悲しき道徳の時間
人権教育と同和教育を一緒に総括するのはまだ納得いくものもあるが、人権教育や同和教育と道徳とを一緒に総括している教育委員会はどう見ても指導要領からずれている。

道徳教育は同和教育や人権教育と別に総括するべきだ。

こう書くとどこの県かは分かると思うが、本当に他府県からみれば幼稚な教育を堂々としている。

それと人権教育と言えば反戦平和教育をすれば終りと勘違いしている管理職以下同僚を憐れむ。まともではない。人権教育は人権教育だ。日常の小さな出来事から社会の出来事など人の痛みや自分の痛みを知り人間の本当の願いに気づかせる教育だ。心の内を見つめる教育だ。社会運動ではない。

道徳授業はなぜ行われないのか。不思議だ。市民は中学校で道徳教育つまり道徳の時間が週1時間ありながら道徳授業が行われていないのをどう思っているのか。市民は教師の様々な指導にたいして目を光らせるが、道徳授業がなされていないことには関心がない。

日本のマスコミや国民が、政治家の政策論争に目をくれず、政局にのみ興味を追いかけるのに全くよく似ている。








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2011/10/27 21:47 | Comments(0) | TrackBack() | 授業

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