公立学校の真実
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いつも思うことだが、教員採用試験が人物重視と決め込んでから、本当に情熱のある人が採用されているのか疑問に思う。
それは、それぞれの学校の講師たちの採用試験の結果を見て思うのである。
情熱のある講師は採用されていないじゃないのかな、と。
絶対必要だと思う講師の方は不合格、片手間にやっているとしか思えない方が合格。
この事実は何なのだろうか。
人物重視の採用に穴があるように思える。それは採点基準と採点する側の人間力にあると思う。
採点基準があるのはわかるが、情熱のある教師の気持ちや言動は採点基準外に放り出される現実があるのではないか。
例で示すと、論文で、!を使うということはあり得ないし、使えば試験では減点対象にもなりかねない。しかし人間どうしても、強調したい気持ちを抑えられない時がある。それは人々、目の前にいる生徒に魂からほとばしるように訴える時である。つまり!なのだ。
しかし、論文では!はありえない。
これを無視すると減点。
情熱をそのまま出しきってしまうと、面接では ! と同じ運命になるのかもしれない。
面接の採点基準はどこに出しても文句のつけようのないお役所基準ものであればあるほど、!は必ず撥ねられるのだ。
次に本当に面接官は人間をみる見識と立場があるのかだ。失礼な言い方をしてしまったが、実際委員会や管理職はイエスマンを好む。言い方は変だが、どうしても学校社会は上意下達なのだ。それは法律にも示してあるし、現にそうなってきている。例えば東京都などは職員会議で多数決はもちろんのこと、教職員の意思を問うための挙手を禁じている。それに意を唱えた校長がいたが粛清されたと聞いた。
そういう中で育成された管理職や委員会の方が面接官であれば、本当に情熱あふれる教員を高く評するか疑問だ。
組織からはみ出すぐらいの元気があるやつでなく、無難にそして冷静に問題を処理でき、かつどれだけ文部省や県が出している通達に精通している人間か、それを優先するだろう。
一見教員に必要な資質と思われるかもしれないが、それは管理に必要であって、目の前の生徒と対峙する教員には別ものが必要だ。
何度も言うようだが、私は県の困難校、だれも嫌がる誰でも知っているある学校で担任をしていた。
やはり想像を絶する昼夜を問わず指導に走り回る厳しい現実の毎日、学校の規則を盾に生徒を指導することはもはやできない。学校の規則どころか日本の法律をも学校の中で毎日守られていないのだから。
しかし、不思議なことに、卒業してみてわかったことだが、誠心誠意、身を粉にしてきたことは通じていた。それは彼らが開いてくれた同窓会の席でわかった。
その誠心誠意とは、管理職に知れると都合が悪いこともある。ここで書くのは憚るが、管理職も委員会に知れると都合が悪く、新聞沙汰になることもせざるを得ないことで不登校に関する困難を乗り切ってきたことを私も見てきた。
話は本題からさらにそれるが、よく採用試験の質問の中に「居眠りしている生徒をどう指導しますか」というのがあるが、笑いが出てくる。
まあ、あの時の教職員が答えるなら、一応声かけはするが寝ているならそれ以上しない。3時間目に入ってまだ寝ているなら、3人の教師で担いで邪魔にならない教室に移動させて寝かす。教師のメンツをかけて昼食前には厳しく起こすが、それが時々暴力や、他の生徒への迷惑や校舎破壊につながる。
「@えっ」と思われるかもしれないが事実である。なぜならば、彼らは机の上では寝ない。教室の後ろの床でジャージを枕に寝るのだ。しかも、爆睡だ。その中で授業は進められる。
彼らは夜に暴走しとりあえず朝きて学校で寝るのだ。昼食の時になっても起きてこない時もある。終学活が終わっても寝ているときがあった。
これだけ書けば、教員は何をしているのだ。どういう指導をしていた。保護者対応は?と責められそうになるが、事実を書く。
しかし、その時はそれが精一杯の対応だった。裏を返せば一日終えるのに必死で、他の生徒を守るのに必死だった。
もし、あの学校の教員が正直に面接を受けるとなると、校長以下全員不合格だろうと思う。
話はだいぶんそれたが、教育への情熱は面接官には見えない。そこで教員採用試験に対する疑問が湧くのだ。
しかも、今や、面接の攻略本が出ていてそれを暗記したもの勝ちという事実があるのには、正直現場の人間としては教員採用に失望感を禁じえない。
もっとはみ出し野郎がいてもいいではないか。
