道徳と同和教育
 道徳の時間は道徳をすると思っている国民がほとんどかもしれないが、実態は違う。
 道徳や学級活動や総合の時間は区別されていない場合がある。ましてや道徳の教科書を使って授業をするなどほとんどない。授業研究も道徳はめったにない。これが実態だ。

 ただし、県や地域によって事なることを伝えておく。

 私の赴任した学校では、道徳の時間に同和教育をしていたこともあった。今は人権教育と呼ばれているが、同じ内容だ。

 では、それがどう生徒に影響していくのかを説明したい。
 例えば、いじめはなぜ起きるのか。なぜ命を大切にするのか。こういう本質は道徳でなくては伝わらない。人権教育でもカバーできそうだが、道を外れるのだ。

 人権教育は、ときとして差別を恨むという理念が潜む。これは同時に差別者を探し、差別者への徹底攻撃や社会批判へと心が傾く。これでは差別はなくならない。なぜなら、差別の原因を外に見つけそれを攻撃しているからだ。戦争と同じだ。

 差別は、差別する心見つめ掴むことにより解消する。心を深く掘り下げる作業により、心がこだわりを解き放ち、差別する馬鹿らしさが見えてきて差別心が止まる。その作業が道徳だ。
 
 道徳は、いじめや差別を本質から解き放つきっかけとなる大切なものだ。「差別はダメ」といくら大声で伝えてもなくならない。心が変わらねばいつか吹き出る。

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2010/11/27 09:54 | Comments(3) | TrackBack() | 授業

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コメント

道徳の時間に同和教育の県だったから苦痛だった。またその話かよと。
さわやか3組を知らない。
posted by NONAMEat 2015/10/10 18:39 [ コメントを修正する ]
道徳の時間に同和教育
って学習指導要領違反で憲法違反の気がする。
posted by NONAMEat 2016/03/26 11:24 [ コメントを修正する ]
教育を受ける権利の侵害だ。
posted by NONAMEat 2016/03/26 11:25 [ コメントを修正する ]

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