同和教育と教師の人権その2
 以前ある学校で促進学級の担当をしたことがある。促進学級ってなに?ときかれるといまいち答えにくいんだが、要するに私がやったのは通常の英語の授業ではついていけない同和地区の生徒を、個別に他の教室で教えるのである。人数は1人のときもあれば3人のときもあった。しかし、私は心が痛んだ。なにか罪悪感とでもいうか、「私はおかしいことをやっている」というすっきりしない感覚だ。
なぜか考えてみた。それは、差別解消といえども、促進学級にきている同和地区の子よりまだ低いあるいは同じ程度の学力の子がいるのを無視していたからだ。同和地区以外の子は個別に学習する促進学級には入れないのだ。同じ学校の生徒でもだ。これを学校で話すと私が差別者になる。だから口が裂けてもいえない。そして、実はこの学校のほとんどの教師がおかしいと思っている。しかし、言えない。共産主義の圧制された世界のようだった。それに嫌気をさして病休をとっていた教師もいた。
 ある日、全職員がある建物に呼び出されたみたいだった。そしてみんなその時は神妙だった。異様な神妙さだ。何だろうと先輩教師についてその建物に入った。静まり返る中、校長が部落解放同盟の方々の前でなにか文章を読み上げる。しばらくすると「こらー○○△×!」とあちこちから罵声が響いてきた。しかし、校長は途切れず読み上げた。すごい。その後、いわゆる糾弾がはじまった。校長がほとんど対応していたように覚えている。しかし、終わった後はみんな疲れていて、「ほんまにあほらし…」と言った感じだった。先輩教師は「いまどき、こんなところがまだあるんやで、よう覚えとき」と小さい声で言った。
 そして、いよいよ進路の時期に入ってきた。ある学校では同和地区の生徒の内申書を完璧に改ざんしていた。1と2しかない成績を公立学校に入れるような内申書に改ざんする。初めはびっくりしたが、先輩教師たちは当然のごとくやり過ごしている。当日の入学試験の点数が低くても公立に入れるようにする。同和地区の生徒の進路をどんなほうほうでもよいから確保する。進学率を他地区と変わりないようにする。それが校長の最優先課題だ。もし、それができないとなると、糾弾が始まる。だから、どんなほうほうでもいい。他の生徒の進路はその後考えてもまだまにあう。
 山口県では、促進学級は平成11年には無くなった。
 このように甘く育てられてきた生徒は本当に自立できるのだろうか、心配だ。
 同和教育の矛盾は多くの教師が抱えている。しかし、あまり大きな声では言えなかった。nnn。その中でも好き嫌いは別として共産党ははっきりものを言ってきたほうだなと思う。他の政党そしてマスコミは本当に弱腰だ。しっかりしてくれよ子供のために本当の市の教育を派閥や政党や対面を捨て超えて作ろうじゃないか。

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2006/11/20 22:05 | Comments(1) | TrackBack() | 同和教育とはなんだったのか

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コメント

いろんな言い方「人権啓発」「人権推進」をしていますが、内容は同じですね。
この矛盾に一番向き合っているのは公務員の「役所」「教員」「警察・消防」かも
しかし、一番敬遠しているのもこの人たち・・・矛盾
posted by NONAMEat 2006/12/08 20:56 [ コメントを修正する ]

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