公立学校の真実
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デジャブ
一方、それは、関知することもないのですが、そんな出身大学を問う世界もあることは事実です。官僚、一流企業、学界などなど。まあ、それはそれで、捨ておけばいいのですが、こと、教育界でも、教師の出身大学を親が、あるいは親が子を通じてたずねるという風潮が一方にあるもの。だからと言って、出身大学がどこそこであるかを問うことなぞは、どうでもいいことなんですが。
学年通信やら、学級通信が書けないの能力や素養は、いざ、知らず、子どもに好かれる、好かれない以前に、等しく、教師の資格を得た人間が、現場に出てリアルタイムで、子どもと向き合っているという事実をおろそかにしてほしくないものです。
が、が、ですよ、どこかのO府やO市では、民意を得た首長の一手によって、根こそぎ、ただただ、能率、効率、成果至上主義が、現場に混乱をきたすだろう現実が目前にあるのです。そう、民意なんです。民意にしたがうと、首長次第で、現場から排斥されるのです。これまで、目前にしなかった、昨日までとなりの席にいた同僚が、今日からは消えるという事態を。
しかし、しかしですよ、教育はそもそも、何のためにあるのか。いかにも、民意を得て得意げにナタを振ることは、教育は、一行政体があずかるものなんでしょうか。学力テストの順位を競うこともよかろう。夢をもたない数字を標榜するのもよかろう。しかし、そも、一般行政の業務にしろ、現に住まうからの現住の行政サービスにばかりを受けるものではないだろう。
地元の産業衰退を回復する、復権するのと、沈滞した、衰退した、下位に位置する教育を復興することとは本質的に異なるもの。何を基準に、何をものさしにして評価をするのか。今では懐かしいほどの”勤評”という言葉がよみがえってくるものです。
サービスという名の教育
そりゃ、そうでしょ。注目に値するのは二か所。「職務権限の分担を条例で変更することは許されない」と「教育目標を知事が設定することが条例の目的ではなく、教育を受ける側の立場に立った教育現場に変えることが大事。」
前者は政府の見解。後者は、O府新知事の見解。いまだに”教育を受ける側”に立った教育現場に変えることが大事、と。教育は、あくまで、行政サービス。そう、サービス。サービスを”受ける”側に立脚する。なお、その上、”現場を変える”という。”変えるんです”。
一行政の行政コンセプトを披露するのもよかろう。がしかし、その後の断末魔を何が担保するのか。