公立学校の真実
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文科省内に設置した専門家会議で「日本の高校に類する課程」に朝鮮学校があてはまるかどうかを、教育内容まで含めて議論していると説明してきた。ところが8月に公表された専門家会議の報告書では、朝鮮学校への適用の可否を判断するうえで、「教育内容を問うべきではない」と結論づけられており、義家氏は「専門家会議で一体どのような議論をしたのか。国会に明らかにする責任がある」と指摘した。
一方、民主党政策調査会文部科学、内閣両部門会議は7日、適用の是非について改めて検討し直すため、合同審議を行った。出席した一部の議員からは「教育内容を基準にしないのはおかしい」などと適用に否定的な意見が出されたが、「差別するのはおかしい」など適用を求める意見の方が比較的多かったという。
産経新聞抜粋
「差別するのはおかしい」…これは、どういう基準で差別なのか?
何でもかんでも「差別だ」と言えば、大衆が道をあけてくれる時代は終わった。
差別という言葉に隠れた差別があるからだ。
私が中学校時代に、社会科の教師たちはこういった。
「社会主義は素晴らしい、北朝鮮は貧富の差がなく、素晴らしい国だ」と教えた。これは公教育の授業でだ。
しかし、現実は、朝鮮総連の「北朝鮮は理想の国」という言葉に騙されて北朝鮮に渡った日本人妻の悲惨な生活が暴露されている。収容所に入れられた者までいる。今や、北朝鮮の非人道的な政策は周知の事実となり、北朝鮮を賛美するものは、日教組のごく一部だけである。
話はそれたが、麻薬や偽札をどうどうと作り出し、市民を暴力で抑えつけている国を信奉する生徒が通う学校に対しては、日本の学校とはっきりと区別すべきだ。ましてや国民の税金を使うなんてもってのほかだ。それなら、税金を返せと叫びたい。
日本の教育で人権を大切にするなら、中国や北朝鮮の今やっている非人道的な政策を明らかにし、心を大切にした日本人を一人でも多く輩出すべきだ。