫌がるなら転向を勧める。
一方、学校側は明子さんの悪口を言う児童への注意や、班ごとで給食を食べるように指導。だが、事実上クラスを統制しきれなかった。岸洋一校長は「よくない状況だったが、いじめとは認識していなかった」と強調する。
こうした状況を受け、高木文科相は26日、事実関係の確認を行う考えを表明。さらに大沢知事も27日、「(自殺までに)シグナルを発していたはずだ」と述べ、検証を確約した。
家庭科と体育が得意だった明子さん。将来はパティシエになる夢を抱き、転校当初は「友達がたくさんできたらいいな」と家族に笑顔で語っていた。竜二さんは「娘の夢はかなわなかった。学校はいじめを認めてほしい。それが唯一の願いだ」と切実に訴えた。
(産経)
教育再生会議が緊急提言へ
“いじめた生徒は出席停止”
学校でいじめによる自殺が相次いでいる事態を受け、安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は25日、いじめ問題に対する緊急提言を来週にもまとめ、公表する方針を固めた。
都道府県や市町村の教育委員会に対し、〈1〉いじめた児童・生徒に出席停止など厳しい対応を取る〈2〉深刻ないじめ問題が起きた場合に備え、緊急に学校を支援する態勢をつくる――ことなどを求める。
同会議は来年1月に中間報告を作成する予定だが、自殺問題を重く見て、法改正などが不要の緊急対策を早急に打ち出すことにした。文部科学省も速やかに対策を講じる考えだ。
学校教育法では、「児童の性行不良で、他の児童の教育に妨げがある時」は、市町村教委は保護者に対し、その児童の出席停止を命じることができると定めている。具体例として、傷害、心身の苦痛、財産上の損失などを与える場合を挙げている。
文部科学省はこれが同和校でさっそく出来ると思っているのだろうか。?
同和地区以外の生徒の出席停止なら同和校でも出来るよな管理職諸君。
一連のいじめ自殺の報道、各サイトの批判怒りに関して少なからず教師は疲弊しているはずだ。まだエネルギィーの余力のある教師は反感を持っている。
つまり一方的にあれだけ批判されれば、世間の目を気にしてしかも生徒の目も気にしすぎてしまい50パーセント以上はいるまじめに勤めている教師は萎える。
自分のクラスに不登校があれば、まじめな教師ほど「自分の責任だ」と思い込みやすい。
また、クラスにいじめがあれば、いつ保護者や他の教師、管理職から責められるかわからない・・・と、解決に向かうエネルギィーが周りの目に釘付けになり本来のエネルギィーを注げない。
数パーセントの教師たちの行きすげた行動だということを常に頭において行動して欲しい。
教師の中にも厄介なのはいる。確かだ。しかし、あえて力強く言う、まじめにいやそれを超えて生徒に向き合っている教師もいる。
そんな教師は大きい口を開いて自分のしてきたことをいわない。
本当に陰でひそやかにしかし、痛々しく生徒を支えている。
夜回り先生が報道されているが、それに比べてはるかに小さいが、夜回り先生と同じような気持ちで生徒に接し、涙を流しながら、倒れそうになる心を立てながら頑張っている教師をたくさん知っている。
いじめ自殺事件へのマスコミの怒りの報道は十分分かる。国民の皆様の怒りやあきれた気持ちはわかる。
しかし、責め一本では浮かばれない教師もいることは確かだし、普通の教師も、学校もさらに閉じこもり、体質として管理職、委員会はより強い城壁を頑丈に固めるだけに終わってしまう。
これは真実だ。
今多くの学校ではいじめ自殺事件の後「今のこのような世相を考え、各クラス、学年のいじめやいやがせについてもう一度アンテナを張っていただき…」というような伝達事項が管理職からされたであろう。
その本音は、本当にいじめをなくすという立場からではなく、自分たちの学校を地域、保護者のクレームから守るという隠れたニュアンスが秘められている。
ただし、それは今の教育現場を知らない人には理解しがたいかもしれないが、教師の手が一杯だからである、気持ちも体ももう廻りきれない教育現場の現状がある。
だから必死で、これ以上大きなものを抱えたらつぶれてしまうから、とにかく守るのである。
それを分かってほしい。そこに喚起や変革を呼ぶ為の爆弾を投下したとしても、教師は本当に粉々になってしまうだけだ。
今の子供に対応する為のエネルギィーは皆さんの小、中学生時代の時のものにくべて質も変わり、エネルギィーも大変多くしかも細やかに掛けなければならない。
いじめのありようも変わってきている。
みなさんの時代に学校にカウンセラーが一人いましたか。それだけを考えても、変化が激しく、教師一人では負えなくなるものがたくさんあるのです。
皆様へ強力な協力をお願いしたい。
担任教師がいじめを誘発する言葉を投げかけた。
♦
しかし、昨晩校長は、担任の言葉が自殺への直接原因ではないとした。
先日直接原因と語ったのは間違いとした。
この自殺は大変な問題に発展していき、マスコミでも大きくとりあげられていると聞く。
おおかた担任、学校、校長、委員会が極悪者になる。当然だ!