長年教員として身を粉にして頑張ってきた人ほど、この人物評価の教員採用試験の質問に対してまじめに答えれば不合格の回答になるだろう。
最近職員もおとなしくなって、学校も面白くないとおもったら、この人物重視、いや人物規制の教員採用試験のせいだな。
それは、それぞれの学校の講師たちの採用試験の結果を見て思うのである。
情熱のある講師は採用されていないじゃないのかな、と。
絶対必要だと思う講師の方は不合格、片手間にやっているとしか思えない方が合格。
この事実は何なのだろうか。
人物重視の採用に穴があるように思える。それは採点基準と採点する側の人間力にあると思う。
採点基準があるのはわかるが、情熱のある教師の気持ちや言動は採点基準外に放り出される現実があるのではないか。
例で示すと、論文で、!を使うということはあり得ないし、使えば試験では減点対象にもなりかねない。しかし人間どうしても、強調したい気持ちを抑えられない時がある。それは人々、目の前にいる生徒に魂からほとばしるように訴える時である。つまり!なのだ。
しかし、論文では!はありえない。
これを無視すると減点。
情熱をそのまま出しきってしまうと、面接では ! と同じ運命になるのかもしれない。
面接の採点基準はどこに出しても文句のつけようのないお役所基準ものであればあるほど、!は必ず撥ねられるのだ。
次に本当に面接官は人間をみる見識と立場があるのかだ。失礼な言い方をしてしまったが、実際委員会や管理職はイエスマンを好む。言い方は変だが、どうしても学校社会は上意下達なのだ。それは法律にも示してあるし、現にそうなってきている。例えば東京都などは職員会議で多数決はもちろんのこと、教職員の意思を問うための挙手を禁じている。それに意を唱えた校長がいたが粛清されたと聞いた。
そういう中で育成された管理職や委員会の方が面接官であれば、本当に情熱あふれる教員を高く評するか疑問だ。
組織からはみ出すぐらいの元気があるやつでなく、無難にそして冷静に問題を処理でき、かつどれだけ文部省や県が出している通達に精通している人間か、それを優先するだろう。
一見教員に必要な資質と思われるかもしれないが、それは管理に必要であって、目の前の生徒と対峙する教員には別ものが必要だ。
何度も言うようだが、私は県の困難校、だれも嫌がる誰でも知っているある学校で担任をしていた。
やはり想像を絶する昼夜を問わず指導に走り回る厳しい現実の毎日、学校の規則を盾に生徒を指導することはもはやできない。学校の規則どころか日本の法律をも学校の中で毎日守られていないのだから。
しかし、不思議なことに、卒業してみてわかったことだが、誠心誠意、身を粉にしてきたことは通じていた。それは彼らが開いてくれた同窓会の席でわかった。
その誠心誠意とは、管理職に知れると都合が悪いこともある。ここで書くのは憚るが、管理職も委員会に知れると都合が悪く、新聞沙汰になることもせざるを得ないことで不登校に関する困難を乗り切ってきたことを私も見てきた。
話は本題からさらにそれるが、よく採用試験の質問の中に「居眠りしている生徒をどう指導しますか」というのがあるが、笑いが出てくる。
まあ、あの時の教職員が答えるなら、一応声かけはするが寝ているならそれ以上しない。3時間目に入ってまだ寝ているなら、3人の教師で担いで邪魔にならない教室に移動させて寝かす。教師のメンツをかけて昼食前には厳しく起こすが、それが時々暴力や、他の生徒への迷惑や校舎破壊につながる。
「@えっ」と思われるかもしれないが事実である。なぜならば、彼らは机の上では寝ない。教室の後ろの床でジャージを枕に寝るのだ。しかも、爆睡だ。その中で授業は進められる。
彼らは夜に暴走しとりあえず朝きて学校で寝るのだ。昼食の時になっても起きてこない時もある。終学活が終わっても寝ているときがあった。
これだけ書けば、教員は何をしているのだ。どういう指導をしていた。保護者対応は?と責められそうになるが、事実を書く。
しかし、その時はそれが精一杯の対応だった。裏を返せば一日終えるのに必死で、他の生徒を守るのに必死だった。
もし、あの学校の教員が正直に面接を受けるとなると、校長以下全員不合格だろうと思う。
話はだいぶんそれたが、教育への情熱は面接官には見えない。そこで教員採用試験に対する疑問が湧くのだ。
しかも、今や、面接の攻略本が出ていてそれを暗記したもの勝ちという事実があるのには、正直現場の人間としては教員採用に失望感を禁じえない。
