公立学校の真実
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結論は、絶対評価の方がダントツ使いやすい。
相対評価を使用している教員は、5段階なら、5が多くなったり4が多くなったりして評価の意味がなくなると絶対評価を心配する。
相対評価の区切りでは、1点差とか同点の時に本当に取るに足らない事で区切らざるを得ない。評価をつけるときに憂鬱になる理由だ。
しかし、絶対評価ならば、ここまで理解していれば5でもよいと評価の区切りにある一定の理由付けができている。
また、思想的に偏った教員でない限り、常識の範囲以内できちんとした評価を割り振るものだ。
涙をのんで人数で切るのか、一定の出来具合で切るのか、教員としては後者の方が心はすっきりする。
さらに、高校へ持っていく報告書の記載も成績一覧表などの作成がなく楽だ。
ただし、条件があるのだ。
習熟度別クラスごとに独自の絶対評価を付けること。
テストは習熟度別クラス独自のもので行うこと。
以上の2点である。
そして、その2点を展開するにあたっては、「人間の尊さは学力で判定できない」ということの、生徒・保護者への徹底徹底的な啓蒙が必要になる。
しかし、現在この2つの条件と啓蒙が展開出来ているのはごく一部の学校だけである。
若き頃、中二のテストの採点をしていて、ふっと思ったことがある。「この生徒は小学校6年間、そして中学校2年間、合計8年も勉強してきているのに未だに簡単な分数もできない。それどころか九九も十分覚えていない。8年間何をしてきたんだろう。」と。
それはその生徒に向けられたものでもあるが、我々教師側に向けた思いでもあった。
そもそも2乗に比例する関数や方程式の利用など分かるはずがないのだ。
それを教えている時、その子と目が合うと謝りたくなる。「今はじっと我慢しててくれ、すまない」と。
数か月もあれば九九は完成出来る。1年もあれば分数だって理解できる。なのになぜできない生徒が生まれるのだ。
その責任は教える側のシステムにあると考える。
中学校になると、授業でお客様と呼ばれる生徒が出てくる。授業を理解できないためにじっと座っているだけの生徒のことだ。
何年間もお客様でいることによく耐えていると思う。
教師もいろいろ工夫するのだが、限界がある。
もし、下位の生徒を集めて、様々な制約なしに、わかる授業を展開できればどんなに素晴らしいだろう。
しかし、それには上記に示した乗り越えなければならないいくつもの高い壁がある。
評価とテストは表裏一体である。また、評価の目的が高校入試のためのものか、生徒の習熟度ないし、達成度をはかるためのものかにより評価方法は違ってよいと考える。
習熟度別授業を上からの要請により形だけ推進すると失敗する例がみられる。習熟度別授業をより成果のあるものとして立ち上げるためには、この評価とテストを斬新的な切り口で新たに位置づける必要がある。
習熟度授業の実践例をみると、例えば数学であれば、同じ問題を上位層グループではヒントなしで行い、下位層グループはヒントをつけて教えるスタイルがとられていたりする。そして評価テストは両方のグループとも同じ問題で行う。
このスタイルは一見筋が通っているように見える。しかし、習熟度別授業推進の研究発表、実践のために一時的に打ち上げ花火を上げただけにすぎないスタイルだ。
だから、このスタイルを真似るとうまくいかず、習熟度別授業をあきらめ、単純分割の少人数授業に変えていく学校が何校も出てくるのだ。
習熟度別授業は素晴らしい形態である。実に効率が良い。しかし、上位層グループ、下位層グループを同じ評価テストで行うことによって大きな制約が生まれ、非効率的な授業となるのだ。
数学ともなると、今だ九九も完全に覚えていない中学生や分数と聞いただけで、そっぽを向くものもたくさんいる。その生徒たちに、上位層と同じ評価テストで対決させることが無駄、無理、生徒のやる気を削ぐのだ。
指導計画としては、九九から始めてもよいではないか、難しい計算は後でもよい、上位グループと同じ教科書で教えるならば、まず年度の半分を使ってでも計算力(式の計算、方程式)を付けさせることだ。文章問題は後でまとめて指導する。
このような生徒と上位層を同じ進度、同じ評価テストによって評価せねばならないとする前提から我々は解放されなければならない。
そして、生徒のために本当の実をとる必要があるのではないか。
しかし、そうなるとかなりやっかいなものも抱えなければならないが、次にする。
ニースによると
政府の教育再生会議の第1分科会(学校教育)が29日、首相官邸で開かれ、道徳教育を小中高校を通じた「正式な教科」と位置付けることで意見が一致した。
道徳教育は現在、絶対評価(小学3段階、中学5段階)の対象外だが、将来は対象に加える方向で検討し、5月に出す第2次報告に盛り込む。
道徳教育は、学習指導要領で国語や算数・数学などの教科とは別の領域とされる。年間35時間の「道徳の時間」のほか、音楽や体育など学校の教育活動全体を通じて実施するものとされている。
しかし分科会終了後の記者会見で、小野元之副主査(元文科事務次官)は、会議で道徳の教科化を目指すことで一致したことを明らかにしたうえで、それにより指導要領上の位置づけが高まるとの考えを示した。
小野氏は「道徳教育に不熱心な教師がおり、教材も充実していない」と語った。
道徳に不熱心な教師はいるよ、熱心な教師もいる。道徳教育をあまりさせない学校もある。適当に学活や総合学習にしている学校もある。もちろん道徳にしっかり取り組むところもある。
おれいやだーそんなの数字であらわせられないよー。