でも、この問題がわれわれに語っているのはそれだけか。
♦
要するに、「こいつが悪い!」と罵声を浴びせ、世間に教師の悪態をさらけたおして終わり!だけでこの問題が解決するのか?
私はどうしても納得がいかない。
二度と同じことがおこらないのか。
この問題解決で2次的な問題が発生しないのか、心配だ。
きっとこのニースで全国の管理職や教員は「おれとこは大丈夫だろうか」と点検し心配しているだろう。
きっと過剰に反応しているところも多いにきまっている。それがさらに教師のストレスに追い討ちをかけないか心配だ。
★★
20年前、私は女性とのお尻をたたいたこともあったし、股の間に手を入れて生徒を振り回したこともあったし、現在ではセクハラといわれ十分退職に追い込まれることもしてきた。
あんまり書くと自分が誰かがはっきりして多くの卒業生、先生たちに御迷惑が掛かるので書けないが…。
♦
もっと分かりやすく言えば、昔、管理職からこう言われた「生徒をしばいてくれ!」その後、「責任は全部俺が取るから」と。
よくしばいたものだ。ピンタなんて3日に1回はしていたし、ピンタ10連発してもおとがめもなし、それで通っていた時代だ。
しかし、時代は変わり今ピンタをすれば新聞にのることも十分に考えられる。よく暴力教師が新聞に載っていた。
今は新聞に載らなくても地域や保護者から相当のクレームが着く。
そしてもう一つ、時代は変わったのかもしれない。 コミュニケーションが取れていれば、教師も生徒に相当の言葉を投げかけることも多い。
「こらーっ」から始まって、「なにさらしとんねん」など、また、「○○ちゃん△△みたいや-」と冷やかすことも多い。
♦
しかし、今この事件で私の考えは変わった。その言葉も本当に生徒の心にどう映っているかを検証しながら、言葉・態度を選ばなくては生徒を大きく傷つけていまう時代だということだ。
生徒も変わった
心と心のすれ違いで親を殺す。
ずいぶんと体も弱くなってきていると心配しているが心もモヤシ状態だ。
私の担任していた生徒も「親を殺してやりたい、これで」とナイフを持ち歩いていたのを取り上げたのを覚えている。
不安定な子は教室でも以前よりはるかに増えてきた。明白な事実だ!
♦ ♦
こんな時代、教師の資質、生徒の心を見抜く教師の透明さが問われる。
しかし、生徒の心を見るのに、教師がこんなに忙しく、様々な問題で心をぎちぎちと尖らせていていいのか?と思う・・・・・
教師は生徒の心を歪なしでしっかりと見取る力が必要に成ってきた。
教師は自分の心を穏やかな湖面のようにしていなければ、生徒の真実の実態が自分の心に映ってこない。
一日の中でホットする時間、教師が自分を見つめる時間帯がぜひ必要だ。
正直言って、トイレのボックスに入ったときに、ホットする。
この福岡いじめ自殺事件で是非教師の心の平安をいかに保たせることができるのかを真剣に考えなくては次また同じ事件が起こる。
♦
より教師の力量が求められている時代だが、まず、教師が穏やかな心を常に保てる職場環境つくりが求められていると痛切に思う。