公立学校の真実
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都内の区立中学の男性教師(51)は、別の中学の同僚から、道徳の授業時間を「社会科の職場見学の準備に使った」と聞かされてあぜんとした経験がある。その中学では、職場見学をした後の礼状書きも道徳の時間を使っていた。
別の中学の同僚は、道徳の時間に居眠りをしたり、隠れて受験勉強したりする生徒がいても特に注意もしていなかった。
「道徳はほかの授業に比べて軽くみられていて、やってもやらなくてもいいと思っている先生がいる」
この男性教師はため息をついた。
(2007年12月26日 読売新聞)抜粋
道徳の授業をまともにやっている学校はごく少ない。なぜか同和校ではやらない。同和校以外の学校で比較的落ち着いている学校でやっているのを知っている。また、人権教育を道徳でやる時もある。つまり、道徳の時間は一応組んではあるが、中身は適当だ。総合と合わせて2時間続きにして、自由に使っているところもある。当然、教育委員会もしっているが、お咎めはない。これが現状だ。保護者も教科指導ほど文句は言わない。
道徳を研究している友達がいるが、今は管理職になって頑張っている。「豊かな心を育む」研究授業を繰り返し、研究会を自主的に持って若手を育てている。彼の研究は本物だ。
彼は、生徒の心を育むのは簡単ではないという。「教師自身も内界を深く見つめ、人間の本質を知らねば伝わらない。道徳の教科書を読んで、奇麗事を並べるのは出来たとしても、それでは生徒はまたかと、右の耳から左の耳へ流れていくだけだ」と力説した。
私は生徒に、一番大切な授業は「道徳」だという。しかし、これも道徳をまともにやれせてくれる学校での話だ。しないのに研究もできなければ、生徒にも伝えら得ない。