公立学校の真実
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中学校で、同和推進校における進路指導の最重要不安は
「お金」だ。
こう書くと、なにを言い出すのかと思われるが、私の経験上、こうとしか書けないのが実際だ。
進路決定の時期に近づくにつれて、実際には3年2学期に入ってだが、親との話し合いの中でどうしても公立に
しか行かせられない状況が浮き彫りになってくる生徒が数人いや、十人近くは出る。
そのなかで学力的に公立高校に行けないかもしれないと現段階で推測される生徒が特に心配になってくる。
どうすれば、その生徒の将来を保障してやることが出来るのか。
このとき教員たちはまだ不安トいう段階だが、3学期に入ると、現実になる。
つまり、公立高校不合格が決定した瞬間である。
泣き崩れる生徒とともに家庭訪問に行く。そして、親とその後の相談をするのだ。
私が提示するのは、将来を考えて、私学の2次試験を提示する。しかし、親はかたくなにそれを拒む。当然かもしれない、私学ではお金が出せないからだ。子供のまえでも親はそれをきっぱりと言う。
そうなると次に、費用の比較的安い、通信制か定時制だ。この手の公立の学校なら年間一万程度の授業料で済む。
しかし、これは、よほど意思が固か真面目な生徒でないと続かない。だから、進学実績を稼ぎ出すにはその手もあるが、私はあまり勧められない。
そこでまだしも100歩譲って、私学の通信制連携校を提示する。これは費用は千差万別だが、安いところがある。年、五十万程度で行けるところがある。最終そこに収まる。
ただ、そこも続くとは限らない。
この時期3月が終わると、罪悪感が残る。もっときちんとした進路を提示できないのかと言うことだ。そして、教師の無力さを痛感する。
お金さえあれば、私学に行かせてやれたのに、定時性や、通信制等に行かせなければならない生徒たち。
公立高校にはいけないが、お金がある故に、私学に行き、さらに大学へも行くことができる道を歩くことができる生徒がいる。
人生「金次第」と思ってしまう時が私にある。
そうこうしているうちに下記のようなコメントをありがたく頂いた。
「お金」だ。
こう書くと、なにを言い出すのかと思われるが、私の経験上、こうとしか書けないのが実際だ。
進路決定の時期に近づくにつれて、実際には3年2学期に入ってだが、親との話し合いの中でどうしても公立に
しか行かせられない状況が浮き彫りになってくる生徒が数人いや、十人近くは出る。
そのなかで学力的に公立高校に行けないかもしれないと現段階で推測される生徒が特に心配になってくる。
どうすれば、その生徒の将来を保障してやることが出来るのか。
このとき教員たちはまだ不安トいう段階だが、3学期に入ると、現実になる。
つまり、公立高校不合格が決定した瞬間である。
泣き崩れる生徒とともに家庭訪問に行く。そして、親とその後の相談をするのだ。
私が提示するのは、将来を考えて、私学の2次試験を提示する。しかし、親はかたくなにそれを拒む。当然かもしれない、私学ではお金が出せないからだ。子供のまえでも親はそれをきっぱりと言う。
そうなると次に、費用の比較的安い、通信制か定時制だ。この手の公立の学校なら年間一万程度の授業料で済む。
しかし、これは、よほど意思が固か真面目な生徒でないと続かない。だから、進学実績を稼ぎ出すにはその手もあるが、私はあまり勧められない。
そこでまだしも100歩譲って、私学の通信制連携校を提示する。これは費用は千差万別だが、安いところがある。年、五十万程度で行けるところがある。最終そこに収まる。
ただ、そこも続くとは限らない。
この時期3月が終わると、罪悪感が残る。もっときちんとした進路を提示できないのかと言うことだ。そして、教師の無力さを痛感する。
お金さえあれば、私学に行かせてやれたのに、定時性や、通信制等に行かせなければならない生徒たち。
公立高校にはいけないが、お金がある故に、私学に行き、さらに大学へも行くことができる道を歩くことができる生徒がいる。
人生「金次第」と思ってしまう時が私にある。
そうこうしているうちに下記のようなコメントをありがたく頂いた。
そういう子供達は、公立高校の合格以外の道が極めて厳しいことを
どの時期にどの程度、実感しているのだろうか?
金が無いということは厳然たる現実として受け入れなければならないことを知っているのならば、それに向かって実力をつけていくはずであるべきと考えてしまうのは、私が他人事だと考えているからだろうか?
実際に他人の助けが得られない現状を把握させることこそが、彼らの為になるのではないだろうか?