もっとはみ出し野郎がいてもいいではないか。
長年教員として身を粉にして頑張ってきた人ほど、この人物評価の教員採用試験の質問に対してまじめに答えれば不合格の回答になるだろう。
最近職員もおとなしくなって、学校も面白くないとおもったら、この人物重視、いや人物規制の教員採用試験のせいだな。
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負け惜しみに聞こえてしまいますが
検索をしていたら、言い得て妙!な先生のブログに遭遇しました。
申し遅れましたが、私は現場の教員です。厳密にいうと、正規採用の教員ではなく、臨時教員です。私学の非常勤や、公立学校の臨時教諭を経験し、いまも、大学院で実践研究をしながら、非常勤講師で学費を払いながら、次の教員採用試験の機会を待っています。
本年度も、S県、K市、M県の教員採用試験を受験しました。一律に感じたことは、専門教養(教科の試験)の重箱をつつくような知識偏重の問題構成への疑問です。勉強しなかった、そのぐらい知ってて当たり前と言われればそれまでです。しかし、負け惜しみになってしまうかもしれませんが、こっちとら、数年の実践歴があり、大学院くんだりまで行って、日々、教科の教育法も含めて広く深く研究しています。ちなみに、ある県の臨採だったときの赴任校は、先生と同じような学校でした。
私は、S県の「特別選考」で試験を受けました。国際貢献活動をした人に開かれている選考枠です。1次試験の教職教養が面接に代えられるという「優遇策」です。しかし、ここにトリックがありました。その試験法の評価方法です。専門教養100点、面接100点という配点。
平たく言えば、教科のことだけ知っている頭でっかちの人物だけでなく、広く社会を経験してきて、上のコメントで言えば「はみだし野郎」も採用しよう、というのがこの特別枠の趣旨なのではないでしょうか?
でも、実際は、「頭でっかち」点も「はみだし具合」点も、まったく同点数。つまり、「はみだし具合」が多くどんなに個性的な人でも、やっぱり「頭でっかち」の部分が相当の基準に達しなければ、採用されない。というより、1次試験ではねられてしまう。結局、この「特別枠」って教委のポーズだけなんじゃないの?って、不合格通知が来た当時は、相当頭に来ていました。
実際、合格した受験番号を見たら、「ペーパー試験で高得点を挙げやすい大学生の現役」が多く合格していました。これでいいんでしょうか?教員採用試験。
「はみだせる教委」「はみだせる管理職」「はみだせる文科省役人」が出てきてほしいと思っています。最近私は、上記のことを、教育学研究の研究者たちに広め、制度に口を出すようにそそのかしています(^^)/ただじゃ、起きませんとも。やられたら、倍返しです(笑)
素朴な疑問
ありがとう
確かに言い訳です。
忙しい。
肉体的限界かなと感じています。学校出たのがpm11時30分、
風呂入ってねます。ごめん。
こちらこそありがとうございます。
でも、先生が現場で元気に?頑張っていらっしゃることがその表現から
分かり、ほっとしたような、励まされたような気持ちになりました。
こちらこそありがとうございます。
私も、「分かっていて必要だやらなければならないとは分かっていても、
忙しくてできない。自分がやりだしたことなのになあ、、」ということ
はいくつもあります。大学院の研究しかり、新たな授業開発への努力
しかり。。。
肉体的限界、まさにそうですね。私も、もう少し体力があればこんなの
乗り切れるんじゃないかと思うことが、最近増えてきました。がんばり
のきかない体を恨めしいと思うとともに、この学校の中の不合理な仕事
のやり方をもうちょっとこうすれば(民間企業に長いこといたので余計)
と思うことが多々です。一見無駄だけど意味あることなどもあって、
さらに事態は複雑、、で、結果、多忙感は収束する気配がない。
私も、臨採の時はいわゆる困難校でしたので、生徒指導でほぼ毎日、
帰宅は22時ごろでした。深夜2時になったこともあります。ああ、
臨採なのに勉強する時間がまったくないなあ、、、と嘆いていたものです。(それを尻目にさっさと提示きっかりで帰る正規や臨採にむかっぱら
を立てつつ)
ぼくたちの勢力が少し拡大して、現場に、はみ出し者が一定するいて
面白い学校になることを夢見て、がんばりましょう。あきらめなければ
いつか、子どもたちが真の笑顔を見せてくれ、忙しいけど楽しい毎日
はやってくるはずです。