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人権教育の本質
人権教育といえば、身近な人権、社会的な人権、グローバルな人権といくつか枠組みが考えられる。中学校では「平和学習」があるが、それも人権教育になっている。平和学習は、反戦教育に通じている。日本の戦争犯罪(南京大虐殺)を取り上げたり、映像で見せたりだ。広島・長崎の原爆についても学習する。

戦争を起こした責任を過去の日本の人たちになすりつけるだけでは教育にはならない。

闇は自分の内にこそある。

人権教育を責任を追及するための道具にしたくない。
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2012/06/23 22:02 | Comments(2) | 未選択

コメント

こんにちは。平和教育にしても「これが正解」というのはないと思います。教師が「これを伝えたい」と思ったことをやればよいのではないでしょうか。もちろん押しつけではなく。
posted by kenat 2012/06/30 08:31 [ コメントを修正する ]
人権教育の根本は、「自分の人権は自分で守る」という意思と能力を育てることに尽きると思います。人権教育を「日本人の責任」追及に利用してきた連中が今も沢山いますよね。「被害者の叫び」→「可哀想」→「配慮」→「利権」→「特権」という構図は矛盾だらけになってしまっています。「弱者・被差別者」のことを取り上げるパターン化した人権教育では、「差別」と言われれば思考停止に陥り、自分さえ守れない日本人しか育ちません。既に「人権」と言えば思考停止に近くなる風潮があるでしょう。所詮は社会関係なので、具体的事例の中で何を大事にするかでしか人権の相克は折り合いがつかないはずです。しかし、人権を利権にする連中はそうではないのです。思考停止してくれた方が思い通りになるのですから。
posted by chobosenat 2012/07/09 02:19 [ コメントを修正する ]

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