仮に、定時性や通信制等にしか行けないとしても、それをさせたのは自分自身なんだし、そこを逃げ出すとすればそれまでと同じことかと。
このコメントにたいして少しわかりやすいように説明すると
だいたい、一学期終わりには80パーセント生徒の内申点および学力が把握できる。
つまり、公立に行けないか行けるかおよそ分かるのである。しかし、様々な点で、生徒や親がそのような学力的な立場を正確につかむことは難しいかもしれない。
理由
1、通知表が相対評価でなく、絶対評価であるため、例えば相対で1,2しかない場合でも、絶
対評価では2,3が付くので本人も保護者も安心してしまう。
2、 業者の模擬テストなどで自身の実力を把握することが難しくなった。以前は学校で行って
いた。それは出来ず校内実力テストで進路指導をするが以前のように必要な数値を生徒
に提示できない。
3、 公立高校に行ける実力がないとはっきりと面談で言えない場合がある。
・生徒のその後のやる気を失わせると判断される場合。
・はっきり伝えた時にトラブルが発生しやすいので、管理職からは断言を避けて面談を行うよう
に、希望を持たせるようにと指導されている。
上には例外もあることを補足しておく。
しかし、厳然とした事実を知らされたとしても、学習に向かわない者もいる。また、学習には一定向うが
合格ラインに達することが出来ない能力の生徒もいる。
同和推進校に限らず、困難校中心にもし進路指導の困難性に関するアンケートを取ったとすれば。
私のような考えをお持ちの方は非常に多いと確信がある。
もし、公立高校の授業料を無償にするなら、本当に救わねばならない最底辺層
はその恩恵にあずかることはない。
だから、公立高校の授業料は6割援助で十分だ。
そして、最下層の生徒に対する援助策を構築すべきだと切願するのは私だけだろうか。
どの時期にどの程度、実感しているのだろうか?
金が無いということは厳然たる現実として受け入れなければならないことを知っているのならば、それに向かって実力をつけていくはずであるべきと考えてしまうのは、私が他人事だと考えているからだろうか?
実際に他人の助けが得られない現状を把握させることこそが、彼らの為になるのではないだろうか?
仮に、定時性や通信制等にしか行けないとしても、それをさせたのは自分自身なんだし、そこを逃げ出すとすればそれまでと同じことかと。
このコメントにたいして少しわかりやすいように説明すると
だいたい、一学期終わりには80パーセント生徒の内申点および学力が把握できる。
つまり、公立に行けないか行けるかおよそ分かるのである。しかし、様々な点で、生徒や親がそのような学力的な立場を正確につかむことは難しいかもしれない。
理由
1、通知表が相対評価でなく、絶対評価であるため、例えば相対で1,2しかない場合でも、絶
対評価では2,3が付くので本人も保護者も安心してしまう。
2、 業者の模擬テストなどで自身の実力を把握することが難しくなった。以前は学校で行って
いた。それは出来ず校内実力テストで進路指導をするが以前のように必要な数値を生徒
に提示できない。
3、 公立高校に行ける実力がないとはっきりと面談で言えない場合がある。
・生徒のその後のやる気を失わせると判断される場合。
・はっきり伝えた時にトラブルが発生しやすいので、管理職からは断言を避けて面談を行うよう
に、希望を持たせるようにと指導されている。
上には例外もあることを補足しておく。
しかし、厳然とした事実を知らされたとしても、学習に向かわない者もいる。また、学習には一定向うが
合格ラインに達することが出来ない能力の生徒もいる。
同和推進校に限らず、困難校中心にもし進路指導の困難性に関するアンケートを取ったとすれば。
私のような考えをお持ちの方は非常に多いと確信がある。
もし、公立高校の授業料を無償にするなら、本当に救わねばならない最底辺層
はその恩恵にあずかることはない。
だから、公立高校の授業料は6割援助で十分だ。
そして、最下層の生徒に対する援助策を構築すべきだと切願するのは私だけだろうか。
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現状把握
どの時期にどの程度、実感しているのだろうか?
金が無いということは厳然たる現実として受け入れなければならないことを知っているのならば、それに向かって実力をつけていくはずであるべきと考えてしまうのは、私が他人事だと考えているからだろうか?
実際に他人の助けが得られない現状を把握させることこそが、彼らの為になるのではないだろうか?
仮に、定時性や通信制等にしか行けないとしても、それをさせたのは自分自身なんだし、そこを逃げ出すとすればそれまでと同じことかと。
本当に救済が必要なのか?
そもそも「学習意欲のない」人間を何故救わなければならないのか、理解に苦しむ。大体にして教員たるもの、単に授業をするだけではなく、当人の学習意欲を引き出すのも重要な仕事ではないのだろうか。
それが仕事ではないというのであれば、そんなことは塾の講師がすればいいことであって、学校が果たすべき役割を果たしていない「(法的に言う)善意もしくは未必の不作為」ではないのか。
率直な現状報告は高く評価するが、それに対する対応はあまりにもお粗末であり、当該教員の力量及び意欲の不足、と糾弾されても擁護しようがないと感じる。
そもそも、それなりの努力もしないために公立校に不合格になるような生徒に対し、公的な支援を行って私学に通ったとして、一体どれだけの成果が得られるのであろうか。
また、努力もせずに親や生まれ育った環境のせいにする輩は、例え私学に通い、社会人になったとしても全く使い物にならないと考えるのは、厳しすぎるのだろうか。
確かに親の所得による教育の格差に基づく、貧困の拡大再生産は絶対に阻止すべきところである。しかし、肝心要の勉学への意欲無くして、それを語ることは全くの誤りであり、同情心を惹いて怠惰に走ることは愚の骨頂と考える。
現状把握
どの時期にどの程度、実感しているのだろうか?
金が無いということは厳然たる現実として受け入れなければならないことを知っているのならば、それに向かって実力をつけていくはずであるべきと考えてしまうのは、私が他人事だと考えているからだろうか?
実際に他人の助けが得られない現状を把握させることこそが、彼らの為になるのではないだろうか?
仮に、定時性や通信制等にしか行けないとしても、それをさせたのは自分自身なんだし、そこを逃げ出すとすればそれまでと同じことかと。